28


温かくてポカポカする陽射しが心地良く、穏やかな波に揺られる船の上でスヤスヤと熟睡しているマヒロの寝顔はとても幸せそうだ。だが少ししてその微笑ましい寝顔は徐々に眉を顰めて眉間に皺が寄り不機嫌な様相へと変わる――が、それは一瞬だけで直ぐに元に戻った。

―― ……一瞬だけ変わったのは何だったんだ?

顔を覗き込んで見つめるエースは一度マヒロから視線を外して首を傾げるが、まァ何か夢を見てたんだろうと眠るマヒロの肩に手を置いて軽く揺すった。

「マヒロ、目ェ覚ませ」
「…ん〜…も…ちょっと……」
「船だ。モビー・ディック号が見えたんだ」
「……んー…モビー・ディック号…?」

熟睡していたのだろう寝惚け眼をゴシゴシと擦るマヒロは船の名を呟いた――が、反応が薄い。

―― モビー? 何だっけ?

エースに視線を向けるとエースは小さく溜息を吐いてかぶりを振った。

「まだ眠いんだろうけどよ、起きてくれ。白ひげ海賊団の船が見えたんだ」
「……え!?」

エースの言葉を漸く理解したマヒロは飛び起きるとエースが指し示す方向に視線を向けた。

「ほら、あれが白ひげ海賊団の船――」
「!」
「白鯨、モビー・ディック号だ」

まだ少し距離があるというのに大海の中を航行するその船の存在感たるや、その辺の海賊船とは別格だった。

「すげェだろ?」
「うん。大きい船とは聞いてたけど、こんなに大きいなんて……」

マヒロの感想にエースはニシシと笑うと意気揚々とストライカーのスピードを上げてモビー・ディック号を目指した。
徐々に近付ていくとその巨大さにマヒロは目を丸くしながら思わず感嘆の声を漏らした。

想像していた『海賊船』の大きさとは明らかに異なる。
口を開けたままただただ魅入る。

そんなマヒロの反応を楽し気に見つめるエースは、モビー・ディック号の甲板上から望遠鏡を部下から手渡されて覗く人物を見つけ、軽く手を上げた。

「サッチ!」
「お、本当にエースじゃねェか!」
「え、サッチ?」

聞き覚えのある名を耳にしたマヒロはエースが手を振っている相手に視線を向けた。

―― ……あァ、成程。……フランスパンね。

4番隊隊長であるサッチに関してはマルコが手料理をしながら度々話してくれたことがあった。

〜〜〜〜〜

「フランスパン?」
「リーゼントが凄く目立っててねい」
「え、リーゼントって、コックさんなんですよね?」
「まァコックだがその前に海賊だからよい」
「……不良海賊?」
「っつぅか、海賊は元々素行不良な奴がなるもんだろい」
「あ、そ、そうですよね。ふふ、マルコさんがあまりにも素敵な紳士さんだからついつい忘れちゃいます」
「……ょぃ」

〜〜〜〜〜

笑ってマヒロが褒めるとマルコは恥ずかしそうに顔を赤くして顔を逸らす。その時のマルコの反応はとても印象的で、マヒロの記憶に強く残っていた。
どちらかと言うとマルコの『可愛い反応』の方が印象的に残り、サッチのフランスパンについては”ついでに”覚えていたぐらいなのだが、甲板上で目立つ頭をしている姿を見たマヒロは納得して笑みを零したのだった。

そうこうしている内にエースのストライカーとマヒロの乗る小船がモビー・ディック号の側面へ着岸すると、専用の収納扉が開けられた。エースはストライカーと小船を隊員達に任せるとマヒロを抱えて甲板へと目指した。

「ちょっ、挨拶ぐらいさせてよ!」
「どうせ後ですることになるから構わねェって。後は頼んだぜ」
「「「りょ、了解」」」
「なァ、エース隊長が仲間にしたいって言ってたのはあの子か?」
「ただの可愛らしい小娘じゃねェか。単にどっかで拾って来ただけじゃねェの?」

ストライカーと小船を預かった隊員達はエースが連れて来たマヒロが気になって仕方が無かった。
一方、甲板上へと到着したエースが俵抱きしたマヒロを降ろしているとフランスパンことサッチが出迎え、船内からは次々と人が出て来てエースの帰還を喜んだ。

「遅かったじゃねェか!」
「悪ィ! 途中で色々あってな、時間を食っちまったんだ」
「仲間は引き入れたんだろうな? それっぽい姿が無さそうだけど」

サッチが周辺の海を見回しながらそう言うとエースはテンガロンハットを取り、申し訳なさそうに視線を彷徨わせた。

「あー…それについては失敗したんだ……」
「おいおい、長期間空けておいて失敗じゃ済まされ……んん!?」

サッチはエースとの間に小柄な女がいることに漸く気付き、ピタリと動きを止めて目を丸くした。

「あれ? ひょっとして……」

サッチがそう言い掛けると一人の隊員が思い出したようにポケットからガサゴソと手配書を取り出し、マヒロと手配書とを交互に何度も確認した。そして隊員隊は声を揃えて叫ぶ。

「「「その子は麗しの漆黒拳士――」
「その名前で呼ぶのは止めて」

間髪入れずにマヒロは冷たい声音で言った。

「「「ひっ!?」」」

可愛らしい女が一転して狂気的な眼光をキュピーンと光らせて睨むものだから、隊員達は驚いて小さく悲鳴を上げた。

「ハハ、マヒロはその通称で呼ばれるのが嫌いなんだってよ」

エースが笑ってそう言うとサッチがピクンと大きく反応し、「やっぱりか!」と叫ぶと同時にマヒロの両肩をガシッと掴んだ。

「わっ!?」
「君がマヒロか! センザキマヒロ!」
「え、あ、は、はい! あ、あの……」
「うおおマジか!? 何だよ凄ェ可愛いじゃねェか!」
「え!?」

大きく驚いたサッチは素直な感想を口走ると何を思ったのかガバッとマヒロを抱き締めた。

「へあ!?」

その際にマヒロは思わず変な悲鳴を上げた。すると更にその直後、間髪入れずに前後左右、いや全ての角度からサッチに目掛けて何かが襲い、サッチは激しく吹き飛んで空中に綺麗な孤を描き――ザッパーン!――と、海の藻屑へと消えていった。

「た、大変!!」

海に落ちたサッチを助けにマヒロが慌てて飛び込もうと欄干に手を掛けると腕を掴まれた。マヒロが振り向けば童顔で王子様風の出で立ちをした若い男が笑顔を浮かべてマヒロの腕を掴んでいる。

「大丈夫だからほっといて良いよ」
「そ、そんなわけにはいかないでしょう!?」

男の制止を振り切ったマヒロは海面までの高さに躊躇すること無く飛び込んだ。そして酷いたん瘤を作った状態で海中に浮いたままピクリとも動かないサッチを助けた。

「へェ…、この高さに臆すること無く飛び降りるなんて、なかなか肝の据わった女だねェ」
「あれが噂のセンザキマヒロかァ。凄く良い子じゃん!」
「麗しの漆黒拳士とはよく言ったものだな」

イゾウ、ハルタ、そしてビスタがそれぞれ感想を述べると三人は一度だけ顔を見合わせてからエースへと視線を向けた。その際、エースはビクンと身体を弾ませてヒクリと頬を引き攣らせた笑みを浮かべた。

「「「遅いお帰りで」」」
「…お、おう、た、ただいま」

イゾウ、ハルタ、ビスタは笑っているがどこか目が笑っていない気がしたエースは視線を外した。そして欄干から下を覗き込んで海に飛び込んだマヒロを探した。

「ぷはっ!」
「ハハ……来て早々に世話になっちまって悪いなァマヒロちゃん」
「もう、驚くじゃないですか。皆さんも見てるだけだなんて」
「おう、薄情な奴らだろ? サッチさん泣いちゃうってんだよ」
「ふふ」

サッチと共に船へと戻ったマヒロは改めてサッチに挨拶をした。

「初めましてサッチさん。私はセンザキマヒロと言います」
「ん? おう、おれはサッチってんだ。宜しくな」
「4番隊隊長さんなんですよね」
「おう、そうだぜ。何だか親し気に接してくれるところを見るとマルコからおれっちのことを色々聞いてたりする?」
「ふふ、あなたがマルコさんの舌を育てた人なんですね〜」
「……ん?」
「あと、女性が好きだってことも聞いてます」
「あーうん、何だか余計な情報まで刷り込まれてるみたいだから、とりあえず甲板に戻って話をしようかマヒロちゃん」

サッチは苦笑を浮かべるとガクリと項垂れて溜息を吐き、マヒロは目をパチクリとさせて見つめた。

―― 私……何か不味いこと言ったのかな?

甲板上を目指して先を行くサッチの背中を見つめながらマヒロは首を傾げるのだった。
そして、サッチと共に甲板に戻ったマヒロは着物姿の男に乾いたタオルを頭から掛けられ、問答無用にぐわしゃぐわしゃと乱暴気味に髪を拭かれた。

「わわっ!? な、何なの!?」
「ハハハッ! こうしてやっと可愛い妹と会えたんだ。少しぐらい構わせてくれても良いじゃないか」
「い、妹?」

キョトンとするマヒロは周りに視線を向けて目を見開いた。強面で屈強な男達が周りを囲んでマヒロを見つめて(睨んで)いる。

―― ……シャンクスさんのところと同じ感じかな?

マヒロは少し戸惑いながらも軽く頭を下げてニコリと笑ってみせた。すると男達は目を見開くと同時に頬を赤く染めつつ締まりの無い顔へと変えて「「「キャー」」」と野太い声で悲鳴を上げた。

「あのな……気持ち悪いだけだってんだよ」
「何してんだお前ェら……」

隊員達にサッチとイゾウが冷たい視線を向けて素でツッコみ、一方マヒロは男達の野太い悲鳴に驚いて固まっていた。

―― 本当、この世界の海賊さんって私の世界の海賊とイメージが全然違う。

「しっかしよォ、マルコを骨抜きにした女ってェのがどんな奴か楽しみだったんだが、思っていたよりガキだな!」

―― !?

「あははは! 何固まってんのさマヒロ! でも本当、もっと大人ってイメージしてたけど全然違うね!」

―― ッ……。

「ククッ、我らの長男も趣向を変えたってとこかねェ?」

―― ……。

ドレッドヘアの男が放った言葉を皮切りに王子風の男が笑って同意し、着物(今見ると女性ものだ)姿の男も肩を揺らして笑って頷いた。
順に視線を動かして顔を俯かせるマヒロを前に、周りの男達も「意外だよな」と口々に好き勝手に言いたい放題だ。

「なァ、お前ェら何か勘違いしてねェか?」
「「「何が?」」」

濡れた髪を乾かしながらサッチが声を掛けると誰もがサッチに視線を向けて首を傾げた。ただマヒロだけはサッチを見た瞬間に怒りが吹き飛んで違った思考が走る。

―― えっ、そっちの方が断然良いと思うの私だけ?

フランスパンなるリーゼントは跡形も無く消えて、髪を掻き上げてオールバック姿になるサッチに目が釘付けになるマヒロを他所に、サッチは真顔で爆弾を投下した。

「確かマルコがマヒロちゃんと会った時は二十六歳だったんだよな?」
「あ、はい」
「で、あれから二年ってェことは二十八歳になるってわけだ」
「えェ、そうですね」

サッチの言葉にマヒロがコクンと頷くと、辺りはシーンと静まり返った。

―― もう! やっぱり!!

「「「何ィィィ二十八歳だとォォォ!?」」」
「くっ…、もう最低! サッチさん!!」
「お、おう! どした!?」
「マルコさんはどこにいるの!?」

驚きの声を上げる男達を無視してマヒロはサッチにマルコの所在を訪ねた。船に辿り着いて甲板に降り立った時、何となくぽっかりと穴が開いた気分だったマヒロは、ひょっとしたら――という思いを抱いていた。するとサッチは眉尻を下げて申し訳無さそうな表情を浮かべたところで、やっぱり――と、否が応でも気持ちが萎えて落ち込んだ。

「今は不在……ですね」
「悪ィ。近々次の島に着くからよ、ほんの数時間前にマルコは偵察に行っちまったんだ」

肝心の人物に会えなかったことにマヒロが物凄く凹んでいると思ったのだろうか、周りの男達が突然表情を変えて口々にマヒロを励ましに掛かった。

「ま、まァ、直ぐに会えるって、な?」
「そ、そうそう! この船にいたら絶対に会えるんだから心配すんなって!!」
「本当、折角遠い所からやって来たってェのに『お預け』を喰らっちまうなんて……うゥ…可哀想に!!」

男達の気遣いにマヒロは先程の怒りはどこへやら、微笑を零してかぶりを振った。

「ふふ、お気遣い頂いてありがとうございます。でも、大丈夫です。ここに上がった時に何となくそんな気がしてましたから」
「「「へ?」」」

マヒロの言葉に肩透かしを喰らったかのように男達は間抜けな声を上げてキョトンとした。

「へェ…、マルコが話してた通りってとこかな?」
「ククッ…、末恐ろしい妹だねェ」

マヒロ視点による王子スタイルの男と着物スタイルの男が納得するように頷いて笑うのだが、マヒロはあまりにも人が多い為に誰が誰なのか全くわかっていない。

―― えーっと、とりあえず自己紹介をお願いしようかな。

等とマヒロが考えているとポンッと頭に手が置かれて撫でられる感覚に目を丸くした。視線を向けるとサッチが笑みを浮かべていた。

「先にオヤジに会っちまえ」
「え?」
「あァ、それが良い。先にエースがオヤジに報告しに行っているからな、マヒロのことも報告しているだろう。行ってくると良い」
「あ、は、はい」
「んじゃおれっちに着いて来いよ」

シルクハットを被り特徴的な髭を摘まんで弄りながらそう語り掛ける人物にマヒロは軽く頭を下げて頷いた。

―― 確かシルクハットを被った人がビスタさんって名前だったような……。まァ後で自己紹介する機会もあるだろうから良いよね。

とりあえずマヒロはサッチの後について船内へと入って行くのだった。

白ひげ海賊団

〆栞
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