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この術式は一定に力量を持つ者の力をゼロに近い状態へと下げる呪縛式だ。
霊力や妖力等で形成される枷のようなもの、光の和と鎖と文様を浮かび上がらせた状態で鍵(キー)と呼ばれる言葉を放てば解ける。
限りなくゼロに近い状態で手足や首を動かすためにフルで霊力を溜めなければ動かせない。平常通り動かせるようにする為には普段の生活時においても常に最大値の状態を維持しなければならない。
この状態で戦う場合、上限値が限りなく最大値である為、力を溜めて攻撃しても然程通常値とそう変わらない攻撃となるだけで、疲労が余分に蓄積されるだけに自身に掛かる負担が増えるのみ。しかしそれでも、マルコはこの状態でも通常のように戦えるように幻海の元で上限値の幅を一段階程入れられる与力を付けた。
――が、幻海の修行を完遂した後もマルコは自主的に能力を向上させる為に努力をした結果、更にもう一段階程の上限値を上げることができた。
通常は数年掛けて能力の幅を向上させるものをマルコは短期間で大きく幅を広げたことになる。
このことを書類仕事をしながら空幻にそれを話すと彼は絶句し――拗ねた。

「これだから器用な天才肌って奴は……」

と、何やらブツブツと言いながら書類に目を通す空幻にマルコが――マヒロかよい――と口にはしなかったがそうツッコみたくなる程の拗ね具合だった。それだけ能力を呪縛された状態でより力を向上させることがどれだけ難行であるかということだ。

さて、問題はこの先だ。

この術式を解放すればどれぐらい変わるのかだ。
正直な所、マルコ自身も不安があった。
――と言うのも、霊力をゼロに抑えるコツは理解しているが、解放されたことでより強化された霊力を果たしてどこまで自力で抑えることができるのか、ということだ。

こればかりはやってみなくてはわからないのだ。

解放したことで恐らくこの先、襲い来る妖怪の数が更に増ることは間違い無い。そしてまた、より強い妖怪を惹き付けることになるだろうことにもなるだろう。多少面倒なことになるだろうが仕方が無いとマルコは腹を括る。

シャナクは「グゥルル……」と唸り声を上げながらジリジリとマルコとの間合いを詰めようとしているが、警戒している為か直ぐに襲い掛かる気配は無い。

―― ……じゃあ、始めようかねい。

少しだけ笑みを浮かべたマルコは深く息を吐くとスッと表情を消した。
両手首、両足首、そして首。
光の輪に繋ぐ光の鎖がジジジジジジッ…と、まるで電気が走るような音を鳴らし始めた。

「開(アプリーレ)」

解放を意味する言葉を放ったマルコは酷く落ち着いた声だと思った。
光は言葉に反応し、それぞれの輪から共鳴するようにバチバチバチと激しさを増すとパキンッ! パキンッ! パキンッ! と、割れる音を発して光の輪が弾け飛んだ。

ドクンッ――!

力が解放された瞬間、身体の奥底から強い鼓動が全身へと発すると同時に隅々まで力が津波のように押し寄せて漲るのが如実にわかった。
解放すると暴発的にエネルギーが溢れ出すのかと思っていたのだが、意外にそれは無く、寧ろ怖いぐらいに静かだ。
小さく息を吐いたマルコがふと視線をシャナクへと向けると、シャナクは間合いを詰めるどころか後退り始めていた。
理性を無くして野性味が増した分、却って得体の知れない力を感じ取り恐怖したといったところだろうか、狂暴性に富んだ表情は一転して恐れ戦くそれへと変わっていた。

マルコはグッと足に力を入れた。その瞬間、ふと足元に視線を落とす。普段通りの感覚で地面を蹴ると、恐らく飛び過ぎると瞬間的に感じた。

―― ……気楽にやるのが丁度良いぐれェだない。

フッと力を落して軽くトンッと地面を蹴った。

「ッ!?」
「悪ィ、おれもあんまり把握できてねェから許せよい」

マルコは一瞬でシャナクの懐に飛び込んだ。マルコ自身もそのスピードに驚きながらも苦笑混じりにシャナクに一言断りを入れておいて顔面をぶん殴った。

ズドンッ!!

「よい!?」

本当に軽く遊ぶ感覚程度に力を抜いたにも関わらずやってしまった感満載の結果に終わった。

殴った瞬間にシャナクの頭部が見事に吹き飛んだのだ。

頭部を失ったシャナクの身体はそのままどさりと静かに地に伏した。
当然だが即死だった。
変形していたシャナクの身体はみるみる内に元の人の姿へと戻った。
マルコもまさかここまで変わるとは思ってもみなかった。
あまりに強力過ぎる力は自分で制御ができなければ諸刃の剣と同じ――以前に、これでは人間も妖怪も関係無く襲って来くる者達全てを殺害してしまうことになる。

ただの殺戮兵器だ。

「……はァ、また訓練だよい」

頭部を失くしたシャナクの身体を見下ろし、ガクリと項垂れたマルコはその場にしゃがみ込んで手を合わせた。
最早許す気は無かったにせよ、あまりにも一瞬でその命を奪ってしまった罪悪感からか、マルコは何となく謝罪しておこうと思ったようだ。
とりあえず、この無残な死体をこの場に放置するわけにも行かないとマルコはシャナクの身体に手を伸ばして腕を掴んだ。

<<――ドクンッ――>>

「!」
(い、いや……)

シャナクの身体に触れた途端に異様な鼓動がマルコを襲った。マルコは反射的にその手を離したが、ふとマヒロの声が聞こえた気がした。

「マヒロ……?」

そういえばスキルの件以降からマヒロの声が途絶えていたことにマルコは気付いた。
いつもならば例え戦闘中と言えどもマヒロの声は常に傍にあった。なのにシャナクとの戦闘中は何も無かった。そう、何も無かったことがおかしいのだ。それに一瞬だけマヒロの怯える姿が見えた気がした。

眉間に皺を寄せたマルコはシャナクの身体にもう一度触れようと手を伸ばした。その時だ。

「(いかん! マルコ殿! 屍鬼がマヒロを傀儡化しようとしておる!!)」
「! …空幻…?」
「(わしの力が足りん! 異空間へ飛ばす力も無い為、今はマルコ殿に語り掛けるので精一杯じゃ! 頼む! マヒロを、あの子を助けてくれ! でなければわしは幻海に顔向けができん!!)」

飄々とした好々爺である空幻が焦りの色を見せて必死に頼む声音を聞くことは非常に珍しく、それだけ事は急を要しているのだとマルコは察した。

「ッ、わかったよい」

マルコはコクリと頷いた。

―― どうやって助ける? ――

どこを見るとも無く視線を宙に留まらせて思案し始めたマルコはふとシャナクの声が脳裏に響いた。

「屍鬼の元に連れて行かれたおれは屍鬼儡の呪詛を受けて化物になった」

シャナクの死体に視線を落とし、先程触れた時の感覚に恐らく『屍鬼儡の呪詛』なるものが関係しているのではとマルコは考えた。
屍鬼の力が糸となって本体へと結び付いているとするならば、これを利用すれば屍鬼の元へ、つまり異空間に囚われたマヒロの元へ行けるのではと――。
本当にそれが可能かどうかはわからない。
だがマルコは何となく感覚的に出来る気がして、力無く倒れるシャナクの身体に手を伸ばして背中に触れた。

―― ! あったよい。

確かに傀儡の呪詛式の根がそこにあった。これを辿れば恐らく行ける。それも同じ『毒素』で出来ているのならマヒロの体内へと飛べるはず。

「シャナク……色々あったが礼を言うよい。お前のおかげでマヒロが救える!」 

マルコは目を閉じて集中した。視界に浮かぶのは禍々しい根だ。それがほの暗い闇へと向かって延びているのが見える。マルコはそれを意識的に辿っていった。

<<――愛する 男を お前が 喰らえ――>>

「ッ…けて…、助け…、マル……、マルコ…さん…助けて!」

ドクン……ッ!

最後の力を懸命に振り絞るかのように必死に声を上げるマヒロに呼応する様に反応したのはマヒロの中にいたもう一つの力。
禍々しい根を辿った先から青い光がマルコに向けて伸びて来るのが見えた。マルコは手を伸ばしてそれに触れると強い力で引っ張られる感覚に襲われる。そして、自ずとマヒロの身に何が起きているのかを瞬時に理解した。

―― ッ!

何がマヒロを助け、何がマルコを引っ張り込み、何がそう教えたのか――思いもしなかったそれにマルコは驚きつつ、その力に呼応するようにマヒロの中に入り込む屍鬼を追い返した。

―― ……一気に行くよい!

黒い霧状の屍鬼の瘴気が全て体外へと押し返される。

「コレハ!?」

それと同時にボボボッと青い炎が突如として現れたそれは紛れも無く不死鳥化したマルコだ。両羽をバサリと広げるとマヒロの身体を覆うようにして庇う。

「ッ! フシチョウ!?」

意識が混濁して朦朧とするマヒロと一瞬だけ目が合った。それを最後にマヒロは涙を零しながら意識を手放した。それを見届けたマルコはゆっくりと頭を上げると屍鬼と思われる化物を睨み付けた。

「ナゼココニキサマガ!?」
「シャナクの身体からお前ェの力の残り香を辿って来たんだが、上手く行ったよい」
「ナニ!?」
「お前ェがシャナクを利用したように、おれもシャナクを利用させて貰ったってェわけだ」
「ニンゲンフゼイガ、ソノヨウナゲイトウガデキルナド!?」
「おれがただの人間に見えるかよい?」
「ッ…キサマ…ナンダソノ…デタラメナチカラハッ…!」
「へェ…、闇の墓王でも恐怖はするんだねい? 案外脆いんだなお前ェ……」

目を細めるマルコに屍鬼は一瞬だけ押し黙った。だが――。

「クッ…ククッ……」
「……」
「ヤハリ…オマエヲ…、オマエヲクエバ、ミタサレル。……エイキュウニ…ナァ…」

屍鬼は笑みを浮かべながらそう言うと黒い霧状の瘴気を発して全身を包んだ。

「マダダ。マダ、タタカワナイ」

<<――ワレニ カワル モノヲ エルマデハ――>>

屍鬼はその言葉を最後に残すと深い闇に紛れるようにして姿を消した。

「我に代わる者を得るまでは…だって? どういうことだ?」

禍々しい闇に包まれた空間は暗いままだが通常の異空間へと姿が戻るが、マルコの青い炎が周囲を明るく照らす。
マルコはふと気を失っているマヒロへ視線を落とした。
二年ぶりにマヒロの顔を直に見ることができ、自ずと目を細めた。

―― けど、会うのはここじゃねェな。

「ん……マル…コ…さ…ん…?」

どうやら意識を取り戻したようで、僅かに口を動かしてマルコの名を呼ぶマヒロは眉を顰めつつゆっくりと目を開けた。

―― 少しぐらいなら良いか。それに今は不死鳥のままだしなァ。

マヒロの声に応えるようにマルコは自らの頬をマヒロへと摺り寄せるとマヒロが目を見開くとボロボロと涙を流し始めた。

「相変わらずマヒロはよく泣くよい」

クツリと笑いながらマヒロの耳元でそう言うと、マヒロは益々涙を流し、マルコの首元に腕を回して抱き付いた。

「うぅ、マルッ…コさん…マルコさん!!」
「あァ、よく来たなァマヒロ」
「マルコさん! マルコさん!!」
「よいよい」
「ふっ、うっ、わあァァァ!!」

マルコは不死鳥姿のままで泣きじゃくるマヒロを宥めるように頬を寄せたり嘴で背中を撫でたりし続けた。

久しぶりに聞く声。
久しぶりに触れる手。
相変わらずの泣き顔。
どれも酷く懐かしい。

「マヒロ、元の身体に帰る時間だよい」
「ひっく……どう…やって…?」
「簡単だよい。そのまま目ェ瞑ってろよい。目が覚めたら元に戻ってるからよい」
「……マルコさん」
「大丈夫だよいマヒロ。もう直ぐだ。もう直ぐ会える」
「……うん」

不安と寂しさを混同させた表情を浮かべるマヒロは名残惜しそうにしながらマルコの言う通りに目を瞑った。

「今度は不死鳥の姿じゃなく、ちゃんとお前ェを抱き締めてやるから。気を付けて来いよい」

マルコはそう告げると嘴でマヒロの頭を軽くコツンと叩いた。そしてマヒロをこの暗い場所から元の世界へ飛ぶように念じた。

「ッ…!」

マヒロが何か言おうとしたが白い光が現れてマヒロを包むとマヒロはそこから姿を消した。

「……やりゃあできるもんだ。これじゃあ空幻も形無しだよい」

マヒロを無事に救い出したことは報告するが細部に至っての説明はしないでおこうとマルコは思った。

―― おれも道士っつぅ奴になれるんじゃねェか? まァ、なる気は更々無ェけどよい。

マルコもそこから離脱しようと意識を開放すると瞬間的にシャナクの身体から飛び出すようにフッと姿を現した。
漸く不死鳥化を解いて人の姿に戻ったマルコは、微かに残るマヒロの零した涙で濡れた肌へと指を伸ばした。
二年――。
相変わらず子供のようによく泣くマヒロだったが、どこか大人びた雰囲気があった――気がした。

―― 贔屓目かもしれねェが……。

「さて、戻るか……」

マルコは残されたシャナクの身体に軽く霊派を放った。

ズドンッ!! 

と、予想外に大きな衝撃音と共にシャナクの身体は跡形も無く消え、そこには無駄に大きな穴が開いた。

「ッ……いや、強過ぎるよい……」

強大な霊力のコントロールは相変わらず難しいようで、また明日から訓練しないと守れるもんも守れやしない。
マヒロと会った今だからこそ尚更急務だと感じると同時に異様なまでにやる気が漲る。

「はっ、おれも割と単純な男だよい」

頭をガシガシと掻きながらマルコはクツリと笑い、モビー・ディック号が停泊する港を目指してその場を後にするのだった。

解放 : 霊鍵呪縛

〆栞
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