19


町の中心地にほど近い場所をマルコはシャナクの気配を探りながら歩いていた。
シャナクは人間である為、そう容易に探し出すことは出来ないと思っていた。

だが――。

<<――ドクン――>>

「!」

探そうとする意志がそうさせるのか、それはわからないが鼓動が大きく脈打つと途端に視界に写る世界は色褪せ、灰色染みた景色が広がった。
人や物の境界線が白線で区切られた何とも奇妙な世界だ。
マルコは突然のことに驚いたがあることに気付いた。
足跡だ。
行き交う人々の足跡は青。だがその中に異なる色が混じっていた。
赤い足跡。
それは町の中心地から外れて郊外へと続く道へと向かい、途中から道を外れて崖縁が続く海岸線へと続いていた。
これが何なのかはわからないが、その赤い足跡がシャナクの足跡であると直感的に感じたマルコはその足跡を追った。
道から外れて草むらの中を突き進んだ先は崖となっていて一段下がっていた。
盲点だ。こんな所があったとは思っていなかった。
その足跡は崖を降りた先、川べりを突き進んでいた。
より集中して見ようとすると視界がぐぐっと大きく変わる。
大きな岸壁が遮るその先が透けて見えた。そこに赤い膜に覆われた人の姿と黄色の膜で覆われた”人らしき”姿をした者がいた。

―― 成程ねい……。

突然現れた不思議な能力に若干戸惑いつつもマルコはその場所へと気配を消して近付いた。そしてある程度近付くと反転していた世界は急激に色を帯び始めて通常のそれへと戻った。

―― 要領はわからねェが…、まァそれは全て終わった後だ。

聞こえてくる会話に耳を研ぎ澄ませる。
シャナクの声と女の声だ。

「不死鳥の力は本物ということね」
「あァ、ありゃ『見える』なんて程度のもんじゃ無い。体内に潜む怪虫を探し出し、駆逐しながら治療を施すなんて、あんな芸当ができる人間がいるなんてよ。ありゃマジで化物だ」

女に報告するシャナクの言葉にマルコは小さく溜息を吐いた。

「そりゃあ褒め言葉だよいシャナク」
「!」
「なっ!? ま、マルコ隊長!? ど、どうやってここに…!?」

マルコが現れたことに予想だにしていなかったのか、シャナクともう一人――女の容姿をした妖怪は驚きながら怖気付いたのかジリジリと後退りをした。
当然だ。
マルコは覇王色の覇気を隠すことも霊気を隠すことも無く、力を解放して二人の前に立ったのだから――。

ボッ…ボボボボッ!

手の甲から肩に掛けて青い炎が滾りを見せて迸るとシャナクは小さく「ひっ!」という恐怖を滲ませた声を漏らした。

―― どんなに怯えようが、てめェはしちゃいけねェことをしたんだ。もう、言い訳も、後戻りも、できねェ。シャナク、覚悟しろよい!!

片方の口角を上げて笑みを見せたマルコは直ぐに笑みを消し、眼光鋭く戦闘態勢へと入る。
シャナクは青い顔をして尻餅を着いた。
完全に怖気付いていた。
マルコはそんなシャナクを見下しながらシャナクの隣に佇む妖怪に視線を向けた。
肌が白くすらっとした身体をした女形の妖怪。
瞳は蒼く瞳孔が少し黒い。長く蒼い爪を持った手を自からの口元に宛がい舌でぺろりと舐めるその仕草や表情はその辺の女より艶があって色っぽく感じさせる。
人とそう変わらない姿ではあるが背中には人には無い蝙蝠のような翼があり、耳は尖っている。髪は肌と同じように白く長い。

「ふふ、初めまして不死鳥さん」
「……」
「思っていたより素敵ね。気に入ったわ」
「シャナクを使って指示を出したのはお前かよい?」
「あら、私はただの使い魔よ。『屍鬼』様の命に従ってここにいるの。彼は屍鬼様の協力者よ」

屍鬼――その名を聞いたマルコは眉をピクリと動かした。
屍鬼はその辺の妖怪とは様相が異なる化物らしいことを空幻から聞いていた。
『妖怪』と呼ばず『虚(ホロウ)』と呼ぶに相応しいとかどうとか――そう空幻が話していたとマルコは記憶を呼び起こすが、呼び方等どうでも良いと意識を現実に集中させる。

「マヒロが羨ましいわね」
「何…?」
「ふふ、あなたみたいな人に愛されるマヒロが羨ましいって言ったの」
「妖怪のお前ェがかよい?」
「えェ、こんな姿をしているけど、私も元々は人間なのよ?」
「なっ!?」

妖怪の言葉にマルコは目を見開いた。

―― 元は人間!? 明らかにこいつからは妖気しか感じねェってのに……どういうことだよい?

眉間に皺を寄せて睨むマルコに妖怪はクツリと微笑を浮かべる。

「てめェ…何者だよい?」
「女にそんな蕪村な聞き方はダメよ? 白ひげ海賊団一番隊隊長様」
「…チッ…」

余裕を見せる妖怪にマルコは苛立ちを隠せず舌打ちをした。
妖怪は「ふふ…」と小さく笑った。

「私の名はカーナよ」
「カーナ……ねい」
「ふふ、あなたに名を呼ばれるのはとても光栄なことだわ。私はシャナクと同じで『見える』人だったの」

―― 見える……か…。

「スキルは無事に助けたのかしら?」
「あァ」
「そう……」

―― ……何だよい?

何故かカーナは一瞬だけ寂し気な表情を浮かべた気がした。
いや、寂し気というよりも、どちらかと言えば――哀し気か。

「シャナク、私は屍鬼様の元に行くわ。後はあなたが責任を取りなさい」
「は!? なっ、何でだよ!? 待てよカーナ! てめェ逃げる気かよ!?」
「逃げる?」
「そうだろ!? おれを差し出しててめェだけ逃げるようなもんだろうがよ!?」
「逃げれるものなら最初から逃げているわよ!」
「!?」

カーナはシャナクに怒鳴ると視線をマルコに向けた。

「ねェ…、もし私と先に出会っていたら、あなたは私を愛してくれた?」
「な…んだって……?」

何とも切なげに見つめてそう言うカーナにマルコは思わず困惑した。

―― 先に出会っていたらって…、お前ェ…。

理解に苦しみ返答できずにいるマルコにカーナはフッと笑みを零した。

「いいえ、何でも無いわ。私には『守ってくれる人』がいなかった。ただそれだけだから……」
「!」

カーナはそう言うと白い光を全身に纏うと光が弾けると共にその場から姿を消した。そしてその場に残されたシャナクは慌てながら逃げる様にマルコから距離を取った。
だがマルコは直ぐにシャナクとの距離を詰めてあっさりと捕まえると腕を後ろに回して頭を地面に押さえつけた。

「逃げれると思うなよい」
「はっ! くそ!!」
「てめェ、スキルに妖怪の血肉を喰わせたろい!」
「屍鬼の命令で協力しただけだ! お、おれはッ、協力しなければおれが化物になるところだったんだ!!」
「屍鬼の命令?」
「か、カーナは屍鬼の使い魔だ! あの女が突然現れて誰でも良いから通常の人間に妖怪の血肉を喰わせろって言って来たんだ!!」
「何故そんなことをするのか聞いたのかよい?」
「屍鬼って奴は、力の無い人間でさえ強引に力を与えて喰らう程に貪欲で強欲な化物だ! だから――」
「それでスキルに血肉を食わせて力を与え、屍鬼に売る気だったってェのか?」
「あ、あんたが!!」
「!」
「あんたが一人喰われさえすれば! 屍鬼は満足して再び深い眠りに入るだろうさ! けど、あんたが強過ぎて手に入れられねェから! おれ達みてェな力の無い奴らが犠牲になってんだよ!」
「ッ!」

シャナクの叫びにマルコはグッと呼吸を止めて自責の念が生じて苦悶に顔を歪ませた。

「畜生…、畜生! 畜生!! …ちく…しょう……うぅ……」

悔恨からかシャナクは泣き出すと全身から力が抜け落ちて、ただただ泣いた。
マルコはシャナクを押さえ付ける手を離すことはしなかったが少しだけ苛まれた――だが。

―― おれが喰わりゃあお前らは犠牲にならなくて済んだ……?

(マルコさん!)

―― マヒロ?

(忘れちゃ駄目! この人は――)

―― !

心内に響くマヒロの声にハッとしたマルコは涙するシャナクに対して虫唾が走る程の思いを抱いた。

「あァそうだった……」
「…え……?」
「お前ェ、演技が本当に上手ェ奴だよい。海賊なんか辞めてその能力を生かした方が良かったんじゃねェのか?」
「!!」

冷めた声音が頭上から降って来たシャナクは顔色を変えると砂を掴み、押さえ付けるマルコに向けて放った。

「チッ!」

マルコが顔を背けると拘束する手が緩んだ隙にシャナクはマルコの手を払い除けてその場から飛び退いた。
泣いていた顔が嘘の様に歪んだ笑みを浮かべ、舌なめずりをしながら下卑た声を上げて笑った。

「フハハッ…! やっぱり屍鬼があんたを欲しがるだけあるな」
「シャナク、てめェ……」
「知ってるか? 屍鬼ってなァ変わった妖怪で、特に女を好むんだぜ?」
「何?」
「特別に力のある女は毒で弱らせ、弱り切ったところを犯すんだ」
「!!」
「カーナは何度も屍鬼に抱かれた憐れな穢れた女だ。抱かれる度に屍鬼の欲が体内に放たれて人間で無くなっちまった。今でも抱かれてんじゃねェか? ありゃ余程屍鬼に気に入られた女らしいからなァ」

顔を醜く歪ませて嘲笑うように話すシャナクは「あァ」と何かを思い出すように声を漏らして一つ頷いた。

「確か、新しい女が近く手に入るみてェなことを聞いたな」

―― !

その言葉にマルコは思い当たる人物が直ぐに浮かび、ギリッと奥歯を噛み締めてシャナクを睨み付けた。

「てめぇ……」
「不死鳥の女、そう、あんたの女だ。確かマヒロってェ名ま――!?」

ヒュンッ――ガッ!!

「チッ!」

シャナクはマルコの蹴りを腕で受け止めた。覇気と霊気を纏った蹴りだったにも関わらずシャナクは意図も簡単に止めてみせたのだ。そしてシャナクは下卑た笑みを更に色濃く見せるとマルコはキッと殺気を孕んだ視線で睨みつけた。

「ハハッ! 生憎おれも屍鬼に気に入られた人間でねェ! スキルは傀儡の実験体で利用したんだ!! おれみてェになァ!!」
「!?」

シャナクは受け止めたマルコの足を打ち払うように退けると左手を伸ばしてマルコの衣服を掴んだ。そして硬くした右拳を思い切り振り抜いた。だがマルコが左頬に向かって飛んで来たシャナクの拳を咄嗟に出した右手で受け止めたことでバチンッ! と乾いた音が大きく響く。

―― 並の人間どころじゃねェのはてめェも同じじゃねェかシャナク!

マルコが右手を払うとシャナクは地を蹴って後方へと飛び退いて間合いを取った。
シャナクの攻撃を受け止めた右手がしびれるように痛みを感じる。マルコは不愉快だとばかりに顔を歪めながら右手を軽く振って痛みを払う仕草をした。

「流石はマルコ隊長。おれの攻撃を簡単に止められるなんてあんたぐらいだよ」
「あァそうかい……」
「あんたを屍鬼に喰らわせるなんて勿体ねェなァ」

シャナクは大きく息を吐いてかぶりを振ると少し思案顔を浮かべた。そして「あァ…」と何か閃いたのかニヤリと笑みを浮かべて小さく笑った。

「おれがあんたを喰らえば屍鬼より強くなれるかもしれねェなァ?」
「!」
「ククッ…、元人間だとしても”今”となっちゃァおれも化物とそう変わらねェ。なら、あんたを喰らい屍鬼さえも喰らっちまえば世界最強も夢じゃねェ。最高のシナリオじゃねェか!!」

両手を広げ、声高らかに天に向かって叫んだシャナクは妖気を放ち始めた。
額には文様のようなものが浮かび上がるとメキメキと音を立てながらシャナクの身体が変異し始める。深く澱んだ緑の肌色へと変色し目は黒く瞳孔が赤へと変わる。耳は尖り、爪は鋭く厚い刃のように変異した。

「あんたを喰ったらマヒロはおれの女にしてやるよ!!」
「!!」

人の様相を捨てたシャナクは息巻いてそう叫ぶと地を蹴ってマルコに襲い掛かった。その動きはとてつもなく速く、一瞬にして間合いが詰められ容易にマルコの懐に入った。

―― 速ェ!?

「あんた、本当、良い顔するよなァ」

ドシュッ!

「かはっ…!」

シャナクの右拳による一突きはマルコの腹部を貫いた。マルコが堪らず血を吐くとその血はシャナクの頬に飛び散り、シャナクはニヤリと笑みを浮かべた。

「カーナが言ってたぜ? あんたがもしマヒロでは無く自分の所へ来てくれていれば、屍鬼にでは無くあんたに抱かれてたってなァ」
「ッ…!」
「ククッ! あの女はあんたに惚れてんだ。化物になっちまった今でもあんたに恋焦がれて抱いて欲しいって願ってんじゃねェか? クハハハッ!!」
「っ…はっ……」

腹部に走る激痛にマルコはギリッと奥歯を噛み締めながら苦々し気にシャナクを睨み付けるが、シャナクは意気揚々と好き放題に喋り倒した。

―― くっ…やべェな……。

まさか元人間の元仲間だった男に、ここまで苦戦を強いられ苦杯を味わうことになるとは思っていなかった。
屍鬼の名を実際に耳にした折から既に本格的な戦いが始まっているのだと、マルコは否が応にも実感せざるを得なかった。

屍鬼の使い魔

〆栞
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