16


海軍本部からの脱走が新聞に大々的に取り上げられているようで、その隣にはマヒロの新たな手配書があった。何故か5000ベリーが追加された賞金額に、これまた親切丁寧に『センザキ・マヒロ』の名も追記されていた。
それもこれも恐らくはあの赤いスーツを着たサカズキという名の男が率先してやったに違いないとマヒロは思う。

ムカッ腹を抱えたままゴロリと横になって空を見上げてぼ〜っとする。

―― はァ…。

マヒロがこの世界に来てからどれぐらいの時が経っただろうか。
一人に慣れているとは言え、こうも立て続きに碌な事ばかり起きると気持ちも幾何か萎えて下降気味に落ちてしまうのは仕方が無いことだ。

「女の身でありながら単身でこの海を渡るとはな」
「――え?」

どこからか聞いたことのない男の声がして、マヒロは目を丸くするとがばりと上体を起こした。するとマヒロと同じように単身で海を渡っているのだろうか、男が乗る船を側に着けて自分を見下ろしていた。
背中には大きな黒い十字の剣を携え、目を見ると『鷹』を彷彿とさせる見るからに”普通では無い”雰囲気を漂わせている。

「麗しの漆黒拳士、センザキ・マヒロ。1億5000ベリーの賞金首……」

―― え? な、何? まさか賞金稼ぎとかの類だったり……しないよね?

もし仮に本当にそうだとしたら、どれだけ不運が続けば良いのかとマヒロは心内で嘆かなければならない。

「あ…あの……」

ドキドキしながら声を掛けてみると男は無表情ながら手にしている手配書から視線を外してマヒロに戻すと、少しだけ口角を上げた笑みを浮かべた――ような気がした。
男は襲って来るでも何でも無く、しかし堂々とマヒロの船に乗り移ると自身の乗っていた船とマヒロの船をロープで繋いだ。
唖然としながらも黙ってその様子を見つめるマヒロに男は「警戒しないのだな」と静かな声で言った。

「あ、いえ、別に…。……襲います?」
「いや」
「もし襲うなら先の段階で攻撃されているだろうし、何となくその気が無さそうでしたので……何でしょう?」
「偶々見かけてな。少しだけ興味があった。ただそれだけだ」
「はァ…そ、そう…ですか……」

男は淡々と答えながらマヒロの前に来ると悠然と腰を下ろした。

「あの、お名前を聞いても?」
「ミホークだ」
「ミホーク…さん」
「赤髪がぼやいていたぞ? 折角の良い女を取り逃がしたとな」
「え…?」
「マヒロと言う名の女に一目惚れをしたが見事にフラれて儚く散ったそうだが、必ず仲間に引き入れてやると息巻いていた」
「お、お知り合いなんですか?」
「あァ」

ミホークは何一つ表情を崩さずに淡々と話を続けた。そして手にしていた手配書をぴらりとマヒロに見せる。

「マヒロが賞金首となり手配書が配布されていることを知った赤髪は必死でお前を探している」
「あ、そ、そうなんですか…!?」

思ってもみない報告を聞いたマヒロはシャンクスに余計な心配を掛けて申し訳ない気持ちになった。色々と強引だったりするが根は真っ直ぐで良い人であったから尚更に悪く感じた。

「ところで、つい先日配布された手配書には1億ベリーだったが、この短期間で何故5000ベリーが追加された?」
「はい?」
「いや、妙に気になってな」

―― ……この人、超クールだけど意外に細かい事を気にするタイプなのかな? 気になり出したらずっとそればかりが気になって、解決しないことには「イー!」ってなるタイプだったりします? その顔で?

瞬きを繰り返してミホークを見つめながら割と失礼なことを考えているマヒロにミホークは片眉を上げ、マヒロはハッとしてその思考を打ち消した。

「えっと…、数日前のことですけど、ひょんなことから海軍本部のある島に行くことになりまして」
「……ほう?」
「海軍の上層部の方…えっと、大将と呼ばれる三人と元帥と呼ばれる方とガープ中将さんの五人とお話をすることになったんです」
「……」
「まァ全て話すを割愛しますけど、最後に大将のサカズキさんという方と喧嘩になりまして……」
「喧嘩?」
「え、えぇ、その結果、私は脱走して逃げたわけなんですけど、取り逃がしてしまった腹いせじゃないでしょうか?」

マヒロがそう答えると今まで無表情だったミホークは目を丸くした。

「……成程。話には聞いてはいたが見た目と違い大胆な女だ」

クツリと笑みを浮かべたミホークはすっくと立ち上がるとさっさと自船へと引き返していった。

―― え? それだけ?

茫然とミホークの背中を見送っていると、ミホークは振り向いて不思議そうな表情を浮かべていた。

「どうした?」
「え?」
「乗れ」
「へ?」

ミホークは顎でくいっと誘う仕草を見せた。

「次の島まで同行しよう。大したものは無いが…コーヒーぐらいなら出してやろう」
「え!? で、でもご迷惑じゃ!」
「気にするな。単なる暇潰しだ」
「……は、はァ…そう…ですか。じゃ、じゃあ……」

マヒロは言われるがままにミホークの船へと移動した。
案内された先にあるソファに座ると本当にコーヒーが差し出された。久々のコーヒーに思わず顔が緩んで嬉しくなってしまう。

ズズッ……――。

「ふはァ……幸せ……」

本当に久しぶりにゆっくりと味わうコーヒーにマヒロは思わずウルッと涙を浮かべて泣きそうになった。
この世界に来てから本当に散々なことばかりでやはり精神的に堪えているのだとマヒロは思った。

「マヒロ」
「あ、はい、何でしょう?」
「次の島はシャボンティ諸島という島だ」
「シャボンティ諸島?」
「その島に着いたら『シャッキー'S ぼったくりBAR』という店に行くと良い」
「え?」
「そろそろ旅の資金が尽きる頃じゃないのか?」
「!」

ミホークの言葉にマヒロは目を丸くした。
実はその通りだったりする。
しかし、何故そんなことがわかるのだろうかとマヒロは不思議そうにミホークを見つめた。

「ベン・ベックマンが言っていたのでな」

と、ミホークが理由を教えてくれた。

「そのバーの主人に白ひげ海賊団の元へ行く旨を伝えれば協力はしてくれるだろう」
「そ、そうなんですか…?」
「嘗て海賊王ゴールドロジャーと共に海賊として海を渡っていた男が経営している」
「ゴールド……?」
「あァ、知らないのだな。まァ、知らずとも問題はなかろう」

この世界の海賊事情について本当に何も知らないのだなとマヒロはつくづく思った。
ベンからはこの世界を航行する為のイロハを教えてもらったが、海賊についての詳しい話は何も知らない。そして目の前のミホークという人物は、海賊では無いようであるが、ならば一体何者で何をしている者なのか、全くわからず想像すらもできないでいる。

「良いものだ」
「え?」
「何も知らないからこそ堂々としていられる。不死鳥が何も教えなかったのが逆に功を奏しているといったところだろう」
「んぐ!」

ゲホッ! ゴホッ!

ミホークの口から『不死鳥』の言葉が出るとは思っていなかったマヒロは虚を突かれたように思わずコーヒーが気管に入ってしまい咽てしまった。

「そ、それ、だ、誰に聞いたんですか?」
「あァベン・ベックマンだ」

マヒロの反応が面白いのかミホークは少しだけ笑みを浮かべて答えた。

―― ベンさん…、あなた、一体どこまで彼に話をしたの!?

「航海中にもし出会うことがあれば助けてやって欲しいと頼まれてな。断ったのだが……暇潰しの気紛れにな」
「あ…、そう…、好意的なものでは無いと……」

何だか微妙にショックを受けたマヒロが気落ちする表情を浮かべるとミホークは片眉を上げてまた少し微笑を零した。

「冗談だ」
「真顔で言われると冗談に聞こえません」

見るからに冗談を言うようなタイプに見えないのだから尚更だとマヒロは溜息を吐くのだった。
こうして暫くミホークと共に航海することになるのだが、その間に海賊事情なるものを少しだけ教えてもらったマヒロは聞けば聞く程に驚きを隠せず、あれよあれよという間にシャボンティ諸島に辿り着いた。

「気をつけて行け」
「あ、ありがとうございました」

―― 世界一の大剣豪ジュラキュール・ミホーク様、この御恩は一生忘れません。

全く知らなかった。
ミホークの素性も然る事ながら赤髪のシャンクスは世界で名を知らぬ者がいない程に有名であることや、白ひげ海賊団が世界で最も恐れられる巨大で最強の海賊団であることをマヒロは初めて知ったのだ。
そして――。
マヒロが求めるマルコについてだ。
世界最強の白ひげ海賊団のNO.2であり、『白ひげ海賊団一番隊隊長不死鳥マルコ』はシャンクスに負けず劣らずに有名で名を馳せた海賊であるということを知った。

―― ……シャンクスさんが勧誘するのもわかる。

と、少し知ったかぶりしてみたりして無理矢理納得するマヒロだが、まさかマルコがそんなに大物な海賊だとは知らず、何となく遠い人に思えてしまうのも無理は無いかもしれない。

ミホークと別れ、シャボンティ諸島に上陸したマヒロが物思いに耽ながらトボトボと歩いていると、目の前に不思議な光景が広がっていることに気付いて思わず立ち止まった。

「何これ? ……シャボン玉?」
「あァ、そうだ。お嬢さんはこの光景を見るのは初めてかね?」
「!」

突然背後から声を掛けられたマヒロが慌てて振り返ると、そこそこの年を召してはいるがしっかりした身体つきをした長い白髪に丸い眼鏡を掛けた男がニコッと笑みを浮かべて立っていた。

「あ、えっと…はい。……綺麗だなと思って」
「ハハ、そうか。とすると、お嬢さんはこの島は初めてかね?」
「はい」
「仲間は……いないようだね。一人で旅を?」
「はい。ある人達を探して旅をしているんですけど……あ、あの」
「ん?」
「この島に『シャッキー'S ぼったくりBAR』というお店があると聞いたのですが、どこにあるかご存知ありませんか?」

マヒロの問いに男は目を丸くしたかと思うと直ぐに笑顔を浮かべてコクリと頷いた――と同時に、それとなくマヒロの肩に手を回して抱き寄せ、マヒロは一瞬のことで呆気に取られて男を見上げた。

「ちょっ…、な、何を」
「あァ、そう不安になる必要は無い。私が案内してやろう」
「その、案内するのにこの手はいらないんじゃ?」
「ハッハッハッ! あァこれは失礼。あまりに可愛らしいお嬢さんが”私の”店を訪ねてくれるというのでつい嬉しくてね」
「…えっ!? じゃ、じゃあ、あなたが――!」

『元海賊王の副船長、冥王レイリー』

マヒロが驚いて叫ぶとレイリーは片眉を上げながら笑みを浮かべた。

印象としては良い人そうだ。しかし、女好きの気があるように思うのは自惚れだろうか?

マヒロはさりげなく肩に置かれたレイリーの手をニコリと笑みを浮かべつつペシンッと払い除けた。するとレイリーは苦笑混じりに「手厳しい」と渋い声で言った。

―― ……ミホークさんと一緒に旅をしていた方が安全だったような気がする。

表情には出さずに心内で何となく不安を覚えたマヒロはレイリーにある種の警戒心を抱きつつ、レイリーの案内で『シャッキー'S ぼったくりBAR』へと向かうのだった。
暫くして目的の店に辿り着いて店内へ入ると、客数はおらずにガランとしていた。しかし、カウンター席に一人だけ客がおり、刺青が刻まれた背中が目立っていて目に付いた。

白い三日月の髭を携えた髑髏のマーク――。

「あら、お帰りなさい」
「あァただいま。シャクヤク、お客さんだ」
「あら? 可愛らしお客様ね」

カウンターの向こう側で接客をしていたと思われる女性がレイリーに付いて入って来たマヒロに気付いて目を細めた。
マヒロはシャクヤクと呼ばれた彼女に軽く頭を下げると、彼女の前のカウンター席で食事をする男の背中に視線を戻した。

―― 白い…三日月の髭を蓄えた髑髏……? この人も海賊?

何故か目が離せない。
恐らく『三日月』を模したマークがあの紺色のマークのそれと重なるからで、心臓がドキドキと鼓動を早めていった。
気持ちを落ち着けようと小さく溜息を吐いたマヒロは徐に胸元に手を当てると自ずとギュッと衣服を握り締めた。そんなマヒロの様子をレイリーは尻目にクツリと笑みを零した。

―― 成程。この子は白ひげに縁のあるお嬢さんということか。

レイリーは何も言わずにカウンター席に座る男の側へと歩み寄ると、食事に夢中になっていた男がレイリーへと顔を向けた。

「んぐっ! おうレイリー!」
「まだ食べていたのかエース」
「ん、シャクヤクの飯が美味ェからよ」
「どんどんツケが溜まってるわ? 後で請求しなきゃね」
「あー、あんまり高く請求しないでくれると助かるんだけど」
「あら? ここは『ぼったくりBAR』よ? それなりに請求するに決まってるでしょ」

肉を頬張るエースという名の男は喉に肉を詰まらせると慌てて水を飲み込んだ。そしてエースは背中から感じる視線に気付いて振り向き、マヒロと視線がかち合うと目をパチクリさせた。

「あ、こ、こんにちは」
「あんた誰だ?」
「あ、私は――」
「この手配書の子だよエース」

マヒロが名乗ろうとした所でレイリーが懐から手配書を取り出してエースに差し出した。
その手配書を受け取ったエースはそれを見て眉目を潜めた後、徐々に表情を驚きの様相へと変えてマヒロに視線を戻した。そしてワナワナと震える手でマヒロに指を指す。

「お、おォお前ッ――!」

ガタンと立ち上がろうとしたエースはバランスを崩して椅子から転げ落ち、頬張っていた肉の骨をポトリと床へ落とした。
エースの驚き様にシャクヤクが「どうしたの?」と不思議そうに見つめ、片やレイリーは静かに笑っていた。
当然、マヒロもエースの反応には驚いたのだが、驚く様はエースが誰よりも一際大きかった。

「マヒロ……」
「え?」

慌てて立ち上がったエースはマヒロの元に駆け寄るとマヒロの両肩をガシッと掴んだ。その顔は凄く嬉しそうで、どこか照れくさそうで、屈託の無い明るい満面の笑顔がとても印象に残る表情で――。
多少戸惑いながらもマヒロはエースの笑顔に釣られるように笑みを浮かべてコクリと頷いた。

「マヒロ!!」
「あのっ――わっ!?」

エースは喜び勇んでマヒロに抱き付き、驚いたマヒロは多少顔を赤くしながら慌ててエースを引き離そうとした。

「まぁ、若いわねェ」
「ハハ、あァ、エースのコレか」

傍で見ていたシャクヤクやレイリーはまるで若いカップルによる熱い抱擁を見守るように温かい眼差しを向けて笑っている。

―― ち、違います! 初対面です!!

マヒロは抱き付いて来るエースの胸を何とか押しやろうとした。

「ちょっ、は、離し――」

がばっ!!

「きゃっ!?」

何がどうなっているのか、突然マヒロはエースの肩に担がれて目を丸くした。
いつだったか初めて会ったマルコをこんな風に担いだ記憶があるが、懐かしいなァ等と暢気に感傷に浸っている場合では無い。

「悪ィ、急いで船に戻らねェとなんねェから、飯を残しちまうけど」
「あら、もう行くの? 請求書は船に届けるわね」
「おうそうしてくれ。レイリー、久しぶりに会ったけど悪ィな」
「あァ、構わん。船長に宜しく伝えておいてくれ」
「わかった!」
「ちょっ、ちょっと待って!?」

エースはマヒロを担いだままシャクヤクとレイリーに挨拶を済ますと颯爽と外へと走り出した。
わけがわからずにマヒロは何とか抵抗しようとするが力が上手く入らずにどうすることもできなかった。
そして――。
エースが乗って来たという小船の所に辿り着くと漸くマヒロは下ろされた。

「な、何なの!?」

当然、マヒロは怒って抗議の声を上げるのだが、エースはニシシと笑うと気にもせずに出港の準備に取り掛かった。

―― くっ、またスルースキルの高いタイプ……。

赤髪のシャンクスと言い、ガープと言い、この世界の人間はどうしてこうも人の話を聞かない奴が多いのか、マヒロは眉間に皺を寄せると若干額に青筋を張った。

「ねェ! 聞いてるの!?」
「センザキ・マヒロだろ?」
「そ、そうだけど、私はさっきのお店に用があるの。悪いけど、あなたの旅に付いて行くほど暇じゃないの」
「ん? 何だ良いのか? 会いたくねェのか?」
「え? 誰と?」

―― か、会話が全く噛み合わないのだけど、どうしたら良いの?

マヒロが首を傾げるとエースも同じように首を傾げ、お互いに不思議そうな表情を浮かべる。傍から見れば何をやっているのだろうと不思議に思える光景だ。

「あ、そう言えば自己紹介がまだだったな。これは失礼」
「え?」
「おれはポートガス・D・エースだ。以後、宜しく」

エースはオレンジ色のテンガロンハットを取ると丁寧に九十度のお辞儀をして挨拶をした。キョトンとしたマヒロは思わず釣られるように慌てて頭を下げた。するとスッと差し出された手を見止めて顔を上げるとエースは笑って「握手」と言った。

「あ、はい」

促されるままにマヒロも手を出して握手を交わした。

―― ……じゃなくて……。

何故、どうしてこうも相手のペースに巻き込まれてしまうのか。

―― 何となくデジャヴな感じ。あァ、やっぱりスルースキルの高いシャンクスさんや勝手に話を進めるガープさんと同じタイプだから、とても近いものを感じるのかも……多分。

もう半ば諦めの境地に達したマヒロは成るがままに身を任せることにした。

「はァ…、白ひげ海賊団に辿り着くまでの道のりが険し過ぎる」

泣き寝入り気味にマヒロがポツリと零すとエースはキョトンとした。

「なァ、マヒロ」
「……」
「あ、そっか。お前ェ、知らねェんだったな。悪ィ」
「……何?」
「おれは白ひげ海賊団の2番隊隊長なんだけどよ……、この意味はわかるか?」
「…へぇ、そう、白ひげ海賊団の…隊長……」

―― ……!?

エースの言葉を少々廃人気味になるマヒロがゆっくりと咀嚼をして理解していくと、意気消沈していた表情は徐々に驚愕のそれへと変えていく。目は大きく見開き、口をパクパクと開閉させ、身体がワナワナと震え始める。
エースがニシシと笑うとシャボンティ諸島の一角で今日一で盛大な悲鳴が上がるのだった。

「ぷっ…くくくっ! あっはっはっ! マヒロって凄ェ面白ェな!」

エースはお腹を抱えて大きく笑った。そしてまだ驚き固まるマヒロの手を取ると自身の方へと引っぱり込んでマヒロをギュッと抱き締めた。

「マヒロの話はマルコから聞いたことがあってな、会ってみてェなって、ずっと思ってたんだ!」
「あ、そ、そうなんですか? あ、ありがと……じゃなくて、は、離して貰って良い?」
「あ、悪ィ! つい!!」

ハッとしたエースは慌ててマヒロを抱き締める腕をバッと解き、少し頬を赤らめながらポリポリと頬を掻いて苦笑を浮かべた。

「おれは仲間にしてェ奴がいて単独行動してたんだけど、そいつは既に別の海賊団の一員になっちまって引き入れができなくなってな。何の成果も無しで帰ったりしたらマルコに殺されるんじゃねェかと思って悩んでたんだ。けど、こうしてマヒロに会えたおかげで何とか口実ができたってもんだぜ」
「え、何それ? じゃあ私ってマルコさんに怒られないための材料ってこと?」
「ッ、そ、そんなわけねェって」
「ん、そんなわけありそう」

エースの一人乗りストライカーとマヒロの船をロープで繋いで出港準備が整うと、エースがストライカーを走らせて大海原へと出港した。

―― やっと、やっと……会えるんだ。

一発逆転と言えば良いだろうか。あまりの悲運続きで疲弊しきっていたマヒロの心に漸く日が当たり始め、疲れは一気に吹き飛んだのだ。

自ずとウキウキと気持ちが逸り出す。
トクン…トクン…と、胸の鼓動が自然と高鳴る。
嬉しくて、本当に嬉しくて――。
とても幸せな気持ちに満ちていく心。

白ひげ海賊団に漸く辿り着ける。
二度と会えないと思っていたマルコに再び会える。
望みが現実味を帯びてもうすぐ叶うのだ。
心の底から喜びに打ち震えるマヒロは自然と笑みを零した。

その時だった――。

<<――ズクリ――>>

「――ゴホッ!」
「マヒロ?」
「うっ…コホッ! ケホッ!」
「お、おい! マヒロ! 大丈夫か!?」

突然、身体の奥底から何かが蠢くように鼓動に似た反動が全身を駆け巡った。
呼吸が止まって息苦しくなると胸に異様な圧迫を感じたマヒロは船上に倒れ込むと激しく咳き込んで血を吐いた。

―― な、どうして? さ、最近、血を吐く回数も減って……楽になっていたはずなのに……。

口元を覆った手を見れば鮮血に染まりポタポタと床へと滴が落ちて行く。
急にクラクラと眩暈が起きて視界がぼやけ始める。
倒れた身体をエースが慌てて抱き起し、マヒロに懸命に声を掛けるのだが、その声はとても遠く、マヒロはそのまま意識を手放した。

「フシチョウ」

―― え?

「オテナミハイケントイコウカ」

―― 何?

「センザキマヒロ……、ヨイクグツガテニハイッタ」

―― く…ぐつ?

「”シャナク ”、 オマエノジッケンモヤクニタッタ」

―― どういう…こと?

「マヒロ、アイスルオトコヲオマエガクラエ」

―― !?

<<――愛する 男を お前が 喰らえ――>>

暗闇の世界から轟く声が徐々に近付き、愈々間近に迫った時、それは現れた。

黒いガスのような霧を口と思われる大きな穴から吐き出す異形の顔。
無数の骸骨で身体を構成し、生身の人間と思われる老若男女が嘆き苦しむ声を上げる彼ら所々に身体の一部として取り込まれ、生々しい顔や腕や足がそこここに点在していた。
とてつもなく醜悪で悍ましい、『化物』という言葉が良く似合うその姿でマヒロの目の前に立ちはだかる。

これを妖怪と呼ばず『虚』と呼ぶに相応しいと言われた意味がよくわかる。

―― これが…屍鬼……!?

無数の人骨と人肉で形成された屍鬼と思われる化物の大きな手が人差し指を形成するとマヒロの腹部にズクリと無遠慮に埋め込んでいった。

「あああっ!!」

加減等一切無く、問答無用に腹部に突き立てた指がズブズブと奥まで挿し込まれて行く。そして指を媒介とばかりに大きな手が黒い霧となり、マヒロの腹部へと吸い込まれるようにして入って行った。

「い、いや……」

僅かに動く腕を懸命に動かし、穴が開けられた腹部を手で塞ごうとするが思うように身体は動かせず、涙が止め処無く溢れて目尻や頬を濡らしていった。

―― 私…、死ぬの? もう…、ここで…死ぬの? 会えずに? 死んじゃうの?

黒い何かが体内に蠢き、全身へと広がり意識を奪いに掛かる感覚がマヒロを襲う。

「ッ…けて…、助け…、マル……、マルコ…さん…助けて!」

最後の力を懸命に振り絞り、マヒロは必死に声を上げた。

ドクン――!

突然に襲い掛かった鼓動とは別の鼓動が発した。途端にボボボッと炎が滾る音を発し、瞬く間に暗闇を青い光が照らした。

「ッ! フシチョウ!?」

マヒロの腹部から逆噴射するように黒い霧を青い炎が押し出した。
痛みと温もりが同時に身体を襲う。
意識が朦朧とするマヒロは、もうわけがわからない状態だった。

ただ――。

視界に僅かに捉えたその化物は明らかに驚き、そして少し恐怖に気圧されて慄いているように見えた。

―― マルコ…さん……。

青い炎がマヒロの全身を守るかのように包み込み、チリチリと頬を掠める感覚を最後に、そこでマヒロの意識は完全に途絶えたのだった。

鷹と冥王と火と

〆栞
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