02


都市部に近い場所ながらも自然が豊かに残る深い山々に囲まれたこの場所は、余程の好奇心旺盛な者でない限りは滅多に人が入り込むことは無い。
手付かずの自然が荒々しく残るのは昔から『神隠しの山』と言い伝えとして人々の中で記憶されており、現代においても一歩足を踏み入れると遭難する者は後を絶えず、心霊番組等でも度々スポットが当てられることがある程、不思議で不気味な山とされている為だ。

そんな山々の奥深くに人知れずに居を構えて住む者がいた。
隠居するにはあまりにも若い女が一人。
元々はその女の祖母が一人で住んでいた。しかし、ある時から孫娘となる彼女を引き取ることになり二人で住むようになった。そして、その祖母が死んだ後は彼女がこの家を引き継いで一人で住むようになって早三年の月日が経とうとしていた。

彼女の両親は幼い頃に不慮の事故で既に他界している。父方の両親も父が幼い頃に不慮の事故で他界。その為、絶縁状態だった母方の親元に彼女は引き取られることになったのだが――。
祖父の存在は不明だが祖母は大変気難しい人だった。彼女が幼くしてこのような人里離れた山奥で気難しい祖母とたった二人で暮らしていくのには骨が折れたというもの。
また、学校がある人里へは毎日往復二時間以上も掛けて徒歩で通わなくてはならなかった為、かなりの苦労を強いられた。(今思えばあり得ない拷問みたいなものだったと彼女は思っている)

彼女を取り巻く家庭環境を除いては、彼女は至極普通の少女だった。

見えるということに関して除けば、その辺の少女達と変わらない可愛らしい少女だった。

だがその彼女は特別だった。特別な『それ』が両親を無くす全ての切っ掛けになったことは、今も尚、彼女の心の奥底に古傷として残っている。

全ては、彼女の祖母であるあの者の血を色濃く継いだせいなのか……十代の頃はそのことかなり苦しんだ。しかし、今となってはもうどうでも良いことだ。そうなってしまったことは仕方が無いのだから――。

彼女の日々は単純だ。

早朝、母屋に併設して建っている道場に身を置いて精神統一の為の座禅を組む。それが終わると柔軟体操を入念に行い身体を温めると、拳法の型を行い軽く汗を掻く。そして、朝風呂に入ってその汗を流し、白飯と数点の漬物と味噌汁とお茶を頂く。

これが 毎日行われている日課だ。

その日課が終わると、ある時は食糧を調達しに山や川へ。ある時は本を読んだりとのんびり寛いで時間を潰す。またある時は何の目的も無くこの山の中を散歩に出かけたり――と、そんな毎日を送っている。

今の時節は長い冬を越えて春を迎える頃で、山菜を取りに裏山に出掛けると、うど、ふき、わらび、ぜんまい等の山菜が多く手に入る。
そこからもう少し山奥へと入って行くと、誰にも知られていないその場所に大きな滝がある。その滝に見合う大きさの川が悠々と流れており、そこでは川魚を釣り上げることもできる。
家の庭先には小さいけれど畑があり、季節ごとに成る野菜を収穫する。(今はまだ何も実をつけていない)
まさに自給自足の生活だ。(お米や調味料等その他必要なものは、人里まで降りなければ買えないが)

特別何事も無ければ単純ではあるが、こうした平穏な日々を送っている。

この彼女の名は――仙崎 真尋。





ある日――。

朝の日課を終えて朝食をとった真尋は、特に何もすることが無かった為、裏山へと散歩をしに出掛けた。
山を登って少し下った先には森が開けて滝が見えてくる。
大きな音を響かせて流れ落ちる滝とその飛沫を肌で感じるぐらいの距離まで近付くと、川辺にある大きな岩場の上に登って仰向けに寝転んで目を瞑った。
風がそよそよと頬を撫でる。
その風に揺れて軋む木々や葉ずれの音。鳥の鳴く声。水が流れ落ちる音と川となり流れ行く音。
自然の営みを肌身に感じることができるこの場所は真尋のお気に入りの場所だ。

暫くの間、真尋はその場所で自然と一体になるように静かに耳を澄まして自然の営みを聞いていた。だが間も無くしてその心地の良い時間は大きな音と共に突如として終わりを告げた。

バキバキバキッ!!

「え!?」

ずしゃっ!!

「ぐあっ!?」
「な、何? ……誰?」

決して普段耳にすることの無い音は、木の枝が無造作に折られていく音であり、何かが地面に落ちた音。そして、男と思われる低く呻く声が聞こえた。

―― こんな人里離れた山奥で珍しい。

真尋は身体を起こしてスッと立ち上がると音がした方へと走った。

森の中を掻き分けて少し開けた場所に、腰を打ち付けたのか痛みに悶えながら身体を起こそうとしている男がいた。
不思議な髪形をした金髪がやけに目に付く。その姿にパイナップルだとかバナナだとか思い浮かんだのだが失礼に当たると思って真尋は即座にそれを脳裏から消去した。
上半身の衣服が肌蹴て見える胸元には紺色の大きな刺青があった。一見細身に見えるが筋肉がしっかりついた鍛えられた身体で腹筋がしっかりと割れている。
立ち上がれば恐らく背が高いと思われる程に足がスラッと長い。その様は言うなれば外国人モデルを彷彿とさせるもので、顔は目鼻立ちが良く、眠そうな重たげな瞼が薄らと開いたそこには綺麗な青い色の瞳があり、厚ぼったい唇も特徴的だ。顎髭がある為かはわからないが、見た感じではそれなりに年を重ねているように見えることから真尋より年上の男と思われる。

「ねェ、こんなところで何をされているんですか?」
「あー……、ここはどこだよい?」

―― ……よい?

真尋は自分の耳を一瞬疑ったがはっきりと聞いた。変わった語尾を付けて話す年上の男に可愛いと一瞬でも思ってしまった。相手は恐らく三十五歳は超えているであろうおっさん(推測)だというのに。

「とりあえず、立てますか?」
「ん……よい?」
「あ、ひょっとして腰が抜けてます?」
「……」

何だか力が入らないようでとても立てる気配が無かった。 彼自身も驚いているのか細い目がほんのり大きく見開いて呆然としている。

「仕方が無い……じゃあ、とりあえずここでは何なので私の家にお連れしますね?」
「何? お、おい!」
「よいしょ!!」

真尋は男の左腕を自分の肩に回して担いで帰ることにした。

「なっ!?」

男にすれば自分の半分にも満たない背丈で、腕の中にすっぽりと収まってしまう程の小さく細い体躯をした女に担がれるとは思ってもみなかっただろう。

「お、おい、お前!」
「喋らないで? 舌を噛みますよ?」
「っ!?」

戸惑う男に真尋は忠告すると颯爽と走り出し、男は更に目を見開いて驚いて絶句した。
その足取りは何も苦にする風でもなく軽いもので、ひょいひょいと山の中を駆けて行く。男は流れる景色を唖然として見つめ、何も言えずに黙って女に担がれたまま大人しくしているのだった。

暫くして家に着くと、真尋は担いでいた男を縁側に下ろして座らせた。

「少しお待ち頂けますか? とりあえずお茶入れてきますので」
「……あ、あァ、手間を掛けさせちまって悪い。そう気遣って貰わなくても構わねェからよい」

―― また……「よい」って言った。何だろう? ちょっと癖になっちゃうかも。

その変わった語尾が真尋の中でツボだったのか、妙に擽ったく感じて思わず笑みが零れた。大の大人の男性に『可愛い』は禁句か――と思いながら、真尋は「気楽にしてくださいな」とだけ言い残してキッチンへと向かった。

人と言葉を交わしたのは何時ぶりだろうか?

真尋は少し嬉しそうに笑みを浮かべながら新しい茶葉を急須に入れてお湯を注いだ。





お茶を煎れた湯呑を二つ乗せたお盆を手にして縁側へと戻ると、男は庭先にある小さな畑に興味があったのか腰を下ろしてじっと見つめていた。
真尋が戻って来ることに気付いた男は立ち上がって真尋の元へと来るのだが、庭に降りた男と縁側に立つ真尋の目線がほぼ同じなことに、真尋は少しだけ頬をヒクリと引き攣らせた笑みを浮かべた。

―― はァ……背が高いって羨ましい。←背が低いのがコンプレックス

「どうぞ」
「よい」

―― 返事としても使えるんだ?

少し真尋の中でその語尾がブームになりつつあった。その辺の普通の男が「よい」等と言っても恐らくここまで好印象的に思うことは無かっただろう。
男の声色が不思議と耳に馴染みとても心地良いものに感じることも手伝ってそう思えるのだと真尋は思った。

男はお茶を飲み干すと顔を俯かせて瞳を一度ゆっくりと閉じ、乱れる心を落ち着かせるように大きく一息吐いた。そして改めて顔を上げて視線を真尋へ向けると、男の瞳の青色がとても印象的で真尋は思わずその瞳に魅入るように見つめた。その青色は、真尋にとっても深い繋がりを持つ『青』と同じ。そのことに気付いたのは少し間を置いてからだった。

「えーっと、お前さんの……いや、その前に、おれの名はマルコだよい」
「マルコ……さん?」
「名前を教えてくれねェかい?」
「私は真尋です。仙崎真尋と言います」
「マヒロ……」
「腰は大丈夫ですか?」
「ん? あァ、大丈夫だよい」

真尋の言葉にマルコは打ち付けた腰をパンパンと叩いて苦笑を浮かべた。

「さっきは色々混乱していたから、そのせいもあったかもしれねェない」
「大事にならなくて良かったです」
「それはそうと……」
「どうしたんですか?」
「……」
「?」

マルコは言葉を途中で切って周辺をキョロキョロと見回し始めた。真尋は縁側に腰を下ろして正座をしつつお茶を一口飲み、何故マルコが周囲を見回しているのか不思議に思って軽く首を傾げた。

「マルコさん?」
「あ、あァ、悪い。いや、おれが島に来た時は天候が荒れて激しく雨が降っていたんだが……ここはそんな形跡が全く無くてよい」
「雨……ですか? 最近はずっと天気が良くて雨は降っていませんが?」
「……」

マルコは庭先の畑の側にしゃがむと地面の土を触って確認しながら考え込み始めた。

「マルコさんはどうして……その、あの場にいたんですか?」
「初めて来る島だったから偵察しに来たんだが、突然の嵐に遭っちまってよい。避難しようと島に着いた途端に視界が歪んで……そうしたらさっきの場所に落下していたんだよい」
「偵察……?」
「あァ、おれは海賊だからよい。船で上陸する前に海軍や他の海賊がいねェか島の状況を把握する為に一足先に偵察する必要があるんだよい」

―― へ〜、そうなんだ〜。

と、真尋は普通に聞き流しかけたが『海賊』という言葉に思わず絶句した。 そもそも、あの場所に現れた際の説明も非現実的だ。マルコの話を聞いた真尋はお茶を啜りながら改めて彼の姿をじっと見つめた。

「その胸の刺青は海賊のマークですか?」
「ああ、白ひげ海賊団のシンボルだい。おれの誇りだよい」
「白ひげ……海賊団?」
「よい? まさか……、白ひげを知らねェってわけじゃねェだろい?」
「えっと……有名なんですか?」
「有名も何もお前……」

真尋の質問にマルコは驚き固まってしまった。話をして色々と精査した結果、真尋は一つの可能性を思い浮かべたのだが、果たしてマルコは納得してくれるだろうかと真尋は残ったお茶を一気に飲み干した。

「ふぅ、……マルコさん」
「……」
「推測でお話しますけど落ち着いてくださいね?」
「推測? ……何だよい?」
「突飛な話ではありますけど、マルコさんは恐らく異世界の人ですね」
「は?」
「この世界に海賊なんてものは一部の地域にしか存在しませんし、そもそもこの国には海賊自体がまずいませんから」
「なっ、何を言ってんだよい? 今は大航海時代で海賊なんて沢山いるだろい? そもそもここはグランドラインだろうがよい」
「いえ、その『ぐらんどらいん』という言葉を私は初めて聞きました。ついでに言うと、ここは日本という国になります」
「……にほん?」
「うーん、そうですね……。あ! そうそう、世界地図! 世界地図を見ればその方が話が早いと思うので、ちょっと待っていてください。直ぐにお持ちしますから!」
「あ、あァ、わかったよい」

マルコは戸惑いながら半ば呆然としていた。

―― 無理もない……逆の立場だったら私だって同じ反応をすると思うもの。そんな話をすぐに受け入れられないわよね。

真尋は急いで居間に入ると戸棚にあると思われる地図帳を探した。

「日本地図じゃダメだね……えっと、あ、あった。少し古いけど問題無いか」

真尋は その地図を手にしてマルコの元へとい急いで戻った。

「お待たせしました。これがこの世界の地図です。少し古いですけど」
「あ、あァ、悪い」

マルコは真尋からその地図を受け取るとばさりと広げた。すると途端にマルコの表情はみるみる驚きの様相に変えて眉間に深い皺が刻み込まれていった。暫くの間、マルコはじっとその地図を見つめていたが、小さくかぶりを振りながら溜息を漏らした。そして、ばさりと手を落とし、肩を落とし、頭を落とし、全身に影を落とした。

「あ、ああの、その、そんなに気を落とさないで?」
「……ょぃ」

あまりにも悲惨な雰囲気に真尋は慌ててマルコを元気づけようと声を掛けるが、マルコの声に力は無くとても小さかった。

「マルコさんの世界からこっちへ来たということは、こっちからマルコさんの世界へ行く道もあるということですし、その方法がわかるまで私がお世話しますし、一緒に帰れる方法も探しますから! ね? 元気出してください!」
「ッ!」

真尋はそう言ってマルコの背中に手をそっと置いて顔を覗き込むと、マルコは驚きながら身を引いた。若干、何となく頬が赤い気がしたが真尋は「ね?」ともう一度マルコに声を掛けた。

「マルコさん」
「あ、いや、おれは……、その、海賊だしよい」
「ふふ、私は気にしませんよ?」
「……」
「それにどちらかと言うと」
「……どちらかと言うと? ……何だよい?」
「……あ、いえ、その……」

真尋は言い掛けて言葉を濁した。視線をスイッと逸らしてポリポリと頬を掻いているとマルコは首を傾げた。

「マヒロ?」
「あ、うん、その……」

―― どちらかと言うと『マルコさんの方が危険に見舞われる可能性があります』って脅すようなことを言ってどうするのよ……。

真尋はどう話すべきか迷った。

マルコの事情を自分以外の人が理解して受け入れる可能性はゼロに等しい。マルコが元の世界に帰る方法もそう簡単に見つけることはできないだろうが、一応、可能にできる方法があることにはある――が、それは時が来なくては不可能だ。
様々なことを考慮した結果、やはり暫くは自分の元にマルコを置いておくことがマルコにとってはベストなのだ。

「マヒロ、何かあるならはっきり教えてくれよい」
「なるべく……」
「マヒロ?」
「なるべくマルコさんの身の安全は保証します。暫くここに身を置く間、色々あるかと思いますけど、あなたには決して迷惑が掛からないように努めますから」
「よくわからねェが……迷惑を掛けてんのはおれの方だろい?」
「……」
「何か事情があるみたいだがおれも極力マヒロに迷惑が掛からねェように努力するからよい」
「詳しく話すと長くなりますし、それに本当に私事ですから。何だかお気を遣わせてしまって、すみません」
「いや……、マヒロが謝るのは違ェよい。事情はわからねェが……まァ無理にとは言わねェよい。とりあえず、暫くの間、厄介になるよい」

マルコは片眉を上げて少し笑みを浮かべながら手を差し出した。その笑みに釣られるように真尋も笑みを零した。

「ふふ、こちらこそ大した御持て成しはできませんけど、お世話させて頂きます。宜しくお願いします」
「よい」

真尋はそう言ってマルコの差し出した手を握って握手を交わした。その手から伝わって来たのは何年ぶりかの穏やかな人の温もり。
真尋は不思議な縁で出会ったマルコから心のどこかで温かい何かを感じ取っていた。

奇なる縁

〆栞
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