10


シャンクスとマヒロが船長室に戻るとソファに座って待っていたベンが居た。そして二人が部屋に入るなりベンは笑みを浮かべながらソファから立ち上がるとシャンクスの元へと歩み寄って来た。

「玉砕」

と、一言。
たった一言だ。
それだけを言ったベンは「クククッ…」と笑いながら横を通り過ぎて船長室を後にした。

―― え…、何それ?

まるで虚を突かれたように唖然としたマヒロは立ち去って行くベンを見送るとシャンクスへと顔を向けた。

「あ、あの…、シャンクス…さん?」
「マヒロ、お前はもう休め」
「え?」
「ベッドを使え。あァ、シャワーを浴びたければそっちにある。着替えが必要なら…おれので悪いがシャツをな。下着は…無いから我慢してくれ」
「え? いや、あの!」
「あァ、おれが部屋を出たらカギを閉めろ。誰が来ても中に入れるな。おれが来るまで絶対にだ。飲み物はその辺にポットがあるからな好きに使うと良い」
「ちょっ、シャンクスさん!?」
「マヒロ、お前の身に何かあればこいつに怒られるのはおれだ。誰かは知らんが」

立て板に水の如く一通り喋り尽したシャンクスは当惑するマヒロの胸元を人差し指でトンと軽く押した。

―― ッ、誰かは知らないなんて…。知ってる。あなたはこの人を知ってる。

「……シャンクスさん、実は」
「いや、良い。聞く気は無いからな。聞いたら何か…な。あァ、気にするなおれの勝手だ」
「……」

シャンクスはそう言うが視線は一切合わせず、笑みを浮かべてはいるが何となく頬を引き攣らせてぎこちが無い。そして部屋のドアを開けて出て行こうとした――が、ドアが閉まる寸前に再び少し開けてひょこりと顔を覗かせた。

「言い忘れるところだった」
「え?」
「おれの女は無効だが、おれの仲間は有効だからな」
「へ?」
「おれの仲間になれ。船長命令だ。じゃあお休みマヒロ」

シャンクスはニコッと爽やかな笑顔を残して去って行った。
パタン…と閉まるドアの音がマヒロの耳に大きく届く。

「……はい?」

唖然としたマヒロはヨロヨロとした足取りでベッドに向かうとポスンと腰を下ろした。

〜〜〜〜〜

「赤髪のシャンクスってェ名の男は、おれと顔を突き合わす度に「おれの船に来いよ」ってしつこく勧誘して来るんだよい」
「あァ〜、よしてくれよい…頭が痛ェ」
「……悪い奴じゃあ無ェが、嫌なもんは嫌なんだよい」
「しつこい上に強引でなァ、オヤジがいる前で堂々と勧誘する図太い神経には本当に辟易してんだよい」

〜〜〜〜〜

目が点になって少しの間にいつかのマルコの台詞だけが頭を駆け巡った。

「え…えェェッ!!??」

思わず盛大に声を上げると「コフッ! コホッ!」と勢いに余って吐血した。

「だ、ダメ…、島に着いたら逃げなきゃ……」

口元を押さえた手をシャワー室で軽く洗い流したマヒロはベッドに力無く突っ伏すとそう強く決意したのだった。

一方その頃――。

「だっはっはっ! 残念だったなお頭ァ〜!」
「あー! うるせェぞヤソップ!!」

見事にフラれたことになるシャンクスをニヤニヤ顔で慰めるヤソップに、シャンクスは酒を呷りながら鬱陶し気に怒鳴った。

「「「うおおおおん!」」」
「な、何だ?」
「「「マヒロに恋人がいたなんてェェェ!」」」
「だっはっはっ!! お頭といいお前らといい! や、止めてくれ! おれが笑い死ぬ!」

船員達も儚い恋路が見事に散ったわけで、筋骨隆々の図体がだかい強面の男達が盛大に涙を流して嘆き悲しみ、それに対してヤソップは更に捧腹絶倒とばかりに目に涙を浮かべて笑い続けるのだった。

「ルウ、ヤソップの口にお前の持ってる肉を詰め込め!!」
「んア、そんな勿体無いことをおれがするわけないよお頭ァ〜」
「船長命令だ!!」
「ヤダ」
「どんな船長命令だ……」

隣で床をバンバン叩いて笑い転げるヤソップに腹立ち紛れにシャンクスはくだらない船長命令を叫ぶものの、大好きな肉をそんなことで無駄にする主義では無いルウは絶対に従わず、更に隣で酒を飲んでいたベンは呆れた溜息を吐いた。するとシャンクスはそんなベンを睨み付けた。
船長室で『玉砕』と言われたことがどうにもシャンクスの中では消化しきれないようで、ベンに八つ当たり気味に絡み始めた。

「ベン! そもそもお前がだな」
「あァ、本当に玉砕しているとは思っていなかったんでな、すまん」
「笑いながら言ってんじゃねェ! どう見ても確信犯だろ!?」
「だっはっはっ! だせェぜお頭!!」

酒を呷りながら半笑で適当に躱すベンに未だに笑い続けるヤソップ。
シャンクスは眉間に皺を寄せると奥歯をギリッと噛み締め――プチッと何かが切れた。

ミシッ…――。

「「「あ、」」」
「……おれは大抵のことは笑って済ますが…、てめェら、今回は少し度が過ぎたな」

シャンクスは仲間に対して怒ることはそう無い。
どんなにバカにされたりネタにされたりしても笑って過ごす器量の持ち主だ。
赤髪海賊団の船員達もそんな船長の度量が好きだった。そして彼らは彼らなりにいつも通り楽しく弄ってやることが却ってシャンクスの慰めにもなるだろうと思っていたのだが――。
どうやら思いのほか彼のマヒロに対する思いはマジだったらしく、その心に空いた穴はとても大きく深かったのだろう。
彼らの弄りに耐え切れなかったシャンクスは珍しくマジ切れし、覇王色の覇気をも巻き散らした。すると当然だが、甲板にいた殆どの船員達は号泣がてらに気を失って倒れた。

「「「マヒロ…好き…だ…」」」

誰もがその言葉を最後に口にして倒れるのをベンは聞き逃さなかった。

―― やれやれ……。

そしてヤソップとルウは顔を青くしながらも引き攣った笑みを浮かべて懸命にシャンクスを宥めに掛かった。

「お、落ち着けよお頭。マジ冗談。本当は応援してたんだぜ? おれは本当に。けど、ほら、慰める言葉なんて持ってねェし、お頭だって気を遣われちゃ嫌だと思ってよ? な?」
「そ、そそそそうだぜお頭〜、ヤソップの言う通りだ! おれもそう思って…、あ! 肉! 今しがたヤソップの口に詰め込むから!!」
「そ、そうそう! ルウ急げ! おれの口に肉を詰め込め!!」
「あんた、船員に恐怖のトラウマを植え付けるな。高々失恋したぐらいで」
「ふァっ! ふァはひふはふェん!! (ばっ!バカ言うなベン!!)」
「ヤソップ、口に肉を詰め込まれたまま喋るな」
「……ベック」
「何だ?」
「……おれはマヒロを仲間に引き入れるぞ」
「あんたがそうしたけりゃそうすれば良い。出来るならだが」
「引き入れる!!」
「そう言ってなかなか引き入れられない男を一人知っているがな」
「!! ――くっ! おい! 酒を寄こせ!!」
「おい、お前ら、もう良いぞ。お頭は酒に走ったから大丈夫だ」
「「「流石は副船長」」」
「っか〜…流石、潜った修羅場の数が違ェってか」
「すげェなベン」

ヤソップとルウはベンに尊敬の眼差しを向け、一方でシャンクスは一人速いペースで自棄酒を呷るのだった。





甲板には所構わず酒に酔って鼾を掻きながらぐっすりと眠る者達が多く居て、宴もお開きとなる頃、樽の上に腰を掛けて未だに酒を飲むシャンクスと、直ぐ側にある積荷の上に腰を下ろしてシャンクスに付き合うベンの姿があった。
酒瓶の中にある酒を転がすように軽く回して見つめるシャンクスは空を見上げた。そして先刻にベンに言われた『なかなか引き入れられない男』のことをふと思い出した。

「マルコ……か。そういや噂で聞いた話だが、最近のあいつは戦闘が起きても前線に滅多に出ないらしい」
「…あァ、そのような話を耳にしたな」
「ベン、お前でも興味を引くか?」
「不死鳥は誰よりも前線に立って戦う男だと聞いていたからな」
「それだけじゃ無い」
「?」
「とんでもなく強くなったとも聞く」
「それはどういった『強い』だ?」
「さァな…、単なる噂だ。本当かどうかはわからん」
「……」

クツリと笑ったシャンクスは酒を呷りながら星々が瞬く夜空を移す海を見つめている。そしてベンは新たな葉巻を咥えるとマッチで火を点けた。

―― 覇気の色が違うという噂も聞いたが、流石にそれはあんたの耳には入ってないのだろうな。

ふぅっと紫煙を吐きながらベンはつい最近の情報として聞いた噂を思い起こした。

不死鳥マルコは武装色の覇気使いであることは知られていた。だが一度だけ発した覇気がそれまでとは大きく異なったものだったという。

『覇王色の覇気』だったと――。

突然に身に付けられるようなものでは無いそれをいきなり放った等とは俄かには信じ難い話だ。ベンは隣で星空を眺めながら酒を飲むシャンクスを見やりながらふとマヒロの顔が浮かんだ。

―― まさかとは思うが…マヒロの探す男とは不死鳥マルコか?

シャンクスが覇気を見せた時、一瞬だがマヒロの目が何とも形容し難いものに見えた。それはまるで『懐かしさ』や『愛しさ』を滲ませた女の目だった。
覇王色の覇気を持つ者は世界でそうはいない。
マヒロの年齢からして、もしそれらの覇気を持った者と接触することがあったとしたら、もし恋仲になる相手となるのなら――。
ベンの中で不確かであった憶測が噂で聞いた不死鳥マルコであるのなら納得がいく気がした。ただこれを、隣の男に言うべきかどうかと思った時、否、とした。それを言えば恐らく不死鳥マルコへの勧誘が更に酷くなると容易に想像できるからだ。

〜〜〜〜〜

「ベン・ベックマン! お前ェからも何とか言ってくれよい! おれは絶対に乗らねェってよい!」
「不死鳥、諦めろ。あの人のあれはおれでも止められん」
「副船長だろうが! 仕事を放棄するんじゃねェよい! 赤髪の手綱をきっちり引き締めるのはお前ェの役目だろうがよい!?」
「だっはっは! そうかそうか、おれの仲間になることに怒る程に嬉しいんだなマルコ!」
「どう解釈したらそうなるんだよい!?」
「……」

〜〜〜〜〜

いつだったかの記憶が鮮明に思い出されるとベンは眉間に手を当て溜息を吐いた。
あまりにも必死になって訴えて来る天下の白ひげ海賊団1番隊隊長に、あの不死鳥マルコに、ベンは軽く同情していたからだ。
そして翌日――。
マヒロと二人だけで話をする機会を得たベンは、大切な人と言うのが不死鳥マルコではと確認してみた。するとマヒロは非常に分かり易い反応を示した。言葉を濁してはいたものの顔を赤らめて嬉しそうに笑うのだから明らかな肯定であり、完全に確定であることをベンは理解した。

「マヒロ、白ひげ海賊団の所在について教えておこう」
「え?」
「但し、お頭には内緒だ。明日には島に着く。そこで船を降りろ」
「そ、それは嬉しいですけど、その前にこの世界のことを」
「あァ、今から纏めて教えてやる。当面の資金と地図も渡す。短時間で頭に入れろ。できるな?」
「は、はい。あの、どうしてベンさんが?」
「まァ何だ…おれの都合だ」
「?」

溜息混じりにそう答えるベンにマヒロはキョトンとして首を傾げた。

―― 不死鳥マルコに対する同情心と助けてやれないせめてもの償い。そんなところだ――等と言えるわけがないだろう?

ベンはマヒロを自室へと連れ込むと出来得る限りの情報を彼女に与えた。そして翌日、島に到着するや否やシャンクスが懸想を変えてベンの元へと駆け寄って来た。

「ベン!!」
「どうした?」
「マヒロが逃走した!!」
「……それで?」
「マヒロを仲間にすると言っただろう!?」
「マヒロは意思を示したんじゃないか?」
「この世界のことも知らなけりゃァ金も持って無いんだぞ!?」
「あァ、そのことだが――」

ベンは自分がそうしろと言ったことをシャンクスに洗いざらい白状した。

「な、何でまたお前がそんなこと……」
「さァな。何となくそうした方が良いような気がしてな」
「ベン!」
「「「副船長〜!! おれ達のマヒロが〜!!」」」
とりあえずこの腑抜けた野郎共を正常に戻すのがおれの役目だ

船長共々赤髪海賊団一行の精神的立て直し(寧ろ制裁に近い)を図る意思を示すベンは彼らに対し、やけに声を大きく、しかし冷たい声音で、更にギロリと冷遇する眼差しを持って睨み付けた。

「……」
「「「……」」」

流石は副船長ベン・ベックマンといったところか、彼の睨みは効果覿面で誰しもが押し黙った。それはシャンクスも然りだ。
そんな光景を見ていたヤソップは腹を抱えながら声を殺して笑い死に掛け、それを肉を頬張りながら見つめるルウは心の中で「頑張れマヒロ。また一緒に肉を食おうな」と一人真面な気持ちでマヒロに声援を送るのだった。

「?」

マヒロはベンから貰った一隻の小船に街で買った食料諸々を詰め込んで海へ出ようとしていた。
何となく誰かの嘆きやら笑い声やら応援の声が聞こえた気がして振り向くが、そこには忙しなく港で働く人達の姿があるだけでマヒロに向かって声を掛ける者は誰一人とていなかった。

「気のせいかな?」

さてと――と、マヒロは気持ちを改めて引き締めるとこの広大な海へと一人旅立つのだった。

副船長の苦労

〆栞
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