07


みるみるうちに加速する一途を辿る落下速度を抑えるにはどうすべきか?

霊気が使えないのにこの状況を打破する策は無いに等しく、この速度で海面へとぶち当たれば海の藻屑になることは必至だった。
例えプロの高跳び込み選手であったとしても上空何千万メートルからの飛び込みなんて出来るわけが無い。

『どこに落ちるかわからんでなァ、どこに落ちるかは運任せになる。異世界に移った後は何とか自力でマルコ殿を尋ねておくれ』

少し前に空幻が言った言葉が脳裏を過る。

どこに落ちるかは運任せになる

―― 運任せだなんて、それ以前の問題じゃない!!

まさか異世界へと送られた途端に死ぬかもしない状況下に追い込まれるとは思ってもみなかった。
混乱する思考を何とか平静にして対処しなくてはとマヒロは懸命に考えた。
その時――。

どくん!

「!!」

身体の中心から大きく鼓動が唸る感覚に襲われたマヒロは目を丸くした。

―― 何?

この感覚はまるで先刻に起きた不死鳥の再生の炎が発する瞬間とよく似ていると感じた。するとマヒロの視界に青い炎が迸り、ボボッ!――と、炎が滾る音が耳を突いた。

「あ……」

身体から青い炎が現れると胴体から腕に掛けて伸び、それがまるで翼のような形を作り上げて大きくバサリと羽ばたきを見せた。
これにより空気抵抗が生まれてマヒロの身体はふわりと浮く感覚へと変わり、落下の速度が大きく減速したのがわかった。

バサッ…バサッ…!

二度、三度と意識をしていないにも拘わらず勝手に羽ばたくそれはとても綺麗な青で、マヒロはしばしば見惚れていた。

(おれにお前を守らせろい、マヒロ)

屍鬼の毒による汚染で力が使えないことに不安があった。しかし、こうして窮地に立つ度に救われるのなら、そう不安になる必要は無いのかもしれない。
頼るわけでは無い。出来る限り自力でやれることはやるつもりでいるが、それでも――。

「……マルコさん、ありがとう」

頬にチロチロと触れる青い炎に愛しさが募り、御礼の言葉が自然と口を突いたマヒロはどこか幸せそうな笑みを浮かべていた。
海面へと近付くと青い炎は消えて着水するのかと思っていたが、相変わらずバサッバサッと羽ばたきを見せる青い炎。
どうやらその場に滞空させてくれるようでマヒロは一先ずホッと胸を撫で下ろした。そして周囲を見渡してみる――が、眼前に広がるのは真っ青な空とそれを映し出す真っ青な海、海、海、海…で、島影は無く船すらも無い、本当に広大な海が広がるだけだ。

「ど…、どうしよう?」

途方に暮れかけたマヒロだったが、バサッバサッと羽ばたく音のリズムが変わったことにふと気付いて視線を上げる。
どうやら滞空していた場所から移動を試みているようで、マヒロは何となく身体の重心を動かしてみると移動できることがわかった。

「近くに島があれば良いのだけど……」

ここがどこで、どの方角に何があるのかなんて知らない。
山の中で培った勘を海の上で発揮する日が来るとは思ってもみなかったが、マヒロは自分の勘を信じて行ってみることにした。

「じゃあこっちで」

左に傾けるようにすれば合わせるようにバサッバサッと羽ばたきを繰り返してくれる青い炎。
まるで言葉が通じているかのような反応にまた笑みが零れた。
時折頬に触れる青い炎がくすぐったくて、マルコに早く会いたい気持ちが強く募って行く。

―― まずは情報を得ないとね。

暫く飛んでいると小さな島を発見した。そしてそこに一隻の大きな船が停泊しているのが見えた。

「乗せてくれるかな?」

空を飛んで移動するのは便利ではあるが、特別な能力で空を飛ぶ姿を人目に晒すのはあまり好ましく無いだろう。
マルコが不死鳥の能力について話をしてくれたことがあったが、あまり人に好まれていないような言葉尻だったことをマヒロは覚えていたからだ。
乗船させてくれるのであれば時間は掛かるだろうがその方が良いと判断したマヒロは、低空飛行で島に近付くことにし、船が停泊している海岸から離れた海辺へと舞い降りた。
岩場に着地すると青い炎は役目を果たしたとばかりに小さく萎んで消えていった。多少の名残惜しさと寂しさが同時に胸に去来するが、パンパンと顔を叩いてそれを振り払う。

この小さな島はどうやら無人島のようで、島の反対側辺りに停泊している船を目指して海岸沿いを暫く歩いた。そして大きな岸壁を越えて行くと目的とした船を漸く視界に捉えることができた。
赤を基調とし、船首の部分が竜の形を模った大きな船だった。そして掲げられている旗を一目見たマヒロは思わずぎょっとした。
風に吹かれてはためく黒い旗に髑髏のマークが堂々と描かれている――海賊旗だ。

―― 本物の…海賊……。マルコさんのように話の出来る良い人だったら良いのだけど。

この世界では海賊に『良い人』という言葉は通用しないと思われるのだが、マヒロの中では『海賊=マルコ=紳士で素敵な人』という公式が形成されている為、躊躇することは一切無かった。

―― 成るように成れだわ。

この船の海賊達がどんな人達なのかわからないので、とりあえずお忍びで確かめようと思ったマヒロは船尾から船縁に手を伸ばし、こっそりと甲板を覗いてみた。すると甲板上では強面の男達が忙しなく働いている姿があった。
積荷を運ぶ者から帆を張るロープを引っ張る者……と、どうやら出港準備に取り掛かっているように見受けた。

―― この船を逃せば無人島に一人になっちゃうから……仕方が無い。

船内を見回すと積荷と樽が幾重にも積まれた箇所があり、運が良いことにそこに人の姿は無い。少し奥まった場所でもあった為、そこに忍び込んでいれば見つからずに済むかもしれないと判断したマヒロは、船尾から船縁にぶら下がりながら外側を伝って移動した。

船尾に辿り着いて再び覗き込めば丁度死角になっていて、マヒロは欄干に手を伸ばしてそれを乗り越えるといとも簡単に乗船することができた。そうして積荷の中へと潜り込んで息を潜めた。
暫くすると船が動き出したのか揺られる感覚が身体に伝わってきた。
外の様子を伺いたい気持ちにもなったが、気疲れもあってか身体が重く感じて眠気がマヒロを襲った。

―― ……毒のせいもあるかも……。

いつもと勝手が違う身体に戸惑いつつ周囲の気配を伺えば人通りは少なく近付いて来る者もいない。
『運任せ』――心許ないが今はそれに頼るしかないかと、襲い来る眠気に負けたマヒロは暫く静かにここで眠ることにした。





静かな波の音と共に身体に伝わる振動が心地良くて、マヒロはとても深く眠っていた。そして鼻に擽る潮風に気付いて目が覚めた時には日が落ちてかすっかり真っ暗になっていた。

―― ……夜?

積荷の隙間から辺りを伺った。
この積荷の周辺に人の気配は感じないが、少し離れた所から男達がゲラゲラと笑い、何やら楽しげな声が聞こえて来た。

―― あ、マルコさんが話してた『宴』をしているのかな?

マヒロの海賊に関する知識はやはり基本はTVのニュースで出て来る貧困層のそれであり、マルコが話す海賊象とは掛け離れていて今一つ海賊が危険な集団であるとは思えなかった。
屈強な体躯に強面の男達があんなに楽しそうに酒を煽り、肩を組んで歌う姿を遠くから見ると思わずクスリと笑みを浮かべてしまう。

ふと視線を空へと移したマヒロは思わず目を丸くして感嘆の溜息を吐いた。

「わぁ……、凄く綺麗……」

マヒロが住んでいた家は都会から離れた自然が豊かな山奥で、街で見るより遙かに綺麗な夜空を見ることができた。しかし、この世界の夜空は空気が澄んでいるからなのか瞬く星々の数に圧倒されて遙かに綺麗だった。そして、風があまり無くて非常に穏やかな海面は波が立つことが無く、その様はまるで鏡のようで、夜空に瞬く星々が反映している。

まるで星々の世界の真っただ中にいるような錯覚さえ覚える。

「凄い。こんなに綺麗な世界があるなんて……」
「へェ…、この景色を見るのは初めてか?」
「はい、初め……え?」
「ん?」

背後から聞き慣れない男の声に気付いたマヒロは顔を顰めた。綺麗な景色に夢中で背後に人が居ることに一切気付かなかったことに思わず自分を恥じた。

―― 私のバカ!

観念するかのようにゆっくりと振り返れば、積まれた積荷の横にある樽に背中を預けて座る黒いマントを羽織った赤い髪の男がそこにいて、ばっちりと目が合った。
手にしている瓶はお酒だろう、彼の頬はどこかほんのり赤くて少しだけ酔っているように見えた。

「…あ…えーっと……」

後悔しても時既に遅し。
視線を外して宙を泳がせるマヒロは、じわりと足を動かして踵を返そうとした。

ガシッ!!

「!!」
「お前、誰だ?」

逃げようとしたがあっさりと腕を掴まれたことに驚いたマヒロは息を飲んだ。

―― 酔っ払いの癖に動きが速い……。

赤髪の男がマヒロの肩に腕を回すとマヒロの顔を覗き込んで来た。
左目に三本の傷が付いた男の目を見れば怒っているわけでも怪しんでいるわけでもなさそうだが――。

「す、すみません。その…勝手に乗り込んでごめんなさい!」

肩に回された赤髪の男の腕を解き、勢い良く謝罪の弁を述べて頭を下げるマヒロに、赤髪の男は目を丸くしてぽかんとしていたが直ぐに破顔して大きな声を上げて笑い始めた。

「だっはっはっ!!」
「え…? あ、あの!」
「どうしたお頭〜?」
「何を一人で笑ってんだ〜? 何か面白いもんでもあったのか〜?」

赤髪の男があまりに大きな声で笑う為、マヒロは焦って止めようと声を掛けはしたものの、笑い声に誘われたかのように二人の男が酒と骨付き肉を持って船尾へとやって来た。

―― 不味い!

途端に窮地に立たされたマヒロだったが、骨付き肉を見た途端に「ぐぅ〜…」と腹の虫が素直に鳴いた。

「ッ〜〜!!」
「はは、腹が減ったか。ルウ、その手に持ってる肉を彼女に食わせてやれ」
「ん、」
「え? で、でも…」
「腹が減ってんだろ?」

確かにお腹は空いているが、勝手に船に乗り込んでおいて食事まで頂く等、マヒロは流石に悪いと思って首を振った。
しかし、ルウと呼ばれた男がマヒロの目の前に持っていた骨付き肉をずいっと差し出して来るとマヒロは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

―― うぅ…、凄く美味しそう……。

「我慢すんな。ほら、飲み物なら沢山ある。あーこりゃ酒だが、あんた酒は飲めるか?」
「え? あ、はい…え?」
「ヤソップ、もっと気の利いた飲み物を持って来なかったのか?」
「お頭に酒以外の何があるってんだ。まさかここにこんな可愛い子ちゃんがいるなんて思ってなかったからな。ちょっと待ってろ。ジュースか何か持ってきてやる」
「あ、待って!」

ガシッ!

「お?」

ヤソップと呼ばれた男が踵を返そうとしたが、本当に悪いと思ったマヒロがヤソップのシャツを掴んで制止した。
そして振り返ったヤソップと目が合ったマヒロはハッとしてパッと手を離した。何となく恥ずかしい上に気まずくて居た堪れない気持ちになったマヒロは視線を左にずらした。

「お酒で、大丈夫……です」
「おいおい、嬢ちゃん。ガキにゃ酒は飲ませられねぇって」
「……はい?」

ヤソップが笑ってマヒロの頭に手を置き、クシャリと撫でながらそう言った。そして横に立つルウも、後ろに居た赤髪の男もヤソップと同様に思っているのか苦笑を浮かべて「「だな」」と頷いていた。

「ヤソップの言う通り、ガキに酒は早ェからなァ。とりあえず肉を食っとけ」

ルウは笑いながらマヒロの手を取り肉を持たせた。

「まァ男所帯の海賊船だが、酒に弱い奴の為用にジュースぐらいは積んでるから安心しろ」

赤髪の男がマヒロの肩に手を置いてポンポンと軽く叩いて笑顔で言った。

―― ……まさか…。

確かにマルコも初対面の時にマヒロのことを若く見ていた。
確かにマルコはマヒロを一回りも下に見ていた。

その時の記憶が蘇ったマヒロは頬をヒクリと引き攣らせた。

「皆さん、私のことを幾つだと思ってます?」

ワナワナと震えるのを抑え、引き攣る頬を無理矢理に笑顔に変えてそう問い掛けると、三人はポカンとした顔で口々に思っている年齢を答えた。

「十六ぐらいだろ?」
「いや、十五だろ?」
「おれはお頭と同じで十六ぐらいかと」
「ッ!」

―― な、何それ!? 全然成長してないって証拠を突き付けられたみたいじゃない!

二年前にマルコが見立てた年齢と全く同じだったことにマヒロはショックを受けてガクリと肩を落として項垂れた。

「私は…、これでも二十八歳よ!!」
「「「何ィィっ!? 二十八ィィっ!!?」」」

ぼーん!! Σ(゚Д゚;) ← 赤髪
どーん!! Σ(゚Д゚;) ← ルウ
ごーん!! Σ(゚Д゚;) ← ヤソップ

衝撃の度合いが大きい為か絵文字で表現しなくてはならない程に彼らは効果音付きで盛大に驚いた。

―― 酷い!!

彼らの反応に眉を顰めたマヒロは口を尖らせて――本気で拗ねた。

「……バカにして……」

自棄だとばかりにマヒロは手渡された肉にガブッとかぶりついて頬張った。
ムスッとしたままモグモグモグと咀嚼する――。

「美味っ!?」
「「「変わり身早っ!!!」」」

船の死角となる船尾でワイワイと賑わう声が中央の甲板にまで届いていることなど気付きもしないマヒロは、初めて食べた骨付き肉の美味しさに夢中になってかぶりつき、空腹を満たしていくのだった。

運任せ

〆栞
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