06
ふわりと誰かの手が身体に触れるのを真尋は感じた。
―― 誰?
意識が少しずつ浮上していく。
「いかんのう、これは酷い」
聞き覚えのある声が聞こえて来る。
とても安心できる声だ。
「真尋、また意識を手放してはいかんぞ? 辛いだろうが保つんじゃ、良いな?」
「あ…うっ……こ…ここ…は?」
「ここは次元空間じゃよ。お前さんが瀕死に陥った時、自動で転送されるように術式を組んでおったんじゃよ」
「はっ…う、空幻…坊…わ、たし…」
「今は空幻道士と呼んでくれんかのう? 坊は卒業したんじゃよ」
目を細めて優しく笑う空幻道士に涙でぼやける視界で見つめる真尋は苦し気で呼吸が荒い。
道士と坊と何がどう変わったのか――等、考える余裕すら無い。
痛みが酷く、ゲホゲホと咳をすると口の中に血の味が広がり、呼吸がし辛くて苦しい。
「厄介な毒じゃ。こりゃあわしの力では除去できんのう」
「ど…く…?」
「仕方が無い、先に傷を――ッ!? これは…!」
どくん…!
「コホッ…?」
どくん!
―― おれが側にいればマヒロは死なねェだろい?
どくん!!
―― マヒロにどんなに嫌だって言われても、おれは意地でもマヒロを再生させて生かしてやるからよい。
「!」
ボボボボッ!
「な!? こ、この青い炎は!」
「青い…炎…?」
「ッ! 真尋! いかん! 身体を起こしては――!!」
空幻の言葉を手で遮りながら重たい身体を起こした真尋は痛む自身の腹部を見た。
そこにあったのは、とても鮮やかに燃え滾る青い炎が瞬きながら真尋の負傷した腹部を優しく包み込む姿だった。
―― ッ…マルコ…さん……。
何故、どうして――と思う反面、身体だけでは無く心すらもホッと安らいでいくのを感じた真尋は思わず手を伸ばして青い炎に触れようとした。すると空幻が慌てて真尋の手を止めた。
「ならん! 火傷するやもしれんじゃろう!」
「大丈夫…。この炎は火傷なんかしない。私を…、私を、生かしてくれる炎だもの」
「な、なんじゃと…?」
ゆらゆら揺らめく青い炎に触れる。
淡く優しいその炎は真尋の手に触れると少しばかりチロチロと音を立てて優しく包んだ。
「傷が……塞がっていく……」
「ふふ、再生したんです」
「さ、再生じゃと? それではこの力は!」
「マルコさんの力です」
「やはり不死鳥か!」
酷く懐かしく、また見たい、触れたいとずっと思っていた青い炎。
真尋は目を細めると愛しい者に想いを馳せて微笑を浮かべた。
しかし、少し間を置くと真尋の中に疑問が生じた。
何故、どうして不死鳥の再生の炎が自分の身体から発しているのか、それが不思議だった。
「どうして彼の力が…うっ、コホッ!!」
「……ふむ、成程のう。それで真尋は”まだ”生き長らえておれるのじゃな」
「な…に? どういう…こと?」
真尋が空幻に視線を向けると#空幻#は青い炎をじっと見つめて感心しつつ納得するように頷いていた。
「真尋、お前を襲った者じゃがな」
空幻が徐に口にした言葉に真尋は思わず眉を顰めた。
思い出したくないのだ。
自分を瀕死に追いやった人物が誰かなど――。
「……言わないで」
「真尋、誤解するでない。あれは幻海じゃが幻海では無いんじゃ」
「え?」
「あれは亡骸じゃ。幻海はもうこの世にはおらん」
「どういう…こと…?」
「お前を襲ったのは『屍鬼』という名の妖怪じゃよ」
「し…き……!?」
「聞いたことはあるじゃろう?」
『屍鬼』――死者の王とも闇の墓王とも呼ばれる異形の者。
真尋はグッと息を飲み、視線を宙に彷徨わせた。
「待って、どうしてそんな――ッ! ケホッ!! コホッ!!」
屍鬼は妖怪と言うよりも形のはっきりしない虚(ほろう)に近い存在とされている。
妖怪の中でも異質であり『死』を司る『死神』であるとも――。
本当に存在するものかどうかも怪しいその妖怪に何故狙われるのか、それにどうして祖母である幻海が屍鬼の手の者として自分を襲って来たのか、真尋は動揺を隠せずに少々混乱に陥った。
「気持ちはわからんでも無いがあまり興奮してはいかん。お前は毒に当てられておるんじゃ。死なんのはその不死鳥の再生の力が支えておるからにすぎん」
「毒…って、まさか……」
死を招く瘴気による毒はちょっとやそっとでは取り除くことはおろか回復すら難しいとされる。
屍鬼が死神と呼ばれることもあるのはその瘴気を纏う者であることも一因しているとされているらしい。
「察しの通りじゃよ。その毒が真尋の身体を蝕む限り、恐らく霊力は真面には使えんじゃろう」
「……だから……」
「何じゃ?」
「だからマルコさんの、不死鳥の力が、私を…生かしてくれてるのね」
青い炎を愛し気に触れる真尋に空幻は目を細めた。
「…そうじゃな」
空幻にとって真尋は産まれた時から知る娘なだけに親心にも似た思いがある。
マルコに向ける純粋な想いを抱く真尋を見つめる空幻の眼差しはどこまでも温かく優しさに満ちたものだった。
やがて真尋の腹部の傷は完全に塞がった。それに伴い腹部を包んだ青い炎は収縮し始め、徐々に姿を消していった。それでも未だに残るその青い炎に手を伸ばして触れる。
大事に、愛しく、想いを馳せて――。
ぽたっ
ぽたっ
涙がポロポロと零れ落ちて行く。
「もう泣かなくなったのに…、また…泣いちゃった……」
―― そりゃァ仕方が無ェよいマヒロ。怖かったんだろい? 我慢しねェで今は泣いて気持ちを吐き出せ。
心内に響くマルコの優しい声に促されるように真尋はギュッと胸元を握り締めて嗚咽を漏らしながら泣き出した。
会いたい…。
会いたい…。
あなたに――会いたい。
「ふっ…うっ…うう…」
「気持ちだけでは無く深く繋がりあっとることにわしゃ安心したわい」
溢れ出す涙を拭いながら空幻の言葉を耳にした真尋は顔を上げて空幻に視線を寄越した。
目を細めて優しげな表情を浮かべている空幻に真尋は眉尻を下げて空幻に手を伸ばした。
空幻は真尋の気持ちが落ち着くまで懐に優しく抱き、真尋は縋るように泣き続けたのだった。
そして――。
涙が止まり落ち着きを取り戻した真尋に空幻は居住まいを正した。
「幻海からの伝言じゃ」
「え?」
『想いが通じ合う好いた男が出来て、その者が真尋より強い者であるのなら、決してその者から離れるんじゃないよ。決してその者を手放すんじゃない。例えその者が『異なる世界の者』であったとしても――』
真尋はその言葉に目を丸くして絶句する。一方で空幻は尚も続ける。
『私と同じ道を辿る必要は無いよ。幸せになりなさい真尋。両親の分もね 』
徐に口元に手で覆うとまた涙が込み上げるとポロポロと零れ落ちて真尋の頬を濡らしていく。
「……嘘よ……だってあの人は……」
「先見の明があったんかのう、何もかもお見通しのような口ぶりで言っておったよ。わしは幻海から真尋を守るよう頼まれておったしのう」
「ッ!」
「慈悲深い女じゃったよ幻海は……」
「そ、そんな……」
真尋にとって幻海はとても厳しく情の無い冷たい人という印象しか残っていない。
時折、自分の存在を疎ましく思っているのではと思うこともあった。
しかし、それでも唯一血が繋がる『家族』であり、実の祖母だ。
好きになれなくても嫌いにもなれない――そんな存在だったのだ。
自分が抱く祖母とは違う一面を知らされた真尋が愕然としてショックを受けるのは仕方が無いことで、そのことは空幻もよく理解をしているのかニコリと笑みを浮かべた。
「安心せい。マルコ殿にも”それとなく”幻海の心情は伝えておるからのう」
顎髭を撫でながら空幻はそう言った。
真尋は瞬きを繰り返して空幻を見つめる。
「え…? どういう…こと?」
「なァに簡単なことじゃ。マルコ殿は真尋を任せられる男じゃからのう」
「そ…、それって…」
淡い期待が胸の内に仄かに灯り始める。
ドキドキと鼓動が早くなるのを感じる。
戸惑う真尋に空幻は片眉を上げて言葉を続けた。
「屍鬼が真尋を襲った時、本気で殺す気でおった。しかし、それはできんかった」
「あ…、確か…何か…何かを言ってた。……あの時」
気を失う直前、襲って来た祖母(幻海)の言葉が脳裏に過る。
『…ちょう…う…ない…しろ』
『お前じゃ…い……が…るのは…不…』
言葉は途切れ途切れで明確に何を言っていたのかはわからない。
だが最後の言葉だけは確かに聞いた。聞いたのだ――不死鳥――と。
「真尋の死を止めたのが不死鳥の力であれば…、もう意味はわかるじゃろう?」
「あ…、屍鬼は…まさか……」
「屍鬼は標的をマルコ殿に変えるじゃろう。屍鬼程の妖怪の…いや、化物と言った方が良いかのう。大喰らいの腹と生御霊を満たすのに、マルコ殿は十分過ぎる程の力を持っておるでな」
ニヤリと笑う空幻に真尋は驚きと嬉しさが混在する複雑な表情を浮かべた。
「まるで…まるで今のマルコさんを知っているみたいな言い方……」
泣き声にも似た声音が震える。そして自ずと身体もワナワナ震え始める。
期待が更に膨らむのは仕方が無くて、早くその答えを知りたくて――。
「わしは何度も会っておるからのう」
「!!」
空幻の答えに真尋は愈々持って驚愕の眼差しを向けた。
「ひょっひょっひょ!」
空幻は顎鬚を摩りながら楽しげに笑っていた。
「本当に!? 嘘じゃなっ――ゴホッ! ケホッ!」
真尋は大きな声を上げたせいか急に咳込み、身体の芯に激痛が走って血を吐いた。
「あんまり興奮すると身体に障るじゃろうて」
「……意地悪……早く…言ってよ……」
呼吸が乱れて苦しくなり顔を顰める真尋は空幻に恨めしい目を向けた。
「んー、あやつの力が強過ぎてのう。力をコントロールするのに苦労しておったんで、わしが色々とアドバイスをしてやったんじゃよ。それに、真尋と同じような目に遭っておったしのう」
「私と同じ目に遭う…って、どういうこと?」
「仲間の目を盗んでは一人でで襲い来る妖怪達を撃退しておるんじゃよ。隠密裏に全てを成すのに苦労しておってのう」
空幻はニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。
「ちょっ…えェ!? ッ――ゲホッ! ゴホッ!」
また驚いて声を上げた真尋は再び激痛に襲われながら咳き込んで血を吐いた。
「ほれほれ、痛かろうて」
「ッ……」
―― 空幻…、私の反応を見て楽しんでない!?
ギリッと奥歯を噛み締めながらまた睨む真尋に空幻は意にも介さず優しい面差しで笑った。
「真尋の話題になると嬉しそうに笑っておったよ。優しげな顔でな。最初は見定める為だけのつもりだったんじゃがなァ。中々に見どころのある男なもんで、わしはあの男の師匠を買って出たんじゃよ」
「……」
「わしは自信を持って幻海に言える。マヒロは良い男を捕まえたとな」
「ッ……」
顎鬚を摩りながら笑って話す空幻に真尋は嬉しさに涙が止め処無く溢れ、両手で顔を覆いながら咽び泣いた。
「のう真尋や、マルコ殿に会いたくはないか?」
空幻の優しい声音で心の奥底に芽生えた期待に沿う言葉が投げかけられた真尋は大きく頷いた。
「ッ…そんな…の、決まってる。ふっ…う、会いたい。ひっく…、マルコ…さんに会いたい!」
半ば叫ぶように声を上げる真尋に空幻は穏やかに笑った。
「ひょっひょっひょっ! そうじゃろう、そうじゃろう。まァ、会いたくないと言われたとて、もう戻れんがのう!」
空幻のその言葉に真尋は涙で濡らした頬をそのままに瞬きを繰り返しきょとんとした。
「は?」
少し間の抜けた声を漏らすと空幻は髭を摩りながら然も当然じゃろうがと呆れにも似た眼差しを向けた。
「何も無く次元を越えられるわけが無かろうが」
「そ、そんなこと知らないもの、仕方が無いでしょう?」
「まァ要は『代償』じゃよ」
「代償?」
「そう、代償」
「……?」
「次元を超えるにはそれなりの代償がいるんじゃよ」
真尋は少し眉を顰めながら濡れた頬を袖口で軽く拭いつつ首を傾げた。
「…それで?」
「何、大したことは無い。真尋の世界における仙崎真尋という存在の消滅が代償じゃよ」
「え…、そ、それじゃあ…」
「答えはわかっておったから既にこの次元に転じた時点で真尋の存在はもう無いに等しく、戻った所で住んでいた家や道場は家主であった幻海が死んだ時点で時が止まっておるから朽ち果てておるじゃろうのう」
「えええええ!? ッ――ゲホッ! ゴホッ!」
「やれやれ…、真尋はとんと学習能力が無いのう」
驚嘆めいた声を上げて三度吐血した真尋に空幻は呆れながら笑った。
―― クッ…、やっぱり楽しんでるわね……。
手の甲で口元に着いた血を拭いながら涙目でキッと空幻を睨む付ける真尋に空幻は事も無げに鼻で笑う。
「ほんにマルコ殿が言っておった通りじゃのう」
「なっ!? 何そッ――ゲホッ! ゴホッ!! コホッ!!!」
「……四度目じゃな真尋。……いい加減に学習せんか……」
ほとほと呆れた溜息を吐く空幻に真尋はギリッと奥歯を噛み締めて悔し気な表情を浮かべながら明後日の方へ顔を背けた。
―― マルコさん! 空幻に何を言ったんですか!?
声に出さずにそう叫ぶものの思い返せば確かに学習能力が無い自分があちこちに在ったことを思い出す。
お互いにまだ秘めた想いに蓋をしていた時、何度もマルコに怒られた記憶が脳裏に過るとふとマルコの声が心内に響く。
(はァ…、真尋、何度も言うけどよい……)
―― 止めて。わかってるから、本当に…ゴメンナサイ…。
もう少し冷静でいられるように自分自身の感情を抑える特訓が必要だと真尋は思った。
「真尋よ、今からお前を異世界へ移す。じゃが、その前に一つだけ言っておくことがある」
「え?」
「異世界に行ったとて直ぐにマルコ殿に会えるというわけでは無い」
「へ?」
「どこに落ちるかわからんでなァ、どこに落ちるかは運任せになる。異世界に移った後は何とか自力でマルコ殿を尋ねておくれ」
「はい!? ッ――コフッ!!」
「それと、屍鬼の毒に侵されたその身体で霊力は使うでないぞ? 負担が大き過ぎて堪え切れんじゃろうからな。もし戦うことになったとしても武術だけで凌ぐことじゃ、良いな?」
五度目の吐血に流石に空幻は何も言わずに言葉を続けたが真尋は少し自分に腹を立てた。――と同時に、疑問が生じて一層に眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待って空幻。……あなたは自由に思ったところに行けるのでしょう?」
「わし自身が移動するのと他者を移動させるのとでは必要とする妖力が違うんじゃ! わしはマルコ殿と違って妖力にも限度っちゅうもんがある! 真尋を次元転送した上に治療も多少じゃが施したんじゃぞ? 役には立たなんだが……ッ、その上で更に異世界へ他者を転送させるに妖力は底を尽きかけておるにこれ以上無茶を言うでない!」
「ご、ごめんなさい」
「コホン、わかれば宜しい」
突然に怒号を放つ空幻に真尋は思わず身を仰け反らした。
―― こ、こんなに怒る空幻を初めて見たわ。な、何があったの?
「な、何だか…昇格されて人格が変わったみたい」
「……万能な人間を見ていると捻くれたくなるわい」
がくりと項垂れてボソリと嘆き始める空幻の言葉に真尋は得心がいったのか空幻から視線を逸らして何度か頷いた。
―― あァ、そういうこと……。マルコさんって天才肌の器用人だものね。凡人の目から見ると羨まし過ぎて拗ねたくなるわよね。
真尋は空幻に同情を示して乾いた声で笑った。
何だかんだと器用に熟してしまうマルコを思い出すとあれやこれやと色々あったなァと懐かしく思う。
しかし、料理をするのが初めてだと言っておきながら凄く美味しい食事を作った時を思い出すと、未だに軽く打ちのめされる気持ちになる。
因みに未だに真尋はテニスゲームに苦杯を飲まされた恨みを忘れていない。
「あと屍鬼の毒じゃが、無事にマルコ殿に会えさえすれば治せるじゃろうから、それまでは辛抱することじゃ」
「え…? あ…、は、はい」
真尋は戸惑い気味に返事をした。
―― マルコさんなら治せる? この毒を排除する力を得ているってことなの?
凡そ二年の間、自分自身を守り生きる為に修行は決して止める事無く続けて来た。
マルコと出会った二年前に比べると格段に強くなったと自信を持って言える。しかし、マルコは自分よりも遥かに強い力を身に付けたのだと真尋は察した。
「わしは真尋を転送した後、妖力の回復の為にまた暫く眠る。力を相当使うことになるから次はいつ起きるかわからんが……」
「……空幻……」
空幻の言葉に真尋は眉尻を下げて少し寂し気な目を向ける。すると空幻は片眉を上げると何やら意味ありげな笑みを浮かべ、真尋は目を丸くした。
―― な、何?
「赤子が産まれておったら抱かせておくれの?」
「なっ!?」
ぼんっ!!
爆発するような音を立てて蒸気を上げる程に顔を真っ赤にした真尋は口をパクパクした。
また身体が軋むように痛みを発するが、痛みを感じる余裕が無かった。
―― 空幻!!
思わず声を張り上げそうになったが流石に学習したのか真尋は口元を手で押さえて何とか堪えようとした。しかし小さく咳込み、口端から血が流れ、涙目になる。
目の前の妖怪ジジイにキッと睨めば、彼は満面の笑顔で杖先で地面をコンコンと叩いた。
「真尋、屍鬼と言えども簡単にはマルコ殿に手は出せんじゃろうから安心せい」
最後に空幻からそう聞かされると途端に視界がぐらりと歪んで身体が浮いた。そう思ったら今度は転じて急速に落下して行く感覚が真尋を襲う。
―― 嘘でしょ? そ、そんなに強くなったの?
自分の状況などまるで見えていないのか真尋は暢気にそんなことを思った。だが直ぐにハッと我を取り戻して自分の今の状態を鑑みた時――「あ、死んだ」と思った。
「ちょっ! うう嘘でしょー!!?」
もう吐血しても気にしない。
真尋は悲鳴を盛大に上げた。
―― こんな死に方の方が悲惨だし残酷よ!!
空を舞い落ちる身体はみるみる内に地上へと吸い込まれるように落下の一途を辿る。
雲と雲の間を擦り抜けて視界が開くと眼下に広がるのはどこまでも広大に広がる真っ青な海。
―― ひえええええええっ!!
大きな声を出すとまた血を吐くからか真尋は心内で盛大に叫んだ。
どうやらちょっとだけ平静を保つ自分がどこかにいるようだ。
―― もう! 勘弁してェェェ!!
いや、もう、声にならない程に洒落にならない状況へと追い込まれた…ようである。
―― 誰?
意識が少しずつ浮上していく。
「いかんのう、これは酷い」
聞き覚えのある声が聞こえて来る。
とても安心できる声だ。
「真尋、また意識を手放してはいかんぞ? 辛いだろうが保つんじゃ、良いな?」
「あ…うっ……こ…ここ…は?」
「ここは次元空間じゃよ。お前さんが瀕死に陥った時、自動で転送されるように術式を組んでおったんじゃよ」
「はっ…う、空幻…坊…わ、たし…」
「今は空幻道士と呼んでくれんかのう? 坊は卒業したんじゃよ」
目を細めて優しく笑う空幻道士に涙でぼやける視界で見つめる真尋は苦し気で呼吸が荒い。
道士と坊と何がどう変わったのか――等、考える余裕すら無い。
痛みが酷く、ゲホゲホと咳をすると口の中に血の味が広がり、呼吸がし辛くて苦しい。
「厄介な毒じゃ。こりゃあわしの力では除去できんのう」
「ど…く…?」
「仕方が無い、先に傷を――ッ!? これは…!」
どくん…!
「コホッ…?」
どくん!
―― おれが側にいればマヒロは死なねェだろい?
どくん!!
―― マヒロにどんなに嫌だって言われても、おれは意地でもマヒロを再生させて生かしてやるからよい。
「!」
ボボボボッ!
「な!? こ、この青い炎は!」
「青い…炎…?」
「ッ! 真尋! いかん! 身体を起こしては――!!」
空幻の言葉を手で遮りながら重たい身体を起こした真尋は痛む自身の腹部を見た。
そこにあったのは、とても鮮やかに燃え滾る青い炎が瞬きながら真尋の負傷した腹部を優しく包み込む姿だった。
―― ッ…マルコ…さん……。
何故、どうして――と思う反面、身体だけでは無く心すらもホッと安らいでいくのを感じた真尋は思わず手を伸ばして青い炎に触れようとした。すると空幻が慌てて真尋の手を止めた。
「ならん! 火傷するやもしれんじゃろう!」
「大丈夫…。この炎は火傷なんかしない。私を…、私を、生かしてくれる炎だもの」
「な、なんじゃと…?」
ゆらゆら揺らめく青い炎に触れる。
淡く優しいその炎は真尋の手に触れると少しばかりチロチロと音を立てて優しく包んだ。
「傷が……塞がっていく……」
「ふふ、再生したんです」
「さ、再生じゃと? それではこの力は!」
「マルコさんの力です」
「やはり不死鳥か!」
酷く懐かしく、また見たい、触れたいとずっと思っていた青い炎。
真尋は目を細めると愛しい者に想いを馳せて微笑を浮かべた。
しかし、少し間を置くと真尋の中に疑問が生じた。
何故、どうして不死鳥の再生の炎が自分の身体から発しているのか、それが不思議だった。
「どうして彼の力が…うっ、コホッ!!」
「……ふむ、成程のう。それで真尋は”まだ”生き長らえておれるのじゃな」
「な…に? どういう…こと?」
真尋が空幻に視線を向けると#空幻#は青い炎をじっと見つめて感心しつつ納得するように頷いていた。
「真尋、お前を襲った者じゃがな」
空幻が徐に口にした言葉に真尋は思わず眉を顰めた。
思い出したくないのだ。
自分を瀕死に追いやった人物が誰かなど――。
「……言わないで」
「真尋、誤解するでない。あれは幻海じゃが幻海では無いんじゃ」
「え?」
「あれは亡骸じゃ。幻海はもうこの世にはおらん」
「どういう…こと…?」
「お前を襲ったのは『屍鬼』という名の妖怪じゃよ」
「し…き……!?」
「聞いたことはあるじゃろう?」
『屍鬼』――死者の王とも闇の墓王とも呼ばれる異形の者。
真尋はグッと息を飲み、視線を宙に彷徨わせた。
「待って、どうしてそんな――ッ! ケホッ!! コホッ!!」
屍鬼は妖怪と言うよりも形のはっきりしない虚(ほろう)に近い存在とされている。
妖怪の中でも異質であり『死』を司る『死神』であるとも――。
本当に存在するものかどうかも怪しいその妖怪に何故狙われるのか、それにどうして祖母である幻海が屍鬼の手の者として自分を襲って来たのか、真尋は動揺を隠せずに少々混乱に陥った。
「気持ちはわからんでも無いがあまり興奮してはいかん。お前は毒に当てられておるんじゃ。死なんのはその不死鳥の再生の力が支えておるからにすぎん」
「毒…って、まさか……」
死を招く瘴気による毒はちょっとやそっとでは取り除くことはおろか回復すら難しいとされる。
屍鬼が死神と呼ばれることもあるのはその瘴気を纏う者であることも一因しているとされているらしい。
「察しの通りじゃよ。その毒が真尋の身体を蝕む限り、恐らく霊力は真面には使えんじゃろう」
「……だから……」
「何じゃ?」
「だからマルコさんの、不死鳥の力が、私を…生かしてくれてるのね」
青い炎を愛し気に触れる真尋に空幻は目を細めた。
「…そうじゃな」
空幻にとって真尋は産まれた時から知る娘なだけに親心にも似た思いがある。
マルコに向ける純粋な想いを抱く真尋を見つめる空幻の眼差しはどこまでも温かく優しさに満ちたものだった。
やがて真尋の腹部の傷は完全に塞がった。それに伴い腹部を包んだ青い炎は収縮し始め、徐々に姿を消していった。それでも未だに残るその青い炎に手を伸ばして触れる。
大事に、愛しく、想いを馳せて――。
ぽたっ
ぽたっ
涙がポロポロと零れ落ちて行く。
「もう泣かなくなったのに…、また…泣いちゃった……」
―― そりゃァ仕方が無ェよいマヒロ。怖かったんだろい? 我慢しねェで今は泣いて気持ちを吐き出せ。
心内に響くマルコの優しい声に促されるように真尋はギュッと胸元を握り締めて嗚咽を漏らしながら泣き出した。
会いたい…。
会いたい…。
あなたに――会いたい。
「ふっ…うっ…うう…」
「気持ちだけでは無く深く繋がりあっとることにわしゃ安心したわい」
溢れ出す涙を拭いながら空幻の言葉を耳にした真尋は顔を上げて空幻に視線を寄越した。
目を細めて優しげな表情を浮かべている空幻に真尋は眉尻を下げて空幻に手を伸ばした。
空幻は真尋の気持ちが落ち着くまで懐に優しく抱き、真尋は縋るように泣き続けたのだった。
そして――。
涙が止まり落ち着きを取り戻した真尋に空幻は居住まいを正した。
「幻海からの伝言じゃ」
「え?」
『想いが通じ合う好いた男が出来て、その者が真尋より強い者であるのなら、決してその者から離れるんじゃないよ。決してその者を手放すんじゃない。例えその者が『異なる世界の者』であったとしても――』
真尋はその言葉に目を丸くして絶句する。一方で空幻は尚も続ける。
『私と同じ道を辿る必要は無いよ。幸せになりなさい真尋。両親の分もね 』
徐に口元に手で覆うとまた涙が込み上げるとポロポロと零れ落ちて真尋の頬を濡らしていく。
「……嘘よ……だってあの人は……」
「先見の明があったんかのう、何もかもお見通しのような口ぶりで言っておったよ。わしは幻海から真尋を守るよう頼まれておったしのう」
「ッ!」
「慈悲深い女じゃったよ幻海は……」
「そ、そんな……」
真尋にとって幻海はとても厳しく情の無い冷たい人という印象しか残っていない。
時折、自分の存在を疎ましく思っているのではと思うこともあった。
しかし、それでも唯一血が繋がる『家族』であり、実の祖母だ。
好きになれなくても嫌いにもなれない――そんな存在だったのだ。
自分が抱く祖母とは違う一面を知らされた真尋が愕然としてショックを受けるのは仕方が無いことで、そのことは空幻もよく理解をしているのかニコリと笑みを浮かべた。
「安心せい。マルコ殿にも”それとなく”幻海の心情は伝えておるからのう」
顎髭を撫でながら空幻はそう言った。
真尋は瞬きを繰り返して空幻を見つめる。
「え…? どういう…こと?」
「なァに簡単なことじゃ。マルコ殿は真尋を任せられる男じゃからのう」
「そ…、それって…」
淡い期待が胸の内に仄かに灯り始める。
ドキドキと鼓動が早くなるのを感じる。
戸惑う真尋に空幻は片眉を上げて言葉を続けた。
「屍鬼が真尋を襲った時、本気で殺す気でおった。しかし、それはできんかった」
「あ…、確か…何か…何かを言ってた。……あの時」
気を失う直前、襲って来た祖母(幻海)の言葉が脳裏に過る。
『…ちょう…う…ない…しろ』
『お前じゃ…い……が…るのは…不…』
言葉は途切れ途切れで明確に何を言っていたのかはわからない。
だが最後の言葉だけは確かに聞いた。聞いたのだ――不死鳥――と。
「真尋の死を止めたのが不死鳥の力であれば…、もう意味はわかるじゃろう?」
「あ…、屍鬼は…まさか……」
「屍鬼は標的をマルコ殿に変えるじゃろう。屍鬼程の妖怪の…いや、化物と言った方が良いかのう。大喰らいの腹と生御霊を満たすのに、マルコ殿は十分過ぎる程の力を持っておるでな」
ニヤリと笑う空幻に真尋は驚きと嬉しさが混在する複雑な表情を浮かべた。
「まるで…まるで今のマルコさんを知っているみたいな言い方……」
泣き声にも似た声音が震える。そして自ずと身体もワナワナ震え始める。
期待が更に膨らむのは仕方が無くて、早くその答えを知りたくて――。
「わしは何度も会っておるからのう」
「!!」
空幻の答えに真尋は愈々持って驚愕の眼差しを向けた。
「ひょっひょっひょ!」
空幻は顎鬚を摩りながら楽しげに笑っていた。
「本当に!? 嘘じゃなっ――ゴホッ! ケホッ!」
真尋は大きな声を上げたせいか急に咳込み、身体の芯に激痛が走って血を吐いた。
「あんまり興奮すると身体に障るじゃろうて」
「……意地悪……早く…言ってよ……」
呼吸が乱れて苦しくなり顔を顰める真尋は空幻に恨めしい目を向けた。
「んー、あやつの力が強過ぎてのう。力をコントロールするのに苦労しておったんで、わしが色々とアドバイスをしてやったんじゃよ。それに、真尋と同じような目に遭っておったしのう」
「私と同じ目に遭う…って、どういうこと?」
「仲間の目を盗んでは一人でで襲い来る妖怪達を撃退しておるんじゃよ。隠密裏に全てを成すのに苦労しておってのう」
空幻はニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。
「ちょっ…えェ!? ッ――ゲホッ! ゴホッ!」
また驚いて声を上げた真尋は再び激痛に襲われながら咳き込んで血を吐いた。
「ほれほれ、痛かろうて」
「ッ……」
―― 空幻…、私の反応を見て楽しんでない!?
ギリッと奥歯を噛み締めながらまた睨む真尋に空幻は意にも介さず優しい面差しで笑った。
「真尋の話題になると嬉しそうに笑っておったよ。優しげな顔でな。最初は見定める為だけのつもりだったんじゃがなァ。中々に見どころのある男なもんで、わしはあの男の師匠を買って出たんじゃよ」
「……」
「わしは自信を持って幻海に言える。マヒロは良い男を捕まえたとな」
「ッ……」
顎鬚を摩りながら笑って話す空幻に真尋は嬉しさに涙が止め処無く溢れ、両手で顔を覆いながら咽び泣いた。
「のう真尋や、マルコ殿に会いたくはないか?」
空幻の優しい声音で心の奥底に芽生えた期待に沿う言葉が投げかけられた真尋は大きく頷いた。
「ッ…そんな…の、決まってる。ふっ…う、会いたい。ひっく…、マルコ…さんに会いたい!」
半ば叫ぶように声を上げる真尋に空幻は穏やかに笑った。
「ひょっひょっひょっ! そうじゃろう、そうじゃろう。まァ、会いたくないと言われたとて、もう戻れんがのう!」
空幻のその言葉に真尋は涙で濡らした頬をそのままに瞬きを繰り返しきょとんとした。
「は?」
少し間の抜けた声を漏らすと空幻は髭を摩りながら然も当然じゃろうがと呆れにも似た眼差しを向けた。
「何も無く次元を越えられるわけが無かろうが」
「そ、そんなこと知らないもの、仕方が無いでしょう?」
「まァ要は『代償』じゃよ」
「代償?」
「そう、代償」
「……?」
「次元を超えるにはそれなりの代償がいるんじゃよ」
真尋は少し眉を顰めながら濡れた頬を袖口で軽く拭いつつ首を傾げた。
「…それで?」
「何、大したことは無い。真尋の世界における仙崎真尋という存在の消滅が代償じゃよ」
「え…、そ、それじゃあ…」
「答えはわかっておったから既にこの次元に転じた時点で真尋の存在はもう無いに等しく、戻った所で住んでいた家や道場は家主であった幻海が死んだ時点で時が止まっておるから朽ち果てておるじゃろうのう」
「えええええ!? ッ――ゲホッ! ゴホッ!」
「やれやれ…、真尋はとんと学習能力が無いのう」
驚嘆めいた声を上げて三度吐血した真尋に空幻は呆れながら笑った。
―― クッ…、やっぱり楽しんでるわね……。
手の甲で口元に着いた血を拭いながら涙目でキッと空幻を睨む付ける真尋に空幻は事も無げに鼻で笑う。
「ほんにマルコ殿が言っておった通りじゃのう」
「なっ!? 何そッ――ゲホッ! ゴホッ!! コホッ!!!」
「……四度目じゃな真尋。……いい加減に学習せんか……」
ほとほと呆れた溜息を吐く空幻に真尋はギリッと奥歯を噛み締めて悔し気な表情を浮かべながら明後日の方へ顔を背けた。
―― マルコさん! 空幻に何を言ったんですか!?
声に出さずにそう叫ぶものの思い返せば確かに学習能力が無い自分があちこちに在ったことを思い出す。
お互いにまだ秘めた想いに蓋をしていた時、何度もマルコに怒られた記憶が脳裏に過るとふとマルコの声が心内に響く。
(はァ…、真尋、何度も言うけどよい……)
―― 止めて。わかってるから、本当に…ゴメンナサイ…。
もう少し冷静でいられるように自分自身の感情を抑える特訓が必要だと真尋は思った。
「真尋よ、今からお前を異世界へ移す。じゃが、その前に一つだけ言っておくことがある」
「え?」
「異世界に行ったとて直ぐにマルコ殿に会えるというわけでは無い」
「へ?」
「どこに落ちるかわからんでなァ、どこに落ちるかは運任せになる。異世界に移った後は何とか自力でマルコ殿を尋ねておくれ」
「はい!? ッ――コフッ!!」
「それと、屍鬼の毒に侵されたその身体で霊力は使うでないぞ? 負担が大き過ぎて堪え切れんじゃろうからな。もし戦うことになったとしても武術だけで凌ぐことじゃ、良いな?」
五度目の吐血に流石に空幻は何も言わずに言葉を続けたが真尋は少し自分に腹を立てた。――と同時に、疑問が生じて一層に眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待って空幻。……あなたは自由に思ったところに行けるのでしょう?」
「わし自身が移動するのと他者を移動させるのとでは必要とする妖力が違うんじゃ! わしはマルコ殿と違って妖力にも限度っちゅうもんがある! 真尋を次元転送した上に治療も多少じゃが施したんじゃぞ? 役には立たなんだが……ッ、その上で更に異世界へ他者を転送させるに妖力は底を尽きかけておるにこれ以上無茶を言うでない!」
「ご、ごめんなさい」
「コホン、わかれば宜しい」
突然に怒号を放つ空幻に真尋は思わず身を仰け反らした。
―― こ、こんなに怒る空幻を初めて見たわ。な、何があったの?
「な、何だか…昇格されて人格が変わったみたい」
「……万能な人間を見ていると捻くれたくなるわい」
がくりと項垂れてボソリと嘆き始める空幻の言葉に真尋は得心がいったのか空幻から視線を逸らして何度か頷いた。
―― あァ、そういうこと……。マルコさんって天才肌の器用人だものね。凡人の目から見ると羨まし過ぎて拗ねたくなるわよね。
真尋は空幻に同情を示して乾いた声で笑った。
何だかんだと器用に熟してしまうマルコを思い出すとあれやこれやと色々あったなァと懐かしく思う。
しかし、料理をするのが初めてだと言っておきながら凄く美味しい食事を作った時を思い出すと、未だに軽く打ちのめされる気持ちになる。
因みに未だに真尋はテニスゲームに苦杯を飲まされた恨みを忘れていない。
「あと屍鬼の毒じゃが、無事にマルコ殿に会えさえすれば治せるじゃろうから、それまでは辛抱することじゃ」
「え…? あ…、は、はい」
真尋は戸惑い気味に返事をした。
―― マルコさんなら治せる? この毒を排除する力を得ているってことなの?
凡そ二年の間、自分自身を守り生きる為に修行は決して止める事無く続けて来た。
マルコと出会った二年前に比べると格段に強くなったと自信を持って言える。しかし、マルコは自分よりも遥かに強い力を身に付けたのだと真尋は察した。
「わしは真尋を転送した後、妖力の回復の為にまた暫く眠る。力を相当使うことになるから次はいつ起きるかわからんが……」
「……空幻……」
空幻の言葉に真尋は眉尻を下げて少し寂し気な目を向ける。すると空幻は片眉を上げると何やら意味ありげな笑みを浮かべ、真尋は目を丸くした。
―― な、何?
「赤子が産まれておったら抱かせておくれの?」
「なっ!?」
ぼんっ!!
爆発するような音を立てて蒸気を上げる程に顔を真っ赤にした真尋は口をパクパクした。
また身体が軋むように痛みを発するが、痛みを感じる余裕が無かった。
―― 空幻!!
思わず声を張り上げそうになったが流石に学習したのか真尋は口元を手で押さえて何とか堪えようとした。しかし小さく咳込み、口端から血が流れ、涙目になる。
目の前の妖怪ジジイにキッと睨めば、彼は満面の笑顔で杖先で地面をコンコンと叩いた。
「真尋、屍鬼と言えども簡単にはマルコ殿に手は出せんじゃろうから安心せい」
最後に空幻からそう聞かされると途端に視界がぐらりと歪んで身体が浮いた。そう思ったら今度は転じて急速に落下して行く感覚が真尋を襲う。
―― 嘘でしょ? そ、そんなに強くなったの?
自分の状況などまるで見えていないのか真尋は暢気にそんなことを思った。だが直ぐにハッと我を取り戻して自分の今の状態を鑑みた時――「あ、死んだ」と思った。
「ちょっ! うう嘘でしょー!!?」
もう吐血しても気にしない。
真尋は悲鳴を盛大に上げた。
―― こんな死に方の方が悲惨だし残酷よ!!
空を舞い落ちる身体はみるみる内に地上へと吸い込まれるように落下の一途を辿る。
雲と雲の間を擦り抜けて視界が開くと眼下に広がるのはどこまでも広大に広がる真っ青な海。
―― ひえええええええっ!!
大きな声を出すとまた血を吐くからか真尋は心内で盛大に叫んだ。
どうやらちょっとだけ平静を保つ自分がどこかにいるようだ。
―― もう! 勘弁してェェェ!!
いや、もう、声にならない程に洒落にならない状況へと追い込まれた…ようである。
会いたい
【〆栞】