05


あの日は朝から暗い雲がどんよりと空一面に広がり、シトシトと雨が降り続けていた。
いつものようにテーブルを挟んで祖母である幻海と朝食を摂る真尋に幻海は表情一つ変えずに言った。

「真尋、この後所用で家を空けるから気を付けな」
「あ、はい。わかりました」
「もし、今日中に私が戻って来なければ、私は死んだ者と判断しな」
「え……?」

―― 何を…言っているの?

幻海の言葉に眉を顰めた真尋に幻海は事も無げに言葉を続けた。

「質問は無しだよ。あたしゃ問答が嫌いだからね。良いかい? 戻って来なければ私は死んだんだ」

念を押すように強く言われた真尋は押し切られる形でコクリと頷くことしかできなかった。
そして、祖母幻海はもう二度と、真尋と暮らしたこの家に戻って来ることは無かった。





目が覚めると真尋はがばりと起きた。
何の夢を見たのか薄らとしか覚えていないがあまり良い夢では無かったのもあって目覚めが悪い。
ぼ〜っとして暫くそのままでいたが、窓から射し込む光に目を向けた後に時計へと視線を移すと目を丸くした。

「嘘…もうお昼?」

珍しく寝坊した。

毎日定期的な生活を送る真尋は滅多に寝坊をすること等無かった。
いつもは早朝の起きる時刻になれば自然と目が覚めていたというのに――。

―― こんなこと今まで無かったのに何故?

いつもと違うことがあるとすれば――夢。

「……ううん、違う。あれは過去にあった話だもの。記憶が夢になって出て来ただけ……」

真尋が十八歳の誕生日を迎える日、祖母はあの言葉を残して出て行った。そしてそれっきり帰って来ることは無かったのだ。
それから誕生日を迎える度に真尋はその時の記憶が思い起こされて嫌な気持ちになっていた。

だが転機が訪れたのも同じ日だった。

真尋が二十六歳の誕生日を迎える日、素敵な出会いがあったのだ。
今思えば何て皮肉な巡り合わせなのだろうと真尋は思う。
嫌で仕方が無かった自分の誕生日が、今ではウキウキして迎えるようになったのだから。

そして――。

明日は真尋が二十八歳となる誕生日である。
別に祝うということはしないが、この日は真尋にとって生涯忘れることの無い『特別な日』であり、とても大切にしていた。
使用する食器やその他諸々を”彼”が使っていたものを使って一日を過ごすのだ。
何とも単純。
けれどもそれだけで幸せを感じることができるのだから不思議なものだ。

お別れをしてから一年と十一ヶ月近く、凡そ二年となる。

「少しは大人になったかな?」

時々、道着以外の服も着るようになった。
蒼色のワンピースと紺色のワンピースは特別大事にしている。そして紺色のワンピースを着て姿鏡の前で自身の姿を見つめる真尋は小さく笑った。

―― 似合ってるかな?

(あァ似合ってるよい)

もうここにいないはずの彼の声が心内にはっきりと聞こえて嬉しくなる。

今日は修行を休んで買い物に出かけることにしていた。
特別な明日に備えて食材から色々と必要なものを購入する為だ。
買うものを書いたメモを鞄に入れたことを確認しつつ街へと向かう。

―― 相変わらず人の中に上手く紛れ込んでるわね。

お腹が空いた真尋はテラスのあるレストランで少し遅い昼食を摂りながら街を行き交う人達を眺めていた。

真尋は周りの人々と大差ない程の平凡な人間であるかのように、一年掛けて極力霊気を底辺にまで抑える術を身に付けた。そのおかげで今ではこうして暢気に普通の一般人として街を歩けるようになった。

以前なら必ず人に化けた妖怪に後をつけられ襲われることが常だったり、事故に見せかけて襲われることが多かった。
その度に巻き込まれる一般人がいることもあり、それが申し訳無くて、真尋は極力街に出ない生活を送っていたのだ。
だがそれではダメだと一念発起して修行を頑張ったのだ。

(やればできるじゃねェかよい)

全てはこの声の主である彼――マルコとの出会いが真尋を変えたのだ。

(たまにはこういう一日も良いねい)
「ふふ」

ジュースを飲んでいるとマルコの声が聞こえた。そしてあの大きくて骨ばった手で自分の頭をぽんっと一撫でしてくれた気がした真尋はつい声に出して笑ったのだった。

買い物が終わり家路に着いた時はもう日が落ちて夜を迎える時間だった。

お風呂を沸かして湯船に浸かりゆっくりと身体を休める。
真尋にとって人混みの中は相変わらず慣れることは無く、修行よりも疲れが溜まるのだ。
お風呂から出ると髪を乾かして歯を磨き、後は寝るだけだと布団を敷き、その上にごろりと身体を横たえて天井を見上げた。

その時――。

「!」

面倒なことに少し強い妖気が周辺に現れたことに真尋は気付いた。

「はァ、どうしてこのタイミングなの?」

お風呂にも入って汗を流し、就寝の身支度も整ってゆっくり眠れると思った矢先のことだ。だからと言って妖怪が「あ、はい、そうですか、それは失礼しました」等と言って帰ってくれる奇特な妖怪なんているわけも無く、もし仮にいるとしたら空幻坊ぐらいしか思い浮かばない。
しかし、空幻坊はマルコを元の世界へと送った後に再び眠りに入って以降、全く音沙汰が無いのだ。

真尋は嫌々ながらも起き上がると急いで道着に着替えて外に出た。すると辺りの空気が冷え冷えしていて身体がぶるりと震えた。
ふと窓から室内を覗くと時計があり、針は零時を指していて日付が変わったことがわかった。

―― あ…、私の誕生日。

真尋がそう思った瞬間、小さかった妖気が突然巨大な妖気と変化して真尋を襲った。

「!」

妖気を纏う者の攻撃を躱して反撃しようとした真尋だったが、真尋は自分の目を疑うと同時に背筋が凍って動けなくなった。

「ど…うして…?」
「マヒロ、強くなったじゃないか」
「どうして!!」
「マヒロ、あたしの代わりに死んでおくれよ」

どんっ!

「はっ…あ…」

ぽたっ…ぽたっ…

腹部を貫かれ、血が地面へと滴り落ちる。
膝がガクンと折れてどさっと地面に突っ伏す様に倒れた真尋は腹部を貫かれた痛みで視界が霞んだ。

「コホッ! コホッ!」

咳込めば血がどんどんせり上がって口からそれを吐き、全身から徐々に力が抜けていくのがわかる。
自分の腹部を貫いたその人物は何を言うでもなく平然とその場に立っていた。そしてその人物の手には真尋の腹部の内臓を抉ったのだろうか肉塊がそこにあった。

「…ちょう…う…ない…しろ」

―― 何を…言ってる…の?

「お前じゃ…い……が…るのは…不…」

もう真尋は何も聞き取れなかった。
視界が完全にブラックアウトして身体も動かない。

―― 私…死んじゃうの…?

生きると決めたのに、こんなに呆気なく死を迎えることになるとは思っていなかった。
何の為に毎日修行をしていたのか、何の為に――。

悔しくて
泣きたくなって

でも

涙は流れなくて――。

真尋は短く荒く呼吸を繰り返す自分の吐息すら、もうわからなくなっていた。そしてフッと身体が軽くなる感覚が全身を襲ったのを最後に意識を手放したのだった。

急 襲

〆栞
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