04


ある程度まで力の分別をコントロールできるようになったマルコだったが、ここからより効果的に能力を使い分けるには更なる修行が必要だった。

「まァ、基礎工事は何とかなったかのう」
「?」

とある島に寄港した際、人の気の無い場所で修行に励むマルコを見つめていた空幻は顎髭を擦りながらポツリと言った。
マルコは片眉を上げて軽く首を傾げていると空幻は「ふむ」と一つ頷くと腰を下ろして岩肌に立ち上がって杖をコンコンと鳴らした。

「覇気と悪魔の実の能力における力は別に問題無かろう」
「あァ、まァその二つはねい」
「問題は霊力じゃが、より効果的に力を発揮するには知識もいるじゃろうし、何よりそれに”特化した師匠が必要”じゃろう」
「よい? 空幻が教えてくれるんじゃ無ェのかよい?」
「わしは妖怪じゃからなァ、妖力と似通うもんでも少々異なるのでな。それにマルコ殿の霊力はこの先においてとても必要な力になってくるじゃろうから、ちゃんとした師に付いて鍛えて貰った方が良いと思ぅてなァ」

空幻はニヤリと笑ってそう言うが、マルコは両腕を組んで難しい表情を浮かべた。

「ちゃんとした師って…、この世界に存在するのかよい?」
「何もこの世界が全てでは無かろうて」
「よい?」
「わしを誰じゃと思っておる? お前さんをマヒロの世界から還したのはわしじゃぞ?」
「……待て、それってつまりは」
「霊光波動拳の霊子を浴びて霊気を養ったマルコ殿にとってこれ以上ない師匠の元へ連れっていってやろう」
「ま、待てよい空幻! 今からかよい!?」
「何、心配は不要じゃ。時間を操作すれば問題無かろうて」
「は!?」
「修行を要する間はマルコ殿の部屋と空間を繋げておけば問題はそう無かろう。修行の間、書類関係の仕事はマルコ殿に代わってわしがしておいてやるから安心じゃろ?」
「……サッチの飯が食いたいだけじゃねェだろうな?」
「……核心を突くのを止めてくれんかの……」
「……」

空幻はサッチが作る料理に惚れ込んだのか、当たり前のように白ひげ海賊団の船に居座るようになっていた。
三度の食事が何よりも楽しみだと公言した時はマルコはほとほと呆れた程だ。

―― 妖怪の癖に……。

何てことを口にしようものなら、この好々爺はきっとうっとおしいぐらいに恨みつらみを零して泣いていじけて拗ねるだろうから、マルコは口が裂けても絶対に言わなかった。

「まァ…、こっちは師事を仰いでる方だからねい。白ひげ海賊団におけるおれの立場もわかって貰ってるみてェだし、空幻に任せるよい」

首筋に手を当ててマルコがそう言うと空幻は少し嬉しそうに笑ってコクリと頷いた。

「では早速、行先は――マヒロの世界じゃ――」
「!」
「それも遥か過去」
「な、何だって!?」
「これから師匠として紹介する相手じゃが、中々に”気難しい婆さん”じゃから覚悟しておくように」
「ッ! 空幻、まさか――」

『時逆始点間』

驚くマルコを他所に空幻は右手に持つ杖でコンコンと岩を叩き、左手で印を組んで妖気を高めて力を放った。するとマルコと空幻のいる空間がぐにゃりと曲がり、たちまち亜空間へと移動する。そして瞬く間に景色が変わってマルコは目を見張った。

―― ッ……。

思わずドクンと心臓が高鳴るのは仕方が無いことだ。
もう二度と見ることの無い、もう二度と足を踏み入れることの無い、この景色を、この場所を、再び訪れることが出来たのだから――。

「空幻…、ここは」
「おやおや、誰かと思えばお前かい空幻」
「ひょっひょっひょっ! 久しいのう、元気にしとるかえ?」

道場の扉をガラリと開けられる音にマルコが振り向くと、そこに現れたのはマヒロでは無く、マヒロと同じように道着に身を包んだ老婆が居た。
空幻とは顔見知りのようだが、老婆は何事もないかのように表情一つ変えずにマルコに視線を向けた。

「見ない顔だねェ」
「ッ……」
「わしの見込んだ弟子じゃよ」

空幻は杖で自らの肩をトントンと叩きながらそう言うと老婆は少しだけ目を丸くした。

「で、これからはお前さんの弟子じゃ」
「自分が面倒を見切れなくなったからと言って人に弟子を押し付けるなんて呆れたねェ。一度弟子としたのなら最後まで師匠として役割を果たしたらどうだい空幻」
「いつか話したじゃろう? 『必要な役割を携えた者を必ず連れて来る』とな?」
「……」

空幻がニヤリと笑ってそう言うと老婆は沈黙した。
空幻と老婆の関係性や空幻が意図する言葉の意味が理解できずにいるマルコは眉間に皺を寄せ、ただただ見守るしかなかった。

―― この婆さん…、ひょっとして……。

年老いた姿だが背格好がマヒロとよく似ていると思った。
もし本当にそうであるなら、自分がいる今、この時、この場所は――マヒロの世界の過去――。

「……幻海……?」
「! ……成程、そういうことかい」
「いやァ二人して理解力が高くて助かるわい」

余計な説明を省けるとばかりに空幻はカンラカンラと笑った。

「名を聞こうかね」
「おれは…マルコだよい」
「ここで立ち話も何だから着いて来な」
「あ、あァ」

顎で行く先を示すようにクイッと首を動かした老婆にマルコはコクリと頷いた。

「部屋に通じる空間はここ、松の木の前に空けておくからのう」
「空幻は――」
「書類仕事せねばならんしの?」
「あ…、あァ…いや、その前に」
「大凡の説明はこっちでしてやるよ。さっさとしな”バカ弟子”」
「ッ…!」

戸惑うマルコに老婆がそう声を掛けるとマルコは言葉を飲み込んで老婆を一瞥した。
眉間に皺を寄せて顔を顰めるマルコの様子に空幻は楽し気に目を細めて笑った。

―― 面白い師弟関係になりそうじゃな。

食えぬ婆さんに嫌味な程に天才肌な鬼隊長(←空幻視点)に空幻は手を振ってマルコの世界へと戻って行った。
空幻が去った空間がスッと消えるとマルコは大きく溜息を吐いて老婆の方へと振り向いた。

「……世話になるよい、幻海さん」
「”さん”付けは寒気がするから止めてくれると有難いねェ」
「じゃあどう呼べば良いんだい?」
「弟子を取った記憶が無いからねェ、適当で構やしないよ」
「ッ…なら」
「”さん”付けはあたしゃ気持ちが悪いから受け付けないよ」
「……」

両手を腰の後ろに回して組んで歩く幻海にマルコはギリッと歯を食い縛って睨み付けた。

―― 良い性格してやがる…。これが本当にマヒロの祖母さんかよい?

祖母に対してあまり良い気がしていなかったマヒロの気持ちをマルコは痛い程よくわかった瞬間だった。

見慣れた客間に通されたマルコは座布団の上に腰を下ろした。その間に幻海が二人分の湯飲みにお茶を淹れた。

「日本茶はイケる口かい?」
「あァ、大丈夫だよい」

差し出された湯飲みを手に取って懐かしそうに目を細めて見つめるマルコに、お茶を飲みながらじっと見つめる幻海は一つ息を吐いて「さて、何から話そうかねェ」とポツリと零した。

「一つ良いかい?」

お茶を一口飲んだマルコが先に話を切り出すと幻海は少し目を丸くした。

「あんたがここに居るってェことは」
「あァ、聞きたいことは孫のことかい」
「……あァ」
「身籠ったとは聞いてるよ」
「身籠っ…た…?」

ズズ…とお茶を飲む限界にマルコは瞠目した。

「まだ、…産まれてもいねェ…ってことかい?」
「そうなるねェ」
「……じゃあ、孫の名は」
「あァ、産まれてもいない”真尋のこと”は今はまだ話すことは無いさね。それより問題はあんたの方だよマルコ」
「!」
「これから多くの事を遠慮無く叩き込んでやるから覚悟しな」
「ッ…、何故だい?」
「ん?」
「何故…、空幻に連れて来られたってェだけで、おれのことは何も知っちゃいねェってのに」
「はァ…」
「ッ……」

マルコの言葉を断ち切るように幻海は溜息を吐いた。
マルコは話を止めると幻海は視線を明後日の方に向けて一言。

「あのクソ爺は何の説明も無しに連れて来やがったってことだね?」
「……ょぃ……」

幻海の呆れた言葉にとてつもない棘があるのを感じたマルコは何故か身を縮こまらせて小さく頷いた。

―― ……何故だかわかんねェが、この婆さん……とんでもねェ性格してんじゃ……。

「マルコ」
「よ、よい!」
「飯は作れるかい?」
「は?」
「道場の掃除を終えて小腹が空いたところなんだけどねェ」
「……それはおれに何か作れってェことかい?」
「気の利かない弟子は破門だね」
「ッ、わ、わかったよい!」

お茶を飲み終えた限界がポツリと言った言葉は嫌に冷淡なもので、マルコは苦虫を噛み潰した表情を浮かべて立ち上がった。

「台所は」
「あァ、”未来と然程変わってねェ”なら大体知ってるよい!」
「そうかい、助かるねェ」
「ったく、いきなり何の修行だよい」
「あァ、言っておくけどあたしゃ甘いのは嫌いだよ」
「ッ、……了解」

七味唐辛子をたっぷり仕込んだ超絶辛い食い物を作って出してやる――と、マルコは冷蔵庫から適当に食材を出して何の料理かわからない超絶適当な食べものを作って幻海に出した。

「……へェ、意外に美味いもんだねェ」
「は…、嘘だろい?」
「あたしゃ辛いのは平気な口でねェ、悪態吐いて作られた料理でも腕が良いのか絶品さね」
「ッ……」

幻海に心を見透かされたマルコはぐぅの音も出せず、ガクリと項垂れるのだった。

「空幻……」
「ひょ? お帰りじゃな。瀕死な顔をしとるが…大丈夫かの?」
「あのババア……、おれを何だと思ってやが…んだ…よい」

空間を超えて部屋に戻って来たマルコはボロボロのままベッドに倒れ、気を失うように突っ伏したまま眠りに落ちた。
空幻は軽く首を傾げながら書類を一区切りをして空間を跨ぎ、幻海の元へと向かった。

「空幻かい?」
「ぬう、こっそり現れても直ぐに気付かれるでは面白みが無いのう」
「腐れジジイの考えそうなことさね。あたしゃそう簡単に驚いたりしないよ」
「……腐れジジイとな…酷いのう。…して、マルコ殿のことなんじゃが」

空幻が具合を聞こうと尋ねると幻海は片眉を上げてクツリと笑みを零し、空幻は「おや?」と目を丸くした。

「想像以上の”器”に驚いたよ。それに、叩けば叩く程により多くを吸収してくれるから教え甲斐も悪く無いよ」
「ひょ…、何だか楽しそうじゃのう?」
「ああ言うのを『天才肌』ってェのかねェ?」
「……ひょ、幻海殿も同じことを思うとは思いもせなんだ」

空幻が呆れたようにそう言うと幻海は湯飲みにお茶を淹れ始めた。

「任せるには十分かのう?」
「任せるしか無いさね。まだ見ぬ孫の真尋が見初めた男を信じる、それだけだね」
「何じゃ? ひょっとして惚れおったかの?」
「ふっ…、どうだか。まァ、若けりゃ惚れても良い男かもしれないねェ」
「意外じゃ。わしゃ冗談で聞いたんじゃが……」
「おや? 冗談で応えただけさね」
「……」

然も平然と答える幻海に空幻は顎髭を擦りながら明後日の方角に顔を向けて目を瞑った。

―― 冗談には聞こえんかったがのう。

「さて、明日も早いから寝るとするよ」
「う、うむ」

幻海はお茶を飲み終えると湯飲みを片付けて寝室へと向かった。
居間に一人残された空幻はふぅっと息を吐くとブツブツと言葉を発して空間へと消えた。
布団に入って天井を見つめる幻海は初めて会ったマルコを思い出して物思いに耽た。

「海賊と言う割には生真面目な性分をした男だねェ。精神的な所を鍛えるのに手を焼きそうさね」

幻海は大きく溜息を吐くとゆっくり目を瞑って眠りに入るのだった。
そして――。
翌朝、まだ太陽が顔を出していない約束の時間帯にマルコが道場に来ていたことに目を丸くした幻海は第一声にこう言った。

「じゃあロッククライミングかね」
「いや、わかんねェ…ょぃ…」

山を一つ越えた先にある岩肌が剥き出しになった切りだった崖がある。そこの麓へ来ると「山を登れ」と指示を出されたマルコは腑に落ちない表情を浮かべつつ、とりあえず登ってみた。

「ほら、さっさと登らないと襲われるよ」
「よい!?」

ズガンッ!!

霊気を纏う拳を繰り出して襲い掛かる幻海にマルコは驚いて慌てて身を躱すも足を外して落下し、慌てて出っ張った岩にガシッと掴んで大きく息を吐いた。

「甘いよ」
「!」

ズシンと重い一発がマルコの腹部に容赦無く襲い、マルコは堪らず「くはっ!」と声を漏らして血を吐いた。
早朝から何とも過酷で容赦の無い修行にマルコは気が遠くなった。
何とか崖を登り切った先でぜェぜェはァはァと息を切らして大の字に寝転がるマルコは痛む身体に顔を歪ませる。

「…はっ…、き…キツイ」
「たかが早朝のウォーミングアップでへばってどうすんだい?」

―― は!?

呆れたような表情を浮かべて覗き込む幻海にマルコは目を丸くした。

「休んでる暇は無いよ。道場に戻ったら早速修行を始めるさね」
「チッ、どんだけ痛めつけられたと思って――」
「口答えする余裕があるのなら踏ん張りな」
「ッ……」
「あんたが強くならなけりゃ”誰が真尋を守る”んだい?」
「!」

幻海の言葉に思わず固まるマルコを他所に幻海はさっさと来た道を戻って行く。
散々痛めつけられた身体にズキンと痛みが走って顔を歪めるマルコは、ギリッと歯を食い縛って何とかその場を立ち上がった。

「は…、マヒロの祖母さんはとんでもねェなァ」

フラリとしてドサリとその場に尻餅を着くとマルコは苦笑を零した。

「……誰がマヒロを守るのか…か。おれが修行を熟して強くなればマヒロに関する『何か』を教えてくれるのかねい……」

『産まれてもいない真尋のことは今はまだ話すことは無いさね』

前日に幻海が話した言葉が脳裏に浮かぶ。
マヒロに関して知らなければならないことがあるのだろう。
だが今はまだその時では無いのだ。

今はただ厳しい修行に耐え、必死に喰らい付いて身に付けなければならない力と、得なければならない知識を蓄える時なのだ。

大きく息を吐くと「よし」と気合を入れてマルコは痛む身体に鞭を打って立ち上がり、幻海が去った後を追うようにして朝来た道を戻るのだった。

「遅かったじゃないか」
「悪ィ、これでも頑張って走ったんだよい。”幻海師範”の拳が重くて結構こたえてんだ」
「あの程度で辛がってたんじゃ先が思いやられるねェ?」
「精進するよい」

幻海が片眉を上げるとマルコは口角を上げた笑みを浮かべた。

「じゃあ始めるよ」
「よい」

こうしてマルコは幻海に師事を仰ぐことになり、地獄の修行を重ねる日々を送ることとなった。

幻海師範

〆栞
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