19


意識が戻った時、マルコの腕の中にいたことに気付いたマヒロは再生の力で回復を施してくれたのだとばかり思った。だがマルコの表情を見た時、いつものマルコではないことに気付いた。
鋭い眼光は優しさが無く、狂気染みた殺気を帯びたものであり、全身から発されるのは聞いていた『覇気』というものだろうか、それがとてつもない圧を持っていて畏怖さえ抱く程だった。

―― ッ、だ、ダメ…。このまま戦わせたら、マルコさんがマルコさんでなくなってしまう!

何故かそんな気がしたマヒロは焦りと恐怖が心を支配して慌ててマルコを止めた。そしてマルコの視線の先を見やれば肌の色や背中に生えた翼等で姿が丸っ切り変わってしまっているが、自身が倒れた時に側にいた男であることは間違いは無く、マヒロは状況を把握しようと懸命だった。

「マヒロ、離せよい」

酷く冷めた声にマヒロは愈々戦慄を覚えて必死になってマルコを止めようと涙が零れた。マヒロが流す涙を見たマルコは目を見開くと徐々に落ち着きを取り戻していくかのように表情が和らいで穏やかになっていった。

―― マルコさんの目から狂気的な殺気の色が消えて……、良かった。

マルコの腰に回して止めたマヒロの手にそっとマルコの手が重ねられるとマヒロは少しだけホッと安堵した。

―― 大きくて無骨な手。でも、とても温かくて優しい手。いつもの…、マルコさんだ……。

常に穏やかで飄々として優しいマルコをここまで変貌させたあの男を心底から許せない――と、マヒロの中で何かがプツリと切れるのを感じた。

「マルコさん」
「ん?」
「あいつ、私がやります。やらせてください」
「……マヒロ?」
「許せません」

むきっ!

こんなに誰かのために怒れるものなのかとマヒロは初めて思った。
怒りに満ちるマヒロの顔を見たマルコは目を見張って呆けていた。

「……ハッ!? い、いや! まっ――」
「マルコさんはお茶でも飲んで休んでいてください。ね?」
「ッ! …よ、…よい」

渾身の笑顔を見せてマヒロがそう伝えるとマルコの頬が引き攣り言葉を飲み込ませて黙らせた。
それだけマヒロにとってマルコはもう無くてはならない大切な存在となっていたのだ。

マルコは海賊だ。だから狂気染みた殺気を持っていても何らおかしくは無いのかもしれない。本来のマルコはそうなのかもしれない。それでもマヒロが知るマルコはそんな片鱗を欠片も見せなかった。常に温和で優しく、大人の余裕があって怒ることはまず無かった。
しかし、あれ程に非情な表情をさせるまでにマルコを追い詰めたあの男がマヒロはどうしても許せなかった。

マヒロがマルコの前に立つと身構えて戦う意思を見せる。すると男――鬼雷鳥は片眉を上げた笑みを浮かべて鼻で笑った。

「クク……。血色が良くなっているな。回復したのか。奇怪虫に汚染された身体を簡単に直すとは、益々その男の力が欲しくなった。真尋、お前は最早おれの眼中に無い」
「……そう。……ふざけんな!!」
「ょぃ」

鬼雷鳥の言葉がマヒロの琴線に触れて思わず叫ぶと何故か後ろにいたマルコが驚き慄いて声を漏らし、マヒロはゆっくりと後ろを振り向いた。するとマルコは両手で自身の口元を押さえて視線を明後日の方向に向けて目を合わせなかった。

―― ねェ、あなたの為を思って怒ってるのに何でマルコさんが引くの?

何故か納得がいかないマヒロはこの思いもついでに鬼雷鳥にぶつけることを決意する――が、とりあえず仕切り直しとばかりに大きく息を吐いたマヒロは改めて身構えると両手に青い霊気を纏わせた。
怒ってはいるのだろうが表情は落ち着いたもので、マヒロの漆黒の目は真っ直ぐ鬼雷鳥を見据えている。

「真尋、邪魔をするな。おれはその男が欲しいのだ」
「ならば、私を殺してからにしなさい」
「……」

鬼雷鳥は笑みを浮かべつつも少々うっとうし気に吐き捨てたがマヒロは頑として動かない。そして後方でマルコはただただ眉間に皺を刻んで顔を顰めている。

―― いや、この台詞回しは良くねェ。色々と誤解が生じるだろうがよい。

マルコは且つて相対した怪童児と交わした言葉を否が応にも思い出した。

「真尋、真尋を、真尋を寄こせェェェ!!」
「おれを殺してからにしろい」
「あ”あ”あ”あ”っ! 邪魔するなァ”ァ”ァ”!!」

何故か立場が変わっている。何故か自分が狙われて守られる側になっている。こうしてマヒロと立場が代わって初めて理解できる。妖怪に欲される立場の辛さというか気持ち悪さが半端無くて、反吐が出る程に苦い経験を味わうものなのだと。

―― おれにはちと辛ェもんがあるよい。

どうせ狙われるのならせめて女が良いよい――なんて思考に走るのは正常男子たる者、仕方が無いことなのかもしれない。
少しだけマルコが現実逃避をしている間にマヒロと鬼雷鳥は戦闘態勢へと入った。
鬼雷鳥は手に再び稲妻を落とすと変異させて弓状の形を模った。だがマヒロは間髪入れずに鬼雷鳥の麓に飛び込み攻撃を仕掛ける。

「速い!?」
「!! マヒロ…お前ェ……」

マヒロの動きに鬼雷鳥だけではなくマルコでさえも驚いた。以前に道場で組み手をした時から格段にスピードが上がっているのだ。
マヒロの霊力がどれ程のものかはマルコにはわからない。だがマヒロの纏う霊気の色は力強く、何よりエネルギーの勢いが違って感じられた。

両手に霊気を纏う拳を鬼雷鳥の腹部を目掛けてマヒロが渾身の攻撃を放つ。

「霊光雨弾撃!!」

ズガガガガガガッ!!!!

「がはっ!!」

鬼雷鳥の腹部に連撃が集中的に放たれ、鬼雷鳥は口から血を吐きながら数十メートル後方へと勢い良く吹き飛ばされた。

「舐めないで。私だって必死に修行したんだから!」
「ッ…、マヒロ……」

修行の成果がこれ程までとは思っていなかったマルコは唖然としていた。
よくこの短期間でここまで力を上げたものだと感心さえした。

「マルコさん」
「な、何だい?」

マヒロが唐突に背後にいるマルコに声を掛け、マルコは思わずビクンと身体が反応してマヒロに視線を向けるとゆっくりとマヒロが振り返った。

「……」
「わ、わかった。わかったからそう睨むなよい。マヒロが強くなったことは認めるからよい」

凄んだ目で睨まれたマルコは視線を思わず外しつつマヒロの力を認めたことを伝えると先程の荒んだ目は嘘のように消えてマヒロはニコッと満面の笑顔で嬉しそうに笑った。その顔を見たマルコは思わず額に手を当てて溜息を零した。

―― 修行の成果が出て何より…。っつぅか、守ってやるどころかおれが守られてんじゃねぇかよい。

これはうかうかしていると自分の立場が無くなってしまう気がしたマルコは、明日からマヒロに何と言われても自分も修行しようと心内で決意したのだった。

ドオオオン!!

「!」
「!」

鬼雷鳥が吹き飛んだ先で大きな音がした。マルコとマヒロは同時にその方角に顔を向けると周囲に雷を迸らせながら赤黒いオーラを全身に纏い、怒りの形相を浮かべた鬼雷鳥がこちらを睨み付けて宙に浮いていた。

「流石に効いた。怪童児の時から飛躍的に強くなったようだな真尋。お前も、そしてそこの男も、共におれの血肉としてくれる。おれがより強く、より気高くある為の糧となれ!!」

両手を組んで天高く掲げるとそこに稲光が迸り天空から雷が落ち、エネルギーの塊を作り出した。そして更に鬼雷鳥が纏う赤黒いオーラがその両手を包み込み、そのエネルギーの塊はより一層強大なものへと姿を変えた。

「な、何て強い妖気ッ…!!」

鬼雷鳥が作り出すそれにマヒロは思わず怯んだ。

「死ねェ真尋!!」

攻撃態勢に入ると一瞬にして姿を消した鬼雷鳥はマヒロの上空に姿を現し、そのエネルギー玉をマヒロにぶつけようとした。

「なっ!?」

反応が遅れたマヒロは完全に避け切れないと悟ったのか咄嗟に両腕を交差して防御姿勢を取った。

「マヒロ!!」

鬼雷鳥の動きが見えていたマルコは鬼雷鳥とマヒロの間に入り込んで自ら壁となろうとした。だが、鬼雷鳥の攻撃を受ける瞬間、鬼雷鳥が笑みを零したのが見えたマルコは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

―― チッ! 狙い通りってわけかよい!

鬼雷鳥の狙いはマヒロでは無くマルコだったのだ。それに気付いても時既に遅しといったところで真面に攻撃を喰らうは必死。だがマルコもただではやられまいと反撃を試みた。
鬼雷鳥のエネルギー玉が腹部に直接的にぶつけられる瞬間、武装色の覇気を纏った足を鬼雷鳥の左側頭部に目掛けて放ち、相打ちとなってお互いの身体が共に吹き飛ばされる格好となった。

「マルコさん!!」

上空でぶつかりあう衝撃に咄嗟に顔を庇うようにして身を屈めたマヒロはハッとして急いでマルコの元へと飛んだ。

「かはっ! くっ…やべェ…な……」

かなりの距離を飛ばされたマルコは先にあった岩壁に激突して地に伏した。
視界がぼやけ、腹部を中心に全身に痛みが走る。
青い炎が身体を包み再生を始めてはいるが、度重なるダメージで身体に悲鳴が上がり血を吐いた。

「や、やだ! マルコさん!!」

駆け付けたマヒロは泣きそうな表情を浮かべながらマルコの身体を抱き起こした。

「ッ…、マヒロ…、怪我は…して…ねェな?」
「私のことなんかどうだって良い! どうして? どうして!!」
「…はっ、守るって…言ったろい? ッ…、泣くな…、泣くなマヒロ……コホッ! ゴホッ!」
「!」
「カハッ! コホッ!!」

マヒロを気遣いつつ、マヒロの腕の中でマルコは何度も咳をした。咳をする度に口から血が吐き出される。

―― な…んだ?

「くっ! ッ、はァはァ…」
「ま、マルコ…さん?」

―― 何かが…おかしい……。

青い再生の炎が負傷した部分を修復に掛かっているはずだが一向に咳が止まらず血を吐き続ける。
両腕共に力が入らずに口元を抑えることが叶わず、愈々全身が気怠く重くなっていく。

―― あいつ…、何をしやがった……?

「マルコさん…、マルコさん! ねェ、しっかりして!」

苦痛の表情を浮かべて地面に血を吐くマルコにマヒロは愈々顔を青褪めてマルコの名を何度も呼んだ。

「言い忘れていたことがある。奇怪虫はおれが妖気で生み出したものだ」
「!」

鬼雷鳥の声が聞こえてハッとしたマヒロが振り向くと、ゆらりと鬼雷鳥が姿を現した。
マルコの反撃は相当効いているのか側頭部に手を当てながら足取りが少しふら付いている。

「くっ…、さっきのあれは、コホッ! き、奇怪虫の…塊ってェことか」
「なっ!?」

苦しみながらマルコがそう言うとマヒロは一驚して息を飲んだ。マルコの言葉に鬼雷鳥の口元が歪んで笑みを湛えたことでそれが確かであることが証明される。

―― そんな! じゃ、じゃあマルコさんの身体は……!

「通常なら既に腐敗が始まり直ぐに死ぬのだが、再生が常に行われるお前は死にはしないか。だが、蝕まれ続ける身体を再生がどこまで追い付くか……。クククッ! 完全に弱り切ったところで意識を失う前に是非お前を喰らってやろう」

勝ち誇るように楽し気に言う鬼雷鳥にマルコはギリッと奥歯を噛み締めて睨み付ける。

「ハッ、悪趣味…野郎が……ゴホッ! ゲホッ!!」
「マルコさん!!」

酷く咳込むマルコの背中を擦りながらマヒロはマルコの吐血の量が尋常で無いのを見て身の縮む思いを抱いた。青い炎は未だに身体のそこかしこから発して懸命に再生が行われているのはわかる。だが――。

―― 何とかしなきゃ…、このままじゃ!

ぼうっ……!

「ゴホッ! ッ…マヒロ……!」
「喋っちゃダメ!」

鬼雷鳥にいつ攻撃されてもおかしくない状況下でマヒロは敢えてマルコの回復に集中することを選択した。
ボロボロと涙を零しながら真面に攻撃を受けた腹部に霊気を纏う両手を翳して奇怪虫の排除を行う。

だが――。

「は! そう易々と回復させてやれる程、おれは大人しくはせんぞ!」
「マヒロ!」

鬼雷鳥がマルコの回復を簡単に許すわけも無く、回復に専念するマヒロに向けて容赦の無い攻撃を仕掛けて来た。

どんっ!

「ッ、マルコさん!」

ジリジリと軋むような痛みが身体の内部から感じ始めているにも関わらず、マルコは懸命に力を振り絞ってマヒロを突き飛ばし、鬼雷鳥の攻撃は寸でで回避され、そのまま地面にめり込んで辺りに地割れが起きた。
鬼雷鳥は呼吸を荒く乱すマルコに視線を落とすとゆっくりとした動作でマルコの胸倉を掴み上げた。

「くっ!」
「はは! 良い顔だ!!」

鬼雷鳥の赤い瞳と至近距離でかち合うと、鬼雷鳥はニヤリと笑みを浮かべて舌舐め擦りをしながら高らかに笑った。
止まらない咳と、吐き出ることを止めない血で、呼吸が苦しい。
力の入り切らない手を懸命に動かし、自身の胸倉を掴む鬼雷鳥の腕を掴むがどうにもできず、マルコはただ睨むことしかできなかった。

「お前はおれと対照的な瞳の色をしているな。くくくっ!」
「ッ…、てめェの…面なんざッ…はァはァ…近くで…見たくもねェ……」

ギリッと食い縛りながらマルコがそう言うと鬼雷鳥は目を細めた。

「ふっ、弱ったお前が何を言おうがおれには――」
「ククッ…、そうでも…ねェよい」
「何?」

苦しみながらも僅かに笑うマルコに負け惜しみかと鬼雷鳥は思った。だが直ぐにハッとして振り向こうとした。

「!?」
「てめェが、おれにっ、見惚れてる暇なんざ…っ、ねェんだよい!」

マルコがそう言い切ると同時に鬼雷鳥の視界を青いエネルギーが埋めた。

ドオオオンッ!!!

青いエネルギー派は鬼雷鳥の顔面に直撃した。それはマヒロが放った霊丸だ。鬼雷鳥の意識が完全にマルコに向いていた隙に、マヒロは霊気を溜めて鬼雷鳥を狙っていたのだ。後方にその姿を捉えたマルコは鬼雷鳥の意識を自分に向けさせる為にわざと悪態吐き、鬼雷鳥は反応が遅れて逃げることができなかった。
攻撃を受けると同時に鬼雷鳥の手はマルコから離れ、鬼雷鳥は青いエネルギーに吹き飛ばされていった。そしてマルコはそのまま膝から崩れて倒れ掛けたがマヒロが駆け寄ってマルコの身体を支え、ゆっくりと地面へと下ろした。

「大丈夫だから! 私が治します!」
「ッ…マヒロ、まだっ、ゲホッ! くっ…、終わって…ねェ……」
「いいえ! マルコさんの治療が先です!!」
「コホッ! おれのっ、治療はっ、あ、後にしろ」
「でも!」
「不死鳥のっ、ゴホッ! はァはァ…、さ、再生の炎が止まらねぇ限り…は、コホッ! な、何とか持つからよい!」
「ッ…! ……マルコ…さ…ん」
「お前ェが倒して来い……マヒロ……」

力無い手でマヒロの頭を撫でて笑みを浮かべたマルコにマヒロは眉をハの字にして涙を零した。だが直ぐに袖口で涙が浮かぶ目元や涙で濡らした頬を拭い、コクリと頷いて立ち上がった。そして吹き飛んだ鬼雷鳥の方へと走って行った。

「ごほっ! げほっ!」

走り去った後、震える手を動かして眼前に掲げて見ると黒い斑点が手首に出始めているのに気付いた。
恐らく奇怪虫に汚染されて生じているのだろう。
全身に痛みが伴う。
恐らくそれは徐々に広がっていっているのだろう。
しかし再生の炎は止まることなく懸命にマルコを生かそうとするように激しく燃えて揺らめいていた。

自分の身体しか再生できない不死鳥の能力。

誰の怪我を治すわけでもない。
自分が望んだ能力とは掛け離れて役立たずな能力を心底嫌っていた。
なのに、まるで意思を持って自分を生かそうとしているかのように見えた。

死んじゃダメだ。
死なせない。
生きて――。
あなたの命は必ず守る。

「……都合が良すぎる解釈だ。……嫌ってんだよいおれは……お前を…よい」

意識が朦朧とし始め、全身から力が抜けて行く。

―― 死ぬ時ってェのはこうもあっけないもんなんだない……。

自分には縁遠いものだと思っていた感覚に、マルコはどこか拍子抜けする思いを抱きながら意識を手放した。





焦る気持ちを懸命に抑えて冷静になれと己に言い聞かせながらマヒロは走った。

―― 急がないと!

顔色が悪かった。
黒い斑点が所々現れていた。
時間が無い。

―― 早くしないとマルコさんは……。

泣き叫びたい声をぐっと押し込めて鬼雷鳥の元に辿り着くと、鬼雷鳥は片手で顔を覆いながら指の隙間からギロリと赤い瞳をマヒロに向けて睨んだ。

「つくづく気に喰わん女だ」
「最初こそその女を欲したのはどこの誰なわけ?」
「減らず口だな。まァ良い。どんなに強くなろうとお前はあの男の足元にも及ばん」
「……」
「真尋、お前があの男を止めていなければ確実におれはあの男に殺されていただろうな」

鬼雷鳥は口端から零れ落ちる血を親指で拭うとプッと血の塊を地面に吐き捨てた。

「そうね…、そうかもしれない」

狂気染みた殺気を醸し出すマルコを止めていなければ、きっとマルコは鬼雷鳥の攻撃を喰らう事無く倒していただろう。だがその代償はとても大きいような気がしたマヒロは気が気でなくて、止めなかったら自分が知るマルコが居なくなってしまいそうな気がして、怖くなって止めに入った。だがその結果はマルコを瀕死に追いやることになってしまった。

マヒロは顔を俯かせつつ瞳を伏せた。

「お前があの男の牙を抜いたおかげで形成は逆転。あの男は今や死に瀕している。これも全てはお前が招いたことになるわけだが……、一応礼を言っておこう」
「……」

微笑を浮かべながら皮肉を込めた言葉を投げ掛ける鬼雷鳥にマヒロは黙ったまま震える両手を拳に変えてグッと力を込めた。

「ククク、己の”愛しい男”を自ら窮地に追いやった気分はどうだ? 真尋」

実に楽しそうに笑う鬼雷鳥にマヒロは静かに言葉を発した。

「つくづく……」
「……何だ?」
「気に入らない」

ゆっくりとした動作で身構えると伏せた瞳を開けて鬼雷鳥を真っ直ぐ見据える。すると鬼雷鳥は眉をピクリと動かして笑みを消した。

「幻海といい貴様といい……」
「……」
「霊光波動拳継承者は余程『正義』が好きなようだ」

面白く無いとでも言うように鬼雷鳥はそう言うと妖気を高め始めてマヒロを睨み付けた。

『正義なんて二文字は特に苦手だよい』

鬼雷鳥の言葉にマヒロはいつかマルコがそう言っていたのを思い出した。

―― それは…、私も同じよマルコさん……。

海賊だからそう言ったのかもしれないが、それでもマヒロ自身も『正義』という言葉は好きでは無く、同じなんだとホッとしたことを鮮明に覚えている。
正義等というものは立場が違えば善悪が逆転して変わるあやふやなものだ。そんなものの為に命を懸けて戦ったことなんて一度も無い。
マヒロにとって妖怪と戦うということは全て『生きる為』の手段と言える。そして今まさにマルコの生死を左右する戦いに挑むのだ。そこに正義も何も無い。

ただ生かしたい。
ただ生きて欲しい。
ただその想い一つ。

―― 絶対に死なせない。その為には一気に片を付けなきゃ。

恐れも迷いも捨てて、ただ冷静に心を強くして戦え。

「御託を述べる時間すら惜しい。さっさと決着をつけるわよ」
「ククッ…、良いだろう」

鬼雷鳥はニヤリと笑みを浮かべると先程と同じエネルギーの玉を頭上に作り出した。
恐らくあの攻撃が鬼雷鳥の最強の技なのだろう。あの攻撃を受ければマルコと違い恐らく即死となる。だから決して受けてはいけない。

―― 私が死んだらマルコさんも助からない。

生かしたい。
助けたい。
死なせない。

絶対に私が彼の命を救ってみせる――!

これまでずっと自分の命を守る為の戦いだった。だがこれは、ここからは、自分が最も大切に思う人を生かす為の戦いだ。自分自身以外を生かす為の戦いをするのは初めてだった。不思議と恐怖を感じない。怖くない。それどころか力がどんどん漲ってくるのがわかる。

―― マルコさんを、大切な彼を、愛しい人を守りたい。

「お前にこの攻撃を躱せんことは先刻立証済みだ。あの男が割り込まなければ死んでいたのは貴様だ真尋!!」

鬼雷鳥はエネルギー玉を掲げながら地を蹴ると姿を消した。そして瞬時に間合いを詰めるとマヒロの後方に姿を現した。
だがマヒロの目は鬼雷鳥の姿を捉えていないどころか動きにも気付いていない。
少しだけ笑みを浮かべたが直ぐに表情を消した鬼雷鳥は冷酷な瞳でマヒロを見据え、容赦なく攻撃を仕掛けた。

「死ね」

ドォォォォン!!

背後よりマヒロにエネルギー玉をぶつけたことによる衝撃音が辺り一帯に大きく木霊した。

バリバリバリバリッ!!

―― !?

だが突然衝撃音とは異なる音が耳を突き、鬼雷鳥は目を見開いた。

「なっ!? 何だと!?」

鬼雷鳥の攻撃をマヒロは両手に霊気を集中させて受け止めていた。

―― バカな!?

「確かにあなたは強い。私なんかよりもずっと……」
「くっ! 何故力が抜ける!?」
「知ってる? 柔道って格闘技には『柔よく剛を制す』っていう言葉があるの」
「!!」
「攻撃力が高ければ高い程、跳ね返りは強力なものになるわ。力の代償ってやつね。こうなると強すぎるのも問題よね」

クツリと皮肉な笑みを浮かべるマヒロに鬼雷鳥はギリッと歯を食い縛った。

「真尋! 貴様ァ!」
「あなたのこの力を”そのまま”あなたに返すわ!!」
「まっ、待て!」
「霊光鏡反掌!!」

グアッ! ズドォォォォン!!!

「かはっ……! …ば…か……な……」

鬼雷鳥の攻撃を両手で作り出した霊子鏡で受け止めたマヒロは自分の霊子で鬼雷鳥の力を包み込んで倍増して跳ね返した。
霊光鏡反掌は相手の力量が強ければ強い程その力は増幅されて破壊力が増す返し技だ。タイミングが難しく、下手をすれば相手の攻撃を真面に喰らってしまう可能性が高いことから滅多に使うことの無い技だった。だが今のマヒロにはできる自信があった。

―― きっと、マルコさんを守りたいと思う心が私を強くしてくれたんだ……。

「…ま、まさか、このような…技が、ッ…、あ、あろうとは……がはっ!」
「言っておくことがあるわ」
「ぐっ…、ハッ…、もうじき死ぬであろうおれに…か…?」
「私も祖母も『正義』の為に戦ったりなんかしてないわよ。特に祖母はね」
「我ら…妖…怪を……、くっ…、尽く…、倒してッ…! ゴホッ! よく…言うな……」
「気に入らないだけよ」
「……」
「気に入らない奴が偶々妖怪だった。それだけよ」
「…はっ! お前の命を狙う輩は…、妖怪しかいない…からな」

鬼雷鳥の言葉にマヒロは静かに溜息を吐いた。

「そうでも無いわ」
「…何……?」
「中には人間もいた」
「!」
「でもね、私は容赦なく倒したわ? 自分が強くなりたいが為に同じ人間の、それも女の私の力を奪おうとするんだもの」

肩を竦めて然も当然のように話すマヒロに鬼雷鳥は少し目を丸くしたが力無く静かに微笑を零して笑った。

「はは…、お前…も…案外…、海賊…向きかも…しれ…ん…な……」
「……」

鬼雷鳥はそう言うとガクリと頭を落とし、そのまま息絶えて死んだ。そして全身が砂状に変化して浄化が始まり、風の中の塵となって消えて行った。マヒロは静かにその様を見送った後、踵を返すと急いでその場を立ち去り走っていった。

大好きな、愛しい彼の元へ。

力の代償

〆栞
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