20


ピピピッと、体温計の電子音が暗い部屋に鳴り響いた。
マルコの脇に挟んだ体温計を引き抜いて見れば未だに熱が高いままでマヒロは溜息を吐いた。
額に置いたタオルを取っては水で冷やして氷を包んでまた戻す。

熱が高くて呼吸は苦し気だが安定はしている。

気を失ったマルコを部屋に運び、布団に寝かすと懸命に治療を続けた。気付いた時にはもう日が落ちて辺りは暗くなっていた。
今朝からずっと集中して霊気を酷使していたマヒロは疲労困憊で、時折その場にパタリと倒れそうになるが何とか耐え続けていた。

意識を失ったマルコがせめて目を覚ますまで決して休まずにこうして看病を続けるのだと自分に叱咤する。
そうでもしなければ不安に心が押しつぶされてしまいそうで、安穏と休息なんてとても無理だった。
容体が急変したりしないか、突然苦しんだりしないか、今はずっと側にいてマルコの手を握り、目を覚ますのをただ只管に待つだけだった。

「マルコさん…、早く目を覚まして。じゃないと私…、また、泣いちゃいますよ」

不安。
怖い。
失いたくない。

―― マルコさん……。

涙が零れそうになるのを袖口で拭い我慢する。
身を屈めて握り締めるマルコの手の甲に自分の額を当てる。

ごつごつと骨ばった大きな手は未だ温かい。
ただそれだけが救いな気がした。





ぼやける視界の中、目を凝らして辺りを伺えば家の中にいることがわかった。
ふと自分の手に重みを感じて視線を向ければマヒロが手を握ったまま眠っていて、よく見れば目元が濡れていて涙を流した後が見受けられた。

「また…、泣かせちまったかねい。……マヒロ」

空いた手を額へ動かすと冷やされたタオルが置かれていて、それを手に取って直接額に触れると熱が高いことに気付いた。
暗がりではあるが手首に目を向ければ黒い斑点の後は一切無くていつもどおりだ。
青い炎が灯されることも無く、今はただしん――と、静まり返った空間がそこにあるだけだ。

「ん……」
「マヒロ?」
「……あ……」
「悪ィ、起こしちまったか」
「ふっ…うぅっ! マルコさん!!」
「ッ!」

目を覚ましたマヒロはマルコと目が合った瞬間に表情が大きく崩し、涙を零してマルコに抱き付いた。マルコは未だに力無い身体を懸命に動かそうとするが上手く動けず支えることで手一杯だ。首に腕を回して首筋に頬を寄せて泣き縋るマヒロの背を緩く擦ってやることしかできなかった。

「マヒロは本当によく泣くよい」
「ううっ! ひっく! マルコさん!」
「……お前が無事で良かったよい」
「それは! こっちの台詞よ!!」
「……」
「もう、やだ…、嫌……」

マヒロは泣きながらマルコの衣服をギュッと握り締めて言葉を零すとマルコは少しだけ眉を顰めて戸惑いがちにマヒロに視線を落とした。

「マヒロ……?」
「置いていかないで…。私を、私を一人になんかしないで…。もう誰も…、誰も、失いたくな…い……うぅ…」
「……マヒロ、お前……」
「やだよ、嫌だ。私のせいで、私のせいで皆死んじゃうなんて…やだぁ…う、うあァァん!!」
「!」

まるで子供のようにマヒロは声を上げて泣いた。
マヒロの口から零れる言葉はこれまでの人生を映したそれであることが直ぐにわかった。
自分の命を巡って襲い来る者の為に大切な者を失くしたことがあるのだろう。それが誰なのかは直ぐにわかった。今しがた泣きじゃくっているマヒロは子供そのもの。

―― ……おれが死に掛けたことで両親を亡くした傷が表面に浮かび上がったってェとこか。

「悪かった。マヒロ、置いていかねぇから、おれは死なねぇから」
「ひっく! ふっ! うっ!」
「おれが身代わりで攻撃を受けるのは癖みてぇなもんだ。もう無暗にやらねぇようにするからよい。不死鳥の再生の能力に頼った戦い方はしねェ。ちゃんと自分の身体を大事にするからよい。だからもう泣くな」

マルコがマヒロの頭を撫でながらそう言うとマヒロは顔を上げてマルコを睨み付けた。

「絶対に約束して!!」
「……マヒロ……」
「私の身代わりになんかならないで!! お父さんもお母さんもそうやって…そうやって…!」

興奮状態で泣きながら叫ぶマヒロにマルコは頷きながら宥めた。

「わかった。身代わりにはならねぇ。……まァ、盾にはなるかもしんねぇけどよい」
「それもダメェェッ!!」
「ッ……」

最後に耳元で怒鳴られた瞬間が一番のダメージを負った。

―― ッ、効いたよい……。耳が痛ェ……。

「……怒るか泣くかどっちかにしてくれねェかいマヒロ……」

暫く泣きじゃくるマヒロをマルコは優しく抱き締めながら頭や背中を撫でて慰めることに全力を注いだ。そして、少しして突然に身体に重みが増した気がして首筋に頬を寄せるマヒロに視線を落とすと限界が来たのかスヤスヤと寝息を立てて眠る顔がそこにあった。

「……マヒロ、お疲れ様」

重い身体を懸命に動かしてマヒロを布団の中に引き入れて寝かした。マルコはその隣に横になるとマヒロを自分の懐に抱き寄せて再び目を瞑って眠りに落ちた。





翌朝――。
日が昇ってすっかり明るい時分になった時に目が覚めたマルコは寝惚け眼を擦りながら身体を起こして欠伸をした。

―― ……そういやァ……。

ぼ〜っとする中でマヒロの姿を探すように部屋を見回したがいない。頭をガシガシと掻きながら再び欠伸をしたマルコは布団から出ようと動いた時、部屋の襖がガラリと開けられた。そしてマルコは目を丸くした。

「……マヒロ?」
「おはようございますマルコさん。お身体の調子はどうですか?」
「ッ…、あ…あァ、熱は…下がったようで……。じゃねェ、それよりマヒロ…その格好……」

青い色のワンピースを着たマヒロにマルコは思わず見惚れて言葉に詰まり固まった。マヒロは顔を赤らめて気恥ずかしそうに笑みを零し、マルコの元へと歩み寄ると直ぐ目の前で膝を折って正座した。

「へへ、久しぶりに真面な服を着てみました。マルコさんが来るちょっと前にね、町で偶々見掛けて、一目惚れして買ったワンピースなんです。でも一度も着たことがなかったので……、その…、似合いませんか……?」

頬をポリポリと掻いて恥ずかしそうに顔を俯かせながらそう問い掛けるマヒロの声は少し不安気で、マルコはハッと我に返ると片手で口元を覆いつつ小さく首を振った。

「似合う。よく…、似合ってるよい」
「ふふ…良かった。マルコさんの色だから嬉しい」
「ッ! お前……」

嬉しそうに微笑むマヒロにマルコは目を見開いた。
疾うに下がったはずの熱が再び高くなっていくのが如実にわかった。

「この色のワンピースも買ったんですよ」
「っ!」

マヒロはそう言うとマルコの胸元にそっと手を伸ばし、そこに刻まれた白ひげのマークに柔らかぅ触れて軽くなぞった。思わずピクンと反応した。マヒロの指先から伝わる感触に心臓が度々跳ねて更に熱が増していく。

―― なっ、何だってこんな急に……?

これまでと明らかに何かが違うマヒロにマルコは大きく戸惑い、胸元に緩く触れてくるマヒロの手を掴んで制止させた。するとマヒロは不思議そうな表情を浮かべて見上げたが、クスッと小さく笑った。そのマヒロの微笑みは出会ってから今まで見たことの無いものだった。

とても柔らかく愛らしい――。

自分の心臓がドクンとまた跳ねるのをマルコは感じた。

「マヒロ、あんまり…その……」
「マルコさん?」

コテンと首を倒すマヒロに対してマルコは眉間に皺を寄せると顔を背けつつ忠告した。

「……煽るな…よい」
「ふふ、煽ってるんです」

―― !?

まさかのマヒロの返答にマルコは目を丸くすると凄い勢いでマヒロへと顔を向けた。

「なななな何言ってんだよい!? お前! 意味をわかって言ってんのかよい!?」

マルコが少し声を荒げて慌てて諭す言葉を投げ掛けたがマヒロはキョトンとして瞬きを繰り返すだけで反応は薄。それどころかクスッと小さく笑ったかと思うと満面の笑みをマルコに向けた。

「今日は一日、マルコさんに尽くす女になりますね?」
「!?」

マヒロのとんでもない宣言にマルコは思わず唖然として固まった。そしてマルコの手に捕まったマヒロの手が難無く離れると、マヒロはその手をマルコの頬に添えた。
不意にマヒロの顔がマルコの直ぐ目の前に近付き、マルコが「お、おい」と声を掛けるも気にも留めず、とんっとお互いの額をくっ付け合う形となった。

―― ち、ち、近ェ!!

瞠目して固まるマルコを他所にマヒロは目を瞑って何も言わずに暫くそのままの体勢で動こうとはしなかった。

「た、頼むから――」
「私、マルコさんが好き」
「――!」

頼むから離れて欲しい――そう言おうとして不意にマヒロが言った言葉にマルコは言葉を飲み込み、半ば放心状態に近い形で呆然とした。

―― 今…、何つった?

「マルコさんが…好き」
「!」

聞き間違いかと思った。これまでと同様の悪い冗談だとばかり思った。だが――真っ直ぐ見据えるマヒロの漆黒の瞳はこれまでのような色とは決して異なり、恋慕の色がそこにあった。
頬を赤く染めながら決して子供染みた顔は無く、一途に愛しい想いを告げる女の顔がそこにあった。

「あなたが死ぬんじゃないかって思った時、凄く怖かった」
「……マヒロ」
「いつか、いつかきっとあなたは、元の世界に帰ってしまう人だから、決してずっと一緒にいられる人じゃない。必ず別れが訪れる日が来る人だから、この想いに蓋をしてずっと気付かないふりをしていました」
「ッ……」

マヒロがそう告げるとマルコの頬に添えた手が離れてそのままマルコの手に重ねてキュッと握った。マルコが手の平を返してマヒロの手を握り返し、お互いに両手を握り合えばマヒロは笑みを浮かべた。

「生きて…、生きてさえいてくれたら、それだけで幸せなんだって。……昨日、嫌という程に知りました。そして、この想いはちゃんと伝えなきゃって。例え離れ離れになってしまう関係だったとしても、この想いを知っていてくれるだけで良い。それが証となるなら……」
「……証?」
「あなたは私の生涯で唯一愛した男(ひと)という証です」
「!」

真っ直ぐ目を見つめ合う中で想いを告白するマヒロにマルコはまいったとばかりに心内で苦笑を零した。

―― まさか…、そんな言葉をくれるなんて思ってなかったよい。

「とても大切なあなたは私の心を救ってくれた。私の弱い心の支えになってくれた。だから――」
「マヒロ、それはおれも同じだよい」
「……え?」

握り合う手に僅かに力が籠る。
マルコは眉をハの字に苦笑しつつ言葉を続けた。

「悪魔の実の不死鳥の力はおれが望んでいたものとは違ってなァ、本当は傷付いた仲間を助けられる力が欲しくて食ったってェのに、自身の身体を再生するだけの力しか無くてねい、この力を望んじゃいなかったんだよい。それどころかその力のおかげでおれは愈々『化物』扱いだ。それから少しずつ人から距離を置くようになっていたんだよい」
「マルコさん……」
「おれはマヒロに一度だけ聞いたろい? どんだけ傷付こうが再生するおれは気持ち悪くねぇかってよい」
「……」
「けど、お前は好きだと言ってくれた。綺麗だと。おれの苦心を労い、おれの身を案じてくれた。そして笑っておれに触れた。それだけで、どれだけおれの心が救われたと思う?」

ずっと抱えていた本当の心情を人に吐露するような時が来るなんてマルコは想像だにしていなかった。一方マヒロは笑って話すマルコの言葉に見え隠れする複雑な心境に思わず口を噤んで顔を俯かせた。
するとマルコが握り締める手を離し、両手を俯くマヒロの両頬にそっと添えて顔を上げさせた。

――!

真っ直ぐ見つめて来る青い瞳に目を奪われ、優しい笑みを湛えるマルコに見惚れ、顔に急激に熱が集まるのを感じた。

「マル――」
「おれはその時からずっとマヒロが好きだった。好きで愛しくて仕方が無ぇ、そう思ってた」
「――!」

マルコはそう告げるとマヒロをそっと抱き締めた。マヒロは目を丸くして固まっていたが震える手を動かしてそっとマルコの背中へと腕を回して抱き締め返す。そうしてお互いの温もりが身体に伝わるとどちらともなく抱き締める腕により力が入るのを感じた。

こんなに大切に こんなに大事に 想いを込めて
人を抱き締めたことなんてなかった――。

「マヒロ」
「……はい」
「おれはお前が欲しい」
「!」
「マヒロが欲しいんだ」

マルコの言葉にマヒロは顔を上げてマルコと目が合った。するとマヒロは頬を赤らめながら微笑むと小さく頷いた。

「私も…、私もマルコさんが欲しいです」

お互いの気持ちが通じ合えばその後はもう何も言葉を交わすこと無く、ただお互いを求めるように口付けを交わした。そしてマルコはそのままマヒロを倒して組み敷き、マヒロはマルコに身を委ねて夢中に唇を重ね合うのだった。

確かな想い

〆栞
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