18


嘲笑染みた笑みを浮かべていた男は睨み付けて来るマルコを観察するようにじっと見据えていた。男が突き破った窓の後をマルコが辿って外へと出ると男はゆっくりとした口調で話し掛けた。

「お前…、異様な雰囲気を持った人間だな。このような狂気的な殺気をまさか人間から味わうとは思ってもみなかったが……。あァ、そうか…、お前が怪童児を殺したのか。ならば納得がいくというもの。お前…何者だ?」
「……おれが何者かなんて知る必要はねェだろい」

男の問い掛けに冷たく答えるマルコに男は片眉を上げると直ぐにフッと微笑を零して嘲笑った。

「ククッ…、人間風情がよくほざく」
「人間風情…ねい。おれからすりゃあ所詮妖怪風情が舐めたことしてくれたなってェとこだ」
「――!」

マルコは男に向けて怒りと殺気が滲む声音でそう言った。
覇気を抑える気は更々無く、手加減も試しでも無い、本気の殺意がそこにあった。
マルコの殺気を感じ取った男はニヤリと更に歪んだ笑みを浮かべた。

「ああ、お前のような男が居ようとは……。なかなか素晴らしい獲物だ。真尋よりお前を喰らった方が何倍も強くなれそうだ!」

男は軽く手を叩くと両腕を広げて心底から嬉しそうに下卑た笑みを浮かべながら赤黒いオーラを全身から放ち始めた。

―― ありゃあ…妖気ってェ奴か。

目に見えてわかる赤黒いオーラを前にマルコは目を細めた。
マルコには相手の放つ妖気の強さがどれ程のものなのかを知る術は無い。それ以前に、そんなことは元より気にもしていない。
妖気を解放しても何の反応も見せないマルコに男は幾分か怪しむように眉を顰めた。

―― 恐怖は無く、警戒すらしないとは…。余程強さに自信があるのか、それともただの鈍なのか…。

男は全身から放った妖気を両手に集めて納めるとグッと身を深く屈め、そして地を強く蹴ってマルコに向けて突進した。
容赦の無い攻撃を仕掛ける男に対しマルコは微動だにせず、迫り来る男をじっと見据えて立ち尽くすだけ――。男はマルコがただ自分のスピードに付いて来れずに反応ができないのだと思った。

だが――。

「悪いがよい……」
「!?」
「お前ェがおれの獲物だよい」
「くっ!?」

マルコが覇気を含めた眼光を模してグッと睨み付けると男は咄嗟に攻撃を止めようと自ら踏ん張り、突進の勢いを殺した。そして地を蹴って後方へと距離を取った。

―― 今のは…何だ?

男が少し驚いた表情を浮かべる一方でマルコは少しだけ片眉を上げて「成程ねい…」と心内で一つ理解した。

―― 怪童児と違って相手の力量を伺い見ることができる冷静さがあるってェとこか。

「……見えているはずだが…、何も感じていないように見えるな」
「生憎、おれァ霊気や妖気っていうもんに縁が無かったからよい。どんだけ強い妖気を放たれたとしてもそれが果たして『凄い』のかどうかなんてェ判断はできないんでねい」
「妙なことを言う。強い霊気を持っていなければおれの姿を見ることなどできんはずだ」
「あァ、きっとおれが……特別なんだよい」

マルコが微笑を浮かべて答えると男は眉間に皺を刻んだ。

「……強ち嘘とは言えんな。お前の存在は異様だ。まるでこの世の者とは思えん」

男がそう答えると今度はマルコが少しだけ男を嘲笑うように笑って見せた。

「へェ、そうかい。わかってんなら話は早ェ」
「……何だと?」
「おれはお前を本気で殺す。加減は一切しねェから覚悟しろよい?」
「ククッ! 平和な世界でしか生きれん人間がおれを殺すと言うか!」

笑みを浮かべつつクワッと激情的に表情を変えた男が叫ぶとマルコは漸く戦闘態勢へと入り身構えた。そして口端を上げて少しだけ浮かべていた笑みを消して男を睨み付ける。

「わかってねェのは――」
「!?」
「てめェだよい!」
「なっ!?」

両肩に蒼い炎が弾けるようにして突如として燃え盛る。その様を見た男は目を見開いて驚き慄いた。

「おれにとっちゃ命のやり取りなんざ日常茶飯事だ。おれはこの世界の人間とは違ェ!」
「何!?」
「おれァ根っからの海賊なんでねい!」
「か、海賊だと!?」

男が驚く声を上げると同時にマルコは強く地面を蹴って男の懐へと飛び込んだ。

―― 速い!?

マルコの速さに驚いた男は慌てて距離を取ろうと後方へと飛び退こうと地面を蹴った。しかし片腕をグッと掴まれて引っ張られる反動が身に起き、目を見開いて視線を向ければマルコが自分の腕を掴んでいた。

「何だと!?」
「甘ェよい」

男が逃げるのを阻止すると同時にマルコは男の脇腹に目掛けて攻撃色の覇気を纏った足で蹴りを繰り出し、衝撃と同時に掴んだ腕を放せば、男の身体は勢い良く弾かれるようにして吹き飛び、かなりの距離を転がり倒れた。土煙が辺りを舞う中、倒れている男の姿が薄っすらと現れるが直ぐには起き上がれないでいる。
蹴りを食らわせた瞬間にメリメリメリッ…と、骨が何本かイかれる音が聞こえた。辺りを舞う土埃がマルコの放った蹴りの威力を現している。

―― ……怒りが原因とは思えねェ。……何だこの威力?

マルコは自身に漲る力が怪童児の時のそれとは明らかに違うことを感じていた。
何が違うのか――。
『怒り』の感情があるか無いかの差だと最初は思ったがどうも違うように思える。

「がはっ! くっ! ……ば、化物か貴様!!」
「……あァ、そりゃあ褒め言葉だ」
「はァはァ…、に、人間だと思って舐めていたおれの落ち度だ。おれもお前を本気で殺す。加減はせんぞ!」
「舐めて掛かった相手の台詞を取ってんじゃねェよい」
「黙れ!!」

男は怒鳴ると同時に赤黒いオーラを再び全身から放ち始めた。

バリバリバリッ!

「!?」

すると突然男の周りに稲妻のような光が迸ると赤黒いオーラが徐々に色が変色し始めた。それと同時に男の背中がゴキゴキと骨が軋む音を鳴らして隆起し始める。そうして背中を突き破って姿を現したのは鳥が持つ翼だ。

「金色の翼……?」

黒かった肌は色褪せて翼と似た黄金色へと変わっていく。そして足の形状もみるみるうちに鳥の鍵爪を模した形へと変貌していった。

「金色の鳥……とは少し違ェな」

鳥のように見えるが翼は背中から生えていて腕は人のままだ。肌の色や足の形が変わったが顔は変わっていない。黄金色に赤い瞳がやけに目につく。そしてその赤い瞳でマルコを見据えた男は口を歪ませた笑みを浮かべた。するとマルコは不快な気持ちを抱いて眉間に皺を寄せた。

変異を遂げた男の周りにバリバリと迸る稲光が凄まじく、マルコは警戒しながら観察するように見据えていた。
力を高める男が大きく息を吐くと背中に生えた黄金色に輝く翼がバサリと一度大きく羽ばたかせる。すると周囲に砂煙が落葉を巻き上げるようにフワリと舞った。

「お前のそいつは鳥が持つ翼だと理解して良いのかねい……?」

マルコがそう言うと男は自分の力の加減を確かめるかのように両手を何度か握ったり開いたりしながらクツリと笑った。

「あァ、肝心の自己紹介をしていなかったな。これは失礼。おれは鬼雷鳥だ」

左手を腰に当て、右手を胸に置いて丁寧なお辞儀をして自己紹介をする鬼雷鳥にマルコは少しだけ眉根をピクリと動かした。
己の力に余程自信があるのか余裕を見せる鬼雷鳥にマルコの心情は実に不愉快でならない。

「クク…、この身体になるのは久しぶりなんでなァ。コントロールが効かん故、加減は一切できんが悪く思うな。まァ、元より殺す気だからその必要は無いがな」

鬼雷鳥は両手を空に掲げると真っ青な天空より突如として稲光が発し、大きな音と共に稲妻が鬼雷鳥の腕に目掛けて落ちた。

「くっ、雷かよい!?」
「クククッ! あァそうだ!」

左腕を前方へと伸ばして半身に構え、差し出した左手をぐっと握ると滞留していた稲妻が縦に伸びて変異した。そして縦に伸びたそれの上下から糸上に伸びて繋がると弓のような形へと変わった。右手をそれに添えるとバリバリバリと音を発しながら無数の稲妻の矢が生み出された。

「死ね」
「――ッ!?」

鬼雷鳥が非情な面持ちで弓矢を放つような動作をすれば無数の稲妻がマルコに向けて襲い掛かった。マルコは避けようとしたが相手は稲妻だ。まるでマルコの身体に引き寄せられるようにジグザグに辿って追尾し、マルコに直撃した。

ドォォォン!!

「ふははははっ! ただの稲妻ならば逃れることはできるやもしれんがおれの放つ稲妻は妖気を織りなす稲妻だ! どう逃げようとも狙った獲物を追いかけ襲う。おれの放つ稲妻の威力は通常の稲妻に対して何倍もの威力を誇る似て非なるもの。この攻撃を受けて生きていられる者など一人とておらん! ククク、焼く必要も無い程にこんがりと仕上がったお前を美味しく頂いてやろう」

勝ち誇って高笑いをする鬼雷鳥は軽く舌舐めずりをして砂埃で姿を消すマルコの元へと近付こうと足を踏み出した。しかし――。

「……よく、喋る奴だよい」
「なっ…、ま、まさか!?」

ボボボボッ!

―― !?

突如として炎が猛る音が大きく発すると同時に辺りを舞う砂埃が打ち払われた。するとそこに現れたマルコの姿を目にした鬼雷鳥は酷く瞠目した。

「ば、バカな……。あ、青い炎を纏う…鳥だと!?」

―― この男、人間では無いのか!? し、しかし妖気など全く感じん。……な、何者!?

動揺する鬼雷鳥を前にマルコは大きく息を吐いた。

「まさか稲妻を操る奴とはねい。確かそんな奴が空島辺りにいるってェ話を聞いたことはあるが……」
「ッ、き、効いていない…のか?」
「いや、効いたよい。全力で防御してなかったらかなりやばかったかもしれねェよい」

身体を庇うように咄嗟に前に出した両腕は完全にイかれていた。肉は削がれ骨に細かいヒビが入り、所々焼け焦げているのか臭いが鼻に突く。腹部は焼け爛れて血肉がボタボタと地へと流れ落ちる。かなり酷い状態であり得も言われぬ激痛に襲われている――にも関わらず、決して意識を失うことは無く、再生の炎が意志とは関係無く自然と発して修復に掛かっている。

―― 意図してやってねェのに…どういうことだ?

『今のマヒロの再生はおれがどうこうしたっていう感覚が無かったからねい』

マヒロがわざと自身の手に傷を負い、マルコが再生の炎を発した手で握って回復させた――あの時の感覚に似ている気がした。まるで悪魔の実の不死鳥の能力が自らの意思を持って自分を守るかのような気さえした。
由香の治療の為にマヒロがマルコの手を介して霊気を流し込んだ影響なのだろうか、怪我の度合に対して再生していく早さが格段に上がっているのが容易に理解できた。

―― 再生に限度はあるだろうが、これだとおれは愈々簡単には死ねない身体になっちまったみてェだよい。

再生を終えると青い炎が自然と消える。そしてマルコが人の姿へと戻ると鬼雷鳥は驚き固まっていた。

「き、貴様…何者だ? 我々と同類なら妖気を感じるはずだが全く感じられん。人間でないとするならば――」
「お前ェがそれを知る必要は無ェよい」
「海賊だと言ったな。異国の人間だから…というわけでもないはずだ。我々からすれば人種など関係無く人間は人間だ」
「異国の人間……ねい」
「……そうか! 貴様、『異界』の者だな? ならばその異質な力と異様な雰囲気に全て納得がいく」
「それでもおれが人間であることに変わりはねェんだがよい」
「ククク……。まさかこのおれがここまで興味をそそられる存在がいようとはな。意地でもお前のその力が欲しくなって来たよ」

鬼雷鳥は下卑た笑みを浮かべながら舌舐めずりをした。それを見たマルコは非情に不愉快で気分が悪くなったようで顔を顰めて若干身を引いた。
妖怪に気に入られるということがどういうことかを全く違う意味で身の危険を感じたマルコは、マヒロはよく耐えていられたなとふと彼女のことを思い出したが、いや、かなり嫌な表情を浮かべていたなと納得する。

―― マジか。本気で気色悪ィ……。ま、まるで欲情するかのような目で見つめられるなんてよい…、妖怪つっても男だろい? お、おれはそっちの気は全く無ェんだが…、勘弁してくれよい。

鬼雷鳥の目は何処か恍惚としていてマルコは完全拒否により一層引いていた。だがそんなマルコの心情など察することもなく、鬼雷鳥は再び稲妻を両手に宿し始めた。

「お前を殺すには少々骨が折れそうだが、……! あァ、良い的があることを思い出した。それを利用させてもらおうか」

ククククッ…!

鬼雷鳥の言葉にマルコは何を言っているのかわからなかった。だが鬼雷鳥が攻撃する手の方角を見た途端にマルコはハッとした。

―― まさか!

「反撃したければするが良い。代わりにあの人間共は死ぬがなァ!!」
「ッ、てめェ! あいつらは関係ねェだろい!?」
「知るか! 人間など所詮は我々の餌に過ぎんのだからなァ!!」

ドン!!

「くそっ!!」

鬼雷鳥は迷う事無く無数の稲妻の矢を放った。マルコは不死鳥へと化すと放たれた無数の矢が向かう先へと急いで飛んだ。山腹に向かって放たれた矢の先には、先刻に見送ったあの家族が乗った車が走っていた。マルコはその姿を視界の端に捉えつつその間に割り込もうと身を挺すると、その矢は途端に方角を変えてマルコの身体に襲い掛かった。

ドォォォン!!

全ての矢を食らったマルコは地へと力無く落ちる。何度もこんな攻撃を受けては流石に意識を保っているのも辛い。痺れと軋み、そして激痛がマルコの全身を襲う。

「…くっ、…はっ、…ッ、お、おれが、まさか他人を庇うとはねい……」

由香の為に必死になる家族の姿と別れ際に話した兄の言葉と表情が脳裏に浮かぶとマルコを突き動かしていた。本来のマルコなら家族以外の者達の弾除けに等なる気は更々無いはずなのにだ。

―― ッ…、あいつらが知れば、とんだお笑い草だよい。

ボボボボッ!

自然に発生した再生の炎の勢いは衰えることが無く、痛みを掻き消しながら傷付いたマルコの身体を修復していく。そしてマルコは立てるようになれば全て治るのを待たずに急いで鬼雷鳥の元へと向かった。

『良い的がある』

鬼雷鳥は標的をマヒロからマルコに変えた。鬼雷鳥の言う的は何もあの家族だけでは無い。悪い予感というのはよくよく当たるもので、マルコの目の前に立つ鬼雷鳥をマルコは歯痒い思いで睨み付けた。

「てめェ……!」
「お前が欲しいことに変わりは無いが、それでもこの女も良いのでな」
「……うっ…ん」

鬼雷鳥は気を失ったマヒロを引き擦り出していた。マヒロの髪を掴み挙げてマヒロの首元をゆっくりと舐め上げるとマヒロはピクンと反応して小さな声を漏らした。すると鬼雷鳥は満足気に喉を鳴らして笑った。

「人間からすればこの反応は嬉しいものだろう? 何だ、感度が良いと言えば良いのか?」
「ッ……」

鬼雷鳥の言葉にマルコは額に青筋を張りながら鋭い目で睨み付け、手は拳に強く握る。マルコのその様子に「あァ…」と察した鬼雷鳥はニヤリと笑みを浮かべた。

「クククッ…。お前、この女に心底惚れているな?」

これは良いとばかりに楽し気に笑う鬼雷鳥にマルコはギリッと奥歯を強く噛んだ。

「こうなるとわかっていてあの人間共を助けに入るとは、えらく”正義”ぶった海賊が居たものだな。お前の世界の海賊というのは”正義”を掲げた集団か?」

鬼雷鳥の言葉にマルコは少し顔を俯かせて静かに息を吐いた。

―― あァ、反吐が出る。それ以上ふざけたことをぬかしてみろい……。

腹の底から本気で怒りに燃えたのは何時ぶりだろうか?

徐々にマルコから殺気を帯びた覇気が強く放たれ始め、辺りに広がって行くと鬼雷鳥は少し気圧されたか身を固くして唇を強く結んだ。

「くっ、…この女の命と引き換えだ。おれの条件を貴様が汲めば、この女には手を付けずに解放してやる」
「人間を見下げておきながらやってることは下衆な人間のそれと変わらねェじゃねェかよい。大した妖怪だよい、お前」
「欲しいものが手に入れさえすれば何と言われようと構わん」
「へェ、意外なもんだ。その考え方には激しく同意できる。お前、存外海賊向きな妖怪だねい」
「……さあ引き換えだ」
「何が欲しいんだよい」
「お前の心臓だ」
「……」

―― 心臓か。そりゃ心臓を抉り出されりゃ再生どころじゃなく確実に死ぬな。何だ、そんな簡単な方法があるんじゃねェか。

と、妙に納得して変に感心するどこか他人事な思考がマルコの脳裏に過った。

「どうした? 真尋の命は惜しいと思わんか?」

鬼雷鳥の問いにマルコは溜息を零して小さくかぶりを振った。

―― 阿呆か。答えは簡単だよい。

「そりゃ到底無理な話だ」
「何だと? 貴様…、惚れた女の命より自分の命が大事だと言うのか?」
「まさか。おれが死んだらどのみちマヒロも助からねェ。結局はマヒロも喰らう気でいる奴の言うことなんざ信用できねェってことだよい。それに、お前は面白ェぐらい海賊向きな性格しているからねい、尚更信頼できねェよい」
「……」
「あァ、それと――」
「?」
「それ以上マヒロに妙な真似をしやがったらおれの理性が完全に飛ぶだろうから覚悟しとけよい? 何をしでかすかわかったもんじゃねェ。こう言うのも何だが…おれ自身もコントロールがどうにも利かなくてねい、加減ができねェんだ。だから…、あんまり勧められねェよい」

鬼雷鳥が『狂気的な殺気』と言った言葉を思い出す。
最初の放った自身の攻撃力に違和感を感じた時に無意識下に理性を保てと警鐘を鳴らしている自分がいることに気付いていた。だが、鬼雷鳥のすること為すこと言葉でさえも、いちいち癇に障り怒りがこみ上げる。
そしてマヒロだ。
気を失うマヒロを人質に取る鬼雷鳥の姿を見やると眉間に皺を寄せつつ天を仰ぎ見て、一息だけ深く吐き出す。

―― もう、保てやしねェ……。

ボボボボッ!

「!」
「悪ィ、もう…無理そうだよい」

周辺の空気がガラリと変わる。
この覇気をマルコは知っている。
だが――。
最早そんなことはどうでも良かった。

お前――
もう――
マヒロに――

――触れるなよい――

ダンッ!

「!?」

地を蹴った瞬間には既に鬼雷鳥の後方上空へと移動し、身体を翻して鬼雷鳥の首筋を目掛けて容赦の無い蹴りを放った。鬼雷鳥は反応が遅れ、振り向いた時にはマルコの攻撃を真面に受けて又もや吹き飛び、果てにある岩場へと激突した。

トンッ――と、身軽にその場に着地をすれば、マルコは地に伏したマヒロの元に歩み寄って抱き抱えると全身に再生の炎を灯してマヒロを優しく包み込んだ。
血色を失いかけた青白い顔がみるみるうちに血色を取り戻し、元の健康体のそれへと戻る。すると意識が戻ったのか僅かに眉間に皺が寄ると瞼がゆっくりと開いた。

「…ん……」
「マヒロ」
「…マル…コ……さん?」

状況がいまいち飲み込めていないのだろうマヒロは戸惑いがちに声を零した。だがマルコを見るマヒロの目には畏怖の色が宿るのをマルコは見逃さなかった。

無理も無い。マルコ自身でもここまで狂気的に怒れるものかと驚く程だったのだ。

マヒロを抱き締める腕を解いてゆっくり下ろすとマヒロの頭をくしゃりと撫でて立ち上がる。そして鬼雷鳥へと視線を向ける。ガラガラと崩れ落ちる岩場に小さな稲妻が迸るのが見えた。

「簡単に死んでもらっては困る。それ相応の対価ってェのはきちっと払ってもらわねェとならねェからよい」
「…くっ……貴様……!」
「ッ! ま、マルコさん!」
「……」

焦りや恐れを帯びた表情を浮かべたマヒロが背後から抱き付いてマルコを制止した。
腰に回されたマヒロの腕には決して離さない、離してはいけないと訴えるかのように力が入っているのを感じる。

「待って! ダメ! もう!」
「マヒロ、離せよい」
「ダメ……! これ以上…ッ、ダメです! マルコさんが、マルコさんで無くなっちゃう!」

ほろりと大きな瞳から頬に涙が伝い落ちる。

「マヒロ……」

マヒロの涙を見ると途端にマルコの中にあった狂気染みた殺気がみるみる沈下して消えていった。腰に回されたマヒロの手にマルコは自身の手を重ね、マヒロの手の温もりを感じながらゆっくりと溜息を吐いた。

泣かせるつもりもない。
泣かせたくない。
なのに、また――泣かせた。

「はァ…、情けねェ……」
「グスッ…、ッ、良いです。情けないのは、自分でもわかってますから……」
「違ェ、おれ自身がだよい、マヒロ」
「……え?」

マルコがマヒロに振り返って苦笑混じりの笑みを見せるとマヒロは安堵したのかより一層涙をボロボロと流し始めた。

「あー、もう、泣くなよい」
「ううっ! ふぅ…ッ、だ、だってェ!」
「ガキかよい」
「ふっ! ひっく! ま、マ”ル”コ”ざん”がら”ずれ”ば子”供”でずも”ん”!!」
「…くっ…くくっ!」
「うう、人が心配してるのに笑うなんて酷い!!」
「はははっ!」

―― あァ、そういうことか……。

マルコにとってもマヒロの存在は測り知れない程に大きなウェイトを占めているのだと悟った。マヒロを守りたいと思うようにマヒロもマルコの身を案じて守ろうとしてくれているのだ。
不思議な程に不安定だった自身の心が穏やかに落ち着いている。無くてはならないのはお互い様ということ。それが何とも嬉しくてむず痒い気持ちにさせられる。
マルコはぽんぽんとマヒロの頭を軽く叩いてくしゃりと撫でると軽く抱き寄せた。

「悪い、ありがとよいマヒロ」
「…ッ、……むぅ……」
「人が素直に謝って礼を言ってんだ。そう怒るなよい」
「マルコさん」
「ん?」
「あいつ、私がやります。やらせてください」
「……マヒロ?」
「許せません」

むきっ!

―― ッ!?

怒れる擬音なんて初めて聞いた気がしたマルコは目を見張った。マヒロの表情は怒りに満ちたもので初めて見たマルコは思わず戸惑い、呆けて返事が直ぐにできなかった。

「……ハッ!? い、いや! まっ――」
「マルコさんはお茶でも飲んで休んでいてください。ね?」
「ッ! …よ、…よい」

にこっと微笑むマヒロの顔を見たマルコは背中にゾクッと悪寒が走るのを感じた。

―― さ、触らぬ神に祟り無し…ってェ奴だよい!

マルコの心内に居る小さなマルコがオタマとフライパンをガンガン鳴らして警告する。何故オタマとフライパンなんだとか疑問に思いつつ、一瞬だけ別次元に意識が吹っ飛び掛けた。それ程に今のマヒロの笑顔は怖かったのだ。

「ありゃあ…、おれの狂気的な殺気なんて比じゃねェ……」

鬼雷鳥へと向かって行くマヒロの背中を見つめてマルコはポツリと零した。そして今後はマヒロを怒らせるようなことはしないようにしようと心にそっと誓いを立てるのだった。

鬼雷鳥

〆栞
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