15


気絶する母親を気遣う兄を離れに残し、マヒロとマルコが居間に戻ると由香を間に向かい合って座った。その時、マルコは自身が羽織る上着を脱いで裸になっている由香の身体に掛けてやった。

―― ……やっぱり大人の余裕かな。

何気ない心遣いを極自然に熟すマルコにマヒロは思わず感心した。そして細身で筋肉質な身体に黒いティーシャツとジーパンというシンプルな格好が映えるマルコに思わず少し見惚れてしまった。

「マヒロ、相談ってェのは何だい?」
「っ! あ、えっと……」

マヒロはハッとして慌てて我に返って気持ちを切り替えた。

―― どこかのモデルさんみたいだなんて……暢気に思ってる場合じゃないでしょう!?

なるべく平静を装うようにマヒロが小さく笑ってごまかすとマルコは片眉を上げて少しだけ含みのあるような笑みを浮かべた。その笑みにマヒロは思わず視線を外して頬をポリポリと掻く。
一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせたマヒロは気持ちを切り替えてマルコに説明を始めた。

「彼女は体内に『奇怪虫』が寄生していて浸食されている状態です」
「キカイチュウ? そりゃあ何だい?」
「言うなれば寄生虫です。でも妖怪の系統なので通常の人には見えません。この虫は人に寄生して血管や神経に根を張って卵を産み付けるの」
「虫…でも妖怪か。しかも性質が悪いな。で、そいつに寄生された奴はこのまま死んじまうのかよい?」
「死ぬだけなら良いのだけど、卵が孵化し始めると寄生した人間に命令を下し始めます」
「それはどんな命令だよい?」
「『人を喰らえ』です。」
「なっ!?」
「人間を襲い、血肉を喰わせて栄養分とするんです。そしてある程度成虫になった時、身体の皮膚を突き破って外に出て、再び寄生する先を求めるんです」
「……」
「彼女は恐らくあと五時間ほどで卵が孵化する状態にまでなっているかと……」
「処置は…間に合うのかよい」
「わかりません。ただ……、可能性は低いかもしれませんがマルコさんに掛けてみようと思って」
「お、おれに!?」

マヒロの言葉にマルコは目を見開いて驚きの声を上げた。

「根が深い為に神経や血管等の細胞を無傷で除去することは不可能です。除去しつつ細胞の修復を同時に行う必要があるのだけどそれには凄く時間が掛かります。それに……彼女の場合は心臓部に近い場所に寄生されていますから余計に時間が掛かってしまうだろうし、5時間以内になんてとても無理です」
「……で、おれに掛けるってェのは?」
「不死鳥の再生の炎を分離して人に与えることはできませんか?」
「……再生の力を他人に与えるなんてのは不可能だよい。再生できるのはおれ自身の身体だけだよい」
「怪童児の時に炎の塊を飛ばしましたよね?」
「ん? ……あァ、あれねい……」
「あの時の要領で再生の炎を出してみてください。私が霊気を纏わせて形にしてみます」
「まァ試しにやってはみるけどよい」

半信半疑ながらマルコは右手に蒼い炎を纏わせた。そして以前、怪童児との戦いの折に炎の塊を飛ばした要領で右手に炎の塊を作り出した。これにはマルコ自身も驚いて目を丸くして瞬きを繰り返した。

「で、できるもんだねい。だがこれが再生の炎かどうかってのは正直わからねェ。それに、仮にそうだとしても、他人が負った傷を再生させることができるのかどうかも疑わしいよい」

マルコは作り出した右手の蒼い炎の塊を見つめながら自信無さげに言った。そんなマルコにマヒロは不思議そうな表情を浮かべながらマジマジと見つめた。

「不安げなマルコさんを初めて見ました。何だか凄く新鮮」
「っ!」

マヒロが少し頬を紅潮させて嬉しそうにそう言うとマルコはハッとして直ぐにムッとした表情を浮かべた。

「目をキラキラさせて暢気に喜んでる場合じゃ無いよい!」

ばちんっ!

「痛っ!?」

マルコは不機嫌になりながらマヒロに左手でデコピンをお見舞いした。

―― 利き腕じゃないのにこの攻撃力って何!?

赤く激痛が走った額を左手で摩りながらマヒロは右手をマルコの右手にある炎に翳した。
青く揺らめく炎はとても綺麗で神秘的に魅せる。触れても熱く無いのが余計に不思議に思わせる。

「じゃあ試してみましょう」
「試すって…マヒロ!?」

マヒロは徐に右手の甲に霊気を纏った左人差し指で一突きして貫通させた。激痛と生温かい血が溢れ出した手をマルコの右手へと差し出すとマルコは左手にも右手同様の炎を纏わせて両手でマヒロの手を包み込んだ。

「何をするかと思えばバカなことしてんじゃねェよい!」
「っ…、い、一番手っ取り早い方法だと思って」
「治せなかったら事じゃねェかよい!」
「ううん、大丈夫」
「はァ…、そういう自信がどこから出てくるのかねい……」
「マルコさんの力を信用しているからですよ」
「! ……マヒロ……」

これはマヒロにとって掛けだった。

怪童児の戦いの後に不死鳥の能力についてマルコから色々と聞いた。青い炎は再生の炎であり、決して攻撃に特化したものではない。だがその炎の塊を作り出して『攻撃する』ということを可能にしたのが霊気なら再生の力そのものを他者に与えることも霊気の力で可能になるかもしれないと、マヒロはそう思ったのだ。由香に残された時間が無い以上はマルコの能力が飛躍的に向上されていることを頼みにするほか無かった。

そして――。

「……凄い。痛みが…消えた」
「なっ!?」
「凄い…、綺麗に戻りました。ほら」

マルコの両手に包まれた左手を見れば傷付いて血を流していたはずの甲は傷一つ無く綺麗に完治していた。マヒロがそれをマルコに見せるとマルコは目を見開いて唖然とした。

「……マジ…かよい?」
「本当に不思議な力ですね」

マルコはマヒロの左手を掴んで甲をマジマジと見つめた。

―― っ……、本当に傷が…消えちまってるよい。

驚きのあまりに固まるマルコにマヒロはマルコの目の間に手をヒラヒラさせた。

「だ、大丈夫ですか?」

マルコはハッとして我に返るとマヒロの手を離して頭をガシガシと掻いた。

「……けどよいマヒロ」
「ん?」
「これはおれの勘だけどよい、恐らく”マヒロだから可能だった”のかもしれないよい」
「え?」
「おれ自身も変化を多少なりとも感じて能力が向上していることは自覚してんだ。だからどういうことが可能か不可能かなんてのは感覚的にだがわかるんだよい。今のマヒロの再生はおれがどうこうしたっていう感覚が無かったからねい。それがどうにも気に掛かるんだよい」

折角の光明を潰すようで申し訳ないといった表情を浮かべながらマルコがそう告げるとマヒロは傷が治った左手の甲を見つめて少し考えた。

―― 私だから? ……それは一理あるかもしれない。つまりそれは……。

「……霊糸の転換…かも」
「レイシの…テンカン?」
「私の霊気でマルコさんの能力が向上したのならその能力を更に引き出したのも私の霊気ということです」
「……よい?」
「えっと……、私の怪我を再生することができたのは私の霊気と私の霊気の影響を受けたマルコさんの能力が霊気の糸で繋がり変化を起こして可能にさせた…と言えばわかりますか?」

マヒロの説明にマルコは目をパチクリさせると腕を組んで眉間に皺を寄せた。

「おれの能力の中にマヒロの霊気が混ざっていて、その霊気の持ち主であるマヒロが触れるとおれの能力の中にあるマヒロの霊気が呼応して再生を可能にさせたってェことかい?」
「はい」
「成程…ねい」

マルコはゆっくりと目を閉じると少し天を仰いだ。マヒロはマルコが何か難しく考え込んだと思ったのだが、何故か口元が笑っているように見えて眉を顰めて首を傾げた。

―― あの…マルコさん……、どうして笑ってるの?

訝し気に見つめるマヒロをマルコは片目を薄らと開けて見つめ、更にクツリと小さく笑った。

―― 強ェ繋がりがあるってェことが妙に擽ったくてよい、それが何故か嫌な気どころか寧ろ嬉しいと思っちまうなんてねい……。

「マルコさん」
「悪ぃ、何でも無ェ。それより時間が無ェんだ。処置の方法があるってェなら、おれはどうすりゃ良いんだい?」
「あ、はい。えっと、とりあえず彼女の左胸の辺りで再生の炎を出して翳してください」
「ん? この子には効かないだろい?」
「私が奇怪虫を除去しながら再生の炎を霊気で包んで体内へ流します。これならかなり時間は短縮されますし確実に彼女の身体への負担は減りますから」
「そんなこと……できるのかよい?」
「私次第ですね。あ……、何だかちょっと優越感」
「……チッ」

マヒロが少し嬉しそうに言うとマルコはこれ見よがしに顔を逸らして舌打ちをした。しかもかなり不機嫌な顔でだ。マヒロはマルコを優しくて紳士な大人だと思っていたが、ここにきて存外子供染みた部分が垣間見えた気がして笑いそうになった。だが笑ってしまったら更にマルコの機嫌が悪くなりそうだと思って必死に抑えたが、何だかマルコのより深い素の部分に触れた気がしたマヒロは少しだけ嬉しい気持ちになった。

―― ……っと、惚気てる場合じゃなかった!

バシバシ!

集中を促す為に両手で頬を叩いて気合を入れたマヒロは両手に霊気を高めた。そしてマルコは未だに不服そうな表情を浮かべながらも再生の炎を滾らせ纏った手を由香の左胸下辺りに翳した。するとマヒロは左手には奇怪虫を除去する為の攻撃的な霊子を、右手には回復させる為の復元の霊子を纏わせ、右手をそのままマルコの手の甲に乗せて再生の炎と復元の霊子を結合させて間接的に由香の体内へと流していった。

「……」
「……具合はどうだい?」
「全然違います。死滅した直後に再生が始まり傷が塞がっているみたいで問題は無さそうです。これなら二時間もあれば十分です」
「そうかい。なら良かったよい」

由香の体内に巣食う奇怪虫とその卵を丁寧に駆除しながら正面で見守るマルコの表情をチラっと見ると心底から安堵した表情を浮かべていることに気付いたマヒロは、何となく胸がチクッと痛むのを感じた。

―― ……聞いても…良いかな?

知りたいようで知りたくない、そんな相反する気持ちを抱えて少し間を置いたがやはり気になって仕方が無くて、マヒロは思い切ってあることを聞いてみることにした。

「マルコさん」
「何だい?」
「マルコさんはその……ご家族って居るんですか? その…奥さんとか、お子さんとか」
「は?」

―― は? って…、え? わ、私の質問の仕方がおかしかったのかな?

由香の兄を宥める際にマルコの口から発された『家族』という言葉が妙に重きを感じた。それに安堵の表情を浮かべて由香を見つめるのは心配する家族を思って現れたものだろうとマヒロは感じた。だからきっとマルコにも大切な家族がいるのだろうと思って聞いてみたのだが、予想と異なる反応を返されたマヒロは少し戸惑った。

―― 年齢は聞いて無いし、見た感じではマルコさんってそれなりの年を重ねているみたいだから奥さんとか子供がいたっておかしく無いと思ったのだけど……。

チラリと伺うようにマルコに視線を向けると安堵の表情が一転して眉間に皺が寄り不機嫌な表情へと変えられ、何故か睨んで来るマルコにマヒロは目を丸くした。

―― え? ど、どうして睨むの?

「マルコさっ」
「集中しろい」
「っ…は、はい、す、すみません」

何故かドスの利いた声で言われ、マヒロは慌ててマルコに謝罪した。

―― な、何? 聞いちゃいけないことだったのかな? ……ハッ! ま、まさか! 海賊稼業に嫌気が差した奥さんが子供を連れて船から降りて逃げたとか!?

等とマヒロがそんな想像をした瞬間にバチン! という音と共に衝撃と激痛が額を貫いた。

「痛っ!?」
「おれァ妻帯者じゃねェしガキもいねェよい」
「なっ、何でわかっ」
「マヒロの顔を見りゃあ何を考えてるかわかるよい」
「っ…、ご、ごめんなさい」
「よい」

両手が塞がっている為に鈍痛を起こす額に手を当てることができず、きっと赤くなっているんだろうなと思いながら初めて不機嫌な『よい』を耳にしたマヒロは一瞬の衝撃で手元が狂いそうになり、ちょっとだけ焦った。

―― しゅ、集中してさっさと終わらせよう。

またマルコは眉間に深い皺を刻みながら口をへの字に曲げて更に不機嫌な様相を浮かべ、心内で「チッ」と舌打ちをした。

―― 今更何を考えてんのかと思ったらおれが妻帯者だ? しかも『逃げられた?』ってェなァ随分な想像をしてくれたもんだよい。クソッ……。

大体数日前に『おれはマヒロが欲しい』と言ってキスをしたというのに、その時点でマルコが独身者であることをマヒロは認識しているものだとばかり思っていた。ここに来て(全くあり得ないが)万が一にでもマルコが妻帯者で子供付きだったのなら――不倫関係じゃねェか!! と、マルコはそこまで想像して更に眉間に皺の数を増やした。

そして、この治療が終わるまで、どちらとも一言も話すことは無く、気まずい沈黙が続いたのだった。

奇怪虫

〆栞
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