14


早朝、夜が明けて間もない時間に玄関の戸を強く叩く音が静寂を壊した。
起きがけの眠たい目を擦りながらマヒロは適当に羽織るものを肩に掛けて玄関に向かった。

「はい」

そう返事をしながら顔を出すと一人の若い男が血相を変えて玄関の中へと駆け込み、両手と膝を地面に突いて息を切らしていた。

「だっ、大丈夫ですか!?」
「はァはァっ…」

一連の騒動に何事かと眠たげな目をしたマルコが遅れて玄関へ顔を出すと、男はマヒロの足にしがみ付き、それを見たマルコは眠気から覚めるように目を見開いてぎょっとした。

「おい、何して」
「助けてくれ! 幻海って人の力を貸して欲しいんだ!」
「え?」
「……ゲンカイ?」
「頼む! 頼む!!」

声を震わせながらマヒロに縋りつく男の目には涙が溢れていた。
尋常ではないことは確かだ。だが兎に角落ち着いて話を聞かないことには対処ができない。

それに――。
幻海はもう他界してこの世にいないことを伝えなければならないのだから。

状況が上手く呑み込めていないがマルコはマヒロに縋り付く男の首根っこを掴んで引き離そうとした。だが男は頑なに離そうとせず、必死の様相で首を振った。

「とりあえず落ち着けよい」

なかなか落ち着きを取り戻さない男にマルコは強引に引っ張って両肩を掴み、男の目を見据えて強い声音で言い聞かせるように言うと、男は「っ……」と声を引っ込めて小さく頷いた。

―― マルコさん……、流石と言うか…目付きが据わって怖い。

普段のマルコは温和で優しいのに、この男に対して鋭い眼光で凄んだマルコを見たマヒロは海賊の顔を持ったマルコの姿を垣間見た気がした。

「まずはゆっくり。落ち着いてください」
「す、すみません」
「何があったんですか?」

落ち着きを取り戻した男にマヒロがゆっくりとした口調で問い掛けると男はマヒロとマルコを交互に見ながら話し始めた。

「妹を、妹を助けて欲しいんです。直ぐそこまで車で来たのですがエンストして動けなくなってしまって、仕方が無くここまで走って来たんです。車には妹と両親がいるんですが……お願いです、助けてください!」
「話がよく見えねェよい」

男の話にマルコが眉を顰めてそう言うとマヒロは男の肩に手を置いた。

「まずは妹さんとご両親を迎えに行きましょう。場所はどの辺りですか?」
「あ、案内します」
「走って来て疲れたでしょう? あなたは奥でお茶を出しますから休んでいてください。大体の場所を教えて貰えればわかりますから」

マヒロはそう言うと男を客間へと通してお茶を出した。

「あ、あの」
「直ぐに戻って来ますからゆっくりしていてください」
「す、すみません」
「マルコさん、一緒に来てくれますか?」
「あァわかったよい」

男が乗って来た車がエンストした場所を聞き、マヒロはマルコと共に山を駆け下りて向かった。すると一つ下った先の傾斜が険しい道沿いに停車している車を発見した。

「あれだねい」
「待って」
「どうしたよい?」
「様子が…少しおかしい」

車がエンストして停まっているのだが明らかに上下にガタガタと揺れ動いている。車の中では男と女が必死になって一人の人間を押さえ込んでいるように見えた。

「ひょっとして……」
「何だいマヒロ?」
「マルコさん、車のドアを開けたら彼女を取り押さえてください」
「……わかった」

何故そのような指示を出すのかマルコにはわからなかったが、マヒロの表情が少し緊張しているのを見止め、ここは素直に指示に従うことにして頷いた。そして車の元に駆け寄るとマヒロが後部座席のドアを開けた。

「あなたは!?」
「大丈夫ですからどいてください」
「な、何だね君達は!?」
「息子さんから事情を聞いて助けに来ました」
「あ! もしかして幻海さんの使いの方ですか!?」

車内にいた男の両親とマヒロが言葉を交わしている間にマルコが反対側からドアを開けて暴れる女の腕を掴んで車外に引っ張り出して取り押さえた。

―― っ、女の癖に力が強ェな。……普通じゃねェってことか。

かなりの力を込めて取り押さえなければ腕を振り解きそうな程だった。マルコは女の背後から両腕を掴んで交差させて片手で抑え込みながら身体を抱き込んだ。その時に女の顔を見たが眼光が人間離れした獣染みたものでマルコは眉を顰めた。

―― 妖怪に関係してんのかもねい。

車内にいる者とマヒロが話をしている姿を見てマルコはそう思った。

「すみませんが何か縄状のものはありませんか?」
「い、いえ……」
「そうですか。じゃあ仕方が無いですけど少し手荒な真似をしますが許してくださいね」
「な、何をするんだ?」

マヒロが断りを入れるとマルコの元へ移動した。

「何をする気だよい?」
「気絶をさせた方が安全です」
「あァ、そういうことなら」

マルコは取り押さえている女の首の後ろを強めに叩き、女はガクンと気を失って力無くマルコに凭れ掛かった。

「なっ、何てことを!」
「由香!!」

車内にいた歳を重ねた男と女が悲鳴にも似た声を上げた。

「気を失っているだけだから安心しろよい」
「まずは家まで運びます。あ…、それと車ですけど……」
「っ…、車は私が残って何とかするよ。お前、由香に付いてやりなさい」
「はい……」

男がそう言うと女は不安げな表情を浮かべながら車を降り、マルコが抱える由香を見つめた。

「マヒロ、このままおれが運んで構わねェない?」
「えェ、お願いします」

マルコはマヒロを横抱きに抱え上げると颯爽と山を駆け上がって行った。

「あ!」
「大丈夫です。家まで少し距離があるので……えェっと、奥さん」
「え?」
「乗ってください」
「「へ?」」

少し言い難そうにしながらマヒロは女に背中を向けて屈んだ。女と車内に残った男が疑問の声を漏らして目をパチクリさせる。

―― まァ、普通はそういう反応よね。

苦笑を零しながらマヒロは「早く」と女に乗るように促した。

「で、ですが」
「私が小柄だから不安だと思いますけど娘さんを抱えて先に行った男の人を抱えて山を駆けたこともありますから、奥さんぐらい何とも無いので大丈夫ですよ? 」

マヒロがクツリと笑ってそう言うと女は驚きながら車内にいる男に目を向けた。

「急いでください。娘さんは見た感じではかなり重症でしたから早く診てあげないと大変なことになりますよ?」
「あ、は、はい!」
「あ、あの、娘を頼みますと幻海さんにお伝えください!!」

女が慌ててマヒロの背中に身を預けるとマヒロは立ち上がって男に視線を向けた。軽く頭を下げて「安心して待っていてください」とだけ告げると山へと駆け登って行った。

あまりの速さに男は驚いて口をあんぐりと開けたまま見送り、マヒロの背中に乗っかる女は「ひぃっ!?」と軽く悲鳴を上げるのだった。





客間に布団を敷いて気を失った由香を寝かした。直ぐ側には由香の兄と遅れてマヒロに抱えられてやって来た母親が不安そうに見守っていた。

「あの幻海さんは……?」

由香の兄が徐にマヒロに聞いたが真向かいに腰を下ろして由香の容態を診ているマヒロは何も言わずに集中していた。

―― ……やっぱり……。

真剣なマヒロに対して終始不安げな表情を浮かべる兄と母親が顔を見合わせた。それを由香の足元に腰を下ろしていたマルコがじっと見つめていた。そしてマヒロが由香の衣服の中に手を差し入れて腹部に置きつつ、反対の手で由香の衣服の裾を掴んだ。すると顔を上げたマヒロは兄、母親と順に視線を配って最後にマルコに視線を止め、マルコが片眉を上げた。

―― 何だよい?

「すみません……。えっと……」
「どうしたよいマヒロ?」
「お兄さんとマルコさんは部屋の外に出ておいて貰えませんか?」
「えェ!? どうして!?」
「何故だよい?」

驚く兄と首を傾げるマルコにマヒロは少し視線を泳がせたが深く息を吐いた。

―― 何故って……、私が彼女の服を掴んで何をしようとしているのか察せませんか?

「彼女の服を脱がせるからです!!」
「「!」」

マヒロがそう言うと男であるマルコと兄をこの部屋から隣の部屋へ追い出し、再び由香の元に戻ると衣服を脱がした。

「あの……、由香は大丈夫なのでしょうか? どこの病院に連れて行っても原因不明でたらい回しにされたんです。もう診てくれる病院が見つからなくて、仕方が無く家で療養させていたんですが容体が悪くなる一方で……、その内に手が付けられない程に暴れるようになって……ふっ…うぅ…」

涙ながらにこれまでの経緯を話す母親の言葉を耳にしながらマヒロは触診に掛かった。指先に霊気を集中して由香の胸部から腹部にかけて丹念に調べた。

―― いるのはわかってるの。絶対に見つけるわよ。

「最後の頼みで息子がよく当たると噂される占い師に占ってもらったの。そうしたら幻海という人なら解決できると言われて……人伝を頼ってここまで来たんです。……失礼を承知で言いますが、あなたは幻海さんでは無いですよね?」

母親の言葉にマヒロは手をぴたりと止めた。そして徐に顔を上げて母親を見ると申し訳なさそうな表情を浮かべてマヒロを見つめていた。

「聞いた話では幻海さんはお歳を召した方だと聞いておりましたから……」
「幻海は……私の祖母になります。私は幻海の孫で真尋と申します」
「幻海さんの……お孫さん?」
「はい」
「あ、あの、でしたら幻海さんは?」
「祖母は…幻海はもう他界しました」
「!!」

マヒロの言葉に母親は顔を青褪めて絶句すると同時に隣の部屋に控えさせた兄が勢い良く襖を開けて慌ててマヒロの元へと駆け寄りマヒロの腕を引っ張った。

「おい! どいうことだ!?」
「落ち着いてください!」
「落ち着いていられるか! 幻海って人が最後の希望だったんだぞ!? それなのに他界した!? じゃあ由香は、妹はどうなるんだ!? 助からねェってのかよ!?」
「だから今っ、私が調べてっ」
「あんたの名前は占いで一つも出てこなかったんだぞ!? 治せるわけないだろ!?」
「兎に角、腕を離して落ち着いてください!!」
「畜生!」

もし相手がお客でなければ逆にマヒロが腕を捻り上げているがそういうわけにもいかなかった。何よりこの兄は妹の為に必死になっているだけなのだからマヒロも彼の悲痛な思いを重々理解している。母親は息子を止めようとするがショックを受けている為か声が出せずにいるのもわかる。
だらこそ、何とか落ち着かせようと何度も声を掛けるが興奮状態の彼は聞き入れなかった。そしてマヒロの腕を掴む手がわなわな震えながらぐっと力を籠められ、マヒロの腕に兄の爪が食い込み痛みが走った。

「痛っ…」

どうにか宥めようとするも聞く耳すら持っていない相手にマヒロは顔を顰めながら仕方が無いと腕に力を入れて力付くで何とかしようとした。

「落ち着けよい」
「うァ!」
「!」

この状況を見兼ねたマルコがマヒロの腕を掴む兄の腕を掴んで捻り上げた。マヒロは驚いて痛む腕を手で擦りながら見上げているとマルコはマヒロにチラリと視線を配ったが直ぐに兄に戻した。

「てめェは興奮すると見境が無くなるみたいだねい」
「お前に何がわかる!?」
「気持ちはわからなくもないよい。家族が死にかけてんだから必死になるのは当たり前だ」
「だったら!」
「けどよい、助けようとしてくれている人に怒りをぶつけるのは違うだろい?」
「うっ……」
「マヒロ、悪かったよい。おれがこいつをちゃんと押さえ付けておくから続けろい」
「は、はい……」

少し戸惑いながらマヒロは由香へと向き直した。マルコの口から『家族』という言葉が出てきたことにマヒロは意外に思った。海賊なら『仲間』とか『船員(クルー)』と呼ぶはずだ。マルコの言う『家族』とは――とそんなことを思いながら触診を再開する。

右胸、右胸の下、右腹部、右下腹部、中央、左胸と順に診て行く。

―― ………!

「居たわ」

心臓左心室下側面付近にあるものを見つけた。侵入してから大分時間が経過している為か神経が相当にやられているのがわかる。血管の細部にまで根を張って浸食が酷い。暴れる始めていることから恐らく卵を産み付けられてふ化する寸前か、最早時間に猶予は無い。

「真尋さん、娘は助かるのですか?」
「……原因はわかりました」
「本当ですか!?」
「なっ…、じゃ、じゃあ妹は助かるのか!?」
「危険な状態に違いはありません。持ってあと五時間あるか無いか……」
「「!?」」

由香の余命先刻に相当のショックを受けたのか母親は気を失ってぐらりとその場に倒れ、兄は目に涙を浮かべて自分を押し止めているマルコの腕の衣服をギュッと握って項垂れた。

「マヒロ、手は無ェのかよい?」
「それなんですけど……マルコさんにちょっと相談が」
「何だよい?」
「えっと…、とりあえず二人を別室に運びましょう。治療中に入って来られても困りますから離れにでも休ませましょう。それから詳しいことをお話します」
「わかったよい」

マヒロがそう告げるとマルコは力無く項垂れる兄を抱え、マヒロが気絶して倒れた母親を抱え上げて離れの部屋に二人を連れていった。

「やれるだけのことはやります。可能性は低いかもしれませんが、まだ諦めないで」

気絶する母親を前に落胆気味に肩を落とす兄に向けてマヒロがそう声を掛けた。励ましの言葉を掛けるマヒロの背中をじっと見つめるマルコは少しだけ微笑を零した。

―― マヒロも十分に懐が深ェ女だと思うけどねい。

相手にどんな態度を取られようと決して怒らずに冷静に対処しようとするマヒロの強さにマルコは感心しつつ、マヒロと共に再び居間へと向かうのだった。

緊迫した朝

〆栞
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