12


ふと時計を見ると時計の針は午後一時を疾うに回って十分を指していた。

―― そういや腹が減ったよい。

マルコは今にも音が鳴りそうな自分の腹部に手を当てて軽く擦って溜息を吐くとマヒロに顔を向けた。未だに項垂れるマヒロの頭に手を置いて軽く撫でるとマヒロが漸く顔を上げ、マルコは少し眉尻を下げた笑みを浮かべた。

「マヒロ、昼飯にするよい。今朝の残りで握り飯を作っておいたんだがそれで良いかい?」

未だにショックを受けたまま呆然としているマヒロの頭を軽くポンポンと叩いてマルコは立ち上がったのだが、マヒロはまだ少し停止していた。

「そんなにショックを受けるようなことかよい?」
「……」
「マヒロ」
「……ハッ! あ、はい! あ、い、いえ、その、何だかすみません。あ、えっと、ここのところ昼食の用意までして頂いて……」

マヒロが修行を始めてからはマルコが昼食と夕食を作るようになっていた。
そもそもマルコは料理の経験は無かった。だが熱心に修行してクタクタに帰って来るマヒロを見たマルコは一念発起して包丁を手に持ったのが始まりだった。
常日頃から付き合いの長い男が料理をしている姿を眺めていたこともあって、何となく勘で適当に作ってみた。すると意外にも食えるものが作れたことにマルコ自身も驚いたものだ。それでも4番隊の作る料理の方が美味いし、マヒロが作ってくれる料理の方がもっと美味いとマルコは思っている為に「おれの手料理で悪いねい」と必ず謙遜の言葉を口にする。

「そんなことないです。昨日の夕飯だって……、女として嫉妬しちゃうぐらいにマルコさんの料理は本当に美味しかったのに謙遜しないでください」
「マヒロの作る飯には劣るよい」

マルコの料理の腕を素直に褒めるマヒロにマルコは鼻の頭をポリポリと掻きながら顔が熱くなるのを感じて苦笑を浮かべるしかなかった。

マヒロが言った昨日の夕飯の時のことだ。

午後から日が落ちるまでマヒロはマルコを相手取って組手を行った。その結果マヒロは体力も気力も使い果たしてぐったりとしてソファに倒れた。
疲労と悲壮感が漂うマヒロを見たマルコは精の付くものをと一人で山腹に流れる川へと向かい、魚を数匹釣って戻って来るとキッチンに立ってその魚を塩焼きにした。そして冷蔵庫にある野菜や肉などを手に取り、以前にサッチが作っていた料理の記憶を思い出しながら適当に作ってそれを魚の塩焼きと一緒に夕食として出したのだ。それが意外にも味がマッチしてとても美味かったのだ。

「マルコさんってば本当に料理が上手ですよね。どれも凄く美味しい。……本当に海賊なの?」
「いや、これは見様見真似で作っただけだよい」
「見様見真似?」
「おれの船でコックをやってる奴が居てねい」
「コックさんがいるの? 海賊船に? 専属のコックさん?」
「そいつも海賊だよい。サッチっていって4番隊の隊長でねい、4番隊の隊員は全員がコックで海賊なんだよい」
「そうんですか〜。……ふふ、きっとその人達の料理って美味しいんだろなって思います」
「どうしてそう思うんだい?」
「マルコさんの味覚を作ってる人達ですもの、美味しい料理を作るには味覚は絶対ですから。ふふ、そっか〜、料理人で海賊か〜」

マヒロは笑みを零しながらマルコが作った夕食を箸を休めることなくパクパク食べて完食した。マルコは料理に関して褒められること自体経験が無い為、何となく気恥ずかしくて何とも言えない表情を浮かべながら食事をした。

〜〜〜〜〜

と、他愛の無い会話をしながら食事をした昨晩の記憶を思い出しながらマルコは昼食用に作った食事をテーブルに出した。マヒロがお茶を淹れる姿を傍目にしながら小さく溜息を吐く。

―― まさかそんなにマヒロの胃を掴んでいるとは思ってもみなかったよい。

互いに向かい合って席に着くとお茶を片手にマルコが握ったおにぎりと少々の漬物をおかずにして二人は空腹を満たしていった。

「そもそもおれは料理なんてもんはこっちに来て初めてやったんだよい」
「へ?」
「自分で作った料理を自分で食ったのも、それを人に食べて貰ったのも初めてだい」

マヒロが淹れたお茶を飲みながらマルコはそう言った。少し気恥ずかしい気持ちになりながらマヒロから視線を外して苦笑を浮かべるマルコにマヒロは自分の耳を疑い怪訝な表情を浮かべてマルコを見つめた。
何となくマヒロから視線の矢が突き刺してくるような気がしたマルコはマヒロに視線を向けてヒクリと頬を引き攣らせた。

―― っ、な、何だよい? 否定したのが不味かったのか?

「……駄目」
「ッ、な、何が駄目なんだよい?」

マヒロがポツリと零した言葉にマルコは少しだけ目を丸くした。

「マヒロ?」
「マルコさんは本当に完璧過ぎます」

マヒロがそう口にすると一気にどよんと重たく暗い空気を背負うのをマルコは目に見えてわかってしまった。

―― 凹むのかよい……。っ、分かり易過ぎてこっちが辛いよい。

「完璧過ぎて……、私は自分が情けなくなってきました」
「マヒロ、おれはお前が思う程にできた人間じゃ無いよい。欲しいもんは何としても奪う根っからの海賊だよい? 完璧なんて思っちゃいねェし、出来ねェことだって沢山あるよい」
「えェ…そうです。出来る人ほどそう言えるんですよ〜」

マヒロはテーブルに突っ伏して人差し指でイジイジと回して言った。話せば話すほどマヒロが気落ちしていくようで、そんなマヒロを前にマルコはどうしたものかと頭をガシガシと掻いて溜息を吐いた。

―― ったく、ポジティブなのかネガティブなのか……。

マルコを気遣った時や修行を始めると言い始めた時のマヒロはポジティブ精神そのものだった。しかし意外にも脆いようで、本当はネガティブ精神の持ち主なのかもしれないとマルコは思った。

「あー……、何だ……、そう気落ちすること無いよい。マヒロはこんな得体の知れねェおれを助けて、こうして帰れるまで居候させてくれてんだい。何の疑いも無くだよい? おれが逆の立場だったなら、他の船員が認めたとしてもおれだけは最後まで疑って信用しねェだろうし、最後まで気を許さず厳しく接するはずだよい」

白ひげ海賊団の1番隊隊長として、また、船の取り纏め役としての責任も勿論あるのだが、元々マルコ自身は基本的に疑り深く、そう易々と他者に気心を許すような性格でもないのだ。それは身内の誰もが知っていることでありマルコ自身も自己分析で重々にそういう性分であることを理解している。
ただ一つの例外だったのはマヒロとの出会いだ。その時にはそれが全く当て嵌らなかったことが意外でありマルコ自身も非常に驚いて動揺していたことを昨日のことのように鮮明に覚えている――わけなのだが……。

「マヒロは何の疑いも無くおれに接してくれたし話も聞いてくれたろい? 大体、異世界から来たなんて話を聞かされても胡散臭くてよい、おれなら信じなかっただろうよい。でもマヒロはあっさりと信じてくれたからよい……、優しいんだ。マヒロはおれが優しいって言ってくれたが、おれからすればマヒロの方がずっと優しいよい。優しくて、素直で、そんでもって強ェ。本当に出来た女だよい」

影を背負い凹むマヒロの頭を撫でながらマルコが笑ってそう言うと、マヒロは顔を上げて目をぱちくりとさせてマルコを見つめた。

「それにおれはマヒロといると楽しいしよい」
「ッ! わ、私、その、そ、そんなこと」
「素直に褒めてんだから、そこは素直に『ありがとう』だよいマヒロ」
「っ、あ、ありがとう…ございます」
「よい」

マヒロは顔を赤くして俯きがちに礼を述べた。マルコはクツリと笑いマヒロの頭をぽんっと軽く叩いてクシャリと撫でた。

「よく素直に答えたねい、大変よくできました、だよい」
「マルコ…先生?」
「……おれァ弟子を持った覚えは無いよい……」
「ふふ、マルコ先生!」
「ッ、……よい」

その後、お握りだけでは少々物足り無さを感じていたマルコにマヒロが「良いのがあります」と言って席を立ち、カップラーメンを手にして戻って来た。袋を開けて蓋を開け、そこに熱湯を入れて蓋を閉じて待つマヒロにマルコは不思議そうに見つめて首を傾げた。

「マヒロ?」
「三分待ってくださいね?」
「あ、いや……、こいつは何だよい?」
「ふふ、誰でも簡単に作れちゃうお手軽なラーメンです」
「……まさか、湯を注いだだけで、できるのかよい?」
「非常食としても重宝されるんですよ?」

ニコリと笑って答えるマヒロにマルコは目を丸くした。視線を落としてカップラーメンなるものを見つめた。

―― 湯を注ぐだけで誰でも作れるってェなら、……味は兎も角として腹が満たされるなら本当に非常時に打って付けだよい。

三分経過するとマヒロが蓋を外してマルコの前に差し出した。マルコは箸を持って怪訝な表情を浮かべて見つめているとマヒロがクツリと笑った。

「味はそれなりに美味しいと思いますよ? とりあえず騙されたと思って食べてみてください」
「よ、よい」

マヒロに促されるままにマルコは不思議なカップラーメンなるものを恐る恐る食べ始めた。だが一口食べてみると目をパチクリさせて驚いた表情を浮かべてカップラーメンを見つめ、マヒロへと視線を向けた。

「こいつァどういう仕組みだよい!?」
「乾燥した麺にお湯を注いで元に戻してるの。美味しいでしょ?」
「あ、あァ、味も悪く無い…、いや、美味いよい。こいつは本当に驚いたよい。どうやって作るんだい?」
「えーっと……機械でババーっと作ってるんだと思いますよ?」
「……適当な説明をありがとよい」
「よい!」
「っ……」

もしこれが自分たちの世界でも作れるのなら非常食として本当に重宝できると思ったマルコだったが、マヒロの口から『機械』という言葉を聞いた瞬間に無理だと諦めた。
マヒロの世界とマルコの世界とでは文明力の差が歴然として大きく開いているのだ。もしこのカップラーメンを作る機械がマルコの世界で誕生するとしても、恐らくそれは自分が年老いて死んだ後、何十年もの時を超えないとできそうにないとマルコは思った。
軽くがっかりした気持ちを胸に抱いた矢先に満面の笑顔でマヒロがマルコの口癖を口にした。

―― んな笑顔で人の口癖を言うもんじゃねェよいマヒロ。……ッ、一瞬、つい見惚れちまったじゃねェかよい。

不意を突かれたマルコはカァァッと顔を赤くしてマヒロから視線を外してラーメンを食べるのだった。





昼食後、程無くして再びTVの前に座った二人は色々なゲームを楽しみ始めた。

最初はテニスというボールを打ち合うゲームで対戦した――のだが、数分後にマヒロはコントローラーを床に落として項垂れていた。

「本当にゲーマーです。十戦中三勝しかできなかった……」
「……よい」
「そもそも初めてプレイした人が最高ランクのコンピューターを倒したりなんて普通できます!?」

マヒロが床を叩いて悔し紛れにそう言うとマルコはスイッとマヒロから視線を外して頬をポリポリと掻いた。

―― いや、出来ちまったもんは仕方が無いよい。

マヒロはテニスゲームを止めて別のゲームソフトをファミコンに差した。

「じゃあ次はこれ。シューティングゲームです」
「何だい? ツインビー?」
「二人で協力して攻略できるのでやりましょう!」
「よい」

マヒロは気を取り直してコントローラーを手にして意気揚々と言った。嘆き節から一転して明るく振る舞うマヒロの姿にマルコは心なしかどこかホッとしてTV画面へと顔を向けた。
不思議な乗り物に乗って襲い掛かって来る敵をビームらしきもので撃ち落としながら進むゲームだ。やってみると最初の配管工の鬚オヤジの冒険や黄色い球を打ち合うゲームに比べて難易度が高いとマルコは感じて集中し始めた。

そして数十分後――。

「……えェ、そうですとも。私は基本的にゲームは見る専門でしたから」
「マヒロの祖母さんがゲームが趣味だって言ってたねい」
「えェ、あの人も相当なゲーマーでしたから。……マルコさん程では無いですけど」
「ッ、あ、あのよいマヒロ……、別におれはそのゲーマーって奴になるつもりは無いからよい」

マヒロがジト目でマルコを見つめる中、マルコは戸惑いながらマヒロを宥めるように言った。

「一人でクリアして二週目に突入して、あっという間にもうボスじゃないですか! このゲームって難易度が凄く高いで有名だったんですよ!?」
「へェ、そうなのかよい? っと、あ」
「あ!」

軽く髪の毛を振り乱してムキになって声を張るマヒロを他所にマルコは二週目のボス戦を倒すべく集中して戦った。そもそも『戦う』となるとどんな勝負であれ負けることが嫌い……と言うよりは負けることが許されない身だ。それが例えたかだか仮想世界のゲームであったとしてもマルコの性分からして『負け』はあり得ない文字なのだ。

「やっと終わったよい。悪い、クリアしちまったよい」
「物凄く達成感を味わってますよね……」

難易度は確かに高かったのかもしれない。配管工の鬚オヤジのゲームに比べたら時間も労力もそれなりに費やした感がある。結局はこのゲームもクリアしてしまったわけなのだが、マルコはあまり感情を顔に出すタイプでは無いはずなのだがマヒロにそう指摘されて苦笑を浮かべるしかなかった。

―― ッ、まァ…、それなりに達成感は……ねい。

この後、夕飯の時刻に差し掛かるまで多種多様なゲームをプレイした。そして夕食後も再びTVの前に座ってゲームを再開し、この日は一日中ゲーム三昧となったのだった。

「しかしよい、こんな生活は一日だけで十分だねい。毎日は流石に出来ねェよい。身体が訛っちまう」

コントローラーを置いて片手を肩に置いて首を左右に動かして大きく息を吐いてマルコは言った。

「マルコ名人」

そんなマルコを両膝を抱えるようにして座るマヒロがポツリと呟き、マルコは深い溜息を吐いてかぶりを振った。

「名人ってなァ……そりゃまたどういう意味だよい?」
「ゲームをやらせたら天才的な人を指すの。だからマルコ名人とお呼びした方が良いと思って」
「あー、マヒロみたいに何をやっても直ぐにやられて消えるような奴のことは何て言うんだい?」
「ぐっ! た、ただの……下手糞です」
「ははっ、そのまんまかよい!」
「むぅ! ッ、も、もう、暫くはゲームは禁止です!」
「問題無いよい」
「ッ〜〜」

愚痴るマヒロにマルコがしれっと答え、マヒロは悔しそうに顔を歪ませた。そんなマヒロにマルコは苦笑を浮かべつつ手を伸ばしてマヒロの頭をクシャリと撫でて宥め、マヒロは大きく溜息を吐いて怒りを消化させた。

「……楽しかったですか?」
「あァ、こっちの世界でしか体験できない遊びだったから楽しかったよい」
「そう…ですか……。あ、そう言えばTVが無いって言ってましたしね」
「映像を映すものはあるけどねい。しかし便利過ぎたり娯楽が多いとボケちまいそうだよい」
「ふふ、本当にそうですよね」

笑いながらゲームを片付けて一息ついた。
まったりとした時間が流れてのんびり過ごす。
本当に何も無ければこうして穏やかに一日が終わる。

怪童児との戦いから大分経つのだが、あれ以降は特に妖怪らしきものは現れることは無く、何も変わらない穏やかな日々が続いている。
マルコは正直な所を言えばそろそろ身体を動かしたくて仕方が無かった。
本当は緊張感が欲しい。
平和で穏やかな時間を過ごすのは嫌いでは無いが流石にそろそろ退屈に感じて来た頃だ。
元いた世界では書類仕事から船員の管理からと色々多分に仕事があり休む暇が無いほど忙しい毎日だった。緊張感を持った日々を今となっては懐かしいと思うようにさえなっていた。

それだけ穏やかでゆっくりとした日々を過ごしているのだ。

「そろそろ寝ましょうか」
「……あァ、そうするかねい」

マルコはその場でグッと背を伸ばすとそのまま身体を倒して右腕を目元に乗せて欠伸をした。
何の警戒心も抱くことなくのんびり過ごしている一方で脳裏に浮かぶ仲間達の顔を思い出しては不安が心を過る。

自分がいなくなったと知ったら彼らは心配しているのだろうか?
オヤジは、皆は――と、ふと思い出すと焦る気持ちが時折出てきて胸が苦しくなる。

早く帰らないと。
戻らないと――。

「マルコさん、ここで寝たら風邪ひきますよ〜?」
「……マヒロ……」
「はい」
「……いや…、何でもない…よい……」

ふと腕を退けて薄っすらと目を開けてマヒロを見ると、胸に抱いた焦りと不安が不思議と一瞬で消えた。
これは今に限ったことではない。
この世界に堕ちてマヒロと出会って以降、度々こうして重い気持ちになる度にマヒロを前にしてその気持ちがスッと消える不思議をマルコは感じていた。
不思議と気持ちが軽くなって後ろ向きになりそうな気持を押して前へと向かせてくれる――そんな感覚だ。
ただこれに甘んじて良いのだろうかと思うこともある。

マルコは何も言わずにまた目を閉じて大きく息を吐いた。

「マルコさーん、ここで寝ちゃうんですか〜? ……もう…、本当に風邪をひきますよ?」

マヒロの声が遠くから聞こえるがマルコは横になった途端に眠気に襲われて動くのが億劫だった。

―― あー……、ゲームってェのは身体を動かさない割には疲れるもんなんだない……だりぃ。
そう思いつつ重くなった身体を起こして移動する気力は疾うに無く、マルコはその場で寝ることを選んだ。
暫くすると首筋に手がそっと添えられて頭を上げさせられると、柔らかい何かを宛がわれて寝心地が良くなったマルコはそのまま意識を手放した。

数時間後――。

「……ッ」
「ス〜……ス〜……」

マルコはふと目を覚ました。
窓辺から差し込む月明りが真っ暗な部屋を少しだけ明るくしてくれている為、今の状況がどういうことか直ぐにわかった。

―― あー、このまま寝てしまったおれが確かに悪いよい。けど、だからってマヒロよい……、何故お前までおれの横で雑魚寝してんだよい?

直ぐ隣で身を寄せるようにして眠るマヒロがいた。それだけでドキンと心臓が一瞬だけ跳ねて動揺し掛けたのだが、マルコは大きく息を吐いて気持ちを落ち付かせた。
耳元で心地の良い寝息が聞こえて視線を向けた。すると直ぐ目と鼻の先にマヒロが眠っていてマルコはギョッとして息を飲んだ。隣で眠るならせめて背を向けて寝ていてくれたらどれだけ良かったことか、間近で見るマヒロの寝顔にマルコは口を開けたまま少々パニックを起こした。

「ッ!」

咄嗟に声が出そうになってその声をグッと飲み込んだ。
身体に感じた重みは毛布で頭には横長のクッションがあった。そのクッションを二人で並んで使っていたことになるのだが、よく見れば毛布もたったの一枚だ。

「……マヒロ、本当にお前は無防備過ぎるよい」
「ん……ス〜……ス〜……」

寒いのだろうかマヒロは暖を求めてマルコの方へ身体を摺り寄せて来た。
外はまだ暗くて月の傾きから恐らく真夜中の時分だろう。
マルコは起きて布団を敷き、マヒロを運んで寝かそうかとも思ったが、ふと引っ張られる感覚があって、見れば自分の服をギュッと握るマヒロの手があってマルコは諦めた。

「……仕方が無い…よい。こいつァ不可抗力だい」

溜息混じりにマルコはまるで自分に言い聞かすようにして言い訳を漏らした。そしてマヒロの方へと身体を向けて左腕をマヒロの首の下に通して腕枕をして、右腕をマヒロの背中に回してそっと抱き寄せた。するとマヒロはマルコの胸元に頬を摺り寄せて、心地が良さそうに眠った。

「ッ……、眠れねェよい」

腕の中に包む小さな温もりを感じながらマルコはポツリと呟いた。
暫くどこを見るともなく暗闇の部屋を見つめていたが、やはり疲労はまだ残っていたようで睡魔が突如として襲って来た。そしてマルコは間もなくして意識を手放して深い眠りへとついた。

そして翌朝――。

マルコが先に目を覚ましたのだが寒さもあって暫くそのままじっとしていた。するとマヒロも目を覚ましたのか「ん……」と声を漏らしてゆっくりと瞼が開けられた。

「おはよいマヒロ」
「……!?」

案の定、マヒロは顔を真っ赤にしてパニック状態となって一気に覚醒した。
至近距離で笑みを浮かべて見つめてくる青い瞳がとても綺麗だとかそんな暢気に感想を述べている状況ではない。何故どうして向かい合って抱き締められた状態で眠っていたのかマヒロは口をパクパク開閉を繰り返した。
一方、そんなマヒロをじっと見つめるマルコは昨日のことで互いの距離が一気に縮まったのを感じてはいたが、何せ相手は天然無自覚女であるマヒロだ。
甘い朝を迎える期待なんてのは一切していなかった自分は正しかったとマルコは思った。

「まままマルコさん! な、何で私……、ッ、た、確かにマルコさんの隣で寝ましたけど、どうして抱き締められてるの!?」
「寒そうだったからだよい。何もしてないから安心しろい」
「な、何もってどういうこと!?」
「……答えて欲しいかい?」
「!」

マヒロの問いにマルコはわざと悪い笑みを浮かべて言った。マヒロは目を丸くすると愈々居た堪れなくなったのかマルコの胸元に両手を付いて押しに掛かろうとした。だがその前にマルコがマヒロを抱き締める腕を解いて起き上がり、マヒロは呆然とした眼差しでマルコを見つめた。

「マルコ…さん?」
「朝飯」
「え?」
「起きて作ってやるから支度しろよい。修行、行くんだろい?」
「あ、は、はい……」

マルコは右手で左肩をマッサージしながら首を鳴らし、赤面して固まったままのマヒロを置いてさっさと顔を洗いにその部屋を後にした。

―― あァ、左肩が痛ェ。やっぱ固い床で寝るもんじゃないねい。寝返りもできねェまま固まって寝たから尚更だよい。

冷たい水で顔を洗いながらさっきまで感じていた腕の中にあった温もりをふと思い出すと自然と笑みを零していたマルコはふと鏡を見て眉をピクリと動かした。
口角が自然と上がっていた口元を手で覆って指でグッと押さえ、いつものポーカーフェイスに戻す。

「ったく、ガキかよいおれは……」

何も知らない初心な女を前にしてつい悪戯心が疼いた。
もしあの状況で動揺するマヒロを組み敷いたらどうなっていたかなんて考えた自分に「阿呆」と罵る言葉を投げた。

洗面台に両手を付いて盛大な溜息を吐く。
ほんのり顔が赤くて身体が熱い。
年甲斐も無く何を考えているんだとマルコは自分を叱咤するのだった。

意外な才能

〆栞
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