17


抱き締めるマヒロの涙が止まって落ち着きを取り戻してもマルコは腕を緩める事はしなかった。
感情の高ぶりから年甲斐にも無く子供のように泣いたマヒロは、少し気恥ずかしくなって顔を上げることができなかった。

―― はァ…、妹気質かァ……。

優しく抱き留めてくれるマルコの兄気質に甘えてばかりいれば、そう言われても仕方が無いなとマヒロは自覚した。
そんなことを思っていると、不意にマルコの手がマヒロの背中をポンポンッと軽く叩いた。そうして漸くマヒロは顔を上げた。そして見下ろすマルコと目が合った。

「落ち着いたねい」
「ッ…、は、はい」

抱き締める腕が解かれ、少し寂しい気持ちがマヒロの胸に去来する。だがクシャリと頭を撫でられ、泣き腫らした目元をグイッと親指で拭われると、何だかまるで子供扱いだとマヒロは思った。
文句の一つでもと顔を見れば何とも言えない穏やかな笑みを浮かべるマルコに、その気持ちは直ぐに消えた。

「あの…、これからどうするの?」

気持ちを切り替えようとマヒロは話題を振った。

「あァ、そうだねい。後は」
「後は?」
「この力を一つに纏めて合成したら、本来の持ち主に還すだけだよい」
「え……?」

マルコの言葉にマヒロはキョトンとした。それにクツリと笑ったマルコは右手を何も無い空間に翳した。
青く強く光る霊子が発生すると同時にその光はこの空間に広がり、暗い異空間を明るく白みがかった世界へと忽ち変えて行った。

「受け取れよい」

驚き固まるマヒロを他所にマルコは誰に言うでも無くそう言った。すると――。

「……え?」
「え?」
「「……はァ!?」」

二人の目の前にポンポンと音を成して現れた人物に、マルコとマヒロは目を見開いて激しく動揺した。
全く瓜二つの顔が並ぶ。
その顔はよく見知った顔以外の何ものでもない。

「わしは陽。つまり光を集めるのが仕事じゃ」
「わしは陰。つまり影を集めるのが仕事じゃ」
「「わしらは元より二人で一つ。時津守和多利という名の『世界』を渡る時の使者である」」
「……」
「……」

胸を張って自己紹介をする二人を前に、マルコとマヒロはただただ絶句するのみ。少し間を置いて漸くマルコが額に手を当てながらこの絡繰りの謎を考え始めた。

「いや、まァ、時ってェことは実体が無いってことか。それにその時津……、あー…世界ってェのが主って言うなら、世界が死なねェ限りあんた達は死ぬことは無い。そう考えりゃあ良いのかい?」
「「流石マルコ殿! 理解が早くて助かるわい!!」」
「え? な、何……? 私、よくわからないのだけど……」
「「マヒロは相変わらず理解力が乏しいのう」」
「う”っ……」

陽は空幻。
陰は空環。

死んだはずの二人が平然と姿を現してニコニコと笑っている。
マヒロはムスッとした表情を浮かべ、マルコは眉間に皺を寄せてガクリと項垂れた。

「「何だか騙された気がする(よい)」」
「「何じゃ二人して! 同じ世界の住人にしてやろうというのに引き裂くぞな!?」」
「は!? ちょっ、わ、悪かったよい!!」
「えェ!? ご、ごめんなさい!!」

空幻と空環の言葉にマルコとマヒロは慌てて謝罪した。必死に――。
マヒロはマルコの服を掴み、マルコはマヒロの身体を抱き締めて、お互いを離さないように身体を密着させる。
そんな二人の姿に空幻は「相変わらず仲が良いのう」とカンラカンラと笑うのだった。

「さて、力の還元を」
「よ、よい」

空環がそう言うとマルコは戸惑いながら右手を差し出した。空環がその手に触れると、マルコの身体から青い光が溢れ出し、空環へと流れていった。

「ッ……結構……力が抜けるねい……」
「そうじゃな。ここまで来るのに時間が掛かったからのう。元の状態に戻るのには暫く掛かるかもしれん」
「……そうかい」

マルコは持っていた力を空環に渡した途端に全身が重くなって倦怠感に襲われた。そしてどさりとその場に力無く腰を落とし、マヒロも膝を折ってマルコの支えとなるように身体を寄せた。
自然にそう動くマヒロに空幻は微笑ましく思いながら空環へと顔を向けた。

「先に行っておれ」
「うむ」

空環は頷くと共に光を纏って異空間へと姿を消した。

「ひょっひょっひょっ」

空幻は髭を撫でながら空環を見送ると、マルコとマヒロへと振り向いた。

「どっこいしょ」

マルコとマヒロの前に腰を下ろした空幻は、微笑みながら「別れは寂しいのう」と一言零した。
マルコとマヒロはお互いに目を見合わすと空幻へと視線を向けた。
空幻に何と声を掛けるべきかと答えあぐねている二人に対して空幻はニコニコ顔だ。

「あ、そうそう」

空幻は何かを思い出したかのようにそう言うとマルコに目を向けた。

「恐らくなんじゃが、霊光玉は再び元に戻されるじゃろう」
「は?」
「え?」
「人に返すということじゃ。妖怪達の暴走の抑えになるからのう」

空幻の言葉にマルコとマヒロは揃って目を丸くした。そしてマルコは眉を寄せて不満そうな表情を浮かべ、マヒロは眉尻を下げてがっかりとした表情を浮かべた。

―― マヒロに返すってェことになるのかよい。
―― じゃあ結局私は……。

全ては元の鞘に収まるということか。
望みはほんの一瞬の夢に終わるのか。

マルコとマヒロの思う所は同じだ。
二人の思考が手に取るようにわかっている空幻はニヤリと笑みを浮かべた。そして軽く頭を振ってマルコへと指を指した。

「お前さんに」

瞬きを数回繰り返したマルコは軽く首を傾げ、マヒロは更に目を丸くした。

「……今、何つった?」
「じゃから、マルコ殿、お前さんに返すんじゃよ」
「は? お、おれかよい!?」
「わ、私じゃなくてマルコさんに?」

驚く二人に今度は空幻がキョトンとした。

「そりゃそうじゃろう。マルコ殿以外に誰に返すというんじゃ? マヒロは普通の娘になりたがっておったのに、マヒロに返しては元も子も無いでは無いか。ならばマルコ殿しかおらんじゃろうて」
「い、いや、ってェことは、おれはつまり――」
「今までと変わらん生活じゃのう」
「――ッ!!」

然も当り前だと言わんばかりに空幻はそう言い切った。
マルコは目を見張って呆然自失となった。

「ま、マルコさん! しっかりして!」

愕然とするマルコにマヒロは声を掛けた。少ししてマルコはガクリと項垂れ、額に手を当てながらそれはそれは深い溜息を吐いた。

「……おれァ妖怪の抑えの為の餌ってことかよい」
「もう慣れたじゃろう?」
「なっ、……慣れ…た……よい」

全てが終わった後の『自由』とやらは、どうやら自分には無関係なのだとマルコは悟った。

「マヒロと共に生きて行けることが何よりの褒美じゃろうが、これ以上の贅沢を抜かすでないわ! そもそも”海を克服した悪魔の実の能力者”の時点でお前さんは異質じゃしな」
「!」
「あ、そうか!」

空幻の言葉にマルコとマヒロはハッとした。

「あの子はマルコ殿を生かす為にその力を与えたんじゃ。マルコ殿を生かすということは、マヒロを生かすも同然じゃ。流石にその力までは奪えんよ」
「ッ……、そうかい……」
「して、マヒロもいい加減に泣くのはやめんか!」
「だ…だって! ……ひっく…ふっ…、さ…サコ、チシ…うぅっ……」

またボロボロと涙を零して泣き始めたマヒロを横目にマルコは微笑を零しながら小さく溜息を吐いた。

―― こりゃあチシやサコの名は当分禁句だねい……。

ひっくひっくと泣くマヒロをマルコは抱き寄せた。そしてマヒロの背中をトントンとあやすようにまた慰める。
空幻は少し遠い目をしながらその光景を見つめた。
マルコの腕の中で涙に暮れるマヒロを見つめる空幻の目はとても穏やかで、それでいて父性愛に満ちたものだった。
マルコはマヒロを慰めながらそんな空幻を見つめ、ゆっくりと深呼吸をしてから真剣な表情へと変えた。

「幸せにする。約束するよい」
「……心配はしとらん。マヒロは心の底からマルコ殿を好いておるし、マルコ殿がマヒロを大事にしてくれておることもよく知っておる」
「!!」
「……ありがとよい」

空幻の言葉にマヒロはピクンと反応し、マルコはクツリと笑って礼を言った。すると空幻はニコニコしながらもポロリと涙を零した。

「ッ……、れ、礼を言われるようなことはッ、ふっうっ……グスッ……」

空幻は慌ててそっぽを向いたが、鼻を啜り、声音が震え、僅かに肩も揺らした上に腕で目元を拭う仕草をした。

「うぅっ…空幻、ひっく、ふっ、うっ…、あ、ありが…うぅ、あ、ありがとう〜!」
「ッ! うう、グスッ……マヒロ、し、幸せにのう!」

マヒロは泣きながらもマルコと同じように空幻に頭を下げ、しゃくり上げながら礼を述べた。すると流石に空幻も我慢ができなかったのか、年甲斐も無くボロボロと大粒の涙を零して号泣し始めた。

「な、泣くなよい」
「め、目にゴミが入っただけじゃ! では、わしはこれでおさらばじゃ! 元気でのう!!」
「あァ、空幻もない」
「よいよいじゃ!」
「空幻! 本当にありがとう!」
「よいよいじゃ〜!」
「よいよい!」
「ッ……、いや、まァ、良いけど…よい……」

最後の最後に何だか腑に落ちない気持ちになったマルコはヒクリと頬を引き攣らせながら静かに溜息を吐いた。

―― 人の口癖を何だと思ってんだよい……。

空幻は光を纏い異空間へと姿を消すまで満面の笑みを浮かべながら頭を下げた。そして空幻が去ると同時にマルコはマヒロを抱き上げた。すると足元から青い光が円を描き、蛍火を散らしながら柔らかい光が二人を包み始めた。
視界全体が青一色に変わる。その時だ。

「よくやってくれた。礼を申すぞ」

聞いたことの無い声が二人の耳に届いた。

「だ、誰?」
「時津守和多利……かよい?」
「え?」
「犠牲の精神も良いがこれからは己の身も大事にせよ」
「あァ、わかってるよい。……それをしたら怒って泣く女がいるからねい」
「ま、マルコさん!」

その声の主の言葉にマルコがクツリと笑って答えるとマヒロは顔を赤くして俯いた。

―― 時津守和多利って……『世界』って言ってたのに、話せるんだ……。

「それを聞いて安堵した。その娘をそなたの世界の住人とする」
「!」
「そうしてくれねェとおれが困るよい。じゃなきゃ、屍鬼じゃねェがおれもあんたに盾突くよい?」
「よいよい」
「ッ……!」
「……」

海賊らしい笑みを浮かべて言ったマルコに、まさか世界までもが『よい語』を使って来るなんて――と、マルコとマヒロは言葉を失った。

―― クソッ……、もう突っ込む気にもならねェよい。
―― な、何気にちょっとお茶目……? あ、マルコさんの顔が引き攣ってる……。

ガクリと項垂れるマルコにマヒロは苦笑を浮かべてポンポンと背中を叩いた。

「そなたらの世界へ送ろう。落ちる場所は”例の”場所だ」
「例の場所?」
「?」
「私がそなたを異世界へ飛ばし、”呼び戻した”あの島だ」
「!」
「呼び戻した?」

世界の言葉にマルコは目を丸くする一方でマヒロは眉を顰めて首を傾げた。

「そなたは妖怪の類と思ったであろうが、あれは私だ」
「! クッ、ハハッ、何だい! そうかよい!!」
「……は、話についていけてない……」

マヒロの世界から戻った時、例の島に感じた異質な気配があった。その時は敢えて気にも留めなかったが、まさかその正体が時津守和多利であるとは思いもしなかった。

―― 本当に何とでもできるんだない!
―― 何だか凄い疎外感……。

マルコは腹を抱えて楽し気に笑い、マヒロは口先を尖らせてムッとした。

「色々あったが、結果的には本当に良い”報酬”を貰った。礼を言うべきはこっちだよい」
「っていうか、どうして私がそんなにモノ扱いなわけ?」

マルコが拗ねるマヒロを見つめながらそう言うとクツリと笑った声が聞こえた気がした。
マヒロは納得のいかない表情を浮かべていたが、マルコの笑みにまァ良いかとクスリと笑みを零した。
これを最後に世界の声は途絶え、視界は一気に白くなって二人の意識はそこで途絶えたのだった。

終焉、そして別れ

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK