10


サカズキは自分と同じ意見を持つ海兵達を募った。すると同じ考えを持った海兵は半数近くに及んだ。
徹底抗戦――。
海軍の『絶対正義』の名の元に戦うのだと彼らは息巻いている。
恐らくではあるが、白ひげは必ず不死鳥を助けに戻ると踏んでいる。尚且つ、敵もまた不死鳥を狙っているのだから、再び姿を現すに違いない。
そう睨んだサカズキは、その時の為に徹底した警戒と防衛、そして訓練をするよう指示を飛ばした。

「ッ……、サカズキさんは本気であの化物達と戦うつもりでいるんだ……」
「こ、コビー……、おれ達はどうする?」
「僕たちはガープ中将の指示に従うことにしよう。どう考えても真面に戦えるとは思えない。犠牲が出るだけだし、きっと攻勢に出るより防衛を主に指示されると思うから」
「だ、だよな!」

コビーとヘルメッポはサカズキの元に意気揚々と集まる海兵達の波に逆らうようにしてその場を後にした。
コビーの思った通りにガープの指示は防衛のみに集中することだった。
それには大将青雉も同意見だったようで、「サカズキさんは本当に固いお人だ」と、ガープと話しているのをコビーとヘルメッポは耳にした。

コビーとヘルメッポは、先の戦いでボロボロになったマリンフォードの広場に足を運んで惨状を目にしていた。
大きくヒビ割れた大地の形状はどう足掻いても人のそれとは思えない程のもので、二人はゴクリと固唾を飲む。

「うへェ……、怖ェ……! こんな攻撃喰らっちまったら即死じゃねェか!」
「そうですね……」

顔を青褪めるヘルメッポに同意しながらコビーは、その攻撃を真に受けた不死鳥マルコが脳裏に浮かんだ。

―― 普通なら死んでる。でもあの人は死んじゃいなかった。……不死鳥だから? けど、尋常じゃない攻撃だったんだ。悪魔の実の能力者と言えども……ん?

コビーは視界の端に黒い影を見た気がして顔を上げた。
気配を伺いキョロキョロと視線を周囲に配ったが何も無く、勘違いだったのかと首を傾げた。

「ヘルメッポさん、誰かいませんでした?」
「こ、怖ェこと言うなよコビー!! 誰もいねェって!!」
「……ですよね……」

ヘルメッポは両腕を交差させて自身の身体を抱き締めるようにして叫んだ。

―― そ、そんなにビクビクしなくても……。ま、まァ確かに怖いですけど……。

昔の自分もこうだったなァ――と、ふと思ったコビーは溜息を吐いた。





暗い牢屋の中に相変わらず横たわるマルコはふと目を開けた。
ザワザワと妙に騒がしい。
恐らく来たのだろう、常に自分の側にいた小さな気配を感じた。
ぐっと目を瞑って溜息を吐く。
数時間前に連れていかれた部屋には別の気配が突如として現れ。その気配は空幻だ。

「……全部任せる。……そういう…ことかい……」

直接言われたわけでは無いが心がそう言っている。
教えることは全て教えた。後は任せたからのう――と。

空幻の笑う声が耳を掠める。
マルコはぐっと息が詰まる思いがした。

―― 役割って、あんたはそう言うんだろうけどよい……、おれはまだ……。

力がいる。
力がもっと必要だ。
足りない。
まだ足りない。
いや――。
力はあるのだ。強過ぎる程に。
安定。
そう、安定させる力が必要なのだ。
安定させる力はどうすれば――?
安定させるには器に収まる玉が必要だ。
そう、足りないのは『玉』だ。

「……くっ…そ……」

起き上がろうと身体に力を入れるとズクリッ――と激痛が走る。

「うっ、げほっ! ごほ!!」

競り上がる何かに堪らず咳き込み血を吐いた。
霊力を高めて力尽くで海楼石を壊そうにもできそうにない。
思いのほか浸食が早く、身体のダメージはとても深い。
力を入れるだけで痛みが走るのだから――。

力無く横たわりながら眉間に皺を寄せて「チッ!」と舌打ちをした。

―― こんな痛みぐらい我慢しろよい! 失う痛みの方がもっとでけェだろい!?

自分自身に叱咤して再び力を入れて身体を起こす。
拘束する海楼石やそれに繋がる鎖がジャラリと音を成し、それらがやけに重たく感じる。
悪魔の実の能力が失せて力が無いからでは無い。確実に自分の身体が弱っている証拠だ。

「……鍵、作れねェか……?」

両手に霊気を纏うとそれを操って細い霊子を作る。鍵穴にそれを差し込む様に動かし、もう少しというところで途端に霊気が消えた。

「……はっ、……相当、……ヤバい」

トンと背中を壁に預け、手は力無く膝上に落ちた。
視界が霞み始める。
グラリと身体が倒れるのだけを何とか踏ん張るが激痛が走り、自傷した傷は熱を帯び始めていた。

「パパ!!」
「……サコ……?」

愈々ダメかと再び冷たい石廊に倒れると同時に、聞き慣れた声が聞こえた。
霞む目を細めてぐっと見据えると、妖怪化したサコの姿がそこにあった。
肌色が青く、背中に蝙蝠型の羽根が生え、手足が大きく変異して鋭い爪を持つ姿。しかし表情は気弱な幼いサコのままだ。

「あ、いた! コビー! ここだ!!」
「!」

サコを追い掛けて来た海兵が声を上げて仲間を呼んだ。

「う、動くなよ化物!」

海兵は縄を手にして恐る恐る声を掛け、ジリジリと警戒しながらサコに近付いた。
サコは慌てて身構えるが、遅れて来た海兵が加わったことでサコはビクッと身体を震わせた。
しかし、加勢に来た海兵はサコとマルコを交互に視線を配ると「待ってヘルメッポさん!」と声を掛けて制止させた。

「な、何だよコビー!!」
「君は……、彼を助けに来たの?」
「ッ……!」

小さな体で幼い顔をした妖怪は、先の戦いで見た妖怪達とは似ても似つかない。
自分達に殺気を向けるどころか恐怖した面持ちで、明らかに腰が引けている。
コビーはこの幼い妖怪が人を襲ってどうこうするような悪い妖怪とは到底思えなかった。

「コビー、ヘルメッポ」
「あ、ガープ中将!」
「ガープ中将! 丁度良かった! ガキみてェだが妖怪がここに!!」
「!」

海兵二人に声を掛けた新手の男が姿を現す。
とても大きな身体をした老いた男を目にしたサコは更に身体をビクつかせて震えた。

―― こ、怖い! 怖いよ!! で、でも、助けなきゃ! ボクが、ボクがやらなきゃ!

強い気持ちがサコを突き動かす。
サコは身構えていた身体を反転させて牢屋の鉄柵を掴んだ。そして力を込めて左右に押し広げると、鉄柵は簡単にへしゃげて曲がり、サコは中へと入ってマルコの側に駆け寄った。

「助けに来たよ! ねェ! パパ!!」
「……パパ…じゃと……?」
「え?」
「あ〜ん? パパだァ〜?」

サコはマルコに抱き付いて声を上げた。
必死で心配して泣きそうな顔をしてマルコを呼び掛けるサコに、マルコは少しだけ笑みを浮かべた。

「……サコ……」

聞こえるか聞こえないかぐらいに小さく掠れた声で名を呼ぶ。
サコは涙を必死に堪えた。

―― 何とかしなきゃ!

力を込めようとした所でふと背後に近付く気配にハッとしたサコは慌てて振り向いた。すると老いた男が直ぐ側にいて「あ!」と驚く声を上げる。

「心配せんでえェ。お前さんが一人で助けに来たんじゃな?」
「ッ……!」

ガープはサコの頭に手を置いて一撫ですると、海楼石の鍵を手にしてマルコの腕を拘束する錠に差し込んだ。

「ガープ中将!? 何してんですか!?」
「待ってヘルメッポさん!!」
「何だよコビー! お前まで!!」
「彼を逃がす……。そうですよねガープ中将」
「はァ!? マジかよ!?」

ガープの後ろで言い合う二人にガープはニヤリと笑うとガチャリと音を立てて海楼石を外した。それと同時にマルコの身体から青い炎が発して瞬く間に全身を包むと、自傷した傷を含めて全ての傷が再生されていった。

「悪ィ、借りができたねいガープ」
「いや、今回は貸し借り無しじゃ」
「……」
「まァ、海兵失格じゃな」

ガープは眉尻を下げて「ガハハッ!」と笑った。

「しかしこの子は妖怪じゃろう? 何故お前をパパと呼ぶんじゃ?」
「色々訳有りでねい。おれが親代わりみてェなもんなんだよい」
「何じゃ? 人間のお前が妖怪の親代わりじゃと?」
「妖怪全部が悪い奴じゃねェんだ。屍鬼にとっては妖怪ですら道具みてェなもんだ。あいつに付き従う妖怪は全て傀儡化されて、本来の魂を持った奴らじゃあ無いからよい。……つっても、見慣れてない奴にとっては同じか」

マルコはぐっと立ち上がるとガープの後ろで青褪めるヘルメッポを見てクツリと笑った。

「ふぅむ……、見えなければ気にもしないんじゃが……」

ガープがそう零すと後ろにいるコビーも「確かに……」と頷いていた。

―― そりゃそうだ。見えないのが普通だからねい。

「とりあえず、おれは逃げても良いのかねい」
「んー、そうじゃな。この子を目撃した海兵達が慌てて探し回っておるし、サカズキが筆頭になって助けに来る者を捕らえようと血眼になっているが」
「だろうねい。……あァ、そういやァ空幻って爺さんが来たと思うんだがよい」
「む? 何故それを知っておる?」
「あァ気配を感じてねい。詳しい説明をしている暇はそう無いみてェだから省かせてもらうが、あの爺さんに伝言を頼みてェんだが……」
「う、うむ。何じゃ?」

マルコは足にしがみ付くサコの頭に手を置いて撫でると眉尻を下げた笑みを浮かべた。

「――――――」
「!」

それだけ伝えるとマルコはサコを抱き上げて牢から出た。
ヘルメッポは「ひっ!」と恐れ慄いていたが、コビーは「あの!」とマルコに声を掛けた。

「何だい?」
「……その、……あ、ありがとうございました!」
「ん?」

コビーは頭を下げて大きな声で礼を言った。隣にいたヘルメッポが「コビー?」と不思議そうな表情を浮かべていたが、マルコも何故急に礼を言われているのかわからずに首を傾げた。
ガープはコビーの意図を理解してかクツリと笑った。

「海兵を助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「!」
「ガハハハッ! おォそうじゃったな。そのことはちゃんと礼をせんといかん! 礼を言うぞ不死鳥!」

マルコは目を丸くしてコビーを見つめたが、ガープも揃ってコビーと共に頭を下げた。それには流石にヘルメッポも焦ってか頭を下げる。
サコはポカンと見つめていたがマルコはクツリと微笑を零してかぶりを振った。

「すべきことをしたまでだい。全てが終わったら、また海賊と海軍で敵同士だよい」
「はい! 全てが終わったら全力で捕まえに行きます!!」
「ハハ、できるならねい」
「おおおおれだって! や、やややってやる!」
「ガハハハハッ! 全てが終わったらじゃな!! 不死鳥、健闘を祈るぞ」

マルコは軽くガープに頭を下げるとその場を後にした。そしてコビーがガープに顔を向けて言った。

「で、どう説明されるおつもりで?」
「んー………………ぐがー……」
「「えェ!? 寝る!? ここで!?」」

ガープは腕を組み、眉間に皺を寄せて天井を仰いだ――が、コテンと首を倒して鼻提灯を掲げながら眠りに落ちた。
コビーとヘルメッポは目を見開き顎が外れる程に口を開けて叫んだのだった。

―― このせいでクビになったらどうしたら良いんですか!? ルフィさん! 僕は海兵をクビになるかもしれません!!

コビーが心の声で嘆きを上げていると、マルコと擦れ違いでやって来た人物に気付いて更に絶望した。

「あらら、逃がしちゃったってェわけですか?」
「「!!」」

―― あああああー……終わった……。

苦笑を浮かべるクザンを前にしてコビーとヘルメッポは顔がムンクの叫びになった。

「おれァ芸術はわからないから何とも言えないなァ」

クザンはそう言って眠るガープの鼻提灯に氷の弾丸を飛ばしてパンッと割った。するとガープはハッとして目を覚ました。

「逃がすにしても、もう少し何とかならなかったんですかね?」
「何がじゃ?」
「サカズキさんが悪魔の実の能力を持った連中を集めて不死鳥を捕まえようと追い掛けて行きましたよ」
「……まァ、……大丈夫じゃろう」
「傷は回復したみたいですけどね、顔色はあまり良く無いように見えたんで、どうだか……」
「ん?」
「そういえば……」
「それ、おれも気になった」

クザンの言葉にガープは目を丸くした。コビーやヘルメッポはお互いに顔を見合わせた。
青い炎を纏い傷を再生させて立ち上がり、笑ってはいたが、どこか、少し苦し気だったような気がする。呼吸も少し不規則だったような――と、コビーは思い出しながらガープへ視線を向けた。

―― 確かエースと同じ毒に侵されとると言っていたが……、あれは再生の能力でも回復はできんということか?

ガープは空っぽになった牢屋に視線を移し、途端に表情を険しくした。

「……じゃがまァ、大丈夫じゃろうと思うしかあるまい。ここで捕まって死ぬようでは、あの化物共を倒すことなど端からできんかったということになる」
「……ハハ、まァ、確かに」
「心配いらん。ワシを信じろ!! ガハハハッ!」

ガープはクザンの肩をポンポンと叩いて笑った。

―― いやァ、逆に不安……と言うよりも、何故、ご自分を信じろって言えるんですかね……。

その根拠は?
何を持ってそう言えるのか――。

クザンだけではなく、コビーやヘルメッポも全く同じ疑問を持つのだった。
一方――。
牢から脱出したマルコはサコと共に逃げていた。

「そっちだ! そっちに行ったぞ!!」
「ったく! しつこい奴ら――うおっ!?」
「簡単に逃がしはせんぞ不死鳥!!」

追い掛けて来る海兵達に一瞥した時、赤い塊が飛んで来るのが見えて咄嗟に躱した。

「赤犬!?」
「貴様はここでワシ自らが処刑しちゃるわ!!」
「くそっ! 頭が固ェ奴だなてめェはよい!!」
「黙れ!!」

サカズキは腕をマグマと化して攻撃態勢に入った。後を追う海兵達も悪魔の実の能力者が多数いて、彼らも同時に能力を解放してマルコに襲い掛かろうとした。
マルコは霊気を足に移行させて強く地面を蹴ってその場から逃げようとした。だが突然ガクンと膝を折った。

「パパ!?」
「げほっ! こほっ!!」

腹部を中心に侵食された体内を再生の炎は懸命に回復に取り掛かっている――が、非常に時間が掛かっている。
マヒロやエースに与えた屍鬼毒とは明らかに違う。
質の違いか、それとも器を手にして強力となった屍鬼の攻撃を直に受けたからかなのか――。
確実にそのダメージは身体を大きく蝕んでいるのだとマルコは感じた。
咳き込む瞬間に口元を塞いだ手に血糊があるのを見て眉間に皺を寄せた。そしてズクリと痛みが疼き、苦悶の表情を浮かべる。

「年貢の収め時じゃ。観念せェ、不死鳥」

サカズキは笑みを浮かべるとマルコの元へ近付いた。だがその時、サコが両手を広げて通せんぼするようにサカズキの前に立ちはだかる。
サカズキは眉間に皺を寄せてギロリとサコを睨んだ。

「なんじゃあ? 化物のガキが何故不死鳥を助けるなんぞ……ッ!」

途中で言葉を切ったサカズキは目を見開いた。そして更に鋭い眼付でサコと、その後ろで呼吸を荒くするマルコを睨み付けた。

「全て話は出鱈目か。不死鳥、禍々しい化物は全てお前の指図で動いてる、そういうことか」
「なっ!? んなわけねェだろい!?」
「ならば何故その化物は貴様を庇う? それが何よりの証拠じゃろうが!!」

サカズキがそう怒鳴るとサコは身体をビクつかせた。
怖いのだろう。だがそれでも泣かずに懸命に自分を庇おうとするサコに、マルコはしっかりしろと自分の身体に鞭を打ち、グッと痛みを堪えて立ち上がろうとした。

「不死鳥覚悟!!」
「ッ!」

前に立ち塞がるサカズキと自分を庇うサコに気を取られたマルコは、背後から仕掛けられた中将達の攻撃に反応が遅れた。

―― くそっ! 勘まで鈍るかよい!!

咄嗟に霊気を両手に纏わせて対抗しようとした。だが――。

「くっ! ごほ! ごほ!」

激痛が襲い咳が生じ、纏った霊気は弾けるようにして消えた。それを見たサコは「パパ!」と叫んだ。そして目の前に迫る海兵達を見るなりサコは青い光を全身に帯び始めた。

―― なっ、サコ!?

「うあああああん!!」

泣き叫ぶように声を上げながら青い光を発したサコに海兵達は目を見張った。

「なっ!?」
「何!?」
「何じゃと!?」

ズアッ!! ザパーン!!

遥か上空から水の塊が現れ、津波にのように辺り一帯を襲った。
海兵達もサカズキも力無くその場に屈して唖然とした。

―― 海水じゃと……? くっ、力が入らん……!

眉間に皺を寄せて睨み付ける先には、目に涙を溜めながら必死にマルコの腕にしがみ付く幼い妖怪の姿。

「パパ! パパ!」

サカズキは「クソガキが!」と苦々し気に吐き捨てた。

―― じゃが、これでは不死鳥も動けんはずじゃ!

悪魔の実の能力者全員が力無く伏している中、非能力者の中将や海兵達にサカズキは指示を飛ばす。

「何をっ……しちょる! ……早ぅ捕らえんか!!」
「「「はっ! はい!!」」」

呆然と立ち尽くしていた彼らはサカズキの声に我を取り戻し、慌ててマルコに襲い掛かろうとした。だがマルコは青い光を手に纏い、地面にそれを放った。

ズガァァン!

大きな音が鳴ると共に濡れた表面とは打って変わって乾いた中の層が砂埃を舞い上げ、視界は一気に悪くなった。
ゲホッゲホッと、酷く舞う砂埃を払い除けながらマルコの元へと駆け寄るも姿は無く、唖然として周囲を見回した。

「馬鹿な……! 奴は何故動けるんじゃ……!?」

サカズキは悔し気な表情を浮かべて言葉を吐くのだった。





砂埃を隠れ蓑に痛みと咳を堪えながら足に霊気を纏わせて逃げるのが精一杯といったところだ。
不死鳥化して空を飛ぶことは出来ないと判断したマルコは、陸地の奥、深い森へと身を隠すことにした。
まずは身体を侵す毒を解毒しないことには、幼い身で恐怖を押し殺して助けに来てくれたサコの足手纏いになる。
岩陰に身を潜め、それを背中にズルズルと腰を下ろした。

「ッ…こほっ、こほっ!」

また咳が出る。
相変わらず血を吐く。
口を塞いだ手が赤く染まる。

それを見たサコは顔を青褪め、泣きそうになりながら不安と心配を混同させた声音でマルコに声を掛けた。

「大丈夫!? ねェパパ!!」

マルコはクツリと笑うと汚れていない手をサコの頬に添え、零れ落ちそうになる涙を親指で拭ってやった。
だがそれを切っ掛けに、サコは涙をボロボロと零してマルコの懐に飛び込んだ。

「うあああん!」
「……サコ、……ありがとなァ」

礼を口にするとサコは首を左右に振った。

「ぼ、ボク、な、何も、何も! ふっ、う、あァァん!」
「……」

声を上げて泣くサコの心は不安と心配だけではない。きっと『チシの死』が大きく関係しているのだとマルコは察した。

「……悪かった。……本当に…悪かったよい、サコ……」

サコに謝罪の言葉を投げ掛けながらチシに向けて思いを馳せた。

―― チシ、すまねェ。おれは……、酷ェことしちまったかもしれねェな。

マルコはサコの背中や頭を撫でながら、その小さな身体をギュッと抱き締めた。

「ひっく……、うぅ……、パパ……ひっく、……ぼ、ボク…の、ボクの……」
「サコ?」
「ボクの力……で、その毒は…ひっく、き、消える…から、……あげっ、……あげる、ひっく……」
「!?」

―― な、……何だって!?

突然のサコの言葉にマルコは目を丸くした。
抱き締める力を解いてサコの顔を見やる。するとサコは腕で涙を拭い、眉尻を下げた泣き顔を懸命に笑顔にしてみせた。それを見たマルコはツキンと胸に痛みを走らせた。

―― 待て! お前ェ……何を!

マルコが声を発する前にサコは全身に青い光を纏った。そして両手をマルコの胸にそっと添えた。
この青い光は先刻にも見たが、改めて見せつけられると心の底から驚いた。

―― 同じ色…じゃねェかよい。……おれと…マヒロと…全く同じ……青……。

放たれる妖気の光は全く同じ『青』。
違いがあるとすれば霊気と妖気の違いだけで、全く同じだった。そして、サコの青い光はまるでマヒロの霊気と同じように、温かく、柔らかく、どこまでも深い優しさに満ちたものだった。

「ボク、初めてパパを見た時、あ、ボクと同じ色だって思ったんだよ?」
「!」
「ママも同じだったから本当にびっくりしたんだ。でも、ボクがパパに凄く懐いたのは、パパが”根源だった”から、パパに惹かれたんだ」
「な、何を言って…んだよい、お前ェ……」

―― 根源って……、それは……!

玉を収める器のことを言ってるのだと察した。しかし、何故サコがそれに惹かれるというのか――。その理由がとんとわからず、マルコは困惑した。

「ボクは海。悪魔の実の天敵。……パパの中の不死鳥さんはボクを嫌がるかな?」
「サコ!」
「ううん、大丈夫。きっと同じ色だから、ボクの力はきっと不死鳥さんの力になれる。だってボクは、その為に生まれて来たんだから――」
「!?」
「幻の実は幻じゃない。初めからその為に生み出された力。全てはこの時の為に……。そうだよね、お姉ちゃん」
「ッ! サコ……」

サコはエヘヘと笑みを浮かべた。
止まり掛けた涙がボロボロと流れ落ち、マルコの胸や膝に落ちて濡らしていく。
サコの身体を青い光が包み込むと胸元に触れた手からグンッと力が流れ込んで来るのを感じた。

「待て! お前!! それをしたら!!」
「――――――――」
「!!」

光が更に強くなると青い光は勢い良くマルコの身体へと流れ込んだ。
最後にサコは笑みを浮かべて口を動かしたが声は消えて音にならなかった。
目が眩む程にまで光を発すると同時にマルコの身体に力が漲って行く。
青い光と青い炎が混じり合うように迸る。
腹部の痛みは消え、重い身体は軽くなり、呼吸は楽になった。

「はっ……、だからってお前ェ、喜べるわけ…ねェだろい……?」

直ぐ側にあった小さな身体は跡形も無く消えた。そこにあった重みも温もりも空虚となって何も無い。
先程まで確かに存在していた幼いサコが消えた空間を、ただマルコは唖然として見つめていた。

ボクは海。
身体は消えるけどそこにいる。
ボクはいつも側にいる。
パパとママの間にお姉ちゃんがいるようにボクもいるんだ。

「……チシは……愛。……サコは……海」

グッと右手に拳を作って青い光を纏う。意識をすればそこから海水が現れ、腕を中心に孤を描きながら巻き付くように動いた。そして力を抜けば弾けるようにして消えた。
マルコはその手で目元を覆うと岩に背中を預けてグッと歯を食い縛った。

―― ……礼を言わなきゃなんねェのは”おれ達”の方だよい、サコ……。

頬を伝い顎先からポタリと落ちて自分の胸を濡らすその涙は紛れも無い自分の涙。
地下牢でチシの死を察して零した涙と全く同じ、辛く、悲しく、そして苦い涙だった。

――ありがとうパパ、大好き――

声にならなかったサコが最後に残した言葉が、身体の中から声となって大きく響いた――そんな気がした。

海氷砂魂

〆栞
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