06


白ひげ海賊団一行は、妖怪達の襲来による混乱に乗じてマリンフォードから脱出し、大海へと逃れていた。
撤退する際に、マヒロとエース、そしてルフィ等が抗議の声を上げたのだが、これは最初から決められていた約束事だったのだと、船長である白ひげが彼らに説明すると、納得こそしてはいないが抗議の声は消えた。
更に、王下七武海の一人である女帝ボア・ハンコック率いる一行が海軍の軍艦をどさくさに紛れて奪い、モビー・ディック号を追い掛けて来た。

「あ! ハンコック!!」

最初こそ白ひげ海賊団は戦う姿勢を取ったのだが、ルフィが手を振って声を掛けたことでハンコックは顔を赤く染めて悶える始末で、その姿を見た白ひげ海賊団一同は唖然とした。

「あァ〜ルフィ〜! 無事で何よりじゃ! 醜い化物どもが襲撃して来た時はどうなることかと思ったが、兄上も無事に奪還し、お互いに何事も無く、こうして生きて会うことができて……わらわは嬉しい〜」

両手を頬に添えてハートを飛ばしながら語るハンコックに、ルフィは鼻をほじりながら「そうだな」と笑って答えていた。すると少し距離を置いて見つめていたマヒロは直ぐ側にいるエースの耳を引っ張った。

「痛ェ!」
「あんた達義兄弟は女性に対するデリカシーってものが無さ過ぎるわよ」
「あれはルフィの性分で、おれは違ェだろ」
「……エースもでしょ?」
「何でだよ?」
「初めて会った時のエースの印象が私にそう思わせてるんだけど……?」
「……」

エースは眉を顰めるとマヒロから視線を外し、ハートを飛ばしまくるハンコックに何の反応も示さず普通に振舞うルフィを見つめ、軽く溜息を吐いた。

―― あァ、そりゃあ否定できねェかも……じゃねェ、今はそんなことどうだって良いだろ?

エースが話題を戻そうと口を開け掛けた時、船内から息を切らしたナースが甲板に現れると一瞬にして緊張が走った。

「サッチ隊長が!」
「「「!!」」」

ナースの言葉に弾かれるように誰よりも早く動いたのはマヒロだった。

「マヒロ!」

エースも慌ててマヒロの後を追うように急いで船医室へと向かった。そして部屋の扉を開けて中に入ると、ベッドの上に生気の無いサッチが静かに眠っている姿が目に飛び込んだ。

「サッチ!!」

―― 嘘だろ!? 何でだよ!?

目を見開き愕然とするエースを尻目に、4番隊の隊員達は泣き崩れるようにしてその場に突っ伏していた。隊長達も「くっ…!」と、悔しそうな表情を浮かべている。
マヒロは静かに眠るサッチの側に歩み寄ると頬に手を添えて「サッチさん」と、何度も声を掛けた。だがサッチは一切の反応もしなかった。
愕然としたエースはヨロヨロと後退って背中に壁がトンッとぶつかると、そのままズルズルと腰を落としてへたり込んだ。

―― マルコ……ッ、マルコ……!

まるで自分の身代わりとでもいうようにマリンフォードに一人残って戦う義兄の名をエースは何度も呼ぶのだった。





自傷による傷は仕方が無いことだ。
傷の回復が遅いのは力の安定の為に半分以上の力をそちらに集中しているからだ。
妖怪の攻撃を躱しながら攻撃をする度にそれは起こる。しかし、激しい痛みを伴いながらも一体一体と確実に倒していった。
海兵とはいえ差別して守らないなんてことはできず、襲われている者を助け、そして守りながら撃退するのにかなりの労力を要した。
最後の一体を倒した時、太々しい面をした男の姿が目の前に現れた。
マルコは一瞬驚いたが、グラグラと腸が煮え繰り返る程の怒りが込み上げてギリッと睨み付けた。

「ゼハハハハッ! 力が強過ぎるってェのも問題だなァマルコ!!」
「ティーチ!!」
「捕まえて弱らせる程でも無ェなァ」

殆ど勝ち誇ったかのように笑うティーチが右手に黒い妖気を溜め始めると、突如としてマルコに襲い掛かった。

「チッ!」

苦々しい表情で舌打ちをしたマルコは地を蹴って距離を取ろうとした。だが、身体に相当の負担が掛かっていたのかガクンと膝が折れた。

―― くそっ!!

咄嗟に霊気を集めて防御姿勢を取ろうとしたマルコだったが、ティーチの動きは黒い靄に覆われて視界から消え、気付いた時には背後から衣服を掴まれ地面へと引き倒されてしまった。

「しまっ――」
「喰らえ!!」
「――!!」

ズドォォン!!!

「かはっ!!」

ティーチは高圧縮に固めた黒い妖気の塊を纏う拳をマルコの腹部に力の限りぶち込んだ。
大きな轟音と共にマルコの身体を突き抜けたそれは、まるで隕石が落ちた後にできる大きなクレーターのように地面が抉られた。
ぶつけられた時の衝撃でバキボキと骨が折れる音と感覚に襲われたマルコは口から血を吐いた。
僅かに呼吸はしているようだが相当のダメージを受けたのか仰向けで倒れたまま動く気配は無かった。
盛大に舞い上がる土埃が風で払われると、愉快で堪らないとでもいったような笑みを浮かべるティーチの顔が現れた。
激痛で顔を歪ませながら小さく荒い呼吸を繰り返すマルコを見下ろすティーチは、徐に手を伸ばしてマルコのシャツを掴んで僅かに引っ張り上げた。
マルコの首がガクリと落ちる様から起き上がれるような状態ではないことを確認する。
だがそれでもギリギリではあるが意識を保っていたようで、マルコはギリッと歯を食い縛りながら鋭い眼光で睨み付けた。それにティーチは目を丸くしたが、直ぐに弾むような笑い声を上げた。

「ゼハハハハッ! あの攻撃を真面に喰らっても気を失わずにいれるたァ流石だな〜マルコ!」
「ッ……はっ……くっ……ティー……チ……」
「「あァ堪らない」」

声が二重になったティーチは舌舐め擦りをしてマルコをじっと見つめた。

「「お前の力は実に素晴らしい――」」
「――我が欲しかった力そのものだ」

ティーチの声音が徐々に屍鬼単独の声へと変わった。
貪欲ぶりが目に見てわかるように、舌舐め擦りを繰り返す度にポタポタと涎を零れ落とした。その涎がマルコの頬に落ち、首筋を伝い胸元へと流れ落ちるのを見た彼は、まるで性的な興奮を彷彿させるように身体を震わせ喜々とした。

―― ……はァ、親玉がこれだよい。ティーチの面なだけに、更に精神的にキツイ……。

身体の痛みよりも精神面の苦痛の方が正直酷い。どうせ同じように欲されるのなら、王牙鬼のような秀麗な男の方がまだマシだと普通に思ってしまった。

―― おっさんがおっさん相手に興奮してんじゃねェよい……。

傍から見れば異様な光景だろうと、視線を外して周囲を伺い見るがそれどころでは無い。
ティーチの放った一撃はあまりにも凄まじく、海兵達は顔面蒼白でガタガタと震え上がった状態で、己の意識を保っていることに背一杯といったところだ。

「このまま連れ帰ってお前を早速喰らうとしよう」

ティーチ――否、屍鬼は、興奮冷めやらぬ状態でそう言うと、黒い妖気を足元から吹き上げて移動しようとした。
だがその時――。

「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
「!?」

黄色い光が視界を横切ったかと思った瞬間、黄色い光の弾丸が屍鬼を襲った。
屍鬼にとっては霊気を持たない人間の攻撃など痛くも痒くも無い。
だが実体はそういうわけにはいかない。傷を負えば痛みは伴う上に動きも鈍くなる。これは身体を持つことのデメリットだ。
屍鬼はマルコを掴んだまま光の弾丸を避けようとした。だが背後から別の男が現れて大きな拳が屍鬼を襲った。
流石に避け切れないと判断した屍鬼は、止む無くマルコを掴む手を離し、地を蹴って距離を取った。
力無く落ちるマルコの身体はその拳を放った男に受け止められた。
霞む目を凝らして見上げれば白髪と白い髭を蓄えた老いた男の顔が映った。マルコはそれが海軍中将のガープであると認識した。

―― はっ、……まさかガープに助けられるとはねい。

「しっかりせんか不死鳥。お前さんには聞きたいことが山のようにあるんじゃからな」
「ッ……拷っ…問の……間違い…だろいっ……こほっ! ごほっ!!」
「いかん! 喋るな!!」

マルコは苦し気に顔を歪ませて血を吐いた。
ガープがマルコを抱き上げようとすると、距離を置いたティーチ(と思われる男)が鋭い目でガープを睨み付け、涎を巻き散らして叫んだ。

「人間風情が邪魔するな…! その男を、不死鳥を、我に寄越せ…!!」
「そういうわけには〜いかないねェ」
「ま、とりあえず一旦はお引き取り願えませんかね」

ガープの前に二人の男が割り込むように立ちはだかった。ティーチ(と思われる男)は片眉を上げると下卑た笑みを浮かべた。

「海軍大将が二人して海賊一人を何故守る?」
「そりゃあ捕まえるのがおれ達の仕事ですしね」
「わっしらは間違ったことはしてないつもりだけどねェ。不死鳥マルコは大物だ。ポートガス・D・エースと白ひげ海賊団の連中を逃がしちまったからねェ、海軍としてはせめて一人でも捕らえておかないと格好がつかないでしょう」
「サカズキさんも一応それで納得してくれませんかね〜」

クザンはそう言ってティーチ(と思われる男)から視線を外した。クザンの視線に促されるように屍鬼もそちらに視線を動かすと、険しい表情を浮かべながら腕をマグマに変えるサカズキの姿がそこにあった。

―― ……霊気を持たん人間相手に苦戦はしないが、身体(器)を傷付けられることは避けねば……。

「……我に牙を剥くか……」

ポツリとそう零すと屍鬼はクツリと笑みを浮かべた。

「少しだけ猶予をやろう」

両手を広げて天高く突き上げ、地の底から唸りを上げるように低く、天を突き破るかのような大きな声で叫ぶ。

「貴様ら人間に『変革』まで一週間の猶予をくれてやろう! 一致週間後、我は世界に向けて総攻撃を開始する! 世界政府も海軍も海賊も無い! 我ら妖怪にとって人間はただの餌であり生きる為の糧だ! 精々怯えて恐怖するが良い! 此度の戦いでわかっただろう! 我らの存在を! 妖怪を! 力を! そして……そこの男の異質な存在をなァ!!」

最後に屍鬼はガープに抱えられるマルコに指を指してニヤリと笑った。

「死にたくない者はその男を我に差し出せと海軍に抗議すると良い。あァ、忘れるところだった。白ひげ海賊団にマヒロという名の女がいる。その女を捕まえて差し出せば殺さずに我らと同等位の力を与えてやろう。ゼハハハハハッ!!」

盛大に笑うと足元から黒い妖気を巻き起こして全身を包み、瞬間的にその場から姿を消した。
この言葉はシャボンティ諸島で見守っていた記者達によって瞬く間に世界の隅々にまで広がった。
新聞には連日『妖怪』『化物』『世界の滅亡』の文字が連なり、世界は恐怖と混乱によって大きく揺れたのだった。
そして――。
海軍本部や駐屯地には毎日人々が押し寄せては「不死鳥を差し出せ!」「マヒロという女を捕まえろ!」――と、抗議の声を上げた。
一方、大海原では白ひげ海賊団にいるというマヒロを狙う海賊が増え、白ひげ海賊団は連日に渡って海賊達と戦う日々を送ることになる。
ただその前に――。
その日、小さな命が大切な者達に見守られながら静かに生を閉じることになった。

「……――」

海楼石を填められた状態で海軍本部の地下牢に幽閉されたマルコは、冷たい石廊に身を横たえたまま小さな声である名を呼んだ。

そういうつもりは無かった。決して簡単に捨てるようなことはするなと、何度も口にして伝えたはずだ。それなのに彼女はそれを選択した。

本当に優しい子だ。
優しくて……愛に溢れた子だ。

「……お前ェ、恩返しのつもりかよい……チシ……」

腕を拘束する海楼石とそれに繋がる鎖がジャラリと音を鳴らし、冷たい壁に反響して大きく聞こえた。
マルコはぐっと堪えるように声を押し殺して目を瞑ると、熱く濡れた滴が溢れて蟀谷を伝い、地にポタリと落ちた。

いつ以来だろうか。
もう覚えてもいない。

泣き方等、疾うに忘れたはずなのに、この涙は暫く止まりそうになかった。

一時休戦

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK