05


マルコが幻海を倒したのをカーナの攻撃を躱した瞬間に目にしたマヒロは、ドクンと大きく跳ねた心臓を鷲掴みされたかのように苦し気な表情を浮かべた。
先程まで自分と戦っていたはずの幻海は、マルコの手によって漸く永劫の眠りに就いたのだ。
飄々としながら微笑を浮かべて戦う幻海に苦心しながら対応していたマヒロは、最後に告げられた幻海の言葉を胸に刻んだ。

「マヒロ、この世界で幸せになりな」
「!」
「マルコは良い男だよ」

マヒロにそう告げると幻海は突然踵を返してマルコの方へと向かって行ったのだ。

―― ……幻海お祖母ちゃん……。

マルコや空幻から聞いていた幻海の愛ある言葉を面と向かって言われるとは思っていなかった。
マヒロは戦いの中だというのに涙が込み上げて泣きそうになるのを必死に堪えていた。そしてカーナの攻撃を受け止めて力の押し合いとなった時、マヒロは目を丸くした。

―― 何故?

苦し気な表情を浮かべて潤んだ瞳からポロポロと零れ落ちる涙で頬を濡らすカーナに、マヒロは反撃することができなかった。
押し止めていたカーナの腕を離すとカーナの腕は力無く落とされた。
涙を見せるカーナは小さく嗚咽を漏らし、戦う意思すら消失して力無く項垂れている。

「……何故、何故あなたが泣いているの……?」
「ッ……」

マヒロがそう声を掛けるとカーナの肩がピクンと反応した。

「ねェカーナ……どうして――」
「仕方が無いことだもの」
「――……え?」

問い掛けるマヒロの言葉を遮るように力無い声音でカーナは言った。

「私はどのみち端から選ばれなかった身だもの。願っても叶えられない運命なら、もう生きる望みは無いも同然」
「どういう……こと……?」

戸惑うマヒロにカーナは涙に暮れる目でキッと睨み付けた――が、直ぐに力無い表情へと変わっていった。

「私の魂の色は蒼。マヒロの魂の色は青。同じ『あお』でも違う色」
「!」
「悔しいけど、あの人の魂の色はマヒロと同じ青。だから最初から私の世界になんて落ちることは無いし、結ばれることも無いんだって……”幻海お祖母様”に諭されたのよ」
「ッ!?」

悲し気にそう話すカーナにマヒロは言葉を失い何も言えなかった。
何故彼女が幻海のことを『お祖母様』と言うのか――。

「あなたと私は、同じ時間、同じ場所に生きた同じ人物」
「え……?」
「でも、人格も魂も異なる同一人物。これを『同時多重次元現象』というらしいのだけど……、知らないわよね」
「!」

マヒロは愕然とした表情を浮かべた。そして「まさか……」とポツリと零すと、カーナはフッと微笑を零した。

「あの人は私の祖母でもあった。そう言えばわかるかしら?」
「そ、そんな、……じゃ、じゃあ――」
「私がマルコを愛していることも納得するわよね?」
「――ッ……!」

マヒロは目を見開きながら軽く呆然自失となった。だがそれでも何とか平静を保とうと必死に努め、それでいてカーナに憐憫の眼差しを浮かべた。するとカーナは「バカね」と一言小さく呟いた。

「同情するぐらいなら私にマルコを譲ってくれないかしら?」
「そ、それは……!」
「できないでしょう?」
「うっ……」
「本当に…、私と同じ人物のはずなのに、マヒロはとことん不器用で、鈍い上に照れ屋で泣き虫なお人好しね」
「……」
「あら、ぐうの音も出ないのかしら?」

肩に掛かる長い髪を払い除けながらカーナが嫌味を言うと、マヒロは胸を突かれた様に何も言えずにいた。

―― ほ、本当に私と同じ人物なの!? 何でこんな……、こんなに上から目線なの!?

戸惑うマヒロにカーナはクツリと笑った。

「本質の違いね。幻海お祖母様曰く、私は姉気質だけど、マヒロはとことん妹気質だそうよ」
「そ、そう…です…か……」

幻海の分析は的を得ている。

―― ひ、否定できない……。

自覚している部分もあったマヒロはガクリと項垂れて軽く凹んだ。そんなマヒロをじっと見つめるカーナはゆっくりと目を瞑って大きく息を吐いた

「……だから誰からも愛されるのよ……」

―― 本当に憎い程、貴女が羨ましい ――

もし自分がマヒロならどれだけ良かったか。
目を開けると離れた先にいるマルコの姿を捉えると拳をグッと握り締めた。

―― 覚悟は決めた。

そうしてカーナは再びマヒロに視線を戻すと静かに口を開いた。

「彼の手、離しちゃダメよ?」
「え?」

カーナはそれだけ告げると白い光に身を包み、その場から消えた。

「待って!」

消える瞬間に見たカーナの優し気な笑みにマヒロは慌てて彼女を捕まえようと手を伸ばした。だがそれは虚しく空を切り、制止の声も彼女には届かなかった。

―― カーナさん……。

もし自分がカーナの立場であるなら――そう思った時、カーナの心情を察したマヒロはキュッと締まる胸に「ハァッ」と短く息を吐いた。
自分がカーナの立場であるなら、きっと――大切な人を生かす為に命を捨てる――そうマヒロは思った。
胸元の衣服をギュッと掴み、堪えるように息を呑んで深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせる。

彼の手を離すなと彼女は言った。
幻海がカーナを姉気質と言った意味が何となくマヒロにはわかった。
本当は彼女だって手を離したくは無いはずだ。だがそれでも譲る覚悟をしたのだ。生かす覚悟をしたのだ。

「……私にはきっとできないよ……」

最後に見せたカーナの優しい笑みを浮かべながらマヒロは心から尊敬と感謝の気持ちを送った。





妖怪に襲われそうになっている海兵がいた。小さく悲鳴を上げる海兵に妖怪は容赦無く殺しに掛かった。
近くにいたクザンは助けようと手を翳した――が、見知った女が割り込むのを見るなりピタリと動きを止めた。

―― 麗しの漆黒拳士センザキ・マヒロ……だったかな。

マヒロが問答無用に妖怪を殴り飛ばす。妖怪はぐうの音も出さない内に軽く吹き飛ばされて行くのを見送ったクザンはポリポリと頬を掻いた。

「あらら、やっぱり普通のお嬢ちゃんじゃあなかったってことね」

尻餅を着いて震える海兵に手を伸ばして声を掛けて助け起こすマヒロにクザンが呆れた口調で声を掛けた。

「あ、」

その声に振り向いたマヒロにクザンは軽く手を挙げた。

「悪ィねェ。うちの部下を助けてくれて」
「いえ、」
「で。ちょっと良いかな?」
「はい?」

クザンはマヒロの元に来るとスッと手を伸ばしてガシッとマヒロの腕を掴んだ。

「はえ?」

マヒロは首を傾げながらよくわからない状況に思わず間抜けな声を漏らすと、ガチャンッ――と何やら不穏な音が耳に届いて腕が不自由となった。

「捕縛っと」
「えェェェ!?」

海兵を助けて御礼を言われながら手錠を掛けらるなんて予想だにしていなかったマヒロは「ちょっと!」と抗議の声を上げる。だがクザンは「一応、これが仕事だから」と軽く笑った。

「じゃ、連行よろしく」
「はっ!」
「あなたの部下を助けたのに恩を仇で返すの!?」
「まァまァ良いじゃないの」
「良くないわよ!!」
「聞きたいことが山ほどあるんでねェ、あんたは事情をよく知ってそうだったからちょっと話を聞かせてもらおうかと思っ――」

クザンがそう言い終える前にガチャンッ――と開錠するような音が響いた。

「逃げられました!!」
「あらら……手錠の意味は無しってことね」

マヒロの先を歩いて話をしていたのがどうやら不味かったようだ。振り向いた時には海兵が青い顔をして頭を深く下げる姿だけが残り、マヒロの姿はどこにもなかった。
手錠が軽く破壊されているのを見たクザンは「あの小さな子がまァ怪力とはねェ」と言葉を零した。
霊気を高めて破壊したのだが、そんなことを知る由も無いクザンはそう解釈したのだった。
一方――。
何とか難を逃れたマヒロは、眼前で倒れるサッチに目を見開いて愕然と立ち尽くした。

「嘘……」

力無くドサリと倒れるサッチの身体から黒い靄が弾けるように霧散して消えた。そして変異した身体も、浮かび上がった模様も、跡形も無く全て消えて元の姿に戻った。しかし、顔に生気は無く、口から血を吐いた形跡があり、如実に生命力が小さくなっていくのを感じた。

「サッチ…さ…ん……」

マヒロはガクガクする足を奮い立たせながらサッチの元へと歩み寄る。その最中にマルコへと目を向けると更に目を見張って驚いた。

「な、何……? ど、どうしてそんな……」
「マヒロ……、サッチを連れて先に船に戻れ」
「待って! 一体何があったの!?」

マルコもまた全身に深い傷を負っていて酷い有様だった。その傷を再生しようと青い炎が身体を包んではいるが傷は消えずに血がポタポタと流れ落ち、肌は焼け爛れたように酷く腫れていた。
相当痛むのかマルコは苦し気に顔を歪ませる。
マヒロはサッチを気にしつつも慌ててマルコの元へ駆け寄ろうとした。

「うひゅっ……、不死鳥、まさに化物ん。ま、まさかんあの力を使えるんなんて……、これはん屍鬼様に早く報告せねばん!」

甲高い声を発する妖怪がその場から離れようと動いた瞬間、マルコは一瞬にしてその妖怪の元へと移動してガシッと腕を捕まえた。

「うひゅ!?」
「逃がすと思うかよい!」
「や、やめ! お、お前らん! 助けっ――」
「てめェの主人も直ぐに後を追わせてやるから安心しろい!」
「――!!」

ドォォン!

「……ひゅ……あ……」
「はっ…くっ……」

霊派を直接浴びせると妖怪は力尽きてその場に倒れ、敢え無く浄化して風と共に消えた。だが同時に、霊派を放ったマルコの身体にも異変が起こっていた。
ピシピシと音を立てるようにして深く傷付き、苦悶の表情を浮かべながらマルコはよろけて倒れそうになった。
驚いたマヒロは慌てて地を蹴ってマルコの元へと向かうと、倒れる身体を抱き留めた。だが直ぐにマルコはマヒロの肩に手を置いてグッと押しやるようにして身体を引き離した。

「ちょっ、マルコさん!」
「マヒロ、また”さん付け”に戻ってるよい」
「そ、そんなこと、今は関係ないでしょ!? それより――」
「おれは良いから、マヒロ、サッチを早く連れて船に戻れ」
「で、でも!」
「サッチを死なせる気かよい!」
「!」

これまで本気で怒鳴ることしなかったマルコが初めてマヒロに向けて本気で怒鳴った。それにマヒロは思わずビクンと身体を硬直させて怯んだ。

「ッ…悪ィ」
「……う、ううん、良いの」

マルコは直ぐに謝罪の言葉を掛けた。
心配して駆け付けて支えようとしてくれるマヒロの心情はよく理解している。だが、切迫した状況の中、焦りにも似た気持ちからつい怒鳴ってしまった。
冷静さが欠けた原因としては、恐らく幻海を自らの手で倒したことによるところが大きいのだろう。
眉尻を下げて瞳を潤ませるマヒロの顔を見たマルコは小さく溜息を吐いた。

「心配するなマヒロ。この傷は全部自傷によるもので、敵にやられてできた傷じゃねェよい」
「えっ…、ど、どういうこと……?」
「悪ィが詳しく説明している暇は無ェんだ。急いでサッチを治療してやんねェと、だろい?」
「ッ……」
「サッチのことはマヒロに任せたよい」
「あ、」

マルコはそう言うとマヒロの後頭部に手を回して一度だけギュッと抱き寄せた。そして頭に軽く口付けを落としてからマヒロを押しやるようにして離れ、未だに残る妖怪達を駆逐しにその場を離れた。
マヒロは後を追いたい衝動に駆られながらもかぶりを振って自制した。そしてサッチを抱えるとモビー・ディック号へと急いだ。

―― 目を合わせてくれなかった。……気にしないで良いのに、……仕方が無いことなのに……。

マルコのマヒロに対する気遣いが、その優しさが、精神的な負担になっているのだとマヒロはそう思った。

〜〜〜〜〜

「(あたしゃマルコに殺されることにするよ)」
「!!」

幻海が、祖母が、自ら望んだことなのだ。

「(愛孫よりバカな弟子の方が恋しいなんて笑うかい?)」

戦いながら接近する度に飄々と笑ってそう言った。
囃し立てたり揶揄ったり、相変わらずな人だと思った。
傀儡化されたとしても魂の意志が強い祖母は何一つ変わっていなかった。

「(あたしゃ加減しやしないよ)」

言葉の通りに攻撃は本気だった。
助かるとわかっている孫娘に何故加減をする必要があるのさ――そんな声が聞こえた気がした。

―― だから……、だからあの時、私の腹部を貫くことだって平気だったんだ。

〜〜〜〜〜

モビー・ディック号に辿り着くまでの間、マヒロは自身でも気付かない内に涙を零して泣いていた。
幻海に対する涙なのか、マルコの気持ちを思っての涙なのか、或いは両方か――。

急いで走る中、目の前に黒い影が割り込んだ。

「!!」
「待機していて正解だったな。仙崎真尋。屍鬼様がお前を御所望だ」

浅黒い肌に三つ目の妖怪がマヒロの前に立ちはだかった。

―― 時間が無いのに!!

抱えるサッチの鼓動が小さくなっていくのを感じる。呼吸は非常に浅く弱い。本当に急がなければ死んでしまう。

―― マルコさんに託されたの。絶対にサッチさんは死なせない。

マヒロは抱えるサッチをゆっくりと下ろすと霊気を最大限に引き上げた。

「邪魔しないで!!」
「ククッ! なかなか良い霊圧だ。屍鬼様が求めるのも無理は無い。カーナはもう堪能し尽して飽きられておられたからな」
「!!」
「お前でなくてはならないのだ」
「誰が! 行くもんですか!!」

先手必勝とばかりにマヒロは攻撃を仕掛けた。高圧縮した霊気を纏う右拳を突き出す。だがこの妖怪はその辺の妖怪とは格が違うのか、マヒロの攻撃は難無く受け止められた。

「くっ!」
「不死鳥の女である以上、尚更欲しいとな」
「ッ…!」
「あの方は基本的に処女を好むのだが、お前は特別だ。屍鬼様に余程気に入られていることを光栄に思え」

腕を掴まれたまま至近距離でニタリと笑みを浮かべる妖怪に、マヒロは全身に悪寒が走るのを感じた。

―― き…、……気持ち悪い……。

嫌悪感が真面に顔に出ていたのだろう。

「不死鳥がそんなにイイか?」
「なっ!?」

思いも寄らない言葉にマヒロは顔を真っ赤にさせて動揺した。
妖怪はニヤリと笑うとその隙にマヒロに攻撃を仕掛けようとした――が、突如として横槍が入り、その妖怪は吹き飛ばされていった。
何事が起きたのかと視線を向けると大きな黒刀を軽く振るう見知った男の姿があった。

「あ、」

マヒロは思わず声を漏らした。

「……」

鷹の様な鋭い目を持つその男ミホークはマヒロと視線が合うも何も言わない。ただその沈黙が何よりもの言葉以上に思う所を表しているとマヒロは思った。

「あ、あの、その……、い、今のは聞かなかったことにしてください」
「……何のことだ?」
「ッ〜〜!」

片眉を上げて少しだけ微笑を浮かべるミホークにマヒロは口を噤んだ。そして顔を真っ赤にしながら急いでサッチを抱え上げた。

「その、ありがとうございます」
「折角の戦いを邪魔されたのでな。ただの暇潰しだ。礼には及ばん」

―― 相手が妖怪でも平気なんだ。……流石は世界一の大剣豪様。

マヒロは軽く頭を下げるとモビー・ディック号を目指して再び走り出した。ミホークはマヒロを見送った後、先程吹き飛ばした妖怪が立ち上がる姿を見てクツリと笑みを浮かべた。

―― 久方ぶりに遠慮無く本気で戦えるな。

世界一の大剣豪である鷹の目のミホークが一切の加減をせずに本気で剣を打ち払うと、その妖怪は思いの外呆気無く倒された。
ミホークは黒刀を背中に納めると「ふむ…」と何か納得したように頷き、遥か遠方で戦う男に目を向けた。
この手の相手を、それも多人数相手にたった一人で戦うというのだから、その力はとてつもなく強いことがわかる。
しかし、あまりに強過ぎる力なのか上手くコントロールができずにいるようで、攻撃をしながら自らも傷を負っていることから相当の負担なのだろうことが見て取れる。

―― 不死鳥の能力者でなければ疾うに死んでいよう……。

強過ぎる青いエネルギーはバチバチと音を立ててはマルコの身体をそこかしこに裂傷を負わせ、猛る青い炎がその傷を終始再生を行っている。だが、あのまま戦えば恐らく長くは持たないだろう。
あの再生の炎ですら傷を完全に癒せていない所をみると相当に深い傷なのだ。
所謂、あの力は諸刃の剣といったところだ。

しかし――。

あの時、右手に掲げられた剣のようなものを一振りした際、敵との間に距離があったにも拘わらず狙いを定めた全ての者が一度に身体を斬られて倒れたのを見て驚いた。そして、敵の後方に一瞬ではあるが空間が切り裂かれているのが見えて我が目を疑った。

「あれはおれにもできん」

どんなに鋭い太刀を振るおうとも空間を切り裂く等という芸当はまずできない。そもそもそう言った発想すら思い浮かばない。
それに――。
4番隊の男に仕掛けた攻撃は異様であった。
直接的に腹部に拳を突き立てたかと思うと、見れば拳が相手の腹部の内部へ押し込んでいるかのように姿を消していた。それと同時に青いエネルギーを相手の体内へと流し込むように肩から拳へと勢い良く流し込むと、男の身体は弾かれ、地面に叩き付けられるとピクリとも動かなくなった。
到底人間技と異様なまでの攻撃力の高さに、流石に圧倒された。
だがそれ相応の代償を受けるかのように、不死鳥マルコ自身もまた傷を負い、相当なダメージを受けているように見受けた。

―― あの力の正体を知りたい気もするが……まァ良い、潮時だ。

ミホークは軽く息を吐くと戦場を後にしたのだった。

託す者、託される者

〆栞
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