02


空幻――。
時空間を操り行き交うことができる妖怪である。
その空幻と同じ姿、同じ力を持つ者がもう一人存在する。
名を空環(くうかん)という。
双子のようなものだが本質が異なる二人は性格も真逆で反発し合うのが常だった。

表と裏。
光と影。
プラスとマイナス。
善と悪。

空幻は陽であり、空環は陰である。それらは性格的にも反映されているのか、空幻が陽気な性分である一方で空環は陰気な性分だった。
本来の彼らは二人で一個体となる妖怪だった。しかし、ある時に実体の無い影と出会ったことで全てが変わった。
影は二つの本質に楔を打ち込み分裂させると別々の一個体に『役割』を与えた。彼らの持つ時空間の力を利用し、自らが収まる器を時空を超えてでも探させようとしたが為だ。

空幻はのんびり屋の平和主義である一方で空環は感情の起伏が少ない割に野心家だった。お互いの持つ真逆の精神同士がぶつかり合う難儀な一個体だった妖怪が二人に分裂したことで、それぞれが初めて自由を得たようなものだった。

空環は影に心底から感謝した。そして影が望む世界に共感して付き従うことを決めて力を貸した。
元々実体を持たない影に初めて身体を与えることができたのは空環の力だった。
死した者達の躯や血肉を結合させて出来た身体だ。しかし、その身体では影の持つ力が思う様に使うことができなかった。

影は自分に身体を与えた空環の持つ力を奪おうと考えた。空環を騙して喰らうことで空環の持つ力を得るばかりか本来の力を取り戻すことに成功した。
実体を得た影は再び”あの力”を得る為に己の力を高めることに専念することにして、長きに渡って暗い闇の奥底でただ只管に時が来るのを待ち続けた。

穢れの塊、闇の墓王、屍鬼――。
影はいつしかそんな名が付けられ呼ばれるようになった。

片や空幻は、影の正体と望みを知るや否や反発して姿を眩まして人間の肩を持つようになった。
空幻が最初に出会った人間はまだ幼い幻海だった。
幻海は幼い身でありながら空幻の姿を見るなり笑顔を向けて懐いた。最初こそ戸惑った空幻ではあったが、その子に心の安らぎを感じた。

妖怪の身でありながら人間の暮らしに触れ、妖怪の身でありながら人間に恋をした。

空幻は幻海に全てを教えた。
自らの存在、片割れの存在、影の存在、そして本来自らを生み出した者の存在を――。
ある時、幻海の家系に古くから伝わる力の伝承について話を聞いた空幻は、それが『玉』の継承であることを知る。しかし、本来持つ役割を放棄したのか空幻は形を潜め、その役割が何であったのかですら忘れてしまっていた。
空幻にとってはそれ程に幻海と共に過ごした日々が、時が、全てが幸せで、大切だったのだ。

影が動き、玉を奪いに来るその時までは――。

空幻は幻海に”まだ見ぬ孫”の話をよく聞かされた。当初こそ不思議に思いながらも子や孫の話を聞いていた空幻は、幻海の子供を影ながらずっと見守って来た。
幻海の子共が大人となって最愛の伴侶を得て結ばれた後、この世に産み落とされた幻海の孫娘マヒロを見た時、何とも言えない感情が空幻の中に芽吹いた。
空幻にとっても幻海の子は自分の子のようなもので、マヒロは孫のような存在となり、とても大切に思っていた。
このまま無事に何事も無く平和に時が過ぎればどれ程良いかと何度思ったことか。だが影は必ず襲いに来るだろうことはわかっていた。
幻海は孫のマヒロに玉を渡した後、残された力を持って自らの命を武器として屍鬼に立ち向かい死んだ。
屍鬼はマヒロを必ず欲するだろう――。
故に空幻は強く願った。
人里離れた場所でたった一人で暮らすマヒロを守ってくれる強くて力のある者が現れることを望んだ。更にあわよくばマヒロがその者と心を通わせるようなことがあれば、その者と共に幸せを掴んでくれることを強く願った。





ある時、時空間で眠っている時に声が聞こえた気がした。
その声に耳を澄ませて言の葉を受け取った空幻は、自分を含めたこれらの一連の出来事全てがとても大きな力を持った存在により『動いている』のではと感じた。そうして目が覚めた時、マヒロの元に異質な気を持つ一人の男がいることに気が付いた。
実際に相対した男は次元を超えてマヒロの世界に落ちた異世界の人間であると直ぐにわかった。
空幻はマヒロと男がお互いに好き合ってることを知りながら、ひとまず二人を別れさせるべく動いた。
何故かはわからない。だがそうすべきだと思ったが故だ。考えてしたことでも納得したことでも無い。そうしろと、どこかにいる誰かからの命令に従った――そんな気がした。

これは一時の別れだ。

二人は納得した上での別れではあった。だが二人の心の奥底に影を落としたのは紛れも無かった。
再び一人となったマヒロが時折見せる寂し気な表情を目にする度に空幻の心は痛み、涙を零した。

『力を与えよ』

かの声は”誰に”とは言わなかった。だが空幻は自然と異世界の男の元へと向かった。
マヒロが愛した男――マルコという名の人物がどのような器の持ち主なのかも興味があったとも言える――が、過去に幻海から聞かされた不思議な話が気になっていたこともあった。
空幻が眠りに落ちている間に『面白い弟子』を迎えて鍛えたことがあるという話だ。
幻海が冗談交じりに「若ければ惚れたねェ」と言ったことに空幻は嫉妬して「誰じゃ!?」と素っ頓狂な声を上げて訊ねはしたが、結局その弟子が何者だったのかはわからなず仕舞いだ。
しかし、心の赴くままに動いてみれば、それがマルコであることがわかった。更に幻海に弟子入りさせたのが自分自身であったのだから、あの時に幻海が言葉を濁して答えてくれなかったことの意味を全て理解した。

これらは今この時に全てが繋がった。それによってこれから生じる事象も覚悟すべきことだと腹を括った。
本当は人間に姿を晒す気は無かった。だが”最後となる”のならと、空幻は敢えて白ひげ海賊団の前に姿を現した。
血の繋がりが無くとも仲間を家族と称し、強い絆で結ばれた彼らの思いの強さに感服し、そして人間の本当の強さを教えられた御礼に似た思いもあった。

マリンフォードで戦いが激化する中で、空幻は今、マルコの部屋へと足を運んだ。

「残酷だが仕方が無いことじゃ」

ベッドで静かに眠るサコを見つめながらそう呟く。そこにチシの姿は無い。空幻は気持ち良さそうに眠るサコの額に手を置くと目を瞑った。

器と玉と力。
器に力を宿した。あとは玉がそこに収まれば全てが整う。

あの影が欲しかった力――次元や時を超越した全ての世界を統べる力。

影がその”主”に喰らい付いて力を奪おうとした。だが主は力を拡散させて影がその力を得ることを防いだ。
空幻の役割はその拡散した力を一つ処に集約し、元の力に戻してその主に還元させることだ。

『器を見つけ、力を与え、玉を収める』

凄まじい力を安定させて保つことができる器を見つけることが最大の難点だと思っていた。だが成程、あの力があれば納得する――と、青い光の美しさに匹敵する圧倒的な青い炎を纏うマルコの力を目の当たりにして空幻は思った。

―― 全ては順調じゃよ。わしの役割もほぼ終わりかのう。

初めて恋しい気持ちを抱かせてくれた女性の為に、そう思って尽していたことが全て己の役割の一旦となっていたことに気付いた時、流石に大いに笑ったものである。

「しかし、我が主人もまァ粋なことをなさりますなァ〜」

この世界に来てから以降、短い時ではあったが存分に楽しめた。

―― 礼を申しますぞマルコ殿。

空幻は微笑を浮かべるとその時が来るのを静かに待った。

空を冠する妖怪

〆栞
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