16


周りには何も無い真っ暗な世界。
自分の身体すら無いように感じる。

―― おれっち……死んだのか?

そう思った時、青い光が突如として視界を覆った。一瞬、マルコの力かと思ったが直感的に違うと感じた。これはマヒロの力だ――そう思った。
心臓がドクンッ――と大きく動くと同時に自然と大きく息を吸って深く吐いた。

「うひゅひゅひゅっ! こいつんがァ不死鳥のん心から置ける仲間かん!」

妙な笑いと口調で話す少し甲高い声がどこからか聞こえた気がした。気のせいだと思ったが、暫くした後にその声がまた大きく聞こえて気のせいでは無いと悟った。すると今度は誰かと話をしているようだったが、相手の声音を耳にして大きく心臓が跳ねた。

「ゼハハハハッ! ご苦労だったなァ!」
「うひゅひゅひゅっ! 屍鬼様ん、こんの男、どうされるのんですん? 美味そうんだけんど見えないん人間ですん!」

甲高い声の主は横たわるサッチの頬をツンツンと突き、隣に立つ屍鬼(ティーチ)へ伺い見上げた。
屍鬼はニヤリと笑みを浮かべたままじっとサッチを見つめている。

「午聶(ゴジョウ)、おれァ察しの悪ィ奴は嫌いだぜ?」
「うひゅっ!? じょ、冗談ですん! 傀儡化されるんですん!」
「ゼハハハハッ! そうだ。使えるものは使う。エースもだが、こいつはより使える傀儡になるだろうぜ」

大きな口を開けて盛大に笑った屍鬼は、暫く”順応させる”べく、サッチを穢れた闇の牢獄に閉じ込めておくように命令した。
そこはとても暗くて湿った空気が充満しており、鼻に少しツンッ――と嫌な臭いが漂う場所だった。
午聶は屍鬼の命令通りにサッチの身体をそこへ放り込んだ。

サッチの身体は力無くその場に倒れ込んだ。

意識は全く無く、顔色はかなり悪い。

「うひゅひゅっ! 死ねなかったのんは運の付きん! 死んで傀儡化されんた方がん、まだんマシんだったのん!」

午聶は口元を手で押さえながら興奮気味にブルブルと身体を震わせて下卑た笑いを浮かべ、牢獄の扉を締めると鍵を掛けて後にした。

暗い世界に実体を感じない身体をそのままに、思考だけがはっきりしている。そのおかげで自由に物事を考えることができた。

サッチは覚えている限りの記憶を鮮明に起こして整理し始める。

―― 何が何だかわかんねェが、きっとおれっちはティーチの野郎に捕まっちまったってェとこか。

聞こえて来た会話から察するに恐らくこれから自分は彼らの道具として使われることになるのだろうと思われる。そして誰に差し向けられるのかも――。

ただ今一つ解せないのはティーチだ。声、喋り口調、全てティーチだ。しかし、手下と思われる甲高い声の主――午聶は『屍鬼様』と呼んでいた。
記憶に残る最後に見たティーチの歪んだ顔は狂人的で少し人らしからぬ目をしていたような――まさかティーチが屍鬼だと言うのだろうか。
油断をしていたとは言え、まさかヤミヤミの実を手に入れる為に迷い無く攻撃して来るとは思ってもみなかったのだが、何故ティーチが屍鬼なのか。

死ぬに死ねなかったと午聶は言った。――と言うことは、まだ自分は死んではいない。生きているのだ。

―― くそっ、何とかできねェか? ……くっ、何でッ、何で身体が動かねェんだ!

意識では必死にもがくが身体はピクリとも動かずにどうにもならない。どんなに歯を食い縛って息を止めて気張るものの、やっぱりダメだ。
ふぅッ……と、大きく息を吐いた。
真っ暗闇の中、思い出すのは青い光に包まれた時の温かさだ。マヒロの力とそこにある情に確かに触れた気がした。ふと「羨ましい……」と、マルコに対してちょっとした嫉妬心を持った。

―― 海賊だってェのによ、普通あんな真っ直ぐで純粋な気持ちを持った女なんて、そう簡単に手に入らねェってんだよ。

行方不明になるのなら自分がなりたかったとさえ思う。

―― はァ、おれっちもマヒロちゃんみたいな子と熱い恋がしたかった……。

こんな状況下でもそう思える自分は何て楽天家なのだろう。

―― 流石はおれっち!

自画自賛してクツリと笑みを零した時、暗い世界に小さな光が点ったことに気付いた。そしてその光はどんどんと降り注いで来る。

―― 何だ? 何か……、似てるけど違ェ……。

マヒロとはまた違った温もりだ。その温もりはどこか儚さと切なさの気持ちが混在していて、サッチは「ん?」と首を傾げた――と言っても、実態が無いので全て『つもり』なのだが――。

小さな光を見つめるサッチは瞬きを繰り返した。

―― こいつは……青じゃねェ。どっちかって言うと……蒼?

晴れ渡る空や広い海を連想させる青とは違い、少し緑が掛かった深い色味をしていることから、同じ『あお』と呼称するものの異なった色味を指すこれは『蒼』だ。

―― マルコでもマヒロちゃんのでも無ェ。……誰だ?

怪訝な表情を浮かべながらその蒼い光に包まれていると、遠くから声が聞こえて来た。

―― この声は……女?

その声は静かだが芯の通った柔らかい声音だった。

「生きたまま傀儡化されること程、辛いものは無い。人でありながら人で無くなり、自分の意思とは異なり屍鬼の意のままに動くことしかできなくなる。例え愛しい人が相手であっても『戦え』と命令をされたら本気で戦わざるを得なくなる。だから……、あなたが『死』を希望するのなら治療を止めるけど、どうする?」

―― ……治療……?

「このまま何もしないで放っておけばあなたは死ぬ。屍鬼様はあなたの器が自由にできれば良いのであって、あなたの魂は不要なの。だから何もせずとも死ぬ運命にあるあなたをこの場所に放り込んで放置しているの」

―― あーおれの器って……身体のことを言ってんのか?

意識上で首を捻りながら言葉を咀嚼して考え込んでいると、少しずつだが身体の感覚が戻り始めていることに気付いた。先程から感じていた浮遊するような感覚が徐々に消えていく。
そして――。
重い瞼をゆっくりと開いた時、目の前にいたのは確かに女だった。だがその風貌は明らかに人のそれとは異なった姿で、サッチは思わずギョッとして驚いた。

「お、お前は――」
「静かにして」
「ッ……」

サッチは言葉を噤んだ。自分の胸元に女が両手を翳している。そこに僅かに蒼い光が纏われているのが見えた。

「ん……、何だ、おれっちを助けてくれるってわけ?」
「……あなたの為じゃないわ」
「誰かはわかんねェけど、あんたの言った愛しい人ってェ奴の為?」
「ッ……」

そう問い掛けると女の表情が一瞬だけ強張るのをサッチは見逃さなかった。

―― どうも訳ありってェ感じだな。

「喜んではくれないでしょうけど……」
「!」

女は少しだけ笑った。
だがそれはとても寂し気で何とも儚い、今にも泣き崩れるんじゃないかと思える程に悲しみに満ちたもので、サッチは思わずその笑みに目を奪われた。

―― 何でそんな顔してんだ……って、あァ、そうか……悲恋ってェやつだ。

女の右手がサッチの額にそっと触れる。
治療の一環なのだろうが、何だかこの行動に凄く気持ちが揺れるとサッチは思った。

「名前は?」
「私は……カーナよ」
「カーナ……か」

小さな声で名を教えてもらうと忘れないようにと心に刻み込む様にサッチはその名を復唱した。
未だに自由が利かない身体をそのままにサッチはカーナに向けて笑みを浮かべた。するとカーナは少しだけ目を丸くした。

「おれはサッチってんだ」
「えェ……、知ってるわ」
「へェ…、ってェことはマルコ絡みってとこか?」
「!」

マルコの名を口にした瞬間、カーナの表情が一層固くなった。身体もピクンと反応したことでサッチはカーナの言う『愛しい人』が誰を指しているのかを瞬時に理解した。

―― おいおい、マルコの奴は妖怪女にまで愛されてんのかよ? どんだけモテんだよあいつ……。

サッチは内心で「くそ! バナップルのどこが良いんだ!」と悪態を吐いた。しかし、ふとカーナを見ていると不思議な感覚に囚われて「あれ?」と首を傾げる。

―― 何だか妙に他人な気がしねェな。カーナって名は初めて耳にするけど、おれっち、何でかこの女を知ってる気がしてならねェ。

気のせいなのか、錯覚だろうか、しかし、だけど――。
ふっと沸いた疑問にサッチは堪らず呈してみることにした。

「なァ、おれっちと会ったことは――」
「初めてよ」
「――だよな?」

不思議に思いながらサッチは眉を顰めた。するとカーナは無表情のまま口を開いた。

「あなたが今に感じてることは決して間違いじゃないわ」
「……えーっと、あのよ」
「何?」
「瀕死の相手に対して難しい問題を出さないでくれる?」

サッチが苦笑を浮かべてそう言うと、固い表情だったカーナは少しだけ笑みを零してクツリと笑った。それを見たサッチは思わず胸がドキッとした感覚に囚われて目を丸くして固まった。

―― あれ? ……今の何だ?

今度は自分自身の心に疑念を抱いた。
何故だかザワザワと波立ち、どうしてか心臓がドキドキと早鐘を打ち始めるのを感じる。

「最初の質問に戻しても良いかしら?」
「へ? あ、おう、えーっと、何だっけ?」
「生きたまま傀儡化されるより、死んで傀儡化された方が良いという話よ。聞こえていたでしょう?」
「あァ、それな。……なァ、傀儡化される時って痛かったり苦しかったり……する?」
「……え? ……どういう…こと?」

サッチの質問にカーナは戸惑いの表情を浮かべて少し唖然とした。
生きるか死ぬかの問い掛けに予想していた答えは無く、傀儡化される時の状況を聞いてくるサッチの真意がカーナにはわからなかった。
とりあえず小さく首を左右に振って答えるとサッチは何故か安堵の溜息を吐いて笑みを浮かべた。

「そっか! なら良かったぜ!」

カーナは眉間に皺を寄せた。

―― どういうことか本当にわかってるの?

「大事な仲間を殺す為に襲うのよ? 大事な仲間を、家族を、あなたの手で殺しに掛かるのよ? それでも平気なの?」
「あァ〜、まァ、そうらしいけどよ、とりあえずおれっちが生きてることが前提だってんだ。死ぬのだけは勘弁願いたい」
「辛くは無いの?」
「んー、多分な。大丈夫だろうって思ってる」
「どうして? ……どうしてそんなことが言えるの?」
「マルコが何とかしてくれるだろうって、そう思ってるからだろうな」
「!」

サッチはケラケラと笑って答えた。

―― この子……、本当にマルコの事が好きなんだな。マルコの名前を口にする度に瞳が揺れてんだけど、気付いてねェな。

あまり重く深刻に受け止めていないように軽く見せているが、実の所は不安や心配で一杯だ。だがそんな負の気持ちをどうしてかカーナには見せられない気がして、サッチは敢えて明るく振舞った。

「まァあれだ、解放はしてくれると思うぜ? 身体はァ…、あー、化物になったままになったとしてもよ、あいつらは受け入れてくれるだろうしな? んー……、ただ問題なのは――」
「……何?」

サッチは視線を彷徨わせると眉を顰めて少し残念そうな表情を浮かべてポツリと言った。

「可愛い女の子との出会いは無くなっちまうのが最大の悩みだな」
「……」

カーナは何かの間違いではと思ったが、サッチの顔は極々真剣であり本気なのだと思った。

―― この人って……。

マルコと最も近しい間柄であると言うから、マルコと似た感じのタイプなのだろうと思っていたら全くの真逆の感性をしているとカーナは思った。

「あ、もしそうならカーナちゃんがおれっちの女にならねェ?」
「なっ!?」
「っつぅか、妖怪にしておくの、本当に勿体無ェぐらい……あんた美人だよな」
「ッ〜〜!?」

サッチはマジマジとカーナの顔を見つめて言った。
カーナは驚いて思わず「嘘を!」と強い口調で諫め、眉間に皺を寄せて睨んだ。だがサッチのその目は嘘を言ってはいない。飄々とした表情ではあるが真剣だった。

―― な、何を考えているの?

思わず顔が熱くなる。動揺している為か心臓が激しく脈打つ。
カーナはサッチから視線を外すとさっさと治療を済ませようと事を急いだ。

「おれはカーナちゃんのことはよく知らねェけど、どこか知ってる気がするんだよな。……それは間違っちゃあいないんでしょ?」
「……」
「んー……あァ! 誰かに似てるって思ったけど、マヒロちゃんだな!」
「!」

沸々と湧き出る疑問に答えが出たとばかりにスッキリしたのか、サッチは嬉しそうに笑った。

「顔も性格も違うみたいだけど……、何だろうな? 不思議とまるで姉妹みてェに近い気がする」
「私は――」
「だからマルコが好きなんだろ?」
「――!!」

サッチが核心を突くように言葉を投げかけるとカーナは明らかな動揺を見せた。するとサッチはしてやったりと笑った。

―― 色々事情があるんだろうけど関係ねェ。何だかこの子は放っておけねェわ。妖怪なんだけど。

そう思いながらサッチはカーナをじっと見つめた。
妖怪に対して寛容になるのは、チシやサコの存在が大きかったのかもしれない。
最初こそ冗談半分な気持ちで口説いたつもりだったのだが、不思議と本気にし始めている自分がいるなと、目の前で固まるカーナを見つめてそう思った。

「ハハ……。まァ、おれっちはマルコと違って見えない奴だし、事情も詳しくわかんねェから何とも言えねェけど……、気にしないで、冗談だ冗談!」

サッチは軽く笑うと大きく息を吐いて目を瞑った。
カーナの表情が泣き顔へと変わるのを見たからだ。

―― んな、マジで泣きそうな面を見せられっと抱き締めたくなっちまう。けど、身体が動かねェからよ……おれっちも辛くなっちまう。

ポタリと熱い何かが胸元に落ちるのを感じた。
恐らく涙だ。

「……サッチ…さん、……私、私は……」
「……」

目を瞑るサッチの頬がピクリと動いた。内心でサッチは首を傾げる。

―― 今、サッチさんって……言ったよな?

何だか物言いが本当にマヒロと瓜二つだとサッチは思った。

「――――」
「ッ!?」

また湧いた疑問にあーだこーだと考えていると、耳元にカーナの息が掛かるのを感じて思わず心臓がドキッとした。
カーナはサッチに何かを囁いた。するとサッチはその言葉を耳にして目を開いた。

「治療は終わりよ」
「カーナ!」

黙って牢獄から立ち去るカーナの背を見送ったサッチは目を見開いたまま唖然として固まっていた。

「……妖怪じゃねェのかよ? ……何だってお前……」

〜〜〜〜〜

「お願い、私を助けて」

〜〜〜〜

目に涙を溜めて苦痛に歪められた表情。
口から零れ落ちた言葉はサッチの心を大きく揺り動かして鷲掴みした。
彼女が一体何者でどういう人物なのかは知らない。
敵側の妖怪であるはずなのに、自分の命を助けてくれた。それどころか親しみすら感じさせて『さん』付けで名を呼び、剰え瀕死だった自分に助けを乞うなんて――。

「冗談でも何でもねェ。……ありゃあマジだ」

あまりにも悲痛な声だった。
愈々もってサッチはカーナが気になり始め、やはりどうしても放っておけない気がした。
甘えられて面倒を見るのは嫌いじゃないが、どこかの誰かさん程に庇護欲に駆り立てられるような性質では無い。だが、初めてかもしれない――。

サッチはゆっくりと目を瞑ると大きく溜息を吐いた。

―― ……なァマルコ、おれっちはどうやらマジで妖怪に恋しちまったみてェだわ。

「どこかの誰かさんのおかげで妖怪に塗れた人生になっちまうとはなァ」

一人になった空間でポツリとぼやくと「ハハ…」と乾いた笑いを零したのだった。

蒼の叫び

〆栞
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