13


モビー・ディック号の甲板――。
いつもの定位置に腰を下ろす白ひげと中央を囲うようにして隊長達や隊員達がいる。そしてその中央に立つのはマルコと空幻だ。
マルコは家族と慕う仲間達を前に、まるで見世物だと思いながら目の前に立つ空幻を見つめている。
皆に向けて話をしている彼の姿は、いつしかマヒロの世界でTVという機械を介して見た『バラエティ』という類の催し物においてマイクを手にして司会をしている男と被っているように思えた。

「――ということで、さァ我が弟子よ、腕の見せ所じゃぞ」
「おい、協力するんじゃねェのかよい」
「場を盛り上げてやったではないか」
「結界を施すのに場を盛り上げる必要性は無ェだろうがよい」

思わず荒んだ目で空幻を睨みながらマルコは冷たい声を漏らした。しかし、結局は空幻の指示の元でマルコが空間変異を齎す術を施すこととなった。
ニコリと笑った空幻は、マルコを中央に残して白ひげの元へと向かった。そして中央に一人佇むマルコは大きく溜息を吐いてかぶりを振った。

―― 何の嫌がらせだよい……。

仕方が無いと諦めたマルコは気持ちを切り替えると両手を重ねて集中し始めた。するとマルコの両手に青い光が点った。そして左手を地に向け、右手を天に掲げると二つの光が結びついた。
この光は空幻以外の者達には見えていない為、マルコが何をしているのかは誰もわかっていない。

「テリトリーはモビー・ディック号じゃぞ」
「わかってるよい」

白ひげの側に来ると空幻は中央へと振り向き様に空幻はそう言った。そうして顎鬚を撫でながら傍観者を決め込む空幻に、白ひげは片眉を上げて見下ろしていた。

「空幻、マルコは何をする気だ?」
「この船にいる時にだけ、お前さん方が見えなかったものが見えるようになり、触れなかったものが触れるようになる空間を作るんじゃよ」
「何だと?」
「特殊な術なんじゃがお前さんの息子は本当に優秀でのう、わしの術を見様見真似で再現してみせるんじゃから、わしが出る幕は無きに等しいんじゃよ」

空幻はカンラカンラと笑って言った。
以前、屍鬼に囚われたマヒロを助けに空間移動したことをマルコから聞かされた空幻は、目を見開いて一驚した。
例えどんなに天才肌の器用人とは言え、あっさりと空間移動をしてみせる人間が存在する等と知る由も無く、空間術だけは自分しかできない特別なものだと思って居た空幻はやはり拗ねた。
その後、空幻が冗談のつもりで修行をつけてやるとして、自身が持つ術を説明しながらして見せた。するとマルコが見様見真似でやってみたらあっさりできてしまい、また拗ねた。
この場においてマルコに結界を施す役を背負わせ、皆の目の前でそれを行わせるに至るは、ある意味で本当に嫌がらせなところもあったかもしれない。

―― ったく、臍の曲がった爺さんだよい。今更、何の報復だよい……。

大体、空間を弄る術を施すことが出来る人間を実際に目の当たりにすれば、周りの者達の見る目が変わるのではないか――と、そんな気持ちがあってか、マルコは気が進まない。つい先ほどまで、空幻がしてくれるものだとばかり思っていたのだ。

「マルコ殿の方が効果抜群じゃからの!!」

多少嫌味を含んだ声音でそう言った空幻に聞き間違いじゃないかと二度見をしていると、鼻歌混じりで背中をどんと押されてやる羽目になるとは、マルコは不愉快極まりない気持ちを抱きつつ術を施していく。
結びついた二つの光。両手を拳に変えて力を込めるとより強く光を放った。そうして両手を真上に向けて放り投げる様に動かせば、光は大きな柱となって天高く伸びた。
マルコは目を細めてその光を見上げながら一呼吸を置いた。

「オヤジ……」
「何だ?」

ただの人間が空間をどうこうできるというのは本来あり得ないものらしい。空幻だけでは無く、師と仰いだ幻海も確かそう口にしていたことをマルコは思い出した。

空間を圧する力を持つ人間なんて者は存在しない。

以前、王牙鬼との戦いで次元を斬る力を放った。それを目の当たりにしたマヒロが心底から驚いていたのもそれが理由だ。
次元を斬る力は空幻には話していない。だが、そもそもこうして空幻の術を体現している時点で、最早異質な人間扱いをされていることは身に染みてわかる。
ただでさえこの世界では疾うに失われた力を持つ見える人間であり異質な存在になった身だ。これにより一層異質に思われるだろうとマルコは腹を括るしかなかった。

―― ある意味、屍鬼と化しちまったティーチよりも化物扱いにされるかもしれねェよい。

この心の重さはマヒロと別れて元の世界に戻ったあの時以来だ。
幻海の元で修行を終え、空幻と時間を共にすることが多くなった頃、精神的な部分を空幻に指摘されたことがある。

「マルコ殿は少し距離を取りすぎておるのう。家族から異質に思われるのは相当嫌であると見受けるのじゃが、素直になってみてはどうじゃ?」
「ッ……!」
「少なくとも、お前さんがオヤジと言って慕っておるあの白ひげという男は、マヒロに負けず劣らずお前さんに対して深い愛情を持っておるように思う。信じてもらう為にはまずはお前さんが信じることじゃよ」

信じていないわけではない。自分とは比べ物にならないぐらいに白ひげの器は大きくて深いのだ。例えどんな力を得た化物になったとしてもきっと――。

「どんな化物染みた奴になったとしても、あんたはおれを息子って呼んでくれるかい?」
「!」

マルコは静かにそう告げた。振り向いてオヤジと慕う彼の顔を見ることは出来なかった。
天高く聳える光の柱に手を翳し、集中して霊気を送り込めば、天高く伸びた柱からモビー・ディック号を囲むように薄い膜が降り立った。それを確認すると今度は両手を地面に置いた。

「……舐められたもんだ」

白ひげが静かにそう言うとマルコの手が軽くピクンと動いたのを空幻は見逃さなかった。

―― マルコ殿は白ひげ殿を心底から敬愛しとるんじゃのう。

空幻はマルコから白ひげへと視線を動かすとそのまま周囲へと見渡した。隊長達も隊員達も、白ひげが答える言葉が何であるかを察し、そしてマルコの心中に気遣いを見せる彼らの眼差しに微笑を浮べ、視線をマルコへと戻した。

「マルコ、てめェのオヤジを誰だと思ってやがる!!」
「ッ!!」
「てめェがどう変わろうと、おれにとっちゃあおれの息子に変わりはねェだろうがハナッタレがァ!!」

白ひげがそう怒鳴ると漸くマルコは白ひげに顔を向けた。お互いに視線が合うと白ひげはニヤリと笑みを浮かべて盛大に笑った。
その目はいつになく優しく寛大で、深い愛情から溢れる温もりを感じた。

―― オヤジ……。

きっとそう答えてくれるだろうことは知っていた。だが敢えて聞いてみたくなることが度々あった。しかしそれではまるで年甲斐にもく無く親に甘えた子共の様に思えて、どうしても聞けないでいた。
聞けないのなら聞けないで今日に至るまで蓋をして知らないふりをした。だがそうすると、今度は勝手に不安を抱くようになった。

だから――。

「……ありがとよい、オヤジ」

心がぐっと締め付けられるような痛みを感じた。だがその痛みは決して辛く苦しいものでは無く、これは――嬉しさと喜びに満ちた痛みだ。
少し強張った表情を浮かべていたマルコだったが、まるで気抜けするかのようにふっと柔和な笑みを零した。
態勢を戻して術式を組み始めつつマルコは小さく礼を述べた。それに白ひげは満足気にまた笑い、周りにいた隊長達や隊員達も笑みを浮かべた。

―― 強い絆で結ばれとるのう。

空幻は顎鬚を撫でながら目を細め、まず第一段階は無事に突破したようだと安堵の溜息を密かに吐いた。
例え血の繋がりが無くともこの船の者達は仲間を家族と呼び、誰もがその絆を大切にしていることが十分に伝わって来るのを感じつつマルコの術を見守った。

ボウッ…!

両手から霊気を放つと光の円柱を中心に円陣を描いた。それに呼応するかのように光の柱は地面に描かれた円陣と共にまるで花火のように光の文様が辺りに飛び散り空間を行き交い始めた。
右手の人差し指と中指を立て、左手も同じように型して交差させ、そのまま光の柱に触れる。すると空間をバラバラに飛び散っていた文様が円陣を中心に配列されていった。

「可視空間ロジック転位」

文様は光の柱を中心に回転を始めると光の輪となる。そして薄い膜を伴うと共にどんどんと大きくなっていく。そうしてモビー・ディック号の船を包む程の大きさになると光の輪が弾けるようにして迸り、薄い膜に吸い込まれるようにして消えた。すると薄い膜はより濃い色へと変わり厚い膜へと変化した。それと同時にモビー・ディック号の甲板では異様な空気が漂うようになり、白ひげを始め、隊長達や隊員達は辺りを見渡し始めた。

感じたのだ。

人間から放たれる者では決して無いだろう全く異なる異質な気配を放つ存在を――。

その数はとても多く、それが遥か彼方の上空から徐々に近づいて来るのを感じるのだ。
全員がザワザワと戸惑いながらも遥か彼方の空を見上げる。
少しずつ、少しずつ、近付いて来る。
彼らが見上げるその先に薄らと鳥のそれとは異なる影が見え始めた。そしてどんどん大きくなって更に近付いて来ると、それらの姿は鮮明となって隊員達は目を丸くした。

「「「ば……ばばば化物!?」」」
「あれが妖怪じゃよ」

絶叫する隊員達に空幻は笑みを浮かべながらしれっと答えた。
隊員達は誰もが顔を青褪めて畏怖の表情を浮かべ、一歩二歩と後ずさった。だが隊長達は初めて見る妖怪達の姿を見て驚きはしたものの平然と武器を構えるのだから流石と言えるだろう。
マルコや白ひげを後ろに前へと出る隊長達の誰もが、好戦的な目を持って笑みを浮かべている。そして今にも妖怪達に向かって襲い掛かりそうな気配さえ匂わせた。
彼らの背中は何とも頼り甲斐のあるもので、不思議と安心させてくれるのをマルコは感じた。

「何も心配するこたァねェぜ。あいつらはマルコがどんなに化物染みた力を持っていたとしても、お前ェの本質を知ってやがんだからなァ」
「ッ! ……オヤジ」

隊長達の背中を見つめるマルコの背中を白ひげが見つめている。

―― おれの本質……か。

空幻が言った『本質』という言葉を白ひげの口から聞かされるとは思っていなかったマルコだが、その意味を何となくわかったような気がした。

―― ……おれァ恵まれてんだなァ。

自分の置く環境、人、立場等、改めて見れば悲惨な事など何も無く、それ以上何を望むのか。全く贅沢な悩みだとマルコは自嘲した。
気遣いでも何でも無い。家族として当然のことだとばかりに投げ掛けられるその言葉が、重く伸し掛かってつっかえた胸の内の何かを排除してスッキリとして迷いは消えた。

「お前ェらビビんじゃねェよい! 見えるってことは触れることができるってことだよい! あいつらは所詮人間だっつって舐めて掛かって来てんだ!! 白ひげ海賊団の実力ってもんを見せつけて返り討ちにしてやれよい!!」

初めて異形の者を見て竦み上がっている隊員達にマルコが発破を掛けた。すると隊員達の心から畏怖の念が瞬く間に消えて行った。

「「「うおおっ! やってやろうじゃねェかァ!!」」」

隊員達は武器を手にして怒号を放ち、士気を一気に高めた。

「ガッハッハッ! その意気だぜてめェら! 化物相手に遠慮なんてもんはいらねェからなァ!」
「目をランランと輝かせちゃって……。まァ、ラクヨウらしいかな」

ハルタが皮肉っぽくそう言うと隣にいたイゾウが拳銃を片手にクツリと笑った。

「そういうハルタもやけに嬉しそうじゃないか」
「当り前じゃんか! だって……見えるんだよ!?」
「「「オカルト好き大いに結構!!」」」

ハルタのオカルト好きが不思議なことに味方の士気を更に高めた。意気揚々と武器を構えて楽し気に笑う彼らは化物相手に尻ごみするような軟な連中では無いことぐらい、マルコもわかっていたはずだ。

―― 空幻が言った通りだ。信じていなかったのはおれの方だったよい。……お前ェらすまねェ、おれが悪かったよい。

マルコは心の中で全員に向けて頭を下げて謝罪の言葉を送った。

ただ、ハルタのオカルト好きに関しての相乗効果に至ってはまるっきり想定外だったので、それに関しては――全く関知せずに無視を決め込むのだった。

信じること

〆栞
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