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確信があったわけでは無い。だがそうかもしれないと思っていた。しかし、それでも空幻の言葉に耳を疑い絶句するしかなかった。

「カーナはマヒロであり、マヒロはカーナじゃよ」

大きく戸惑いを見せるマルコに空幻は目を細めた。それがどういうことなのか、もっと分かり易く説明をしてくれ――。そんな面持ちを浮かべるマルコの気持ちを空幻はよくわかっていた。そしてゆっくりと目を瞑ると一呼吸置いた。

―― 無理も無い。これは本当に珍しいケースじゃからのう。

空幻はマルコにある現象の『からくり』について話し始めた。
そして――。
ある現象の『からくり』を知ったマルコは眉間に皺を寄せて目を瞑った。

前屈みの態勢で両肘を膝上に突きつつ両手を組んだそれを額に寄せてトントンと軽く叩く。
険しく歪むその表情は何を語っているのか、大凡の見当が付いている空幻は同情の気持ちを寄せた。そしてマルコを間に両サイドにそれぞれ座っているチシとサコへと視線を寄越す。
姉と弟、それぞれ年相応に素直な反応を示す姿に空幻は目を細めて顎鬚を擦った。

姉のチシは懸命に理解しようと頭の中で整理しながら空幻の話を聞いていた。その結果、マルコのシャツを握り締めながら不安――と言うよりは、マルコへの心配を兼ねているのか、苦し気な表情を浮かべてマルコを見つめている。

弟のサコは、端から理解もしていなければ、どういう状況にあるのかもわかっていない様子であった。しかし、場の空気を感じ取っているのか、ただ静かにマルコのシャツを強く握り締めながらマルコの腰にくっついている。

人間であるマルコにすっかり懐き、心の底から信頼している様子を見せる二人の幼い妖怪に、空幻は微笑を零した。だが、二人に備わる力を感じ入るとその表情を曇らせる。

―― 特化した力を持っておる。恐らくこの子らは……いや、それが望みとなるのなら何も言うまいて……。

幼いながらも大人の心中を察しようと努める二人。
少し胸が痛む――だが素知らぬ顔で空幻は自分の胸を軽く擦った。そしてマルコへと視線を戻すと、彼はまだ話の内容を受け止めるのに苦心しているように見えた。

―― 仕方が無かろう。毛嫌いした彼女もまたマヒロと同じ運命であり、”救われなかった側の成れの果て”なのじゃから……。

もしマルコがマヒロの世界に落ちなければ、カーナの運命を辿ったのはマヒロ自身だった。
もしマルコがカーナの世界に落ちていたのなら、マヒロがカーナとなっていたということ。

『同時多重次元現象』
本当に極々稀に生じる次元空間の歪みによる発生する現象だ。

所謂『パラレルワールド』と呼ばれるものと考えると分かり易いかもしれない。
同じ時間、同じ場所、同じ人物が別次元でありながら同じ世界を生きて、異なった人生を生きるのだ。もしあの時こうしていたらどうなったのか――というように、取捨選択によって進む道が分岐してそれぞれ異なる未来を見る。
それは多分に何重にも重なり存在しているのだが、どの道を辿ろうとも同一人物であることに変わりはない。
しかし、極稀に異なるケースが生まれることがある。
同じ時間、同じ場所に”異なる人物”が存在して生きるケースだ。それが『同時多重次元現象』と、空間を行き交う空幻のような者達がそう呼称している。
この現象に遭遇することは万に一つの確率にも満たない程に珍しいこととされている。それがマヒロとカーナであるとわかった時、流石に空幻も驚いた程だ。
立場、力、人生、全てにおいて同じ道を歩く二人。
この二人の人生に大きな分岐点を齎すこととなったのがマルコの存在である。マルコが次元を超えて現れるかそうでないかで二人の人生は大きく異なったのだ。

『救われる者』と、『救われなかった者』とに分かれたのだ。

これにより空間転位は二通りあったと言える。マヒロの世界に落ちるのか、カーナの世界の世界に落ちるのか――。
結果、マルコはマヒロの世界に落ちた。そうしてマヒロは救われた。だがそれは同時にカーナは救われず、屍鬼の餌食となって穢れた妖怪へと変貌して今に至ったことになる。

〜〜〜〜〜

「私も女なのよマルコ」
「生涯で唯一愛した男(ひと)がいる女よ」
「好き」
「マルコさんが…好き」

〜〜〜〜

いつかのカーナの言葉を思い出したマルコは大きく息を吐いた。

「空幻……」
「何じゃ?」
「このことをマヒロは知ってんのかよい?」
「んにゃ、本当に稀なケースじゃからのう。パラレルワールドの存在は理解しとるやもしれんが、この現象については恐らく知らんじゃろう。カーナは屍鬼によって知らされた口じゃろうて。全く同じ道を辿る女が別次元に存在し、カーナを喰らいながら別次元に存在するお前と同等の女もまた貪ってやるとでも言ったんじゃろう。屍鬼は強欲じゃし、力のある女を特に好むからのう」
「……そうかい……」

空幻は溜息混じりにそう言うと手に持っている杖で左右の肩の凝りを解すようにトントンと軽く叩き始めた。

「屍鬼は他の妖怪と違って形の無い妖怪じゃ。じゃからこそ、躯や死骸を掻き集めてくっつけた様な異形な姿をしておったんじゃが……。今となってはティーチと言ったかのう? 己の身体や力に適した器を得た分、かなり厄介じゃよ。世界に身を持って存在する者となったんじゃからのう」

マルコは上体を起こすとソファの背凭れに身を預けた。するとサコがマルコの腹の上に乗るようにしてガバリと抱き付き、マルコは咄嗟に手を出してサコを受け止めた。

「あ、ズルいよ! 私も!」

反対側からチシが声を上げるとサコに負けじとマルコに抱き付き、マルコは二人の背中に手を回して支え、それぞれの背中や頭を軽く撫でた。だが視線は空幻に定めたまま、表情は多少渋面であまり良い気がしていない様子に、空幻は片眉を上げた。

―― 何じゃこの目の前の光景は……。世界観のギャップが激し過ぎるわい。

空幻は黙ってその様子を見つめ、マルコの言葉を待った。片やマルコは真剣に思考を回して考えている。

屍鬼は形無き者。故に妖怪というよりは虚(ホロウ)と呼んだ方が良いと、いつか幻海が口にしていた。
形が無い、即ち自らの意思で動かせる実体が無いということ。だからこそ『屍鬼儡』と言って人や妖怪を傀儡化して動かし災厄を齎すのがこれまでの手法だった。
ところが屍鬼は己の意思を持って動かすことが出来る身体を手に入れた。つまり、これからは自らが先頭に立ち、手下を引き攣れ暴れることが出来るようになったということだ。
屍鬼は世界を混沌に渦巻く闇へと引き摺り込む気でいるのだろうが、その果てに何を望んでいるのか、本当の目的は――。

「……屍鬼の目的が何かってェことは」
「道楽じゃろうて」
「……道楽?」
「好きな時に好きなものを食し、貪る。殺したい者は殺し、穢したい者を穢す。そこに人も妖怪も差にあらず」
「人も妖怪も差が無ェって……、まさか妖怪でも人と同じように扱うってことかよい?」
「如何にも。屍鬼には同士じゃ同朋じゃ仲間じゃ〜なんて意識は無いに等しい。ただただ貪欲に奈落の底に引き摺り込んで貪る。恐怖のどん底に落ちて泣き叫ぶ者を喜々として見つめ、凄惨に残虐にジワジワと殺しに掛かるのが趣味とも言えるじゃろう。まァ『墓王』とはよう言ったもんじゃわい」

屍鬼の周りには常に墓穴が必要とされるのだという。死した者を打ち捨てる為の穴だ。人の生活で例えるのならばゴミ箱のような程度にしか思っていないのだろう。マルコはそう思った。

「じゃが当面の目的はマルコ殿じゃろう」
「……はァ、……おれ…ねい」
「ティーチという男の記憶を手にしたということは、マルコ殿にとって大事なものが何かということを知ったんじゃろう。だからこそ、屍鬼は自分の手駒たる妖怪どもをこの船に放ち、家族を殺せと命令したんじゃ。まァ、真面に戦ったところで屍鬼と言えども容易には勝てんと思っておるのやもしれん。精神的な苦痛を齎して弱らせる方法を選択したということがマルコ殿を相当警戒しておるという証拠じゃろうて」

空幻は「愉快じゃ」と言いながら笑った。一方マルコは眉をピクリと動かすと眉間に皺を寄せて小さく舌打ちをした。

―― 何が、どうして愉快なんだよい……。

そう言いたげな表情に気付いた空幻はコホンと咳払いをした。

「マルコ殿、屍鬼が何を恐れているのか、さては理解しておらんようじゃな」
「……何を恐れてるのか……って……」
「屍鬼を倒せる者など存在せん」

屍鬼は真剣な面持ちを浮かべてハッキリと言い切った。

「ったく、よくもまァハッキリ言ってくれるねい。じゃあ屍鬼は無敵ってわけかい? なら、そんな屍鬼が恐れるものも存在しねェんじゃ――」
「お前さんじゃよ」
「――は?」
「これまでに関しては倒せる者など存在しなかった。じゃが、今はその可能性を持った人間が存在している」
「……いや、わからねェ。可能性って何だよい」

マルコの質問に空幻は片眉を上げると髭を摩った。

「そうじゃのう……。じゃあ、角度を変えて話そう」

そう言って空幻は杖先で床をコンコンと軽く叩きながら笑みを浮かべた。

「何故、屍鬼を倒せる者が存在しなかったか。まずはそこを考えてみることじゃ」
「……」

空幻の言葉にマルコは少し目を丸くした。そしてガクリと項垂れた。

―― 何のクイズだよい? 意味がわかんねェよい。

口にはしなかったが不服な表情は如実に顔に出ていて、それを見た空幻はカラカラと笑った。

「何じゃ、普段は頭脳明晰で何でも簡単に察するくせに、肝心なことには気付かんとはの!」

何だかやけに嬉しそうに笑う空幻にマルコはイラッとして「チッ!」と舌打ちをした。

「舌打ちとはのう……。マルコ殿の態度はマヒロが側にいるのといないのとでは大きな差が出るようじゃのう」
「ッ…マヒロは、か、関係無ェだろい!?」
「んまァ〜よく言うの〜。心底から好きで好きで仕方が無いマヒロが側にいると常にデレデレしとる癖に」
「なっ!?」

空幻がニヤリと笑みを浮かべて揶揄う様に言うと、マルコは顔を真っ赤に染めた。そして少し怒りを灯した目でギロリと睨み付ける。

「本質じゃよ」
「あ”ァ”!?」

空幻の一言にマルコは敏感に反応して威嚇するような声を上げた。

「柄が悪くなっとるぞい」
「てめェがっ――」
「やだー、怒ちゃダメだよー」
「パパァー」
「ぐっ……!」
「教育に良うないぞ」
「ッ……」

幼い二人が怒るマルコを宥める。空幻は素晴らしい味方を手に入れたかのように楽し気に笑い、マルコはギリッと奥歯を噛み締めて言葉を飲み込んで黙った。

「話の続きをするが良いかのう?」
「……どうぞ」

明らかに不本意だと主張する表情だったが、赤みが差す顔の熱を抑えようとするかのように、マルコは右手で目元を覆いながらコクリと頷いた。

「本質じゃよ」
「……本質?」
「そうじゃ。ほ・ん・し・つ」

空幻の言葉にマルコは疑問符を浮かべた。

『本質』とは――。
物事の根本的な性質や要素を示す。
そのものの本来の姿。
存在するものの基底で本性をなすもの。

それが何を意味して何が言いたいのかとマルコは少し首を傾げて考えた。チラリと空幻へと視線を向ける。空幻は笑みを浮かべながら顎鬚を撫でてマルコを見つめていた。

「まァ、今はわらかんでも、その時がくれば自ずとわかるじゃろう」

空幻はそう言うと話の内容を変えた。

「今後はわしも協力しようかの。マルコ殿がくだらん手下どもの相手をする必要は無かろうての」
「協力……してくれるのかよい? ……何でまた?」
「ふぉっふぉっふぉっ! こんな老体でも役には立つじゃろう。それに、ここで動かねば長年生きて来た示しがつかんからのう」

空幻は盛大に声を上げて笑った。その言葉にマルコは怪訝な表情を浮かべたが、瞬間的に空幻がチラリと視線を動かしたことに気付いて更に顔を顰めた。

―― ……空幻……?

何を考えているのか、この時は全くわからなかった。
その視線の意味。何を見てそう言ったのか、気にはなったが理解できなかった。

ただわかるのは、飄々とした好々爺が初めて見せる『覚悟』がそこにあったこと。そして、その目は優しさと温かみのあるもので、その顔はオヤジと慕う白ひげのそれとダブって見えたことでマルコは目を丸くした。

空幻が何を見て何を思い何を願うのか――。

マルコはチクリと胸に痛みが走るのを感じた。

―― ……お前ェ、そりゃあまるで親の顔じゃねェかよい……。

少なくとも空幻は、何だかんだと言いながらそういう目で自分達を見ていたのかと、この時になってマルコは初めて知った。そうなると自ずと空幻と共にいた時のことを沸々と思い出が蘇って脳裏を過る。
何故、どうして思い出すのか、どうして胸が苦しくなるのか――答えは直ぐに出た。

―― あァ、そうだねい。おれにとっても空幻はもう大事な家族なんだよい……。

白ひげとはまた違った『父の顔』が見えた。
白ひげとはまた違った『父性愛』がそこにあった。

妖怪と言えども空幻は人と変わらない深い情を持つ、もう一人のオヤジとも慕えることができる存在だと、マルコは思った。
真面目に話をしながらおどけて見せるのは空幻のマルコに対する気遣いからそうさせているのかもしれない。
マヒロとカーナの二人の運命を大きく左右させる存在だったと知ったマルコの心情を思いやってのことかもしれない。
これらは一重に空幻の『親心』がそうさせたと言っても良いのかもしれない。

そう思うと、先程の怒りはどこへやら――。
マルコは静かに溜息を吐くとクツリと笑みを零した。

―― ありがとよい……。

多分、御礼を口にすればこの目の前の老い惚れ妖怪はここぞとばかりにおちゃらけてくれるだろうから、マルコは胸の内で空幻に向けて密かに御礼の言葉を送るのだった。

同時多重次元現象

〆栞
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