09


船長室に入るとそこには既に隊長達が集まっていてサッチの事で話し合いが行われていた。
彼らは言葉を区切ると船長室へと入って来たマルコに注目した。だがマルコは軽くその視線を受け流してサコを下ろし、腰を落としてチシとサコに視線を合わせた。

「ちょっと離れるが良いかい?」
「う、うん。どこか行くの?」
「船医室にな」

マルコがそう告げると離れ難い表情を浮かべるサコの手をチシがギュッと握ってコクリと頷いた。
マルコは少しだけ苦笑を浮かべると立ち上がって隊長達へと振り向いた。

「イゾウ」
「!」
「二人を頼むよい」
「あ、あァ」

直ぐ目の前にいたイゾウに二人を託したマルコは白ひげに対して軽く頭を下げると何も言わずに船長室を出て船医室へと向かった。
何一つ言わずに出て行ったマルコを見送った白ひげはチシに視線を向けた。

「あの顔は何かあったな。チシ、話せる範囲で構わねェ、話してくれねェか?」
「う、うん」

部屋に突然現れたカーナという女の妖怪と彼女が話した内容をチシなりに説明した。ただし、そのカーナという妖怪がマヒロのように見えたことを除いて――だ。
チシの説明が終えると船長室では沈黙が流れた。
誰もが厳しい表情を浮かべた。そして全員の視線が白ひげへと集中する。

―― ……おれを狙う……か。

白ひげは眉間に皺を寄せながら静かに目を瞑って大きく深呼吸を一つした。すると直ぐに口角を上げると額に手を当てて大きく笑った。

「グラララララッ!!」
「……大爺、どうして笑うの?」
「あァ、サッチの件はわからねェが、この船の連中やおれの命を奪いに刺客を送ったってェことに関しちゃあこれ程分かり易いものはねェからなァ」
「?」
「精神的な攻勢に出るってェことは、それだけマルコが脅威だってェことを示してるようなもんだ。正攻法で攻め手に欠きゃあやることは精神的なダメージを与えて弱らせるに越したことは無ェからなァ」
「……強い……から……?」
「どれ程の強さかと聞かれちゃあ答えられねェが――」
「何、マルコ殿がこの船に居る限りはどんな相手が来ようが誰も死にゃあせんわい」
「――!」

白ひげの言葉を遮るように突如として耳にしたことのない声が船長室に響いた。白ひげは眉間に皺を寄せて口を噤み、隊長達もザワザワと辺りを見回して警戒した。

「あ、イゾウお兄ちゃん! あそこ!」
「なっ!?」
「……だァれ?」

チシが最初に気付いて指を示した先に目を向けたイゾウは目を見張って絶句した。それは彼だけでは無く他の隊長達も同様の反応だった。そして白ひげは眉をピクリと動かすと鋭い視線を向けた。
空間に亀裂が突如として現れる。
パキパキパキと弾くような音が鳴るとボンッという爆ぜる音と共に黒衣に身を包んだ一人の老いた人物が姿を現した。

空幻道士だ。

「ふぃ〜、久方ぶりに人化をするのは大変じゃわい。亀裂は見えたかの?」

持っている杖で軽く自身の肩をとんとんと叩きながら首を左右にコキコキと鳴らした空幻は、白ひげへと視線を向けて笑みを浮かべた。

「……亀裂は見えた。だがその前にてめェは何者だ?」
「わしは客分でずっとこの船に乗っておったんじゃがのう」

敵意すら滲ませる声音で白ひげがそう問い掛けると空幻は顎鬚を摩りながら残念そうにそう漏らした。
白ひげは片眉を上げると空幻はポンッと手を叩いた。

「おお、そうじゃそうじゃ。以前にマルコ殿から頼まれた書類処理を済ませておいたんじゃが……、これはマルコ殿に渡した方が良いのかの?」

空幻がコンコンと杖で床を叩いて鳴らすと再びポンッという爆ぜる音が鳴り響き、空間から書類の束がドサリと現れた。
空幻に最も近い位置にいたビスタが目を丸くして書類を見つめると「これは……報告書か?」と不思議そうに言葉を零した。

「にゃむ、如何にも」

空幻は飄々としながら書類の束を手にしつつコクリと頷いた。
隊長達はお互いに顔を見合わせてキョトンとしている。白ひげも流石に驚いたのか唖然として空幻を見つめていた。

「……というかじゃ、隊長方! こんなに人数がいておるのに何故に誰も書類精査の仕事をやらんのじゃ!? おかげでわしがどれだけマルコ殿に事務処理方法を叩き込まれたことか! 元はと言えばお前さん方が何もかも全てマルコ殿に丸投げするからじゃろうが!!」
「「「い、いや、急に怒られてもわからん」」」

左手には書類の束を、右手には杖を、その両腕をパタパタと振るいながら突然キレてプンプンと怒る爺さんこと空幻に、隊長達は戸惑いながら声を揃えて言った。すると空幻は「チッ!」と舌打ちをすると白ひげへと向いて「こほんっ!」と一つ咳払いをした。

「自己紹介が必要じゃの。わしの名は空幻。正しくは空幻道士と言うのじゃが、マルコ殿からは『空幻』と呼ばれておる。見てわからんじゃろうが、これでも妖怪じゃ」

空幻はニヤリと笑みを浮かべてそう言うと白ひげを始め隊長達は一同に驚いて目を丸くした。

「お前ェ……そりゃあ可笑しいじゃねェか。何故おれ達に見える?」
「人化しておるからのう」
「人化だと……?」
「わしら妖怪は生きる為に人間に成り済ますことができるのじゃよ。人化をすれば生身の人間と然して変わらん姿になる。故に見えない者でも見えるんじゃよ」

顎鬚を撫でながら空幻は楽し気に話した。
ピリピリとした空気が張り詰めた船長室内に突如として現れた爺さんは、どこかふわふわしていて全くこの場にそぐわない空気を纏っている。
隊長達は戸惑いながら空幻の説明について理解したのかしていないのかを確認するようにお互いに顔を見合わせてコソコソと言葉を交わし始める。

そんな彼らを一瞥して空幻は言う。

「わしはな、ずぅっと乗っておったんじゃよ? この船に乗って……やっと、やっと……」

何だか空幻の様子がおかしい。
白ひげが眉間に皺を寄せると空幻は声高らかに叫んだ。

「漸く初めて話ができるのう!! わしは嬉しい!!」

突然クワッと表情を劇画調に変えて喜びに満ちた表情を浮かべて盛大に叫ぶ空幻。それに隊長達は思わずドン引きし、チシとサコは呆気に取られた。白ひげは目を見張った――が、直ぐに額に手を当てて深い溜息吐く。

「……誰か説明しやがれ。……おれァ全く意味がわからん」
「「「オヤジ、覇気が漏れてる」」」

若干額に青筋を張った白ひげは空幻を睨むと隊長達は顔を引き攣らせながら声を揃えて白ひげに忠告した。
チシはその覇気に驚いて思わずイゾウの衣服を掴んだ。

「心配する必要はねェ、安心しな」

イゾウはチシの頭を撫でながらそう宥めてふとサコへと目を向けた。途端に「あ、」と声を漏らした。
イゾウの声にその部屋にいる者全員が反応して視線を向けると皆して「あ、」と言葉を発した。
徐々に表情が畏怖のそれへと変わり、目に涙が大量に溢れてウルウルと潤ませている。

「ふっうっ……うあああん!! 怖いよおおっ!!」

白ひげから発された覇気に触れたことが余程怖かったのだろう。堰を切ったようにサコは大粒の涙を零して大声で泣き叫んだ。

「「「オヤジ!!」」」
「グララララッ!!」

隊長達が慌てて白ひげに声を荒げると白ひげは笑った。だが直ぐに真剣な面持ちへと変えると誰にともなく指示を出した。「誰か急いで船医室にいるマルコを連れて来やがれ!」――と。

「何、心配いらんよ」

空幻の言葉で誰もが動きを止めて注目した。空幻は泣き喚くサコの元に歩み寄った。

「サコじゃったかの、ちょいと静かにしてもらおうかのう」

空幻は杖をくるりと回してコンッと床を突いた。すると大泣きするサコの声が突如として消えた。

「「「!!」」」

サコは未だに泣いている。しかし、その泣き声はサコ自身にしか聞こえていないようで、その場にいた誰もが心底驚かされて唖然として固まった。

「なァに、空間をちょいと弄っただけじゃ。さて、簡単ながらわしのことも含めて説明してやろうかのう」

ふぉっふぉっふぉっ――と笑った空幻は、自己紹介と共に自身の能力や自身とマヒロ、そしてマルコとの間柄についての説明をした。そして行方不明となったサッチのことについても加えて説明すると誰もが困惑した表情を浮かべた。

「ってェことは、おれ達にできることは……」
「無いのう」

イゾウの言葉に続けて空幻は首を振り、イゾウは眉間に皺を寄せた。

「全部マルコ次第ってことかよ?」
「そうなるのう」

ラクヨウの問いに空幻がコクリと頷けばラクヨウは憮然とした。

「……何も出来ないのか? ……何も、何もしてやれないのか?」

ビスタが苦悶の表情を浮かべてポツリと零すと他の隊長達も同様に苦渋の表情を浮かべて口を閉ざし、空気は重たく落とされた。そんな中で空幻は「あるではないか」と一言述べた。すると隊長達全員が「それは何だ!?」と声を揃えて空幻に詰め寄った。

「書類仕事」
「「「じゃねェのが良い!」」」

隊長達は一転してブーイングを放った。すると空幻はニコニコとした笑顔のままゆっくりと白ひげへと振り返った。

「お前さんは息子共にどういう教育をしとるんじゃ?」
「それはマルコに言いやがれ。誰もやらねェことを全部引き受けちまうあいつが悪い」
「「「まったくだ」」」

白ひげの回答に同意する隊長達を尻目に空幻は小さくかぶりを振った。

―― マルコ殿は根本的に真面目な気性をしとるから仕方が無いのやもしれんが、しかしのう……。

船長である白ひげがしれっとそう答えるとは思ってもみなかった。

「この親にしてこの息子共といったところかのう。何だかマルコ殿が気の毒じゃわい」

空幻は呆れたようにポツリと零すと溜息を吐いた。そして一方その頃の船医室では――。

「はっくしょん!!」
「きゃあっ!!」
「わ、悪ィ……」

サッチが寝ていたはずのベッドに触れ、何があったのかを残留思念を辿るように霊視を行っているマルコだったが、突如としてクシャミを盛大にしたことで、傍で見守っていたナース婦長のエミリアが驚いて悲鳴を上げていた。
マルコは苦笑を浮かべながら謝ったが、何となく釈然としない気持ちに見舞われて首を傾げた。

―― ……何だよい? 何故か誰かに同情されちまってるような、……気のせいかねい?

と、そんなことを考えながら「そういえば――」と、ほんの少し前から空幻の妖気が船長室付近から感じ取ったことでふとある考えが脳裏に過った。

「まさか……」

思わずそう言葉を零すと同時にマルコは少し焦りに似た表情を浮かべた。

「悪ィなエミリア。邪魔したよい」
「え? え、えェ、もう良いのかしら?」

驚いた時に落としてしまったカルテを拾って纏めていたエミリアはキョトンとした面持ちだ。
マルコは早々に船医室から出て行くとエミリアを始め他のナース達も「何だったのかしら?」と不思議そうに首を傾げて見送った。

マルコが船長室に戻ってドアを開けた。すると一目散にマルコに飛び付いて来たのはサコだった。
涙と鼻水で顔はグシャグシャでワンワンと泣いている様子だが声が遮断されている。マルコは何が起きたのか理解できないままに腰を落とし、サコの顔を包むように両手を添えて涙を拭い、小さなその身体を抱き上げて部屋へと入った。

白ひげの側に見慣れた黒衣に身を包む老人の姿を目にするとマルコは「あァ…」と小さく声を漏らした。

「空幻、……サコの声を遮断したのはあんたかよい」
「話をするのにちと邪魔じゃったからのう。部屋に連れてお前さんが戻せば良かろうて」

笑顔でそう返す空幻にマルコは少しだけ眉を顰めた。

―― ……気のせいか、何でそんなにウキウキしてんだよい?

「…………ひょっとして喜んでやしねェか?」

マルコがそう問い掛けると空幻は胸を張った。

「わしも今日から晴れて白ひげ海賊団の家族の一員じゃよ!」
「「「誰も認めてねェし」」」
「グララララッ! おれより年上の爺さんには流石に息子とは呼べねェなァ!!」
「にゃむ、ならば白ひげ殿、親友(マブダチ)はどうじゃ?」
「あァ? マブダチだァ? ……あァそれも良いかもしれねェなァ」
「「「マジかオヤジ!?」」」
「……」

何故か白ひげと空幻が親友と書いて『マブダチ』と呼ぶ間柄になった。隊長達は驚きの声を上げるが、白ひげの表情は満更でも無い様子で「グラララ!」と楽し気に笑っている。

―― おい、何でこんなことになってんだい。

マルコは眉間に皺を寄せて露骨に不快な表情を浮かべた――が、本人達が乗り気になっている以上、周りがどうこう言っても聞く耳を持ち合わせていない二人でもあるのだ。
こうなっては仕方が無いと諦めの境地に直ぐに達したマルコは何も言わずにそのまま船長室を後にした。

「イゾウ兄ちゃん……」
「あァ、構わねェ。行っといで」
「うん」

チシはイゾウから離れてトタトタとマルコの後を追うようにして船長室から出て行った。するとチシがマルコの後を追って出て来るのをわかっていたようで、マルコが廊下で待っていてくれいた。

「行くよい」

チシは嬉しかったのか喜色満面に「うん!」と返事をした。そしてマルコの側に走り寄ると手を伸ばしてマルコの手を握った。
マルコの腕に抱かれたサコは、どうやら泣き疲れた様で、マルコの肩に頭を預けて眠っていた。
マルコは二人を引き連れて自室へと戻るのだった。

後にマルコの部屋を訪れた空幻は、出会い頭でいきなりマルコに顔面を鷲掴みにされた。ギリギリと指先に力が込められていく。
そうして蟀谷に激痛を齎すと同時に空幻は苦痛の悲鳴を上げたのは当然のことで、自分の蟀谷を手で押さえながら地面に突っ伏した空幻は涙ながらに訴えた。

「こ、このような幼気な老い耄れに何てことをするんじゃ!!」
「……別に」

空幻の嘆きに対し、マルコは不機嫌な様相を浮かべてふいっと顔を背けた。

「お前さん……、マヒロがいないと途端に荒むのう」
「何か言ったかい?」
「イイエ、ナニモイッテマセン」

マルコがギロリと空幻を睨むと空幻は視線を外しながら片言で返事をした。

―― マヒロ、お前さんの存在は偉大じゃの。目の前に鬼がおる。鬼が顔を出しとるよ。

「寂しいなら寂しいと、素直に言えば良いのに……」
「うるせェよい……。良い年したおっさんが言うことじゃねェだろい……」

空幻の助言(?)にマルコはソファにポスンと座るとガクリと項垂れた。その背中には哀愁が漂っている。
空幻はニヤリと笑みを浮かべつつ髭を摩った。そしてベッド上にいたチシとサコへと顔を向けると手を伸ばして頭を撫でた。

「さて、聞きたいことがあるじゃろうて」

空幻は居住まいを正して真剣な面持ちへと変えた。それに片眉を上げたマルコは首筋に手を当てながら溜息混じりコクリと頷いた。
空幻は椅子を引いて腰を下ろしていると、チシとサコは二人してベッドから飛び降りてマルコの元へと駆け寄った。そしてマルコを挟むように座って身を寄せる。それを見た空幻は「微笑ましいの」と笑みを零した。

「カーナの件じゃな?」

空間を通してこれまでの出来事を見ていた空幻は「コホンッ」と咳払いをして再び真剣な面持ちへと戻した。そして――。

「大方予想はしとるじゃろうが、あのカーナという女はマヒロそのものじゃよ」

空幻はマルコの目を真っ直ぐ見つめながらそう語り始めるのだった。

空幻、姿現す

〆栞
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