07


サッチは今のところ何とか一命を取り留めてはいるが危険な状態だ。
船医室ではナース達が付きっ切りで、サッチの容体がいつ急変しても可笑しく無い所まで来ている。
マヒロはサッチを生かす為に最終手段として自身の霊気を流し込んだのだが、サッチのダメージは殊の外深く、気休め程度にしかならなかった。
また、夜分遅くに甲板に集められた隊長達にはマルコとマヒロが事の仔細を話した。そして真っ先に怒りに満ちた怒号を上げたのはエースだ。
ティーチは2番隊の隊員でありエースの部下だったからだ。

「おれはティーチを探す!」
「待てよいエース!」
「オヤジの世話になっておきながらあいつはオヤジの顔に泥を塗ったんだ! 掟破りの責任は隊長であるおれが取る!」
「話を聞けよい!」

血気に逸って今直ぐにでも飛び出して行きそうなエースの腕を掴んだマルコに、エースはグッと喉につっかえるものを吐き出す様に息を吐くとマルコへと顔を向けた。

「マルコ、おれはマルコに諭されていなかったらここにいなかったかもしれねェ」
「!」
「あんたはおれにとっちゃあ恩人みてェなもんなんだよ」
「エース……」
「マルコにとっても大事なオヤジだろ? そのオヤジの名をあいつは傷つけた。サッチはマルコの親友だろ? そのサッチをあいつは傷つけた」
「ッ……」
「だからおれは許せねェ…、許せるわけがねェんだ!!」

エースはそう言って掴まれた腕を振り解いてその場から離れようとした。
マルコはそれでも止めようとエースに手を伸ばした。だが触れた瞬間、マルコは咄嗟にその手を離した。
微かに触れたはずのマルコの手が直ぐに引っ込められたことにエースは少しだけ眉を顰めた。だが振り向くことはせずに今の内だとばかりにその場を去り、ストライカーに飛び乗って大海原へと一人で飛び出して行った。

エースを捕まえようと伸ばした手に視線を落とすマルコは眉間に皺を寄せると小さく被りを振りながら目を瞑って静かに溜息を吐いた。
その様子を傍で見ていたビスタやイゾウ、ハルタにラクヨウやジョズといった隊長達の面々が難しい表情を浮かべながら顔を見合わせ、そして直ぐそこに立っているマヒロへと顔を向けた。
マヒロは隊長達の視線に気付くと目を伏せて小さくかぶりを振りながら彼らの抱いた疑問に答えた。

「エースに触れた瞬間に何かを見たのだと思います」
「何かを見た? って、どういうこと?」

マヒロの言葉にハルタは首を傾げた。

「この先に何があるのか見えることがあるそうです」
「この先だと?」

ジョズが眉を顰ると隣にいたイゾウがマヒロの言葉を拾い上げて自身の解釈を投げ掛けた。

「この先、つまりエースの”未来”に何かが起こる……ということかい?」
「はい……」
「「「!」」」

イゾウは煙管を銜えながらマヒロからマルコへと視線を移し、「そうかい……」と答えると銜えた煙管を外して小さく溜息を吐いた。
勿論、他の隊長達一同も驚きと不安が入り混じった面持ちでマルコへと視線を向ける。彼らの胸中に浮かぶのは恐らくマルコが持つ人らしからぬ力に対する懸念といったところだろうか。
ほんの一瞬でそれを察知する能力がずば抜けているのだ。例え占星術等を生業としているものでさえも不可能だろう。
彼らはマルコに対して改めてどのような気持ちを抱いたのだろうか、マヒロは少しだけ不安になった。

エースが一人でティーチの後を追って飛び出して行ったが、白ひげは後を追うことを許さず、一先ず様子見と言うことでその場は解散した。
各々仕事がある者は仕事へ、何も無い者は部屋へと散って行く。
そんな中でマルコはサッチの仇をと、エースのように血気に逸って行動を起こそうとする4番隊の隊員達を宥めていた。
いつもなら、隊長格の誰彼がマルコの肩を持って助力するはずだが、隊長達の動きは鈍く、誰も動こうとする気配が無い。

―― ……敬遠してるの? ……ううん、違う。そうじゃない。誰もが必死に理解しようと懸命になっているだけ。今はまだ気持ちが定まっていないだけ。

きっと一時的なものだ。彼らの絆はそんなに浅く軽いものでは無いことぐらいマヒロはよくわかっている。

一抹の不安を抱いたものの、白ひげ海賊団を、家族を、兄弟達を、マヒロは信じることにした。そしてマルコに向けて何も言わずに小さく頭を下げると踵を返して足早に船内へと入り、真っ直ぐに船長室へと向かった。

自ずと拳を作りギュッと握る。

―― 私は、私に出来ることを考えなきゃ。

恐らくこの先、マルコは一人で途方も無い戦いを強いられることになるだろう。そこに自分も参戦すると言えばマルコはそれは拒否するだろうとマヒロは何となくそう思った。
ならばせめて、せめて――。
何の憂いも無く安心して戦いに集中できるように、マルコにとって大切なもの自分が守る――と、マヒロは懸命に考えた。

マルコがエースの何を見たのか。

あの一瞬に見せた表情からしてあまり良い未来では無いのだろうとマヒロは推測した。
サッチは瀕死に陥ってはいるが、出来る限りのことを尽くした。まだ十分に安心できるといったところでは無いが、それでも何とか生き永らえている。
もし万が一のことがあったとしても何かしら対応できるマルコがいる。だがエースは一人で行ってしまった。そのエースに万が一のことがあった場合、その万が一のことが妖怪絡みであるなら尚の事対応できる者が側に居なければ大事に至ってしまう可能性は高い。

自由に動き、それらの対応ができる者と言えば――。

船長室に訪れたマヒロは真っ直ぐに白ひげを見据えると白ひげは少しだけ片眉を上げてマヒロを見下ろした。

「オヤジ様、お願いがあります」
「……何だ?」

何時になく真剣で、何とも気高く凛とした佇まいを見せるマヒロに白ひげは少しだけ面食らった気分を味わった。真っ直ぐ見据えるマヒロの眼光には強い決意が現れている。

「……私に単独でエースの後を追わせて頂きたいんです」

マヒロは静かにそう告げると白ひげに向けて頭を深く下げた。
白ひげは目を丸くして驚いた。
強い決意を持ったその瞳から涙が零れ落ちるのが見えた白ひげは、眉間に皺を寄せると額に手を当てながら目を瞑りつつ溜息を吐いた。

マヒロがわざわざこうして一人で頼みに来るとは予想していなかった。
ましてや船を離れて単独でエースの後を追う等と口にするとは――。

「それァマルコの指金か?」
「いいえ、私が勝手に決めました」
「……マルコに話もせずに行く気か?」
「……話せばきっと止められると思うから……」
「何故一人で行こうと思ったのか、その理由を話しやがれ」

白ひげは目を開けると鋭い眼光でマヒロを見据えた。
ピリッとした空気が伝わって来る。
生半可な覚悟なら行かせるわけにはいかない――そんな雰囲気だ。
マヒロは拳を強く握ると勇気を持って話し始めた。

この先に起きる大きなことを少しでも何とか軽減できないか。マルコの負担をどうにか減らすことはできないか。
マルコがエースに触れて何を見たのかはわからない。しかし、何れエースの身に何かが起きることは確実であること。そしてその時、もしその”何か”が妖怪絡みであるのならば、対応できるものが側に居なくては殺されてしまうかもしれない――そうマヒロは言った。

マルコは単独で船を離れることが出来ない立場だ。ならば自分がマルコの代わりとなって動くしか無い。どこの隊にも属していない自分が動くべきだ。それに、ただ守られるだけなのは自分の性分が許さないとマヒロは思うのだ。

―― 私も守りたいし力になりたいの。マルコさん、あなたの大切な家族を守りたい。

マヒロは再び頭を下げたまま上げようとはしなかった。それに対して白ひげは深く溜息を吐いた。
単独で考えた末にマヒロがこうして一人で頼みに来るということは、恐らく相当でかいことがこの先にあるのだと白ひげは察した。そしてそれにマルコが大きく関わっていることも何となく察する。

―― ……全てはマルコの為……か。

白ひげ海賊団の為に力を尽くすことは全てマルコに直結する。

―― グラララ、妬けるじゃねェか。

白ひげは思わず口角が上がって笑みを浮かべてしまうのを懸命に抑え、真剣な面差しでコクリと頷いた。

「わかった。許可しよう」
「!」
「だがなマヒロ、これだけは約束しやがれ。危険なことはするな。まず第一に自分の命を優先しやがれ。勝てそうにない相手が出くわしたら必ず逃げろ。決して無理だけはするんじゃねェ。お前ェの命もお前ェだけのもんじゃねェんだ。わかったなマヒロ」
「ッ! ……はい!」

白ひげはそれだけ伝えると背凭れに身を委ね、ゆっくりと目を瞑って何も言わなくなった。
マヒロは黙って頭を下げるとその部屋を後にした。

「おれァ許したが、マヒロ、お前の考えをあのバカ息子が気付かねェわけねェだろうに……。さて、マルコはどう出るか……」

肘掛けに頬杖を突き、白ひげは静かに溜息を吐いた。
一方マヒロはマルコの部屋へと戻るとベッドの上で何も知らないチシとサコが幸せそうに眠る姿を見つめた。すると視界が歪んで目をパチクリさせると涙がボロボロと零れ落ち、咄嗟に手でそれらを拭った。

「……必ず戻るからね」

眠るチシとサコの頭を軽く撫でるとマヒロは最低限の荷物を纏めてその部屋を後にした。そして誰の目にも留まらないように小船を一隻出すとそこに飛び乗った。

―― 何も言わずに出て行くけど、ごめんねマルコさん。

決意はしたものの後ろ髪を引かれる思いはある。自身の胸に手を当てながらグッと息を止めて謝罪の言葉を残し、いざ大海原へ――。

バサッ――、バサッ――!

「え?」

ふと大きな羽音に目を丸くしたマヒロの視界に青い炎がチリチリと舞うのが見えた。ふわりと身体を包み込むように背後から優しく抱き締められたマヒロは心臓が止まる思いをした。

「マヒロ」
「ッ…!」

耳元に聞き慣れた声で名を呼ばれたマヒロは、抱き締める腕に自分の手を重ね、見慣れた紫の衣服をギュッと握った。

「おれが気付かねェと思うか?」
「う……」

喉を鳴らしてクツリと笑うマルコにマヒロは顔を上げると青い瞳と視線が交錯した。
黙って出て行こうとした自分を引き留めに来たのだとマヒロは思った――が、何やら柔和な雰囲気にマヒロは逆に驚いて固まってしまった。

「当面の資金が必要だろい?」
「え?」

優しい笑みを浮かべながらマルコは金貨の入った袋をどさりと置いた。そして戸惑い固まるマヒロの後頭部に手を回したマルコはマヒロの頭を引き寄せてコツンと額をくっ付けた。

「……マル…コ…さん……」
「お前ェの考えそうなことだよい」
「!」
「エースを探しに行って来れるんだろい?」
「い、行って良いの? 引き留めに来たんじゃないの?」
「本当はおれが行きてェんだが……どうもできそうにないんでねい」
「……え?」
「これからおれが話す事をよく聞けよい。大事なことだからよい」
「は、はい……」

マルコはエースに触れた瞬間に見えた全てをマヒロに伝えた。するとマヒロは顔を歪ませて今にも泣きそうな、それでいてとても苦し気な表情を浮かべた。

「そんなことって……」
「マヒロ無理だけはするな。けど、お前ェはどんな時でも”生きること”を諦めなかった強ェ女だってなァ、おれはそう信じてるよい。だからマヒロはマヒロが思うように自由に動け」
「マルコ……さん」
「あァそれとよい」
「何?」
「もうそろそろ、その『さん』付けは卒業しろよいマヒロ」
「え? い、今そんなこと言――んン!」

マルコはマヒロの言葉を遮るように少し強引に唇を重ねた。驚いたマヒロは目を丸くしながら顔に熱が集まるのを感じた。

「んっ…ン……」

少しだけまた離れることに寂しさや不安を抱かないなんてことは無い。ただそれは決して自分だけでは無いのだとマヒロは思った。
密に重ね合う唇の角度を少しずつ変えながら別れを惜しむように口付けを交わして行く。そうして甘く小さなリップ音を残して唇が離れて距離が生じた時、マヒロの瞳に涙が込み上げ始めた。
マルコはクツリと笑うとマヒロの頬に手を添えて涙を親指で拭った。

「この続きは全てが終わった後だよい」
「……続きって?」

少しだけ首を傾げて疑問を口にするマヒロにマルコは眉尻を下げてうとマヒロの頭をクシャリと撫で、耳元に唇を寄せて囁いた。

―― !?

途端にマヒロは両手で耳を押さえると顔を真っ赤にしたまま口をパクパクと開閉を繰り返した。そしてマルコは片眉を上げると微笑を零した。

「いらねェのかよい?」
「そ、それは……欲しいです
「ククッ……」

顔を真っ赤にしながら素直にそう答えたマヒロにマルコは口元を手で覆いながら肩を揺らして笑った。

「チシとサコは心配するな。船の連中がちゃんと見てくれるからよい」
「え、えェ」
「……マヒロ」
「ん?」
「おれはここにいるってェこと忘れんじゃねェよい。いざって時は素直に頼れ。良いねい?」
「あ、」

マルコはそう言うとマヒロの腹部に人差し指で軽く突いた。マヒロは目を丸くしてパッと顔を上げるとマルコは笑みを浮かべた。

「おれのここにもマヒロがいるからよい」

自身の胸をトントンと指示しながらマルコはそう言った。するとマヒロは憂いがすっかり消えて満面の笑みを浮かべた。
ポロリと涙が零れ落ちはしたが、純粋で花咲くような笑顔にマルコは愛しい気持ちで一杯になり、そっとマヒロの頬に触れた。

「絶対に守るよい」
「絶対に守ります」
「おれはマヒロを」
「私はマルコを」

お互いに誓いを立てるようにそう言葉を交わすとクツリと笑った。

「よい」
「よい!」
「ハハ、真似すんなよい」
「するよーい!」
「ったく、気を付けてな」
「よいよい」

マルコは微笑を零しながらマヒロの頭を軽く小突いた。するとマヒロはまるで子供のように楽し気に笑った。

「じゃあなマヒロ」
「はい、行って来ます!」

マルコは両腕を青い炎に包んで翼へと変えると小船から離れてモビー・ディック号へと戻って行った。そしてモビー・ディック号の欄干に降り立ったマルコは少しずつ離れて行くマヒロを乗せた船に向けて軽く手を振り、マヒロもそれに応えるように大きく手を振った。

「マルコさん……ううん、マルコ! 行ってきます!」

こうしてマヒロは単独でエースの後を追うべく大海へと旅立つのだった。

「……行ったのか?」
「どうせ止めても聞きやしねェからなァ。だったら気持ち良く送り出す方が懸命だろい?」

苦笑を浮かべながら片目を瞑ってマルコがそう言うとジョズも苦笑を零した。

「ガハハハッ! 成程、マルコとマヒロの関係は、あれだ。所謂『かかあ殿下』ってェとこだな!」
「ッ〜〜! ラクヨウ……五月蠅ェよい」
「おれもそう思うな」
「くっ…ビスタ!」
「間違っちゃあいないねェ」
「い、イゾウまで……」
「どう見てもマルコはマヒロの尻に敷かれるタイプでしょ!」
「あー、もう黙れよいハルタ!」
「「「マルコは一生マヒロに頭が上がらねェ男だな」」」
「ッ!」

隊長達が挙ってマルコをネタにして笑った。だがこれはマヒロと離れ離れになるマルコに対する彼らなりの気遣いだろう。
少し不貞腐れ気味な表情を浮かべながら隊長達を睨み付けるものの、彼らの気持ちを重々承知しているマルコは大きく息を吐き、額に手を当ててポツリと零した。

「……んなこたァお前ェらに言われなくても、おれは十分に自覚してるよい……」
「「「へっ!!?」」」

あっさりと認める言葉を零したマルコに彼らは一様に驚いて絶句した。するとマルコは口角を上げた笑みを浮かべ、驚き固まるジョズの肩をポンポンと軽く叩いた。

「お前ェら、ありがとよい」

その一言だけ述べるとマルコはさっさと船内へと入って行った。隊長達はマルコを見送った後にお互いに顔を見合わせて口をパクパクと開閉を繰り返した。
とてつもない嵐が直ぐそこに迫っているのかもしれない――等と、割と失礼な発言を飛び交わしながら大きく動揺するのだった。

既に船内へ入って自室へと向かうマルコは、隊長達の割と失礼な発言が心に飛び込んで来るのを感じてヒクリと頬を引き攣らせ、ガシガシと後頭部を掻いた。

「そんなもん、マヒロの世界で初めて出会った時に既に思ってたよい」

心底から惚れて、好きになって、愛しい女になった。そんな女にならどんな風に扱われようが全く気にもしない。

―― なんてェことを言ったら、あいつらはより驚くだろうねい。

まァ決してこんなことは口にはしないが――と、マルコはクツリと笑った。そして気遣って声を掛けて来てくれた隊長達も、自分にとってはとても大事で大切で好きな奴らだとマルコは心内でそう言った。

―― 絶対に口外はしねェけど。

部屋に戻るとチシとサコが丁度眠りから覚めた所だった。だが二人共ぼ〜っとしながら目を擦り、まだ眠そうに欠伸を繰り返した。

―― 当分、片親で面倒を見ることになっちまったなァ。

マルコは眉尻を下げて微笑を零すと二人の側に歩み寄った。

「おはよい」

マルコはそう言って二人の頭を優しく撫でるのだった。

再びの別離

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK