06
深夜――。
マルコはふと目が覚め、ぼやける視界のまま天井を見つめた。
少しして右手で目元を覆うと眉間を指でマッサージするようにグリグリと指圧させて身体を起こした。
隣で眠るチシやサコ、そしてマヒロを起こさないようにそっとベッドから下りた。
妙に喉が渇きを覚え、軽く喉仏を鳴らす様に小さく咳をしつつソファに座ろうとした。一度目が覚めると途端に頭が冴えてしまい眠るに眠れない――と思う間に一瞬だけ空気がざわついたのを感じ取り、マルコは神経を尖らせた。
『…! ……!!』
「……っ!?」
声が聞こえた。よく耳にする知った声音だ。その声の主が誰かなんて考えなくともマルコには直ぐにわかる。
―― サッチ!
マルコは椅子に引っ掛けてあったシャツを手に取ると部屋を出て行った。
深夜帯とは言え、翌日の仕込みの為にこの時間でもサッチは厨房にいる。
マルコは急ぎ足で真っ直ぐに食堂へと向かった。
食堂に出ると厨房へと足を向けようとした途端にマルコは足を止めた。
ドクンッ――!
厨房に行かずしてそこで何があったかを容易に理解した。
目を見張り、ワナワナ震える身体を叱咤して急いでそこに駆け付けると床に倒れている悪友の姿があった。
「サッチ!!」
「ッ……は、……マル……コ……か……。し、しく…じった……」
「何も言わなくて良い! 身体に障っちまう! 今は喋るな!」
抱き上げた手にサッチの血がベットリと付着した。
身体に突き刺さるナイフを見れば持ち主が誰かは明らかだ。だがその人物をどうこうする前にサッチの手当てが先決だ。
あまりにも血が流れ過ぎている上に刺されている箇所も悪く致命傷だ。
「誰かいるのか?」
偶々食堂に訪れた隊員が不思議に思って厨房を望めるカウンタ―から顔を覗かせた声を掛けた。
1番隊副隊長のギルだ。
「――って、マルコ隊長じゃないっすか」
「ギル! 船医とナースを呼べ!」
「え? どうし――ッ!? さ、サッチ隊長!?」
大量に血を流しているサッチの姿に気付いたギルは驚きの声を上げた。
「急げ!!」
「わ、わかりました!!」
船医とナースを叩き起こして急ぎ連れて来るように指示を出されたギルは慌てて食堂から出て行った。
その間にマルコはシャツを脱いで袖をビリッと破った。そしてサッチの肩に突き刺さるナイフをグッと引き抜くと即座に破った袖を傷口に当て、出血を抑えるように衣服をきつく巻き付けた。
「サッチ、気をしっかり持てよい!」
「……チ……だ。あ、い……は……」
「喋るなよい!」
「あいつ、ティーチ、普通じゃ、無かっ……人じゃっ…ゴホッ! ゴホッ!」
「わかった、わかったよい。だからもう良い、大人しくしろいサッチ」
マルコの目を見つめながら必死に伝えようとして、サッチは力を振り絞って言葉を発した。
だが血を吐き出すとサッチは目をを閉じて力無くぐったりとした。
「サッチ…? おい、サッチ!」
呼び掛けるが反応は無い。血の気がどんどん無くなって行く悪友の顔を見つめながらマルコは懸命に声を掛けた。
「マルコさん! どいて!!」
「マヒロ!?」
異変を察知したのだろうマヒロが厨房へと駆け付けるとマルコが抱えるサッチの容態を見始めた。
マヒロは直ぐ様サッチの口元に手を当てた。呼吸は微弱だ。いつ心臓が止まって死んでしまっても可笑しく無い状況だ。
「心臓が止まり掛けてる。補助して動かしてあげないと危険よ!」
マヒロは両手に霊気を纏わせた。そして左手をサッチの心臓に、右手はサッチの首元、気道の上に置いた。
霊気の力で呼吸の補助と心臓の運動を補助する為だ。
「マルコさん、ここは私に任せてください。だから、今は”あなたにしかできないこと”をして!」
「!」
マヒロの言葉にマルコは目を丸くした。
―― お前ェ……。
思うことはあっても未だに話していないにも関わらず、マヒロは察したのだとマルコは思った。
「大丈夫、大丈夫だから。必要なことがあれば何だってする覚悟は私にもあるもの。心配は無用よ。私はマルコさんを信じてます。私にはできないことでもマルコさんならやってのけるでしょ? ずっと、ずっと、そうだったじゃない」
「……マヒロ……」
「あなたが私を想ってくれてることが何よりも幸せ。私が心の底から願った思いにあなたは気付いてくれた。……今はまだ必要だと思うから渡せないけど、でも時が来たら私から何もかも奪って良いから。ね?」
「!」
お互いの魂が深く結ばれていれば、共に相手の心情や記憶を読むことは容易だ。
マルコがマヒロの心を簡単に読めるのと同じくマヒロもマルコの心を容易に読み解けるのだ。
マヒロは仕事をする傍らでずっとマルコの心内を探っていたのだろう。
マルコが何を思い、何を考えているのか。
そうして恐らく知ったのだろう、霊光玉のことを――。
「祖母に言われたのでしょう?」
「ッ……あァ……」
「多分、きっと、祖母もマルコさんのことが好きだったんでしょうね」
「!」
「だから、納めることができる本当の器を見つけたからこそ鍛えたんだって、今になって思います。私以上の器だもの。マルコさんは私なんかよりもずっとずっと……青い光に愛された人よ」
マヒロはクツリと笑った。そして直ぐに真剣な面持ちに戻した。
「サッチさんは死なせない。私が必ず生かしますから」
「……わかった。サッチのこと、マヒロに任せるよい」
「うん」
マルコは一呼吸を置いて立ち上がった。
血糊は厨房を超えて裏に抜ける通路から船尾へと出る甲板へと続いていた。
マルコはその血糊の後を『霊視』しながら辿った。
世界の色は抜け落ち、血糊とそこに残る足跡だけが赤く染まって浮き出る。その足跡から赤い線が立ち上り人の姿を模り、船尾へと逃げる姿を見せた。
それはよく見知った男の姿だった。
船尾に出ると船を付けていたのか複数人の仲間がそこにいて、男はその船に飛び乗って逃走を図った――と、痕跡を辿ればそんな所だ。
霊視を止めると今度は『残留思念』を辿る。
鮮明な映像と化して視界に映し出す。するとマルコの直ぐ目の前を悪魔の実を手にして不敵に笑う男――ティーチが現れた。
「ゼハハハハッ! やっとだ! やっと手に入れた! この船に乗ってりゃあいつか必ず手に入るだろうと望んだ悪魔の実だ!」
ティーチはサッチから奪った悪魔の実を手に掲げながら喜びに浸った。
―― ティーチ……てめェ……。
古株の身でありながら目的のものが手に入れば容易に裏切り、長い付き合いでもある仲間を殺害しようとは――。
マルコはギリッと奥歯を噛み締めて睨み付けた。
「色々とあったがおれの目的は達成された。これでおれは最強の力を手に入れることができる」
愉快だとばかりに盛大に笑い声を上げながらティーチはマルコの前を通り過ぎようとしていた。だがふとその声を止めたティーチは徐に顔を横に向け、自分を睨み付けるマルコを凝視した。
―― !?
これは残留思念を辿って映像化した世界だ。現実にはそこにマルコは存在しない。だがこの反応は明らかに可笑しい。マルコがまるでそこにいることに気付いているかのように、ティーチは口角を上げた笑みを浮かべ、マルコは驚いて目を見張った。
「マルコ、お前の力もいずれおれが貰う。そうすりゃあおれがこの世界の全てを統べる王になれる。マルコ、てめェの血肉は美味ェんだってなァ? ゼハハハハッ!」
ティーチはそう言うと突然マルコへと手を伸ばした。
「なっ!?」
捕まるはずがない。――にも関わらず、ティーチはマルコの腕をガシッと掴んだ。マルコも咄嗟に自身の腕を掴むティーチの腕を掴み返した。
思念体であるはずのそれは明らかに実体化されている感触があることにマルコは動揺した。
「くっ…!」
「良い顔するじゃねェかマルコ。驚いたか? ゼハハハ! 無理も無ェ! 残った思念に映る人間に気付かれて腕を掴まれりゃあ誰だってビビるよなァ!!」
「ティーチ! てめェは一体…、何者だよい!?」
「おれが何者かだって? おれァただの人間さ。お前と違って普通の人間だ。今はなァ?」
「!?」
「夢ん中で何度も出て来た奴にてめェのことを聞いたぜ? スキルやシャナクの件も、あのマヒロってェ女のことも何もかも全てなァ」
「なっ、何……?」
ティーチは歪んだ嘲笑を浮かべた。
「おれァ野望があってなァ。世界最強の海賊団を率いて世界を統べる王になる為に力が欲しかった。その為にはどうしても必要だった最強の実を、長い年月をかけて探し回り、こうして漸く手に入れたんだ」
意気揚々と話しながらティーチはぐっと鋭い目をマルコに向け、マルコの腕を掴む手に力をぐっと込めた。
痛みが走ったのかマルコは少し顔を歪めた。
―― くっ…、何てェ力してやがる……。
ギリッと奥歯を噛み締めながらティーチを睨み返すと、ティーチは言葉を続けた。
「マルコ、てめェの強さは異常だ。その強さは世界を屈服させるぐれェの力を持ってやがる。おれの野望を前に、てめェの強さは大きな壁となる。オヤジ以上のなァ……」
「!」
「だからおれァ奴の話に乗った。お前に負けねェ、いや、それ以上の力をくれてやるって言うんでなァ」
ティーチはニヤリと笑みを浮かべた。その笑みを見たマルコはゾクリと背筋が凍る思いをした。
ティーチが言った言葉の意味や”奴”という存在が誰を指すのか、そしてティーチが手にしている悪魔の実が一体何なのか、頭の中のピースが瞬時に纏まり一つの答えが出たその時だ。
ティーチはサッチから奪った謎の悪魔の実を口元に運び、大きく口を開けた。
「まっ、待て! ティーチ!!」
マルコは制止を呼び掛けたがティーチは耳も貸さずにその実に食らい付き、何度か咀嚼するとゴクリと飲み込んだ。そして、不敵な笑みを浮かべると途端に声を上げて笑い出した。
「ゼハハハッ! これで”契約成立”ってェわけだ! 屍鬼よ! おれに力を与えやがれ! マルコに負けねェ力をなァァァ!」
「バカ…野郎…! ティーチ、てめェはッ…、大バカ野郎だよい……」
盛大に叫ぶティーチを前に、マルコは悔やむ表情を浮かべた。
「何だァマルコ? 情けねェ面しやがって、おれが力を手にするのがそんなに悔しいのか?」
「屍鬼の言葉を真に受けやがって、てめェは屍鬼がどういう奴か知らねェんだろうがよい!」
マルコが怒鳴るとティーチは下卑た笑みを浮かべながら片眉を上げた。
「あァ? 何を言っ――かはっ……!」
勝ち誇るかのような表情から一転し、ティーチは悪魔の実を落として咳き込み始め、自身の喉に手を当てて苦しみ始めた。
「ティーチ!」
「うぐっ…、マル…コ……、あっぐ、……おれァ、……おれあァ!!」
マルコの腕を掴むティーチの手にギリギリと力が込もり、マルコの腕に爪が食い込んだ。
激痛に思わず顔を顰めたマルコは、ティーチの腕に掴み返した手に力を込め、引き離そうと試みた。するとティーチは「ぐあああ!!」と声を荒げ、マルコが引き離す前に自ら手を離してその場に倒れ、苦しみながらジタバタと転がり、うつむせになった状態でピタリと動きを止めた。
「おい!」
倒れたティーチに駆け寄ったマルコはティーチの肩に手を伸ばし、俯く顔を上げて覗き込んだ。
ティーチの目から生気が感じられない。
「ティーチ、しっかりしろい!」
マルコがそう声を掛けると、生気の失せたティーチの瞳が少し動き、マルコと視線が交錯した。すると途端に目の色が変わった。
「なっ…!?」
白目は黒く、黒い瞳孔は赤くなり、その中心に金色が灯る。
姿形はティーチのままだが、ティーチの身体から突如として黒い靄が発生し、肩を掴むマルコの手をバチンと弾き返した。
「くっ…!」
弾かれた手を反対の手で庇うように添えながら咄嗟に立ち上がったマルコはティーチから距離を取る様に後退した。
弾かれた手を見やると酷く焼け爛れており、少しでも動かすと激痛が走った。
ティーチの身体が黒い靄に包まれていく。そして黒い靄はある形を作り出した。多くの屍と生身の血肉で形成させた醜い身体を持った髑髏の顔だ。
「ヒサシイナ、フシチョウ。マタ、イチダントツヨクナッタ。クク…、アァ、ヨリウマソウダ」
地を這う様な低い声をマルコはよく覚えている。
「屍鬼……てめェ、ティーチを誑かしたねい?」
「チカラヲホッシタ。チカラヲアタエテヤルトイエバミズカラノゾンダ。ダカラオシエテヤッタ――」
マルコは地面に転がる悪魔の実に視線を落とした。
―― まさか……、媒介にしたってェのか?
それが一体何の実なのか、その実の正体によって屍鬼の意図が何であるのかがわかるだろう。
視線を再び戻した時、髑髏の口が動いてこう言った。
「――『ヤミヤミの実』ヲタベロトナァ」
「!!」
『ヤミヤミの実』と聞いた瞬間にマルコはハッとして息を呑んだ。
―― 闇の力かよい!
闇の性質を持つ悪魔の実を食した人間程、屍鬼の性質に近いものは無い。
つまり――。
「ヤドルサキガミツカッタ。カラダヲ、ウツワヲ、テニイレタ!」
「くっ、そういうことかよい!」
最悪の結果を予測した通り、屍鬼の狙いは『実体』を手に入れる事だった。
黒い靄で形成した髑髏が少し膨張するように大きくなると、今度は逆にティーチの身体に吸い込まれるようにして一瞬にして消えた。
そして――。
倒れたティーチがピクリと動き、ゆっくりとした動作でムクリと起き上がった。
「ッ、……ティーチ……」
マルコが名を呼ぶとティーチは口を酷く歪ませた笑みを浮かべながら顔を上げた。
「漸くマルコと対等の立場になった……。そういう事だ不死鳥、ゼハハハハッ!」
「!」
ティーチの様に笑うが屍鬼の声のままだ。そしてティーチの目はやはり先程と同じ様に黒と赤の瞳孔に金色が灯されたものであった。とても暗く邪悪に満ちた瞳だ。
「この男の魂はなかなかに良いものだったぞ不死鳥。”野望”に満ちた暗く黒い器だ」
「てめェ……」
「なァ不死鳥、……無駄な抵抗は止めて共に来ないか?」
「誰が――」
「おれと一緒に行こうじゃねェか、なァマルコ? ゼハハハハッ!!」
「――ッ!!」
声、そして言葉遣いがティーチそのものに変わった。
マルコが言葉を止めた一方で、ティーチはニヤリと笑みを浮かべると両手を広げて空に向かい声を上げた。
「おれァマーシャル・D・ティーチ! 全ての世界の闇を統べる王だァ!」
「全て…の世界だって……?」
マルコは思ってもみなかった屍鬼の言葉に衝撃を受けてか、愕然とした表情を浮かべた。
「何れわかる時が来るぜ。なァマルコ、おれァお前ェが欲しい。マヒロよりもなァ?」
ティーチはマルコへと手を差し伸べて誘いの言葉を持ち掛ける。だがその誘いも実を言えば『喰らう対象』であることに変わり無く、力を奪った後は幻海のように傀儡化して従わせるつもりでいるのだ。
―― ……もう良い。これ以上、話すことも無ェ。
マルコは一つ息を吐くと表情を消した。
「おれとお前じゃあ見てる世界が違ェんだよい……ティーチ」
屍鬼にではなく、ティーチに対して言葉を投げ掛けた。するとティーチの眼光が人のそれへと変わっていった。
「……変わったなァ。……変わり過ぎちまった。マヒロに会ってからのマルコは本当に海賊らしさが抜けちまいやがった」
「そうでもねェよい」
「ゼハハハハッ! まァ良い。今は引いてやるが何れお前の力を奪いに争う運命だ。それまでの間、精々家族ごっこを楽しんでやがれ。てめェに”世界を敵に回す覚悟”があれば話は別だろうがなァ?」
ティーチはそう言うと欄干を飛び越え、待機していた船へと移ると船は颯爽と走らせ、モビー・ディック号から離れて行った。
―― 仲間か……。あいつらも用が済めば後に喰われるだろうよい。
屍鬼の因果がそうさせた――と言うよりも、仲間を集めていた時点でティーチは元より裏切る気でいたのだろう。
屍鬼と同化したティーチに喰らわれようとも、マルコは彼らに同情する気にはなれなかった。
そして案の定、『黒ひげ海賊団』と称してティーチの元に集まった仲間達は、その後、呆気なくティーチに殺されて血肉を貪り尽された。
弱い人間等いらぬ。
必要なのは強い力を持つ者のみ。
あァ……、やはり不死鳥の力は魅力的だ。
あの力は絶大だ。
青の器を持つ者ではあるがそこに玉は無い。
よって、奴は天敵では無いのだ。
喰ってやる、必ずなァ。
そして闇に染めてやるのだ。
……マルコ、お前をなァ。
ゼハハハハハッ!!!
マーシャル・D・ティーチは絶大な力を手にした。
穢れそのものであり闇そのものである空虚な身体しか持たなかった死の墓王は、黒い器を持つ者に闇の力を宿した『ヤミヤミの実』を食させ、それを媒介に生身の身体を手に入れた。
現実世界に君臨した闇は何れ世界に破滅を齎すだろう。
「……チッ、……ティーチ、てめェは本当に大バカ野郎だよい……」
最後尾の甲板で負傷した手に青い炎を灯しながらマルコは悔やむ様に一人小さく言葉を零した。
そんなマルコを見つめる者がいる。
気配を完全に消した一人の人物がマストの上にいたことをマルコは気付いていない。
―― ……マルコ……。
その瞳は愛しさと悲しみに満ちたものだった。
愈々始まるのだ。
屍鬼との戦いが、そして”己自身との戦い”が――。
その者は白い光に身を包んでその場を離れた。
「……私は、私はどうすれば良い? ……どうすれば良いの? ……幻海…お祖母様……」
暗闇で一人、ポロリと涙を零しながらそう呟いたのだった。
マルコはふと目が覚め、ぼやける視界のまま天井を見つめた。
少しして右手で目元を覆うと眉間を指でマッサージするようにグリグリと指圧させて身体を起こした。
隣で眠るチシやサコ、そしてマヒロを起こさないようにそっとベッドから下りた。
妙に喉が渇きを覚え、軽く喉仏を鳴らす様に小さく咳をしつつソファに座ろうとした。一度目が覚めると途端に頭が冴えてしまい眠るに眠れない――と思う間に一瞬だけ空気がざわついたのを感じ取り、マルコは神経を尖らせた。
『…! ……!!』
「……っ!?」
声が聞こえた。よく耳にする知った声音だ。その声の主が誰かなんて考えなくともマルコには直ぐにわかる。
―― サッチ!
マルコは椅子に引っ掛けてあったシャツを手に取ると部屋を出て行った。
深夜帯とは言え、翌日の仕込みの為にこの時間でもサッチは厨房にいる。
マルコは急ぎ足で真っ直ぐに食堂へと向かった。
食堂に出ると厨房へと足を向けようとした途端にマルコは足を止めた。
ドクンッ――!
厨房に行かずしてそこで何があったかを容易に理解した。
目を見張り、ワナワナ震える身体を叱咤して急いでそこに駆け付けると床に倒れている悪友の姿があった。
「サッチ!!」
「ッ……は、……マル……コ……か……。し、しく…じった……」
「何も言わなくて良い! 身体に障っちまう! 今は喋るな!」
抱き上げた手にサッチの血がベットリと付着した。
身体に突き刺さるナイフを見れば持ち主が誰かは明らかだ。だがその人物をどうこうする前にサッチの手当てが先決だ。
あまりにも血が流れ過ぎている上に刺されている箇所も悪く致命傷だ。
「誰かいるのか?」
偶々食堂に訪れた隊員が不思議に思って厨房を望めるカウンタ―から顔を覗かせた声を掛けた。
1番隊副隊長のギルだ。
「――って、マルコ隊長じゃないっすか」
「ギル! 船医とナースを呼べ!」
「え? どうし――ッ!? さ、サッチ隊長!?」
大量に血を流しているサッチの姿に気付いたギルは驚きの声を上げた。
「急げ!!」
「わ、わかりました!!」
船医とナースを叩き起こして急ぎ連れて来るように指示を出されたギルは慌てて食堂から出て行った。
その間にマルコはシャツを脱いで袖をビリッと破った。そしてサッチの肩に突き刺さるナイフをグッと引き抜くと即座に破った袖を傷口に当て、出血を抑えるように衣服をきつく巻き付けた。
「サッチ、気をしっかり持てよい!」
「……チ……だ。あ、い……は……」
「喋るなよい!」
「あいつ、ティーチ、普通じゃ、無かっ……人じゃっ…ゴホッ! ゴホッ!」
「わかった、わかったよい。だからもう良い、大人しくしろいサッチ」
マルコの目を見つめながら必死に伝えようとして、サッチは力を振り絞って言葉を発した。
だが血を吐き出すとサッチは目をを閉じて力無くぐったりとした。
「サッチ…? おい、サッチ!」
呼び掛けるが反応は無い。血の気がどんどん無くなって行く悪友の顔を見つめながらマルコは懸命に声を掛けた。
「マルコさん! どいて!!」
「マヒロ!?」
異変を察知したのだろうマヒロが厨房へと駆け付けるとマルコが抱えるサッチの容態を見始めた。
マヒロは直ぐ様サッチの口元に手を当てた。呼吸は微弱だ。いつ心臓が止まって死んでしまっても可笑しく無い状況だ。
「心臓が止まり掛けてる。補助して動かしてあげないと危険よ!」
マヒロは両手に霊気を纏わせた。そして左手をサッチの心臓に、右手はサッチの首元、気道の上に置いた。
霊気の力で呼吸の補助と心臓の運動を補助する為だ。
「マルコさん、ここは私に任せてください。だから、今は”あなたにしかできないこと”をして!」
「!」
マヒロの言葉にマルコは目を丸くした。
―― お前ェ……。
思うことはあっても未だに話していないにも関わらず、マヒロは察したのだとマルコは思った。
「大丈夫、大丈夫だから。必要なことがあれば何だってする覚悟は私にもあるもの。心配は無用よ。私はマルコさんを信じてます。私にはできないことでもマルコさんならやってのけるでしょ? ずっと、ずっと、そうだったじゃない」
「……マヒロ……」
「あなたが私を想ってくれてることが何よりも幸せ。私が心の底から願った思いにあなたは気付いてくれた。……今はまだ必要だと思うから渡せないけど、でも時が来たら私から何もかも奪って良いから。ね?」
「!」
お互いの魂が深く結ばれていれば、共に相手の心情や記憶を読むことは容易だ。
マルコがマヒロの心を簡単に読めるのと同じくマヒロもマルコの心を容易に読み解けるのだ。
マヒロは仕事をする傍らでずっとマルコの心内を探っていたのだろう。
マルコが何を思い、何を考えているのか。
そうして恐らく知ったのだろう、霊光玉のことを――。
「祖母に言われたのでしょう?」
「ッ……あァ……」
「多分、きっと、祖母もマルコさんのことが好きだったんでしょうね」
「!」
「だから、納めることができる本当の器を見つけたからこそ鍛えたんだって、今になって思います。私以上の器だもの。マルコさんは私なんかよりもずっとずっと……青い光に愛された人よ」
マヒロはクツリと笑った。そして直ぐに真剣な面持ちに戻した。
「サッチさんは死なせない。私が必ず生かしますから」
「……わかった。サッチのこと、マヒロに任せるよい」
「うん」
マルコは一呼吸を置いて立ち上がった。
血糊は厨房を超えて裏に抜ける通路から船尾へと出る甲板へと続いていた。
マルコはその血糊の後を『霊視』しながら辿った。
世界の色は抜け落ち、血糊とそこに残る足跡だけが赤く染まって浮き出る。その足跡から赤い線が立ち上り人の姿を模り、船尾へと逃げる姿を見せた。
それはよく見知った男の姿だった。
船尾に出ると船を付けていたのか複数人の仲間がそこにいて、男はその船に飛び乗って逃走を図った――と、痕跡を辿ればそんな所だ。
霊視を止めると今度は『残留思念』を辿る。
鮮明な映像と化して視界に映し出す。するとマルコの直ぐ目の前を悪魔の実を手にして不敵に笑う男――ティーチが現れた。
「ゼハハハハッ! やっとだ! やっと手に入れた! この船に乗ってりゃあいつか必ず手に入るだろうと望んだ悪魔の実だ!」
ティーチはサッチから奪った悪魔の実を手に掲げながら喜びに浸った。
―― ティーチ……てめェ……。
古株の身でありながら目的のものが手に入れば容易に裏切り、長い付き合いでもある仲間を殺害しようとは――。
マルコはギリッと奥歯を噛み締めて睨み付けた。
「色々とあったがおれの目的は達成された。これでおれは最強の力を手に入れることができる」
愉快だとばかりに盛大に笑い声を上げながらティーチはマルコの前を通り過ぎようとしていた。だがふとその声を止めたティーチは徐に顔を横に向け、自分を睨み付けるマルコを凝視した。
―― !?
これは残留思念を辿って映像化した世界だ。現実にはそこにマルコは存在しない。だがこの反応は明らかに可笑しい。マルコがまるでそこにいることに気付いているかのように、ティーチは口角を上げた笑みを浮かべ、マルコは驚いて目を見張った。
「マルコ、お前の力もいずれおれが貰う。そうすりゃあおれがこの世界の全てを統べる王になれる。マルコ、てめェの血肉は美味ェんだってなァ? ゼハハハハッ!」
ティーチはそう言うと突然マルコへと手を伸ばした。
「なっ!?」
捕まるはずがない。――にも関わらず、ティーチはマルコの腕をガシッと掴んだ。マルコも咄嗟に自身の腕を掴むティーチの腕を掴み返した。
思念体であるはずのそれは明らかに実体化されている感触があることにマルコは動揺した。
「くっ…!」
「良い顔するじゃねェかマルコ。驚いたか? ゼハハハ! 無理も無ェ! 残った思念に映る人間に気付かれて腕を掴まれりゃあ誰だってビビるよなァ!!」
「ティーチ! てめェは一体…、何者だよい!?」
「おれが何者かだって? おれァただの人間さ。お前と違って普通の人間だ。今はなァ?」
「!?」
「夢ん中で何度も出て来た奴にてめェのことを聞いたぜ? スキルやシャナクの件も、あのマヒロってェ女のことも何もかも全てなァ」
「なっ、何……?」
ティーチは歪んだ嘲笑を浮かべた。
「おれァ野望があってなァ。世界最強の海賊団を率いて世界を統べる王になる為に力が欲しかった。その為にはどうしても必要だった最強の実を、長い年月をかけて探し回り、こうして漸く手に入れたんだ」
意気揚々と話しながらティーチはぐっと鋭い目をマルコに向け、マルコの腕を掴む手に力をぐっと込めた。
痛みが走ったのかマルコは少し顔を歪めた。
―― くっ…、何てェ力してやがる……。
ギリッと奥歯を噛み締めながらティーチを睨み返すと、ティーチは言葉を続けた。
「マルコ、てめェの強さは異常だ。その強さは世界を屈服させるぐれェの力を持ってやがる。おれの野望を前に、てめェの強さは大きな壁となる。オヤジ以上のなァ……」
「!」
「だからおれァ奴の話に乗った。お前に負けねェ、いや、それ以上の力をくれてやるって言うんでなァ」
ティーチはニヤリと笑みを浮かべた。その笑みを見たマルコはゾクリと背筋が凍る思いをした。
ティーチが言った言葉の意味や”奴”という存在が誰を指すのか、そしてティーチが手にしている悪魔の実が一体何なのか、頭の中のピースが瞬時に纏まり一つの答えが出たその時だ。
ティーチはサッチから奪った謎の悪魔の実を口元に運び、大きく口を開けた。
「まっ、待て! ティーチ!!」
マルコは制止を呼び掛けたがティーチは耳も貸さずにその実に食らい付き、何度か咀嚼するとゴクリと飲み込んだ。そして、不敵な笑みを浮かべると途端に声を上げて笑い出した。
「ゼハハハッ! これで”契約成立”ってェわけだ! 屍鬼よ! おれに力を与えやがれ! マルコに負けねェ力をなァァァ!」
「バカ…野郎…! ティーチ、てめェはッ…、大バカ野郎だよい……」
盛大に叫ぶティーチを前に、マルコは悔やむ表情を浮かべた。
「何だァマルコ? 情けねェ面しやがって、おれが力を手にするのがそんなに悔しいのか?」
「屍鬼の言葉を真に受けやがって、てめェは屍鬼がどういう奴か知らねェんだろうがよい!」
マルコが怒鳴るとティーチは下卑た笑みを浮かべながら片眉を上げた。
「あァ? 何を言っ――かはっ……!」
勝ち誇るかのような表情から一転し、ティーチは悪魔の実を落として咳き込み始め、自身の喉に手を当てて苦しみ始めた。
「ティーチ!」
「うぐっ…、マル…コ……、あっぐ、……おれァ、……おれあァ!!」
マルコの腕を掴むティーチの手にギリギリと力が込もり、マルコの腕に爪が食い込んだ。
激痛に思わず顔を顰めたマルコは、ティーチの腕に掴み返した手に力を込め、引き離そうと試みた。するとティーチは「ぐあああ!!」と声を荒げ、マルコが引き離す前に自ら手を離してその場に倒れ、苦しみながらジタバタと転がり、うつむせになった状態でピタリと動きを止めた。
「おい!」
倒れたティーチに駆け寄ったマルコはティーチの肩に手を伸ばし、俯く顔を上げて覗き込んだ。
ティーチの目から生気が感じられない。
「ティーチ、しっかりしろい!」
マルコがそう声を掛けると、生気の失せたティーチの瞳が少し動き、マルコと視線が交錯した。すると途端に目の色が変わった。
「なっ…!?」
白目は黒く、黒い瞳孔は赤くなり、その中心に金色が灯る。
姿形はティーチのままだが、ティーチの身体から突如として黒い靄が発生し、肩を掴むマルコの手をバチンと弾き返した。
「くっ…!」
弾かれた手を反対の手で庇うように添えながら咄嗟に立ち上がったマルコはティーチから距離を取る様に後退した。
弾かれた手を見やると酷く焼け爛れており、少しでも動かすと激痛が走った。
ティーチの身体が黒い靄に包まれていく。そして黒い靄はある形を作り出した。多くの屍と生身の血肉で形成させた醜い身体を持った髑髏の顔だ。
「ヒサシイナ、フシチョウ。マタ、イチダントツヨクナッタ。クク…、アァ、ヨリウマソウダ」
地を這う様な低い声をマルコはよく覚えている。
「屍鬼……てめェ、ティーチを誑かしたねい?」
「チカラヲホッシタ。チカラヲアタエテヤルトイエバミズカラノゾンダ。ダカラオシエテヤッタ――」
マルコは地面に転がる悪魔の実に視線を落とした。
―― まさか……、媒介にしたってェのか?
それが一体何の実なのか、その実の正体によって屍鬼の意図が何であるのかがわかるだろう。
視線を再び戻した時、髑髏の口が動いてこう言った。
「――『ヤミヤミの実』ヲタベロトナァ」
「!!」
『ヤミヤミの実』と聞いた瞬間にマルコはハッとして息を呑んだ。
―― 闇の力かよい!
闇の性質を持つ悪魔の実を食した人間程、屍鬼の性質に近いものは無い。
つまり――。
「ヤドルサキガミツカッタ。カラダヲ、ウツワヲ、テニイレタ!」
「くっ、そういうことかよい!」
最悪の結果を予測した通り、屍鬼の狙いは『実体』を手に入れる事だった。
黒い靄で形成した髑髏が少し膨張するように大きくなると、今度は逆にティーチの身体に吸い込まれるようにして一瞬にして消えた。
そして――。
倒れたティーチがピクリと動き、ゆっくりとした動作でムクリと起き上がった。
「ッ、……ティーチ……」
マルコが名を呼ぶとティーチは口を酷く歪ませた笑みを浮かべながら顔を上げた。
「漸くマルコと対等の立場になった……。そういう事だ不死鳥、ゼハハハハッ!」
「!」
ティーチの様に笑うが屍鬼の声のままだ。そしてティーチの目はやはり先程と同じ様に黒と赤の瞳孔に金色が灯されたものであった。とても暗く邪悪に満ちた瞳だ。
「この男の魂はなかなかに良いものだったぞ不死鳥。”野望”に満ちた暗く黒い器だ」
「てめェ……」
「なァ不死鳥、……無駄な抵抗は止めて共に来ないか?」
「誰が――」
「おれと一緒に行こうじゃねェか、なァマルコ? ゼハハハハッ!!」
「――ッ!!」
声、そして言葉遣いがティーチそのものに変わった。
マルコが言葉を止めた一方で、ティーチはニヤリと笑みを浮かべると両手を広げて空に向かい声を上げた。
「おれァマーシャル・D・ティーチ! 全ての世界の闇を統べる王だァ!」
「全て…の世界だって……?」
マルコは思ってもみなかった屍鬼の言葉に衝撃を受けてか、愕然とした表情を浮かべた。
「何れわかる時が来るぜ。なァマルコ、おれァお前ェが欲しい。マヒロよりもなァ?」
ティーチはマルコへと手を差し伸べて誘いの言葉を持ち掛ける。だがその誘いも実を言えば『喰らう対象』であることに変わり無く、力を奪った後は幻海のように傀儡化して従わせるつもりでいるのだ。
―― ……もう良い。これ以上、話すことも無ェ。
マルコは一つ息を吐くと表情を消した。
「おれとお前じゃあ見てる世界が違ェんだよい……ティーチ」
屍鬼にではなく、ティーチに対して言葉を投げ掛けた。するとティーチの眼光が人のそれへと変わっていった。
「……変わったなァ。……変わり過ぎちまった。マヒロに会ってからのマルコは本当に海賊らしさが抜けちまいやがった」
「そうでもねェよい」
「ゼハハハハッ! まァ良い。今は引いてやるが何れお前の力を奪いに争う運命だ。それまでの間、精々家族ごっこを楽しんでやがれ。てめェに”世界を敵に回す覚悟”があれば話は別だろうがなァ?」
ティーチはそう言うと欄干を飛び越え、待機していた船へと移ると船は颯爽と走らせ、モビー・ディック号から離れて行った。
―― 仲間か……。あいつらも用が済めば後に喰われるだろうよい。
屍鬼の因果がそうさせた――と言うよりも、仲間を集めていた時点でティーチは元より裏切る気でいたのだろう。
屍鬼と同化したティーチに喰らわれようとも、マルコは彼らに同情する気にはなれなかった。
そして案の定、『黒ひげ海賊団』と称してティーチの元に集まった仲間達は、その後、呆気なくティーチに殺されて血肉を貪り尽された。
弱い人間等いらぬ。
必要なのは強い力を持つ者のみ。
あァ……、やはり不死鳥の力は魅力的だ。
あの力は絶大だ。
青の器を持つ者ではあるがそこに玉は無い。
よって、奴は天敵では無いのだ。
喰ってやる、必ずなァ。
そして闇に染めてやるのだ。
……マルコ、お前をなァ。
ゼハハハハハッ!!!
マーシャル・D・ティーチは絶大な力を手にした。
穢れそのものであり闇そのものである空虚な身体しか持たなかった死の墓王は、黒い器を持つ者に闇の力を宿した『ヤミヤミの実』を食させ、それを媒介に生身の身体を手に入れた。
現実世界に君臨した闇は何れ世界に破滅を齎すだろう。
「……チッ、……ティーチ、てめェは本当に大バカ野郎だよい……」
最後尾の甲板で負傷した手に青い炎を灯しながらマルコは悔やむ様に一人小さく言葉を零した。
そんなマルコを見つめる者がいる。
気配を完全に消した一人の人物がマストの上にいたことをマルコは気付いていない。
―― ……マルコ……。
その瞳は愛しさと悲しみに満ちたものだった。
愈々始まるのだ。
屍鬼との戦いが、そして”己自身との戦い”が――。
その者は白い光に身を包んでその場を離れた。
「……私は、私はどうすれば良い? ……どうすれば良いの? ……幻海…お祖母様……」
暗闇で一人、ポロリと涙を零しながらそう呟いたのだった。
悪魔の実と黒の器
【〆栞】