05


ある日、サッチは海賊船との戦いの末に宝を手にして戻って来た。4番隊が物資や宝やらを意気揚々と運び入れる傍らで宝箱から取り出したそれは誰もが見てわかる『悪魔の実』そのものだった。

「見ろよエース。お宝だ」
「悪魔の実じゃねェか。何の実だ?」
「さァな、調べてみねェと何の実かはわかんねェよ」
「食べるのかサッチ?」
「さァてどうすっかな〜」

サッチは笑いながらその悪魔の実を元の宝箱に戻して蓋をした。

「食べねェ理由でもあるのか?」
「ハハ、エースやマルコが海に落ちた時に対応できなくなるからなァ」
「ん? 別にそれはサッチじゃなくても――」
「おれっちの役目だってェ認識してるの。わかる?」

エースが言い終わる前にサッチが言葉を掻き消すようにそう言った。
エースは「そっか?」と首を傾げた。そして興味が薄れたのか隊員達が忙しなく働いている姿へと視線を動かしてじっと見つめる。
他隊の者達が多く入り交じる甲板の中、ある一人の男が二人の会話を耳にしながらニヤリと不敵な笑みを浮かべていたことを、この時その場にいる者達は誰一人として気付いていなかった。
しかし、その場にいなかった者、ただ一人を除いての話だが――。





マルコの仕事の邪魔になるからと、マヒロはチシとサコを連れて船長室へと遊びに行っていた。

「大爺!!」

船長室に入るとチシは嬉しそうに白ひげの元に駆け寄ると白ひげが笑みを浮かべて抱き上げる様は毎度のことだ。

「サコ、おいで」
「ん」

マヒロの手から放たれた青い光がサコの全身を覆っていく。霊気の膜を作りサコの身体に張り巡らせたのだ。

「もういい?」
「うん、良いよ」

マヒロの許可を得たサコは嬉しそうに笑い、姉チシの行動をなぞる様に「大爺〜!!」と言って白ひげの元へと駆け寄った。
白ひげはマヒロをチラッと一瞥した。その時にマヒロは「大丈夫です」と口を動かして頷いて見せた。

「グララララ」

白ひげは何の躊躇も無く側に駆け寄って来たサコを抱き上げて膝の上に乗せ、サコも実に嬉しそうに笑うのだった。

これはマルコの経験から生まれた応用策だった。
見えない人達からすれば何も変わらないのだが、見える人にはサコの身体に青い膜が覆っているのが見える。
霊気の膜だ。
この霊気の膜でサコの性質である『海』を抑え込めば、例え悪魔の実の能力者がサコに触れたとしても、その霊気の膜によって直接的に触れるのを防いでくれる為、力が抜け落ちるようなことは無くなったのだ。

「すみません、オヤジ様。少しの間だけこの子達をお願いしますね」
「あァ構わねェ、安心しろマヒロ。グララララッ!」

二人を白ひげに預けたマヒロは船長室を後にしてマルコの部屋へと戻った。
つい先日、島に寄港した際に大量の買い出しと、ちょっとしたいざこざがあった為、その報告書やら何やらと、大量の書類がマルコの元に舞い込んだ。
流石に今回の大量の書類を前にしてマルコも途方に暮れたような顔をしてガクリと膝を落して突っ伏した程――。
マヒロはまだ文字を読むことはできないのだが、内容とチェック事項のみを教えて貰い、書類処理の手伝いに励む日々を送っている。そしてこの日もその続きをする――はずだった。
マヒロが部屋に戻るとマルコは仕事机の椅子にでは無く、何故かソファに座っていた。
膝上に両肘を付いて片手を口元に覆うように当てながら眉間に皺を寄せ、苦渋の表情を浮かべている。その様子から何やらただ事では無い気がしたマヒロはマルコの隣に腰を下ろし、マルコの膝に手を置いた。

「……どうしたの?」
「……いや、わからねェ……」

心ここにあらずといった様子のマルコにマヒロの胸中に不安が過る。

「何か…あったの?」
「思い過ごしなら良い。だが……」

小さくかぶりを振ったマルコはソファの背凭れに身体を預けると天井を見上げた。その表情は曇ったままでどこかすっきりしない。
マヒロは眉間に皺を寄せてじっとマルコを見つめていたのだが、マルコは目を瞑ると深く息を吐いた。

―― 妙な胸騒ぎがする。一瞬だけ見えたあいつのあの笑みは何を意味してんのか……。

膝上にそっと乗せられたマヒロの手にマルコがそっと手を重ね、ゆっくりと目を開けるとマヒロへと向けた。

「マヒロ、何かはまだわからねェが、近々、悪いことが起きるかもしれねェよい」
「え?」

ぽつりとそう零すとマルコはマヒロの手に重ねた手を離した。そしてマヒロへと伸ばして後頭部に回すとグイッと自分の方へと引き込んだ。

「わっ!」

腕の中にマヒロの身体を閉じ込めたマルコは何も言わずにギュッと抱き締めた。

「……あ、……ま、マルコさん……」

突然のことで戸惑いながらもマヒロは身体に熱が集まるのを感じて頬が赤くなった。こうして身体を密接に抱き合うことが久しぶりだったからだ。しかしこれはただ相手が恋しいからとか、そういった類の感情で抱き締めたものではないことぐらいはマヒロも理解している。
マヒロはそっとマルコの背中に手を回して軽く背中を摩った。するとマルコの身体が少しだけ強張るように反応を示した。

―― 甘え……じゃない。……どうしたの?

胸中に過った不安が徐々に増し始めたマヒロが思わずマルコの衣服をギュッと握る。

「これから先、大事なものを無くすかもしれねェ気がしたんだよい」
「……え? ……それって……」
「阻止できるならしてェが……何を無くすのか、いつそれが起きるのか、明確じゃねェからできねェんだよい。わからねェんだ……何が起こるのか。ただ良いことじゃねェことはわかる。何か黒いものを感じんだよい」

マルコはそう告げながらマヒロを抱き締める腕により力を込めた。その言葉尻からすると恐らくマルコの胸中にも同じ不安が渦巻いているのだとマヒロはわかった。

「ッ……」
「なァマヒロ」
「……はい」

マルコは抱き締める腕の力を緩めて身体を少し離すとマヒロの頬に片手を沿えた。
青い瞳でマヒロを真っ直ぐと見つめるその面持ちは兎角真剣で、マヒロは少しだけ気圧されるようにして固唾を飲んだ。

「……この先、どんなことが起きてもおれを信じてくれねェか? おれは絶対に死なねェし、おれはマヒロを必ず守って生かしてやるからよい」
「マルコさっ――ン!」

マルコの言葉にマヒロが答えようとしたが、その言葉はマルコの唇によって塞がれた。しかし、直ぐにチュッと小さなリップ音を鳴らしながら重なり合った唇が少しだけ離れた。

―― あ、……。

不安を掻き消したい衝動による口付けだろう。だがそうであっても軽く重ねただけのそれにマヒロは寂しさを覚えた。
頬に添えられたマルコの手が離れようとした時、マヒロの両手がマルコの両頬に添えるように触れ、マルコは目を丸くした。

「ッ!」

今度はマヒロの方からマルコに口付けをした。軽く重ねるとリップ音を鳴らして少しだけ離れると再び角度を変えて重ねる。

―― マヒロ……?

そうして口付けを交わし続ける内に、遠慮がちではあるがマヒロの舌がマルコの口内に侵入して軽く蹂躙する。
意外にも積極的な口付けをして来るマヒロにマルコは多少戸惑ったが、顔を見れば羞恥心が込み上げているのか顔を真っ赤にしながら目をギュッと瞑っていることに気付いた。

―― ……このキスはどっちだろうねい……。

マルコの言葉に対する”返答の代わり”か、ただただ軽い口付けだけでは足らないと”求める”ものか――。
しかし、意味合いがどうであれ、このようにマヒロから積極的に口付けをして来ることは珍しく、とても貴重なことだ。抵抗などするわけも無く、マルコは自然とマヒロの腰に腕を回して甘いキスを受けた。
そうして少しだけマルコの方からマヒロの舌を絡み取ると、マヒロの身体がピクンと僅かに反応した。するとあっさりと唇が離され、マヒロは思わず「あ…」と声を漏らした。
夢中だったのに離れるなんて――と、自ら申告しているような感覚が胸中に去来したマヒロは恥ずかしくなったのか、より一層真っ赤に染まった顔を俯かせた。
マルコは少しだけ目を丸くしたが直ぐに微笑を零すとマヒロの身体を引き寄せて抱き締めた。
マヒロは咄嗟にマルコの胸に手を突いたが、今では少なくなってしまった二人きりの甘い一時を噛み締めるように大人しくマルコの腕の中に身を納め、素直に、甘えるように、マルコの首筋に頬を寄せて目を瞑った。するとマルコがマヒロの頭や背中を優しく撫で始めた。
ただ――。
マルコの目はどこを見るでもなく宙を彷徨い、表情は厳しく硬い。

―― 影が近ェ。……もう直ぐ何かが起きる気がしてならねェ。

宙に彷徨わせる視線をマヒロに落とすと今となっては懐かしいと思える師の姿を重ねた。
マヒロの祖母である幻海の元で地獄のような日々を過ごして来た記憶――最後の修行を開始する前に最も重要なことを言い渡された言葉が蘇る。

〜〜〜〜〜

「マヒロは必ず屍鬼に狙われる運命にある子さ。屍鬼からマヒロを守り生かしたいのなら、マルコが強くなる以外にマヒロの生きる道は無いということをまず胸に刻みな」
「……おれが必死になって修行に励んでたのは全てマヒロの為だってェことはわかってるだろい?」
「あんたの”生きる覚悟”となる理由を改めて自覚させる為に言ったんだよ」
「おれの…生きる覚悟……?」
「今から始めることは、自分の命を生き抜く覚悟があるか無いかが大きく左右する。もしマルコがこれに耐え切れなければ死ぬ」
「なっ……!?」
「この玉は器無き者の命を容赦無く断ち切る。最後の修行はこの玉を受け入れる器を形成することにある」
「これは……必要なことかよい?」
「……私が不要なことはしない主義だってこと、まだわからないのかい?」
「よく言うよい。それなら三度の飯も不要なことだって言ってるようなもんじゃ――」
「やるのかやらないのかどっちなんだい!? さっさと決めな!」
「や、やるよい!」

幻海の身体から放出されて現れた玉は修行の為に一時的にマルコに渡されるのだが、最終的に幻海からマヒロへと渡されることとなる。この玉を持つ者こそが霊光波動拳の継承者となるからだ。
では何故わざわざマルコにその玉を受け入れる器を形成させる修行をさせたのか――。

影は青の光を嫌う。影が恐れるのは青の光。
影を退ける青の光は相応の器が必要とされる。

青の光、それは――『霊光玉』

「必ず霊光玉を受け取ると約束しな」
「この話はマヒロには……」
「霊光玉の説明は継承させる時に勿論話すさね。でも、この件に関しては匂わす程度で済ませるつもりだよ。こんな”危険な代物”を好いた男に渡すことを拒否するだろうことは目に見えてわかるからねェ」
「はァ…、要はおれからちゃんと話せってことかいよい」
「例えマヒロが心配して拒否をしたとしてもマヒロの意向なんざ無視するんだよ。そこは海賊らしく何もかも全てを奪う気で霊光玉を受け取ると約束しな」
「……全てってなァどういうことだ?」
「マヒロの霊気を全て奪えと言ってんのさ」
「はァ!?」
「そうすればマヒロは何の変哲も無い普通の子になるんだよ」
「な、何だって……?」
「霊光玉を受け取る時にマヒロの中にある霊気ごと奪えば、 マヒロは”見えない”人間になる。そうなれば、血みどろな人生を送ることも、孤独で辛い道を歩くことも無くなる。マルコ、あんたが代わりにそれを背負ってくれたら良いだけの話さね」
「!」
「守りたい、生かしたい、そう思うなら代わりにだってなる覚悟は持っていてもおかしくないと私は思ってるんだが、間違ってるかねェマルコ?」
「代わり……?」
「殺るか殺られるか二つに一つ。屍鬼は並大抵の力では倒せない妖怪だよ。妖怪というのも間違いかねェ……? 虚(ホロウ)と言った方がしっくり来るかもしれない。死の墓王、穢れそのもの、闇そのもの――」
「……」
「理由はわかっちゃいないが”霊光玉を持つ者”を屍鬼は異様に嫌がる傾向にあるということは確かさね。何度か対峙したからねェ。この玉の器を持つ可能性のある人間は尽く殺されるか、傀儡化して手下とされるかのどちらかさ」
「……おれにその器が有るってェのかよい?」
「あんたはどうも”特別”みたいだからねェ。空幻がわざわざここへ連れて来たのにも理由があるはずだよ。あの妖怪は気紛れで動いているようでいて実の所そうでも無いように思えてならないんだよ。何らかの指示があって動いているように時々感じることがあるからねェ……」

影、つまり屍鬼が最も恐れる力とされる霊光玉。
それが無ければ決して屍鬼とは戦えない。

そう、それは今――。

マルコは抱き締める手を緩めるとマヒロの肩に手を置いて顔を覗き見た。するとマヒロは困惑した表情を浮かべた。

「どうしたの?」
「……何でも無ェ。これはおれの問題みてェなもんだ。マヒロは気にする必要は無いよい」
「ッ……」

マルコはマヒロの頭をクシャリと撫でると立ち上がった。そして仕事机に戻ると羽ペンを手に再び書類をじっと見つめて仕事を再開させた。

―― ……どういうこと? マヒロは、だなんて……。

どうしてここに来て急に隣に立たせてくれないようなことを口にするのか、マヒロは眉間に皺を寄せて表情を曇らせた。

単なる言葉の綾かもしれない。
気にし過ぎなのかもしれない。

きっと意味を問い詰めても答えてはくれそうにない。
モヤモヤした思いを抱きながらも無理矢理に適当な理由を付けて納得するように、マヒロは小さく深呼吸を繰り返して気持ちと思考を切り替えた。

「仕事はどれをチェックしたら良いの?」
「あァ、これを頼むよい」
「はい」

いつものように笑えているのだろうか――。

そう思いながらマルコに声を掛け、書類を受け取りソファに戻るとチェックを始めた。そんなマヒロを書類から視線を外して一瞥したマルコの瞳には不安気な色に染まっていた――が、覚悟めいた強い意志がそこにあった。

全ての修行を終え、幻海との別れ際のこと――。

「おれが動けば問題無ェってことだろい?」
「……まァそういうことだね」
「心配すんない。おれァ特別なんだろい?」
「ッ……」
「ハハ、あんたでもそんな顔すんだねい! これは貴重なもんを見たよい」
「あァ、そうさね。私がマヒロぐらいに若けりゃ あ確実にマルコに惚れていたかもしれないと思ってねェ?」
「ッ!? ゴホッ! ゲホッ!!」
「おや? 何だいそんなに嬉しかったのかい?」
「ちっ、違ェよい!!」
「マヒロのこと、頼んだよ」
「くっ……、わ、わかってる。任せろよい」
「よいよい」
「ッ〜〜!」

覚悟はもう既に固まっている。

全ては自分の意志で事が進むのならばそれで良い。そこにマヒロを巻き込むことはしないしさせない。
霊光玉を奪うことで、もう二度とマヒロが”共に戦えない”ことになったとしても、唯一の理解者でいてくれることに何ら変わりは無い。
例え孤独な戦いを強いられる棘の道が待っているとしても、生涯で最も大切な女の命を守り生かす為なら、その道で生きる覚悟を持って突き通すのみだ。

これは”おれの戦い”だよい。
だからマヒロ。
どんなことがあってもおれを信じろ。

必ずマヒロを生かすから。
そして必ずおれも生きるから――。

マルコはそう心に誓い、覚悟を持って腹を括るのだった。

青の器と覚悟

〆栞
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