03


晴れやかな天候の元、4番隊5番隊16番隊の者達が甲板で訓練を行っている。その広い中央の甲板から離れた船尾の小さなスペースにマルコとマヒロがいた。
マルコは胡坐を掻いて、マヒロは正座して、向かい合って座っている。

「で、どうすりゃ良いと思う?」
「極力ゼロに抑えることを目的としてみてはどうですか?」
「ゼロに抑える?」
「はい。全ての力を全くの無にするの。これは力を高めるよりも難しいのだけど」
「成程ねい……」
「私も最低限値までしか抑えることしかできないから『ゼロの境地』に立ったことが無いの。だからあまり良いアドバイスは出来ないのだけど……」

マヒロは眉尻を下げて自信無さげな表情を浮かべた。

「座禅とか?」
「何でそこで疑問系の発音をするんだよい。……まァ、何となく勘で探ってみるよい」
「ハハ…、ご、ごめんなさい。マルコさんなら何でも可能に出来そうだからあまり心配はしていません」
「よく言ってくれるよい」

マヒロはポリポリと頬を掻きながら「エヘッ」と笑った。するとマルコが徐に手を伸ばしてマヒロの頬に触れた。マヒロは少しだけ驚いて頬を赤くしたが、その途端にギュウゥッと摘ままれる痛みに襲われて目に涙が浮かんだ。

「いいい痛い!」
「笑って誤魔化すなよい。ったく、わからねェならわからねェって言えよい」
「だ、だって! 私が知っている限りの方法を全てやったって言われたら、私からは何も教えてあげれることが無いんだもの!!」

マヒロが色々とアドバイスをするもののそれらは全てマルコも実証済みだった。そして結果は全て暴走する力を制御する方法には至らないものばかり。そのことをマルコがついつい口を滑らして零すとマヒロは目を丸くすると同時にお手上げ状態と言ったところだ。そうして視線を泳がせて悩みに悩んだ挙句に出た答えは『座禅』だ。

―― そいつは普段でも暇な時にやってるよい。

思っても口にはせず、最終的には自分で解決の糸口を見つけなければいけないのだと、マルコは溜息を吐いて諦めた。

「おれのことはもう良いから、マヒロはチシとサコを見てやれよい」
「うっ…、わかりました。……と言うか、それも私が見なくても大丈夫だと思うのだけど……」
「……」

マヒロが溜息を洩らしながら頭を項垂れてそう答えると、それについてもマルコは何も言えなかった。

チシは既に力の使い方をある程度マスターした。その為、今では自ら妖怪化に変貌することもできるようになった。又、自身の力がどのようなもので、どういった力に特化しているのかがわかったと、昨晩の間にそのような口ぶりで嬉しそうにマルコに話しをしていた。
今、チシは甲板の中央で隊員達と共に楽しく訓練を受けているようで、チシの楽し気な声が聞こえて来る。そしてチシの隣にはいつしか定着した男の声が聞こえて来る。

「相変わらずチシは大した運動神経だねェ。てめェら、気合が足りねェんじゃねェのかい? チシに負けてるようじゃあまだまだだね」
「「「イゾウ隊長! おれ達は普通の人間っすから!!」」」
「えー? 私、妖怪化も妖気も全然使ってないよ〜?」
「だそうだ。てめェらの根性が足りねェんだとよ」
「「「ご無体な!!」」」
「ねェねェイゾウ兄ちゃん、お腹空いた〜」
「ん? そうかい。サッチ! チシが腹を空かせたみてェだから何か作ってやんな!」
「「イゾウ、訓練中だ(ってんだよ)!」」

無理難題を飄々と口にするイゾウに、サッチとビスタは声を揃えて窘めた。

「訓練が終わるまで我慢するから良いよ。あ、じゃあ裏に行ってきて良い?」

チシがイゾウにそう言うとイゾウはニコリと笑みを浮かべ、チシの頭を撫でて頷いた。

「あまり邪魔はしてやるなよ?」
「エヘヘ、うん!」

嬉しそうに笑ったチシはイゾウに武器を返すと颯爽と中央の甲板を後にした。そうして直ぐに船尾から「パパ! マヒロ!」とチシの弾む声が聞こえて来る。すると中央にいる隊員隊はどっと笑うのだった。





最初、自分達の身を守る為にとマヒロが簡単に拳法を教えた。
チシはみるみる内に強くなった。
元々才能が豊かだったのだろうとビスタは言うが、チシは妖怪だ。運動能力自体が人より遥かに優れているものだろうと思う者が殆どだった。
しかし、サコはと言うと戦うこと自体が全く苦手なようで苦心していた。そして最後には涙ぐんで「もう嫌!」と叫んで逃走する始末だ。

力の使い方にしてもそうだ。

チシはあっという間に力をコントロールできるようになり、遂には自分で自身の秘めた力を見つけるに至ったのだ。だがサコは力なるものが何かすらわからず仕舞いだ。
できる姉を尻目に「もう嫌ァ!」と泣いて投げ出して逃走するのは最早名物と化している程だ。
サコが逃げる先は必ずマルコの元だ。
書類仕事だろうと隊員と今後の進路や航行の話をしていようと、泣いて飛び込んで来るサコをマルコは毎度の事だとばかりに抱き上げ、慰めながら仕事をする。

これも最早名物と化した光景である。

で、現在――。

マルコやマヒロ以外の者には決して馴染まなかったサコはエースに懐き、エースも満更でも無さそうにサコと一緒にいることが多くなった。
泣き虫なサコを見るといつも泣いていた義弟(ルフィ)を思い出すのだ。ちょっとしたことでぐずって泣きそうになるサコをエースは可愛がった。
サコもまた屈託無く笑って接してくれるエースが気に入ったのか、マルコがいなくてもエースが側にいれば安心するようで笑うようになった。
おかげでマルコも仕事の合間を縫って己の力を調整する為の修行を行う時間が取れるようになり、こうして努力をしている――のだが、如何せん解決策が見つからずにお手上げ状態だ。

「ねェ、まだ修行するの?」

チシはマルコの背中に飛び付いて声を掛けた。

「マヒロ」
「うん。チシ、マルコさんはもうちょっと頑張るみたいだから――」
「えー? お腹空いたよ〜」
「――あ、じゃあ私が何か作ってあげる」
「本当!? やったァ!!」

マヒロが立ち上がるとチシは喜んでマヒロに飛び付く勢いで手を繋いだ。マヒロは優しくチシの頭を撫でるとマルコへと目を向けた。

「ごめんね? その、何の役にも立てなくて……」
「あァいや良いよい。付き合ってくれてありがとよいマヒロ」
「うん、じゃあ頑張って」
「よい」

マルコとマヒロが言葉を交わす姿を交互に見ていたチシは「クフフッ」と小さく声を漏らして嬉しそうに笑った。
会話をする二人の表情は本当に穏やかで、お互いを思いやる気持ちが溢れていて本当に仲が良いのだ。チシは子供ながらにそう感じていた。そしてそんな二人は自分や弟のサコに対して本当の親のように優しい愛情を持って接してくれるのだ。
その為か、サコはマルコを「パパ」と呼んでいたが、遂にマヒロに対して「ママ」と呼ぶようになった。
マルコはそう呼ばれることに最初こそ難色を示していたが、諦めたのか、最近では返事こそしないが反応はするようになった。
マヒロは満更でも無いようで、呼ばれた時は凄く嬉しそうな笑みを浮かべ、サコを抱き上げては母性全開で頭を撫でて可愛がった。
そんな姿を傍で見ていたチシはサコが羨ましくなった。時々、隠れたところでマルコのことを「パパ」と呼んだり、マヒロのことを「ママ」と呼んだりするようになった。
そうすると、弟のサコのようにチシもマルコとマヒロを本当の父と母のように思えるようになり、とても幸せに感じていた。

「頑張ってね! ……パパ……」

チシは頬を赤くしながら少々遠慮がちに、初めて本人に向けて『パパ』と言ってみた。するとマルコが目を丸くして片眉を上げながら少し固まった。だがチシの表情を見ると自ずと微笑が零れ、チシに手を伸ばした。

「ん、応援してくれてありがとよい」

マルコはチシの頭をクシャリと撫でるとチシは嬉しそうな笑みを浮かべた。そしてマヒロと共にその場を後にした。
立ち去る二人の背中を見つめながらマルコは大きく溜息を吐いた。

「……定着しちまったなァ……」

遠くに見える水平線を見つめて小さくそうぼやいたマルコはガシガシと頭を掻き、再び集中して修行に励むのだった。





平和な日々が続いた中、とある日に大きな出来事が起こった。
それは事件と言うべきか事故と言うべきか――兎に角、モビー・ディック号では戦慄が走った。中でも”悪魔の実の能力者である二人”が特に恐れ慄く出来事だった。

ザッパーン!!

静寂の中、何やら大きな波しぶきが甲板に打ち付けたかのような大きな音がした。
自室で書類仕事に精を出していたマルコの耳にもその音は届き、ガタリと席を立つと足早に船外を目指した。そして、甲板に出ると「パパ!」と、チシがマルコの元に飛び込んで足に縋り付いた。

「どうしたよい? 何があったんだい?」
「サコ、サコがね!」
「サコ?」

腰を落としてチシを見やると、その表情は驚きと戸惑いが混じったようなもので、マルコは眉を顰めた。
意味がわからずにその場に佇んで甲板を見回した。するとエースとジョズが甲板に突っ伏している姿があって目を丸くした。
特に波に襲われて濡れているわけでも無い。至って普通の光景なのだがどうしてか様子が可笑しい。

「あ、マルコさん! こっちに来ちゃダメです!」
「……マヒロ?」

突っ伏しているエースとジョズの側にいたマヒロがマルコを見るなり首を振ってそう叫び、マルコは軽く首を傾げた。
そうしてふと左に視線を向けるとイゾウが直ぐそこに立っており、何やらお腹を押さえながら「ククッ……」と、笑うのを必死に堪えている様で、その反対側にいたビスタがどこかをじっと見つめて呆然と立ち尽くしている姿がある。

―― ……何だよい?

誰かこの状況をちゃんと説明してくれとマルコが更に周りを見渡した時だ。

「うわあァァァん!!」

一際甲高い声が船尾から聞こえ、マルコはピタリと動きを止めた。それが誰の声なのか直ぐにわかった。サコだ。サコが大きな声で泣いているのだ。
マルコはチシを抱き上げるとサコがいる方へ足を向けようとした。するとビスタが慌ててマルコの肩を掴んで制止し、マルコは怪訝な表情を浮かべた。

「何だよいビスタ」
「お前は行かない方が良い。その方が身の為だ。サコの事はマヒロに任せておけ」
「は?」

ビスタの言葉の真意がわからずに首を傾げると、遂に笑いに堪えてきれなくなったイゾウが「ぶはっ!」と大きく噴き出して「あっはははは!」と笑いながらマルコの背中を軽くポンポンと叩いた。

「甲板に突っ伏してる奴らを見りゃあその意味がわかるさね。隊員達もおれ達も一緒にいたが何にも無い。だが”あの二人”は違う。あいつらにとっちゃあ悲劇だよ。そしてそれはマルコ、お前さんにも、オヤジにも言えることだ」
「な、何だって?」

イゾウはそう言うとチシに目を向けた。

「チシ、おれの部屋に来ないかい? 折り紙という遊びを教えてやろう」
「え? うん! 行く!! ねェ、行っていい?」
「あ、あァ…、良いよい」
「やったー!!」

マルコがチシを下ろすとチシはイゾウの手を握った。そしてイゾウは上機嫌にチシを引き連れて船内へと消えて行った。
そんな彼らの背中を見送った後にマルコは視線を甲板へと移した。そうしてイゾウの言葉の意味に漸く合点がいった。
力無く倒れているのはエースとジョズ――つまり『悪魔の実』の能力者だ。

「ビスタ、説明しろよい」

マルコが眉間に皺を寄せてビスタにそう声を掛けた時だ。

「あ! 待ってサコ!!」

マヒロの叫ぶ声が聞こえて振り向くと、船尾からサコが泣きながら「パパァァ!!」とマルコの元に駆け寄って来る姿があった。
その瞬間にビスタが「あ、」と声を発したのをマルコはしっかり聞いた。

―― 何だ?

そう思いながら駆け寄って飛び込んで来るサコを腕の中に抱き留めた――のがいけなかった。

「はっ!?」

途端にガクリと膝が折れ、全身から力が抜け落ちた。何とかサコを落とさないようにと、何とか庇いながらマルコがその場に倒れてしまった。

「ッ……、な、何…だ…よい……?」
「パパ!? ふっ…うゥ、うあああん!」

何やら苦し気に顔を歪ませるマルコを見たサコは目に涙を溜めて大きく泣き叫んだ。
マヒロが慌ててサコの元に駆け付け、マルコのお腹の上で涙するサコを抱き上げて引き離そうとした。だがサコはイヤイヤとかぶりを振ってマルコのシャツを掴み、決して離れようとしなかった。

「やー!! パパー!!」
「ッ……」

手を動かして慰め、落ち着かせてやりたいが、腕に力が入らない。
マルコは力無い表情でマヒロへと目を向けるとマヒロは困ったような表情を浮かべた。

「海なの」
「…な…に?」
「サコは、この子の力は『海そのもの』なのよマルコさん」
「!?」

マヒロの言葉にマルコは目を見開いた。しかし、そう言われてみれば納得できる。この力の抜け方は海水に浸かった時や海楼石を填められた時と全く同じだったからだ。そして過去にフィリナに襲われた際の時も――。

―― じゃねェ、そんな事を思い出してる場合じゃねェだろい……ったく。

マヒロとビスタが二人掛かりでサコをマルコからベリッと引き離した。
サコはわんわんと泣いた。
自分が抱き付いたら力無く倒れたのだ。無理も無い。自分を可愛がってくれるエースだけでは無く、何かと気に掛けて声を掛けてくれるジョズ、そして最も心を安らかにしてくれるマルコが倒れてしまったのだから、サコにとってはショック以外の何ものでも無かった。
サコは暴れてマヒロやビスタの手から逃れ、甲板を走って船内へと入って行った。その姿を目で追ったマルコはハッとした。

「不味い! マヒロ! ビスタ! サコを捕まえろい!」
「え?」
「な、なんだ、どうしたというのだマルコ?」
「オヤジだよい! サコはオヤジの元に駆け込む気だよい!!」
「「ハッ!?」」
「「「やべェ、オヤジが倒れっちまうぞ!」」」

マルコの言葉にマヒロとビスタ、そしてその場にいた隊員達の誰もが慌てふためいた。

「「「お、オヤジィィィィッ!!」」」

ビスタを筆頭に隊員達が慌てて船内へと入って行く。
大の男達の慌てっぷりに思わず呆気に取られてしまったマヒロは出遅れてしまい、行くに行けなかった。
マヒロは倒れているマルコの腕を肩に掛けて抱き起こした。そしてそこに漸く力を取り戻したエースとジョズが歩み寄って来た。

「マジでビビったぜ」
「あァ、まさか海とはな」

積荷を背凭れに腰を下ろしたマルコがエースとジョズに視線を向けた。

「何をやってたんだよい」
「サコが戦い方とか力の使い方を覚えないのは気が弱いから出来ねェだけで、能力は絶対あるんだからって、応援して励ましながら訓練に付き合ってたんだけどよ」

エースがポリポリと鼻の頭を掻きながらそう言ってジョズに目配せをすると、ジョズも少々困り顔を浮かべながらコクリと頷いた。

「おれはエースとサコの訓練を側で見守っていたのだが……」

ジョズがそう言ってマヒロに目を向けるとマヒロが小さな溜息を漏らした。

「勇気を出して頑張ってって言ったら妖気が集まり始めて力を漸く発揮したの。そしたら途端にサコの手元から水しぶきがあがってエースを襲ったのよ。慌てて力を押さえ込んだんだけど、サコも自分の力に驚いて泣き出すし、エースは力無く倒れるしで本当に焦りました」

マヒロがエースに駆け寄る代わりにジョズが泣き喚くサコを慰めようと抱っこをしたわけなのだが、ジョズも力が抜けてその場に倒れてしまった。
力の解放と共に海そのものの性質を持ったサコは、悪魔の実の能力者のまさに天敵とも言える存在だったのだ。

話を聞いたマルコは眉間に手を当てた。

「力を解放したとなると制御はできねェかよい?」

マルコはマヒロに問い掛けるがマヒロは首を小さく横に振ってまた溜息を吐いた。

「まだあの子は幼いもの。力の解放が出来ただけでも上出来です。それに、力の制御をする為に修行させようとしても、あの子は多分嫌がると思う」
「何でだよい?」
「根本的にあの子は性格がとても優しいの。戦うことも力を使うことも嫌ってる節が見え隠れしてる。それに、今回のことはあの子にとっては相当のショックに違いないから……」

同情するようにマヒロはそう言うとマルコをじっと見つめた。

「マルコさんが直接指導するなら話は別でしょうけど」
「!」

自身の手を頬に添えて溜息を吐きながらマヒロはそう言葉を続けた。するとエースは苦笑を浮かべ、、ジョズは大きく頷いた。

「あいつはマルコ一筋みてェだからなァ」
「あァ、あの子はパパっ子だ」
「ッ……」

二人にはっきりとそう言われたマルコは眉間に皺を寄せながらグッと息を呑み、顔をふいっと背けた。

『パパ確定』

そんな烙印を押された瞬間だ。そうしてマルコは大きな溜息を吐いた。

「「「オヤジィィィィッ!! しっかりしてくれェ〜!!」」」

船内から大きな叫び声が聞こえて来た。
ビクンと軽く身体を弾ませて驚いたマルコ達は顔を見合わせた。

「「「間に合わなかった(よい)」」」

同時にそう呟き、同時に深い溜息を吐いたのだった。
一方その頃、イゾウの部屋では折り紙に精を出すチシが居た。

「できた! ツルさん!」
「上出来」
「イゾウ兄ちゃんは……、何してるの?」
「ツルの尻尾の部分をこうすると……」
「何これ?」
「ツルトカゲってェとこだ」

イゾウは折り鶴の尻尾を二つに裂くと足を作って座らせた。
ガニ股な足が生えた折り鶴だ。
チシは目をパチクリとさせてそれをじっと見つめた。
足の姿はエリマキトカゲのような足にそっくりで不恰好そのもの。だがどこかそれが可笑しくてチシは「変なの〜!」とケラケラと笑い、イゾウも一緒に笑っていた。

この空間だけは正に平和そのものだった。
男達が何やら叫ぶ声が聞こえたものの、イゾウはチシが可愛くて仕方が無くて御構い無しだ。

「次はゴリラでも折ってやろうかねェ」
「ゴリラ?」
「こいつだよ」
「わァ〜! こんな動物もいるんだァ〜!」

動物が乗った写真の本を見せるとチシは目をキラキラと輝かせた。

―― 本当に可愛いねェ。

イゾウは煙管を咥えながらクツリと笑うと再び折り紙に向き合い、せっせとゴリラを織り始めるのだった。





サコのまさかの能力に白ひげが心底から残念がったのは言うまでもないだろう。
ぐったりする白ひげに気遣いしながら未だにわんわんと声を上げて泣き続けるサコに、隊員達はほとほと困り果てていた。最終的にはサコはビスタに抱っこされて慰めてもらう形となったが、サコはただただ泣き続けた。

「……おい、マルコはどうしたァ?」
「オヤジ、マルコもサコに抱き付かれて倒れちまったよ」
「そうか……。まさか海とはなァ……」

白ひげは額に手を当てて大きな溜息を吐いた。すると『マルコ』という名を耳にしたサコはビスタの腕の中でヒッグエッグと嗚咽を漏らして泣き叫んだ。

「ふうう! パパ! パパァァ!」
「サコ、これだけは仕方が無いことなのだ。もうパパに抱っこはしてもらえない。残念だが、おや……大爺と、パパ、それにエースにジョズ、この四人にはもう触れてはいけない」

ビスタが諭すようにそう声を掛けるとサコは一時的に泣く声を押さえてビスタを見上げた。
大きく丸く見開かれた目に涙が更に溜まり始める。

「あー…ダメだ」

ビスタはヒクリと頬を引き攣らせると、そう小さく声を漏らした。そしてビスタが隣にいる隊員にサッチを呼べと指示を出し、隊員は慌てて部屋を出るとサッチを呼びに行った。

「ビェェェェェェン!!!」

この日一番の盛大な泣き声が船長室を中心にモビー・ディック号内を駆け抜けた。
この声には流石にチシの耳にも届いて「サコ!?」と驚き、折り紙の手を止めるとイゾウの部屋を慌てて出て行った。
イゾウもやれやれと溜息を吐きながら漸く重い腰を上げてチシの後を追った。そして船長室のドアを開けて中を覗いて目を丸くした。

「あァ、オヤジもサコに触れちまったのかい」

椅子の上で力無くぐったりする白ひげを見るなりイゾウはそう呟いた。
大きな声で泣き喚ているサコにチシが駆け寄る。

「サコ、どうしたの!?」

チシが声を掛けるがサコは泣き喚くだけで答えは無い。
困り果てるビスタがイゾウに気付くと、更に悪化して泣き喚く理由を説明した。

「そりゃあお前さんが無神経過ぎだねェ」

イゾウがビスタを諌めるとビスタは軽く項垂れた。

「う、うむ……。大人気無かったと反省している」

サコにとってマルコの存在はとても大きい。実の親以上に親なのだ。それは誰の目にも明らかで、例えエースに懐いたとしても、白ひげを大爺と呼んで懐いていたとしても、マルコ以上の存在はいないのだ。

「心底からお父さん子よ。マルコさんがいないとあの子は本当にダメなの。嫉妬しちゃうぐらいに……」
「……何だい、母親の悩みかい」

酒の席でマヒロがイゾウにそう愚痴っていたことがある。
自分の言うことは聞いてくれない。しかしマルコの言うことは素直に聞く。
よくある子育てお悩み相談室で愚痴る母親そのものだったとイゾウは思い出す。

チシもどちらかというとその傾向があるのだが、流石にお姉ちゃんなだけあって我を抑える術を知っている。マヒロの言葉にも素直に耳を貸すし、周りに対して配慮したりもする。だがサコはまだ幼い。理解しろと言っても無理な話だ。

「サコ、泣きてェならマルコの側にいって泣いてやりゃあ良いんじゃねェのかい? 大好きなパパに遠慮なんかいらねェ。堂々と抱き付いちまいな」
「なっ!? い、イゾウ!」

イゾウがサコにそう声を掛けるとビスタは驚いた。だがイゾウはクツリと笑ってこう続けた。

「お前さんが一番落ち着く場所で泣くだけ泣けばいずれ落ち着くさね。そうしたらマルコと話をすれば良い。それが一番の解決策だ。サコにとってもそれが一番良いだろう?」

サコの頭を撫でてイゾウがそう言うと、サコは「ヒック…ヒック…」としゃくり上げながら溢れる涙を腕で拭う仕草をした。
その間にイゾウがビスタに目配せをするとビスタは困惑しながらサコをゆっくりと下ろした。

「うっ…ふっ……うああああん!!」

サコは再び泣き声を上げるとその場を駆け出して部屋を出て行った。チシが目を丸くしてサコが出て行く様を見送るとイゾウを見上げた。
イゾウはクツリと笑い、煙管を吸って紫煙を吐いた。

「解決だ」
「イゾウ……鬼か」
「長男の仕事だ。任せりゃあ良い。これで良いだろうオヤジ?」

イゾウが視線を白ひげに向けると白ひげもニヤリと笑って頷いた。

「マルコには気の毒かもしれねェが仕方が無ェ。それにマヒロもいるんだ。心配はしてねェよ」

白ひげはそう言うとイゾウとビスタの間に佇むチシに視線を向けた。

「チシ、抱っこしてやろう」
「うん!!」

白ひげは身体を起こしてチシに声を掛けた。するとチシは喜んで白ひげの元に駆け寄って抱き上げてもらい楽しんでいた。それにイゾウが多少頬を引き攣らせた笑みを浮かべたのをビスタは見逃さなかった。

―― ……イゾウ、お前も人のことは言えねェ程の過保護ぶりだ。

暫く後に隊員に呼び出されたサッチが慌てて船長室へと掛け込んだ。しかし、そこには至って平和な光景があった。
大きな爺さんと可愛い孫が戯れて楽し気に笑っている光景だ。それを微笑ましい顔を浮かべて見つめる隊員達(イゾウを除く)が大勢いる。

サッチは首を傾げた。

―― ……って言うか、今回、おれっちの出番がやたら少ねェ……。

最早用無しと言ったところだ。それを察したサッチは静かに船長室のドアを閉めた。そして踵を返して厨房に戻り、再び晩飯の支度を始めた。
眉間に皺を寄せてブツブツと何やら呟きながら包丁で食材を切り刻んでいくサッチの後ろ姿がとても寂し気だったと、後に4番隊の隊員達が語っていた。

思わぬ力

〆栞
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