第七幕


マルコの制止によって戦いを止めたジンは、腰を抜かしてガタガタと震えながら小さな声で命乞いを繰り返す男達に目を向けた。

「女の子は…、あの子はどこへ連れて行った?」
「「「ッ……!」」」

男達はジンの問いに直ぐに答えることができなかった。

「女の子……?」

ジンの問いにマルコは軽く首を傾げた。

〜〜〜〜〜〜

「――助けねばならん者がいる!」

〜〜〜〜〜〜

戦う前にジンは確かにそう言っていた。

―― あァ、そうか……。

ジンは少なくとも自分自身の為に剣を振るったわけでは無い。全てはその”女の子を助ける為”だ。それがジンの言う女の子を指すのであれば、自らの心を殺して、自らの手を血で汚してまでも、剣を振るうには十分な理由と言えるかもしれない。
マルコは少し口角を上げて微笑を零すと直ぐに真顔に戻した。

「おい、答えろ。お前ェらの仲間が連れて行ったんだろい?」

震えあがって返事をしない男達にマルコが改めて問い掛けた。
男達は怯えながらも懸命に口を開いた。

「ヒュッ、ヒューマンショップだ!」
「けど、もう遅い! 手遅れだ!」
「!」

マルコが目を見開くと一人の男がクッと喉を鳴らした。

「あのガキは天竜人の所有物だったからな。いくらあんたでも流石に手は出せねェはずだぜ?」

悪びれた様子も無く薄ら笑いを浮かべた男に、マルコは眉間に皺を寄せて男を睨み付けた。

「ひッ……!」

男は小さく悲鳴を零して更なる恐怖に慄き、直ぐにでも気を失いそうな様子を見せた。

―― 天竜人か。そりゃあ確かに厄介だ。

事が次第に大きなうねりと変わりつつある。この状況を自分の判断だけで事を進めのは危険過ぎるとマルコは思った。そして、オヤジと慕う白ひげの顔が脳裏に一瞬だけ浮かんだ。

ヒュンッ――!

「!」

空気を斬るような音にマルコはハッとした。いつの間にかマルコの手から逃れて自由を得たジンの腕が刀を振るって薄ら笑いを浮かべた男の首筋に切っ先を突き付けていた。

「ひぃッ!」
「どこだと聞いている」
「待てジン! 天竜人には下手に手を出せねェんだよい!」
「それはこの国の決まり事か? だが私には関係の無いことだ。異国の定めた法等知らぬし、知ろうとも思わん。こんな……、こんな腐敗して病んだ国の法等、守るに値しない」
「お前ェ……何を言って……」
「命等、最早惜しくは無い。私は異国の手に落ちた身だ。だが、せめてあの子だけでも助けてやりたいと思うのは、いけないことなのか?」
「なに……?」
「多くの命を奪って来た。これが最後……。これは……、血で汚してしまったカノエへの償いのようなものでもある」
「!」

ジンの表情に変わりは無い。暗く虚ろな瞳も変わりは無い。
なのに何故――?

瞳の奥には憂いがあって、けれども折れず。
悲哀が満ちて、けれども屈せず。
決して壊れぬ覚悟が宿り、静かだが苛烈な炎が点った意志がそこにあり、それがとても――

 ―― 綺麗だ ――

マルコは、そう思った。

ジンの言う『カノエへの償い』が何を指すのかはわからない。どういう意味を持ってそう言ったのかはわからない。ただ――マルコは、彼を、彼女を、このまま放っておくことも、ましてや見殺しになど決してさせたくないと強く思った。

「私をヒューマンショップという所へ連れて行け」
「ひっ!」
「後は私の好きにする。『てんりゅうびと』なるものが何かは知らぬが、知る気も無い。やるべきことは一つ。あの子を助ける為に、今一度人斬りとなって事を為すのみ。私の最後の……志だ」

ジンは静かにそう告げた。

〜〜〜〜〜

橘君、君には『志』がありますか?

〜〜〜〜〜

心の底から慕った懐かしい彼の人の声が脳裏に過った。

少なくとも、助けたい、守りたい。目の前で苦しむ者を一人でも多く救いたい。
それを望んで為し得なかった兄様の遺志を継いで私が代わりに為すこと。

―― それが私の志だと答えたら、先生……、貴方は何と言って、どういう顔をしただろうか?

刀を握る手に自ずと力が入る。

「私を、そこへ、連れて行け」

抑揚の無い声は、目の前で縮こまる三人に恐怖を与えるには十分で、有無を言わせる隙も与えなかった。
ジンは集団のリーダー各と思われる男の胸倉を掴んで立たせると、両脇にいた二人が「今だ」というようにその場から逃げ出した。

「あ! おい、てめェら!!」

男の叫ぶ声は虚しく響くだけだった。男は視線をジンに向けると愈々死を間近に感じ取ったようで目に涙を浮かべ始めた。
ジンが男に何かを言おうと口を開いた時、森の奥からガサッと葉擦れの音が聞こえた。人の気配を感じたジンは、言葉を飲み込んで視線を向けた。

―― !?

何故か緊張の糸が切れたようにジンの目が見開かれた。それに男も目を丸くしてジンの視線を辿るようにして視線を向けた。

「ひィッ!? ぞ、増援!?」

森の奥から出て来た男が手を振って足早にやって来る。ジンに胸倉を掴まれたままの男は、ただただ恐怖して悲鳴を零した。

「マルコ!」
「サッチ……!」

マルコの仲間なのだろう――が、ジンもまた得体の知れないものを見るかのような表情を浮かべて固まっていた。

―― な、なんだあの、め、面妖な頭は!?

直ぐ横に立つマルコも変わった髪形をしているが、ジンにとっては重力に逆らうサッチのリーゼントの方が異様なものに映った。ジンは俄かに唾を飲み込んだ。そして、男がこちらに歩いて来るのを拒むように、誰にもわからない程度に後退った。
その微妙な戸惑いを見せたジンに気付いたマルコは、片眉を上げると少し表情を緩めて笑みを浮かべた。

―― まだ……、少し余力があったみてェだ。安心したよい。

僅かに残る人間臭さがジンに残っていたことに気付いたマルコは安堵すると共に、何の気なしにジンの頭に手を伸ばして軽くクシャリと撫でた。

「ッ〜!?」

マルコの行動に驚いたジンは、胸倉を掴んでいた男を引き摺りながらマルコから距離を取った。

「心配すんな。こいつはおれの仲間だよい」
「い、いや、違っ……! そ、そうでは……」

ジンは顔を赤くしながらしどろもどろに大きく戸惑った。

―― 髪形に恐怖を抱いたと言ったら怒るだろうか? …………あ、い、いや、違う。それ以前に何故……? 何故そんな風に気安く私に触れることができるんだ……。

ジンはマルコを睨み付けた。――が、マルコは意に介さずに少し意地の悪い笑みを浮かべて、サッチへと顔を向けた。

「おれも手伝おうか?」
「サッチ、こいつは簡単な話じゃあねェよい」
「やっぱりヒューマンショップが絡んでんだな?」
「あァ、そうだよい。……って、何で知ってんだ?」
「レイリーがそうじゃねェかってよ」
「流石は冥王ってとこか。鋭いな。で、そのレイリーはどうした?」
「オヤジに会いに行くってよ。その――」

サッチはマルコに近付いて「彼女のことでな」と小声で言った。マルコは片眉を上げた。

―― そいつは……あー、まさかとは思うが……。

マルコが何か言いたげにサッチを見やると、サッチは「察しろ」とは口にせずに肩を竦めて惚けるふりを見せた。

「……」

マルコが小さく頭を振って溜息を吐いた。それを他所にサッチは警戒心を剥き出しにしているジンに向かって軽く手を振った。そうして視線が合うとニッコリと笑みを浮かべる。

「おう、カノエちゃん!」
「なっ…!? カノエ……ちゃん!?」

ジンは思わず素っ頓狂な声を上げた。初対面の男に本当の名前を、それも『ちゃん』付けで呼ばれるなんてこと、過去に一度たりとも経験は無い。意図せずして声が上擦ったのは仕方の無いことだ。
そんなジンの反応に、マルコとサッチは二人して目を丸くしたかと思うと同時に「ぶはっ!」と吹き出した。

「ハハハッ! なんつぅ間抜けな声を出してんだよい!」
「ちゃん付けで呼ばれるの初めてって感じだな。そんな新鮮な反応してくれると可愛いく見えるぜ」
「か……かわッ……!?」

ジンは顔が熱くなるのを感じた。

―― な、なんだというんだ!? 会って間もないというに何故こんな気安く……!

ジンが言葉にできない抗議の目を向けた。しかし、二人は意にも介していない。ジンの機嫌が更に損ねるのを見止めたマルコは、呼吸を整えて苦笑を浮かべた。

「すまねェ、そう怒るなよい」
「……」
「で、一つ教えて欲しいんだが、ジンの言う助けたい『女の子』ってェのは誰のことだい?」

マルコの問いにジンは溜息混じりに口を開いた。

「昨夜、私をこの家の主に助けるように声を掛けてくれた子だ。この家の主をその子は母だと言っていたが血の繋がりは無い。それどころか、この家の主はあの集団の仲間だった。女の子は、ひゅー……」
「ヒューマンショップか」
「あ、あァ、その人買いから逃げて来た子だ。その子を保護して娘として暮らしていると言っていたが嘘だったようだ」

ジンの説明にサッチは両手を後頭部に組んで「嫌だねェ〜」と言葉を零した。

「逃亡した商品を捕まえて引き渡すなんてェのは結構良い商売みてェだからなァ。この家のその女主ってのがまさにそれだったってェことね」
「籠に入れられて連れて行かれたのだ。せめて、その子だけでも助けてやりたい」
「助けてくれた礼ってェところかい?」

マルコがそう言うとジンは視線を地面に落とした。

「あの子は……、私を『姉』だと言った。あの子の実の姉とよく似ていたそうだ。私が髪を切り落としているところを怒って部屋を出て行ったきりで、そのまま連れて行かれてしまった故な……」

ジンは、ほんの数十分前に見た女の子の泣いて怒る顔を思い出すと拳をギュッと握った。

「なんで髪を切っちまったんだ? 折角綺麗な髪だったってェのによ」

サッチの問いにジンは小さく息を吐いた。

「この国では男装するなら髪を切った方が良いと言われた故……。しかし、何故そのようなことを聞く? 今は髪のことなど関係は――」
「勿体無いって思ってよ」
「勿体無い……?」

サッチは、後頭部に組んだ手を外すと真剣な面持ちでジンを真正面にじっと見つめた。ほら、やっぱり――と、納得するかのように一つコクリと頷いてニコリと笑顔を浮かべた。

「美人なのになァ……」
「なっ!?」

重く真面目な話を他所にそんなことを口にしたサッチに、ジンは思わず唖然としたが、直ぐにサッチを睨み返した。

「わ、私は元より男として生きることを望んだが故だ! こ、これ以上、余計な話はしないで貰いたい!」
「おー! 怒った顔も可愛いな!」
「ッ〜〜!」

必死に怒鳴るジンに、サッチはニコニコしながらジンの方へと顔を近付け、マジマジと観察するように覗き見る。
これにはジンもたじろぎ、意思に反して顔を赤く染めるしか無かった。
あまり褒められ慣れていないと見受けたサッチは、目をパチクリさせると少し驚きつつニンマリと嬉しそうな笑みを浮かべた。

「んー、初心な反応。この子、こんな美人なのに、マジ貴重だわ。そう思わねェかマルッ」

バキッ!!

「――ぷぎゃっ!?」
「話の腰を折るんじゃねェ。っつぅか、うぜェ」
「ッ……」

サッチの姿が一瞬にして消えた。家屋の壁に顔から激突してどさりとその場に倒れるサッチと、ジンの目の前にはサッチを容赦無く蹴り飛ばしたマルコの足。
ジンは混乱した。

「な、仲間じゃないのか!?」
「仲間だよい。けど、今は敵だ」
「ちょっ……、敵って酷い……ガクッ」

サッチが地に突っ伏しながら抗議の声を上げた。だがマルコは片眉を上げつつ少し悪い笑みを浮かべるのみだ。

―― い、異国の人付き合いとは、か、斯様なものなのか……?

ジンは頬を引き攣らせたまま呆然としていたが、ガシッと腕を掴まれる感覚にハッとして我に返った。
目を向けると胸倉を掴んでいた男が苦し気にもがいている――。

「あ、」

ジンにとって処理し切れないことばかりが続き、男の胸倉を掴む手に力が入っていたようで、男の首を絞めるという結果を招いていた。慌ててその手を離すと男は大きく息を吸って「ぜェ…ぜェ…」と呼吸を荒くしながら地に伏した。
未だ少し混乱して立ち尽くすジンに代わって地に伏した男の腕を掴んで立たせたのはマルコだ。

「買い手がついた子は別の場所で引き渡される。そうだろ?」
「くっ、そ、そうだ…!」

マルコの問いに男は呼吸を整えようと懸命に努めながらコクリと頷いた。

「なら、今からヒューマンショップに行っても意味はねェってことか……」
「そ、それは真(まこと)か!?」

マルコがぽつりと呟くと漸く冷静さを取り戻したジンが声を上げた。マルコは「落ち着けよい」とジンに制止を促して再び男を問い詰めた。

「どこで引き渡すのかを教えちゃあくれねェか? そうすりゃあお前ェの命は助けてやるよい」
「あ、相手は天竜人だ! 例え白ひげ海賊団と言えどもそう簡単に手は出せねェはずだ!」

男は後退りながら声を上げた。

「そ、それに、もう船の上だろうぜ。あのガキは今頃奴隷の烙印を押されて天竜人のペットになっちまってるだろうさ!」

恐怖と嘲笑とが入り混じったような歪んだ笑みを浮かべた男に、マルコは小さく舌打ちをして男から離れようとした。

ヒュンッ――!

「!」

風が空を切った音に気付いたマルコは咄嗟に一歩後ろへと引いた。
目の前を鋭い刃が孤を描く。
ジンが容赦無く男に振るった刃は、その男の右腕を斬り落とした。

「うぎゃあァッ!」
「ジン!!」
「マルコ! 待て!」

自分の横をすり抜けて男の元へと踏み込むジンを止めようとしたマルコの肩をサッチが掴んでマルコを止めた。

「無理だ。止められねェ。わかるだろ?」
「ッ……」

サッチの表情を見たマルコは言葉を失い、視線をジンへと向けた。表情こそ見えないが、彼の背中から放たれるそれはあまりにも悲しく、あまりにも鋭く尖った怒りそのもの。

「ううう腕がァァァ!」
「叫べば終わりか?」
「む、無理なものは無理だと言ったまでだ!!」

男は断ち切られた腕を反対の手で庇うように押さえながら必死に叫んだ。

「ならば、私がお前を生かすことも到底無理な話というものだな」

ジンの表情は冷たく、鋭い眼光で男を睨み付けている。
男は必死に命乞いをするがジンの耳には届いていない。

「お、おれは雇われて仕事をしただけだ!! 恨むなら天竜人を恨め!」
「雇われたから罪では無いとは、随分と都合が良過ぎるではないか。私がお前に下すのはただの死では無い」
「や、やめろ!!」
「私がお前に与えるのは、お前達に与えたのは全て――」

ジンは刀を縦に刃をスッと天高く掲げた。

天誅

ジンの口から放たれる言葉を耳にした男は目を見開いた。

「や、やめろォォォッ!!」

ザシュッ――!

男はジンの振り下ろした刃によって左肩から右腰に向かって無残に斬られ、あっけなく事切れた。
ポタッポタッ……――と、刀の切っ先から鮮血が滴り落ちる音が辺りを包む静寂さを知らしめる。
刀をヒュンッと振って鮮血を飛ばし、その辺で既に死んでいた男の衣服の綺麗な部分を引き千切ると刀身に付着した血糊を拭って鞘に納めた。何とも手慣れた動きだ。ジンがどれだけ戦場の中で多くの屍を乗り越えて来たのかを証拠付けるには十分だった。

「マルコ……、そう名乗っておったな」
「あ、あァ」
「助太刀してくれようとした気持ちは有難く頂戴する。しかし、これはあなたには関係の無いこと故、これ以上は介入することをお止め頂きたい」

ジンがそう言うとマルコは眉間に皺を寄せた。その傍らでサッチはギョッとした表情を浮かべて口を開いた。

「ちょっ、まさか……」
「そちらのサッチと申したあなたも同じく、手を引いてくれるな?」
「マジで後を追うつもりかよ!?」

サッチは声を荒げて叫んだ。マルコは険しい表情のまま溜息を吐いた。

「お前ェ、腹に怪我してるってェこと、忘れちゃあいねェか?」
「どうせ事を為せば自害するつもりでいる故、構わん」
「「!」」

ジンの言葉にサッチとマルコは目を見開いた。

「おいおい、自害ってマジで言ってんのか!?」
「ジン、折角助かった命だろうがよい。何故そんなに死に急ぐんだい」

戸惑い、怒り、そして、心配と――。様々な感情が入り混じった複雑な表情を浮かべる二人に、ジンは目を細めた。

「可笑しな人達だ。どうして私のような者にそのような気遣いをする必要があるのかと不思議でならない。会って碌に話もしていない異国の人間だというに……」
「話ならこれからすれば良いじゃねェか! おれは最初こそカノエちゃんに警戒はしたけどよ、なんつーか……、どう言やァ良いかわかんねェが、兎に角カノエちゃんは悪い奴じゃねェって、おれっちの勘がそう言ってんだ!!」

サッチが懸命にそう言うと小さく頷いたマルコも続いて口を開いた。

「サッチの勘は当てにはなんねェが――」
「なんだと!? マルコ!」

マルコは抗議するサッチの顔面を手で払い除けながらジンの側へと歩み寄ると厳しい目を向けた。
お互いの視線が交錯する。

―― 異国の目。……青だ。

ジンは目を外すことができずにマルコの目を見つめ返すことしかできなかった。

―― 兄様の衣と似た…海のような…綺麗な…青……。

ズクリッ……――。

ジンは胸の奥底に眠る痛みが疼いた気がした。それは古い記憶であり、そして、カノエの記憶。

「そもそもお前の命はレイリーって爺さんが助けたんだ。つまり、お前の命はそのレイリーが預かってるようなもんで、お前には自分の命を左右する権限は端から無ェんだよい」

マルコの言葉にジンは眉をピクリと動かした。

「ジン、レイリーがこの場にいねェからって、勝手はおれが許さねェ。おれもお前の命を救う手助けをした身だ。レイリーの代わりに今のお前の命はおれが預かる。良いな?」

ジンは徐に胸元を握り締めて俯いた。

「何故、斯様なことを……。私をどうするつもりだ……?」

小さく苦し気な声音でそう問い掛けた。すると、頭にポンッと手を乗せられる衝動に目を丸くした。

「どうもこうもしねェよい。ただ、手伝ってやるって言ってんだ」
「!」
「助けてやる。だから素直におれ達を頼れ」

マルコの言葉にジンは顔を上げた。マルコがクツリと微笑を浮かべて手を引くと今度はサッチの手がジンの頭をポンポンッと叩いた。

「まァ、そういうこった。腹の傷が深いんだから無理すんなってこと。それと、出来る限り人を斬るのも控えろってんだ、な?」
「それは――!」
「カノエちゃんが眠ってる間にその刀をちょっと見させてもらったけどよ、相当な人間を斬って来たんだろ? こいつらみてェによ」

サッチは視線を周りに向けてそう言った。

「女が人斬りなんて物騒なことするのは、おれっち反対」

ジンは顔を俯むかせて目を瞑ると深呼吸を一つしてから顔を上げてサッチを見据えた。ジンの心は頑なで、その言葉を受け付ける様子は無さそうだ。

「人斬りは致し方の無いこと故……、それはできぬ」
「んー……、理由は?」
「国と人の……道の為。己の為に剣を振るうことは決して無い。全ては他の為のもの。私の剣に私情は一切無い」
「他人の為の剣か……。けど、カノエちゃん自身の手を汚してでもやらなきゃなんねェわけじゃないでしょ?」
「救うべきものがそこにあるのなら、私の手が如何に汚れようとも構わん」

真っ直ぐにそう強く言い切ったジンに、サッチは何度か瞬きを繰り返すと深い溜息を吐いた。

「はァ……、覚悟…してんだな」
「覚悟……、あァ、そう覚悟している。そして、それが私の……、”ジンの志”だ」
「んー……」

納得し兼ねるとでも言うように小さく首を傾げながら唸るサッチを他所に、直ぐ側で二人の問答を聞いていたマルコは難しい表情を浮かべていた。
ジンの言葉の端々に見え隠れするそれはどこか他人事のようで、妙な違和感が拭えない。そして思うのは、やはりこの者はカノエであってジンでは無いし、無意識なのか、俄かに”そうであることを拒否している”かのようにも取れるとマルコは感じた。
しかし、その答えはここで容易に出るものではないだろうし、非情に頑な心で受け付けようとしないジンの様子を見ていると、今は何を言っても無意味だろう――と、マルコはサッチの肩に手を置いて二人の間に割って入った。

「サッチ、お前の気持ちはわかるが今は折れろ。ここで問答していても埒が明かねェよい」

マルコがそう言うとサッチは肩の力を抜いてポリポリと頬を掻いた。

「あー……、そうだな。すまねェカノエちゃん。なんつーか、色々気になっちまってなァ……」
「ジン、悪かったな。おれからも謝るよい。ただ、サッチに悪気は無ェし、お前ェを心配して言ったまでだから、その気持ちだけは汲んでやってくれよい」
「ッ……」

マルコの言葉にジンは眉間に皺を寄せると目を瞑って俯いた。

―― 心配……? 何故だ? 異国の者がどうして私を心配など……。

何か意図があるのかとジンは少し警戒して考えた――が、自分を陥れる為に芝居を打っているような節は見受けられないし、真っ直ぐに目を見つめて話して来る彼らが嘘を吐くような人間にはどうしても思えなかった。
ふいに顔を上げると片眉を上げて微笑を浮かべるマルコと、眉根を下げて穏和に笑い掛けるサッチに、ジンは小さく溜息を吐いた。

世界の事情を知らない自分は、移動するにも手段が無い。それに、事情を知った上で助けてやると彼らから申し出てくれたのだ。今は彼らの好意を素直に受けておいた方が女の子を助け出す一番の近道とも言えるだろう。

「承知した。手を、……貸して頂きたい」

ジンは頭を下げてそう言った。それにサッチとマルコはお互いに顔を見合わせてクツリと笑った。

「なら、一旦船に戻るよい」
「船……?」
「あァ、おれ達の船だ」

ジンは頭を上げると戸惑いの表情を浮かべた。

「この国の住人では無いのか?」
「おれ達に『国』なんてもんはねェよい」

片眉を上げてそう答えるマルコにジンは目を丸くした。

―― 国が無い? どういうことだ?

疑問を抱くジンを他所にサッチは少し考えて「あ、」と声を漏らし、ジンはサッチへと目を向けた。

「そっか……、知らねェんだよな」
「な、何をだ?」

眉を顰めるジンにサッチはマルコの隣に並び立った。そして、サッチとマルコは二人して少し悪い笑みを浮かべる。

「「おれ達は海賊だ(よい)」」
「か…海賊……!?」

サッチとマルコの言葉にジンは絶句した。ジンにとって海賊と言えば――日本国において瀬戸内海を中心に活動する水軍がまず頭に浮かんだが、水軍を隠れ蓑に悪逆非道で道を外した愚かな賊が多数存在することを知っている。他の者を平気で襲い、奪い、貪る。一重に『悪』という一文字がぴったりと填る者――それが海賊だと認識している。

―― やはり、よく知りもしない者に易々と心を許してはならんな。

表情には決して出さずに少しでも揺らいだ自分の心に自嘲して舌打ちをする。

「……承知した……」

海賊というこの二人は、今し方自分が斬り殺した者達と然して変わらない人間だろうとジンはそう思った。
また、心が深く沈んでいく――。ジンの瞳には再び暗い闇が宿る。そして、虚ろなものへと少しずつ変わる。
もし予想した通りに彼らが変貌して立場を変えるようであるならば、また逃げれば済むことだ。そして、この国の連中――いや、あの母親面した女を探し出して問い質し、あの子の後を追うまで。
ジンはそう決意し、覚悟した。
心の奥底で暗く重く疼く傷。そこに再び同じ痛みを刻む覚悟を――。

ズクリ……ズクリ……――。

為すことを為すまで、まだ持って欲しい。

何もかも、
全てが終わったら、
壊れて良いから――。


〆栞
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