第六幕


納刀したまま腰帯に差すと柄を握って刀を引き抜き、ゆらりと一歩前に足を進める。他愛の無いちょっとした動き。しかし、この一連の動きにどこか洗練されたものを感じさせる。

静かに、
気高く、
そして、強く。
しかし、どこか――儚い。

「カノエ……いや、ジン。事情はよくわからねェが、このまま黙ってお前一人で戦わせるわけにはいかねェよい」

マルコがそう声を掛けるもののジンは返事をするどころか反応すらしなかった。マルコは眉間に皺を寄せてジンの背中を睨み付けるが、ジンが刀の切っ先を前方へ向けて身構えた時、マルコはその表情を一変して息を呑んだ。

―― な…んだ……?

緩やかな動作の中で刀の切っ先を前方に向けて身構えただけだというのに、ジンを中心に辺り一帯の空気が鋭くピンッ――と張り詰めた。目の前の集団はその変化に誰も気付いていない。しかし、ジンの後ろに立つマルコだけは直ぐにわかった。

全身の毛が逆立つような感覚に襲われたような、そんな気がした。

―― こいつ……。

人斬り――
ほんの少し笑みを浮かべて零れた言葉。

今や大航海時代。争いごとの絶えないご時世だ。様々な海賊や荒くれ者の強者が世界には大勢、剣を得物とする者は数知れずいるが、自らを『人斬り』と銘打って剣を振るう者等、果たしてどれだけいるだろうか――。

敵対する者には確実に『死』を――
誰にも『生』への道は与えず、許されない。

背後にいるだけで圧倒される程の狂気的な殺気に、否応なしに警戒心を持たざるを得ない。

「不用意に構うな。……良いな……?」

ジンは静かにそう告げた。

「……」

マルコは何も言わず、頷きもせず、ただジンをじっと見つめるのみ。ジンが脅威に感じたからだ。
もし――
そんな考えが脳裏に過るのも仕方が無いのかもしれない。どういった類の人間なのか、図り切れていないのだから当然だろう。

静かに、
気高く、
そして、強く。
しかし、どこか――儚い。

ジンの狂気的な殺気の中に含まれる一切の拒絶。その中にどこか憂いを帯びた何かが入り混じっていること等、この時のマルコにはわからなかった。

今一度、再び人斬りに――
凄惨で過酷な戦場で戦い続けた天剣の人斬り《橘迅》が動き出した。





森を抜けた先にあった小さな屋敷を囲む集団を見つけたサッチは、異様な雰囲気に警戒しながら様子を伺っていた。
屋敷の側には二人。
見知った男――は置いといて、髪が短くなっているが見覚えのある刀を携えていることから探していた人物であることがわかった。

「んー……、なんでこんなことになってんだ? って言うか、まさかあの人数を相手に戦う気じゃねェだろうな?」

サッチはサーベル剣の柄に手を添えてその場に向かおうとした。

「待て」
「!」

肩を掴まれて振り向くとレイリーがそこにいた。

「待てって……。いくらマルコでもあの子一人を守りながらあの人数を相手に戦うなんてェのは流石にちょっと厳しいってんだよ」
「果たしてそうかな?」

レイリーが鋭い眼差しで一点を見つめながらそう言った。そして、キョトンとするサッチに視線を向ける。

「感じんか?」
「何を?」
「彼女から放たれるものをだ」

サッチは、指し示された先、カノエという名の女剣士に目を向けた。

「ッ!?」

彼女から放たれる狂気的な殺気を感じ取ったサッチは途端に目を丸くして息を呑んだ。

―― お、おい、マジか……。女が放つにしちゃあ度が過ぎてんじゃねェか。

ここから彼女まで距離はあったが、海目で慣れたサッチの目には確かにカノエの瞳に宿るどこまでも冷酷で凄惨な深い闇を捉えた。しかし、その目は虚ろで生気が失せ、無表情。そこに人間的な要素は欠片も感じられない。
サッチはゴクリと固唾を飲んだ。

―― あんな冷酷な殺気を滲ませた目を持った女なんてェのは初めだ……。

更に驚いたのは、カノエが刀の切っ先を相手に向けて構えた瞬間、辺りの空気が一変したことだ。

―― 覇気ってわけでもねェのに、この空気の変わりようは異様だ。

カノエまでかなり距離があるにも関わらず、カノエから放たれるそれは全てを巻込んで空気を変えた。直ぐ側でカノエを見つめるマルコは一体どのように感じ取っているのだろうか――と、サッチは思った。マルコも一様に驚いているようだが、サッチの予想通りに彼の表情は明らかにカノエに対して警戒心を露わにしているのが見て取れた。

―― おれが心配して警戒する程でも無かったか。けど……、なんでかな? 彼女を警戒するってェのは……どうも違う気がしてならねェ。

女に対して比較的甘い自分の性分がそう感じさせているのだろうかとサッチが頭を悩ましていると、それは一瞬にして起こった。
大きな声を張り上げた男達が一斉に襲い掛かろうとした――が、カノエは一瞬にしてその場から姿を消した。そう思った時には既に集団の中へと飛び込んでいて、男の悲鳴と共に血潮が辺り一帯に飛び散った。

「うわッぷっ!?」

仲間の血潮を真面に喰らった男は手で顔を拭い、「ひィッ!?」と恐怖めいた声を上げた。

ヒュンッ――!

風を切る音が聞こえてガクガクとした足取りで尻餅を着いた――が、上体を支える力は無く、重力に引っ張られるままに倒れて声を漏らすことも無く男は事切れた。
サッチは自分の目を疑った。
一振りで一人を倒すならまだしも、一瞬にして五,六人の首を撥ね飛ばし、尚且つ攻撃は続いて奥にいる三,四人の腕や首を断ち切って心臓を貫いていった。
寸分も無駄の無い洗練されたその動きは、まるで舞いを舞うかのような動きにも見えて、凄惨な光景が広がっているにも関わらず見惚れてしまう感覚すら覚えた。

―― やべェ……、強ェとかそんなレベルじゃねェ……。

自ずと警鐘が鳴り響くのを感じた。上物の女だとか、そんな軽い気持ちで接してはいけない女。下手をすれば命を取られ兼ねない。イゾウが妙に警戒していたのも頷ける。
サッチは二本のサーベルを抜いた。

「どうする気だ?」
「助けに行くに決まってんだろ!」
「……どっちをだ?」
「どっちでもねェ、マルコをだ!」
「あまりお勧めはできんな。下手にあの場に飛び込めば斬られるぞ?」
「おう、上等だってんだ!」
「サッチ、落ち着け。あれは意外に冷静だ」
「!」

レイリーはマルコの方へ指を差して言った。サッチはその指し示す先にいるマルコへ視線を向けると、先程の警戒心を宿した表情と違い、何か別の感情を宿した表情を浮かべて見つめていることに気付いた。

「あいつ……、何考えてんだ……?」
「何かを感じ取ったのかもしれんな」
「何かって……」
「初めて会った時、一度意識を取り戻した時、彼女は今と同じように虚ろな瞳で、どことなく憂いを宿していた」

レイリーの言葉にサッチは視線をカノエへと移した。

「好んで戦場に立ったわけではない。余程の理由と覚悟があったのだろう。それに、彼女の心は異様に頑なな感が否めない。恐らく簡単に他人に心を許せる人間ではないのだろう。……環境がそうさせたのかもしれんがな」
「環境……か」

剣を片手に暗い目を持ちながら無表情で凄惨な殺戮を起こさざるを得ない環境等、彼女の生きた世界とは一体どれほど過酷な世界なのだろうか――。
サッチは眉間に皺を寄せて目を瞑った。

「少なくともこの世界のどこを探してもあのような女はいないだろう。異世界の人間だからかもしれんが……」

サッチは隣に立つレイリーを見やった。レイリーの表情は極々平静そのもので、カノエが繰り広げる戦いをじっと見つめていた。しかし、その視線がふとサッチへ向けられるとレイリーは少し笑みを浮かべた。

「下手に止めに入れば危険なのは我々だ。ここはマルコに任せておいた方が良いだろう。何せあれは不死鳥だからな」
「ッ……!」

レイリーの言葉にサッチは眉をピクリと動かした。ほんの小さな表情の変化をレイリーは見逃してはいない。僅かにグッと奥歯を噛み締めて堪えている様に見える。

―― わかってる。わかってんだよそんなこたァ……。おれ達も同じように頼ってるとこがあるってェのはよ。

レイリーは片方の眉と口角を上げた笑みを浮かべると悪びれた様子は無く、視線をマルコの方へと向けた。

「すまんな。大事な仲間を盾に使うような発言をした」
「ッ………つーか、それはマルコ自身が望んでやってることでもあるしな……」

サッチは溜息を吐きながらそう言うとマルコに目を向ける。そこには、痛み、心配、葛藤、不安――これらを抱える心苦しさと申し訳無さ等が複雑に絡まっているのが見て取れる。

―― 白ひげめ、良い”家族”を持ったものだ。悪態を吐きながらもお互いを思いやる絆は確かな連中だ。もし、彼女が彼らと共に生きることができたなら、案外変われるかもしれんな。

レイリーはサッチを尻目にそんなことを考えて微笑を零した。

「サッチ、やはり私はカノエが哀れでならんよ」
「急に何でまた……?」
「そうは思わないか? あれはどう見ても女の幸せを捨て、修羅に身を置かねばならなかった女だ。情を失くす程に自分を追い込んで戦うのは、そうしなければならん事情があったのだろう」
「けどよ、自分から飛び込んだってェことも考えられるだろ? もしそうだったなら自業自得っつぅか……」
「少なくとも、今戦っている彼女は私情で戦っているようには見えんよ。彼女の振るう剣先から放たれるものは狂気的な殺人剣ではあるが、そこには決して彼女自身の為の意思は無いように見受ける。何かを守る為に身を削るといった点においては、白ひげ海賊団のお前達とは何も変わらない」
「!」

レイリーはそう言うと踵を返してその場を立ち去ろうとした。

「どこに行くんだ?」
「やはり白ひげに会いにな」
「あー、まさかとは思うけどよ……」

サッチが視線を泳がせてそう言うとレイリーは片眉を上げた。

「流石、伊達に4番隊隊長を張っているだけあって察しが良いな」
「やっぱり?」

レイリーはニコリと笑ったがサッチは項垂れて溜息を吐いた。

「あんた、どうしてそこまでして彼女に肩入れするんだ?」
「そうだな。これも何かの縁……と言ったところか。彼女を見ていると一人にしておくことはできんよ。それに――」
「それに?」
「恐らくこの一件はヒューマンショップ絡みだ」
「!」
「私が言いたいことはわかるな?」

ヒューマンショップ絡みとなれば否応なしにそこに絡むのは天竜人の存在だ。もし本当にそうだとしたら、彼女の矛先は天竜人に向けられるだろうことは容易に想像できた。

「白ひげの庇護を受けていれば、誰もそう簡単に手出しはできんだろう」
「おいおい、マジか……」
「お前達の”オヤジ”は、特に”ああいった問題を抱えた人間”を好む節があるからな」
「あー、それを言われると……否定できねェわ」

白ひげが高らかに笑いながら喜んで彼女の身の安全を引き受ける姿が目に浮かぶ。サッチは思わず苦笑を零した。レイリーもサッチの苦笑に釣られるように笑うと足早に去って行った。
サッチはレイリーの立ち去る姿を見届けること無くその場を離れ、戦場に足を踏み入れずに回り込んでマルコの元へと向かった。





あれだけ多くの人数がいた――はずだった。なのに、気付いた時には多くの者が斬り殺されて、残ったのはたった三人。戦意を完全に失った男達は武器を放棄して地に伏し、額を地面に擦り付けて謝罪の弁を述べた。

「頼む! 助けてくれ! なァ! この通りだ!!」

しかし、カノエ――いや、ジンは、表情を変えること無く反応すらもしなかった。

一歩、また一歩――
男達の方へと歩みを進めて彼らの目の前に立つと、ジンは徐に刀身を高く掲げた。

「ひッ!?」
「や、やめてくれ!」
「うああああ!」

男達は悲鳴を上げると目を固く瞑った。鋭い刃が彼らに目掛けて振り下ろされる――が、ジンの腕をガシッと掴む手があって、刃が彼らに届くことは無かった。

「もう良い。もうお前ェの勝ちだ」
「……」
「全員殺しちまったら探すもんも探せねェよい」

ジンは腕を掴んで止めた男に目を向けた。虚ろな表情のままだが、ジンの心には僅かに揺れる動きがあった。

―― 何故……?

背後から刀を振るう手を掴まれること等、今まで一度も無かったことだ。どうしてこの男はそれを容易にできたのか、どうしてこの男の気配に全く気付けなかったのか――。
ジンの心に驚きと戸惑いが生じたのは当然のことだった。表情にこそ出さないが、掴まれた腕を素直に下ろしたのが何よりもの証拠と言える。ジンの心に落ちた小さな滴が齎す波紋が行動を止めさせたこと等、誰も気付かない。しかし――

「お前は……」
「マルコ」
「ま…る……こ?」
「おれの名だ」
「!」

暗く虚ろな瞳が僅かに揺れる。多くの血潮が飛び散る中を立ち回っていたというのに衣服はあまり汚れていない。しかし、ジンの顔には相手の血飛沫を浴びた痕跡があった。それがまるで――血の涙のように――そう、マルコの目には映った。

―― お前ェ……、自分の心を殺してまでどうして……。

目の前で繰り広げられる凄惨な殺戮を見つめる中、警戒を強くしていくマルコの心を一瞬にして打ち消した場面があった。一瞬にして二、三人の命を奪うその様は冷酷且つ冷淡で非情。だが、その一瞬一瞬の中に俄かに揺れる”何か”をマルコは感じ取っていた。最初、それが”何か”はわからなかった。わかろうともしなかった。

「くそっ! こいつ! 化け物か!?」
「ひぃッ!? こ、こんな奴だなんて聞いてねェ!! おれは逃げっ…ぐあっ! は……う……」
「こ、この女! 戦意を失くして逃げ出した奴までも殺すなんて! うがっ! ハッ……そ…んな……」
「や、やめろ! 助けてくれ! 頼む! おれはまだッがっ! ハッ……し…に…たく……な……」

斬ッ!
斬ッ!!
斬ッ!!!

助けてくれと懇願する男の首を刎ね、その首が足元に転がり落ちたとしても何も感じないかのようにジンは舞った。振るう刀の剣先は血で汚れていくにも関わらず輝きが失われるどころか更に鋭利に輝きを放ち、そのせいか神々しささえ感じさせる剣技にマルコは目を細めて見つめていた。

――!

マルコは表情を一変した。
一瞬、ほんの一瞬だった。
ジンと目線がほんの一瞬だけ合った時、そこには狂剣を振るうジンでは無く、憂いと悲しみに暮れたカノエが、そこにいた気がした。

決して望んで戦っているんじゃない。
決して望んで剣を振るっているわけじゃない。

決して望んで――、
人を、
殺して、
いるのでは――無い。

彼、いや、彼女が口にして叫んでいるわけでは無いのに、どうしてか悲鳴を上げて叫んでいるかのように聞こえた気がした。泣きながら戦っている――そう思った。

―― 何の為に戦ってんだ? お前は何の為に……。

愈々生き残る敵が三人となった時、自然と身体が動いて、気付けば刀を手にしているジンの腕を掴んで止めていた。

「もう良い。もうお前ェの勝ちだ」

自身の口から発した声がやけに大きく聞こえた。

――人が人で無くなっていく――
人が壊れ行く様というのは、こうも儚くて、こうも悲しいものなのか。

ジンの腕から力が抜けて素直に下ろされる。その様子に、マルコは何故かホッと胸を撫で下ろした自分自身に戸惑いを感じた。しかし、ジンの顔を間近で見た時、そんな戸惑い等どうでもよくなった。
ジンに向けられたマルコの表情は惻隠の情に満ちたものだった。


〆栞
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