第十五幕


島を出港してから幾日か経った頃、顔を真っ赤に染めながら目を泳がせて苦心するカノエがいた。今いるここは船医室の側にあるナース達の部屋だ。

「じゃあ次はねェ」
「あ、あの、エミリア殿! も、もう勘弁して頂きたく!」
「ふふ、まだまだ終わらないわよ」
「う〜!」

カノエは『もう二度と着ない』と決心したはずの破廉恥な服(←あくまでもカノエ視点)をナース達の手によってとっかえひっかえ着せられていた。
ナース達がキャッキャッと楽しんでいる一方、カノエは目のやり場にほとほと困って視線を泳がせる。そうして着替えを終える度に破廉恥な服に身を包む自分の姿を鏡で見ては声にならない悲鳴を上げる――を繰り返していた。
最早カノエは生きた心地さえ無く、精神が崩壊する寸前にまで追い込まれていた。

も、もう二度と! 一人で抱え込みません! だから、どうか、どうか、お許しください!

賞金稼ぎとジェナの一件の後、マルコと共に戻ったカノエは、ビスタから軽く雷を落とされたもののそう酷く怒られるということは無かった。イゾウやハルタ等からネチネチと笑顔でグサグサと胸を刺す小言を言われたりもしたが、(瀕死になりつつも)気にさえしなければ平気だった。
船長室で白ひげと対面した時、カノエは今回のことを洗い浚い全てを話して謝罪した。白ひげは何も言わなかったが、射抜くような鋭い眼差しを向けていたことから明らかに怒っていることは確かだったわけで。

「罰が無ェではまた繰り返すかもしれねェなァ」
「う……」

忌々し気な表情を浮かべてギロリと睨み付ける金色の瞳にカノエはシュンッと身体を小さくした。

「オヤジ、おれに考えがあるよい」

白ひげが視線をマルコに向けるとマルコは薄笑いを浮かべた。

「カノエにとっちゃあ最も過酷な罰だ」

隣で身を小さくしている義妹《カノエ》を横目でチラリと視線を向けると、ガバリと顔を上げたカノエが愕然とした表情を浮かべてマルコの腕を掴んだ。

「な、何故!?」
「今し方オヤジが言っただろうが、罰が無ェとお前はまた同じことを繰り返すかもしれねェって」
「そ、それはッ……、いや、そもそも!」
「そもそもって何だよい」
「マルコ隊長がジェナ――むぐっ!」

マルコは咄嗟にカノエの口を塞いだ。

「ッ〜! ッー!!」

必死に抗議の声を上げようとするカノエに白ひげは片眉を上げた。

「どうしたマルコ?」
「な、何でも無ェ。カノエの罰はおれがちゃんと科しておくから安心してくれよい」

愛想笑いを浮かべるマルコに恐らく複雑な色恋事情が絡んでいると察した白ひげは少し呆れたような顔を浮かべた。

「……わかった。マルコに一任する」
「ッー! ッー!」

必死に抗議しようと暴れるカノエを何とか抑えつつ船長室を後にしたマルコは、人気の無い場所まで移動すると足を止めて振り返った。

「何でおれに責任があるみてェなことを」
「しかとこの目で見たからだ!」
「――な、何を……?」
「ジェナ殿と組んず解れつお楽しみだったではないか!」
「あれのどこがだ!? お前の目は節穴かよい! おれァ殺されかけてただろうが!」
「お互いに裸だったではないか!」

顔を真っ赤にして怒るカノエにマルコは額に手を当てて溜息を吐くと大きく項垂れた。

「悪魔の実の能力者は海と同じエネルギーを発する海楼石の錠に繋がれちまったら力が抜けちまうことは教えたよなァ?」
「……」
「あん時のおれは海楼石を嵌められてたんだよい。だから抵抗も何も」
「油断した故、ですね」
「――そ、それに関しちゃあ面目ねェ」

頭をガシガシ掻きながら反省の弁を述べるマルコにカノエは両腕を組みつつ「気が緩んでいる証拠ではないか」と不貞腐れた顔をぷいっと背けて愚痴った――ところで、マルコはハッとした。

何でおれが悪いみたいになってんだ!?

ガシッ!

「ぬあ!?」

マルコに頭を鷲掴みにされたカノエは言葉を飲み込んだ。

「元はと言えばカノエが原因だってェこと……忘れてんじゃあねェだろうなァ?」

カノエは背けた顔をグイッと強引にマルコの方へと向けさせられた。蟀谷に青筋を張りながら引き攣った笑みを浮かべるマルコの顔が直ぐ目の前にあって、額から角らしきのものがニョキッと生えたように見えたカノエは思わず二度見した。

おおお鬼がいる!

有無も言えないままカノエに与えられた罰は『ナースの付き人一週間コース』だった。
それは一週間四六時中ナースに付きっ切りで、且つナース達の命令には決して逆らってはいけないというものだ。

「んな!?」
「お前には打って付けの罰だろうよい」

ニヤリと悪い笑みを浮かべたマルコは、呆然自失となるカノエの腕を引っ張って船医室へと連行すると、ナース婦長のエミリアに事の説明をしてからカノエを預けた。
こうしてカノエはこの日から『破廉恥地獄』を味わうこととなったのだ。

「ねェねェ、カノエちゃんって好きな人いるの?」
「そ、それは、その、か、家族、という間柄の意味で申されておるのか!?」
「ううん、女として好きな男性がいるのかどうかってことよ」
「ふぇっ!?」
「あら、カノエちゃんはマルコ隊長とラブラブなんでしょう?」
「「「えェ!? マルコ隊長と!?」」」
「んななな何故そのようなことに!?」

盛り上がるナース達の傍らでカノエは顔を真っ赤にしながら悲痛な叫びのようにも聞こえる声を上げた。

「あら、私はてっきりイゾウ隊長とできてるもんだと思ってたわ」

ナース婦長のエミリアがカルテを片手にそう言うとカノエが凄い勢いでエミリアの方へと振り向いた。更に、薬の在庫を点検していたナースもエミリアと同様の反応をして「はずれたわ〜」と残念そうに零したことでカノエの耳がピクンと大きく反応した。

「この間加入したエースっていう若い子と親しいみたいだったから、私はてっきり彼とできてるものだとばかり……」

薬の戸棚を閉じながらそう言ったナースに同調するナースもいたが、殆どのナースは『マルコ隊長とできてる』という意見だった。

か、勘弁して頂きたい!

この日、カノエにとっては人生初となる『女子トーク』なるものを体験した。――と言っても、カノエは彼女達が繰り広げる話をほぼ聞いちゃいなかった。

何故に人の恋路に興味を持たれるのか、女子おなごの心情は今一つわかり兼ねる!!

言葉にこそしなかったが、内心でオロオロとしながらそう叫ぶ自分がいて、顔を真っ赤にしながらぱっかりと開いた口から魂が抜けかかる事態に陥った。所謂現実逃避だ。

は、辱めの刑! 恐るべし!

三日と持たずに心がバッキバキのボロボロにまで朽ち果てた末に失神寸前という名の瀕死となる。

「カノエちゃんって意外にも胸があるのね」
「かなりきつめにサラシを巻いてるのね、勿体無い」
「胸の谷間って女の武器になるのよ?」
「可愛い系かと思ったけど、こうして見ると美人系よね」
「中性的な顔立ちだから男前にもなるし美人にもなるし、どっちも美味しいわね」
「「「わかる〜!」」」

キャイキャイと楽しむナース達にカノエは叫んだ。

「本当に申し訳無かったと心から謝罪する! どうか、どうか、た、助けてくだされ兄様ァァァッ!」

最早耐え切れなくなったカノエは着物を掴んでその場から脱兎の如く逃走した。自室に戻ると急いで和装に着替えてベッドに潜り込みガタガタと震える始末。

な、何と恐ろしい罰か!

船医室は自分にとって最も辛い仕置きの場であることを改めて心に刻んだカノエは、後にマルコの部屋に訪れると即座に精一杯の土下座をして謝罪した。

「お、おい、落ち着けよい」
「これがあと四、五日も続く等とは到底耐え切れぬ! 心から反省する故、本当に勘弁して頂きたい!」

驚き戸惑いながらカノエの側に歩み寄ったマルコは、膝を折ってカノエの肩に手を置き頭を上げさせた。潤んだ目から滝のようにドバドバと涙を流すカノエにマルコは目を丸くした。
どうやら想像以上にカノエを精神的に限界へと追い込んだようで――。

「今度からは、」
「はい、何でも言います。話します。報告します。頼ります」
「――ど、どんだけ嫌なんだよい。素直過ぎて逆に怖ェよい……」

本格的な泣き顔で必死なカノエが不憫に思えたマルコは、「わかった。もう良いよい」とカノエの頭をクシャリと撫でた。

「あ……、ありがとうございます! 兄様ァァァ!!」

マルコの許しを得たカノエは心の底から安堵して再び土下座をしながら誠意ある感謝の気持ちを伝えて号泣した。
効果絶大過ぎだろうよい、とマルコは首筋に手を当てて苦笑した。

それから気持ちを落ち着かせたカノエは、マルコと共に船長室に出向いて白ひげに許しを請うた。
マルコに対して土下座したように白ひげの前で背筋を伸ばして正座をしたカノエは「申し訳ございませんでした!」と大きな声を上げて床に額を擦り付けて謝罪したのだ。白ひげはポカンとしてカノエを見つめていたが、隣に立つマルコへと視線を向けた。

「説明しやがれマルコ」
「あー…、実は――」

額を床に擦り付けたまま頭を上げそうにないカノエに代わってマルコが説明すると、白ひげは「グララララッ!」と大きな声で笑った。

「それだけ反省したってェんなら十分だ。今日で勘弁してやるカノエ! グララララッ!」
「だそうだよいカノエ。もういい加減に頭を上げろ」
「父上、本当に、本当に、申し訳ございませんでした!」
「あァ、わかった。だがなァカノエ、次にまた同じようなことがあったら――」

白ひげはニヤリと悪い顔を浮かべた。

「言わなくてもわかるな?」
「!」

破廉恥地獄を味わうぐらいなら一層のことこの場で切腹した方が遥かにマシだ――と、カノエは顔を青くしながら必死になってコクコクと頷いた。

「グララララッ! おめェも女の身だってェのに女が苦手たァ不憫な奴だなァ」
「わ、私は――」
「オヤジ、そうじゃねェんだ。カノエは露出した女が苦手なんだよい」
「ほう……?」

片眉を上げた白ひげは再びニヤリと笑みを浮かべた。
あ、あれは、父上の悪い顔だ……、と何だか嫌な予感がしたカノエは、未だに青い顔をスッと逸らした。

「カノエ」
「はい、もう二度と同じ過ちは致しませんとこの場で父上にお誓い致します! もう宜しければ私はこれにて失礼致す故、御免!」

白ひげに名を呼ばれた瞬間にカノエは背筋を伸ばして一気に捲し立てた。白ひげやマルコに有無も言わさぬ間に頭を下げて凄いスピードで船長室から逃走した。
白ひげは目をパチクリとさせて唖然としたが直ぐに破顔して笑った。

「グララララッ! 余程、嫌と見えるなァ!」
「オヤジが顔に出すからだよい」
「なかなか揶揄い甲斐のある奴だからなァ〜、グララララ!」
「洋装しろって言う気だったんだろい? 顔に出さなけりゃあ命令できたってェのに……」

残念だとばかりに頭を振って溜息を吐いたマルコに白ひげはニヤリと笑った。

「不服そうじゃねェか」
「べ、別に、」
「マルコ、お前が何を拘ってんのかは大体予想はつくがな、一度でも欲しいと思ったならしっかり捕まえてモノにしやがれ」
「――ッ……!」

目を丸くしたマルコはポリポリと頭を掻いて白ひげから視線を外した。少しだけ頬が赤いことから図星であることは明白で、白ひげは呆れ気味に言葉を続けた。
過去の女に付き合ってやる余裕なんざ無ェだろうがバカ息子――と。

「!?」

マルコは驚いてバッと白ひげを見上げた。

「大方の話はビスタから聞いたが、大体の察しは付いてらァ。おれを誰だと思ってやがる」

白ひげが身体を前に倒してニヤリと笑みを浮かべると、それに押されるように軽く仰け反ったマルコは気まずそうに視線を外した。

「お前は昔から女に対する価値観が酷かったからなァ。これはお前にとっても変わる良い機会だと思うがなァ」
「……」
「カノエみてェな女はそういねェ。てめェがモノにしねェなら他の男に獲られちまっても知らねェぞアホンダラ! グララララッ!」

盛大に笑う白ひげに、何でもお見通しかよい……、とマルコは決まりの悪そうな顔をして眉間に皺を寄せた。
コホンッと一つ咳払いして話を切り替え、今後の航路のことを含めて真面目な話をしたマルコは、船長室を後にした。そうして自室に戻ろうと廊下の突き当りを曲がるとピタッと足を止める。

「カノエ……?」
「あの、少しお話をしたいのですが……」
「あ、あァ――」

じゃあ、おれの部屋に、とマルコが言い掛けると途端に顔を赤くしたカノエが少し後退った。

「どうした?」

不思議に思って首を傾げたマルコだったが、パッと浮かんだ理由に「あー……」と声を漏らした。
ジェナの家でマルコにキスされた記憶がカノエの脳裏に鮮明に残っているのだろう。マルコと二人きりになると何があるかわからない――といったところか。
よくよく考えると船に戻ってから二人きりになる時間はとんと無かった。その為、カノエが妙に警戒するのも納得できる。

「で、できれば、ここで済ましたいのですが」
「襲わねェから」

真顔で返答したマルコに対してカノエは紅潮した顔を俯けて「し、しかし!」と首を振った。
カリカリと頭を掻いたマルコは、はァァ……、と溜息を吐いた。

もう、良いだろ……。

白ひげの言葉に背中を押されたというわけでは無いが、ジェナの件においても中途半端な関係でいたから起こってしまったとも言える。カノエだけが悪いのでは無く、その元凶を作った自分も悪かったのだとマルコは反省した。
そして――腹を括った。部屋に行くことを拒否するカノエの腕を掴んだマルコは強引に歩き出した。

「え、ちょ、待っ」
「五月蠅ェ。素直に来い」
「――ッ、で、ですが!」
「おれはお前が思う程、そう気は長くねェんだ」
「へ!?」

後ろを振り向くこと無くマルコが告げた言葉に、カノエは目を丸くして狼狽した。

「そ、その『気』とやらは、ど、どういった意味合いですか!?」
「……」

何も言わないマルコの背中を見つめながら困惑するカノエは、ただマルコに手を引かれるままに足を運ぶことしかできなかった。


〆栞
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