第三幕


ぼったくりBARには白ひげ海賊団の隊長が数名いた。サッチとイゾウ、ハルタとビスタにラクヨウ、そしてマルコだ。
こんなに賑やかな店内は久しぶりなのだと笑うシャクヤクは上機嫌で、お酒を作っては「どうぞ」と、彼らに沢山飲ませていった。

「流石……。ぼったくりっつぅぐらいあって高ェな……」
「あら、そうかしら?」
「偶には良いじゃねェかイゾウ。美人のシャクヤクさんからたっぷり栄養を貰えんだからな〜」
「サッチは女の為なら喜んで破産するタイプだよね」
「五月蠅いぞハルタ〜! 何か言ったか〜?」
「鼻の下が伸び過ぎて気持ち悪いって、聞こえなかった?」

ハルタはニコリと笑って毒を吐いた。
普段なら「辛辣!?」と言ってサッチは嘆くのだが、隣にいるシャクヤクにデレデレしている今は凹むこと無く楽し気に「ハッハッハッ!」と笑い飛ばした。

「うあっ……あァァァッ!」
「「「!」」」

賑やかな会話が織り成している所に、二階から悲鳴のような声が聞こえて来た。丁度レイリーが様子を見に行ったところで、タイミング良く彼女の意識が回復したようだ。
彼女に声を掛けるレイリーの声が聞こえる。シャクヤクは奥の扉から二階へと足早に上がって行き、バーに残った彼らは静かに耳を欹てた。

「落ち着きなさい。暴れては傷が開く。ここに敵はいない。いいかね? 敵はいない」

二階からはっきり聞き取れたレイリーの科白。何故そのような言葉を掛けるのか。一階にいる彼らはお互いに顔を見合わせて小声で話し始めた。

「マルコ、意味がわかるか?」
「さァな。ただ、血塗れで倒れてたってェことを考えりゃあ……」
「戦場にいた。……ということか」

マルコの視線に促されるようにしてビスタがポツリと呟いた。サッチは背凭れに背中を預けて両腕を組むと難しい表情を浮かべて頷いた。

「そっか……。だったらあの刀から血の臭いがしたのも頷けるな」

マルコは頬杖しながらサッチに視線を戻した。

「見たのか?」
「あー、その、見るからに上物だったんで興味を持っちまってなァ」

後頭部に手を当てて乾いた笑いを上げるサッチに「あんな上物は見たことがねェからな」とイゾウが続いて頷いた。

「へェ〜、そんなに凄い刀なんだ? 見てみたいなァ」
「剣を得物にするハルタやビスタも絶対に興味を引く代物だぜ」
「そうか、そんなに凄いものなのか」

サッチとイゾウがハルタとビスタに刀について語っている間、マルコは小さく溜息を吐いて視線を逸らした。

「――!」

視線を向けた先で顔を真っ赤にしている人物に気付いたマルコは思わずギョッとした。

「ぷはァッ! ヒック、んなもん、目ェ覚ましたんだから見せてもらやァ良いだろうが〜」
「ラクヨウ! お前ェ飲み過ぎだよい!」
「おー、シャクヤクの作る酒が美味くて気に入っちまってなァ! ガッハッハッ! おうハルタ! もっと飲め!」
「うあ! 酒臭い!!」
「ったく、何やってんだよい……」

酒豪の中の酒豪であるラクヨウがベロンベロンに酔っ払う姿にマルコはガクリと項垂れた。

ここは『ぼったくりBAR』である。例え旧知の仲であったとしても旧敵の女が経営するBARだ。後々どれだけ請求されるのか――。
本当なら飲むのを止めろと力付くで抑え付けたいところだが、酒に関したラクヨウを相手にそれは無駄な努力に終わることが殆どで、マルコは諦めにも似た境地で溜息を吐いた。
さて、請求金額は如何程か――。
場合によっては船長がキレる可能性だってあるだろう。それを必死に宥めてなんとかやり繰りして解決させる数日後の自分の姿が目に見えて浮かぶのだから、マルコの胸中に不安が重く伸し掛かるのは仕方が無いことだった。

暫く待っていると、レイリーとシャクヤクが一階へと戻って来た。全員が二人に視線を向けると、シャクヤクは首を左右に振り、レイリーは苦笑を浮かべた。

「また眠ったよ」
「そうかよい」
「今夜は遅いからここに泊まっていくと良い」
「おう、なら遠慮なくそうさせてもらうぜ!」
「我々も良い感じに酔いが回っていたからな、その申し出は有難い」

レイリーの言葉にサッチとビスタは喜んだ。イゾウも同意見なのかクツリと笑い、ハルタはラクヨウに飲まされて完全に出来上がってダウンし、ラクヨウもテーブルの上に突っ伏してイビキを掻いていた。

「はァ……、お言葉に甘えるとするよい」

額に手を当てて溜息を吐いたマルコは、二人に頭を下げて礼を言った。

「ハハ、白ひげ海賊団のNo.2となると大変だなァマルコ」
「ま、まァ、……ハハ……」

二人に笑われたマルコは引き攣った笑みを浮かべるのが精一杯だった。





時は夜――
腹部に鈍い痛みを感じながらベッドを降り立った橘は、立て掛けてあった愛刀と備え付けの机に置かれていた脇差を手に取った。そして、周りを警戒しながら窓から外を見ると飛び込んで来た光景に我が目を疑った。

辺りは暗いが周辺一帯の宙に浮かぶ丸い物体が作り出す光景はとても奇妙なもので、異国とは斯様に不思議な物体がそこここに飛んでいるものなのかと唖然とした。しかし、初めて見るこの景色に気圧されながらも早くここから逃げなければと両手で軽く頬を叩いて気持ちを切り替えた。

窓のカギを適当に弄り始めるとガチャッと何かが外れる音がして開けることができた。そうして、重く痛む身体をなんとか動かして窓から外へと飛び降りた。
着地の瞬間にズキンと痛みが走る。苦悶の表情を浮かべて片膝を突いた。だが、ここで蹲って倒れるわけにはいかない。

会津は落ちたのか?
日本はどうなった?
異敵は?

自分がどれだけの意識を失っていたのか定かでは無い。会津の戦以降の情勢が気掛かりで、ただそれだけの気持ちで懸命に意識を保っていた。

「どこに行くつもりだよい」
「!」

聞き慣れない声に振り向いた。そこには奇抜な髪形をした金色の髪に眠たげな目は青い瞳と厚ぼったい唇が特徴的。更に、鍛え抜かれた筋肉質な細身の身体に随分と背が高い男が立っていた。明らかに異国の人間だ。

「くっ!」

痛みを押して立ち上がる橘の元に異国の男が歩み寄って腕を掴んだ。

「無理するな。腹の傷が開くだろうが」
「……傷の手当てをしてくれたことは礼を言う。だが、私は異人の手に落ちるつもりは無い」
「イジン?」
「悪いが出て行かせてもらう」

キョトンとした表情を浮かべる男を他所に、橘は掴まれた腕を振り解こうとした。しかし、より強く掴まれる感触から、どうやら簡単には離してくれそうに無かった。

「行く宛はあるのか?」
「ッ……!」

ここがどこであるかなんて知りもしない。行く宛どころか帰る方法すらわかっていない。
橘は苦心しながら必死に考えたが、男の言葉に押し黙るしかなかった。しかし、それでも異人の手に掛かるぐらいならば一層の事、自らの腹を掻っ捌いて死んだ方がマシだと、そう思った。

「どうやらお前さんは、ちと面倒なところから来たようだな」
「!」

痛みのせいで意識が散漫になっているのか、もう一人いることに気付きもしなかった。
眠っている間に感が鈍ってしまったか……。
意識を取り戻した時に宥めてくれた男だ。警戒心を露わにする橘にその男は微笑を零した。

「傷に障るだろう。中に入ってゆっくりすると良い」

レイリーはそう言ったが橘は聞く耳を持たなかった。手負いとはいえ刀を手にして睨み付ける彼女は、とても女とは思えない程の威圧を感じた。

まるで手負いの猛獣だな。レイリーはそう思った。それは彼女の側にいるマルコも同じように感じ取ったのか、表情を険しく変えて鋭い眼差しを向けていた。
――それでは却って逆効果だろう。心内で苦笑したレイリーは、表向きでは至って穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

「まずは君の名前を教えてもらえないか?」
「……橘だ」
「タチバナ? 変わった名前だ」
「橘……、迅……」

レイリーは片眉を上げながら軽く首を傾げた。

「はて? どれが本当の名前かな」
「名前と言うなら迅がそうだ」

あまり話をしたくは無いのだろう。彼女は蕪村な態度で自分の名を答えた。だが、その名を聞いたマルコが眉を顰めた。

「ジン? 男みてェな名前だな」
「それは、……男だった故だ」

過去形を口にする彼女に、レイリーとマルコは互いに顔を見合わせてから視線を彼女に戻した。

「私は生来女として生まれた身ではあるが、理由《わけ》あって男として生きている。故に名が二つある。男であれば迅。女であれば……庚だ」
「成程。ならばタチバナというのはファミリーネームだな」
「その言葉が姓のことを指すのであればそうだ」

言葉は通じるものの『ファミリーネーム』という単語はわからないらしい。
これはイゾウの出身地であるワノ国の住人であればあり得る話で、刀を持っていたことから彼女がワノ国の人間であるとすれば何ら問題は無いのだが……。

「ならば、カノエと呼ばせてもらうことにしよう。今の君は女だからな」

レイリーはカノエの胸元に指を指して言った。

「……好きにしろ」

カノエは溜息を吐きながら顔を俯かせた。しかし、少ししてハッとした様子で顔を上げて二人を見る。それは驚きに満ちた表情でワナワナと震えている節さえある。急に酷く動揺し始める彼女――カノエに、レイリーとマルコは目を丸くした。

「どうした?」
「な、何故だ……。何故、言葉が通じる!?」
「は……? 急に何を言ってんだい……」
「お前達は異人だろう!? どうして日本語をッ……! うっ……」
「ああ、興奮するな。傷が癒えておらんのだ」

腹部に走った痛みにカノエは自由が効く手で咄嗟に押さえた。
少し目に涙が浮かんで視界が滲む。
ギリッと奥歯を噛み締めながら苦悶の表情を浮かべて足元がふらつき、耐え切れずに膝がカクンと折れて倒れそうになった。だが、地面に倒れるどころかフワリと身体が浮いた。

「無理して動くからだよい」
「ッ〜!?」

マルコがカノエの身体を支えると同時に横抱きにして抱えたからだ。日本人離れした目鼻立ちのはっきりした顔と、初めて見る青い瞳を間近に見たカノエは、動揺を通り越して恐怖心が芽生えて取り乱した。

「は、離せ!」
「おい、興奮するなって言われたろうがよい。何もしねェから大人しくしろ」
「異人に助けられるなど武士の恥! これなら腹を切って死んだ方がマシというものだ!!」

声を荒げるカノエに、レイリーとマルコは軽く驚いて小さく笑った。

「これはまた物騒なことを言う」
「全くだよい」

身体を捩ってマルコの腕から逃げようと試みるものの腹部に走る激痛で思うように身体を動かすことができない。

人質にするつもりか。だが私には人質にする程の価値など無い。ならばどうなるか……。
最悪の結果を想定した。人質としての価値を持たない女など不要。殺されるか、はたまた――。
すんなり殺してくれるのならまだ良い。しかし、日本人を『野蛮な猿』等と嘲笑する異人と言えども性処理の道具としてはなり得る。溜まった性の捌け口にされるだけの玩具として扱われる可能性は無いとは言えない。

 恥辱を味わうぐらいなら死を選ぶ

腹部の激痛など構わずに、カノエは思い切り身体を動かした。

「おい! 暴れるな! 傷が開いちまうだろうが!」

マルコの制止の声に耳を貸さずに、カノエは手にした刀を使って威嚇するように攻撃を繰り出した。

「くッ!」

マルコは堪らずカノエを放して攻撃を躱した。それと同時に、カノエは地を蹴って森へと逃げて行った。

「ハッハッハッ! してやられたなァマルコ!」
「笑って見てる場合か!?」
「あァ、そうだな。だが、あの怪我だ。そう遠くには逃げられんだろう」
「…ったく」

暢気に笑うレイリーを尻目に明らかに不満気な表情を浮かべたマルコは、カノエが逃げた後を追って森へと向かった。


〆栞
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