第二幕


意識が浮上すると途端に腹部に激痛が走った。涙が浮かんで視界がぼやける中、あまりにも静寂な見慣れない景色に戸惑った。

最後に記憶しているのは――

〜〜〜〜〜

激しい怒号が鳴り響いて土埃が舞う中、突撃して来る会津藩士達が次から次へと倒れていく姿を遠目に見ながら崖上に潜んでいた会津方の別働隊と戦っていた。
一人、また一人と斬り倒し、残るは二人となった時、追い詰められた一人が形振り構わず突進して来た。それを難無く躱した時、大きな銃声音と共に腹部に激痛が走った。もう一人が隠し持っていた銃で発砲し、その銃弾が腹部に当たったのだと悟った。だが、それでも倒れずに刀を握り締めて反撃を試みようとした。しかし、突進して来た男が衣服を掴んで自ら共に崖下へと飛び降りた。何とか逃れようとしたが、腹部の激痛に耐え切れずに引き摺り込まれるように崖下へと落ちた。そして――

「うあっ……あァァァッ!」
「目が覚めたか」
「な、なに……ッ!?」
「落ち着きなさい。暴れては傷が開く。ここに敵はいない。いいかね? 敵はいない」
「だ、誰だ!?」
「私の名はレイリーだ」
「れ…い……?」
「レイリーだ」
「い、異国の者か……?」
「何?」
「くっ…はっ……」

視界が霞み始めて意識が再び遠退いていく。

「彼女、目が覚めたの?」
「あァ、しかし、また眠ってしまったよ」
「あら……」

意識が薄れる中で微かに見えたのはもう一人の人物。変わった衣服と髪形をした女が部屋に入って来たところで――明らかに異人の姿だと否が応にも確信した。どうして異人の元に自分がいるのか等、疑問が沸く暇も無いままにあっさりと意識を手放した。

〜〜〜〜〜

記憶を呼び起こして身体を起こすと腹部の激痛でまた顔を顰めた。その時、ハッとした。

「ッ……!」

見たことが無い衣服に変わっていた。白地のシャツに白地のズボンという所謂病院の患者が着るような姿格好なのだが、彼にとってはただの異国の服でしかない。

「くっ、サラシまで……」

胸元を見れば女性にしか見られない特有の丸い膨らみがあって思わず舌打ちをした。しかし、今は身形など気にしている場合では無い。兎に角まずは自分の置かれた状況を把握し、異人の住まいと思われる此処から脱することを考えねばと気持ちを切り替えた。





彼女が目を覚ます数刻前のこと――
レイリーが散歩に出てから数十分ほど経った頃、シャクヤクが経営する『シャッキー'S ぼったくりBAR』の扉を開けて入って来るレイリーの姿があった。

「あら、早かったわね」
「いや、怪我人を見つけてな」
「怪我人?」

レイリーの背には変わった衣服を着た青年の姿があった。血と土に塗れて全身が酷く汚れていた。しかし、レイリーが青年をソファに寝かすと最初に目に付いたのはそんな汚れでは無く、腹部に負った傷が酷かったことだ。

「銃で撃たれたようだ。出血が酷い。急いで応急処置をせねば死ぬかもしれん」
「わかったわ」

レイリーは青年の腰に差してある鞘を引き抜き、青年が決して離そうとしなかった刀をその鞘に納めようとした。その時、刃がキラリと光を放った気がして目を細めた。

「なんとも……見事な刀よ。このような美しい刃文は見たことが無い」
「レイリー、刀に見惚れてないで彼の服を脱がさなきゃ。衛生にも悪いわよ」

シャクヤクが部屋に戻るなり溜息混じりにそう言うとレイリーはハッと我に返った。そうして漸く刀を鞘に納めてその辺に立て掛けた。
さて――と、青年の衣服に手を伸ばしたレイリーだったが、赤黒く汚れたそれは血であることに変わりは無いが、青年自身の傷により染まったものだけでは無いことに気が付いた。

「凄い血ね。でも、彼の血だけじゃあ無いわね」
「あァ、色味や固まり具合からしても大分時間が経った血だ」
「――と、考えてる間は無いわ。早く処置しなきゃ」
「もうこの服は着れんな。代わりの衣服がいる」
「ワノ国の着物なんて無いけど……」
「適当なもので構わんだろう」
「あら……?」

シャクヤクが出血の酷い腹部を処置しながら身体を拭った時、尚もおかしいことに気付いた。身体に巻かれているものは怪我をした為に包帯を巻いているのだと思っていたがそうでは無いようで、ただのサラシであることがわかった。サラシを緩めて外すと女特有の丸みのある乳房が露わになってシャクヤクは目を丸くした。

「シャクヤク、どうした?」

代わりとなる衣服を手にして戻って来たレイリーが、手を止めて固まっているシャクヤクに声を掛けた。

「この子……、女性だわ」
「なんだと?」

レイリーがシャクヤク越しに視線を寄越した。そこには決して男には無い女特有の乳房が確かにあった。

「……」

なんとも魅力的に写るそれにレイリーは思わず凝視した。

「ちょっとレイリー! 見惚れてないで布でも何でもいいから掛けて!」
「あ、あァ、すまん!」

シャクヤクの声に軽くビクついたレイリーは、戸惑いながら上掛けとなるシーツを彼女の上半身を隠すように掛けた。

――まさか女とはな。

だが、そうこうしている間にも彼女の顔色は益々血の気が引いて状態が悪化していった。

「いかんな」

ここでは十分な医術を施すことができない。ましてやレイリーもシャクヤクも医者では無い為、ここまでの重傷者を助けるには限界があった。
そんな時だった。
バーの扉が開けられる際に鳴る鐘の音が僅かに聞こえた。シャクヤクに処置を任せて店へと顔を出したレイリーは、やって来た男を見るなり目を丸くした。

「おや、珍しい客だな」
「近くに寄ったんで挨拶にな」

やって来たのは白ひげ海賊団の1番隊隊長である不死鳥マルコだ。レイリーの言葉を受けたマルコは片眉を上げた笑みを浮かべてカウンターへと歩み寄った。

「マルコ、白ひげの船は近くにあるか?」
「あるよい」
「そうか、丁度良かった」

レイリーはそう言うと店の奥へ来るようにマルコに言った。

「どうしたよい?」

何か深刻な事でもあるのか、旧敵となる部下に頼み事とは珍しい――と、マルコは少し首を傾げつつレイリーに促されるまま奥の部屋へと入った。

「この子を助けてやってくれんか?」
「こいつは誰だ? あんたの元部下か何かってところか?」
「いや、今朝方散歩をしていたら血塗れで倒れているところを発見してね。まだその時は多少意識があったんだが怪我が酷くてな。すまないが、治療してやってもらえないだろうか?」
「かなり状態が悪いみてェだが……、わかったよい」

マルコはソファに横たわる彼女を抱え上げた。

「ああ、あとこれもだ」
「刀?」
「彼女のだ」

レイリーは立て掛けていた刀をマルコに差し出した。

「へェ……、こりゃあまた上物だよい」

漆黒の鞘に刀身を納めていても並の刀では無いことがわかる。

「あァ、これ程の刀は私も見たことが無い」
「ちょっとお二人さん、刀の話は後よ。早くしなきゃ……本当に死んじゃうわよ?」

呆れながらも物騒な言葉を投げつけるシャクヤクに、レイリーとマルコはハッと我に返ると引き攣った笑みを浮かべた。

「あ、あァ、急ぐよい」

抱えた彼女を背負ったマルコは不死鳥と化して刀を嘴で受け取ると颯爽と空へと舞い上がった。

「さて、回復した後に話を聞いてみたいものだが……」
「フフ、綺麗なお顔してたものねェ。あなた好みかしら?」
「コホンッ! あー、待ってるのも何だから私は散歩の続きをして来よう」
「あらそう? いってらっしゃい」

なんとなく居た堪れなくなったレイリーは再び外出し、シャクヤクは店の中へと戻った。

「あら、これは……」

床に別の刀が転がっていることに気付いた。レイリーが見惚れていた刀に比べると短いが、これも中々の優れもののように見受けた。更に、この刀と共に落ちていた小さな袋を拾い上げた。ワノ国特有の模様が施された青い生地に金糸で編み込まれた『御守』という文字が刻まれていた。彼女の衣服を脱がした時に紛れ込んで落としたのだろう。気も急いていた為、短い刀すら落としたことに気付きもしなかっただなんて――と、シャクヤクはクスリと笑い、これらを大事に預かっておくことにした。





マルコはモビー・ディック号の甲板へ降り立つと同時に人へと姿を変えた。甲板上で目を丸くしていたサッチに有無も言わせずに刀を預け、船医室へ急いで彼女を運ぶと彼女の状態を見た途端に船医とナースが慌ただしく動いた。

「おれに何か」
「いや、見習いは邪魔だ」
「マルコ隊長、少し外でお待ち頂けますか?」
「――ッ……」

婦長の笑顔に気圧されたマルコは苦笑を浮かべた。

「あー、処置が終わったら呼んでくれ。おれはオヤジのところに行ってるからよい」

マルコはそう言って船医室から出ていった。

「こりゃあ酷いな。まずは血液型を調べて輸血の準備だ。急げ!」
「はい!」
「うーむ、これは銃痕か? 弾は……、あァ、貫通していないな。手術をせねばならん。エミリア婦長、助手を頼む」
「わかりました」
「ナキムさん! 血液型はX型です!」
「X型の血液パックならこの間採血したばかりだな」
「えェ、マルコ隊長からたっぷり頂いてますわ」

エミリアがクツリと笑うとナキム《船医》はヒクリと頬を引き攣らせた。

―― 成程。だから珍しく貧血気味で足をふら付かせておったのか。

”この間”、偶々廊下で見掛けたマルコの様子がおかしかったことを覚えていたナキムは、その理由がわかったと同時に少し同情した。婦長であるエミリアに逆らえる者はこの船にまずいないからなァ等と、暢気に思っている間にも手術の準備が整えられた。

「ナキム船医、執刀を」
「う、うむ。猶予は無い。エミリア、急ぐぞ」
「えェ」

船医室は一気に緊迫した空気へと変わっていった。
一方、甲板にいるサッチは、マルコから預かった刀をマジマジと見つめていた。船内から出て来たイゾウがそんなサッチに気付き、サッチが手にしている刀を見るなり目を細めて歩み寄った。

「サッチ、その刀はどうした?」
「あ、あァ、イゾウか。いや、マルコに預かってろって言われてよう。怪我した奴を背負ってたから、多分そいつの持ち物かと思うんだけど……」

サッチはそう言うと刀の柄を握って刀身を引き抜いた。その途端、姿を現した刀身に二人して目を奪われた。
刀身に三日月形の打除け(うちのけ、刃文の一種)が数多くみられ、見事な輝きを放っている。

「こりゃあまた見事な刀だな……」

滅多にお目に掛かれないものだとばかりにイゾウが珍しく食い入るように見つめた。

「この刀、凄ェわ」
「あァ、その辺の刀とは比べ物にならん上物だ」
「手に凄ェ馴染むっていうか……、けどよ」

刀身を見つめながら険しい表情へと変えるサッチにイゾウは片眉を上げた。

「けど……なんだ?」

確かに、滅多にお目に掛かれない上物の刀かもしれない。だが、血の臭いがする。それも一人や二人じゃない――。

「こいつは、相当な数の人間を斬ってやがる」
「わかるのか?」
「おれっちも一応剣を扱う人間だからな。けど、数が異常だぜ。血の臭いがプンプンしやがる」
「そうか……。なら、マルコが運んできた怪我人ってェのは相当ヤバい奴かもしれねェってことだな」

イゾウは煙管を口にして紫煙を吐き、サッチは無言で刀を鞘に収めた。

―― ヤバい奴か……。マルコなら気付いてっかもしれねェけど、一応警告しておいた方が良いかもな。

サッチは刀を持って船内へと入る階段へと向かった。

「サッチ、どこへ行く気だ?」
「船医室。こいつをずっと持ってるのもなんだか気が引けっからよ」
「クク……、案外神経質なんだな」
「こんぐらい神経質じゃなきゃコックやってねェっての! 丁度良いくらいだ」
「あァ、そうだな。管理を徹底してなきゃならねェ大事な仕事だ」
「そう思ってンなら日頃から感謝しろってんだよ」

サッチが口を尖らせてそう言うとイゾウは肩を竦めた。

「女に対しても神経質であれば申し分無いが――」
「女は別だってェの」

サッチは手をヒラヒラさせながら船内へと姿を消した。
その背中を見送ったイゾウは、煙管を口に含んで紫煙を吐くと表情を消して物思に耽る。

―― あんな上物、ワノ国でも見たことがねェ代物だ。

イゾウは、煙管を欄干に当てて灰を海へと落とした。そうして再び船内へと戻って行く。警戒心を強く持った眼差しへと変えて……。





彼女が運び込まれてから数時間が経った頃、慌しかった船医室には静寂の時が流れ、船医室の長であるナキムは婦長であるエミリアを伴い、手術の報告を兼ねて船長室を訪れていた。

「容体は安定したよ」
「グララララッ! そうか、そりゃあ良かった」
「しかし、船の上にいるよりは安定した陸地で休ませる必要があるかと」
「あァ、そうか。マルコ、レイリーの元に連れて行ってやれ」
「あの冥王が頼むぐらいだから興味があるって言ってたってェのに、良いのかよい?」
「グララララッ! 暫くはここに停泊するんだ。出港まで時間もある。それまでには意識も回復するだろうからなァ、いくらでも話は出来るだろうぜ」

レイリーからの頼みが余程愉快だったようで、船長である白ひげは実に楽し気だ。

「手術を終えた所だってェのに、動かしても大丈夫なのか?」
「えェ、ゆっくり運んでくれれば大丈夫よ」
「ん、ならレイリーの所に連れて行くとするよい」

マルコは婦長と共に船長室を出て行った。その場に残ったナキムは、白ひげに向き直すと真剣な表情に変えた。白ひげは片眉を上げた。

「どうした?」
「腹部に銃痕があってな、貫通していないようだったから弾を取ったんだが……」

ナキムはそう言ってその弾を白ひげに見せた。

「こりゃあ……、あんまり見たことがねェ形状してやがるな」
「銃に詳しいわけでは無いが、兎に角珍しい形状した弾だと思って一応な。船長に預けておくよ」
「あァ、わかった」

ナキムは弾を渡すと船長室を後にした。そして、船医室に向かう途中でサッチと出くわした。

「あ、ナキムがここにいるってェことは、無事に治療が終わったんだな?」
「あァ、そうじゃが……」

ナキムはサッチが持っている刀が気になってじっと見つめた。

「えらく立派な刀を持っておるな」
「あァ、こいつはマルコが運んで来た奴の刀だ」
「なんじゃと? ちょっと」
「お、マルコ!」
「――ッ……」

刀をもっとよく見せて欲しいとナキムは言おうとした。だが、船医室から出て来たマルコに気付いたサッチの声に阻まれ、刀へ伸ばした手をピタリと止めて引っ込めた。

「あれ? なんでまた背負ってんだ?」

キョトンとして首を傾げるサッチに対してマルコは片眉を上げるとクイッと顎を動かした。

「サッチ、その刀を寄こせ」
「お、おう」

サッチはマルコに刀を手渡すとマルコの背中で未だに眠る例の怪我人に視線を向けた。

―― んー……?

運び込まれて来た時はわからなかったが、間近で見ると黒い髪がとても映える程に肌が白くて、睫毛は長く、血色を取り戻しつつある唇は妙に色っぽくて――サッチは思わずドキッと心臓が跳ねるのを感じた。

―― ひょっとして女……?

マルコの後ろをついて行くサッチはゴクリと唾を飲み込んだ。そして、彼女をジロジロと見つめている内に少しだけ鼻の下を伸ばした。

見れば見る程、男の体格とは程遠く、女であることがわかる。
背負っているマルコと対比すれば尚更そうであると確信する。

―― 刀に負けず劣らず上物じゃねェか。

女好きで知られるサッチの下心が芽生え始めたことを知る由も無いマルコは、甲板に出ると「じゃあ、行って来るよい」と言って不死鳥と化して再び空へと舞い上がった。





シャッキー'S ぼったくりBARに着いたマルコは、先程散歩から戻っていたレイリーに船医と婦長から預かったメモを渡した。
レイリーはそのメモに書かれた内容に目を通して笑みを浮かべる。

「わざわざすまんなマルコ」
「これぐらい構わねェよい」
「シャクヤク、二階の客室は使えるか?」
「えェ、ちゃんと掃除してあるからいつでも使えるようになってるわよ」
「だそうだ。ついでにこのまま彼女を二階に運んでくれるか?」
「わかったよい」

シャクヤクは奥の廊下にある階段を上った先の客室へとマルコを案内した。
少し大きめのシングルベッドに備え付けの机があるだけの簡素な様相ではあったが、窓から覗く外の景色のおかげもあって、なかなか良い部屋だ。
マルコは部屋に入ると背負っていた彼女をゆっくりとベッドに下ろして寝かした。

「じゃあ、おれは船に」
「あら、飲んでいきなさいよ」
「――ッ! い、いや、一応オヤジに報告しねェとならねェし!」
「律儀ねェ〜」
「ハハハ、流石は一番隊隊長様といったところか。相変わらずお堅い性分をしているな」

シャクヤクとレイリーの二人に対して上手く断る術を持たないマルコは、苦い表情を浮かべた。そして、ガシガシと頭を掻いて溜息を吐くとコクリと頷いた。

「なら、ちょっとだけ貰って行くよい……」
「フフ、お土産も持たせてあげなきゃね」

静かに眠る彼女を部屋に残して、三人はBARである一階へと移動した。


〆栞
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