第十三幕


ドラホスラフが死に際に残した言葉の意味。それを知るや否やカノエは駆け出した。

「待てカノエ!!」

ビスタが呼び止めるもカノエの耳には届いていない。

何故だ……! 女の身でありながら何故!

何かに心が押し潰されるように胸が苦しい。しかし、今はそれに思考を回す余裕は無く、森を、そして町を、疾風の如く駆け抜けた。
酒場の扉を勢い良く開けて飛び込んだカノエに、白ひげ海賊団の隊員達や隊長達が驚いて一斉に視線を向けた。

「はァはァ……ま、マルコ殿は?」
「マルコはカノエの後を追って出て行ったきりだ」

イゾウが答えると「それよりカノエ――」と言葉を続けようとしたのだが、呼吸を荒くしたままカノエは首を振った。

「すみません、今はちょっと……。話は船に戻って聞きますから」

そう言ってカノエは急いで酒場から出て行った。

「自分が狙われてるってェのに、何でマルコなんかを……?」

サッチが女を侍らしながら首を傾げていると、イゾウは煙管を咥えてクツリと笑った。

「そろそろ自分の気持ちに正直になる頃合いってところかもしれねェな」
「んー、何だって?」

片眉を上げるサッチを尻目に、何でもねェ、とイゾウは視線を酒場の出入口に向けた。

「カノエが戻って来たってことはビスタも戻って来るな」

イゾウの言葉に窓から外を見たハルタが「あ、本当だ」と答えた。ビスタが酒場へと戻って来ると、ハルタが軽く手を挙げて「お帰りビスタ」と声を掛けた。だがビスタはカノエを探す様に辺りを見回して返事どころでは無く、代わりにカノエの行方を訊ねた。

「さっき出て行ったよ」
「――……そうか」

ハルタの返事に溜息を吐いたビスタは、シルクハットの鍔を摘まんで深く被り直すと空いた席にドサリと腰を下ろした。

「ビスタ」

イゾウが声を掛けるとビスタはゆっくりと顔を上げた。周りには隊長達が真剣な眼差しを向けて耳を傾けている。その時は流石にサッチも「悪ィな」と娼婦達に告げて席を外させた。

カノエの後を追って何があったのか――。

ビスタはドラホスラフという名の賞金稼ぎの名を口にした。すると、その名を耳にしたサッチが「あー……」と納得した表情を浮かべながら声を漏らした。隊長達の視線が一斉にサッチに向くとサッチは苦笑を浮かべた。

「カノエちゃんがマルコを探して戻って来たのはそういうことね」
「あァ……」
「え、何? どういうこと?」
「わかるように説明しねェか!」

サッチとビスタの二人だけが納得するように頷き合うとハルタやラクヨウが不満気な表情を浮かべて抗議した。
その傍でイゾウは黙ったままプカプカと紫煙を吐いた。

成程ねェ……。賞金稼ぎの兄を持った妹は所謂恋敵で、恐らくその妹も兄と同じ――といったところだろう。カノエの急を要した様子を鑑みれば納得できる、とイゾウは思った。

「ふァんふァんふァふぃっふァい?(何なんだ一体?)」

エースは未だにガツガツと食べながら話について行けずに首を傾げた。そして――ガシャンッ!――と、突然大きな音が響いた。
犯人は勿論エースだ。
料理に顔面から突っ伏して眠っている。しかし、もう慣れた光景であった為に誰も反応しないまま放置されるのだった。





ジェナに連れられたマルコは、とある家の一室にいた。

〜〜〜〜〜

「渡したいものがあるの。あなたの為に買ったものだからせめて受け取ってくれないかしら」

〜〜〜〜〜

ここで待っててと言われてリビングにあるソファに腰を下ろして待っているのだが、今はカノエの所在が気になって仕方が無いマルコはどうにも落ち着きが無く、苛立ち紛れに片足を揺すっている。

ここは以前に何度も来たことのあるジェナの家だ。内装は依然と然して変わらないままだ。そして、今腰掛けているソファには――と、マルコは深い溜息を吐いてジェナを抱いた過去の記憶を振り払う様に首を振って立ち上がった。
手入れされた小さな庭を望める窓辺に立って外を眺めているとドアが開く音がして振り向いた。
ジェナだ。後ろ手に何かを持っているようだが、渡したいものがあると言っていた代物だろう。
それを受け取ったらカノエの情報を聞き出して早々に立ち去る――つもりでいるのだが、マルコの胸中には釈然としないものがあった。意中の相手から他に想い人がいるのだと聞かされて、こうもあっさり身を引けるのか――と。

「これよ」
「……開けても良いかい?」
「えェ、どうぞ」

多少警戒しつつも差し出された代物を受け取ったマルコは箱の中を見た。

「……!」

編み込みデザインのシルバーアンクレットだ。視線をジェナに戻すとジェナは寂し気な笑みを零した。

「いらなかったら捨てて良いから」

ジェナはそう言うとマルコに背を向けた。ひょっとしたら――と、ジェナを警戒したことにマルコは多少の罪悪感を抱いた。
ジェナに期待を持たせてしまった自分の方が悪いのだ、と申し訳無い気持ちを胸にマルコはシルバーアンクレットを手に取った。

「!?」

突然ガクンと力が抜け落ちる感覚に襲われ、手にしたシルバーアンクレットを咄嗟に放した。
マルコがカツンッと音を発して転がるシルバーアンクレットに目を奪われていると、まるでそれが合図だったかのようにジェナが動いた。

ガチャンッ――!

ジェナから距離を取ろうとしたマルコの右腕に錠が嵌められた。

こいつはッ、海楼石……!

全身からガクンと力が抜け落ちたマルコは地面にドサリと尻餅を着いた。ギリッと歯を食い縛りながら身体を動かそうと試みるマルコの前に影が現れて顔を上げた。

「ふふ、私からの贈り物は気に入ってくれたかしら?」
「てめェ……」

マルコが忌々し気な表情を浮かべながら睨み付けるとジェナは妖艶な笑みを浮かべてマルコの胸をトンッと押した。

「ッ……!」

か細い女の手で意図も簡単に地面に押し倒される屈辱に、マルコは苦々しく顔を歪めて舌打ちした。
ジェナに警戒した自分を恥じて謝った自分は大間違いで、ひょっとしたらと警戒した自分の方が正しかった。
少しでもジェナを哀れに思って警戒を緩めた自分にクソッたれ!と胸中で悪態吐く。

「マルコ……」
「!」

マルコの上に跨り愛し気に手を伸ばしてマルコの頬に触れたジェナは、赤く熟れた舌を出して自分の唇を妖艶に舐めて笑みを浮かべる。

「好きよ」
「おれは――」

ジェナは言わせないとばかりにマルコの口を塞ぐように唇を重ねた。

クソッ…、力が出ねェ……。

執拗に深く重ねたまま角度を変えてキスをして来るジェナから逃れたくても海楼石のせいでどうにもできない。
舌を絡めて互いの唾液が入り交じる音が耳に届き、マルコは不快感で顔を歪めた。
チュッとリップ音を鳴らして漸く解放される――が、二人の間に銀糸が繋がってプツッと切れるのが視界に映った。

「ッ……」

何とか腕を動かして口元を拭うマルコにジェナは「酷いわね」と笑い、その腕を掴んでどかせるとマルコの首筋に顔を埋めてキスをしながら舐め上げた。それにゾクリとした感覚がマルコの背中を襲った。

「ジェナッ……!」
「欲しいものはどんな手を使ってでも奪う。あなただってそうでしょう?」

ジェナはマルコの耳元で囁くとリップ音を聞かせるようにチュッチュッと何度も耳にキスを繰り返した。
抵抗一つできずにされるがままのマルコに気を良くしたジェナは、自ら衣服を脱いで下着姿になるとマルコの上着に手を掛けて脱がしに掛かった。

「ハ…、相変わらずッ、手際が良い」
「ふふ、相変わらず素敵な身体ね」

マルコの鍛え抜かれた身体をうっとりと見つめて筋肉の筋を人差し指でツッ…と辿るように動かし、上体を倒して胸筋から腹筋へと手を這わせながらキスをしていく。
どこをどうすれば感じるのかは、重ねた経験があるお互いの身体がよく覚えている。
不本意ながらジェナの愛撫に否が応にも身体が反応してしまうことに、マルコは腑が煮え繰り返る思いで一杯だった。

「ふふ、あなたの意志は嫌でも身体は正直ね」
「五月蝿ェ……」
「こうしてる間にも私の方も……」

ジェナはそう言って自らの手で自身の股間に触れて笑った。

「そりゃ、年中、だろうよい……」
「あら、酷いわね」

マルコが今できる可能な限りの抵抗は悪態を吐くことだけ。それを理解しているジェナは酷いと言いながらも全く傷付いていない。微笑を浮かべたまま肩に掛かる髪の毛を払い除けるとそのまま両手を背中に回した。
咄嗟に顔を明後日の方へと向けるマルコを見下ろしながらジェナはホックを外した。肩紐がスルリと落ちてマルコの腹の上にブラがパサリと落ち、豊満な胸が露わになると再びマルコの手を取って誘導して触れさせた。

「ッ……」

指先に触れる突起にマルコは苦りきった表情を浮かべる。既にジェナの胸の先端に色付く突起が顔を出していることを、顔を背けたままでいるマルコに教えるかのようにわざと触らせる。
はァ……、と熱く艶めいた吐息を聞かせるように漏らしたジェナがマルコの耳元にそっと唇を寄せて囁く。

「ねェ……、ここが弱いの……、知ってるでしょう?」
「根っからの娼婦が……」
「あなたにだけよ」
「嬉しくねェ……」
「嘘ね。身体は喜んでるもの」
「ッ……」

ジェナに言われなくてもマルコは自分の身体に情欲の熱が発していることを否が応にも理解していた。
カノエと出会ってからは己の欲を発散させる為の行為を一切断っている。前回いつ発散したかも覚えていない程に随分とご無沙汰しているのだ。その為か、身体は意志に反してジェナの誘惑にあまりにも素直に反応して情欲に溺れてくれる。

「彼……いいえ、彼女だったわね」
「!」
「まだ生きてると良いわね」

ジェナの言葉に目を丸くしたマルコは背けていた顔をジェナへと向けた。

「やっとこっちに向いてくれたわね」
「お前がッ、カノエを、賞金稼ぎの野郎の元に!」
「えェ、誘うように頼まれたもの。私、これでも兄想いなの」
「何故だ……」
「?」
「何故、カノエだけを狙う」

マルコの問いにジェナは目を細めた。

「多くの賞金稼ぎに襲わせれば『天剣の人斬り』と呼ばれる理由や実力がわかるでしょう?」
「な……!?」
「強敵程倒し甲斐があるじゃない。今頃は必死で戦ってるんじゃないかしら」

クスクスと笑うジェナにマルコは殺意すら滲ませて睨み付けた。

「お前ェら兄妹、このままただで済むと思うなよい!」
「ふふ……、白ひげ海賊団の身内に手を出したことになるものね」

何もかもわかっているような口ぶりで言うジェナに眉をピクンと動かしたマルコは訝し気な表情を浮かべた。するとジェナがマルコの耳元で囁いた。

「サッチ隊長に私を尾行させたのはあなたでしょう?」
「!」

マルコは目を丸くした。

あの時、おれの気配に気付いてたってことか? ジェナはただの娼婦じゃねェ……、そういうことか? 兄が賞金稼ぎなら妹は――そう考えた至った瞬間にハッとした。

「好きよ、マルコ」
「ッ、」

再び唇が重ねられる。角度を変えて深まって行く口付け。その内にジェナの手がマルコの首筋から胸を辿り腰に触れてそのまま下へと移動しマルコの腰に巻いてあるサッシュを解いて床へと落とした。
マルコは力が入らない腕を懸命に動かしてジェナのその手を掴んだ。

「強情ね」
「ハッ…、てめェを好んで抱いたのがおれの人生最大の失態だよい」
「ふふ」

睨み付けるマルコから視線を逸らしたジェナは自由の利く手を口元に当てて小さく笑った。

マルコ……、あなたは私のもの。誰にも、渡さない。自分が欲しいと思ったものは何が何でも手に入れる。そして自分のものは決して誰にも渡さない。例え好いた男に嫌われようとも誰かに奪われるくらいなら――

許さない。
絶対に、逃がさない。
不死鳥マルコは私だけのもの。

「私はね、とっても我儘で強欲な女なの」

上体を倒して豊満な胸をマルコの胸板に押し付けて抱き付いたジェナは、マルコの首筋に頬を寄せてうっとりとした表情を一瞬だけ浮かべると自由の利く手を腰に回した。

何をする気で……――ッ!?

視界の端にキラリと光るものを捉えたマルコは目を丸くした。鋭利な刃がそこにあった。ジェナが身体を起こして小型のダガーの刃先をマルコの胸に突き付ける。
あの時、ほんの一瞬だけ見えたジェナの表情は決して見間違いでは無かった。表情を消して冷酷な眼差しで見つめるジェナにマルコは息を呑んだ。

「私がどんなに想いを馳せてもあなたは決して振り向いてくれない。何も無いまま去ってしまう」
「ジェナッ……!」
「それなら一層の事、ここであなたを殺してしまった方が良い。賞金稼ぎとして、不死鳥マルコを殺した女として――」
「!」
「あなたの特別な女として、あなたの名を背負っていく。これから先もずっと……」

ダガーを上に振り上げたジェナは叫ぶ。

「不死鳥マルコ! あなたの名も命も全て、全て! 私のものよ!」

マルコの胸に突き刺そうと刃を振り下ろした。

「クソッ!」

こんなふざけた死に様とは……、情けねェ!
痛みの衝撃に備えることぐらいしかできないマルコはギュッと目を瞑って歯を食い縛った。


〆栞
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