第十二幕


カノエの目の前に鬱蒼とした森が広がっている。月明りを遮るここは暗く、月が雲に隠れると暗闇が一層深くなる。
――岬に向かうこの道の途中にある森の中に広場があるのだけど、そこにあなたを連れて来いと脅されたの――ジェナの話を受けて、カノエは森の中へと入って突き進んだ。そうして開けた場所へと出て周りを見渡した。

「ここか……」

森に囲まれたそこは木々が少なく夜空を望めた。雲から顔を出した月明かりに照らされて幾分か視界が開ける。
カノエが広場の中央に立った時、ガサガサと葉擦れの音が大きく鳴ると共にパキッパキッと枝を踏み折るような音が響いた。暗闇が広がる森の中、武器を手に殺気立つ者達がカノエの四方を囲むようにして次々に姿を現した。

「天剣の人斬りタチバナ・ジン。漆黒の髪と瞳。ワノ国の出で立ちに上物の刀。間違い無ェ、こいつだ」

賞金首リストを手にした男がカノエの容姿をチラチラと見ながら確認するように言うと、周囲の者達はニヤリと笑みを浮かべた。その一方、カノエは人数を把握しようとぐるりと見回し、リーダー格と思われる男を捉え見定める。

この者達は何故……?

リーダー格の男を正面に据えて半身の態勢を取りながら、どうしてジェナを脅すようなことをするのか、カノエの脳裏に疑念が過った。斬るべきか否か――覚悟をしたはずだが、その胸中には未だ迷いがあった。
丁度その頃――。
姿を晦ましたカノエを探していたマルコは、岬へと向かう通りの向こうから歩いて来るジェナに気付いて足を止めた。ジェナもまたマルコに気付くと表情をパッと明るくして「マルコ!」と嬉しそうに駆け寄った。そんなジェナとは対照的に表情を険しくしたマルコはジェナを睨み付けた。それにジェナはマルコに触れようと伸ばした手を寸前で止めて引っ込めた。

「な、何、どうしたの? 今日はいつにも増して不機嫌みたいね」
「ジェナ、てめェ……、何を企んでやがる」
「……」

マルコの問いにジェナは眉をピクリと動かし目を細めた。

「企むだなんて……、人聞きの悪い」
「妙な男と結託してカノエの命を狙ってんのは知ってんだよい」

そう……、と小さく呟いたジェナはマルコから視線を外した。ジェナにとっては秘密事のはずだが、それをマルコが知っているとしても然して驚く素振りも無い。
こいつ……、とマルコは眉を顰めた。端から秘密が漏れることなど最初から把握していたかのような――そんな風に思えた。

「カノエ……ね。わざわざ偽名を使うだなんて、余程悪いことでもしたのかしら?」

ジェナがクスッと笑ってそう言うとマルコの眼光が鋭くなった。その反応にふぅっと小さく息を吐いたジェナは視線を落とした。

「大切なのね……」
「てめェには関係ねェ」

マルコがジェナの横を通り過ぎようとした時、「探してるのでしょう?」とジェナは言った。

「!」

思わぬ言葉にピタリと足を止めたマルコは勢い良く振り向いてジェナの肩を咄嗟に掴んだ。

「どこに行った!?」
「彼、凄く優しい人ね。全く海賊らしくない」
「ジェナ! 答えろ!」
「ふふ、教えて欲しい?」

ジェナはマルコの頬にフワリと右手を添えた。

「少しで良いわ」
「何……?」
「今から少しだけ私に付き合ってくれたら全部話してあげる」
「てめェ……」

妖艶な笑みを浮かべるジェナにマルコはギリッと歯を食い縛った。

「あら、あなたの大事な義弟は新人だとしても強いんでしょう? いきなり一億ベリーもの賞金額が付けられる程だもの」
「!」
「天剣の人斬りタチバナ・ジン。どうしてジンって呼ばないのかしらって思ったけど、偽名で呼んであげなきゃ人斬りって直ぐにバレちゃうものね」

左手をマルコの胸元に添えて抱いてよと言わんばかりにジェナが密着すると、マルコは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて思わず舌打ちした。頬に添えられていたジェナの右手がふっと離れた――かと思ったら、その指先がマルコの唇に軽く触れた。

「女に舌打ちだなんて……ふふ、海賊だもの、仕方が無いわよね」
「酒の相手をすりゃあ良いのか?」
「まさか! 私が何を欲していたのか知ってる癖に」
「ッ……」

楽し気に笑うジェナにマルコは不機嫌に視線を外した。
クソッ、しつこい女だ!と胸中でそう悪態を吐いていると、ジェナがマルコの腕に自身の腕を絡めた。

「彼もきっと今頃は楽しんでるわよ」
「おい、あいつは――」
「言ったでしょう? 彼は凄く実直で優しい人って。そんな彼を狙わない子がいると思って?」
「――ッ……!」
「ふふ、散歩するみたいに言ってたけど、今頃は良い雰囲気になって楽しんでるかもね」

流石は娼婦。手慣れた手付きと動き、そして妖艶な笑み。絡まる腕を引き離そうとしてもなかなか外せない。

「お前ェはまるで人を誑かす天才だよい」

右手を額に当てながらマルコは溜息混じりに言った。

「誑かすだなんて……、あなたにはしないわよ」
「何でおれにそこまで拘んだよい」
「好きだからに決まってるじゃない」
「……」
「愛しいの。あなたが私を選んで抱いてくれた時からずっと……。ねェ、今夜こそ抱いて」
「勘違いするなよい。おれは好きで抱いてたわけじゃ無ェ」
「知ってる。あなたはただ性の捌け口に私を選んだだけ。でも相性が良かったから毎晩抱いてくれたんでしょう?」
「ッ……」

ジェナの言葉にマルコは押し黙った。もどかしい気持ちで苛々が募り奥歯をギリッと強く噛み締めた。
もし過去に戻れるなら今直ぐにでも戻って、おれ自身を蹴り殺してやりてェ……。
とんだ女を選んだものだと今更自己反省しても遅い。

「ふふ、欲しい情報があるのなら交換条件を飲んでくれなきゃあげないわよ。こういうのは海賊と娼婦の間ではよくある話じゃなくて?」
「ジェナ、おれは恋愛感情なんてもんは無ェ。それでも――」
「お金なんていらない。私はあなたが欲しいのマルコ。情報が欲しいなら私を抱いて。これが条件よ」

余程大事らしい義弟ジンの情報を条件に出せば必ず飲んでくれる、とジェナは自信を持っていた。嫌々ながらも――わかった……――と、そう答えてくれるものだと。
マルコは眉間に軽く触れて溜息を吐いた。

「一つ違う」
「え……?」
「間違ってんだ」
「な、何を?」

予想に反した言葉を投げ掛けられたジェナは戸惑いがちにマルコを見上げた。目が合うと不機嫌な顔をしていたマルコが片眉と口角を上げた笑みを浮かべた。それにジェナは目を丸くした。

「カノエ……、いや、ジンは娼婦と寝たりはしねェよい」
「どうして? 彼も男なのよ?」

おかしなことを言うのね、とばかりに笑うジェナにマルコは首を振った。

「同性愛なんてあいつの趣味には無ェからよい」
「ふふ、同性……え?」

ジェナは笑うのを止めた。

「待って……。それって――」
「あいつは女だ」
「――!」

天剣の人斬りであるタチバナジンの名前が偽名で、本当の名前はカノエであり、そればかりか男では無く実は女である――等、これらの情報は本来ならば秘密にしておくべきことだ。しかし、娼婦とお楽しみのところを邪魔すべきでは無いとするジェナの言葉を看過することが、マルコにはどうしてもできなかった。
ジェナの表情から笑みが消えた。そして、マルコの左腕に絡めていた腕を離した。

「マルコ……、まさか……」

声音を震わせるジェナにマルコは目を細めた。

「おれにとってカノエはただの”義妹”じゃねェんだよい」
「!」

マルコの言葉にジェナは泣きそうな表情を浮かべた。

「それは……好きってこと……?」

声を震わせるジェナにマルコは微笑を浮かべた。そうだと答えるわけでも無く頷くでも無い。だがその笑みが意味することは――。
直ぐに微笑を消したマルコは「だから、抱くことはしねェ。付き合うのはそれ以外でだ。それがおれからの条件だ」と言った。
唐突に突き付けられた現実にジェナは俯いた。
――……――…さない――
震える両手をギュッと握り締めて唇を噛み締める。

「ジェナ」

マルコが呼び掛けるとジェナは「わかったわ」と小さく返事した。

「ついて来て」

ふいっと顔を背けてジェナは歩き出した。その時にほんの一瞬だけ見えたジェナの表情に、マルコは僅かに瞠目して眉を顰めた。

何だ……?

背中にゾクリと悪寒が走るのを感じた。ジェナのあんな顔は一度も見たことが無い。全くの別人に思える程、とても冷たいものだった。





今宵は月が綺麗だ――。

夜空を見上げていたカノエはふっと笑みを浮かべた。そして背後に振り返ると呻き声を上げて動けなくなった男達が大勢倒れていた。
カノエは一番近くにいた男の側に歩み寄って腰を下ろした。

「もし、大丈夫ですか?」

その男の顔は酷いものだった。左目の上に大きな瘤ができていて鼻血をドクドクと流し、前歯も数本折れていた。

「はっ…がはっ、ば、ばけ…もの……」

ガクガクと顎を動かして言葉を吐き捨てたが最後、その男は白目を剥いて気を失った。

「ハハ……。あの、本当、申し訳無い。か、加減は一応したつもりなのだが……、いや、本当、一応……」

気絶した男から視線を外して広場に向けたカノエは、苦笑を浮かべながらポリポリと頬を掻いて謝罪した。
気絶した男と同様に酷い有様に成り果て倒れている男達は、(((マジか……!?)))と挙って胸の内で驚愕の声を漏らした。――が、カノエの耳にそれが届くことはなかった。
それからカノエはリーダー格と思われる男の元へと歩み寄った。

こ、ここ、こっちに来るんじゃねェ!

リーダー格と思われる男は恐怖で顔を歪ませて悲鳴を上げた――つもりだったが、実際は痛みで顔を歪ませながら呻き声を上げたようにしか見えなかった。その為、男の願い虚しくカノエが側にやって来た。
どうやら意識はあるようだ――と、カノエは少しばかりホッとして膝を折って声を掛けた。

「娼婦のジェナという女子おなごをご存知か?」
「あ…あァ……」
「あなた方に脅されたと聞く。これに懲りたら今後二度と彼女には――」

釘を刺そうと言い掛けた時、頭上から殺気を感じたカノエは咄嗟にその場から飛び退いた。すると、放たれたナイフが地面に突き刺さった。
暗闇に包まれた森の中からスッと姿を現した黒い衣服を纏った男――ドラホスラフだ。幹を蹴り空中から地面に着地するなりパァンと銃声音が大きく鳴り響くと、銃弾はリーダー格の男は頭を貫いた。

「!」

無惨にも銃殺されたリーダー格の男に目を見開いたカノエはドラホスラフをキッと睨み付けた。

「貴様! 何も殺さずとも良いではないか!」
「んー、私は使えん駒は処分する主義でしてねェ」

ゆらりと立ち上がるドラホスラフは、もう片方の手にも銃を持って構えた。咄嗟に刀の柄を握ったカノエだが、二丁の銃口が自分に向いていないことに気付いてハッとした。

「待て!」
「処分ですよ」
「ひっ!?」
「うああっ! や、止めてくれ!!」

広場で倒れていた男達は悲鳴を上げたが、ドラホスラフはニヤリと笑みを浮かべると無遠慮に発砲した。銃声が鳴る度に次から次へと男達は息絶えていく。

「フハハハハッ! 貴様がちゃんと始末しておけばこの者達はこのように何重もの苦しみを受けて死ぬことは無かったのだ!」
「!」

カノエは目を大きく見開いた。

「ぎゃああ!」
「うがっ!」
「がはっ!」

ドラホスラフは愉快だとばかりに笑いながら男達を銃殺していった。そうして残るは二人となった時――。

「ッ……!」

ゾクリと背筋が凍るような悪寒がドラホスラフを襲った。咄嗟にカノエへ振り向いた時、カノエの姿が消えた。

「な…、ど、どこに」
「こっちだ」
「――!?」

背後から声が聞こえたドラホスラフは、慌てて身体を翻して防御態勢を取ろうとした。

「遅い」

ヒュンッ……――! 

刹那に風を切る音と共にザシュッと鈍い音がドラホスラフの耳に届いた――が、衝撃がドラホスラフの身体を突き抜けるとビシャッビシャッと激しく飛び散る音に何が起きたのかわからなかった。
ふと視界に捉えたのは自身の衣服を纏う腕が宙を舞う姿で、ドサッ――と重たく落ちたそれにドラホスラフは目を見張った。半身の腕に感覚が無いことに気付いて全てを理解した時、激痛がドラホスラフに襲い掛かる。

「うがァァッ!!」

ドラホスラフは右手で肘から先を失った左腕を抱え込むようにしてその場に蹲った。

「お、おのれェ……――ッ!」

睨み付けようと激痛で歪む顔を上げたドラホスラフだが、今度はヒヤリとした冷たい刃が首筋に宛がわれていることに気付き、思わず瞠目してゴクリと生唾を飲み込んだ。

な、何て冷たい目だ……!

恐ろしく静かで鋭い殺気を放つ天剣の人斬りがそこにいた。海岸で初めて対峙した時や賞金稼ぎ達を相手に戦っていた時とはまるで別人だった。

――まさに天剣の人斬りの名に相応しい――

「ハ……、天剣とはよく言ったものだ……」

自嘲気味に零したドラホスラフの耳に――チャキッ……――と冷たい音が届く。
首筋から離れた刀はゆっくりと高く掲げられ、刀身が真っ直ぐ上に立つと月の光を受けて輝きを放った。

「素晴らしい……」

数多の暗殺器具を手に戦って来たドラホスラフでさえも見たことが無い程に、それは気高く美しい優れた刀であることを知らしめた。

「どうした……」

上段に構えたまま動こうとしないカノエにドラホスラフは痛みで呼吸を乱しながらも微笑を浮かべた。

「早く振り下ろせ。私を殺せ! 人斬りの名に相応しく斬り殺せ!」
「何故、そうも死に急ぐ……?」
「誰よりも血の臭いが相応しい男に斬られるのだ。暗殺を生業とする私に相応しいではないか!」

ドラホスラフがそう叫ぶとカノエはピクリと俄かに反応を示した。

「お前がやらなければ、残ったこの右腕で二人のゴミを処分――」

斬ろうとしないカノエにドラホスラフは右手で暗器を持つと気を失ったまま息のある残りの二人を殺そうと動いた。

一閃――。

鋭い光がドラホスラフの身体を突き抜けた。ドラホスラフの言葉が途絶えた時には既に身体は地面に倒れ、ピクピクと痙攣を引き起こしていた。
しかし、ドラホスラフはまだ意識を失っていなかった。 身体を縦に斬られながらも残る力を振り絞って武器を握ろうと手を伸ばしている。顔は生気を失い始めていたが未だに笑みをも浮かべて――。

「……」

無表情で見つめていたカノエは最後だとばかりにドラホスラフの首に向けて刀を振り下ろした。

ガキンッ!! 

金属音が激しくぶつかる音が辺りに木霊した。カノエの放った太刀筋は横槍に入った男の剣によって止められた。驚いて視線を向けたカノエは一瞬呼吸を忘れたように息を止めた。

「ビスタ…殿……」

カノエの太刀を止めたのはビスタだった。眉間にはこれまで見たことが無い程に深い皺が刻まれ、額には青筋が浮かび上がっていることから本気で怒っているのだとわかる。

「カノエ……、この、大馬鹿者めが!

ビスタの怒鳴り声にカノエはビクリと身体を強張らせた。そして気抜けするかのように全身から力が抜け落ちてヨタヨタと後退った。
ビスタが剣を鞘に戻しながらカノエの方へ一歩踏み出した時、僅かに笑う声にピタリと足を止めた。
足元に視線を向ければ今まさに死ぬであろう男が笑っている。

「こ、これで終わりと…思うな」
「何だと?」

喉を鳴らすように小さく笑うドラホスラフは視線をカノエに向けた。

「私…も…ただの駒に…すぎんのだ」
「!」

ドラホスラフの言葉にカノエは目を丸くした。

「どういうことだ……?」
「ハッ……、最も…ふさわ…し……あん…さつ……しゃは………………」

最後まで言葉は続くことは無く、ドラホスラフは事切れた。死んだドラホスラフを見つめたまま呆然と立ち尽くすカノエの表情は酷く強張っている。
思考を張り巡らせているのだろうが、動揺が酷く考えが纏まらないのだろう。
ビスタは生き残っている賞金稼ぎの男の元へと向かい、目を覚ませとばかりに頬を引っ叩いた。

「ビスタ殿……、何を……」
「説教は帰ってからだカノエ」
「ッ……」
「お前にはオヤジからみっちり叱ってもらう。覚悟しておくんだな」
「うっ……」

ビスタの声は本気だ。まるで冷水を浴びたように竦んで恐怖を感じたカノエの脳裏に浮かぶのは、白い三日月型の髭を蓄えた白ひげの顔で、金色の瞳が鋭くカノエを睨み付けるもの。
覚悟はしていた。しかし、いざそうとなればやはり――恐ろしい。

「すみません……、兄様」

肩を落として酷く落ち込んだカノエがビスタに向けて謝罪した。

「あァ、とりあえず今は刀を鞘に収めろ」
「はい……」

カノエは素直に刀を鞘に納めた。キンッという音が冷たく鳴り響く。

「うっ……」
「「!」」

ビスタに頬を叩かれた男が呻き声を漏らした。漸く意識を取り戻したようだ。目を開けた男はビスタとカノエを見た途端に「ひぃっ!?」と恐怖に慄いて悲鳴を上げた。

「教えて欲しいことがある」

恐怖して逃げようとする男の首根っこを逃げるなとばかりに掴んだビスタが凄むと、男はこの世の終わりの様な顔を浮かべて叫んだ。

「答える! 答えます! はい! はい! 何でございましょうか!?」
「……」

凄い勢いで何度も頷く男にカノエは、その気持ちは痛い程よくわかります……。と同情したのだった。


〆栞
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