第十幕


カノエの後を追ったマルコは、海岸線で足を止めるカノエの姿を見つけると、咄嗟に気配を消して近くにある森の木陰に身を寄せて見守ることにした。
カノエは何の変哲も無い砂浜に波が穏やかに打ち寄せるこの景色をじっと見つめていた。
しかし、気のせいだろうか、僅かに身体が震えているように見える。

「泣いて…ンのか……?」

どうしてこの場所に来て一人で涙を流すのか、理由がとんとわからない。
徐に足を進めて砂浜の中央に腰を下ろしたカノエの様子を窺いながら声を掛けるべきかどうかと迷っている内に、「私は――」とカノエがポツリと呟き始めたことでマルコは思考を止めた。少し距離があるにも関わらずカノエの声が不思議と鮮明に、はっきりと耳に届く。

「――船に乗って…世界を旅しています。あの私が…ですよ? 驚きますよね……寅兄…様……。ただここは異国では無くて、異世界ッ……なのですが……」

カノエの独り言を聞いたマルコは、「あァ……」と小さく声を漏らして納得した。
恐らくこの場に広がる景色は、嘗てカノエが世話になった兄と慕った男と初めて出会った場所とよく似ているのだろう。

「トラニイ……。確かヨシダショウインってェ名だったか……」

カノエと出会ってからかなりの月日が経った。最初こそ色々あったが、今では白ひげ海賊団の一員としてすっかり打ち解けて馴染んでいる。
しかし、やはり未だにカノエの心の中には元いた世界の仲間達との繋がりがあって、彼らに対する思いが大半を占めているのだということを思い知らされた気分だ。

「そう簡単に捨てられるもンじゃねェ……か」

何を思い、何を考えているのか、そもそもどうしてこの場所に早朝から出向いたのか――。色々と考えていると、カノエが誰に聞かすとも無くポツリポツリとまた呟き始め、マルコは考えるのを止めて耳を澄ました。

「私は幸せ者です。異世界で『家族』と呼べる人達ができました。彼らは友で仲間で兄弟で家族なんです。父上もできました。懐が深く、大きくて頼もしい父上です」
「ッ……!」

思ってもみなかった言葉を耳にしたマルコは目を丸くした。気落ちして泣いていたとばかり思って、誰にも言えない辛い思いを吐露するものばかりだと思っていたが、全くの見当違いだったことに、マルコは心の底から安堵して微笑する。

何だ…。おれが心配し過ぎただけか……。

己の過保護ぶりに呆れて自嘲するとカノエに視線を戻した。涙を拭う仕草から真っ直ぐ海を見つめて更に呟き始める。

「は、恥ずかしながら、その、す、好きな人ッ…も……、で、でき……ました――」
「!?」

素っ頓狂な声を上げそうになった口を咄嗟に手で押さえてゴクリと喉を鳴らした。
い、今……なんて言った……?と自分の耳を疑ったが――

「――どうしても女子おなごとして素直になれず、く、苦戦しております。こ、ここ、こんな話、死んだって高杉や久坂には絶対に言えません。でも、ただ、寅兄様なら……こんな私になんと仰るのかと思って……」

――聞き間違いでは無いことを確信した。
口元を覆う手をそのままに、マルコは眉間に皺を寄せて目を瞑った。

〜〜〜〜〜

「好きな人もできました。私はどうしても女子として素直になれず、苦戦しております」

〜〜〜〜

耳まで赤く染めて独り言ちたカノエの言葉が頭の中で再生される。心臓が大きく跳ねるどころか大きくドキドキと激しく脈打つ。明らかに動揺している自分に戸惑い困惑の表情を浮かべた。

カノエの言う『好きな人』というのが自分自身だとは限らない。最初は確かにそういった節は何度かあった。自分に好意を寄せている雰囲気はあった。
しかし、今は違うかもしれない。心移りして他に好きな人ができていても可笑しくは無い。
カノエも年頃の娘だ。
例えば――そう、年の近いエース辺りと良好な恋愛関係にあったとしても決して可笑しくは無い。現にいつも一緒にいる姿をよく目にしているのだから。
そう思うとチクリと胸が痛んだ。そして、面白くねェとばかりに不満な思いが込み上げて息苦しさにマルコは舌打ちをした。
良い年したおっさんが何を考えてんだ、と胸の内に潜む嫉妬心を抱く自分を怒鳴りつけた。

目を開けて再びカノエに視線を向ける。すると途端にカノエが飛ぶようにして立ち上がる姿に驚いて目を丸くした。

「な、何だ?」

握り拳を作ってワナワナと震えていたかと思うと両手で頭を抱える様にしてワシャワシャと髪を掻き乱し始める。

「な、何故にそこで坂本殿が!?」
「……」

若干悲鳴染みた声を上げて叫ぶカノエにマルコはキョトンとした。

「サカモト? 確か海が好きな男ってェのがそんな名前だったな……」

顎に手を当てて首を捻っていると、ハッと我に返ったカノエが急に周囲を見回して人がいないかを確認し始めた。
やべェッ!と慌てて木陰に身を隠したマルコは気配を消した。

「あ、危ねェ……。っつぅか、情緒不安定なのは相変わらずじゃねェか。物思いに耽っていたはずだってェのに突然叫ぶって何だよい……」

カノエの『好きな人ができました』発言によるドキドキに、見つかりそうになって焦るドキドキが重なって二重に苦しい。
踊り狂う胸に自然と手を当てて、あ”ァ”ッ! 五月蠅ェ! いい加減に黙れよい!と自身に言い聞かせる。
しかし、なかなか収まりそうになくて、マルコは今日一番の舌打ちをした。

深呼吸を軽く繰り返して少し落ち着いた頃、再びカノエに視線を向ける。カノエはその場を離れて岩場が広がる奥地へと足を向けて歩き出していた。
マルコもこっそり後をつけたのだが、これ以上近くに寄るのは得策では無いと考え、カノエが岩場から離れるのを待った。
暫くの間、岩場を見回しながら何かを探るような素振りを見せていたカノエだったが、諦めたのか、小さくかぶりを振りながら溜息を吐いてその場を後にした。
カノエがもう少し離れるのを待ってからその場に下りたマルコは目を見張った。

「何かあったどころじゃねェ……。こいつは明らかに争った跡じゃねェかよい」

不自然な程に崩れた岩石に、何かが爆発して抉られたような痕跡があった。昨夜、遠くから聞こえた爆発音によってできたものだと思われる。
割れてヒビが入っている地面にそっと触れて周囲を見回した。

「カノエ……、お前は一人で誰と戦ったんだよい……」

どうしてそれを話してくれなかったのか、カノエが何を考えているのかわからない。
信用していない――というわけでは無いと思う。それは先程の独り言ちた言葉を聞いていたからこそ思えることで、もしそれを聞いていなければ、カノエの行動は不信行為にしか思えなかっただろう。

「少し強く問い質すしかねェか……」

マルコはポツリと零してその場を離れた。そして、先程の砂浜にカノエが戻っていることに気付いて足を止めた。
グラディエーターサンダルを脱ぎ、その傍に脇差と刀を収めていた鞘を置き、刀身に手を添えて何かを始めようとしている。
マルコは木陰に身を潜めて様子を窺った。

「何をする気だ? まさか訓練ってェわけじゃ……」

カノエの表情は至極真剣そのもの。しかし、穏やかな微笑を滲ませているのが見て取れた。カノエがゆっくりと足を動かし始めると、途端に洗練された優雅な舞へと変わる。
早朝の甲板でいつか見たあの時の動きとよく似ていた。あの時は何も手にしていなかったが、刀を用いていることからあの時とは『型』が違うのだろう。
それでも――
心を揺さぶられる見事な『舞』であることに変わりは無い。

円を描き、跳ねては静かに着地。
回って捻り、また円を描く。

日の光を受ける刀身が、その名に相応しく三日月のように輝きを放ち、存在感を際立たせている。

華麗で、神秘的で、圧倒的な舞。

目も心も奪われて見惚れてしまう。合間合間に見せるカノエの笑みは年相応以上に艶めいた女の顔がそこにあった。
心臓が掴まれるような感覚にマルコは息を呑んだ。
そして――
ゆっくりとした動作で舞が終わりを迎える。と同時にマルコは木に背中を預け、額に手を当てて深い溜息を吐いた。

「はァ……、何が妹だよい。おれはもう……」

海に向けて深々と頭を下げたカノエは、刀を鞘に戻して脇差と共に腰帯に差し、砂まみれになった足を払ってグラディエーターサンダルを履くとその場を後にした。
誰もいなくなった砂浜にガサッと葉擦れの音を鳴らしてザッザッと砂浜へと足を進めたマルコは、カノエが舞っていた場所に着くと暫く佇んだ。

「……」

無言で景色を見つめながら舞を舞っていたカノエを思い出し、カノエが座っていた場所に腰を下ろした。

「見事なもんだ」

海をじっと眺めながらマルコはフッと表情を崩して小さく笑った。

「あれだけジェナに言い寄られても一切反応しねェわけだ……」

嘗て初めてこの島に寄港した時の事――。
酒場に集う娼婦達の中においてジェナはマルコにとって好みのタイプに類する女だった。そして、ログポースが溜まるまで滞在している間、マルコはずっとジェナと過ごした。
大人の男と女が夜を共に過ごすのに何も無いなんてことはあり得ない。それも一方は海賊で一方は娼婦だ。一線を越えて身体の関係を持ったとしても何らおかしいことは無い。
正直なところ身体の相性は悪く無かった。それは恐らくジェナも同じだったのだろう。ジェナも明らかにマルコに好意を持って接するようになっていた。

ログポースが溜まり再び航海に出る日、ジェナは泣きながら自分も連れて言って欲しいと懇願してきた。サッチを筆頭に隊員や隊長達からの揶揄いや冷やかしを含んだ罵声を浴びながら離れたくないと言って抱き付いて来るジェナを引き剥がして別れた。
こういうことは何も彼女が初めてのことでは無い。行く先々で好意を持たれて泣いて縋られる度に突き放して別れることはもう慣れっこだった。
だが、今回は本当に困った。先立って偵察に訪れた日の夜のこと、酒場で再会したジェナが嬉しそうに声を掛けて来た。

「マルコ、やっと会えて嬉しい。あれからずっと待っていたのよ?」

頬を赤らめて嬉しそうに手を伸ばしたジェナが涙を浮かべて抱き付いて来た。当然、抱き締めてくれるものとジェナは思っていただろう。
しかし、マルコは「あー……」と声を漏らしながら気まずい表情を浮かべるのみで、決してジェナを抱き締めることはしなかった。不審に思ったジェナがマルコを見上げて顔を覗くもののマルコは決してジェナと目を合わせようとはしなかった。

「悪ィ、今は気分じゃねェんだよい」

それだけ言うと酒場のマスターに近々白ひげ海賊団の本船が到着することだけ伝え、ジェナの両肩に手を置いて離れろと言わんばかりに押し返して酒場を後にした。ジェナはマルコの後を追って腕を捕まえた。

「明日! 明日なら良いでしょう?」

縋るジェナに対してマルコは少し面倒臭そうに頭を振った。

「今回は忙しくてなァ、悪ィが無理だ」

多忙を理由にマルコはジェナの誘いを断った。しかし、それでもジェナは夜になると必ず酒場に顔を出してマルコを待っていた。
毎日、毎日――。
その事を朝帰りのサッチが揶揄いがてらにわざわざ報告しに来たことで、マルコは夜の酒場に必ずジェナが来ていることを知った。

「不味いんじゃねェの? カノエちゃんがジェナの事を知ったら軽蔑されちまったりして」
「ッ……」

気にする必要は無いと思って無視を決行するつもりだったが、サッチの言葉にハッとしたマルコは予防線を張ろうとした。
だから夜に酒場は行くなとカノエに忠告したのだ。――にも関わらず、周りに流されたカノエは夜になっても戻って来なかった。
ビスタからそのことを聞かされた時、マルコは慌てて酒場へと走った。そうして酒場の中に入れば、まさかカノエとジェナが隣に座って酒を飲んでいるとは思ってもみなくて面食らった。
挙句の果てにだ。カノエがジェナの相手をしろと言い出して酒場から出て行くのだから、マルコが呆然と立ち尽くすことになるのは仕方が無い事だった。
それから暫くの間、酒場から――否、ジェナから抜け出すタイミングを完全に見失っていたマルコは、ビスタが来て声を掛けてくれたおかげで酒場ジェナから脱してカノエの後を追うことができた。
途中、遠くから聞こえて来た爆発音に何かあったのではと焦りが生じて足を速めたマルコは、海辺へと向かう道に差し掛かった時にカノエとばったり会った。
カノエは何も無かったと言い張るが、視線が怪しく泳いでいるのだから嘘を吐いていることは明白だった。
問い詰めれば信用してくれないのかと泣き出し、更にカノエの口からジェナを擁護するような言葉を吐かれ、挙句にカノエ自身が嘗て経験した男女間の話までされて、マルコは驚きやら何やらと複雑に絡まる感情に混乱した。その上でジェナと「今宵もなさって来ると良い」発言だ。

〜〜〜〜〜

「発散とは言え、抱く時ぐらいは愛でてやるものでしょう?」
「性と金が付き物だ。男の欲を発散させる為に金で交渉するものであることになんら変わりは無い」
「私はそういうものだと弁えているつもりだ! 例えそれをしたからと言って別に軽蔑する気は無い! 自然的なものなのだから仕方が無いではないか!」

〜〜〜〜〜

やたらとその手の話に理解力が高いカノエに呆気に取られたマルコだったが、そう口にするカノエの表情は浮かないもので、頭で理解していても本心からそう思って言っているものではないことぐらい容易にわかった。それに――

何故こうも苦しい?
何故こうも辛い?
何故こうも後悔する?

この手の話を誰彼に言われるよりもカノエに言われることが最も酷く胸に応えた。

「だったらお前がおれの相手をしろよい」

自然と口を衝いて出た科白。

「お前がおれの相手をしろって言ってんだよい」

自分で言っておきながら内心では相当焦っていた。しかし、カノエを手前にして取り乱して弁解に走るなんてことはできずに、なんとか冷静を保って揶揄いの笑みを浮かべるしか無くて――。
ジェナと過ごせ? 馬鹿言ってんじゃねェ!と怒鳴りそうになるのを堪え、そして――おれは、お前以外の女は眼中に無ェんだよい!――思いを口走りそうになるのも堪えた。

昨日今日と立て続けに大きく心が揺さぶられる。なんだかんだと言っても結局はカノエを女として見ていることを自覚する。そして、心の底から惚れているということも――。

「あー、クソッ! 思いのほか、こいつはマジだよい……」

正直に言えば自分から本気で『女に惚れる』という経験は零に等しい。惚れられることはあっても自分から惚れるなんてことは決して無かった。
自由を好む海賊に身を置くだけあって、一人の女に心を寄せて恋愛なんて無縁だと思っていた。縛られるのが嫌いな性分から一線を越えた関係を持つ女は金で事が済む娼婦だけしか相手にしなかった。
それでも、一般の女から金持ちや権力を持った令嬢から言い寄られることも多々あったが、どの女も割と計算高く猫撫で声で色気を醸し出し誘惑をする。突き放せば涙を流して甘えて縋りつく。名前や名声欲しさに近付いて来る女もいる。
何もかもうんざりすることが多く、基本的に女とは『性以外においては百害あって一利無し』――そういうものだとマルコは思っていた。
しかし、カノエは全く違った。自分の知る女のどれにも当て嵌まらない女だった。過酷な環境下で男として生きて来た為か、自己主張は滅多にしない上、実に素直で純朴で穏和だ。
決して無理を言わず依存すらしない。下手をすれば全てを一人で背負い込み、誰にも頼らずに一人で解決策を探そうと無茶をする。逆にこっちが手を差し伸べなければ決して彼女は自ら手を伸ばそうとはしないのだ。

だから……――。

まさか『惚れた側』に立たされるとはマルコは思いもしなかった。それも相手はかなり奥手で身を引き過ぎる女だ。
これまで女に言い寄られたことがあっても自ら言い寄ったことなど、娼婦に対して性交渉をする時以外に無い。ましてや自分が本気になった女になど――。

「あー……、まるでこれじゃあ女を知らねェ童貞小僧と同じじゃねェかよい」

こんな良い歳して初恋染みた気持ちでどうすれば良いのかと悩むことになるなんて夢にも思わなかった。

「はァ……、どうしたもんか……」

眉間に皺を寄せて口元を手で覆った。「う”ーん”」と唸り声を上げながら考えるものの答えは出ない。

「……じゃねェ。そうじゃねェ。その前に、他に気にすることがあるだろうが……」

あの戦いの跡――からの思考からパッと切り替わる『好きな人ができました』というカノエの言葉。あれも気になるがこっちのほうがもっと気になる
マルコは頭を悩ませた。
以前、綺羅星貝という対となった貝をカノエから貰ったが、あれは願いを込めてくれたというわけではなかった。
そう、意図してくれたわけではないのだ。
意味に気付いたカノエが顔を真っ赤にして焦りながら弁解していたが、気持ちとてしては妹として兄に渡した、そんなところだろう。
それでも――少しばかりは異性に対する好意も含まれていた可能性だって――。
はて? カノエは自分に好意を寄せていたのでは無かったか?
兄妹としての関係は自分が敷いたものだ。それでもカノエは時折自分に女の顔を見せていた。
好意的で――いや、ただ妹として甘えていただけの話ではないだろうか?

「おかしい……。全く余裕が無ェ……」

あーだこーだと考えている内に何故か精神的に追い詰められていた。まさか一人の女にここまで窮地に追いやられるとは夢にも思わなかったマルコは、額からタラリと嫌な汗を掻いた。
腰を上げて砂浜を後にしてトボトボと重い足取りで帰路を歩く。そして、港近くまで来るとふいに後ろから肩を叩かれて振り向けばサッチがいた。

「…………何だよい」

凄い間を空けてからマルコが不機嫌に言うと、サッチはピシッと軽く石化した。だが直ぐに石化を解いたサッチは眉間に深い皺を刻み、額に青筋を張り、珍しく鬼の形相でマルコを睨み付けて叫んだ。

「てめェが頼んでおいて何だってんだよその態度はよ!?」
「は?」

何言ってんだこいつとばかりに眉を顰めたマルコに、サッチはマルコの顔真似をして「は?」と言い返した。

「――じゃねェだろォがバナップル!!」
「あ”ァ”ッ!? フランスパンの分際で何いちゃもんつけてんだよい!!」

逆切れ上等で怒鳴るマルコにサッチは信じられねェとばかりに首を振って後退った。

「お、おおおおい、てめェ……」
「何だよい……?」

サッチは咄嗟にマルコのシャツを掴んでグイッと引っ張った。不機嫌に顔を顰めたマルコが太々しくサッチを睨み付けた――が、「あ、」と何かを思い出したように目を丸くした。それに対して本気でカチンと来たのかサッチがワナワナと全身を震わせて絶叫した。

「信じらんねェ! てめェマジか!?」

急な頼まれ事を律儀に遂行したというのに、完全に忘れられるなんてあんまりだ。サッチが怒るのも当然だった。

「わ、悪ィッ、悪かったよい! 明日、おれが代わりに買い付けに行ってやるからよい!」

これは流石に自分が悪いと反省したマルコは、サッチにシャツを掴まれたまま前後に激しく揺さぶられながら必死に宥めた。

ジェナのことを頼んでたことをすっかり忘れてたよい。こりゃあマジで重症だ。

暫くして漸く落ち着いたサッチを引き連れて町外れにある小さな喫茶店に立ち寄って話を聞くことにした――が、マルコの様子がどこかおかしいと察していたサッチは、ジェナのことを話す前に何があったのかと逆に質問攻めを始めた。

「か、関係無ェだろい!?」
「へェ〜、あーそう。おれっちにお使いを頼んでおいてすっかり忘れていた1番隊の隊長さんがさ、おれっちに対してそんな態度を取る資格があるってェわけ? へェ〜、あーそう、へェ〜」
「くっ!」

サッチの冷ややかな目にマルコは思わず口を噤んだ。

「……ょぃ……」

聞こえるか聞こえないかぐらいのとても小さな言葉を零してマルコはガクリと項垂れた。

「本当に悪かった。あの時、おれはカノエの後を追ってたんだよい」
「カノエちゃんを? 何で?」

マルコはカノエの後を追って見て来たことをサッチに話した。自分の恋路の件はすっぱり抜かして話し終えると、サッチは眉間に皺を寄せた。

「そっか……」

腕を組んで溜息を吐くサッチはやけに神妙な顔付きで、マルコは片眉を上げた。

「あのな――」

サッチはジェナを尾行して見聞きしたことをマルコに話し始めた。


〆栞
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