第九幕


翌日早朝――
こっそりと船から抜け出したカノエは、賞金稼ぎのドラホスラフと闘った浜辺を目指して歩いていた。
暫く行くと前方から女が歩いて来る姿があった。徐々に距離が縮まり近付いて来ると女が笑みを浮かべて軽くペコリと頭を下げた。
はて? どこかで会っただろうか?
彼女が誰なのか、全く心当たりが無いカノエは、軽く首を傾げて目をパチクリとさせるばかりだ。

「おはようございます。お早いのですね」
「お、おはよう…ござい…ます……」

まるで見知った間柄のように声を掛けて来る彼女に、カノエは頬を引き攣らせた笑みを浮かべながらペコリと軽く会釈をして挨拶を交わした。

だ、誰だったのか全くわからん!

微笑む彼女を他所に、懸命に記憶を探るが一向に思い浮かばない。困惑して軽く追い詰められたカノエは、彼女から視線をスイッと外して頬を掻いた。それに対して女は「ふふっ」と可笑しそうに笑った。

「私です。昨晩、酒場で隣に座らせていたです」
「え、ジェナ殿!?」

酒場で会った時のジェナは、胸元を強調して谷間を露わにした煌びやかな衣服に身を包んだ娼婦だった。だが今は、薄化粧な上に質素な衣服で身を包み、とても娼婦とは思えない一般の清楚な女性のようにしか見えない。

「ふふ、イメージが全く違うから驚きました?」
「え、えェ、全く……。き、気付きませんでした」

少し呆気に取られながらジェナを頭から爪先までマジマジと見つめた。――女は『魔性』というが、これ正に。
ほんの少ししてハッと我に返ったカノエは「こ、これは失敬した!」と慌てて頭を下げて謝った。

「いいえ、謝る必要なんてありません。驚いて当然ですもの」

ジェナはそう言って小さく首を振って笑った。

「えっと、お名前は……」
「あ、そういえば名乗っていませんでしたね」
「確かカノエ…様……でしたわね?」
「え、えェ、そうです。カノエと申します」
「昨晩は失礼致しました。あなたの隣にいたにも関わらずちゃんとお相手できず……」

今度はジェナがカノエに頭を下げて謝った。

「あ、いや、私はああいう場で飲むのは基本的に好まぬ性分で、どのみち早々に抜ける気でいた故、あなたが気を遣って謝罪を述べることはありません。ですから、どうか頭を上げてください」

此方こそ申し訳ないと首を振るカノエにジェナは不思議そうな表情を浮かべた。

「あなた……」
「は、はい、何か?」
「本当に海賊…ですか?」

少し目を丸くしたカノエは、「あー…」と小さく漏らしながらカリカリと頭を掻いた。

「いえ、あの、凄く生真面目でお優しい方にお見受けしたものですから……。お気を悪くしたのでしたらごめんなさい」
「え、えェ、いや、それはよく言われます故、気にはしておりません」

誠実さと生真面目で堅物な性分は武士ならではといったところで、そこに海賊らしさの欠片なんて微塵も無いことはカノエも重々承知している。海賊になったからといって性分はそう簡単に変えられるものでは無い。
これまで島を幾つも渡って来たが、あんたみたいな人がどうして海賊に?と行く先々で不思議がられることが多かった。いつもは、笑いながら適当にごまかして受け流していたのだが……。
どうしてか、ジェナにはそれができそうにない気がしてならない。質素な恰好をしていても、やはり夜の花を生業とされるだけに、笑みを浮かべていてもジェナの目には人を品定めするように射抜く鋭さがあったからだ。
ジェナから視線を少し外して小さく溜息を吐いたカノエは、再び苦笑を零した。

「見てお分かりのように、私は生真面目で堅物な性分故、自由を愛する海賊に身を置いた方が丁度良いぐらいかと。故に、こうして白ひげ海賊団の末席にいさせて頂いています。私でも『あァ、全く面倒な性格だ』と思うぐらいですから、己を変える切っ掛けになればと……ハハハ」

大半嘘である。が、ちょっとだけ本当でもある。だから完璧な嘘では無い。
胸の内にいる小さなカノエは嘘を吐けない自分を無理矢理に納得させ言い切った。
しかし、ジェナの反応は予想外に薄い。カノエの言葉に納得していないのか、ジェナは黙ってカノエを見つめている。

〜〜〜〜〜

「下手な嘘だよい」

〜〜〜〜〜

前にマルコから言われた言葉がカノエの脳裏に過る。

やはり嘘だと思われただろうか……。
若干ドキドキしながら言葉を待っていると、ジェナが口元に手を当てながら小さく笑った。

「うふふ、そうですか」

納得するように頷いてくれたことにカノエはホッと胸を撫でおろした。応えるまでの少しの間がなんとなく気にはなったが、とりあえず嘘でごまかせたとして無視することにした。

「そ、それでは、私は行く宛がある故、これで失礼致す」

カノエはペコリと頭を下げるとそそくさと足早にその場を立ち去った。
しかし、ジェナは暫くその場に佇んだまま去っていくカノエの背中をじっと見つめていた。

背中に受けるジェナの視線に、カノエは自ずと眉間に皺を寄せた。
何か意図があるように思えなくもないが、よくはわからない。そもそも、夜の仕事をしているジェナがどうしてこのように朝早くから外を歩いているのか。少し考えてみたが、人それぞれ事情というものもあるだろうと結論して考えるのを止めた。
とりあえず今は一路、真っ直ぐに砂浜を目指して歩くのみだ。





誰もいない酒場の裏手に足を向けたジェナは、細い路地の行き止まりとなる薄暗い場所にいた男の元へと歩み寄った。
ジェナの姿を捉えた男は、口端を上げた笑みを浮かべると、咥えていた煙草を地面に落として足で擦り潰した。

「で、どう思った?」

男が声を掛けるとジェナは少し不満げな表情を浮かべて両腕を組んだ。

「彼が天剣の人斬りだなんて本当かしら? 全くそうは見えなかったけど……。それに彼は仲間から『カノエ』という名前で呼ばれていたわよ」
「あァ、恐らくそれは 奴の”偽名” だろう。これを見ろ」

男はジェナに一枚の賞金首リストを差し出した。

『天剣の人斬りタチバナ・ジン/DEAD OR ALIVE/1億ベリー』

写真こそ無いが『ワノ国の衣服を纏い、上等な刀を持つ男』と特徴が記されている。

「海賊とは程遠い生真面目な男だ。抜け目がありそうで無い。そんな性分をしているのなら、おれと争った場所で痕跡が残って無いかと、早朝にでも砂浜に向かうだろうと思ったが、当たりだっただろう?」

少しだけ眉をピクリと動かしたジェナは、そのリストを男に突き返した。

「えェ、ドラホスラフの言った通りに海辺の道を歩いていたら彼とばったり会ったわ。それで? 私になにをしろと言うの?」
「惚れたふりをして天剣を仲間共から引き離せ」

男――ドラホスラフの言葉にジェナはふっと微笑を零した。

「白ひげ海賊団と真面にやり合うことは避けたいってとこかしら?」
「当り前だ」

ドラホスラフはそう言うと懐から新たに煙草を取り出してマッチで火を点けた。

「仲間から引き離して一人になったところを襲う計画ということね」
「あァ、まァ、そんなところだが……」

ドラホスラフはプカリと紫煙を吐いた。あまりはっきりとしない返事にジェナは眉を顰めた。

「他にも何かあるの?」
「少し試してみたいことがあってな」
「試すって何を……」
「同業者の連中にタチバナジンの所在を明かした。多くの賞金首がタチバナジンを狙いにこの島に集まるだろう。白ひげ海賊団がこの島に寄港してまだ二日だ。ログポースが溜まるまであと三日はある。明日の夜にでも町外れの広場にタチバナジンを連れ出せば連中が束になって襲い掛かるだろう」
「あら、まるで高みの見物でもするかのような物言いね」
「賞金首リストに『人斬り』という異名が書かれる程の男だ。その真相を知りたくてな。一瞬だけその片鱗を垣間見たが――」
「――優男の本性を暴くってわけね」

ドラホスラフの言葉を攫うようにジェナが言うと、ドラホスラフはニヤリと笑った。

「……ふふ、面白そうじゃない」

人が良さそうな生真面目な仮面の下に潜む人斬りという殺人鬼の顔に興味を抱いたのか、ドラホスラフに同調してジェナも笑みを零した。

「町外れの広場に連れ出した後は、酒場に戻って仕事に戻れば良い。なんなら不死鳥を酔わせて落とせ。そうすればおれがその後に――」
「ダメ。それだけは絶対にさせないわよ」
「ククッ、あァ、そう怖い顔をするな。ただの冗談だ」

ドラホスラフがジェナの頭に手を置いてくしゃくしゃと撫でると、ジェナはフンッと顔を背けた。

「我が妹ながら、まさか海賊に本気で恋心を抱くとはな。久方ぶりに顔を合わせて話を聞かされた時にはどれほど驚かされたことか」
「確かに彼は海賊だけど、ダメよ。絶対に殺さないで」

ジェナが強い口調で言うとドラホスラフは煙草を地面に落として踏み付けた。

「奴と寝たのか?」
「……えェ、前に来た時にだけど。その時は毎晩相手をしたわ」

不満気な表情のままでポツリと漏らしたジェナにドラホスラフは片眉を上げた。

「前に来た時にと言うことは……」
「今回は偵察に来た時も、昨日も、どんなに誘っても見向きもしてくれないのよ」

愚痴をこぼすような言い草にドラホスラフは「クッ」と小さく笑った。

「忘れられんところを見ると余程良かったのだな」

ドラホスラフが「飽きられたか……」と続けると、ジェナはムッとしてドラホスラフを睨んだ。

「恐らくだけど、タチバナジンは白ひげ海賊団の末弟に当たる新人よ。マルコがタチバナジンを誰よりも気に掛けているみたいだったから、きっと彼が面倒を見ているのよ」
「白ひげ海賊団の1番隊隊長で取り纏め役だ。新人のお目付け役とあらば仕方が無いのだろう。この不死鳥もなかなか真面目な性分らしいからな」

ドラホスラフは別の賞金首リストを手にして視線を落とした。

『不死鳥マルコ/DEAD OR ALIVE/13億7400万ベリー』

ドラホスラフはマルコの写真が載ったそのリストをニヤリと笑みを浮かべてジェナに差し出した。

「何よ」
「くれてやる」

不機嫌なジェナがそれを手にしてリストに視線を落とした瞬間、頬を赤く染めてうっとりとした表情を浮かべた。
その変わり様にドラホスラフは肩を揺らして笑った。

「クク……、一端に女の顔をしやがる」
「だって、本当に彼の事が好きだもの」
「まァ精々残り二晩でなんとかモノにするんだな」

ドラホスラフはジェナに背を向けると笑いながら手をヒラヒラさせて去って行った。
ジェナはドラホスラフの言葉など無視して賞金首リストに写るマルコをじっと見つめていた。

「マルコ……」

写真を指先でなぞりながら愛しい男の名を呟いた。





目的地となる浜辺に到着したカノエは、目の前に広がる景色を見て気付いたことがあった。
賞金首の男と争った跡に何か残っていないかと足を運んだのだが、この景色はその目的を忘れさせる程に、遠い昔に見た景色とよく似ていた。

ザッ…ザッ……――と、一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取りで砂浜へと進む。
真っ暗だった昨夜の景色とは一転して明るい時分に見るこの景色は、カノエの心臓を大きく跳ねさせて動揺を誘った。

「あァ……、まさかここまで似た景色があるなんて……」

視界が僅かばかりに滲んでゆらりと揺れる。
目元に触れると熱く濡れている感触。
涙を浮かべているのだと知って心が震えた。

この先の水平線上に黒い船が浮かんでいれば、この景色はまさにあの時の景色と同じだ。
十代のあの日に出会った彼の人がそこにいると想定して腰を下ろしたカノエは徐に口を開いた。

「私は……船に乗って…世界を旅しています。あの私が…ですよ? 驚きますよね……寅兄…様……。ただここは異国では無くて、異世界……なのですが……」

ポツリポツリと言葉を吐き出すと景色が大きく揺れて、ジワリと滲む熱いものが頬を伝い落ちてヒクッヒクッと嗚咽を漏らし始め、堪らずに両膝を抱えて顔を埋めた。
鼓動が激しく脈打ってツキンと胸が痛み、呼吸の乱れで息苦しさを覚えて顔を顰める。
ふぅっと長く息を吐いてほんの少しだけ間を置くと、少しだけ落ち着きを取り戻した。未だに溢れて流れ落ちる涙をそのままに空を見上げたカノエは、悠然と風に流れ行く白い雲をじっと見つめて微笑を浮かべた。

「私は幸せ者です。異世界で『家族』と呼べる人達ができました。彼らは友で仲間で兄弟で家族なんです。父上もできました。懐が深く、大きくて頼もしい父上です」

誰に聞かせるでも無い。しかし、この景色を見つめて隣に感じるのは懐かしきあの人の姿。
カノエは涙を拭うと少し頬に赤みが差して照れ笑いを浮かべた。

「は、恥ずかしながら、その、す、好きな人ッ…も……、で、でき……ました。で、ですが、わ、私は、どうしても女子おなごとして素直になれず、く、苦戦しております。こ、ここ、こんな話、死んだって高杉や久坂には絶対に言えません。でも、ただ、寅兄様なら……こんな私に何と仰るのかと思って……」

声が尻すぼみに口をもごもごとさせて顔を俯けると、脳裏に浮かぶ。
きっと笑いながらバンバンと背中を叩いた後、正座し直して背筋を正すと咳払いを一つして、特々と説教染みた声音で色々とお話されることだろう――と。

「ふふ……」

思わず目を細めて小さく笑った。――が、物思いに耽る中で「ほんまかえ!?」と頭の中で突如として響く。

「橘! おまんがか!? ほんならげにまっこと祝わんとならんのぅ!!」

他の誰でも無い土佐の男。

「ッ!?」

驚いたカノエは慌ててズザッと立ち上がった。顔を真っ赤にしながらワナワナと身体を震わせ、握り拳を作ったかと思えばその両手を頭に髪をワシャワシャと掻き乱した。

「な、何故そこで坂本殿が!?」

隣にいたのは確かに寅兄こと吉田松蔭のはずだった。なのに、どういうわけかヌッと顔を出して笑う坂本龍馬の姿に変わった。あくまでもカノエの想像による幻影なのだが、カノエは酷く焦って羞恥による悲鳴混じりで叫んだ。
だが直ぐにハッと我に返ったカノエは、バッと周囲を見渡して人の気配が無いことを確かめた。
誰もいない至って静かな空間が広がるだけ。――カノエは心の底からホッと胸を撫で下ろした。

「はァ……、私は何をしに来たのやら……」

ポリポリと頬を掻いてポツリと言葉を零し、昨夜の戦いで荒れただろう岩場へと足を向けた。しかし、大した収穫は得られないまま終わってその場を離れた。そうして再び懐かしい景色を臨む砂浜へと戻った。
打ち寄せる波音を耳にしながら暫くぼんやりと景色を見つめていたカノエは、急に何か思い付いたように「あァ」と声を漏らした。
グラディエーターサンダルを脱ぎ、腰に差していた刀と脇差を鞘ごと引き抜くと刀だけを抜いて鞘と脇差をその場に置いた。そうして打ち寄せる波の手前まで歩みを進めて止まると微笑を零した。

「世界は違いますが……、私からの餞別です」

右手は刀の柄を、左手は刀身に添えて、刀をゆるりと横に傾けながら円を描く様に足を動かした。乾いた砂が微かに舞う様は、静かに且つ丁寧に運ばれるに少しばかりの演出を齎す。
天と地を指し示すように舞う動きは優雅で、時折に刀を身体に添えて孤を描く様に回して風を切り、トンッと飛んでは静かに砂地に舞い降りて、刀身に左手を添えてくるりと回る。太陽が射す光に反射する刀身の輝きがカノエの舞う姿をより一層に華麗で且つ神秘的に映した。

舞を終えたカノエは、海に向けて深々と頭を下げると、刀を鞘に戻して脇差と共に腰帯に差し、砂まみれになった足を払ってグラディエーターサンダルを履いた。
本来の目的による収穫は無かったが、思いのほか大きなものを得た気分だ。と満足したカノエは上機嫌に足取りを軽くしてその場を後にした。

そうして誰もいなくなった砂浜に打ち寄せる波音が余韻を残した後、ガサッと葉擦れの音が響いた。
ザッ…ザッ……――と、一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取りで砂浜へと進む男が一人――マルコだ。
ザッザッと砂浜へと足を進め、カノエが舞っていた場所に着くと暫く佇んだ。

「……」

無言で景色を見つめながら舞を舞っていたカノエを思い出し、カノエが座っていた場所に腰を下ろした。

~~~~~

早朝、気晴らしに甲板に出て朝日を浴びながら蹴伸びをしていると、船を降りてどこかへ向かう人の姿を捉えた。和服姿で長い髪を結った姿恰好からしてそれがカノエだと直ぐにわかった。

「こんな朝早くにどこへ行く気だ……?」

昨夜の事もあってマルコはカノエの後をこっそりついて行くことにした。
カノエに勘付かれないように見失わない程度に距離を保って後をついて行くと、途中で向かいから女が歩いて来る姿に気付いた。

ジェナ……!

嫌と言う程によく見知った女に、自ずと眉間に皺を寄せて口元をへの字に曲がった。
夜の姿とは打って変わって質素な装いではあったが、遠目からでもそれがジェナであることは直ぐにわかる。深く関わったことがあるだけに、明るい時分になると彼女が好んで質素な姿恰好でいることを知っていたからだ。
それを知りもしないカノエにすれば、間近に来るまでジェナだと気付かないのは当然だ。今直ぐにでもカノエを捕まえて引き返させたいが、カノエの後を密かに尾行しているだけに割って入るなんてできるわけも無く、マルコはただ黙って見守ることしかできなかった。
カノエとジェナが言葉を交わしているのを遠巻きに見つめるマルコの胸中には非常に焦りにも似た感情が沸々と湧き起こってそわそわと落ち着かない。

何を……話してんだ?

距離もかなりある為、二人の会話は当然マルコの耳には届かなかった。ジェナが柔らかく笑みを浮かべて楽し気に話している一方、ドギマギしているような動きを見せているカノエはあまり平静ではないのだろう。それでも何とか言葉を交わせている――ということだけはわかった。

いつだっか、とある島で一般の女と話をしているカノエを見たことがあった。至って普通の態度で楽し気に話していた。
なんだ、平気じゃねェか――と思って見ていたが、それは質素な姿恰好をした健全な女だからだ。今のジェナは質素で健全な姿恰好をしているだけに、苦手意識はあってもなんとか会話を熟せている。
女が苦手だからというよりも、"その手の女が"苦手なのだ。
最早モビー・ディック号では名物と化しているが、船にいるナースの出で立ちも夜の女の出で立ちも、一般の女に比べたら露出度が高く、胸の谷間が見える程に大きく開いた衣服を好む。そんな彼女達を前にしたカノエの反応は途端に顔を真っ赤にして面白い程に酷く動揺して視線を泳がしパニック状態に陥る。

「あれは……まァ、いつ思い出しても笑えるよい」

ナースの悪戯にハマったカノエの惨状を思い出して小さく笑っていると、カノエとジェナは会話を終えたようで――いや、雰囲気からしてカノエの方が居た堪れずに会話を切ったように見えた――頭を下げたカノエがそそくさと足早に去って行った。
しかし、ジェナはその場に佇んだまま動く気配は無かった。徐々に小さくなって行くカノエの背中をじっと見つめているようだ。
何を考えてる……?とマルコは眉を顰めた。そして、漸く踵を返して歩き出したジェナの表情を目にしたマルコは瞠目した。

何だよい……その、敵意に染まった目は……。

初めて見るジェナの鋭い眼差しに不審を抱いたマルコは、彼女が通り過ぎて行くのを待った。ジェナを尾行するべきか――とも思ったが、カノエのことも気になる。
どうする……?と悩みに悩んだ時だった。

「お、マルコじゃねェか! 早ェなァ!」

よく知る声が耳に届いてマルコは振り向いた。サッチだ。
この町には早朝のちょっとした時間にしか店を開けない変わった店がある。恐らくその店で何かを買う為に早朝の時間にも関わらず一人で出歩いていたのだろう。
マルコはサッチの腕を引っ張ると、去って行くジェナを指し示した。

「んー、ありゃあジェナじゃねェか」
「サッチ、ジェナの後をつけろ」
「はい?」
「頼んだよい!」
「ちょ、おれっちも用があるんだけど!? って、マルコ! おーい!」

サッチに指示だけ出したマルコは、サッチの抗議を無視して走って行った。

「マジか……。カワイ子ちゃんを部屋に残して早々と出て来たってェのによォ……」

サッチはブツブツと文句を言いながら律儀にジェナの後をつけるのだった。


〆栞
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