第五幕


日が落ちて夜になった頃、船から望む町の明かりは幻想的でいつ見ても綺麗だ。
不審番の居残り組であるカノエは、欄干に腕を突いて町を眺めていると「ご苦労さん」と声を掛けられ振り向いた。

「あ、マルコ殿」

各部隊に指示を出した後、自室に引き篭もって仕事を続けていたのだろう。少々疲れの見える顔に微笑を浮かべるマルコがカノエの隣に並び立ち町を望んだ。

「マルコ殿は町に」
「行かねェよい」
「――……仕事が滞っておられる故…ですか?」
「いや、一通り終わったよい。けど、今夜は行く気がしなくてなァ」
「そ、そうですか」
「カノエ、明日の話だが夕方には船に戻って来いよい」
「え…?」
「特に”酒場には行くな”よい。絶対に」
「へ?」

目をパチクリとしているカノエの頭をくしゃくしゃと撫でたマルコは踵を返し、ビスタの元へ行くと幾らか言葉を交わして船内へと消えて行った。
ぽつんと残されたカノエは、マルコに撫でられた頭に手をやりつつ首を捻って疑問符を飛ばした。
先立ってこの島に偵察で訪れていたはずだが、何か不味いことでもあったのだろうか?
何となく釈然としないまま時が過ぎて翌日の昼を迎える頃――

「不寝番の翌日はやはり昼まで眠ってしまうものだな。くっ……、寝坊とは武士の名折れ……」

定時に起きることができないと気が済まないクソ真面目な性分が為か、カノエは悔いる言葉をぶつぶつと吐き捨てながらいつものブラウスに着物と袴、そしてグラディエーターサンダルといったスタイルに着替えて腰に愛刀を差し、最後に長くなった髪を軽く櫛で梳いて準備を整えた。
いざ部屋の外へとドアノブに手を伸ばした時、瞬間的に嫌な気配を察知したカノエは一歩後ろへ飛んだ。

バァンッ!

大きな音を発しながらドアが開く。

「カノエ、行こうぜ!」

元気なのは良いことなのだが、カノエはやれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。

「エース、ドアを開ける前にノックをするよう何度も」
「あ、悪ィ悪ィ。忘れてた」
「――……」

気配でエースだとわかるけども、やはり心臓には悪い。だからと言って度々抗議をしたところで笑って誤魔化されるのは目に見えている。ニッと笑みを浮かべるエースに反省の色がこれっぽっちも無いからだ。

「美味い飯屋を見つけたんだ。昼飯はそこで食おうと思ってんだけど良いよな?」

返事を待たずにエースはカノエの腕を掴んで歩き出した。途中でビスタとすれ違う際にカノエは「行って参ります」と声を掛けるもエースに引き摺られて過ぎ去って行く。

「まるで大型犬に引き摺られる飼い主といったところだな……」

シルクハットの鍔を摘みながらビスタは苦笑を浮かべて二人を見送った。





町で美味しいと評判の店を訪れたエースとカノエだが、昼食時分は人が一杯で席が空いていなかった。少し待ってはみるもののなかなか順番が回って来そうに無い。その間にエースの空腹が限界を迎えて腹の虫が盛大に鳴り響いた。

「あー、もう我慢できねェ。カノエ、他ンとこでも良いか?」
「あ、あァ、私はどこでも構わないが」
「よし、ならこっちだ」

エースはカノエの腕を掴んでまた引っ張っるように歩き出した。

「エース、どこへ?」
「酒場だ」
「へ?」
「ここの酒場の飯も美味いんだ。夜だけじゃなく日中も開いてるって言ってたしな」
「そ、そうか……」

酒場には行くなとマルコに言われたが、今はまだ昼時だから大丈夫だろうと楽観的に考えたカノエは、エースと共に酒場に入った。
空いていた席に着くとメニュー表を開いて適当に注文し、食事が運ばれるとエースは凄い勢いでがっついた。その一方、苦笑を浮かべながら置かれたフォークに視線を落としたカノエはピタリと動きを止めてハッとした。

あ……!

外出時は、いつでもどこでも困らないよう常に『My 箸』を持参しているカノエは、やはりナイフとフォークがどうも苦手で、何度かチャレンジしてはみたもののポロポロと落としてしまい、その度に「失敬!」の連続だった。
器用なのか不器用なのかわからねェ奴だとイゾウに半ば呆れたように笑われながら新品の箸を数本貰い受け、食堂用と外出用として持っていたのだが、今回はエースの勢いに飲まれたからか完全に失念して『My 箸』を忘れてしまっていた。

表情を曇らせたカノエは溜息を吐きながら仕方が無く苦手なフォークを手に取った。
今回サラダ類は無い。パスタのみだ。いつかサッチと食事した時に見た記憶を探る。フォークをクルクルと動かしてパスタを巻き付ける。

おぉ、できた!

何とか事無きを得そうだと安堵したカノエであったが、常に持ち歩く物を忘れたことに関して何たる失態だ!と、いちいち気にして悔やんでは自己反省の弁を宣いつつパスタを食す。
そうして昼食を終える頃、既に十五時を過ぎていた。混雑したレストランで待った分も相俟って結構な時を過ごしていたことに気付く。

あ、 あと三、四時間で夕食時ではないか!!

何たる怠惰な過ごし方だと自責の念に駆られる中、あァもうなんて面倒臭い性格だ。武士が何だ。この世界にそんなものは無いのだからいい加減に許してやったらどうだとカノエは自問自答する。

いやいや、それでは律するべき時にちゃんと対処できなくなるではないか!!

頭の中で自分に甘い黒い衣服を着たカノエと、自分に厳しい白い衣服を着たカノエが、お互いに刀を抜いて喧嘩を始めた。
しかし、どちらが勝ってもどのみちカノエは自分を責めるだろう。悶々とした己の世界に苦い表情を浮かべるカノエにエースは言った。このままここで晩飯だな――と。

「あァ……、え?」
「もうあと数時間で夜だ。どうせ酒場で飲んで食うんだからここにいても問題無ェ。サッチ達もそろそろ来るだろうしな」

ニシシと笑うエースにカノエは慌てて首を振った。

「い、いや、私は夕方には船に戻るようマルコ殿に言われている故、も、戻らねば!」
「ん? なんでだ?」

首を傾げるエースに兎に角そう言われたからとカノエは席を立った。その時、

「よう、カノエちゃん! 相変わらずエースの相手か」
「!」
「サッチ、今日はやけに早いな」
「暇だから早めに来ようと思ってなァ。そしたら珍しくカノエちゃんがいるから正解だったぜ! 一緒に飲んでくだろ?」

サッチの問いにカノエは焦って首を振った。

「い、いえ、そ、その、」
「んー、どうした?」
「カノエはマルコに船に戻れって言われたんだってよ」

しどろもどろになるカノエの代わりにエースが面白くなさそうにムスッとした表情で言った。

「……」

はっは〜ん……、成程な。と一瞬だけキョトンとしたサッチはキュピーンと目を光らせて妖しい笑みを浮かべた。だが、カノエもエースもそれには気付いていない。

んー、やっぱり会わせたくねェってか。まァそうだろうな。昨日も”彼女は”マルコ待ちだったからなァ。あら、なんだかちょっと面白そうな予感。

「そりゃあ面白くなりそうだ」

サッチの思考を代弁するかのように背後から声が聞こえて、サッチはハッとした。この声はまさか!と思って振り向いた途端に頬をヒクリと引き攣らせた。
クツクツと笑いながら煙管を咥えるイゾウがサッチの肩に手をポンと置くとコソッと耳打ちする。

「修羅場が好物なのはお互い様だろう?」
「ハハ、否定できねェです」

サッチは引き攣った笑みを浮かべて「ハハッ」と乾いた声を零した。

「カノエ、飲んで行きな」
「で、ですが!」
「マルコがなんと言おうがおれが取り繕ってやるよ」
「うっ……、わ、わかりました」

満面の笑みを向けるイゾウにカノエは仕方が無く折れることにした。それにサッチは、流石にカノエちゃんもイゾウには弱ェなァ――と思った。

「サッチ、いつもの席か?」
「おう、奥の特等席」

イゾウはサッチの指し示した奥へと向かった。それから少し遅れてハルタとラクヨウが意気揚々と酒場にやって来た。

「あれ? みんな早いね! それにカノエもいるじゃん!」
「まだ日は高ェが酒を飲みに……って、珍しくカノエがいるじゃねェか!」
「!」
「カノエ、今日はおれの酒に付き合いやがれ!」
「ら、ラクヨウ殿! 今日はというか、この間”も”付き合った故、今回はご勘弁を!」
「あァン? この間はこの間。今日は今日だ!」

ラクヨウはそう言ってカノエの腕を掴むと特等席へ強引に連れて行った。

「おれも付き合うぜ」

先程のムスッとした表情はどこへやら、ニパッと笑ったエースも早々に立ち上がって二人の後を追った。
ラクヨウに強引に連行されて席に着く破目になったカノエはエースとは対照的にトホホといった表情だ。

「観念するんだな」
「諦めも肝心だよ」

イゾウとハルタがケラケラと楽し気に笑った。ぐぬっと軽く呻いたカノエを中心に輪ができる光景を見つめるサッチは、この状況を知りもしない悪友に思いを馳せた。

えれェ人気だな。マルコ、早くしねェと誰かに獲られちまうぜ? いや、マジで……。
まぁ、かく言うおれも恋人候補に参戦する気満々なんだけど。
サッチは自分も混ぜろとばかりにその輪に加わるのだった。

丁度その頃、ビスタは一人の隊員の報告を受けると、面倒だと思いながらマルコの部屋を訪ねた。

「マルコ、カノエは船に帰って来ないみたいだぞ」

ビスタがそう告げるとマルコは目を丸くした。そして、ガタリと立ち上がって慌てて部屋を出て行った。

「まったく……、最初から共に行動しておけばこのようなことにならんというのに。まァ良いお灸だ」

呆れにも似た溜息を吐いたビスタだが、直ぐにニヤリと笑みを浮かべて自身も酒場へと向かうことにした。
なんとなく修羅場に興味があったからだ。――とは、紳士たる者それは口にはできないが……。
この辺りの性格はカノエと被っているなと、ビスタ自身もどことなく自覚している節がある。しかし、ビスタの場合はそれに対してどうこう気にすることは無いという点においてはカノエより自由思考で縛りが無いと言えるだろう。

日はまだ少し高く明るい時分ではあるが、酒場は白ひげ海賊団の者達が大勢集まっていて疾うに宴会状態だ。そこに磁石のように引っ張られてやって来るのは数多の娼婦達。
さて、今夜は美味い酒が飲めようか。はたまた酷い酒になるだろうか。
わいわいと賑わう酒場の奥に座するカノエは渋々ジョッキを受け取った。
少しだけ付き合えば納得してくれるだろうか。
隣でガハハと笑って酒を呷るラクヨウをチラリと窺ったカノエは、望み薄だと小さく溜息を吐いて、仕方が無く手にしたジョッキを傾けて酒を飲むのだった。


〆栞
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