第一幕


幼い子供を腕に抱いて家屋に逃げ込んだ若い夫婦は、泣く子供を宥めて息を潜めて事が済むのを待った。
町の中心地にある広場では、この町を散々荒らして食い物にしていたならず者の海賊達がいたが、他の海賊団による襲撃を受けて必死に足掻く姿があった。

「ひィ! か、勝てるわけねェッ!!」
「あ! てめェ、逃げンじゃねェ!!」

戦う者や逃げる者など様々だったが、彼らが一様に口々にしたのは『白ひげ海賊団』という言葉だ。

「うあァ!」
「くそ! 痛ェ!」
「ダメだ! 強過ぎる!」
「お頭ァッ! 助けてくれェ!」

四皇の一角を座する白ひげ海賊団とは圧倒的な力の差があった。ならず者の海賊達は一気に瓦解して混乱するばかりだ。

「チッ! てめェら逃げるぞ!」
「「「りょ、了解!」」」
「あ! まっ、待ってくれよ! 助けてくれよお頭ァァァ!」

ならず者の海賊一味の頭である男は、側近達を引き連れて戦いの真っただ中にいた手下達を置いて逃走した。

「仲間を見捨てるとは……。お前達は従う相手を間違えたようだな」

絶望する手下達の悲鳴が上がる中、シルクハットを被った男が呆れて溜息を吐いた。

「ビスタ隊長、こっちは片付けました」
「そうか。あァ、この者達は縄にして連れて行け」
「了解! あ、こいつらの頭はどうします?」
「別の隊にくれてやれ」
「わかりやした。おい、お前らこっちに来い!」
「ひィッ!」

ならず者の海賊達は敢えなく縄で縛られて連れて行かれた。
シルクハットを被った男――ビスタは、彼ら一味の頭である男と側近達が逃げた方角に視線を向けると、髭を弄りながら「逃げた先が悪い」とポツリと呟いて踵を返し、部下達の後を追うようにその場を立ち去った。
一方――
手下を囮にして逃げた男と側近達は、人気の無い場所に出ると乱れた呼吸を整えようと足を止めた。

「はァはァ…クソッたれが! な、何でこんな辺鄙な島に四皇のッ、そ、それも白ひげみてェな大物が来やがんだ!?」
「あ、頭ァ! あれを!」
「あァ! おれ様の船が!!」

自分達の船が白ひげ海賊団によってあっさりと拿捕される姿がそこにあった。
船に乗っていた手下達が次々に捕らえられては縄を掛けられて島へと降ろされていく様に、彼らは頭を抱えて悲鳴を上げた。

「他人の心配をしている暇は無いと思うんだがねェ」

呆然と見つめていると大きな崖上から声がして、ハッとした彼らは「だ、誰だ!?」と慌てて見上げた。
そこには女のような妖艶な雰囲気を醸し出す和装の男が銃を片手に立っていた。

「お前が頭だな? 野郎ども! 捕らえちまいな!」
「「「おおおおっ!!」」」
「くそっ! 白ひげ海賊団め! てめェら戦え!」
「うああっ、数が違い過ぎますよ!」
「あっ! お、お頭!?」

男はまたしても数人の手下を囮にして残った側近達と共にその場から逃げ出した。

「やれやれ、部下を餌に自分だけ逃げるか。大した頭だ」

仲間をあっさりと見捨てる行動に和装の男も流石に呆れて拳銃を懐に仕舞った。

「しかし……、逃げた先が悪かったな」

和装の男は彼らが逃げた先を見据えてフッと笑った。





悔しさと畏怖を同居させたような面持ちで逃げた彼らは、暗く深い森を抜けて海を一望できる海辺に辿り着いていた。
辺りには誰一人とて姿も気配も無い。
彼らは少しだけ安堵して大きく息を吐いた。だがそこに――

「まさかここに逃げて来られるとは思いませんでした」

少し線の細い柔らかい声音が彼らの耳に届いた。

「だ、誰だ!?」

男は弾かれるように顔を上げて辺りを見渡した。

「頭ァッ! あそこだ!」
「!」

部下の一人がその声の主を発見して叫んだ。
男はその者を見るなり目を丸くした。

「着物……?」
「さっきのワノ国の男の仲間だろう」
「ありゃあ男か……? それとも女……?」

彼らの前に現れたのは先程の崖上にいた男と同じ和装した者であった――先程の男はどちらかと言うと女が身に付ける着物の様だった――が、着物に袴姿と出で立ちは異なっている。
長く艶のある黒い髪を後頭部で一つ括りにして束ね、黒髪が映える程に肌色は白く、顔付きが男の割には妙に線が細く柔い優男のそれ。
男かもしれないが女と捉えても強ちおかしくは無いと思える程に秀麗な容姿に思えた。

「チッ……、だが小せェ男がたった一人。な、何もビビるこたァねェ……」
「し、しかし、さっきみてェに周囲に仲間がいるかもしれねェですぜ」

男と側近達が周辺に警戒しながらビクビクしている。そんな彼らに和装の男はクツリと笑みを浮かべた。

「ご安心なさい」
「な、何?」
「ここにいるのは私だけ故、周囲を警戒する必要は無い」

和装の男の言葉に彼らは眉を顰めた。

「て、てめェは、白ひげ海賊団じゃねェのか……?」
「如何にも」

和装の男の返事に彼らは顔を見合わせてホッと安堵した――のも束の間。

「私は白ひげ海賊団に属する者です」
「「「じゃあ敵じゃねェか!」」」

緊迫した空気に似合わない何とも暢気でニコニコとした和装の男に、生きるか死ぬかで必死な彼らは思わず総出でツッコんだ。

「ハハハ、すみません」

和装の男はと小さく笑って頬をポリポリと掻いた。

「てめェ一人だって言ったな!?」

気を取り直して男がそう言うと、和装の男はコクリと頷いた。

「このような所にまで逃げ込む者はいないだろうと目算されていたので誰もいません。ただ、念の為と思い一人でここを見張っていたのですが……、まさか本当に来るとは思っていませんでした」

少年のような青年のような柔らかい笑みを浮かべて素直に話す和装の男を彼らは怪しんでいたが、どうも嘘を言っているようには見えなかった。

「へっ……、てめェは隊長格じゃあねェよな……?」
「あ、はい。私はただの一隊員です。5番隊に所属するタチバナと申します」

敵を相手に丁寧に名乗って頭を下げるその行動に彼らは少しだけ呆気に取られてポカンとした。だが直ぐにハッと我を取り戻して武器を手に身構えた。

自分達に比べて背が低くて女のようにか細い優男が一人。対してこっちは頭である男と側近四人で計五人。

白ひげ海賊団の一員だとしても隊長格で無いのなら怖くは無い。数的にもこっちの方が圧倒的有利だと目論んだ彼らは、先程の恐怖した顔と打って変わって下卑た笑みを浮かべた。

「例え白ひげ海賊団の隊員とはいえ……」
「こんな男か女かわからねェような細っこい優男が一人」
「くっくっくっ……、数でもおれ達の方が有利!」
「怪我をしたくなけりゃあ大人しくそこをどきやがれ小僧!」
「邪魔するなら斬り殺してやるぜ!」

優位に立つ彼らは息巻いて声を上げた。しかし、和装の男は動じるどころか微動だにしない。

「どうぞ如何様にもお好きになさい。私はあなた方をここで仕留める為にいるのですから」

和装の男――タチバナが微笑みながらそう言うと彼らは弾かれたように武器を掲げて突進した。

「「「生意気なクソガキがァァ!!」」」

五人が同時に一人の男に目掛けて武器を振り下ろし襲い掛かる。

ヒュンッ――!

目前に差し迫った時、タチバナと名乗った男は瞬間的に姿を消した。

「んなっ!?」
「何だと!?」
「消えた!?」
「どこに!?」
「ぐあァァッ!!」
「「「!?」」」

和装の男を見失った彼らは戸惑いの声を上げながら慌てて周りを見渡した。だが、仲間の一人が大きく悲鳴を上げたことに驚いてそちらへ目を向けた。

視界に映ったのは大きな身体が宙を舞って地面に落ちる姿。

頭である男は目を見開くと同時に視界が大きく歪む。鈍い音と激しい痛みが突如として身体を襲う。
低く呻く声が自ずと口から漏れ出し、身体は大きく弾かれて勢い良く岩盤へと激突した。

「がっ…はっ……!」

ズルズルと地面に落ちて行く中、仲間が次から次へと敢え無く地に沈んで気を失い倒れる姿を見つめた。
意識が混濁して視界が狭まって行く中で最後に見たのは、煌びやかに輝く刀を手にしたタチバナという名の男が刃と峰を返して鞘に納める姿。
思わずゾクッと背筋が凍る思いがした。
呼吸一つ乱すことも無く、何事も無かったかのように自分達を見下ろす男は、自分達よりも背が低くて細い身体をしているというのに、どうやって自分達のような大の男を弾き飛ばすことができたのか――男にはわからなかった。

はっ…、ただの一隊員でこの強さってなァ、とんだ化物集団だ……。

白ひげ海賊団が世界最強と称されるだけのことはある――と、自嘲にも似た笑いを小さく零した男は、全身に走る鈍い痛みに誘われるように意識を手放したのだった。

「お前の想定通りだったなカノエ」
「まさか、想定などしてはいません。ただ、何事も用心に越したことは無いということですよ、ビスタ隊長」

視線を森へと移すと姿を現したのはシルクハットを被った男――ビスタだ。
ビスタの後には数人の屈強な男達の姿もあって、カノエと呼ばれた和装の男はニコリと笑って軽く頭を下げた。

「相変わらず見事な剣技だったな。一度、本気で手合せ願いたいものだ」
「また御冗談を……」

カノエが困り顔を浮かべてそう言うとビスタは髭を弄りながら「ハッハッハッ!」と笑った。

「しかし、カノエが刀を抜いた時は流石にちょっと焦ったぞ」
「斬りはしません。全て峰打ちです。まァ、骨が幾分かやられているとは思いますが……」

自分が倒した男達を見つめるカノエに、ビスタは手を伸ばしてカノエの頭をクシャリと撫でた。

「自業自得というやつだ」
「ハハ、慰められる程に凹んではいませんよ」
「おれの目にはそう映ったからな」
「節穴ですか?」
「良い度胸だ」

ビスタはカノエの頭を乱暴にグリグリと撫で回した。

「これこそ冗談ですって」

カノエは笑いながらビスタの手から逃れるように身を捩った。
ビスタと共に来た隊員達もどっと笑う中、ビスタは「やれやれ」と零しながら隊員達に気を失っている一味を連れて行くように指示した。
それに従って気絶した男を抱き起そうと腕を掴んだカノエだったが、横から筋骨隆々の腕が割り込んで来てヒョイッと奪われた。

「カノエ、力仕事はおれ達の仕事だぜ」
「し、しかし、私とて5番隊の隊員。特別扱いは止めて頂きたい」

隊員の衣服を掴んで首を振るカノエに、あーあー良いって!と、他の隊員達も挙って断りの声を上げた。

「こういうのはおれ達に任せろって」
「ですが、」
「カノエがこいつらを仕留めたんだから十分。ですよねェ、ビスタ隊長」
「そうだな。ここは彼らに任せれば良い。カノエ、おれ達は先に町の広場へ行くぞ」

ビスタの声に唇を尖らせて不満気な表情を浮かべたカノエは、渋々その手を離した。

「ハハ、あからさまに湿気た面すんなって」
「むう……」
「カノエはカノエの仕事をしたんだから良いってこと!」
「……」
「おし! 行くぜ〜お前らァ〜!」

自分も一隊員。そこに特別な違いなんてものは無いのだから、扱いも同等で然るべきなのに――と、一本気に真面目でお堅い性分であるカノエは、倒した一味を担いで行く隊員達の背中を見つめて深い溜息を吐きながらガクリと項垂れた。
カノエと隊員達との距離感が近くなったこの光景に、髭を撫でながら目を細めて小さく笑ったビスタは、項垂れるカノエの肩を軽く叩いた。

「今夜は勝利祝いの宴だぞ」
「慰め……ですか?」
「今のは明らかに凹んでいたからなァ」

お前の気持ちは皆も十分理解している。特別だとかでは無く、ちゃんと一隊員として認めている――と、ビスタは言った。

「ッ……」

反論の余地が無かったカノエは、少しだけ顔を赤くしてソッポを向いた。

「仕留める役を奪われたのだ。運び役の仕事ぐらいさせてやれ」

くつくつと笑ったビスタが町に向けてさっさと歩き出した。その後を追うようにカノエは足を進めた。

「勝利祝いの宴についてだが、慰めでは無いぞ?」
「えェ、わかっています。今から酔っ払いに絡まれる役に気持ちを切り替えます」
「ハッハッハッ! ラクヨウの相手が一番の苦行だな!」
「え……、ラクヨウ隊長限定……?」

ピタリと歩くのを止めたカノエは、眉を顰めて首を傾げた。
髭を弄りながら振り向いたビスタが「当然ではないか」としれっと答えた。

「な、何故!?」
「ラクヨウは酔っ払うとカノエに絡みたくなると言っていたからな」
「……」

ビスタの返答にカノエは顔を顰めた。

「お、嫌そうな顔だ」
「当たり前じゃないですか……」

そもそも初耳だ。と愚痴っぽく漏らすカノエに、今度こそ慰めの意図して「ご愁傷様」と口にした。

海賊というのは宴ありきだ!

いつだったか酔っ払って絡んで来たラクヨウが、やけに熱く説いていたのを思い出した。それが何回目で何を祝しての宴だったかすら覚えていない。
よくよく考えてみると宴の度に絡まれていたなと今になって気付いたカノエは、今夜は勘弁して欲しいと心から切に願った。

「そもそも、私は静かに飲みたい派ですよ」
「そうか。残念だったな」
「……」

気の毒だがラクヨウが飽きるまで我慢するしかないなと笑うビスタに、カノエは諦めにも似た溜息を吐くことしかできなかった。


〆栞
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