第二十七幕


男はヒタヒタと暗い廊下を歩いていた。開け放たれたドアに目を細めて、ゆっくりとした足取りで部屋に入った。
多くの刀が所狭しと飾られている。実に収集家らしい部屋だと男は思った。そして、視線を下に落とせば、戸棚に背中を預けて息も絶え絶えにガタガタと震える男。

「はァッ、はァッ…! た、頼む! 助けてくれ! こ、ここには上物の刀が沢山ある! 好きなだけ持って行って構わない! だから、い、命だけは!」

懸命に命乞いをする男に対してニタリと笑みを浮かべた男は、飾られるだけの多くの刀に目を向けた。

「んー……、哀れな刀達だ」
「た、助けてくれたらもっと良い刀を手に入れて、あ、あ、あんたにやる! そ、そうだ! つい最近だが、とびきり良い刀を見つけたんだ! こ、ここにある刀以上に、か、価値のある刀だ!」

命の為に必死に交渉を呼び掛ける男に、喉を鳴らして笑った男は視線を男に戻した。

「ンフフ……。お前の言う刀というのは、恐らく天剣の持つ三日月宗近のことだろうねェ」
「な、何……?」
「価値を知らぬ愚かな男が刀を語るなど愚か極まりないと言っているのだよ。本物を知らぬ愚か者など生きる価値など無いねェ」

刀をゆらりと動かして刀身をペロリと舐めた男に、命乞いをする男は愕然とした面持ちで目を見開いた。

「ここにある刀などに興味は無い。全て、我が無名の剣で壊してくれよう」
「な、何だと!?」

男はニタリと笑うと飾られるだけの刀に向けて問答無用に狂気を帯びた刀を振り下ろしていった。無名の剣により忽ち無残に壊されていく上物の刀らを前にして、命乞いをする男は為す術も無く青い顔をして見つめるしかなかった。

「ンフフフ……。イイねェ、その顔。そそるよ〜」

命乞いをする男の恐怖と絶望に満ちた表情に、男は満足気に笑った。

「ま、待ってくれ……!」

ザシュッ!

「かっ…はっ……」

容赦無く振り下ろされた刀は男の腹部を切り裂いた。その切り口を剣先が突き刺した瞬間にグッと横へと引き裂くように刃先を向けて、更に傷口を大きく掻っ捌いて刀が引き抜かれると、臓器が外へと引き摺り出され、命乞いをした男は敢え無く絶命した。
血に塗れた刀身に舌を這わせて舐め取った男は、肩を震わせ始める連動して全身をガタガタと震わせた。

「ンフフ、フフ、ハハハハハッ! イイねー! イイよー!!」

異常なまでの興奮を期して声を上げて笑う狂った人間の姿は、あまりにも酷く非情で醜いものだった。そして――
男が別の部屋に向かいゆらりと入ると、三人の女が抱き合ったまま固まってガタガタと身体を震わせながら身を潜める姿があった。

「ンフフフ……。女が三人。これは楽しめそうだねェ」

三人の女は身体をビクつかせて強張らせた。恐怖に支配された女達にゴクリと喉を鳴らした男は、性的な興奮を起こしてケタケタと笑い始めた。

「お前からにしようかねェ?」

一人の女の髪を掴み上げると、女は「ひっ!」という声を漏らした。それと同時に首筋の頸動脈をあっさりと斬り付けられる。そうして勢い良く飛び散った血飛沫が二人の女達の身体に掛かると、女達は絶叫して泣き叫んだ。

「ンフフ! イイねー……、良い顔に甘美な啼き声。なかなかに興奮するよ」

掴み上げた女の身体をごとりと投げ捨てると、その女の身体はビクビクと痙攣を起こしていた。その様を見た残りの二人は更に恐怖して泣き叫び、身体が竦んで動けなくなっていた。
男は空いた手で顔を覆うとケタケタと笑いながら興奮が最高潮に達したのか、自身の一物を出して泣き叫ぶ二人の女の内の一人に精液をぶちまけた。

「あー、あまりに良すぎてイッてしまったよ。すっかり汚れたねェ」

男はニタニタと笑いながら刀を振るい、精液をかけた女の首を容赦なく跳ねた。宙に浮いてゴトリと落ちたその首の表情は恐怖に怯えたまま硬直していて、男はその首を拾うと何度もその顔を舐め挙げた。
あまりにも異常な男の行動に残された最後の一人の女は、身近にあるものを男に投げつけて震える身体を叱咤して懸命に立ち上がり部屋から逃げ出した。
階段を駆け下りてブティックを越えて外へと飛び出し、雨が降り頻る中を必死に走った。しかし、ぬかるんだ地面に足を取られてズシャッと全身を地面に叩きつけるようにして倒れた。

バリンッ!

泥だらけになって突っ伏している女の頭上からガラスが割れる音がしたのと同時に、目の前にあの男の足が着地するのが見えた。男が二階の窓を突き破って飛び下りたのだと女は直ぐにわかった。

「はァ…はァ……や、やめて……。誰か、誰か助けて……!」

女は出る限りの声を絞り上げて叫んだ。

「イイねー」

男は刀を振り上げて女の首筋に目がけて振り下ろそうとした――その時だった。

「動くな!!!」

男はピタリと動きを止め、声がした方へとゆっくりと顔を向けた。

『MARINE』と書かれた制服を来た者達が銃を向けて立っていた。そして、その中でも最も実力のある者と思われる『正義』という文字が書かれたマントを翻した男が、武器を手にして鋭い眼差しを向けている。

「んー、銃が沢山……」

男は振り上げた刀をゆっくりと下ろして彼らへと身体を向き直した。

「そこの君! 今のうちに逃げなさい!!」

海軍の男がそう叫ぶと、女は急いで立ち上がって逃げようとした――が、男は下ろした刀を巧みに操り、逃げようとして背中を向けた女を容赦無く斬り付けた。

「なっ!?」
「ンフフフ、彼女は我の獲物だからねェ、逃がすわけにはいかないよ」

女は悲鳴を出す間も無く泥水に頭から突っ込む様にして倒れた。傷は少し浅かったようで、まだ死んではいないようだ。しかし、斬り付けられた背中はパックリと肉が裂けて血が溢れ出していた。

「おのれェェ! 撃て! 撃ち殺せ!」
「ンフフフッ! 銃! 銃!! 銃!!!」

男は銃口を向けた男達に容赦の無い凶刃の太刀を浴びせた。動きは極めて俊敏で捉えることができない。気付いた時には既に斬られた後だ。正義の文字を背負った男もあっさりと両手を断ち切られ、鳩尾を蹴られて地面を転がった。

「はっ…はっ…はァ…、くそ、ば…化物め…!」
「んー、それは違うねェ。化物と言う言葉は、天剣の為にあるようなものだ」
「な、何だ…と……?」
「天剣の橘迅ほどの化物はいないと言っているのだよ!」

正義の文字を背負った男は目を見開いた。

「我も人斬りなんだけどねェ……、天剣は別格なのだよ」
「て…ん…けん……?」
「教えておいてやろう。橘迅に刃を向けたら最後、あるのは『死』だ。例え悪魔の実の能力者といえども、天剣の前では大したことないだろうねェ。あれは神の御剣。天より与えられし人を誅する為の御剣。故に最強。故に化物……」
「……!」
「我の名は、祠堂實穐《しどうさねあき》。幕府方の人斬り」
「シ…ドウ……」
「あー、我の名を知ったところで、死に行く君には関係無いことだけどねェ……」
「くっ……!」
「じゃあ、さようなら」

ニタッと笑った男は刀を振り抜いた。

ザシュッ!

祠堂と名乗った男は、正義の文字を背負った男の首を断ち切った。背後の壁に潜む気配に気付いてはいたが、敢えて情報を漏らすようなことを口にしたのは宣戦布告か。

「さァ、橘迅。世界は君に刃を向けることになる。我は人が壊れる様を見るのが最も好きなのだよ。とことん追い詰められて壊れてみせて欲しいねェ」

左手で顔を覆うとケタケタと高笑いを上げる。そして、未だに息のあった女に視線を移すと心の臓を目掛けて一突きしてその場を立ち去った。
無残な惨殺死体が転がる広場から壁を隔てた先で身を潜めていた一人の海兵は、電伝虫を片手にガタガタと震えながら報告する。

「はァ…はァ…、か、海軍本部。き、聴こえてましたでしょうか?」

電伝虫は本部と通信が繋がったままの状態だったことから、シドウサネアキと名乗った男の言葉は一言一句違う事無く本部にいる者の耳に届いていた。

『生き残ったのはお前だけか?』
「は、はい。中将含め……、ぜ、全員、こ、殺されました」
『わかった。直ちに帰還せよ』
「了か」
「んー……、やっぱり獲物は最後まで狩らないと気が済まないのが我の困った性分だねェ」
「――いッ!?」

壁を隔てた先に身を潜めていた一人の海兵は、帰還命令を受けて返事をしようとしたところで背後から被さった男の声に息を呑んだ。顔を青褪めさせて振り返ると、立ち去ったはずの人斬りシドウサネアキがいた。

『逃げろ!!』
「不思議なものを持ってるねェ。声が聞こえるが、君は誰かなァ?」

海兵が持つ電伝虫から人の声が聞こえるのを不思議そうに見つめながらシドウはニタッと笑みを浮かべた。

『くっ!』

通信先の人物と連動しているのか、電伝虫の表情が苦悶にも似た顔を浮かべる。その様を見たシドウは面白いねェと笑った。そして、恐怖の余りに尻餅を着いていた海兵から電伝虫を奪うと、通信先にいる人物に興味を持って声を掛ける。

「ンフフフ……、海軍のお偉いさんといったところかなァ?」
『!』

言葉尻からしてシドウという男は、この世界の情勢をよく理解しているのだとわかる。――つまり、それだけこの世界で長い時を経ているのだと考えられた。

『私は海軍本部元帥のセンゴクだ。シドウと言ったな。我々海軍は必ず貴様を捕まえて処刑台へと送ってやる。覚悟するのだな!』
「ンフフフ……、それはきっと無理だと直ぐにわかる」 
『なんだと?』
「我の相手をする余裕が無くなるだろうからねェ……」
『何故そう言える!?』
「会津藩士の人斬り崩れを捕まえたと聞いた。あの男もなかなかに狡猾で、武士とは程遠いクズな男だということ、君達は知らないだろう?」
『な、何!?』
「人斬りは所詮どこまでいっても人斬り。誰一人とて真面な人間等いやしない。それは人斬り崩れも同じこと……」
『ッ……!』
「ンフフフ、フフ、ハハハハハハッ!!」

高笑いをしながらシドウは電伝虫を地に落とすと徐に刀を振り上げた。海兵は「ひっ!?」と小さく悲鳴を上げる。恐怖に慄いた表情を浮かべてガタガタと震えながら見上げる海兵に、シドウはニタリと笑った。

「イイねー、実にイイ顔だァ!」
『やめろ!!』

落とされた電伝虫から制止の声が飛ぶもののシドウは聞く耳持たず、身を強張らせて動けない海兵に、一歩、また一歩と近付いた。

「人斬りに人斬りを止めることができるのは、」
「人斬りだけだ」
「――!」

ガキィィンッ!!

「えッ!?」
『!』

シドウは後方に振り返ると同時に刃を受けて身を翻し、そこから立ち退くように距離を取った。そして、横槍をして来た者の顔を見ると目を見開いた。
振り下ろされた刀を止める金属音に、電伝虫の先にいたセンゴクには何が起こっているのかわからなかったが、シドウの言葉を引き継ぐように声を発した何者かが海兵を助けたのだと理解した。

「橘迅……!!」
『なっ!? 橘迅だと!?』
「ひっ!? また人斬り!」

つい最近に配られた新たな賞金首リストの中に『天剣の人斬りタチバナ・ジン/DEAD OR ALIVE/一億ベリー』と書かれた手配書を記憶していた海兵は、絶望の境地に立たされて生きた心地がしなかった。
自分に背を向ける和装の男は、想像していたよりも細身で小柄ではあるが、彼よりも上背も体格も勝るシドウが即座に距離を取って警戒を露わにしていることから、この小柄な男は噂通りに危険な男なのだと思った。
地面に転がる電伝虫を徐に拾い上げた和装の男タチバナ・ジンは、恐怖に慄く海兵の手元にそれを投げ渡した。

「えっ……?」
『何だ! 何が起きている!?』

目を丸くして呆然とする海兵と、緊張の色に染まった電伝虫から発せられるセンゴクの声に、ジンは目を細めて口を開いた。

「ここは私に任せて逃げなさい」
「!」
『!』

思ってもみなかった言葉を掛けられたことに海兵とセンゴクは驚いた。一方、海兵の手の上にある電伝虫を見つめるジンは言葉を続けた。

「あなたが何者であるのかは存じ上げぬが、恐らくこの者の上に立つ者であろう。人斬りの祠堂は私が処罰する故、ご安心なされよ。それから、この世界に迷い込んだ人斬りは私が全て排除する故、可能な限り手出しは無用に願いたい」
『な、何だと!?』
「人斬りを斬るは人斬りの役目」

ジンは振り向いて表情を硬くしたシドウを見据えた。

『お前は…お前が、橘迅なのか!?』

背後から投げ掛けられる言葉に何も答えないまま刀を引き抜いたジンは、切っ先をシドウに向けて身構えた。そして、酷く冷めた声音を発する。

「討幕派維新志士、天剣の人斬り橘迅。幕府方人斬り祠堂。其方のお命、頂戴する」
『!!』

橘迅。
再び人斬りとなりて人斬りを討つ。

瞳に最早迷いは無く、放たれる剣気は辺りの空気を一変させた。その殺伐とした死に直結する空気を間近にいた海兵がただ一人身を以て体験することになる。

決して 敵に回してはいけない 神の御剣を――。





海兵は電伝虫の受話器を口元に寄せて報告を始めた。

「人斬りシドウは、し、死にました」
『詳細を話せ』
「橘迅は……」

海兵はそこまで言うと言葉を切り、思わず「あ……」と小さな声を漏らした。電伝虫の先で報告を促して言葉を待っていたセンゴクは眉を顰める。

『どうした?』
「……」
『報告しろ』
「センゴク元帥、か、彼は、彼は……、たぶん、敵じゃない…です……」
『何?』

海兵の目の前で無残にも殺されていった上司や仲間達。そして、女の遺体を一人で弔い始める男に、目を、心を、奪われて、海兵は何も言葉にすることができなくなった。
電伝虫の先にいたセンゴクは、何が起きているのかわからずに苦悶の表情を浮かべて受話器を一瞥する。
ただ、わかったことが一つある。
タチバナジンという人物像は、自分達の得た情報とは大きくかけ離れているということだ。

―― 人斬りの名を冠するだけに危険人物に変わりは無いのだろうが……。

シドウが言った『会津藩士の人斬り崩れ』というのは、タチバナジンの情報を提供した男のことだが、彼は既に釈放されている頃だ。当初は男の言葉を信用したが、今になってそれは大きな間違いであったと確信する破目になるとは思いもしなかった。己の浅はかさに腹の底が煮え繰り返る思いを抱くが、この上はタチバナジンの力を借りる必要があるのではないか――と、センゴクは思った。

この後、海軍本部で改めて開かれた会議において報告がてらにセンゴクは一つの提案をした。しかし、三大将の内の一人であるサカズキが全否定をしてその案は破棄され、タチバナジンは当初と変わること無く凶悪な人斬りとして捕縛対象のままとされた。

ただ一人、その場にいた海兵だけは知っている。
目の前にいるタチバナジンは、決して凶悪な人斬りでは無い。他人の為に、涙を流す。情の深い男であるということを――。


〆栞
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