第二十五幕


マルコがベッドから腰を上げた時、コンッコンッコンッとノック音が響いた。気を失ったままのカノエを一瞥してからマルコは重い足取りで向かってドアを開けた。
先刻にカノエの服を購入した店のオーナーである男だ。急いで走って来たのか息を荒げている。
ったく、刀のことか……と、眉間に皺を寄せたマルコは小さく舌打ちをした。そんなマルコの反応に気付く余裕も無い男が「す、すみません! お話があるのですが!!」と必死な形相で迫った。

「話って……刀のことか?」
「はい! 先刻お買い上げ頂いた代金は全額お返し致します! ですから、あの刀を是非とも私に譲ってはくれませんか!?」

倦厭したマルコは軽く溜息を吐いた。男を押して廊下に出るとドアを後ろ手でゆっくりと閉めながらマルコは首を振った。

「それはできねェ相談だよい。あの刀はカノエの大事な刀だ。そんな簡単に人に譲れるような代物じゃねェ。諦めろ」
「あのような刀は見たことがありません! お、お金ならいくらでも出しますから!」
「金の問題じゃねェ。大体あんたはただのコレクターだろい? あれは碌に使えもしねェ奴に持たせるような刀じゃねェ」
「た、確かに私はコレクターです……。ですが、あれ程の上物をあのような娘が持っているという点では、私が持つのと大して変わらないのではないですか!?」

聞き捨てならない言葉にピクリと眉を動かしたマルコは、途端に表情を変えて男を鋭く睨み付けた。

「ひっ!」

小さく悲鳴を漏らした男は思わず後退った。

「交渉なんて端からする気はねェし無駄だ。何度訪ねても、どんだけ金を積まれても、諦めろってェ言葉しか出ねェよい。わかったらさっさと帰れ」

冷たくそう言い放ったマルコは部屋に戻ろうとドアを開けた。しかし、男が後ろからガシッとマルコの腕を掴んで食い下がった。

「諦めきれないからこうして来てるんじゃないか! これを逃せば二度と手に入らない!」
「チッ!」

マルコが腕を振り払おうとする前に、男は強引に身体をねじ込むようにして部屋の中へと押し入った。

「おい、てめェ!」
「刀はどこに!」

男はキョロキョロと見回して刀を探した。

「いい加減にしろよい!」

マルコは男を捕まえて追い出そうと手を伸ばした。だが「あ!」と声を漏らした男が動きを止めたことでマルコも動きを止めた。ベッド上で刀を手にしたまま正座しているカノエの姿を見止めたからだ。
ゆっくりと視線を向けるカノエの元に駆け寄った男は、「あァ良かった! 君と交渉したい! その刀を是非とも私に譲ってくれ!」と、カノエの許可も得ずに図々しく刀に触れようと手を伸ばした。
しかし、カノエは男から刀を遠ざける様にして腰元へと置いた。
カノエの行動に男はあからさまに不機嫌な表情を浮かべてカノエを睨み付けた。一方カノエは至って冷静で男をじっと見つめている。
僅かに険を帯びた眼光に少し気圧されたのか、男は「うっ…」と呻く声を漏らして手を引くと、前のめりになってベッド上に乗った身体を引いた。

「この刀をお譲りする気はございません。お引き取りを」

静かな声で告げられた男は顔を顰めてギリッと歯を食い縛るとかぶりを振った。そして、「そんな簡単に諦めることなんてできるものか!」と声を上げて食い下がる。

「今を逃せば二度と手に入らないじゃないか!」
「今を逃すも何も、元よりあなたの手元にこの刀が渡ることはありません」
「か、金ならいくらでも出す!」
「あなたは金で人の誇りを買えるとお思いか?」
「な、何だと……?」
「金で、誇りを、魂を、買えるのかと問うている」

至極冷静なカノエが静かに問い掛ける。その一方で苛立ちを隠せない男は怒りに任せて声を荒立てた。

「わ、わけのわからんことを……! そ、そもそも、このような上物をお前のような小娘が持つような刀では無いじゃないか! それこそ! その刀が可哀想だ!」

男がどんな言葉を投げ掛けようとカノエの表情は一切変わらない。目くじらを立てる男をじっと見つめたまま反論せずに黙したカノエに代わってマルコが詰め寄る男の肩を掴んだ。

「おい、本当にいい加減にしろ! それ以上くだらねェことを言うようならおれが容赦しねェよい!」
「くっ! お、脅す気か!?」

恐怖が入り交じった表情を浮かべたとて男は決して引こうとはしなかった。すると――

「わかりました」

カノエは静かに言った。

「!」
「カノエ!?」

男がパッと表情を明るくする一方でマルコは驚きを隠せずにカノエを見やった。カノエは至って冷静だ。―― 何を考えてんだ……?と、マルコが眉間に皺を寄せるとカノエは刀を男の前に差し出した。

「おお!」

喜びに胸を躍らせた男は刀に触れようと手を伸ばした。が――

「私からこの刀を取り上げることが出来るのならお持ち帰りください」

静かに告げられた言葉にピタリと止まった。

「な、何だと?」

男は刀からカノエに視線を移して目が合った。

「触れることができますか?」
「ッ……!」

ゾクリ……――。

背筋に悪寒が走るのを感じた男は、もう少しで刀に触れようかとした手を思わず引っ込めた。何故そんな感覚に襲われたのかわからない。カノエの視線から目を逸らすことができない。愈々青褪めた顔でゴクリと固唾を飲んだ。

―― な、何なんだこの女……ひっ!?

その刹那、自分の首がカノエによって刎ねられる錯覚に陥った。

「ひぃッ!?」

途端に悲鳴を上げた男は尻餅をついてガタガタと身体を震わせた。
見守っていたマルコは少しだけ唖然としたが、言葉で納得しない相手には適切な対応だと笑みを零した。

「どうやら無理のようですね。諦めてください」
「くっ!」
「私をただの小娘だと仰って頂き、ありがとうございました」
「ッ……!」

微笑を浮かべて丁寧に頭を下げながら礼を述べたカノエに思わず毒気を抜かれたように男は呆然とした。だが、未だに自分に向けられる異様な圧力に気圧されてか、男は慌てて立ち上がると逃げる様に部屋を出て行った。

「小娘だと仰って頂きありがとうございました……か」
「おかしいですか?」
「いや……」

鼻頭を軽く掻いて苦笑したマルコは、ベッドの縁に腰を下ろしてカノエに目を向けた。

「まァ、そういう格好してりゃあその辺にいるただの小娘にしか見えねェな」
「え?」

片眉と口角を上げた笑みを浮かべるマルコにキョトンとしたカノエは、忘れたか?とマルコが視線を落とす動きに釣られるようにゆっくりと視線を下ろした。

「……………ハッ!?」

今の自分の姿格好をすっかり忘れていたカノエは、途端に顔を真っ赤にすると慌てて枕に手を伸ばして身体を隠す様に胸に抱いた。

「ハハッ、隠せてねェよい」
「まままマルコさん! き、着物はどこに!?」
「あー……」

着物を返すと直ぐに着替えてしまうだろう。次にこの恰好になるのは当分先か、下手をすれば二度と見られ無いかもしれない。
直ぐに着替えさせるのは勿体無い。もう少し見ていたい欲求があったマルコは、少し視線を泳がしてポリポリと頬を掻くと「無い……」と嘯いた。

「無い!?」

カノエの反応が一々楽しい……というのもあるが、今のカノエの姿が予想を上回り気に入っている自分がいることを自覚したマルコは、この非常に貴重なカノエの姿を記憶するかのようにじっくりとカノエを見つめた。
マルコの視線に言い知れぬ羞恥の情に駆られて居た堪れなくなったカノエは、全身を真っ赤に染めて視線を泳がせた末に涙を浮かべてアワアワし始めた。そして――

「も、もう! 勘弁してください!!」

目をギュッと瞑って悲鳴にも似た声を張り上げたカノエに「ぶはっ!」と噴き出したマルコは肩を震わせて笑い出した。
涙目ながらにマルコをギロリと睨み付けたカノエは、「笑うな!」と声を荒げて胸に抱いた枕をマルコに目掛けて叩き付けるように何度もぶつけ始めた。

「ハハッ! 痛ェよい!」
「そんなに笑うなど侮辱だ! 似合わないことぐらい自分でもわかってる!」

カノエは半泣き状態で訴えた。枕を掴んで叩き付ける腕をマルコに掴まれると、カノエから力が抜けて枕はドサリと落ちた。そして、真っ赤にして今にも泣きそうな程に情けない顔を俯かせた。
ふわりとマルコの手がカノエの頬に添えられる。カノエは思わず唇を引き結んでグッと息を飲んだ。その途端に、マルコの手が下顎に移動してクイッと顔を上げさせた。

―― !

マルコの表情から笑みが消えていて、真剣な眼差しを向けられていることにカノエは目を丸くした。

「マル…コ……さん?」
「少しは認めてやれよい」
「え?」
「少しは自分で自分を認めてやれって言ってんだよい。似会ってないなんて誰も言ってねェだろい?」
「ッ……」

カノエは思わず唇を噛みしめた。まるで屈辱にも似た感情が胸の内に広がり身体が小刻みに震えた。

「わ、私はッ……!」
「……」
「このような恰好はしたくない! 好んで、こんな恰好」
「似合ってるってェのに、勿体無ェ」
「――はッ……!?」

ポツリと呟いたマルコの言葉にカノエは口を開けたまま目を見張って唖然とした。
火照った頬に優しく触れるマルコの指先に、自分に注がれる青い瞳に、ドッドッドッドッ――と、心臓の鼓動がマルコの耳にまで届いてしまうのではと思う程に激しく脈打つ。
何故……?
自分自身が似会わないと思っているはずなのに、マルコに似会っていると言われて嬉しいと思うなんて――。
自ずと喜びに溢れる感情にカノエは戸惑った。

「で、でも、やはり着物の方が……、私には……」

溢れる感情を振り払うかのように、カノエは頭を振って震える声を絞り出した。

「……」

沈黙が流れる。
シーンとした部屋に聞こえるのは自分の激しく脈打つ心音ばかりで、逃げ出したい気持ちに駆られたカノエは漸く視線を外してギュッと目を瞑った。だが、くしゃっと頭を優しく撫でられた感覚に釣られて目を開けた。

「!」

何もかも理解しているからと言わんばかりに優しい顔を浮かべたマルコに思わずドクンと胸が高鳴った。そして、不意に胸が苦しくなった。尊敬して慕った先生の……、自らの妹の様に慈しんでくれた松陰の、あの優しい面影と重なった気がしたから――。

「カノエ」
「え……?」

マルコはカノエの手元に袋を渡した。

「これ…は……?」
「カノエの着物が全部入ってる」
「え!?」
「悪かった。今のカノエの恰好が貴重に思っちまって、もう少し見ていたかったからつい嘘を吐いたんだよい」
「へ?」

思わず間の抜けた声を零したカノエに少し頬を紅潮させながらバツの悪そうな表情を浮かべたマルコは、口元を手で覆うとふいっと顔を背けた。
気のせいだろうか。何となく耳まで赤いような――。しかし、マルコが何故そんな表情を浮かべて顔を背けるのか、カノエにはわからなかった。ただ、不思議と気持ちが高揚して嫌な気がしない。

―― 見ていたかった……? 私を……?

何故? どうして?
色々な感情がごちゃ混ぜに入り交じった思考がグルグルと渦を巻く。

ベシン!!

「痛ッ!?」

額に激痛が走り思わず声を上げて両手を当てるカノエに対し、マルコは背中を向けてドアへと足を向けた。

「とりあえず、外に出てるから着替えろ!」
「あ、謝っていないというのに何故デコピンを!?」
「な、何となくだ!」
「気分次第!?」

素っ頓狂な声で抗議するカノエを無視して、マルコはさっさと部屋を出て行った。
納得ができないと怒りながらベッドから降りたカノエは、洋服を脱ごうとして視線を胸元に落として――停止した。

「ひっ!?」

自分の胸とは思えない程に豊満な胸がそこにドーンとあった。

―― んななななっ!?

目に飛び込む谷間のある胸元に顔を真っ赤に染めたカノエは、ワナワナと震える手を懸命に動かして洋服を脱ぐ。
ブラジャーなんて下着を身に着けたことが無いのだから当然の反応だ。サラシを巻いて胸を押し潰すのとは真逆の上げて寄せて豊満な胸を――なんて。

―― こ、こんな…………ハッ!!

全て脱ぎ捨てたと同時にカノエは身体を抱えるようにしてその場に座り込んだ。

「みみみ……、見られた……」

羞恥心に耐えられなくなったカノエは、茹蛸の様に全身を真っ赤に染めて打ち震えた。

「は……、破廉恥だ!!」

ヨロヨロと立ち上がってサラシをいつも以上にきつく巻く。そして、唯一の洋服と言えるブラウスを着て、着物を羽織り、袴を履いて、腰帯をいつも以上にきつく結ぶ。最後にグラディエーターサンダルを履いて、脇差と刀を腰に差せばいつものカノエの姿に戻る。
脱ぎ捨てた洋服は捨ててしまいたい気持ちで一杯だった。しかし、買ってもらったものだからそれはできない。しかもオヤジ様から頂いたお金でだ。
正座して洋服を丁寧に畳むと着物を入れていた袋に入れてテーブルに置いた後、カノエは震える手をギュッと握り絞めて心に誓う。もう二度と着ません。絶対に!――と。
一方――
部屋を出たマルコは、ロビーの椅子に座って新聞に目を通していた。しかし、情報が一向に頭の中に入って来なかった。脳裏に浮かぶのはカノエの姿ばかりで――。

「思いのほか……、胸があった……」

茫然としてポツリと零した。

「………………ハッ!?」

何を言ってんだとばかりに目を丸くしたマルコは思わず声を漏らした。そして、咄嗟にバサリと新聞を広げる音を出して気になる記事を見つけて驚いたんです風に装った。脳内に浮かぶカノエの姿を振り払うように頭を激しくブンブンと振って、大いなる気の迷いを振り払おうと必死だ。

―― ち、違う! そうじゃねェだろい!?

一瞬だけだ。本当に一瞬だけ、カノエを異性の女として見ている自分がいた。
カノエは男ウケする綺麗な身体をしとるぞ――。
ナキムのいつかの台詞を思い出してしまったが為、余計にそういう目で見てしまった自分がいたと自覚する。

〜〜〜〜〜

「似合ってるってェのに、勿体無ェ」

〜〜〜〜〜

惜しんだ言葉を口にした後、相当な気力を振り絞って何とか理性を保つことはできたが本当に危なかった。
本気でカノエを押し倒して口付けをしたい衝動に駆られたのだ。しかし、そんなことをしたらカノエは羞恥に見舞われて余計に殻に閉じ籠ってしまうことは明白だった。
漸く少しずつ心が開いてきたというのに、それを自ら壊してしまうようなことは絶対にしたくない。
そもそも男と女の色恋沙汰なんてものがカノエの中に存在していないことは出会った時から分かり切っている。そんなことにかまけているような人生を歩んでいないのだから――。

「あー……、まいった……」

新聞の文字を一文字ずつ辿って行くものの内容の意味すら入って来ない。
頭に浮かぶのは、やはり頬を紅潮させて目を潤ませながら自分を見上げるカノエで……。煽情的な表情を浮かべる顔の先にあった予想以上に豊満だった胸。どうしてもそこに視線が行ってしまうのは男なのだから仕方の無いことだ。

―― 色で見るな。自制しろ。カノエは……妹だろうが!

新聞事バサリと両手で顔を覆って溜息を吐いた。深呼吸を繰り返して再びバサリと新聞を広げて視線を落とす。
少しだけ気持ちが落ち着いたのか、漸く情報が入って来るようになってホッとした――が、とある記事に目が釘付けになって食い入るように何度も繰り返して読んだ。

*〜*〜*

『大量斬殺事件再び!
  秋島ウパニタ、オウラ首領国滅亡!』

〜 夏島オパナスに引き続き、秋島ウパニタも!
〜 生存者ゼロ。絶望的!

*〜*〜*

記事によれば事件はおよそ二日前。海軍に救援要請を出したが、海軍が到着した時には凄惨な惨殺死体がそこらじゅうにあったと記されている。
今いるこの島とウパニタとは距離にしてそう遠くは無い。この事態が発覚したのはつい最近ということは、殺人鬼がこの島に上陸している可能性は極めて高いと言える。

急を要する――。
そう判断したマルコは、直ぐに部屋へと戻ってドアをノックした。少し間を置いてドアが開けられカノエがひょこりと顔を出した。
まだ少し赤い顔に微笑を零したマルコだったが、直ぐに真剣な表情へと変えた。すると、何かあったのだと直ぐに察したカノエも気を引き締めて口を開く。

「何か……あったのですか?」
「察しが良くて助かる。直ぐに船に戻るよい」
「わかりました」
「ログの関係でまだ二、三日はここに停泊しなきゃならねェんだが、その間にこいつが来る可能性が高くてな」

マルコはカノエに新聞を渡した。
見慣れない文字の羅列に一体何が書かれているのかわからない。
眉間に皺を寄せたカノエを他所に部屋に入ったマルコは、カノエの洋服が入った袋を手に取って部屋を見渡した。

「他に何もねェな」

持ち込んだ荷物はそれだけで余分なものは無いと確認を終えて、ドアの付近で立ち尽くすカノエの元へと足を向ける。

「あ、あの」

困惑しているカノエに片眉を上げたマルコは、「あァ、そうか……」と声を漏らして頷いた。

「オパナスっていう島で起きた事件の話を覚えてるかい?」
「はい」
「それと同じ事件がこの島の隣にあるウパニタって島で二日前に起きた」
「!」
「この島とウパニタの距離はそう遠くない。殺人鬼がこの島に既に上陸しているかもしれねェ」

カノエの様子を窺いながらマルコは説明した。
説明を聞くカノエの手が僅かに震えた。指先に力が入ったのか新聞に皺が寄る。この事件により人斬りとして世の中にタチバナジンの名が広がったのだ。決して他人事とは思っていないだろう。
気が張り詰めて緊張するカノエの心中を慮りながらマルコは言葉を続けた。

「海軍も恐らく出張って来るだろうから、船に戻って警戒する必要がある」
「わかりました。急いで戻りましょう」

宿泊をキャンセルして鍵を返却してから宿を出ようとした――その時だ。
外から流れ込む異様な空気に気付いたマルコは、咄嗟にカノエの腕を掴んで引き留めた。どうして引き留めたのかとカノエは振り向こうとしたが、途端にゾクリと背中に悪寒を感じて息を呑んだ。
マルコに視線を向けるとマルコは警戒心を露わにして周囲を伺っている。

―― 私より先に気付いたなんて……。この人は非常に勘が鋭い。

外は相変わらず多くの人々が行き交って賑やかだ。しかし、誰も何も感じていないようで極々平和にいつも通りの生活を送っている。なのに、対照的な異様な空気とそこに僅かに混じる殺意をマルコとカノエは確かに感じ取った。

「走って船に戻る。良いな?」
「はい」

外に出たマルコとカノエは行き交う人々の合間を縫いながら港に向かって一目散に走った。途中で隊員を見かけるとマルコが「船に戻れ!」と声を掛ける。
マルコの険しい表情と緊張を漂わせた声音に何か起きたのだと察した隊員達は、慌てて仲間に伝達しながら船へと戻るのだった。

「ンフフ……。まさか、君もこの世界に堕ちていたとはねェ〜……」

大勢の人々が行き交う街の中に男はいた。男の暗い眼光は確実にその人物を捉えていた。
髪こそ短く切られていたが、腰に携えていた刀と発する空気。そして、僅かに香った血の臭い。

――最強の人斬り橘迅――

「ンフフ……。天剣の人斬り……イイねェ〜」

男はニタリと笑みを浮かべると舌なめずりをした。そして、人のいない暗い裏路地の影へと姿を消した。


〆栞
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