第二十二幕


早朝、ニュース・クーから新聞を受け取ったマルコは、オパナスの事件について書かれた記事を見るなり眉を顰めた。現場写真こそ無いが記事を読めば凄惨な様子がありありとわかる内容に思わず「胸糞悪ィ……」とポツリと零した。
より詳細な記事を読もうと新聞をバサリと広げた時、久しぶりに手配書も同封されていたようでヒラリと地面に落ちた。広げた新聞を畳んで小脇に挟んだマルコは、落ちた手配書を拾おうとして、動きをピタリと止めた。

『天剣の人斬りタチバナ・ジン/DEAD OR ALIVE/一億ベリー』

―― !!

オパナスの事件について書かれた新聞と共に世界各地へと配布された手配書。これが意味することは――。
瞬時に悟ったマルコは蟀谷に青い癇癪筋を走らせてギリッと歯を食い縛った。そして、手配書を拾い上げるなり急いで船長室へと向かった。

「オヤジ!」

新聞の内容と併せてカノエの手配書を報告したマルコに、白ひげは静かな声音でカノエを呼ぶように言った。
コクリと頷いたマルコは足早に船長室を出て行った。それから暫くしてマルコに連れられて船長室に来たカノエは、白ひげから事の真相を聞かされた。そして――

「カノエ、手配書を見てどう思う?」

白ひげの問い掛けにカノエは、見つめていた自分の手配書から視線を外して白ひげを見上げた。

「恐らく私と同様にこの世界に落ちた者によるものかと。この『天剣の人斬り』という異名は私がいた世界で付けられたもの故……」
「そうか……」

賞金首として手配書が配られたことに対してカノエがどう反応するのか、カノエの傍らでマルコは心配して様子を見ていた。しかし、特に動揺することもなく平然として受け止めたカノエに、マルコは少し目を丸くすると同時に少しだけホッと安堵の溜息を吐いた。
その様子に白ひげは少しだけ口元に孤を描いたが、天剣の人斬りタチバナジンか……」と呟くカノエの声に釣られるように視線をカノエに戻した。

「私のことなのに、何故かまるで他人事のような気がして――」

再び手配書に視線を落としたカノエは「懐かしいだなんて思う日が来るとは思ってもみませんでした」と言って笑みを零し、白ひげは片眉を上げた。

「恐らくこれを一人で知ることになれば多少は取り乱したかもしれませんが……、お二人には御礼を言います」

白ひげとマルコに向けてカノエは感謝の意を示すと、白ひげはニヤリと笑い、マルコは苦笑して小さく首を振った。

「思いのほか冷静で安心した。カノエ、お前はもう下がって構わねェ」
「はい」

カノエは軽く頭を下げて船長室から出て行った。パタンとドアが閉まってカノエの気配が離れると途端に白ひげは表情を険しくした。

「マルコ、カノエを頼む」
「ん……?」

それはどういう意味で?――と首を傾げたマルコに白ひげは小さく首を振った。

「笑ってはいたが恐らく強がりだ。内心は決して穏やかじゃねェだろう」
「あー……」

―― 強がりか……。

予想に反して笑って受け止めたカノエに少し拍子抜けしたマルコだったが、言われてみればそうかもしれないと納得した。
ガシガシと頭を掻いたマルコが「で、どうしておれに頼むって?」と問い掛けると、んなこたァ分かり切ってることじゃねェかと白ひげは眉を顰めた。

「お前と二人ならカノエは心情を吐露するはずだからだ」
「!」
「お前がカノエの支えになってやれ。あいつが壊れる一歩手前で踏み止まらせたのはマルコ、お前だからなァ」

軽くグラグラと笑う白ひげに、何故かキョトンとしていたマルコは、徐々に眉間に深い皺を刻んで首を傾げた。

―― 何だ? 自覚してねェのか?

「そりゃあ、いつの話だよい?」
「あー、まァ、それは気にするな」

白ひげは首を振ると、それよりも――と言葉を続けた。

「カノエの心を繋ぎ止めてられるのはマルコ、お前ェだけだってェことを自覚しやがれ。そんでもって覚悟して守れ」
「あ、あァ、それは、」
「船長命令だ
「――ッ、了解……とだけ言っておくよい」

どこか納得しかねる表情を浮かべながらコクリと頷いたマルコは、白ひげに軽く頭を下げて船長室を出て行った。

「お前程のもんが覚えてねェか……。それだけ、夢中だったってェことだろうがな」

初めて対面した時、ジンの仮面を剥してカノエを引っ張り出したのはマルコだ。そして、ハルタとラクヨウ達との一件で不安定になったカノエの精神を安定させたのもマルコだ。
これに関してマルコが自覚していないことに白ひげは少しガクリとしたが、カノエのことはマルコに任せておけば大丈夫だろう。無意識かもしれないが、カノエもマルコには心を許して頼っている節があるからだ。

「……」

しかし、白ひげにはカノエの手配書の件よりも気になることがあった。
オパナスの件だ。
オパナスの事件が書かれた新聞を見つめるその顔は極めて厳しい。それは数日後にこの付近を航行することになるからだ。ただ、それだけでは無い。何故か妙に胸騒ぎがして仕方が無いのだ。

―― 隊長連中には注意を促しておくか。

数刻後、仕事も無く時間の空いた隊長達(マルコ、フォッサ、ナミュール以外)だけが船長室に集められて会議が行われた。
白ひげはまずオパナスの件を伝えると共にカノエの手配書が出回ったことを伝えた。この非常に深刻な案件に隊長達は言葉を飲み込んで押し黙った。

「オパナスの件はカノエと関係があるとでも……?」

新聞とカノエの手配書を交互に見ていたイゾウが白ひげに問い掛けた。

「直接的に関わっちゃあいないが、この件と同封で手配書を回してきたというなら、恐らく海軍はこの件をタチバナジンが関わっていると睨んで間違いねェだろう」

白ひげの返答にイゾウを始め隊長達が表情を険しくする中、サッチは両腕を組んだままオパナスの記事をじっと見つめていた。

大量斬殺事件――
シャボンティ諸島で見たカノエの戦いぶりを思い浮かべたサッチは、確かにカノエなら一人で殲滅するのは容易いことだろうと思った。しかし、カノエは無駄な殺人はしない。例えそれがタチバナジンだったとしてもだ。

――国と人の道の為。己の為に剣を振るうことは決して無い。全ては他の為のもの。私の剣に私情は一切無い。救うべきものがそこにあるのなら、私の手が如何に汚れようとも構わん――シャボンティ諸島でカノエが言った言葉だ。

人を救う為、他人の為に剣を振るう。自らの心に傷がつこうが、自らの手を血で染めようが、他人の為に剣を振るう。
それがタチバナジンでありカノエだ。オパナスの事件に書かれてるようなことは決してやらない。例え心が壊れたとしても、それだけは絶対に――。

海軍の野郎、よく知りもしねェで決めつけやがって……と、サッチは沸々と怒りが湧いて腸が煮え繰り返る思いを抱いた。
だがそれはサッチだけでは無く、他の隊長達も同様だった。あのハルタやラクヨウでさえも、今はカノエを信じて「海軍のやり方は汚いよ!」「気に喰わねェな」と怒っているのだ。
そんな彼らを見つめながら口元に孤を描いた白ひげが「カノエのことだがなァ」と口にした時、隊長達はそれを遮るようにして声を揃えて言った。

「「「マルコに任せてんだろ?」」」

途端に目を丸くした白ひげは「よくわかってんじゃねェかてめェら」と盛大に笑い出した。

「この話を知った後のカノエちゃんに会う勇気は、おれっちにはまだ無ェわ」

非常にナーバスになってンだろうなァと眉をハの字にしてサッチは零した。

「あァ、そうだな」

続いて頷いたビスタに同調するように隊長達は当然だとばかりに頷いていた。自ずと決まった暗黙の了解。カノエが追い詰められた時に傍にいるのはマルコだって相場が決まっている――と。

「っていうかさ、やっぱりあの二人って、できてんのかな?」
「お、ハルタもそう思うか? 実はおれも思ってたんだがよ、やっぱりそういう関係か?」

ハルタに便乗してラクヨウが隊長達に向けて問い掛けると、船長室はシーンとした。

「まったく……、デリカシーの無い奴だなお前達は」

ジョズが溜息混じりに言うとハルタはムッとして、ラクヨウも眉間に皺を寄せて不満顔を浮かべた。
どう見ても――と、ハルタが。どう考えても――と、とラクヨウが。二人して反論しようと口を開き掛けた時だ。

「あァ、そういう関係になってくれりゃあ一番心強いんだがなァ〜」

白ひげから思い掛けない言葉を耳にした隊長達は、目をパチクリさせてから視線を白ひげに向けた。

「「「え……?」」」
「「「まさか……」」」

隊長達は目を丸くしたままお互いに顔を見合わせると再び白ひげに顔を向けて叫んだ。

「「「オヤジ公認!?」」」

まさかの発言に誰もが呆気に取られた。

―― うおおお、オヤジまでそういう風に見てたってェのか!?

驚きのあまりに口をパクパクと開閉を繰り返しているサッチの隣でククッと笑った男がいる。それに気付いたサッチが隣に顔を向けると、当然だろうとばかりに片眉を上げて楽し気にクツクツと笑うイゾウ。

「オヤジ公認となりゃあ、マルコも堂々とカノエに構ってやれるわけだ」
「何かえらく楽しそうに見えるのはおれっちの気のせい?」

怪訝な目を向けるサッチに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたイゾウは言った。あのマルコに対してこんなに突き甲斐のあるネタがあるってェのに、楽しくねェわけがねェーーと。そして、盛大に笑う。

「えー……?」

思わずサッチは若干引いた。

―― 応援じゃなくて、あくまでもそっち路線なわけ?

確かにマルコを揶揄うネタの材料は豊富にあって楽しめるだろう。しかし、(勝手に設立した)カノエ応援隊としては素直に喜んで見守ってやる方が良いのでは――と、サッチの胸中は複雑だった。
一方、楽し気に笑うイゾウに対して聞き捨てならないとハルタが机を思いっきり叩いて立ち上がるとイゾウに向けて指を差して怒鳴った。

「ほら! やっぱりイゾウだってそっち系だったんじゃないか! 何だよこの前の公開説教! ただの怒られ損じゃないか!」

憤慨するハルタに更にゲラゲラとイゾウは笑う。

―― イゾウ……、マジでお前ェ怖いわ。

イゾウだけは絶対に敵に回さないでおこうとサッチは心に決めた。しかし、それはサッチだけは無く、他の隊長達も同様だった。そして、流石に白ひげでさえも不安になって思わず忠告した。

「イゾウ、あまりマルコを苛めてやるな。お前のは洒落にならん……」
「ククッ……、大丈夫だオヤジ。おれはちゃんとわかってるよ」

イゾウはクツリと笑って白ひげに頭を下げた。

(((本当にわかってんのかイゾウ!?)))

隊長達は苦笑を浮かべているが内心では声を揃えてイゾウに問い掛けた。しかし、声を出して言えていない。それ故に勿論イゾウには聞こえていない。それ故に問い掛けに対する答えだって勿論帰って来ない。

「やれやれ……、アホんだら共が……」

小さく独り言ちた白ひげは溜息を吐きながら背凭れに身体を預けて視線を宙に彷徨わせたのだった。


〆栞
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