第二十一幕


どんよりと重たい雲から降り注ぐ雨は激しく、雲間に光が走ると雷鳴が轟く。

ポタッ……――、ポタッ……――。

刀身から滴り落ちる赤い血と目の前に広がる血の海に、雨が混ざり合って地面を濡らした。
無残にも斬り殺されて横たわる斬殺死体は、幼い子供から年寄りまで惨たらしい死体となった山に蹴り飛ばされた。

「イイねェ〜。あァ、イきそうだ……」

恐怖に怯えた表情を浮かべたまま絶命している若い女の顔に、男は不埒にも精を吐き出すと、右手で目元を覆ってケタケタと笑った。
もっと良い顔をして、もっと良い声を上げて、我を満たしてくれる奴はいないものかと呟いた男は刀を振るい、自らの精液で汚した女の首を刎ね飛ばした。

この男が持つ剣は刀。身に纏うのは和服で、黒い袈裟を被っている。首回りに巻いている黒い布が口元を隠すように顔の半分を覆っているが、冷酷かつ残虐で狂気染みた瞳はどこまでも暗い印象を残し、左の目元には大きな刀傷が一つあった。

「ンフフッ……」

黒笠の男は新たに人の気配を察知するとその場を後にした。そして、別の場所で今まさに一人の男が必死の形相で札束を手に命乞いを始める。

「た、頼む! 助けてくれ! か、金ならいくらでもやる! だから命だけは――!」
「んー……、金は貰うものでは無く、奪うものだからねェ……」

血に塗れた刀身に舌を這わせて舐める黒笠の男はニタァと笑みを浮かべた。

「ひっ!?」

命乞いをしていた男は小さく悲鳴を上げた。手にしていた札束を黒笠の男に投げ付けて、腰が抜けて立てずにいる足をバタバタと動かして必死に逃げようとした。黒笠の男は微動だにせずに刀を持つ手をゆるりと動かした。

「や、やめ、やめろォォォッ!!」

必死の叫びも虚しくザシュッ――と断ち切る音と共に激しい衝撃が身体に走った。

「かはッ…ハッ…あ……」

命乞いをしていた男は冷たい床にドサッと倒れると、恐怖に歪んだままの顔で絶命した。

「あー、実に良い顔だ。人が死ぬ間際というのは、例え世界が違えども変わらぬものだな。ンフ、フハハハッ……!」

この日、夏島オパナスにあったカブリの町とイサ領地都市は凄惨な血の海と化し、生き残った者は一人も無く全滅した。
後日、この島を訪れた海軍一派は、この凄惨な光景を目の当たりして愕然とした。直ぐに海軍本部へと報告が上がると処理が早急に施され、カブリの町とイサ領地都市は世界から姿を消した。そして、夏島オパナスは海軍管轄の無人島となった。





海軍本部にて――
会議室の中央に、後ろ手で拘束された男が椅子に座らされていた。男の前には海軍元帥であるセンゴクを筆頭にサカズキ、ボルサリーノ、クザンといった三大将がいて、サイドには中将のガープとおつるがいた。

「オパナスの件はこの男が一人でやった可能性が高いと、お前はそう言うのだな?」

報告書から視線を外したセンゴクが静かに問い掛けると、男はセンゴクに向けて小さく頭を下げた。

「短時間に大勢を斬り殺す等といった芸当が成せる人間は、私が知る限り一人しかおりません」
「この男が”この世界に来た”証拠はあるのか?」
「証拠を示せと申されるならば、私が生きてここにいる事こそが証拠でございましょう。その者と共に崖底に落ちた私がこうして”この世界で”生きているということは、その者も必ずやこの世界のどこかで生きていると考えるに値しましょう」

海軍のトップに君臨する者達を前にして全く恐れる様子も無くはっきりと答える男の風貌はワノ国を想起させる。強い意志を持ち、礼儀礼節に長け、凛とした態度を示していることから、心身共に教育がよく施された人間であることが、この場にいる誰しもが認めるものがあった。

「人斬り…か……」

手元にある報告書に視線を落としたセンゴクは、看過できない単語を指でなぞってポツリと呟いた。それに応じるように男が再び口を開いた。

「並大抵の人斬りではございません。国を覆すことができる程の危険な男にございます。その男の振るう太刀は神の御剣。『天剣』とも称される恐ろしい剣の使い手です」
「人斬りの名はあるのか?」
「討幕派志士……、橘迅」
「んー……? ジンだってェ?」

大きく反応したボルサリーノにセンゴクが目を向けた。

「どうしたボルサリーノ?」
「シャボンティ諸島で二人の男が血相を変えて助けを求めて来たってェ報告がありましてねェ。何でも一瞬にして四、五人を斬り殺す化物がいるとか何とか……。確かジンという名前だったかと」

ボルサリーノが拘束している男を見つめながら答えると、男は明らかに反応を示した。

「まさしく橘迅と言えましょう。瞬時にして多数の者を斬る神速の太刀こそ天剣と称させる所以。戦場で戦う様は速い動きの中にまるで舞を舞うかのような流麗な動きから神々しささえも感じさせるものだと言う者もございますが、あれはまさに人を人とも思わぬ殺人鬼に過ぎません」

ギリッと奥歯を噛み締めて顔を歪ませる男を見つめていたセンゴクは静かに手配書を作成させようと答えた。男に情を掛けたわけでは決して無いが、報告書にペンを走らせる。

「で、捕まえたらどうする気ですかい?」

クザンの問い掛けにセンゴクは処刑するまで――と、然も当然のように答えた。しかし、「うーむ……」と声を漏らして難色の色を示す者がいた。ガープだ。

「この男の話が事実かどうか見極めてからでも良いのではないか?」
「ガープ、そのような悠長なことを言っている時間は無い。現に島一つが消えたのだぞ? ボルサリーノ、他に情報は無いのか?」
「ん〜……、その二人の話によると、どうも白ひげ海賊団も絡んでるみたいでねェ」
「な、なんだと!?」

不死鳥マルコが助太刀に来たらしいよ〜と、相変わらずマイペースに間延びした答え方をするボルサリーノに対し、センゴクはガタンと立ち上がって焦りの色を示した。だが、ボルサリーノの言葉に反応を示したのは何もセンゴクだけでは無い。隣に座っていたサカズキがピクリと反応し、おつるは溜息を吐き、ガープもまた驚いて目を見開いたまま唖然とした。
しかし、ボルサリーノに負けず劣らずマイペースを崩さないクザンだけは、気怠そうに欠伸をして暢気だった。少しだけ涙が浮かんで視界が滲む目を軽く擦って拘束している男に視線を向けたクザンは、「一つ良いですかね……」と、ゆるく手を挙げた。

「何だクザン……?」

センゴクがクザンに目を向けるとクザンは男に話し掛けた。

「さっきから気になってたんだが……、あんた、そのタチバナジンって男に恨みでもあるのか?」
「そのような浅はかな私怨は武士の恥故に持ち合わせてはございません。ですが、異世界に落ちた身とあらば最早武士の魂もこれまでというもの。ならば、最後は私の命を持ってして橘迅を刺し違えてでも殺すまで」
「殺す理由は?」
「橘迅の命を奪えば志半ばで死んでいった同志達への手向けとなりましょう。見事にそれを成し得た後、私も自害する所存」
「何じゃと!? 自らの命をも絶つと言うのか!?」
「生き恥を晒す気は毛頭ございません。仕えていた国も恐らくは疾うに落ちてございましょう。故に、私が生きる意味は無く、仕えた主の後を追って死ぬまで」

固めた決意は強く、周囲の声は決して受け付けない。そんな声音だ。恐れも何も無い。あるのは強い決意と揺るがぬ意志のみ。
もし私を生かして頂けるのであれば、橘迅を追って見事に打ち果たしてみせましょう――と、男は視線をクザンからセンゴクに向けた。

「倒せる見込みはあるのか?」

センゴクの問いに男は僅かに口端を上げて微笑を浮かべた。

「あれは壊れ掛けた人間にございます。精神的に追い詰めれば必ず隙が生まれましょう。武士としては卑怯な手立てとなりましょうが、戦とは命と命を賭けて戦うもの。どのような場合においても常に死を覚悟して戦うは常識。隙が生じて殺されたとて、所詮その程度だったのだと理解を示しましょう。橘迅も武士故に…ね……」

センゴクは黙って男をじっと見つめた。だが、直ぐに目を伏して小さく溜息を吐くとコクリと頷いた。

「わかった……。釈放してやろう」
「待てセンゴク! わしは反対じゃぞ!」

センゴクの決定にガタンと席を立って声を荒げたガープを制すように「但し――!」とセンゴクは強い口調で言う。

「どんな理由があろうと一般人に危害は加えることは許さん。お前が武器を持って戦う相手は橘迅のみ。それ以外のものと戦うことは禁止とすることを条件とさせてもらう。約束できるか?」

必ずや約束致しますと、男は深々と頭を下げた。

「あと手配書に関してだが、配布することでお前が橘迅を見つけて殺す前に誰かに殺されるか、捕らえて此方で処刑することになるやもしれんが、構わんな?」
「構いませぬ」

橘迅が死んだことが確認できれば私も喜んで自害を致しましょうと、男は微笑を浮かべた。ガープとおつるは思わず言葉を失い、ボルサリーノは片眉を上げて「怖いね〜」と呟き、サカズキは黙ったまま男を見つめるのみだ。

―― こいつはちょっと普通じゃあ無いな。面倒なことにならなきゃ良いが……。

首筋に手を当てたクザンは、気怠そうにしながらも内心穏やかではなかった。この男の言葉を鵜呑みにして信じるのは危険な気がしてならないと思うからだ。
それもこれも白ひげ海賊団の存在が原因にある。
彼らは海賊と言えども義理人情に厚い義士集団であることは有名だ。それにエドワード・ニューゲートは無駄な殺戮を好まない男でもある。そんな彼らが果たしてオパナスの件に関わる者を囲うようなことをするだろうか――と。

「白ひげ海賊団が殺人鬼を囲ったりしますかね〜」

クザンは一応とでもいった具合に忠言してみた。まァ、恐らくは誰も聞いちゃくれないだろうけど――と思いつつ。

「どのみち異世界の人間だ。排除すべき人間であることに変わりは無い」

クザンの意見に小さく首を振ったセンゴクは難しい表情を浮かべて答えた。すると、これまでずっと黙っていたサカズキが席を立った。

「温情なんてもんはいらんけェのう。おい、貴様。貴様とてワシらからすればタチバナジンと然して立場は変わらんちゅうことを肝に命じておけ。いらぬ動きを少しでも見せれば即刻貴様も処刑台送りにしちゃるけェのう」

サカズキは恫喝にも似た物言いで男に釘を刺して会議室から出て行った。それに続くようにボルサリーノも立ち上がると何も言わずに部屋を出て行った。二人を見送った後、センゴクはクザンに視線を戻した。

「クザン、どういうつもりかは知らんが……」

センゴクの問いにクザンは頬杖して「んー…」と声を漏らした。

「まァ、気になっただけですよ。センゴクさんも知ってンでしょ? 白ひげ海賊団が殺人鬼を囲うような集団じゃないことぐらい」
「……」
「四皇の一角で世界最強の海賊団を相手に此方から仕掛けるにしてもリスクが高過ぎますしね。それに――」

クザンは視線を男へと向けた。

「彼の言葉はどうにも一方的に聞こえて仕方が無いんすよね。武士ってェのが何たるかなんてのは知らないが、おれは彼の言葉だけを鵜呑みにして行動するのは危険な気がしてんですよ」
「……」
「まァ、最後に決めるのはおれじゃなくてセンゴクさんですから指示には従いますけど。じゃ、おれもここで失礼しますよ」

席を立ったクザンは会議室の出口へ足を向けた。その際、男を一瞥すると余程気に入らなかったのだろう。鋭い目付きで睨み付ける男に軽く肩を竦めたクザンは、何も言わずにそのまま会議室を出て行った。

「わしもクザンの意見に同意見じゃセンゴク」

ガープがそう言うとセンゴクは視線をおつるへと向けた。

「おつるさん、あんたはどう思う?」
「同意見……といったところかねェ」
「そうか……」

センゴクは目を瞑った。

確かに白ひげ海賊団は粗暴な海賊団とは一線を画す。万が一にでも深く関わっていたとしても、殺人鬼が一つの島を壊滅に追いやったのだとわかれば黙ってはいないだろう。船長自らがその者を葬り去る可能性は極めて高い。エドワード・ニューゲート――白ひげとはそういう男だ。

「手配書は出す。この男も釈放する。町の中で見つけた場合は捕縛最優先とする。だが海上においては白ひげ海賊団を相手にすることにもなる為、手は出さん」
「まァそれが一番良いだろうねェ」
「ガープ、これなら文句は無いだろう?」
「うむ……」

センゴクは男を解放した後、タチバナジンの手配書を作成させた。写真こそ無いものの『天剣の人斬りタチバナ・ジン/DEAD OR ALIVE/一億ベリー』として、オパナスの事件について書かれた新聞と共に世界各地へと配布された。


〆栞
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