第十三幕


マルコに連れられてカノエは再び船長室を訪れた。しかし、先刻とまるで違う。緊張しているのか、表情が硬く遠慮がちな雰囲気があった。そんなカノエを尻目に隣に並び立つマルコは不思議に思って少しだけ首を傾げた。
白ひげと顔を突き合わすのはこれで二回目だ。
錯乱状態となって泣いた挙句に「休め」と言われて部屋を後にして以来となるが、カノエの心情を鑑みれば、何とも気まずい気持ちで顔を合わせ辛いのかもしれない。
微笑を浮かべたマルコは、その憂いを取っ払ってやるようにカノエの背中をトントンッと叩いた。

「ッ!?」

ビクンと僅かに反応したカノエは、ゆっくりとマルコに顔を向けた。――と、今度はマルコが僅かにピクンと反応して片眉を上げた。

―― なんだ?

強張っていることは間違いでは無いが、どうしてだか頬に赤みが差し、唇を微妙に震わせながら口を僅かにパクパクと開閉を繰り返している。
何かを訴えようとしているのだろうか。マルコが眉を軽く顰めて戸惑っていると「あら――」と、女性の声音が船長室に響いた。白ひげの健診に訪れていたナース婦長のエミリアだ。

「彼女が噂の子ね?」

エミリアの声が聞こえた途端に、カノエは大きく肩をビクつかせ、マルコは目を丸くした。

―― まさか……。

先刻との違いを挙げるなら、白ひげの側にエミリアを始めとしたナース達が数人立っていることだ。カノエを酷く動揺させている原因は、錯乱状態だった云々と言うよりも、このナース達の存在がそうさせているのかもしれない。
まさにそう、船長室に入るなりナース達の存在を見止めたカノエは、彼女達の出で立ちに酷く驚いた。

―― な、なんて格好をしているんだ!?

豊満な胸の谷間がくっきりと見える程に胸元をおっぴろげ、短い袖からのびる白い腕と短いスカートから惜しげも無く出される太腿にヒョウ柄のニーハイブーツを履いたナース達の姿格好に、カノエは絶句せざるを得なかった。
当然だ。
カノエの生きた世界《時代》には、これ程までに肌を露出した姿を人前に堂々と晒すような女などいなかったのだから――。彼女達を前にすると吉原等の遊郭にいた女郎達でさえ真面に思えて来る。

「ふふ、可愛らしいじゃない。でも、どうしたのかしら? 顔が凄く真っ赤だわ?」

ナースの一人が笑みを浮かべてカノエに近付き顔を覗き込んだ。目のやり場にほとほと困ったカノエは視線を泳がせて酷く戸惑っている。少しキョトンとしたナースは直ぐに微笑を零して、手をそっと伸ばしてカノエの額に触れた。

「ッ……!」

柄にも無く「ひっ!?」と声を上げそうになるのを何とか耐えて、カノエはゴクリと喉を鳴らした。

「熱……じゃないわねェ」
「そ、そそ、その、し、しし心配はッ、い、いィいらぬ!」
「でも、酷く赤いわ?」
「だ、だだ大丈、大丈夫、デスから!」

堪らず目をギュッと瞑ったカノエは声を張った。白ひげとマルコがナースを前にして異常に動揺するカノエに唖然する一方、ナース達はカノエの反応が面白かったようで「ぷっ」と噴き出して笑い始めた。

「やだァ! この子ったら凄く可愛い!」
「聞いてた話と全然違うじゃない!」
「凄く気に入ったわ!」
「素敵な妹ができたわね!」

彼女達は口々にそう言ってカノエの元へと歩み寄った。そして、ナース達に囲まれたカノエは愈々パニックを起こして必死に手を伸ばした。そうしてマルコのシャツの裾を何とか掴んで引っ張った。

「!」

今直ぐこの状況から助けてくれと言わんばかりの目に、マルコは戸惑いながらカノエに群がるナース達の前に割って入った。

「あ、あんまり苛めてやるなよい」
「あら心外だわ。マルコ隊長ったら人聞きの悪い」
「どう見てもカノエの反応が尋常じゃねェことぐらいわかってんだろい?」

カノエはマルコの背中に身を隠す様に立った。

―― れ、れ、れれ冷静に! な、ならなくては……!

嘗て仲間に無理矢理引き摺られるようにして連れて行かれた遊郭でも似たような状況はあった。だが、あの時の方がまだマシだった。断然マシだった――と、カノエは思う。
マルコの背中を隠れ蓑に動揺を沈めて冷静になろうと努める。そうして無の境地に入ろうとした矢先に、トントンと肩を叩かれた。

「ッ!?」

顔を向けると最初に「彼女が噂の子ね?」と言ったナースが側にいて、カノエは大きく目を見開いて思わず叫びそうになる声を何とかゴクンと飲み込んだ。

「私はナース婦長のエミリアよ。もし怪我したり体調を崩したりしたら船医室にいらっしゃい。いつでも私達が診てあげますからね」
「ワ、ワカリマシタ。ゴシンセツニ、カ、カタジケナイ」

片言で返事するカノエに、エミリアとナース達はまた笑った。そして、彼女達は白ひげに挨拶をしてから船長室の扉へと向かった。

「怪我しなくてもいつでも遊びに来てね!」
「カノエちゃんなら大歓迎だからね!」
「待ってるからね!」
「「「またね〜!」」」
「ッ……」

船長室の扉が閉まり切るまで無言のままナース達に手を振ったカノエは思った。

絶対に怪我はせぬ!
体調管理も怠らず気を付けねば!

もし怪我をしたら、体調を崩したら、その結果は船医室と言う名の女の園たる地獄行き確定だ。

―― お、女子《おなご》は苦手だ……。

男装時こと橘迅は、維新志士達の中で一、二を争う程に――よくモテた。初めて連れられた遊郭で、女郎達に囲まれた迅《カノエ》はどうして良いかわからずに、今のようなパニックを起こし掛けた。
迅《カノエ》をそのようなところへ連れ出したのは女遊びに手慣れた高杉晋作で、彼は助けるどころかパニックになる迅《カノエ》が面白くて腹を抱えて笑い、話題のネタとして何度も揶揄われた過去があった。

「まさか橘も久坂と同じ反応をするとはなァ。これだから堅物は」
「「お前と一緒にするな!」」

当初は女と縁が薄かった久坂も似たような経験があったようで、二人を前にして笑う高杉に顔を真っ赤にした二人が声を揃えて怒鳴った。
今となっては数少ない平和な思い出ではあるが、遊郭におけるあれこれが迅《カノエ》の心に禍根を残してトラウマとなった。その結果、女(特に色気を漂わせる女性)に免疫が全く無くて、人斬りも形無しとなって狼狽えるばかりで、最強と呼ばれた人斬りの唯一の弱点となった。しかし、この弱点を知るのは高杉晋作を始め長州藩士の仲間内だけだったのだが――。

「カノエも女だろ。それなのに女が苦手なのか……」
「あ、いや、そ、そういうわけではッ」
「露骨に目ェ逸らしてりゃあそういうわけでは、あるよい」
「ぐっ……」

唯一の弱点が露呈したカノエは、赤くした顔を大きく顰めた。

「あ、あのような格好をさせるのは如何なものか!? 女子《おなご》があれ程に肌を露出させて人前に出るとは、あ、あまりにも、よ、よよ、宜しく無い!」

懸命に抗議の声を上げるカノエに、白ひげとマルコは肩を揺らして盛大に笑った。

「グララララッ! どこぞの頑固オヤジみてェな意見を言いやがるなァ!」
「ナースがナースの格好をしてんだからどこもおかしくねェよい。カノエが慣れるんだな」

白ひげとマルコの言葉に、カノエは奥歯をギリッと強く噛み締めた。

「は、破廉恥だ!」
「クッ、ククッ……、ぶはっ! ははははっ!!」
「グララララララッ!!」

何を言うかと思えば破廉恥だ等とは、白ひげとマルコは堪らずに噴き出して更に笑った。

「ッ……」

この二人の笑い様はまるで高杉のようだと、あの時の記憶が脳裏に過ったカノエは、眉間に深い皺を刻んで不服な表情を浮かべ、笑う二人からぷいっと身体ごと背けて――――いじけた。

「大分らしくなってきたんじゃあねェか」

先刻の――最初に会った時に比べて、表情も感情も豊かになった。白ひげがニヤリと笑みを浮かべるとカノエは背けたままゆっくりと瞼を閉じて大きく息を吐いた。
少しは楽になったか?と問い掛ける白ひげに、カノエは小さく頷いて白ひげへと向き直した。

「白ひげ殿」
「殿は止めさせろとマルコに言ったんだがなァ……」

眉を少し顰めた白ひげがマルコにチラッと視線を向けるとマルコは軽く肩を竦めた。

「おれはちゃんと言ったよい」

マルコの返事に、あァ、そうであったとカノエは一呼吸置いた。

「では、白ひげ…さん……」
「娘が親に対して他人行儀な呼び方してんじゃねェよ」
「!」

白ひげがそう告げるとカノエは驚きと戸惑いが混じった表情を浮かべたが、直ぐに苦笑にも似た笑みを零して小さく頷いた。

「ならば、オヤジ殿」
「おい、だからその『殿』ってェのを止めやがれ。おれァ海賊だ。そういう堅苦しい呼び方をされるのは好きじゃあねェ」
「では、オヤジ様と」
「オヤジ殿にしろ」
「しかし、殿は止めろと」
「様付けなんて柄じゃあねェだろうがアホんだらァ!」
「では、オヤジ殿で」
「ッ……」

海賊らしくない呼び方をされることを嫌がっているのを承知の上で、敢えてより相応しくない『様』付けを提案したカノエに、白ひげは咄嗟にまだマシな方を選択した。

―― オヤジの方が折れちまった……。

傍で二人のやり取りを見守っていたマルコは、視線を外して徐に手で口元を覆い隠した。なんとも滑稽な結果が生じたことでつい笑いそうになったからだ。
たぶん、この呼び方に関するやり取りは、先程のナース達の件での意趣返しだなとマルコは思った。

「良い度胸してやがる」

白ひげもマルコと同様に察したようで、「仕方が無ェ、好きに呼びやがれ」と笑った。マルコは苦笑を浮かべ、二人に釣られるようにカノエも少しだけ笑みを零した。そして、カノエの笑みに白ひげは目を細めた。

―― まだ少し笑い方がぎこちないが、いずれ自然な笑みを浮かべらァ。

ひとまず一呼吸を置いてから白ひげが話題を変えた。
天竜人の件だ。
カノエは眉間に皺を寄せて僅かに苦悶の表情を浮かべながらも黙って話を聞いた。そうして全て聞き終えるとカノエは礼を言って深々と頭を下げた。

「すまねェなカノエ」
「いえ、事情はよくわかりました。世界を敵に回す等という危険極まりない行為をこの船に乗る方々にさせるわけにはまいらぬ故……」
「バカ野郎が、お前ェも含めてだハナッタレ! 娘に危険なことをさせる親がどこにいやがるってんだアホんだらァ!」
「!」

未だに自分だけでも挑みに行きそうな言葉に、白ひげは呆れながら叱責する声を上げた。

「は、はい、すみませッ――!」

咄嗟に頭を下げたカノエは謝罪の弁を口にした――が、両手で口元を押さえて隣に立つマルコに目を向けた。

「今のは普通の謝罪だろい?」
「ッ……」

片眉を上げてニヤリと笑みを浮かべるマルコに、カノエは眉間に皺を寄せて視線を外すと小さく舌打ちをした。
でこぴんなるものが脅威故だ……。と、条件反射的に反応してしまった自分が恥ずかしいと心内で悔やむ。

「あァ、それとだなァカノエ」
「ッ…、はい」
「レイリーから預かってるもんがある」
「そ、それは!」
「大事なもんだろう? 二度と無くすんじゃあねェぞ」
「あ…、りがとう……ございます……」

白ひげの手から渡されたそれは『御守』だった。それを受け取ったカノエは僅かに表情を強張らせて辛い表情を浮かべた。
カノエにとってはあまり良いものでは無いのかもしれない。だがそれでも、御守を大事そうに懐に仕舞い込んで胸元をギュッと握り締めた。
その僅かな表情の変化や行動の一つ一つを、白ひげは静かに優しい眼差しで見守っていた。

―― 辛ェもんなら捨てりゃあ良い。だがそうしねェのは、まだお前の心がそれを許してねェからだろうなァ……。

白ひげはそう思いながら再び話題を変え、今夜はカノエを娘としてこの船に正式に迎えることを祝した宴を催すことを告げて話は終わった。そして、カノエは白ひげに一礼してからマルコと共に船長室を後にした。

「マルコさん、この後は何を?」
「あァ、夜までは自由行動だ」
「自由行動……ですか。しかし、そう言われても……」
「なら甲板に行くかい? 今は5番隊と7番隊、あと12番隊辺りが訓練しているはずだ」
「訓練……」
「丁度良い機会かもしれねェ」
「?」

カノエが部屋で眠った後、船長室で隊長だけを集めて事の仔細を話した際、最後まで渋ったのは7番隊隊長のラクヨウと12番隊隊長のハルタだ。イゾウのように実際に会って話をすれば、二人のカノエに対する印象も変わるかもしれない。

マルコはカノエを引き連れて甲板へと向かった。
階段を上がって外に出ると、訓練をする者と、それを見ている者達とに分かれて、多くの船員達がいた。

ビスタがマルコに気付いて視線を向けると、マルコの背後にいるカノエに気付いて目を細めた。ラクヨウとハルタもまたマルコに気付いて声を掛けようとした。しかし、マルコの背後にカノエがいることに気付いて口を噤んだ。

―― ったく、お前ェらは……。

ビスタは良いとして、ラクヨウとハルタのあからさまな態度に、話をする以前の問題かとマルコは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。


〆栞
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