第九幕


船内に入ると擦れ違う者達はマルコに頭を下げて挨拶をする。それと同時に後ろを歩くジンを見ると警戒と敵意を示して鋭い眼差しを向けた。
甲板にいなかった者達は何も知らない。
擦れ違う船員達のそうした態度からしてハルタやラクヨウ辺りが何かを話したのだろうとマルコは察した。
特にハルタはジンに対して嫌悪感を強く抱いていたように思う。
マルコは眉間に手を当てて溜息を吐いた。

―― 心穏やかではいられねェだろうよい。

人の機微に敏感であるマルコがジンの心情を察しないわけが無い。しかし、後ろにいるジンの様子が気にはなるものの決して振り向いて様子を伺おうとはしなかった。そして――

「ったく……、あまり感心しねェなァ……」
「……」

船長室の扉の前に立った時、マルコは溜息混じりにそう独り言ちた。

「オヤジ、おれだ。マルコだよい」
「あァ入れ」

部屋の中から低く威厳のある声が聞こえて来たが、ジンは至って無関心なのか表情一つ変えることは無く、マルコの後に付いて部屋へと入っていった。

「あーダメだ。ああいうタイプは苦手だよ」
「ハルタ、あまりそう言うな」

船長室前の廊下の先でハルタとビスタが偶然通り掛かってマルコとジンが船長室へ入って行く姿を見つめていた。
顔を顰めるハルタに対してビスタは髭を弄りながら微笑を浮かべる。

「何さ、ビスタはあいつのことが気になってんの?」
「同じ剣士としてだがな。相当の手練れであることはわかる」
「それは……ね。わかるけど」
「この船の連中には合わんかもしれんな。我々が想像した人物像であればの話だが……。しかし、冥王の言葉が本当であるならば決めつけるのは良く無い」
「おれにはただ厄介者の押し付けにしか思えないけどね」

ハルタは皮肉めいた言葉を言い捨てると自室へと戻って行った。そんなハルタを見送るように見つめるビスタは「やれやれ……」と、溜息混じりに小さくかぶりを振った。

つい先刻のこと――。
冥王レイリーと白ひげとの話は船長室で行われた。その場には他の隊長格の者達も集っており共にその話を聞いていた。

〜〜〜〜〜

「心を失くした人間に興味は無いかニューゲート?」

〜〜〜〜〜

冥王レイリーの第一声には驚かされた。
てっきり擁護を頼むものだと思っていたが、まさかあのような切り口で話を始めるとはビスタは思ってもみなかった。
更には――。
ラクヨウは興味が無いのか欠伸をしながら聞いていたり、ハルタはこれまた如何にも無関係といった態度を示し、イゾウは何を考えているのかはわからなかったがあまり良い雰囲気は無く、彼らの態度を見たレイリーが眉間に皺を寄せて軽く溜息を吐いていたのをビスタは覚えている。

〜〜〜〜〜

「あれは哀れな子だ。心を失くし、行き場も生きる道もない。ニューゲート、彼女をこの船に迎え入れてやってはくれないか? 折角拾った命を簡単に捨てさせたくはないのだよ」
「グララララ、やけにその女を過保護にするじゃねェか。何がお前をそうさせやがる?」
「己の命を簡単に投げ捨てるような人間でありながら熾烈に激情的に生きようとする矛盾したその姿を見たら、何とかしてやりたいと思ってな」
「……ほう?」
「過去に異世界から来た人間の存在を知っているな?」
「あァ。そいつは血も涙も無い殺人鬼ってなァ噂を聞いちゃいるが……、その女は違うのか? ビスタやイゾウの報告によればその女も相当な数の人間を殺しているヤバい女だってェ話じゃねェか」
「少なくとも、彼女は自身の快楽や欲の為に剣を振るっているわけではないことは確かだ」
「……何の為に剣を振るい人を殺すのか。碌でも無ェ理由なら例えお前の頼みでも聞き入れられねェが」
「理由は直接本人から聞くと良い。間もなくマルコかサッチが彼女を連れて来る頃だろう」
「……」
「用件は済んだ。私はこれで失礼する」
「冥王レイリーとしての立場であったのならどうした? 」
「そうだな、現役だったとしても助けたいと思うかもしれんな」
「……そうか」
「この船の連中はただの海賊ではないだろう? お前達『家族』という繋がりを持ってすれば彼女は変われるかもしれん。少なくともあれは……そういったものに飢えた女だ」

最後に言ったレイリーの言葉に、ビスタは自身の中に深く染み入るものを感じた。それと同時にカノエに対する見方が少し変わった。

―― 同情すべきではないだろうが……。

タチバナカノエなる者の姿を初めて見たが冷たく無表情であった。しかし、どこか憂いを帯びて悲しげなものに思えた。

何の為に剣を振るうのか。

同じ剣士としての立場から彼女のその理由を直接聞いてみたい興味はあったが、今はただ報告を待つしか無い。

―― こうもやるせない気持ちになったのは初めてだ。

ビスタはシルクハットの鍔を摘まんで目深に被るとその場を後にした。





船長室に通されたジンは部屋の中央に立つと、目の前に座る一際身体の大きな男に驚いて少し目を丸くした。

―― ……に、人間?

こんなに大きな身体をした人間を見るのは初めてだ――と、口にはしないが表情がそう言い表しているとマルコには思えて少しだけクツリと笑いつつ、オヤジと慕う白ひげの側へと歩み寄った。

白ひげは鋭い眼差しでジンを睨んでいる――が、その瞳の奥にどこか温もりと寛大な優しさを宿しているようにジンは思えた。
例え海賊とは言えその辺にいるような小物とは全く違う、器の大きさが計り知れない大物であると肌で感じた。

ジンは決して視線を外さず真っ直ぐに白ひげの目を見つめ返して静かに頭を下げた。すると白ひげは片眉を上げ、今度はマルコが意外だとばかりに目を丸くした。

「お前ェがカノエ……だな?」
「私はタチバナジンと申す。カノエという名は使ってはおらぬ故、お控え願いたい」

ジンは抑揚の無い声でそう言った。その様子に白ひげは眉をピクリと動かすと口角を上げた笑みを浮かべた。

「グララララッ、心を失くした人間とはよく言ったものだ」

白ひげがそう言うとジンは少しだけ眉を顰めた。

「お前ェは結構な数の人を殺しているらしいじゃねェか」
「オヤジ!」

白ひげの言葉にマルコは思わず声を上げて止めようとした。だが白ひげはマルコに向けて軽く手を向けて押し黙るように指示をする。

「ッ……」

マルコはグッと言葉を飲み込むしか無かった。そうして再びジンへと視線を向ける。

「心を失くした人間と評されることには慣れている。化物、死神、鬼、獣等色々と言われて来た。だが人が私をどう捉えようと、私にとってはどうでも良いことだ」

ジンはゆっくりと目を瞑ってそう言った。

「そんな人離れした評価に慣れちまうたァ、余程の修羅場を生き抜いて来たんだろうなァ」

無表情で無感情――兎角無機質に静かに答えるジンを見つめる白ひげは、目を細めながら数刻前に話をした旧敵の顔が脳裏に浮かんだ。

―― レイリーめ、とんでもねェもん拾って来やがったな。

顔には出さないが胸の内で冥王に向かって舌打ちをした。

「あァ、忘れるところだったが……肝心の腹の傷だが具合はどうだ?」
「まだ痛むが動くに支障は無い。この船の船医に助けられたと聞いた。その件に関しては世話になった故、御礼を申し上げる」
「あんまり無理するもんじゃあねェ。銃で撃たれたらしいが、かなり深い傷だと聞いている」

白ひげの言葉にジンは瞼をゆっくりと開けると白ひげを見上げて僅かに目を細めた。

―― 得体の知れぬ者の容態を気遣うのか。……なかなかに懐の深い男だ。

「オヤジ……か」

ジンは小さな声で呟いた。そして、それまで無表情だったそれを少し崩して笑みを浮かべる。
それを見た白ひげは少し目を見開いた。
白ひげの中に一つの疑念が生まれる。

―― 心を失くしただと? こいつはちゃんと保ってるじゃねェか。レイリー、お前ェはどこをどう見て”心を失くした”なんて言いやがる? 見誤ったか? ……いや、あの男に限ってそれは無ェか。

何れわかる時が来るだろう――と、今はその疑念を振り払った。

「レイリー殿もマルコ殿やサッチ殿、そして白ひげ殿も含めて本当におかしな人達だ」
「……何故そう思う?」
「海賊と聞いて警戒をしたが、この船の者達は私が知っている海賊とはどうやら似ても似つかない。想像していた海賊像とは全く違ったようだ。……異国の海賊だからかもしれないがな」

ジンはそう言うと腰に差してある刀を左手を添えて握った。

「ジン!?」

マルコはジンのその行動に焦りを滲ませた声を上げて身構えた。だがジンがマルコへ目を向けてお互いの視線がかち合うと、ジンはクツリと初めて破顔した笑みを見せた。

「心配には及ばぬ。何もここで暴れよう等とは思っていない故ご安心を」

ジンは長刀と脇差を引き抜くとゆっくりとした動作でそれらを地面に置き、膝を折ってその場に正座した。

「白ひげ殿、私の怪我の治療だけではなく、先刻は森で争い事が起きた折にマルコ殿とサッチ殿に助けて頂いた。まずは礼節を持って御礼を述べるべきところを海賊ということだけで警戒と敵意を持って接した非礼に対しお詫びを申し上げる。そして、助けて頂いたことを感謝を致していることをお伝えしたく、改めて御礼を申し上げる」

両手を床に突いて頭を深々と下げるジンのそれは所謂土下座だ。

マルコは驚いて唖然とした。
何より驚いたのは、ジンが初めて警戒を解いて破顔した笑みを見せたことだ。
まるで幼い少年――いや、少女のような無垢な笑みが、マルコの心に印象強く残った。
また白ひげは、ジンに釣られるように破顔すると――グララララッ!――と、盛大に笑った。

「あァ仕方が無ェことだ。海賊相手に警戒するなって言う方が無理な話だからなァ。気にするこたァ無ェ。ジン、お前ェのその対応は決して間違っちゃあいねェよ」
「いえ、礼には礼を。恩には恩を。どんなに些細なことであろうともそれを忘れて接することは私の意に反する故……」
「おれのバカ息子共にも聞かせてやりてェ話だなァ、グララララッ!!」

白ひげは更に大きな声を上げて笑った。その声は至って楽し気で、彼の機嫌の良さが手に取るようにわかる声音だった。
だが暫くすると白ひげは浮かべていた笑みを消した。

「ジン」
「……」

少しトーンが下げられた声は、何か只ならぬ話をするのだろうとジンは察した。
途端にピンと空気が張り詰める。
ジンは背筋を伸ばして白ひげの目を見据えると、白ひげはゆっくりと口を開いた。

「お前ェのいた世界と、今いるこの世界は全く違う世界だってェこと話さなきゃならねェ」
「それは……どういう…ことだ?」

白ひげの言葉にジンは眉間に皺を寄せた。

―― 世界が違う? 日本と異国の違い……では無いのか?

「マルコ、世界地図を見せてやれ」
「わかったよい」

白ひげの指示でマルコは書棚に収められていた一枚の紙を抜き出してジンの元へと歩み寄った。そしてジンの目の前で腰を下ろし、丸まった紙をバサリと広げて中を見せた。

ジンは目を大きく見開いた。そしてそのまま地図からマルコへと向ける。

「……な、何の冗談だ?」
「冗談は言ってねェ。これが今いる”おれ達の世界”だよい」
「何を言って……ふ、ふざけないでもらえるか?」

ジンの表情はこれまでに無い程に崩れた。
大きく動揺して戸惑う。
不安に襲われた表情を浮かべながら様々な感情が溢れて俄かに瞳が揺れる。

「ジン、落ち着けよい」
「ここは異国では無く……異世界? 世界自体が違う……?」

ジンは再び地図に視線を落とすと考え込み始めた。

そもそも言葉が通じる時点で疑問に思うべきだった。
異国の言葉なんて全く知らないのだから――。

それにレイリーの家から見たあの景色はやはり異様だった。
不思議な物体がそこかしこに浮いていて現実に思えなかった。

―― い、いや、そんなことはどうでも良い。何故、何故このようなことになっているのか……。

頭の中で様々な憶測が飛び交い思考を回していると腹部にズキンッ――と、これまでに無い痛みが強烈にジンを襲った。

「くっ……!」
「腹の傷が痛むのか?」

―― !?

痛みで顔を歪ませるとマルコが手を伸ばしてジンの腹部に当てて来た。
マルコの行動にジンは驚いて身を引こうとしたが、腹部の痛みで身体が思うように動かすことはできず、逆にバランスを崩して地面に倒れそうになった――が、地面に崩れることは無かった。

「ッ〜〜!?」
「無理して動くなよい。唯でさえあんだけ動いてたんだ。傷が開いてるかもしれねェよい」

倒れる身体をマルコが抱き留めてくれた――のだが、ジンはピシッと固まるほか無かった。
直ぐ目の前には紺色の刺青が模された厚い胸板。
自分の腰や腕に回されたマルコの腕は逞しく、少し羨ましいと暢気に思ってしまう自分がそこにいた。
少ししてジンはハッと我に返るとかぶりを振って大きく狼狽えながら身体を引き離そうとする。

「ハハ、顔が赤いよい」
「な、何をバカな! だ、大事無い故、は、離っ、離して頂きたい!」
「ククッ、あァわかった。離すから暴れるな。傷に響くだろうがよい」

マルコはジンを抱き留める腕を離すと代わりに手を伸ばしてジンの頭に触れ、クシャリと一撫でした。
目を丸くして見上げると優しく笑うマルコがいて――ズクリ――と、胸の奥底に異質な痛みが走るのを感じた。

―― ッ……。

ジンは自ずと胸元の衣服を握り締めた。
顔を赤くして狼狽しているが、眉間に皺が寄ってどこか苦しげな様相が見え隠れする。
それを白ひげは見逃さなかった。
白ひげは難しい表情を浮かべると再びレイリーの言葉を思い起こした。

〜〜〜〜〜

「あれは哀れな子だ。心を失くし、行き場も生きる道もない」
「己の命を簡単に投げ捨てるような人間でありながら熾烈に激情的に生きようとする」
「己の命を簡単に投げ捨てるような人間でありながら熾烈に激情的に生きようとする矛盾したその姿を見たら、何とかしてやりたいと思ってな」
「この船の連中はただの海賊ではないだろう? お前達『家族』という繋がりを持ってすれば彼女は変われるかもしれん」

――少なくともあれは……そういったものに飢えた女だ――

〜〜〜〜〜

イゾウやビスタの報告を受けた時は余程狂気的な人間かと思ったが、レイリーの言葉を受けてはどれ程の哀れな人間かと思った。
しかし、実際に合って話をしてみれば存外真面で、海賊が相手だろうとも礼儀礼節を重んじて丁寧な対応をしてみせたジンに感心した。

―― 家族という繋がりに飢えた女……か。

時折垣間見る瞳は真っ直ぐで嘘は無く誠実そのもの。
物怖じせず冷静に対処しようとする姿勢から心も存外に強いのではと思った。
しかし、今し方ほんの一瞬だけ見せたジンの苦しげな表情は、何かを恐れ、何かを拒絶し、何かから逃げたがっている――とても脆く儚い雰囲気を白ひげは感じた。

―― 危うい……な。

マルコに抱き留められて狼狽したのは”異性”という感覚では無く、他者との間の距離にそれらを含んだ心の悲鳴が顔を出したのではないか――と、そう思えた。
白ひげは眉間に手を置いて深い溜息を吐いた。

この船に乗る者達も様々な問題を抱え、一癖も二癖もある人間が沢山いる。
目の前にいるマルコはその筆頭と言っても過言では無い。
しかし、ジンは誰よりも深い闇を抱え苦しんでいる人間であることがわかる。更に苦しみの中にダブって見える”女の顔”がより一層に複雑化している。

「ジン」
「ッ……、はい」
「聞きてェことが二つある」

白ひげが静かにそう言うとジンは居住まいを正して改めて白ひげへと向き直った。
マルコはそのままジンの側で膝を突いたまま離れようとはしなかった。

―― マルコ、お前ェが他人の心配をするってェのか。

決して見ない光景だと白ひげは目を細め、軽く一つ咳払いをしてから改めて話し始める。

「まず一つ目だが、お前は何の為に剣を振るいやがる。何の為に剣を振るい人を殺すのか、それを教えちゃくれねェか?」
「何の為に……か」

白ひげの質問を復唱するように小さく呟いたジンは、視線を白ひげから外して目の前に置いた刀を見つめた。
俄かに揺れた瞳。
表情は懐かしさと悲しみを混同させたような複雑なものを模して、ジンはゆっくりと口を開いた。

「よく聞かれる質問だ」
「そうか、なら答えるのは何も難しいことじゃあねェな」

白ひげは微笑を浮かべながらジンの表情をジッと見つめる。

―― ジン、その表情は何を意味してやがる?

欲や快楽で人を斬り殺すような人間で無いことは一目見た瞬間に理解した。
しかし、尋常では無い数の人を斬り殺してきたらしいジンの剣の真意を知らずにはいられなかった。
何故か――そう遠くは無い過去、異世界の人間が起こした事件を噂で耳にしていた為だ。

『お前がただの殺人鬼では無い証拠を示せ』――と、そのような言葉を口にされたわけでは無いが、ジンは白ひげがそのように言っているような気がした。

―― 人を殺す理由か……。そんなもの、本当は誰も持ち合わせていないことぐらいわかっている。

人が人を殺して良い理由なんて、そんなものどこにも無い。しかし、どうにもならないことだった。
権力というものの前に平伏するのを良しとせず、異国の脅威から大切な者達を守る為に、全ては――国を、人を、成すべき未来を守る為に為して来たことだ。

「白ひげ殿、あなたが納得いく答えであるかどうかはわかりませんが、私の剣に私情は一切無いということ。そして私の剣は全て他の為にある。それは私の扱う剣術の戒めでもあります」
「剣術の戒めだと?」
「私の振るう剣術の発祥……、つまり始まりは『神に捧げる舞』によるもの」
「!」

ジンの言葉に白ひげは眉をピクリと動かし、マルコもまたその言葉に目を丸くした。
森で見たジンの戦いを思い出すのは洗練された動き。
輝きを持って舞うその姿は神々しささえも感じさせられ、見惚れる程に見事なものだった。

―― 妙に納得いったよい。あの剣技から感じたあれはそういうことだったのかよい。

『古武流剣術一迅の太刀』

私情による剣は振るうべからず――。
例えどのような状況においても、例えどのような相手であっても、己の為にその剣を振るうは天意に背き穢れを呼ぶ。

刃を持って戦うは全て他の為。
決して己が為に刃を持って戦うべからず。

「己の為に剣を振るうことは決して無い。それは剣術の戒めであり、そして私の『志』にも相当する」
「志だと?」
「私は確かに多くの命を奪ってきた。それは決して許されることでは無いことぐらい承知している。だが、私がいたあの時、あの場所では致し方が無いことだった。誰しもが平和と安寧を願い、国を想い、人を想い、戦っていた。意見の相違により敵対し、同じ国の者同士が血で血を洗う結果になってしまったことは残念で仕方が無い。しかし、起きてしまったことを悔やんだところで乱世が終わることは無い。私は一刻でも早くその乱世を終わらせる為に、一刻でも早く平和と安寧を取り戻すべく剣を振るった。少しでも多くの人を救い、少しでも多くの人の笑顔を守りたい。ただその一心で剣を振るってきた」
「……」
「私が斬り捨てた者達もまた同じように国を想い、人を、親兄弟、仲間を想う者達だ。志の為だからと言って決して綺麗事で済まされることでは無いことぐらい承知している。神に奉納する舞である剣技を使って天意による剣だ等とそんな大層なことも更々思っていない。……言われたことはありますが」

ジンは膝に置く拳に力を入れてグッと握り締めた。

「私に道を示してくれた先生や共に同じ時を過ごした仲間も大勢死にました。私は彼らの遺志と、そして私が手に掛け殺した者達の遺志を、志を背負う覚悟を持って戦い続けて来た」

そう言うと眉間に皺を寄せながら目を瞑って深呼吸を数回繰り返した。そうして静かな声音で言う。

「至誠にして動かざるは未だこれ有らざる成り」

心から慕って敬愛していた血の繋がりの無い義兄のような師が言った言葉。
既にこの世に無い彼の人の顔が脳裏に浮かんで胸が苦しくなる。

「私は決して奪った者達の命を無下にしない。先刻、森でまた多くの者達を斬ったが、例え彼らがどれだけ粗暴な者であったとしても同じく捨てはしない。決して」
「全てを背負うってェのか?」
「人が人を誅するとはそういうことだと私は覚悟している故」

ジンは白ひげを真っ直ぐ見据えて強い口調で言い切った。
曇り無く、真っ直ぐで気高く、強い意志を宿した目だ。
白ひげは決して逸らすこと無く、ただ黙って見つめ返すのみ――。

―― 大層な重荷を背負ってやがる。けどお前ェそれでは……。

白ひげは大きく深呼吸をすると「わかった」と言ってコクリと頷いた。

「二つ目の質問だ」
「はい」
「男として生きる理由を話しやがれカノエ」
「!」

低く静かに、しかしどこか怒気を含めた白ひげの声音にジンは驚いた。
その声でカノエの名を呼ばれた時、再び胸の奥底にズクリ――と、重い痛みが走った。
思わず胸元に手をやって衣服を掴む。
白ひげの目は鋭く突き刺さるような視線を向けて来る。
ジンの奥底にある何かを見据え、それを探り出して引き摺り出そうとしているかのようで、余計に動揺を誘った。

ジンの瞳は大きく揺れを見せた。
動揺と苦しみを隠し切れずに呼吸が一気に荒くなった。

―― やめろ、やめてくれ、踏み込むな。

口を一文字に結んで奥歯をグッと噛み締めて耐える。

「男として生きることを……望んだからだ」
「何故そう望む?」
「そ、そう決めたからだ」
「何故決めた?」
「そ、そんなこと、そんなことを話す必要は無い!!」

突然これまでに無い程の怒気を露わにしてジンは声を張り上げた。
拳は固く握られ、呼吸は荒く、身体を大きく揺らし、今にも襲い掛かりそうな程だ。
白ひげは動じること無くジンを見据えていたが、マルコは驚いて固まっていた。

―― 急にどうしたってんだよい。オヤジにカノエの名を呼ばれただけで……。

白ひげに本当の名を、カノエと呼ばれてから、明らかにジンの雰囲気が変わった。

「二つ、聞きたいことがあると言ったはずだ。先程まで誠実に答えていたというのにどうした? 何か不味いことでもあるってェのか?」
「黙れ!」

白ひげがそう言うとジンは大きく顔を顰めて怒鳴った。

「お前に、お前に何がッ! 私の、何がわかると言うのか!!」
「グララララッ! 見縊られたもんだ! おれにはハナッタレの胸の内を痛ェ程わかってんだがなァ!」
「なッ!? は、ハナッタレだと!? 私を愚弄する気か!?」

血相を変えて怒りをぶちまけるジンに対して白ひげは柔らかい笑みを浮かべる。

「お前ェはジンでいることなんか望んじゃいねェ。お前ェはジンであることを心底から嫌っているんじゃあねェのか?」
「ば、バカを言うな! 私はジンだ!!」
「じゃあ何故さっきからそんなに苦しい顔をしやがるんだ。何故そんなに辛い顔をする? 何故そんなに……泣きそうな顔をしてやがる」

白ひげの目はまるで幼子を諭す親のそれであるかのように、温かく情愛に溢れたものに変わったことにマルコは気付いた。

一方、マルコの傍らでジンは――。

ドクンッ……――ドクンッ……――。

両手で胸元の衣服を握り締めて苦悶の表情を浮かべて額を地に押し付けるように蹲った。

〜〜〜〜〜

「ねェ庚」

〜〜〜〜〜

酷く懐かしい声が響く。
忘れたくても忘れられない記憶が止め処無く溢れ出した。


〆栞
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