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「め〜し〜♪ め〜し〜♪ そ〜ら、そらそら、飯ィの〜時間だよ〜ん♪」

エースが連行された後、最奥の牢獄に残されたジンベエは力無く項垂れていた。そこに看守のヤマダ・タロウがいつものように陽気に歌いながら配給にやって来たのだが、牢獄内に入るとジンベエを拘束している錠を外した。

「な、何のつもりじゃ!?」
「あ、はい。エースの義弟が助けに来られたので、そのお手伝いをと思いまして」
「お前さんは海軍側の人間では無いのか?」

ジンベエの問いにヤマダ・タロウは小さく首を振った。そして、「ジンベエさん、初めまして」と口にしながら脱帽して深々と頭を下げた。
初めましてじゃと?と訝し気な表情を浮かべたジンベエにヤマダ・タロウは笑みを浮かべてコクリと頷いた。
何度も顔を突き合わして食事までくれていたというのに、何故『初めまして』と言うのかが理解できないジンベエは、増々眉間の皺を深くして、頭上に疑問符を飛ばした。

「ヤマダ・タロウは偽名なんです」
「ぎ、偽名じゃと?」
「本当の名前はヤヒロ。マジマヤヒロです」
「な、何!? ヤヒロじゃと!? 白ひげの……あのヤヒロか!?」

目を見張って酷く驚いたジンベエに、ヤヒロはまるで悪戯っ子のような笑みを浮かべて頷いた。
白ひげが初めて『娘』として迎え、警戒心の強いマルコの信用を簡単に勝ち得た女が目の前にいる。豪胆で大胆な女だと噂には聞いていたが、まさか看守に化けてインペルダウンに潜入しているとは、果たしてどれだけの者が想像できただろうか。否、きっと誰もそんなこと考えるどころか思う事すら無いだろう。

これは守らねば……! エースさんだけでは無い。この子も守らねば白ひげのオヤジさんに面目が立たん。と、ジンベエは静かに決意した。

「ヤヒロ! エースは!!?」
「エースは既に連れて行かれたよ」
「じゃあ、もうここにはいないのか!?」
「そうだよ」
「麦わらボーイ! 擦れ違いっちゃぶるわね!」

遅れて牢獄の前に到着したルフィに返事をしたヤヒロは、巨大な顔をしたアフロヘアのイワンコフにどうしても注目してしまう。
想像以上にでかかったイワンコフの頭部に思わずドン引きしてしまったのは、ほんの数分前なのだけど、やっぱり目が行ってしまうのは仕方が無い。ルフィとは違った主張が激し過ぎる。

「ヤヒロ、彼はエースさんの……」
「あ、そうそう。エースの義弟。麦わらのルフィだよ」

自由になった身体を奮い立たせたジンベエは、「お前さんは一体これからどうするつもりじゃ?」と問い掛けた。
しかし、ジンベエの問いに答えることも無くヤヒロはニシシと笑うだけで答えない。エースが既に連れて行かれたことを知って肩を落としたルフィに、「ほら、次だ次」とルフィの頭に手を置いてくしゃくしゃと撫でたヤヒロは、途端に大きく息を吸って――――大きく叫ぶ。

「お前らァ! 今から脱獄だァァァッ!!」
「んなっ!?」

一体何を考えとるんじゃ!?と、ジンベエは呆気に取られた。
最下層フロアの牢獄の扉は尽く開け放たれて行く。その一方で、囚人達は呆然とヤヒロを見つめている。
看守の癖に脱獄ってどういうことだ?と、誰もが思っているに違いない。シンと静まり返る中、沈黙を破った男がいた。クロコダイルだ。

「てめェ……、何を考えてやがる」
「交換条件」
「あ?」
「脱獄を手伝う代わりに皆の力を是非とも貸して欲しい。ルフィとあの顔の大きい人とハサミの人とジンベエと私とその他諸々。各フロアの獄も鍵を開け放ってあるから皆で脱出する。んで、エースを助けるんだ」
「割に合わねェな」
「ワニさん、頂上戦争に興味はあるっしょ? 特に白ひげとか白ひげとか白ひげとか」
「!」

クロコダイルに不敵な笑みを浮かべて「ニシシ!」と笑ったヤヒロは、囚人達へ向き直して声を上げる。

「今日、この日を持って、脱出不可能と言われたインペルダウンの伝説を尽く打ち破って覆してやろうじゃねェか! んでもって、海軍の鼻っ柱をへし折ってギャフンと言わしてビービー泣かしてやろうぜ! なァ、野郎共ォォォッ!!」
「「「うおおおおおおっ!!!!」」」
「おれはタロウについて行くぜ!!」
「お前はつまらねえ獄中生活を楽しくしてくれたからな! その礼に力を貸してやるぜタロウ!!」
「おー! ありがとな!! 因みにヤマダ・タロウは偽名だ! 私の名前はヤヒロ! マジマヤヒロってんだ!! てめェら宜しくなァ!!」
「「「うおおおっ!」」」

最下層の囚人達は意気揚々と声高らかに叫んだ。そして、「「「ヤヒロ! ヤヒロ! ヤヒロ! ヤヒロ!」」」と、ヤヒロコールが巻き起こる。
士気が異様に高い囚人達を前にしてジンベエだけでは無く、頭のでかいイワンコフも唖然とした。その傍らで「ひゃああ、やっぱりヤヒロって凄ェ面白ェな!!」とルフィが笑う。

「ワニさん、そういうことなんだけど力を貸してくれ。頼む、この通りだ」
「!」

サー・クロコダイルを相手に力を貸してくれと礼儀を持って深々と頭を下げるヤヒロに、ジンベエやイワンコフが言葉を飲み込む一方で、囚人達は愈々ヤヒロに惚れ込み一層士気を高めた。

「囚人達全員を一瞬で虜にするなんて、とんでもない子だわね」

意気揚々とする囚人達を見回したイワンコフは、頭を下げたままのヤヒロに視線を戻してゴクリと喉を鳴らした。そして――「クロコボーイ、力を貸してあげっちゃぶるわよ」とクロコダイルに声を掛けた。

「ッ……」

革命軍幹部のイワンコフに苦々しい顔をしたクロコダイルは、視線をヤヒロに戻すと小さく息を吐いた。

「ヤヒロ…と言ったな」
「あ、うん」
「全て終わった後、てめェの面を貸すってんなら力を貸してやる」
「ほんとに!? 良いのか!?」
「ふん、少しは楽しませてもらおうじゃねェか」

口端を上げて不敵な笑みを浮かべたクロコダイルは、よっしゃあ!と喜ぶヤヒロの頭を軽くペシンと叩いた。

「痛ッ!?」
「その呼び方は変えろ」
「やだ。ワニはワニだ。それに……、やっぱりワニさんの方が親しみ易いし話し易い!!」
「!」

ヤヒロはそう言うと颯爽と走り出した。

「ハハハハハッ! クロコボーイを手玉に取るなんて素敵じゃない! 気に入っちゃぶるわよ!!」
「おい! クロコダイル!! ヤヒロはおれの仲間になるんだから手ェ出すなよ!?」

ルフィの発言にジンベエは「何じゃと!?」と思わず反応した。

「ヤヒロは白ひげ海賊団のオヤジさんの娘じゃ! 誰にも渡さんぞ!!」

やはりワシが守ってやらんと!と決意をより強くしたジンベエに、「おれは譲らねェからな!」とルフィが言い張った。又、ジンベエの発言にピクンと反応したのはクロコダイルだ。

「な、何だと?」

あいつが白ひげの娘だと!?と目を見開いたクロコダイルだったが、ふと思った。娘……?――と。

―― !? ――

更に驚愕した表情へと変えたクロコダイルは声を上げた。

「あいつが女だと!?」

この時ヤヒロが女であることを知ったクロコダイルは、あれはどう考えても…男…だろう?と、どこか納得がいっていない様子で首を捻った。
一方、牢から出てきた囚人達を見回したヤヒロは、看守の帽子を取って彼らに対しても深々と頭を下げた。

「大変なことに巻き込んじまうと思う。怪我をするだろうし下手すりゃあ命だって落とし兼ねない。そんなでかい戦争に全く関係の無いあんた達に『力を貸してくれ』って頼むのは、本来の私の信条としては無責任過ぎて本意じゃねェ。けど、だけど……」

両手の拳をぐっと強く握るとゆっくりと顔を上げたヤヒロの顔は真剣そのもので、目の前の囚人達は唖然としながらゴクリと固唾を飲み込んだ。そんな彼らにニッと満面の笑みを浮かべたヤヒロは、再び大きく息を吸うと両拳を高く突き上げて大きな声を張り上げる。

「誰一人絶対に死なせねェから! 一時だけで良い! お前らの命を私にくれェェェッ!!」
「「「うおおおお!! ヤヒロ!! ヤヒロ!! ヤヒロ!! ヤヒロ!!」」」

囚人達の士気は愈々最高潮に達した。雄叫びと共にヤヒロコールが高らかに合唱される。その様を監視室でモニターを見ていた看守の一人がヤヒロの姿を見つけると目を丸くして叫んだ。

「あ、あいつ! タロウじゃねェか!! あんなところで何やってんだ!?」
「何!? タロウだと!? つい最近入ってきた新人のヤマダ・タロウか!?」

驚きに打たれたハンニャバルは慌ててモニターを確認した。帽子と黒縁眼鏡を外した看守服を着た男が囚人達を前に意気揚々と笑っている姿が写っていた。

「う、うぬゥッ! た、確かにあの新人…!」

ギリギリと歯を食い縛ったハンニャバル。しかし、直ぐにハッとして顔を蒼くした。

「こ、これはおれが悪いのか!? あの新人を採用したおれの責任かァァ!?」

ハンニャバルは側にいた看守の胸倉を掴んで慌てふためき叫んだ。そして、直ちに命を下す。ヤマダ・タロウも含めて脱獄囚は全員ひっ捕らえろ!マゼラン署長が戻る前にだ!――と。
特にマゼラン云々を強調した叫び口調でだ。
命令を受けた看守達は急いで武器を手に取って準備に取り掛かる。その傍らでハンニャバルは大いに叫んだ。

「ヤマダ・タロウめェェ! おれの出世を邪魔する気かァァァ!! 署長の座がァァァ!!」

己の出世欲の為に闘志に火が付いたのは言うまでもない。――が、この数時間後にその闘志は呆気なく沈下を迎えることになるとは、この時のハンニャバルはまだ知らない。

最下層にいるヤヒロ達は、クロコダイルによって天井に穴が開けられるとイナズマの能力によって螺旋状の道が作られ、それによって上層階へと脱出した。
そして、LEVEL5.5番地――。
現在、ニューカマーランドにて身体を動かすことが出来ないボン・クレーに対してイワンコフによる『テンションホルモン』を処置しているところだ。そして、そこでクロコダイルは囚人服から彼らしい衣服に着替えると葉巻に火を付けて紫煙を吐いた。

「うっし! やっぱこの服が一番しっくり来るな!」

看守の服を脱ぎ捨てて特攻服へと着替えて暗がりから参上したヤヒロに、ルフィが抱き付かんがばかりの勢いで駆け寄ると背後へと回って目をキラキラと輝かせた。

「やっぱりカッコいいなァ! ヤヒロはこの格好が一番似合ってて好きだなァおれ!!」

嬉しい言葉をありがとな。と、ヤヒロとルフィが言葉を交わしている一方で、周りにいた者達はヤヒロの背中にあるそれに目を奪われて停止している。そして、クロコダイルもまた目を見開いて絶句した。
特攻服の背中に描かれた赤い龍と青い不死鳥の姿と、それに囲まれた金糸で描かれた夜叉鬼神の文字が一際異質で圧倒的な存在感を放っていたからだ。

「あそこまではっきりとした赤龍と青不死鳥が描かれておるとは……」
「な、何て恐ろし気な服を着ちゃってるの!?」

ワナワナしながら言葉を漏らすイワンコフを尻目にジンベエは「噂は誠じゃったか」と呟いた。
クロコダイルがヤヒロの背中をじっと見つめながら「その服は何だ?」と声を掛けると、ヤヒロはルフィからクロコダイルに顔を向けた。

「あァ、これは特攻服だ」
「トッコウフク……だと?」
「まァ、そうだな……、戦闘時のユニフォーム?」

首を傾げるヤヒロに何故疑問系なんだとクロコダイルは眉を寄せた。大方そんなところだとヤヒロはニシシと笑った。

「おれも欲しいなァ〜そのトッコウフクってやつ」

ルフィがヤヒロと同じような笑い方で言うとクロコダイルは視線を逸らして舌打ちをした。それを見たヤヒロは悪戯心を擽られたのか、ルフィの肩に腕を回して再び同じような笑みをワザと浮かべてクロコダイルに向ける。
髪が短くなり金髪で無くなった分、ルフィとやはりどこか似ていた。まるで姉と弟のようで、微笑ましいものがある。――が、クロコダイルからすればムカつく笑顔に過ぎない。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたクロコダイルはチッと舌打ちをして背を向けて離れて行った。
その後、テンションホルモンによって元気になったボン・クレーと共にLEVEL5の『極寒地獄』へと突入して、開けた場所でイワンコフを中心に入念な作戦会議が開かれた。流石に極寒地獄というだけあって非常に寒い。そんな中で周りの者達はガタガタと震えながら我慢して話を聞いていたのだが、ある程度まで話し終えたところで「わかったブルわね麦わらボーイ!」とイワンコフはルフィを探すように周囲を見回した。だが、どこにもいない。
それはルフィだけでは無い。ヤヒロ、クロコダイル、ジンベエの姿も既に無かった。

「あ、もう先に行っちゃいました」
「何ですってェェェ!?」

怒りにも似た声を張り上げたイワンコフは、猛ダッシュして後を追い掛けた。





長い階段を登りながらヤヒロ達は、エースの処刑時刻や脱出手段をルフィに説明しながら上階を目指した。辿り着いた先には扉があって固く閉ざされている。だが、クロコダイルが右手を翳して扉に触れると扉は砂へと変わって呆気なく道は開かれた。

「はァァ…、やっぱ凄いなワニさん!」
「……」

呼び方を変えろなんて言う気はもう無い。もうどうでも良い。クロコダイルが一切の無視を決め込んでいるとヤヒロは「何気に渋いし、カッコいいよな」と言った。
ッ!?――思わずピクンと反応したクロコダイルが漸く顔を向けるとニパッと笑顔を浮かべたヤヒロは感心してまた口にする。流石はワニさん!!――と。
何だかんだとクロコダイルとヤヒロの仲が良さげに見えるのは、これまでのやり取りを重ねた結果か、それともヤヒロが『女』であることを知った結果でもあるのか。

「その呼び方を止めねェかって何度言わせやがるんだヤヒロ!!」

褒めて落とすとか、何てムカつく野郎だ!とクロコダイルはイラッとして思わず怒鳴った。それを見ていたルフィは、ヤヒロの前だとクロコダイルも人が変わるんだなァと感心する。
平然とクロコダイルの肩を叩くヤヒロ。それに少しげんなりしながらも砂にもならずに素直に叩かれてやっているクロコダイル。
ルフィが不思議に思うのも無理は無かった。クロコダイルってこんなキャラだったか?と、頭の上に疑問符を飛ばして首を捻る。

「じゃから! 敵さんがようさん出迎えとると言うておるに!!」

注意力散漫な彼らを背後にして、ジンベエだけが魚人空手を放って敵を蹴散らす破目になっている。
いい加減に真面目に戦わんかい!!と、ジンベエは先が思いやられる気がしてならなかった。

Let's 脱獄 @

〆栞
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