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所定の場所で面接を受けたヤヒロは難無く採用された。そして、与えられた制服に身を包んで、諸先輩方を前にして「今日から給仕係として働くことになりましたヤマダ・タロウです。どうぞ宜しくお願いします」と挨拶した。

現代社会元の世界なら確実に怪しまれるだろう偽名を使ったヤヒロは、世界政府が所有する世界一の海底大監獄インペルダウンで看守として働くこととなった。
見た目は少々背が低い少年のような風貌をした青年といったところ。しかし、誰も彼が『女』であるとは気付いていない。男性として応募したのだから当然なのだが、元よりドスの利いた声をしている為か、わざわざ声色を変える必要も無く至極自然体のままで通用してしまう辺り、ちょっとだけ複雑に思うところはあったが、あまり深く考えないことにしている。

働き始めてから数日の時が経過した。
看守の仕事にも慣れ始めた頃、目的とした人物が拘束されて最下層にある最奥の牢へと投獄された。更に、数刻遅れで王下七武海の一人である魚人族のジンベエが同じ場所に投獄された。

「おい、新入り。さっさと行くぞ」
「はいはい」

本日も先輩と共に食事を乗せたトレーを積んだ台車を押してエレベーターに乗り込む。

ガコォォォン……
ウィィィン……

薄暗い奥底にある最下層に到着すると、欠伸をした先輩は気怠げな顔を浮かべながらいつもの台詞を口にする。

「じゃあ、おれは寝るから適当に済ませて来いよ」
「はいはい」

本来ならば二人一組で行動をしなければならない規定なのだが、サボり癖の酷い先輩は全ての仕事を新入りに押し付けて、監視カメラに映らない場所へ移動して居眠りをするのだ。
何故いつもそんなに眠たいのかと思うが、そのおかげで囚人達と自由に言葉を交わしながら給仕ができるので良しとしている。
目深に被る看守帽から不敵な笑みを浮かべた目で薄暗い最下層の廊下を見やる新入り(タロウ/ヤヒロ)は、さあ、今日も頑張りますか!と台車を押し始めた。

「め〜し〜♪ め〜し〜♪ そ〜ら、そらそら、飯ィの〜時間だよ〜ん♪」

この薄暗い牢獄の中で、ガラガラとした車輪音と共に陽気な歌声が木霊する。そして、とある牢の前に差し掛かると台車の上段部分から食事が乗ったトレーを取り出して満面の笑顔でそれを差し出した。

「あい、ワニさん。飯ですよっと」
「てめェ、その呼び方を止めろと何度も言わせるな。いい加減に理解しやがれ」
「クロコダイルさんと呼ぶよりワニさんの方が愛嬌あって親しみ易いからって、何度も言ってるじゃん。いい加減に理解しやがれですよ」

新人看守が最下層の給仕係に配属されて以降、クロコダイルと新人看守は何度も同じ会話を繰り返している。クロコダイルがどんなに睨んでも、どんなに凄んでも、新人看守は怯える素振りすら無く終始笑顔で接して来る。

「はい、飲み水ですワニさん」

海楼石に繋がれている能力者は怖くねェ。そう思っていやがるのか――と、常に腹正しく思いながら飲み水が入ったコップを受け取るクロコダイルは、「てめェの笑顔が気に入らねェ」と吐き捨てた。

「おっと、それは残念。じゃあ、これから気に入りますように!」

わざとニシシと笑ってみせる新人看守に、クロコダイルは思い切り顔を顰めた。
他の牢獄にいる海賊達の「飯を寄越せ〜!」と叫ぶ声に対して「はいは〜い! ちょいとお待ちを〜!」と笑顔で対応しながらクロコダイルへの給仕を済ませた新人看守は、配給チェックリストに『済』の文字を書き込んだ。

「おい」
「あ、はい。何でしょう?」
「てめェの名前を教えろ」
「あれ、言ってませんでしたっけ」
「聞いちゃいねェな」
「ですか、そりゃあ大変失礼致しました。僕の名前はタロウ。ヤマダ・タロウです」
「タロウ……だと?」
「はい、宜しくワニさん!」

相変わらず「ワニさん」と呼ぶタロウという名の新人看守に、クロコダイルはこれみよがしにチッと舌打ちをした。しかし、新人看守は軽く肩を竦めるだけで訂正することも謝ることもしない。

「おいヤマダ! 囚人と仲良くしてんじゃねェ! 早く飯を配ってしまえ!」
「あ、はーい!」

偶々別件の用事で近くを通り掛かった看守が怒鳴り声で注意をしたが、新人看守は意にも介さずといった風に笑って答えた。暢気で気楽な新人看守に対してクロコダイルは何度目かの溜息を吐いた。





鎖に雁字搦め状態で繋がれているジンベエと両腕を鎖に繋がれている火拳のエースが、最重要囚人として幽閉されている最奥の牢。
黒ひげティーチと戦った末に負った傷が何とも痛々しいエースの姿を見つめていたジンベエは、離れた場所から聞こえてくる陽気な声がやけに耳に付いて視線を外して通路に向けた。

「あい、ワニさん。飯ですよっと」

ジンベエと同じ元王下七武海だったサー・クロコダイルも同じエリアに投獄されており、クロコダイルと看守のやり取りがよく聞こえてくる。
この陰鬱な場所に似つかわしくない陽気な男の声を聞くのは食事が配膳される時だけだ。
会話が終わって暫くすると台車の音が此方に近付いて来る。

「め〜し〜♪ め〜し〜♪ そ〜ら、そらそら、飯ィの〜時間だよ〜ん♪」
「……」

暢気に歌いながらガラガラと台車を押してジンベエとエースが収容されている牢獄の前に来た看守は、牢獄のカギを外して扉を開けると台車から食事が乗ったトレーを手にして牢獄の中へと入ろうとした。

「ヤマダ! お前ッ、な、何してんだ!?」

囚人と仲良くするなと怒鳴っていた看守が慌てて駆け付けた。ヤマダと呼ばれた看守はトレーを手にしてキョトンとしている。

「身動きが取れない彼らに食事を与えようかと」
「はァ!?」

当り前のように答えたヤマダに眉を顰める看守。そんな二人を見つめるジンベエは後者の方が正しい反応だと思った。

「このままじゃ食べれるもんも食べれないじゃないですか」
「別に構わねェだろ。どうせもうすぐ処刑される身だ。飯も碌に喉を通りゃしねェよ」
「はァ? 何言ってんだ?」
「て、てめェ、先輩に向かって何だその口の利き方は!?」
「まだ死んでねェ。生きてんだ。飯は意地でも食わせる。どうせ処刑される身だって? だったら尚更だろうがボケ!」
「なっ!?」

驚き固まる看守を無視して牢獄の中に入ったヤマダは、「えっと、火拳のエース。君から食わせてやるよ」と言ってエースの前に腰を下ろした。これにはジンベエも唖然としてただ見つめるだけだ。
スプーンと食事の入ったお椀を手にしたヤマダだが、肝心のエースは一切反応を示さない。ずっと俯いたままでピクリとも動かなかった。しかし、ヤマダは気にすることも無く一口分を掬った。

「ほら、飯だぞ。レストランじゃねェから味は落ちるかもしんねェけど、そこそこ美味いよ」
「クソッ! おれは署長に怒られるのはごめんだからな!」
「はいはい、お先に行っててください。終わったらトレーも回収しなきゃならないんで。あ、その辺で居眠りしている先輩を拾って行ってくれると助かります」
「お前の面倒見役ってあいつか!? また居眠りしやがって……、てめェらのことは上に報告してやるからな!」

怒りで顔を歪める看守は捨て台詞を吐くと逃げるように去って行った。

「エース、ほら食え」

口元に持っていって食べろと促すとエースからは「いらねェ……」と、力の無い声で拒絶した。

「無理もない」

溜息混じりにジンベエが言葉を漏らすと一瞬だけ沈黙が流れた。だが、ヤマダは聞こえないといった風で何度も食べるように促した。

「…ェ……いらねェッて、言ってんだッ…!」

力を振り絞るかのように拒否したエースはヤマダを睨み付けた。しかし、ヤマダはニカッと笑って再び食えと言う。全く引く気の無いヤマダに、ジンベエが目を丸くする一方でエースがより鋭く睨み付ける。

「いらねェ…」
「食え」
「いらねェ!」
「食えって」
「いらねェ!!」
「良いから」
「良くねェ……」
「食べろって言ってんの♪」

ヤマダは笑顔のままガシッとエースの顎を掴んだ。

「「!?」」

驚くエースとジンベエを他所にグイッと顎を上げさせて強制的に口を開けると食事を喉奥へと突っ込んだ。

「んぐっ!?」

エースは吐き出そうとしたが、そうはさせまいとヤマダはエースの頭と顎を押さえ込んで飲み込ませた。

「ゲホッ! コホッ! はァはァ…、な、何すんだてめェ!」
「美味いだろ?」
「五月蠅ェ!」
「美味いか不味いかって聞いてんだけどな」
「ッ……、おれは、直ぐ処刑される身だ……」

先程の威勢の良い応酬から一転して力無く項垂れながら言葉を漏らしたエースに、お前の気持ちなんか知らねェよとばかりにヤマダは二口目を掬って食べさせようとしていた。

「看守さん、無理に食べさせんでもええじゃろう。エースさんは……」

助け舟のつもりでジンベエは声を掛けた。ピタリと動きを止めたヤマダは顔をジンベエに向けた。驚きと疑問に満ちたような表情を浮かべている。何故そんな顔をするのかと、ジンベエは少しだけ目を丸くした。

「まだ死んでねェだろ」
「う、うむ、そうじゃが……」
「生きてるってことは腹が減る。腹が減るから飯を食う。当たり前のことだ」
「しかし、それは」

戸惑うジンベエから視線を外したヤマダは、睨み付けるエースの目を見据えて口を開いた。

「こうして自分の為に出された飯があるんだからちゃんと食べろ。ここにいる間は必ず飯が出るからしっかり食べんだよ。食べて、食べて、食べて、食べて、それから処刑台に行け」
「ッ……」
「大罪人だろうが何だろうが、命尽きるまでは必死に生きろ。でなきゃ、こうして命を差し出してくれた……あー、この肉の元が何かわかんねェけど、この魚とか、不憫じゃねェか。それに、あんた白ひげ海賊団の隊長だろ? 飯を食っておかねェと、いざって時に力が出ねェでは困るだろ」

この看守は何を言っている?
まるで逃げる時の為の力を蓄えろと言っているようなものではないかと疑問を抱いたジンベエは眉間に皺を寄せた。そして、エースに視線を移すと僅かに目を見張った。ヤマダを睨み付けていたエースの眼光から徐々に鋭さが消えていくのが目に見えてわかったからだ。

「ほら、食え」

ヤマダがエースの口元にスプーンを近付けると、頑なに拒否していたエースは黙ってそれを口にした。

「どうだ?」
「……うめェ」
「そうか、なら良かった」

安堵するような笑みを浮かべたヤマダは、エースに合わせて食事を与え続けた。そして、

「ジンベエさんもどうぞ」

エースが食事を終えればジンベエにも同様に食事を与えるヤマダに、本当に変わった看守じゃとジンベエは小さく笑った。
その時、「なァ…」とエースが声を発した。ジンベエが目を丸くする一方で、肉を切り分ける手を止めたヤマダは「何だ?」と振り向いた。

「名前は何ていうんだ?」
「あァ、タロウだよ。ヤマダ・タロウ」

二ッと笑って答えるヤマダに、エースは思わず涙ぐみそうになり唇を噛みしめた。

「あんたを見てると……、何故かあいつを思い出しちまう」
「あいつ?」
「……弟だ。どこか似てんだ」
「そっか……。何かごめん。辛くないか?」
「あんた海軍側の人間だってェのに、海賊のおれに同情してどうすんだ」

くつくつとエースは苦笑を零した。ここに来て初めて表情を綻ばせた瞬間でもあった。このヤマダの存在がエースの心を一時的なものでも支えになっているかのようだとジンベエには思えた。

不思議な魅力を持った男じゃと思う。出来ることならばもっと違う形で出会えていれば良かったと思う程に……。
ジンベエは静かに瞳を閉じて溜息を吐いた。

「ヤマダ! もう行っちまうのか!?」
「あァ、もう時間切れだ」
「寂しいぞ!」
「おー、おれも寂しい!」
「次の給仕もヤマダだよな!?」
「おう、また来るから楽しみにしとけよ〜」
「「「おう! ずっと待ってる!」」」

このエリアにいるどの囚人に対しても分け隔てなく接するヤマダは、看守と囚人という立場を越えた何かを感じさせる。それは他の囚人達も同じように感じているのか、賑やかな声がそこかしこから聞こえるのはヤマダに対した時だけだ。

ガコォォォン……
ウィィィン……

「ご苦労だったな。次の時間まで休んでろ」
「はい! わかりました!」

元気よく敬礼をして休憩室へと入った。そこには誰もいなかった為、帽子と眼鏡を外したヤマダは「ふぅ〜」と一息吐いて水を飲んだ。

「エース、諦めんなよ。絶対に助けてやるからな」

ポツリと呟いたヤマダ・タロウことヤヒロは、空になったコップを流し台に置いてソファにドサッと腰を下ろした。

「……」

流し台の側にある鏡に視線を移して短くなった髪を弄ったヤヒロは、徐に帽子を被って眼鏡を掛けるとワザとらしくニッと笑顔を浮かべてみた。

「ルフィと似てるなんて言われると思わなかったな」

義兄弟として近しい間柄にあるエースが言うのだから、どこか似てるのかもしれない。そう思うと、クロコダイルに『てめェの笑顔が気に入らねェ』と言われたが、あァ、成程とストンと腑に落ちて納得した。

「しっかし、本当に気付かないもんだな。あんだけ間近で接してんのに……。エースの奴、どこをどう見て私だと判断してんだ?」

帽子を取って眼鏡を外した顔をじっと見つめる。

「あ、金髪かな……?」

この世界に落ちてから時間の経過と共に髪は伸びっぱなしだった。髪を染める道具が無かった為、根元からは本来の黒髪が生えて来る。変装の際に思い切って金髪部分を全てカットしたので、今は黒髪の短髪だ。その上で、看守の制服姿で帽子を被って眼鏡を掛けているのだ。雰囲気からして全く変わってしまっているのだからわからなくて当然かと苦笑した。

「けど……、声は変わってねェんだけどな」

ポツリと呟いたヤヒロは、やっぱりちょっとだけ複雑だと頬を膨らませて不満な表情を浮かべた。
そして――
数日後、運命の時が迫る。
エースがインペルダウンから海軍本部のあるマリンフォードへ護送されたのだ。

「さて、頃合いだな」

エースの護送を見送った後、食事を乗せたトレーを積んだ台車を押して最下層へ降りるエレベーターに乗り込んだヤマダ・タロウことヤヒロは両頬をバシバシと叩いて気合を入れた。

「今日も相変わらず元気だな」
「うい」

例の先輩看守にサボり癖を直せと叱られた先輩が気怠げに声を掛けたが、素っ気無い返事をするだけに止めて思考は別のところにあった。エースを護送した時のことを――。

「最後まで諦めんなよエース」
「!」
「こうなることは、端からわかっていたことだから気にすんな。味方は沢山いる。それに、」
「!? お、お前ッむぐッ!!」
「シッ! 黙って聞け。この処刑を阻止して白ひげ海賊団を生かす為に私はいるんだ。だから、信じて待て」
「!」
「それから、サッチは無事だから安心しろ」
「ヤヒロ……」
「あと、これは御守な」

ヤヒロはエースの為に作ったミサンガをエースの利き腕にこっそりと結び付けた。海楼石の間にチラッと見えるミサンガに視線を落として目を丸くしたエースは、再び顔を上げてヤヒロを見つめた。

「また、みんなで笑おうな。エース」
「ッ…!」

満面の笑みを浮かべたヤヒロに、エースは眉をグッと寄せて息を詰めた。
黒髪の短髪で眼鏡を掛けている様は、エースの知っているヤヒロとは掛け離れた姿をしているが、いつか見せてくれた優しい笑顔と同じだった。

「すまねェ……。ヤヒロ、おれは……」

エースから離れて去って行くヤヒロに、エースは小さく弱々しい声でポツリと呟いた。その時、

「弟ってェのは! 兄貴や姉貴に迷惑を掛けて何ぼだってんだ!!」
「!!」

突然、ヤヒロが大きな声を張り上げて叫んだ。周りにいた看守達や署長であるマゼランやハンニャバルが驚いて怪訝な表情を浮かべる。

「あ、すみません。ちょっと思い出したらつい叫んでしまいました」

後頭部に手を当てながらヤヒロは、テヘペロと笑って誤魔化した。

本当に、大した姉貴だ。こんなに嬉しい気持ちは初めてだ。ヤヒロに会えて本当に良かった。ヤヒロと家族になれて良かった。ヤヒロの弟で……良かった。
エースは僅かに笑みを零すと覚悟をした顔付きへと変えて護送船へと乗り込んだ。

『また、みんなで笑おうな。エース』

ヤヒロ、おれは信じて待ってっからな!!
マリンフォードに到着するまでの間、薄暗い獄中に繋がれたエースは力無く項垂れていたが、僅かに口角を上げた笑みを浮かべていたことを、海軍の者達は誰も知らない。

看 守

〆栞
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