21


細やかな宴でも賑やかに沸き上がるモビー・ディック号。
傘下の大渦蜘蛛海賊団の船に乗って4番隊の隊長であるサッチが無事に帰還したのだから当然だ。

「ヤヒロって言ったか? マルコの女だってなァ」
「ゴフッ!!」

口にした酒を盛大に噴き出したマルコは、軽く咳き込みながら睨み付けた。楽しげに笑いながら酒を煽る男は大渦蜘蛛海賊団の船長であるスクアードだ。
誰が、いつ、そんなことを吹聴したんだ等と考えるまでも無い。元凶はサッチしかいない。口元を軽く拭ったマルコは、YESだともNOだとも言わずにスクアードの肩をポンポンと軽く叩くだけに止めてスクアードの横を通り過ぎて行く。
片眉を上げたスクアードは直ぐに察した。恐らくサッチの勇み足といったところか。気はあるのかもしれないが、実際にそれ程の関係にまで発展していないのだろうと、その背中を見送った。

「あ、ほら、お前のだぞ」
「!」

背後から近付いて来たマルコに気付いたサッチは、振り向き様に手を差し出した。蹴り足を上げた体勢でマルコがピタリと止まったことにサッチは密かに安堵の溜息を吐く。マルコの肩越しに見えたのは苦笑しているスクアードの姿で、不穏な殺気を感じたのはやはり気のせいでは無かったとサッチは思った。
で、とりあえず――

「うん、まず、凶器染みた足を下ろそうか」

不満気な表情を浮かべながらサッチの手を見つめるマルコは、チッと舌打ちをしてゆっくりと足を下ろした。この時サッチは心の内でヤヒロに手を合わせた。御守のおかげで凶悪なマルコの蹴りを喰らわずに済んだ。ありがとう――と。ただ、サッチの手にしているのはマルコの御守なのだけども……。

「で、それは何だ?」
「ミサンガってェ名の御守」
「ミサンガ?」
「ヤヒロがそれぞれイメージした色を組み合わせて願いを込めて編んだってよ。だから全員色が違うってわけ。傘下の奴らの分まであるんだぜ? スクアードの腕にもあったろ? 紫と白と黒のやつ」

目を丸くしたマルコは振り向いてスクアードに目を向けた。酒を飲みながら隊員達と言葉を交わしていたスクアードは、マルコの視線に気付くとミサンガを付けた腕を高く掲げて見せた。その顔は満更でも無い様子でどこか嬉しそうだ。

「たぶん……、お前のは特別だ」
「何?」
「見りゃあ何となくそう思う」

眉根を寄せるマルコに微笑を零したサッチはマルコの手首にミサンガを結んでやると他の隊員達の元へミサンガを配りに行った。含みのある笑みのように思えたマルコは、ジョズとビスタにミサンガの説明をしているサッチの背中を見つめたが、直ぐに自分の手首に視線を落とした。

「へェ、良いセンスしてるよい」

青、黒、 紫、白、水色の五色が織り成すミサンガに口角が自ずと上がった。手首に結われたミサンガをギュッと握り締めて額に当てたマルコはヤヒロに思いを馳せる。
ヤヒロ、サッチを助けてくれてありがとな。エースのことも勿論だが、おれはお前の無事を願ってんだ。だから――

「無茶だけはするなよい」

息を吐くようにポツリと零した時、ミサンガから不思議と温かい何かを感じた。

「ヤヒロ……」

―― マルコ、また一緒に笑おうな ――

そんな声が聞こえた気がした。





暢気に船を走らせて数日後――
シャボンティ諸島に上陸したヤヒロは、腹ごしらえだとレストランに入って隅っこの席に座っていた。適当に料理を注文した後、シャボンティ諸島付近を航行している時に手元に届いた封筒から書類を出して内容を確認したヤヒロは笑みを零した。

「書類審査無事通過。面接日は明後日か。よし、まだ少し時間もあるし散策でもするかな。運が良ければ会えるかもしれねェし」

何度か頷きながら書類を封筒の中に戻して何となく窓の外に視線を移して――ヤヒロは思わず二度見してギョッとした。
あの白熊って……、確実にあれだよな?オレンジ色のツナギを着て二足歩行する白熊と言えば……、あ、名前が出て来ない。けど、あれしかいない。
同じ服を着る仲間達と共に歩いて行く姿をガン見していると料理が運ばれて来た。良い匂いに釣られるように視線を外したヤヒロは、まずは空腹を満たすことからだとナイフとフォークを手にした。

「美味い」

ホクホクと幸せな顔して食べていると目の前の空席に、こりゃまた見覚えのある男が当り前のようにドカッと座った。そして、テーブルに頬杖をしてじっと見つめて来るではないか。

「相席お断り。他に空席あるんだからそっちに座りやがれ」

無表情で冷たく突き放すような物言いをしたヤヒロだったが、肉をパクリと頬張ると途端にホクホクと幸せな顔を浮かべるものだから、ギャップが凄まじいなと男はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「お前がマジマヤヒロだろう?」
「……」

男の言葉にヤヒロはピタリと動きを止めた。手配書の類なんざ出ていないはずなのに、どうして名前を知っているのかと怪訝な表情を浮かべるヤヒロに察した男は、「ある島で鷹の目と二人で海賊を追っ払ったと聞いた」と言葉を続けた。

「あー……、あれか」

この世界に堕ちて最初の戦いのことだろう。今では懐かしい思い出だなと振り返ったヤヒロは、フォークとナイフで肉を一口サイズに切ってから「正しくは私一人でだ」と答えて口に頬り込んだ。

「一人だと?」
「鷹は責任を私に押し付けて逃げたからな」
「何?」
「んで、離れた所で暢気に傍観してやがったわけ」

フォークを軽く振りながら説明したヤヒロは、スパゲティサラダにフォークを突っ込んでパスタをクルクルと巻き付けた。

「相手はそれなりに名のある海賊だったはずだが」
「あァ、そう。あんまり大したこと無かったけど」

パスタをモグモグと咀嚼してアイスコーヒーに手を伸ばした。ストローで軽くかき混ぜてから口にしたヤヒロは、「少し苦いな」と零してミルクを足した。

「これを入れたらどうだ?」
「あ、砂糖はいらない派なんで」

手を振って不要だと言い張るヤヒロに片眉を上げた男はくつくつと笑った。

「つーかさ、」
「何だ?」
「名前、言えっての」
「聞く態度じゃねェな」
「教えやがれくださいませ」

あまり興味無さそうな顔でヤヒロは言った。そして、再びフォークをクルクル回してパスタを巻き付ける。
別に名乗ってもらわなくても構わない。この男の顔は覚えている。当然、名前もだ。しかし、直に会うと確かにイケメンだ。目の下のクマがちょっと気になるけど……。

「トラファルガー・ローだ」
「トラさん、御職業は何ですか?」
「ローだ。妙な呼び方をするな」

眉間に皺を寄せるローに、してやったりな顔をしてヤヒロはニヤリと笑った。

「で、何してんの?」
「海賊だ」
「あー、そうなんだ。知ってた」
「知ってて聞いたのか?」

プチトマトを口に頬り込んだヤヒロは、手配書を見て知った口だと(嘘だけど)言った。そして、それを思い出したのだとも――。
どうも嘘臭い雰囲気を感じてならないと思ったローは、頬杖を止めて背凭れに背中を預けると笑みを消して口を開いた。

「赤い龍と青い不死鳥を背負っていると話に聞いたが、どういう意味だ?」
「あー、服の背中に刺繍してんだ。目立つから見せないけど」
「あァ、今見せろとは言わねェ。後で見せろ」
「頼む態度じゃねェな」

先程のローの言い様を真似てヤヒロは悪い笑みを浮かべた。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてチッと舌打ちをしたローは、長い足を組むと何も言わずにヤヒロをじっと見つめた。

「あのさ、じっと見られてると食べ辛ェんだけど」
「気にするな」
「いや、気にする。話が終わったんならどっか行け」

シッシッと手で追い払うようにして骨付き肉に噛み付いたヤヒロに、僅かに口角を上げたローは「お前が食い終わるのを待ってやってるんだ」と言った。
何だこのイケメン。まるで(後輩が大好きな)乙女ゲームに出て来そうなシチュエーションじゃねェかとヤヒロは顔を顰めながら肉を食い千切った。

「赤龍と青不死鳥が見たいからって」
「あァ、興味はあるが」
「――ん? 他に何かあんのか?」

軽く首を傾げるヤヒロにローは言った。お前が気に入った。おれ達の仲間になれ――と。

「あ、うん。無理」
「ククッ…、即答か」
「とある海賊団に所属してる身だからな」
「そうか。残念だ」

ローはそう言ったが、あまり残念そうに見えない。訝し気な目を向けるヤヒロに少しだけ片眉を上げたローは口角を上げた。

「欲しいものは奪えば良い」
「海賊だからか」
「そうだ」
「相手が白ひげ海賊団でも?」
「!」

目を見張ったローに不敵な笑みを浮かべたヤヒロは、まだ残っていたアイスコーヒーを飲んで喉を潤した。

「青い不死鳥か」
「そういうこと」

赤い龍と青い不死鳥を背負っているらしいと話に聞いていたが、実際に白ひげ海賊団の一員となっているとは思ってもみなかったローは、あからさまに苦り切った表情を浮かべて舌打ちをした。
流石に四皇の一角にして世界最強とも謳われる白ひげ海賊団を相手に、無謀過ぎる戦いを挑むようなバカはできない。

「でも、」
「何だ?」
「誘ってくれてありがとな」
「……」

食事を終えてナフキンで口元を拭ったヤヒロはニッと笑った。そんな言葉を口にするとは思っていなかったローは軽く面食らったが直ぐにフッと微笑を零した。
食事の料金を支払ってレストランを後にしたヤヒロは、後ろを歩くローに振り向くと「やっぱり同年代だと話し易いな」と言った。

「な、何? 同年代?」

思わず目を丸くしたローは、直ぐに眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべた。

「おれの年齢を知っているのか?」
「確か二十四歳ぐらい?」

ヤヒロの答えにローは眉をピクリと動かした。

「なら、お前の年は幾つだ?」
「二十五歳」
「!」
「あ、ローの方が年下か」
「詐欺じゃねェのか?」
「え、何歳だと思ってたんだ?」
「……十七」
「ハハ、八つも若く見られてたんだな!」
「あんたの笑みはどこから見てもガキ臭ェからな」
「これか? ニシシ」
「あァ、その笑い方だ」

別の言い方をすれば屈託の無い純粋な笑みとも言えるが、ローは思っても口にしはしなかった。

「私は年上が好みなんだよな」
「不死鳥か」
「何故?」
「年上だけじゃねェ。強さも無ェと物足りねェんじゃねェのか?」
「強さねェ……」

視線を外して頬をポリポリと掻いたヤヒロは、ほぼ互角なんだけどなァと呟いた。

「何?」
「マルコと喧嘩して勝敗が付かなかったんだ」
「なっ!?」
「だから互角……と言っても、未だに納得はしてねェんだけど」
「納得してねェとは、どういう意味だ?」

眉を顰めるローの質問にヤヒロは軽く肩を竦めて少しお道化て笑う。

「まさか、不死鳥よりも自分の方が強いと思ってるからか?」
「うん、正解」
「……」

当然だろとばかりにコクンと頷いたヤヒロに足を止めたローは呆れて何も言えなかった。

噂に付随していた狂暴さつよさについてはあくまでも噂に過ぎないと、ローは鼻で笑い端から信じていなかった。
しかし、まさか不死鳥マルコを相手に(どういう経緯でそうなったのか、そっちの方が気になるが)喧嘩して互角だったとは思いもしなかった。その上で更に自分の方が強いと自負するのだから、これは驚くべきことなのか、それともただ単に自信家の戯言として取るべきなのか――。

「ここなら良いだろ」

人気の無い場所に来るとヤヒロはローに顔を向けて笑みを浮かべるとマントに手を掛けて脱ぎ始めた。その下に隠れていたのは黒地の衣服だが、あまり見慣れない変わったデザインに思わず言葉を飲み込んでローは凝視した。

上着の丈がロングコート並に長いが決してコートでは無い上、ボタンが無いのか前を開けたまま羽織っているといった恰好だ。流石に女の身で素肌を曝すなんてことは無く、胸部から下にサラシを巻き付けて隠している。履いているズボンはダボッとした感じのように見えるが、上着に隠れている分、あまり気にならない。足元は愛用しているのか割と年季が入ったシンプルなサンダル。

「赤い龍と青い不死鳥を背負うって意味はこれだ」

マントを地面に落としてヤヒロは衣服を翻して背中を見せた。

「!!」

ローは目を見張った。話に聞いていたとは言え、見事な迄に猛々しく気高ささえ感じるそれに思わず魅入ってしまう。

「成程な……」

ポツリと零したローは一歩二歩と近付いて徐に手を伸ばした。トンと指先で触れて辿るのは赤い龍と青い不死鳥の間にある金糸。――あァ、やっぱりそれが気になるのかとヤヒロは微笑を零した。

「夜叉鬼神って文字だ」
「……」

因みに右上腕部にあるのは『爆音』で、左上腕部は『喧嘩上等』だとヤヒロは説明して振り向いた。と、同時にローは手を引いた。視線は下方気味にどこを見るとも無く宙に彷徨い、何やら難しい表情を浮かべている。
しかし、直ぐにフッと微笑を浮かべたローは言った。

「今直ぐにとは言わねェ」
「え?」
「もう少し力を付けた後、お前を迎えに行く」
「ナンダッテ?」

聞き間違いかと思って片言で返したヤヒロだったが、その自信はどこから沸いて出て来るんだと思わせるような不敵な笑みを浮かべていることから聞き間違いでは無かったようで――。
寝言は寝て言えよ――と溜息を吐いたヤヒロは、話は終わりだとばかりに手を振って立ち去ろうとした。だが、その手をガシッと掴まれてピタリと足を止めた。ローに顔を向けたヤヒロは軽く目を丸くすると途端に少しだけ神経を尖らせた。

「冗談は」
「そう思うか?」
「――……」

この世界の知識が浅く薄っぺらなヤヒロでも、冗談を言うような男でないことぐらいわかっている。
至って真剣な表情に本気の目。
こんな表情を浮かべて口説きに掛かるローに、僅かにドキンドキンと動悸が打ち始めた気がしたヤヒロは視線を外した。
ふと脳裏に浮かび上がるトラファルガー・ローの熱狂的なファンである女性達。脳内に響き渡る(ほぼ後輩しか浮かばないので黄色いけど野太い)黄色い声。――あァ、わからないでも無いとヤヒロは思った。
間近で見ると(目の下のクマがやはり気になるけど)本当にイケメンだ。年下と言っても一つしか違わないのに色気があるし悪くは無い――等々、思考の渦化に没頭していたヤヒロはハッと我に返って視線を戻した。
片眉と口端を上げた笑みを浮かべたローは、何故か堪えるように顔を俯けた。片手で口元を覆う。しかし、肩が上下に揺れて、やはり耐え切れないとばかりにくつくつと喉を鳴らして笑った。

「な、何で笑ってんだ……?」
「案外、おれに気があるんじゃねェかと思ってな」
「ナンダッテ?」

またもや問題発言を耳にしたヤヒロは、またもや片言で聞き返した。

「気に入った」
「ッ――!!」

未だに掴まれたままの腕を引っ張られたヤヒロは、大きく目を見開いて固まった。

「お前を迎えに行くと言ったが――」

その時は、おれの女として迎えに行く――と、ヤヒロの耳元に唇を寄せてローは言った。その瞬間に、「甘ーい!」と誰かが叫んだような気がしたヤヒロだったが、カッと顔に熱が集まると咄嗟にローの胸元を押して耳を手で押さえた。

「くく、耳が弱いのか」
「お、お前!」

ヤヒロの中にあった一方的に勝手に決めつけていた第一印象(ニヒルな男)のイメージが激しく吹っ飛んだ。妙に楽し気に笑うローにギリギリと奥歯を噛んで悔し気に表情を顰めたヤヒロは、耳を押さえていた手で何かを追い払うかのように動かして耳を叩く。

「お前の声は凶器だ」

ジト目で睨み付けながらヤヒロがボソッと呟くと、ローは微笑を口元に湛えて「光栄だな」と答えた。その時――

「「!」」

ヤヒロとローの間をヒュンッと風を切り裂く何かが飛んで来た。咄嗟に身を引いたヤヒロとローの間に距離が生じるは当然のことで、気に食わねェとばかりにローは舌打ちをして犯人を睨み付けた。

「邪魔すんじゃねェよ、ユースタス屋」
「公衆の面前でイチャついてんのが悪ィんだぜ? トラファルガー・ロー」

意地の悪い微笑みを口元に浮かべる男に眉を顰めたヤヒロは「あいつは……」と小さく呟いた。
えーっと、顔は知ってる。よくわかんねェけど、金属を磁石みたいに操ってたようなそうでないような――と、脳内にある薄っぺらい記憶のページを急いで捲って名前を探した。
難しい顔をして若干「ん”ー」と唸り声を漏らしながらヤヒロは「確か、き……」と言った。結構、はっきりとした呟きだ。

「あ?」
「何だ?」

対決姿勢でバチバチと火花を散らしていたユースタス屋と呼ばれた男とローが、同時にヤヒロに視線を向けた。

「あー、無理だ。わかんねェ、ユーモラス何だっけ?」

顔を顰めて頭を掻きながらヤヒロが問い掛けると

「ゆ、」
「……くっ」

男が額に青筋を張る一方でローが堪らず喉を鳴らした。

「てめェ……、おれ様の名前を知らねェとはマジマヤヒロも大したことねェなァ!?」

怒鳴るキッドを他所に口元を手で覆いながら肩を揺らして笑うローは、愛刀である鬼哭を肩にトントンと当てながらヤヒロに言った。あいつの名はユーモラス・キッドだ――と。
あ、そうだ。そんな名前だったなとパッと表情を明るくしたヤヒロは、「悪ィな。今思い出した」とキッドに手を挙げて言った。

「ユーモラス・キッドだな!」
「違ェ! ユースタス・キッドだ!」

唯でさえ赤系揃いのコーディネートなのに顔を赤く染めて真っ赤っかな様は何ともおかしみがあって、まさにユーモラスな男だ――と、誰もが思った。

「ふざけやがって! いつまで笑ってやがるトラファルガー!」
「くく、お前の隣にいる奴は良いのか?」
「!!」

キッドの隣にいたのは仮面を被った男。表情こそ隠されているもののフルフルと身体を震わしていることから明らかに笑っているとわかる。

「おい、キラー……」
「ふ、は……、」

地の底を這う様な低い声を発したキッドに、引き攣る呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻したキラーは「すまん」と謝った。
噂は所詮ただの噂――だと思っていたが、会うなりいきなり出鼻を挫かれる(それも精神的な)とは思いもしなかったキッドは、ギロリとヤヒロを睨み付けた。

「ところで、そろそろ行かねェと予定が狂っちまうから退散して良いか?」
「何かあるのか……?」
「面接があるんだ。その準備をしねェとなんねェから」
「面接だと?」

目を丸くするローにニヤリと不敵な笑みを浮かべるヤヒロ。それを第三者の位置で傍観している――筈も無いキッドが叫んだ。

「マジマヤヒロ! おれ様の部下にしてやろうとわざわざ出向いてやったってェのに、関係無ェ話を勝手に進めてんじゃねェぞクソアマッ!!」

序にトラファルガー! てめェもだ!!と、ビシッと指摘するキッドに対してローは咄嗟に顔を背けた。
どうしても頭から抜けないユーモラス。更にヤヒロの空気に玩ばれているキッドの様は――

「くっ…くく……」

僅かに声を漏らして肩を震わせるローに、怒りの気持ちを抑えきれないキッドはギリギリと頭が痛くなるほど歯を食い縛る。そして、癇癪玉が破裂するかの如くキッドは怒声を上げる。

「てめェら、今直ぐ死にやがれェッ!!」

有無も言わずに攻撃を仕掛けようとした。――ところで、いつの間にか海兵が集まり始めていた。それに気付いたキラーは、怒れるキッドを羽交い絞めにして「今は不味い」と懸命に宥めた。

「ユースタス・キッド!」
「「!」」
「名前! ちゃんと覚えたからな! 今度、機会があればゆっくり話そう!」

間違ってて悪かった!と謝罪の言葉を添えて、ヤヒロはキッドとキラーに向けて手を振った。そして、ローに顔を向けたヤヒロは「ここで捕まると"都合が悪い"から先に行くよ」と言った。

「あァ。何を企んでんのかは知らねェが、気を付けて行け」

口端を上げて微笑を浮かべたローに、「話せて楽しかった。ありがとな」と礼を述べてニッと笑ったヤヒロは踵を返して逃走した。

「キッド、噂は本当だったな」
「ハッ、確かにとんでもねェもんを背負ってやがったぜ」

走り去るヤヒロの背中に描かれた赤い龍と青い不死鳥を見たキッド海賊団はどよめき、キッドとキラーも不完全燃焼ではあるが見たかったものが見れただけで良しと気持ちを納得させた。

「奴は逃げたな」
「チッ! あいつだけは絶対に許さねェからな」

やっぱり怒りは払拭し切れなかったキッドは怒りの咆哮を空に向けて放った。

「あっちだ! 追え!」
「船長! 今だけは叫ぶの止めてくれ!」
「声のせいで逃げた先がバレちまってる!!」
「押さえろキッド!」
「覚えてやがれトラファルガー!!」

大勢の足音が通り過ぎて行くのを確認していたローは、「あ、いた!」と背後から聞き慣れた声を耳にして振り向いた。

「みんな! ここにいたよ!」

白くまことベポが大きく手を振って叫ぶと森の奥から走って来た仲間達が息を切らして駆け付けた。

「もう、どこにいたんだよキャプテン!」
「ずっと探してたんですよ!?」
「あァ、悪かったな」

怒るペンギンとシャチに、ローはマジマヤヒロと話していたと告げた。

「「「えェェェ!?」」」

声を揃えて絶叫する彼らの反応は思った通りで、ローは微笑を零した。

「見たの!?」
「見たのか!?」
「見たんですか!?」
「あァ」
「「「羨ましいィィィィッ!!」」」

何を隠そう彼らは噂だけでしか知らないマジマヤヒロに憧れを抱いた隠れファンであった。実際に会ったことも無いのに。顔すら知らないのに。嘘かもしれない噂を鵜呑みにしてだ。

感想は!?
どんな人だったんですか!?
何を話したんだ!?

質問攻めされ乍らローは思った。
お前達も十分ユーモラスだな――と。





海兵の追手から無事に脱したヤヒロは面接の為の準備をちゃくちゃくと進めた。
金髪だった髪を黒く染めて、伸びた髪を短く切って、リクルートスーツっぽいスーツに着替える――等々。こうして準備をしている最中、ヤヒロは屡々考えに耽った。
手配書なんて類のものは出回っていない。噂はあったとしてもただの噂だけで何故に勧誘話が持ち上がるのか――。
鞄に入れようと脱いだ特攻服を手にしたヤヒロは青い不死鳥を軽く撫でて溜息を吐いた。

「ッ……、違う違う」

何を考えてんだとヤヒロは頭を振って両頬をバシバシ叩いた。これではまるで乙女じゃねェかと自分に対して鼻を鳴らして笑い飛ばした。
いつの間にか一人が寂しいと思う自分がいることに気付いた。そんなもの疾うに慣れ切って、何でも一人で熟して来たというのに、今更何で――。

 会いたい

これからやろうとしていることに、この気持ちはいらない。大きく息を吐いて心の奥底にしまい込むような気持ちで特攻服を鞄の中へと押し込む。

サッチを救い、バギーに助けを乞い、赤髪シャンクスを通じ、麦わら海賊団と知り合った。先刻までローと話して、キッドやキラーといったルーキーの面々とも会って――楽しくて仕方が無かった。

「楽しい、そう。楽しいんだ。だから――」

絶対に一人になんてさせてやんねェからな。
と、まるで誓いのように言葉を口にして、気持ちを新たに引き締める。

さァ、時は来た。
表情は一変して無表情に。瞳はどこまでも冷たいものに変わって雰囲気を一変させる。

夜叉鬼神七代目総長真嶋八尋。
赤龍と青不死鳥を背負う音速の鬼神。

牙も角も伏していた鬼神が、今再び目覚める。

「あとは眼鏡……。うお、めっちゃ印象変わる!!」

正に優等生っぽいひょろい兄ちゃんができあがってたことに驚愕したヤヒロは、変装の才能があったんだなァと自画自賛しつつ大変お世話になった宿屋の主人に挨拶と支払を済ませると鼻歌混じりに去って行く。

「あんた、誰?」

毎日、ほぼほぼ顔を突き合わせていた宿屋の主人でさえもヤヒロだと見抜けなかったのだから――変装は完璧だった。

シャボンティ諸島

〆栞
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