13


さて、どうしたものかと溜息を吐いたマルコは思考を張り巡らせた。
こんなエースを見たらヤヒロは何と言うだろうか。恐らくヤヒロなら――バシンッ!と、軽く頭を叩いた。

「痛っ!? な、何すんだよ!」
「湿気た面してんじゃねェ」
「ッ……」
「根性叩き直してやろうかい?」

マルコはニヤリと笑みを浮かべた。叩かれた頭に手を当てながらエースは不満気に唇を尖らせて「んだよ……」と零した。

「まるで――」
「ヤヒロなら言う。だろい?」
「!」
「気に病むな。気楽にしろ。それから、」

言葉を区切ったマルコは一呼吸してから言った。

「てめェの責任じゃねェ。悪いのは事を起こしたバカの責任だ。くだらねェ上司気分で責任を取ろうとしてんじゃねェ。バカの為にならねェだろうがど阿呆」
「うぐっ…」

またヤヒロが言いそうなことだと顔を顰めたエースは、まいったとばかりに目元を隠す様にテンガロンハットを目深に被って唇を噛んだ。
それでも――サッチを殺そうとしただけでなく、その責任をヤヒロに擦り付けて無実を装い逃走しようとしたティーチをどうしても――許せねェんだ。と胸の内で吐露した。途端にバシンッ!!と再び頭に衝撃が走った。

「痛ェな! 今度は何だよ!?」

何も言ってねェのにと叩かれた衝撃で斜めにズレたテンガロンハットを直しながらエースはマルコを睨んだ。

「てめェのケツぐらいてめェで拭く。売られた喧嘩に口出ししてんじゃねェ。舐めたことしやがったらマジで泣かすぞクソガキが。ってェところか」
「!!」
「ティーチを許せねェのはお前だけじゃねェんだよいエース」

溜息混じりにマルコが苦言を呈すと、その背後からひょこりとハルタが顔を出した。エースが視線を移すとハルタは楽し気に言った。

「ヤヒロと離れ離れになっちゃったんだからマルコが一番怒ってるに決まってんじゃん!」

ぶん!と空気が唸る。うわ!?と声を上げたハルタが咄嗟に身体を捩った。

「ちょっとマルコ! 今、本気でおれを蹴り殺そうとしたでしょ!?」
「五月蝿ェよい! 黙って蹴り殺されろい!」
「わわわっ! ジョズ! 助けて!」
「ワレカンセズ」
「うあ!? 片言で逃亡だなんてまるでヤヒロから逃げる時と一緒じゃん!」
「ハルタァァッ!!!!」
「マルコ! 本当にヤヒロと似てきてるよ!?」
「あ”ァ”!? 黙れてめェ! マジで泣かすぞい!」

目の前で繰り広げるドタバタを見つめるエースは溜息を吐くと視線を落とした。
白ひげ海賊団の一員になる切っ掛けをくれたのはマルコだ。当初から気に掛けてくれていたことも知っている。
本当に良い兄貴分だ。
だから、自分が思っていることもマルコにはわかってしまうのだろうとエースは思った。

〜〜〜〜〜

「なァヤヒロ。何でロギアのおれに攻撃できるんだ?」
「んー、何かしてるって意識は無いんだけど」
「覇気じゃねェよな」
「気合いと根性?」
「何だそれ……。それだけであんなに強くなれるなら誰も苦労しねェだろ」
「相手をぶっ倒すことしか考えてないから雑念が一切無いからとか」
「……」
「お、納得できねェって顔」

不満気なエースの顔を見つめてヤヒロはニシシと笑った。

「マルコが言ってた通りだな」
「は? マルコ?」
「そ、マルコ。『あいつはお前の強さの秘訣を知ろうとして納得するまで追い掛けるだろうから覚悟しとけよい』って。今が正にそれな気がした」
「……」
「マルコは良い兄貴だよな。あれは自慢できる兄貴だ。兄弟のことをよく理解してるし面倒見も良いし」

『良い兄貴だ』
『自慢できる兄貴だ』

ヤヒロの言葉を受けてエースは、この船の一員に加わることになった当初のことを思い出した。
自分を『息子』だと受け入れてくれたオヤジに対して恩義を感じて慕う心が芽生えると心から忠義を抱くようになった。
その一方で、義兄弟となる隊長達や隊員達に対しては少し距離を置いた節があった。
義弟がいて兄貴分だった自分が『末弟』として迎えられたことに気恥ずかしさと戸惑いがあったからだ。信用していなかったわけじゃない。事あるごとにそれとなく助言を投げ掛けて助けとなってくれる義兄達から義弟として可愛がられることに対して素直になれなかっただけで、けど本当はそれが嬉しいと思ったことは――
どこを見るともなく視線を宙に彷徨わせながら腕を組んだエースは、義兄達の筆頭となる人物の顔が脳裏に浮かぶと思考を現実に戻して「兄貴か……」とポツリと呟いた。そして、視線をヤヒロに戻した。

「ヤヒロにはいたのか? その、兄とか、弟とか」
「まァ、一応……」

頬をポリポリと掻いてヤヒロは頷いた。どこか歯切れの悪い返事だ。片眉を上げたエースは意外だなと胸の内で思った。
誰にでも言いたくないような過去はある。きっとヤヒロも同じなのだろう。それは自分も――と思った時、自身の出自に関する話を聞いたらヤヒロは何て答えるのだろうかと不意に興味を抱いてエースは口を開いた。

「なァヤヒロ」
「ん?」
「おれってさ……」
「実は『望まれない子供だったんだ』って話か?」
「!」

目を見開くエースに、神妙な顔して言い辛そうな雰囲気があったからとヤヒロは笑った。

「確か鬼の子なんだってな」
「お…、おう…」
「最初それを聞いた時に、「うおお、マジか」と思った」

ヤヒロの言葉を受けてエースは表情を曇らせた。が――

「同士じゃねェか!って」
「へ……?」

喜々とした顔を向けるヤヒロに思わず間抜けな声を漏らしたエースは唖然とした。

「私が鬼神って言ってるから、その内にエースからそういう話をされるかもなってマルコが言ってた」

隊員から『鬼隊長』って呼ばれてるマルコも同類だろうけどなとヤヒロは笑った。それにエースは視線を外して「あァ、確かに…」と小さく頷いた。

「私からすればエースは鬼の子って言うよりも豆柴っぽいけどな」
「は? 何だそれ?」
「こ〜んな小さくて可愛い子犬」
「はァ!? 子犬!? 何で!?」
「誰からも愛されるから」
「お、おれが?」
「湿気た面してねェでエースは笑ってろ。その方が愛嬌があって良いんだから自信持て」
「……」
「目付きの悪い不愛想な兄貴マルコが心配すんぞ?」
「はは…、そっか…」
「そうだぞ?」

確かにそうだ。特に兄貴マルコは世話焼きで面倒見が良い。そのおかげで今の自分があるのだからとエースは微笑を零してテンガロンハットを目深に被った。

「嬉しいからって泣くなよ」
「な、泣いてねェだろ!」

オヤジだけでは無い。沢山の義兄達からどんなに愛されているか――他愛の無い会話の中でヤヒロに諭された気がした。
羨ましい奴め。半分でも良いから私にも分けろ等とヤヒロは笑っていた。他人から『羨ましい』と言われたことがなかったエースにとって妙に擽ったく感じた。

「少なくとも命懸けで生んでくれて名前もくれたんだ。それだけでも幸せだよ」

ポツリと呟くように零したヤヒロは一瞬だけ表情を暗くした。どこか寂し気で、不安に満ちた弱々しい――そんな顔だ。
目をパチクリさせたエースは、ひょっとしたら先程の『羨ましい奴め』と口にした言葉は存外本気だったのかもしれないと思った。
快闊豪胆で強いイメージしか無かったが、意外に脆い一面があることを初めて知った。それは自分と然程変わらない『飢え』をヤヒロも抱えているのだと――。
ヤヒロが言った『同士』というのは、強ち間違いじゃないのかもしれない。

「ヤヒロも同じだ」
「何が?」
「オヤジや義兄達に愛されてる。勿論、義弟にもな」
「あれ? 何か立場変わってね?」

首を傾げるヤヒロにニヤリと笑ったエースはお返しだとばかりに言った。「あんまりらしくねェと、それこそ目付きの悪い不愛想な兄貴マルコが心配すんぞ?」と。

「おれが何だって?」
「「!!」」

突然背後から割って入った声にヤヒロとエースは驚いて肩をビクッと振るわせた。二人してそろりと振り向くと同時に「「出た兄貴マルコ!」」と叫んで脱兎の如く逃走した。
別に悪口を言っていたわけでは無いのだが、だからって良い兄貴だと褒めてただなんて本人を前にして言えるか!といった気恥ずかしさによるものだ。

〜〜〜〜〜

本当、世話焼きで面倒見が良い。その上に聡いから困るよなとエースは微笑を浮かべた。そして――「おれはおれでやるべきことをやる」と言った。
ハルタを追い回していたマルコがピタッと動きを止めてエースに顔を向けるとエースは意を決したように白ひげに顔を向けて言葉を告げた。

「オヤジ、おれはティーチを追う」――と。

やはりか――と、白ひげは厳粛した顔でエースを見つめる。一方でマルコもまたこれは止められないものなのかと苦心しながら「エース!」と声を荒げた。
視線をマルコに向けたエースは「マルコ、悪い」と苦笑すると更に言葉を続けた。

「心配してくれてんのは痛い程わかってる。けど、これはおれにとっての『けじめ』だ。恩を仇で返すような真似は絶対にしたくねェし、おれはティーチをどうしても許せねェんだ」

両手をグッと握り締めてギリッと歯を噛み締めたエースは真剣な顔をして叫んだ。

「鉄の掟を破ったティーチは!! オヤジの顔に泥を塗った!! サッチに手を掛けてヤヒロに責任を擦り付けようとしやがった!!」
「それは、ッ…、それは、お前の責任じゃねェって言ってんだよい!」
「あんたの顔にまで泥を塗ったんだ!!」
「!?」

思わず目を見張ったマルコは、思ってもみなかった言葉に「な、何…言ってんだ…エース……」と、驚きのあまり言葉が上手く出てこなかった。

「自慢の親を、自慢の兄貴を、ただバカにされて黙っていられる程、おれはできた弟じゃねェんだ」

マルコに面と向かって言ったエースは踵を返して船長室を出て行った。そして、荷物を纏めてストライカーに飛び乗ると仲間の制止を振り切って大海原へと疾走して行った。

「グラララララッ!」
「オヤジ……」
「自慢の兄貴と言われちゃあ止めるもんも止められねェよなァマルコ」
「ッ……」

眉間に手を当てて溜息を吐いたマルコに「こればかりは仕方が無ェ」と白ひげは言った。だが――
勝負はここから先だとばかりに白ひげは口を開いた。
会議室に集まったエースを除いた隊長達に、これから起きるであろうことを説明する。更にヤヒロがどこから来て、何故この船に来たのかも含めてだ。俄かには信じられない話であったが、何となく納得いったと隊長達は頷いた。

「はっ! 湿気てんのはヤヒロじゃねェか!! 飲み友達のおれに一言相談してくれりゃあ良かったってのによ!!」

ラ腕を組んで不貞腐れながらクヨウは言った。それに同意するように「全くだよ!」と声を上げたのはハルタだ。

「おれなんて『おハル』だなんて呼ばれてさ! けど、ヤヒロの作るお菓子は美味しいし、仕方無しに呼ばせてあげたってのに、肝心なことを教えてくれないなんてショックだよ!」

机に突っ伏してハルタが拗ねると一瞬にして沈黙が流れた。そして、誰ともなく「ぶはっ!」と盛大に噴き出すと皆してどっと笑った。

「そうかおハルか! だがな、おれは『ジョズりん』と呼ばれているぞ?」
「おれは『ビスタちお』だぞ、おハル」
「おれは『フォッサん』だったな」
「皆もそんな感じで呼ばれてたのか。おれだけかと思って陰で泣いちまったぜ。因みにおれは『ブラメンこりっく』だ。意味がわからねェ。何だこりっくって……」
「おれも泣いたよ。『スピード違反』だって。皆みたいに名前と繋がったあだ名が良かった。スピード違反って、何が違反なのか全くわからないんだ」

涙ぐんだスピード・ジルは天井を見上げた。目尻から零れ落ちる一筋の涙がキラリと光る。隊長達一同は言葉を飲み込んで同情の目を送った。
ヤヒロ、もっとマシなあだ名……あったろい?と、マルコは胸の内で呟いた。それからちょっとの間を置いてハッ!?としたマルコは、そんなことはどうでも良かったとかぶりを振ってから白ひげへと顔を向けた。

「!」

なのに、白ひげがお腹を抱えて涙目で笑っていたことに驚いたマルコは、思わず眉間に手を当てて溜息を吐いた。

―― ヤヒロの阿呆が。これじゃあ止めれるもんも止められねェだろうよい……。

一抹の不安が大きく圧し掛かったマルコは、更に盛大な溜息を吐いて影を背負った。その様子を対角線上にいたイゾウが煙管を口に銜えながらクツリと笑った。

「とりあえず、覚悟は決まった。事前に事象をわかってんだ。それなりに準備をすりゃあ対処できるってもんだろう?」

グダグダと化した会議をマルコに代わって纏めたイゾウの言葉に、あだ名の話題で花を咲かしていた隊長達が頷いた。

―― どいつもこいつも締まりのねェ顔しやがって……。

マルコと同じくしてイゾウもちょっと不安になった。
会議が終わると各隊がそれぞれ動き出して『その時』の為の準備を始めた。2番隊はエース不在によりマルコが1番隊と共に指令を下す。

異世界から来た一人の女の覚悟。
自分達が敬愛するオヤジと大事な兄弟であるサッチとエースを助けたい。

その一心でこの船に乗り込んだヤヒロの思いが隊長達の心を大きく動かした。それは隊員達も同じ影響を与えた。短い期間だったがヤヒロと共にいて交わした会話を思い出しながら各々覚悟を決めていく。

「おれ達の大事な家族を守る為に何ができるか必死に考えろ!」
「ヤヒロに笑われるぞ!!」

誰しもがそう叱咤した。ヤヒロの存在は何だかんだと白ひげ海賊団の心根に確かに根付き、大きな力を齎す格好となっている。それを感じ取っていた白ひげは目を細めるとゆっくりと瞼を閉じた。そして、この船は誰の船だと思ってんだとばかりに微笑を零した。

息子達全員をここまで突き動かすたァ、ヤヒロはてェした女だ。

娘として迎えたヤヒロを想い、そして大事な息子の一人であるサッチの身を案じる。

サッチ、死ぬんじゃねェぞ? ヤヒロ、サッチを任せた。エースは行っちまったが、あいつの覚悟はヤヒロが知るものと違ったものであることは間違いねェ。自慢の兄貴たァ、あいつの口から初めて聞いたなァ。

酒が入った盃をぐいっと飲んだ白ひげは、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。

それぞれがそれぞれの想いを胸に覚悟を持って『その時』に向けて動く。それに伴い、少しずつ、少しずつ、時の歯車も動き始めた。

覚 悟

〆栞
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